元ヤン先生と錆兎くん
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元ヤン先生と錆兎くん⑥
くらい、暗い海の底にいるようで、息苦しい。
手元すら見えない真っ暗な中でひたすらもがいてもがいて、何にも辿り着けない空間に恐怖しか感じない。
『どうしてこんな簡単なことができないの?』
遠くから、声が聞こえた。
『何度言ったらわかるの!』
『この親不孝者!』
ビクリと肩が跳ねる。怒りを含む声、罵倒の数々、全て鮮明に記憶に残っている。途端に震え始める声…言葉が、出ない。
嫌だ、もう責めないで。私はちゃんとやってる。そんな目で見ないで。笑ってよ。泣かないで。ごめんなさい。謝るから。
お願い、認めて。
「……ごめん、なさ……」
掠れた声を発したと同時に、じんわりと浮上する意識。ゆっくり開かれた視線の先にはいつの間にか伸ばされた手が虚しく空を仰いでいた。
……なんか、久しぶりな夢を見た。最近は見なかったのに。体調を崩してしまったせいだろうか。ぼんやりとした視界が徐々に晴れてきて、顔だけ動かして辺りを見回す。清潔感のあるカーテンに囲まれたこの場所には見覚えがある。
「保健室…」
「気が付きましたか」
上半身を起き上がらせた時に生じたスプリングの軋む音に反応したのか、じゃらっとカーテンが開かれ養護教諭の珠世先生が顔を覗かせた。
彼女は表情を変えず近寄ると、私の額にそっと手を当てた。ひんやりとした手の感触が心地よくてふっと目を細める。
「やっぱり、熱がありますね」
「え、うそ…」
「慣れない仕事続きで疲れが溜まっていたのかもしれません。今日はもう帰って休まれてはどうですか?」
他の先生には報告していますから、と珠世先生は優しく微笑んでくれた。正直仕事に穴を開けたくない気持ちもあるけど、未だ頭も少し痛むしここは素直に従うべきか。ああ、体調管理もまともに出来ないとは不甲斐ない。しょんぼりと肩を落としていると、「ああ、あと…」とさっきまで優しかった珠世先生の声色が一転して少し怒を含んだ低めのものに変った。
「先生は視力は悪くないと聞いていたのですが、何で度の合わない眼鏡をかけてらしたんですか?」
「う、それは……」
「理由はどうあれ、感心しないですね。無理矢理視力を落としたいんですか?」
「ぐ…返す言葉も御座いません…」
ごめんなさいもうしません、と深々頭を下げると珠世先生もそれ以上は何も聞かずにいてくれた。
珠世さんのこの絶妙な距離感には安心しちゃうなぁ、落ち着く。生徒達から秘かに人気を集めているのも頷ける。……そういえば、珠世先生にぴったりくっついて離れない生徒がいるって何処かで聞いたことがあるな——
「ミョウジ先生、目を覚ましたのなら早く帰ったらどうですか」
あ、絶対この子だな~!!すぐわかった~!!
痺れを切らした様子で顔を出してきた一人の少年。「早く出てけ」と言っているような滲み出る圧が目にありありと現れている。こんなに敵意を向けられるとは思わなかった!
「愈史郎さん、やめなさい。ミョウジ先生は熱があるんですよ」
「はい、すみませんでした珠世先生!」
「……」
珠世先生がぴしゃりと言うと愈史郎くんはこれでもかと背筋を伸ばしてハキハキと返事をする。怒られているのに何故か嬉しそうに見えるのは気のせいか?なんだか変わった子だなぁ。
「あ、でももう動けそうなので…失礼します」
「そうですか、ではお大事になさってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
少し気だるさは残るものの、いつまでもこうしてはいられない。ベッドから降りてぺこりと頭を下げると珠世先生も丁寧にお辞儀をしてくれた。愈史郎くんはやっとかと言わんばかりにフンっと鼻を鳴らしている。
とりあえず、職員室に帰って先生方に謝らなきゃなぁと思いながら保健室の扉に手を掛けると背後から「あ、」と珠世先生が何か思い出したような声を発した。
「……はい?」
「そういえば、メモを預かっていたんでした」
「メモ?」
珠世先生は白衣の胸ポケットに手を入れて、一枚の小さな紙を取り出すと私の前に差し出した。乱雑に二つ折りにされたそれを不思議に眺めてると再び珠世先生が口を開く。
「誰からです…?」
「三年生の錆兎さんからです。倒れた貴方を抱いて運んでくれたんですよ」
「あっ…」
瞬間、倒れる前の光景を思い出した。暗くなっていく視界の中に微かに見えた彼の姿。きっと心配、させてしまったんだろうなぁ。申し訳ない気持ちが込み上げて、恐る恐るメモを開く。
上手とは言えないけど整っている字で「無理するな」の一言だけ。
たったそれだけなのにそこから滲み出る錆兎の優しさの色に少しだけ胸が締め付けられて、メモを握る手の力をきゅっと込めた。
◇◇
あれから早退する旨を伝え、謝りながらこそこそと家に帰った。
他の先生たちは体調を心配してくれて掛けられる温かい言葉の数々に涙が出そうになった。煉獄先生からは「体調管理も仕事の内だぞ!」と厳しい言葉を貰ったりもしたけど、帰り際に栄養ドリンクを差し出してくれて、先生の内にある優しさが身に染みた。
帰って煉獄先生に貰ったドリンクを一気飲みしてベッドにダイブすると、気が付けば朝になっていた。こんなにぐっすり寝たのは久しぶりかもしれない。お陰で熱はすっかり下がって、身体も体調を崩す前よりスッキリしたような気がする。結局のところ体調不良の主な原因は寝不足だったのかも。
今回迷惑をいっぱいかけてしまったから今日からまた気を引き締めて頑張らないと。洗面所で洗ったばかりの顔を鏡越しに眺めながら、ぱんっと両手で頬を叩いて気合を入れた。
——錆兎にも、ちゃんとお礼を言わないと。
「ミョウジ先生!」
「ん?」
朝、天気は快晴で気持ちいいなぁ~なんて考えながら張り切って出勤するなり、職員室に繋がる廊下で可愛らしい声が私の名前を呼んだ。
叫ぶ勢いに驚いて振り返ると三人の女子生徒が仁王立ちでいかにもなオーラを醸し出していて、何も後ろめたいこともないのに思わず後ずさりそうになる。
「……え、何?」
「先生に聞きたいことがあるんですが!」
「どうしたの?」
「錆兎くんとはどういうご関係ですか?!」
「……は?」
彼女たちが尋ねた内容がすごく突拍子もないものだからあまり頭に入ってこなかった。キョトンとしている私を気にすることなく彼女たちは言葉を次々に投げてくる。
「昨日倒れた先生を錆兎くんが抱いて走っていく様子が、とても親密そうだったって噂になってるんです!」
「錆兎くん、ファンクラブがあるくらい女子に人気があるんですよ」
「先生、錆兎くんと付き合ってるんですか?!」
「ちょッ、ちょっと待って!親密?ファンクラブ?付き合って!?情報が多すぎてこんがらがるから一気に畳み掛けないで!」
朝から何事!?
ぐいぐいと容赦なく迫ってくる彼女たちに気圧されて後ろにじりじりと下がる。錆兎にファンクラブが存在していた事もそうだけど、私たちが付き合ってるなんて噂がいつの間にか立っていたことに激しく驚いた。根も葉もない噂が広がっていくスピードの速さに心底ぞっとする。
「あの時どういう状況だったか知らないけど、錆兎くんとは何もないよ!」
「本当ですか?!」
「剣道部の副顧問までやって気を引こうとしたりしてるんじゃないですか?!」
「な訳ないでしょ!」
無理矢理副顧問させられたようなもんなのに、と言いたいけどそれは生徒に言うべきではないとぐっと飲み込む。
言葉を選んでしまって上手く説明できないことをいいことに彼女たちの質問攻めが止まらない。このくらいの女の子は恐ろしい。そんで、この子たちの勢いをどう抑えたらいいんだろう。下手に拒否し過ぎて生徒の悪口言ってると言われるわけにもいかないし…ああ、教師というのは難しい!
どん、と背中が壁にぶつかる。これ以上頭が働かなくて目を泳がせてしまう。もうっ、病み上がりの大人を苛めるんじゃないよ!そう突っ込みそうになったその時、
「何も無いに決まってるだろ」
彼女たちの背後から、聞き馴染みのある声が聞こえた。直ぐに彼女たちは声の主に気付いてその名を叫ぶ。
何だか、毎度毎度コイツの現れるタイミングって漫画みたいだなと思った。漫画のヒーロー、良く似合うと思うよ。
「錆兎くん!」
「何してるんだよ、ミョウジ先生困ってるだろ」
「ち、違うよ!先生と錆兎くんが付き合ってるって噂を聞いたから聞いただけ」
「俺と?ミョウジ先生が?」
錆兎もこの噂に関しては初耳だったみたいで、目を見開いて彼女たちと私を交互に眺めていた。私はじっと彼を見つめて上手く言えよ、と念じる。それが通じたのか否か、錆兎はフッと笑った。意外にもその笑顔がこれまでに見たこともない顔だったから、思わずぐっと唇に力が入る。
「は、あるわけない」
その声は、驚くほど酷く冷たいものだった。
口元は笑っているのに、すっと細めて私を見る瞳は全く笑っていなくて、まるで私を嘲笑っているかのような、そんな。
一瞬、何が起こっているのか分からないくらい頭が動かなかったのは、初めて見る彼の一面にただ驚愕したからか。それとも…。
上手く言葉が出て来なくて、はく、と唇が無意味に動いた。何か、話さなきゃ。
「…は、ははっ、そうだよ!あるわけないでしょ~!根も葉もない噂よ、皆にそう言っといて!」
何とか咄嗟に言葉を絞り出して、どうにかしてこの場を締めようと明るく振舞う。彼女たちも錆兎の一言に何も言えなくなったようで、「詰め寄ってしまってごめんなさい」と素直に頭を下げる。
「ううん、錆兎くんは目の前で倒れちゃった私を心配してくれただけよ。錆兎くんも昨日はありがと」
「……いえ」
ちゃんと話せているかな。精一杯笑って錆兎にお礼を言う。感謝しているのは本当なのに、嘘ついている気持ちになるのは何でだろう。
「ほら!授業始まっちゃうよ!早く教室に戻りなさい!」
そう言って彼女たちの背中を押して無理矢理送り出すと、皆私に背を向けて歩き出した。錆兎とも、目を合わすことは無く。
全員の姿が見えなくなったところでふぅっと一息つく。正直、錆兎がハッキリ無いと言ってくれたおかげでこの場を収めることができた。事が大きくなる前で良かったと安心したいのに、どうしても素直にそう思えない。
あの時の錆兎の視線が頭を離れない。初めて彼から拒絶されたような気持ちに、胸にチリっと痛みが走った。
「何がしたいんだろう、私」
拒絶していたのは自分なのに、自分が拒絶されると胸を痛めて。矛盾過ぎる自分の思考回路に、そろそろグーパンかましてやりたい。