【長編】追いかけた先で
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第4話
火が、細い音を立て続けていた。
組まれた薪が崩れるたび、ぱち、と小さな音が散る。焼けた匂いは風に流れきらず、喉の奥に薄く残った。
回収した亡骸は、順に火葬台へ上げられていく。
熱は近いのに、頬に触れる空気は冷えていた。
誰もほとんど喋らなかった。
少し離れたところで、コニーが頭を抱えたまましゃがみ込んでいる。肩の震えだけが、火の明かりの中でやけに目についた。
マルコは火の向こうを見た。
フランカが立っていた。
昼のあいだ、あれだけ動き回っていたのに、今はただ火を見ている。
頬は強ばっていない。
泣いてもいない。
ただ、黙っている。
その黙り方の方が、昼間よりずっと危うく見えた。
目が、わずかに揺れる。
指先が震えたのか、次の瞬間にはそれを隠すみたいに両手をきつく握り込んでいた。
その仕草を見た時、マルコの胸の奥で、別の光景がふいに近づいた。
同じだった。
あの時も、誰も見ていないところでだけ、そういう顔をしていた。
*
兵站行進の日は、整列した時点で空気が重かった。
土の道は長く、背の荷は容赦なく肩へ食い込む。
列は黙って伸びていた。
靴底が乾いた土を擦る音。金具の揺れる音。
たまに誰かの息が乱れる。
マルコの少し前を、フランカが歩いていた。
荷で背は少し沈んでいる。
それでも歩幅は落ちない。
前を見ているようで、横や後ろの様子まで妙によく拾っていた。
「フランカ、ちょっと待ってくれ!」
後ろから声が飛ぶ。
「また?」
振り向いた声は呆れ半分だった。
けれど足は緩める。
後ろの男子が荷紐をずらして顔をしかめていた。
「あんたさあ、私のこといいように使ってない?」
「そんなことないって!お前が適任だと思うから頼んでる」
「便利に言い換えてるだけじゃん、それ」
文句を言いながらも、フランカは列を少しだけ外れて、紐の位置を引き直してやる。
終わるとすぐ自分の荷を背負い直した。
「次から自分でやりなよ」
「助かった!」
「またお前かよ」
少し前からジャンの声がした。
振り向きもしない。
「断れよ、そういうの」
「うるさい、見てられないだけ」
「それを引き受けてるって言うんだろ」
「はあ?」
フランカが睨む。
ジャンは肩をすくめるだけだった。
その横で、マルコは苦笑する。
「二人とも、列乱れてる」
「マルコまでそんな言い方する?」
「別に怒ってるわけじゃないよ」
「ならもっと優しく言ってよ」
返した声は軽かった。
その軽さのまま、また前を向く。
行進が進むにつれて、列のあちこちで息が荒くなり始めた。
荷を持ち直す音も増える。
フランカはそのあとも二度、呼び止められた。
水筒を落としかけた手を先に拾う。
荷が片寄った子の肩紐を直す。
遅れかけた足に合わせて歩幅を緩める。
呼ぶ声がすれば振り向いた。
目の前で困っているのが見えれば、そのまま手が伸びた。
休憩に入って、列がようやく崩れる。
荷を下ろす音があちこちで続く。
その場にしゃがみ込む者も多かった。
乾いた喉を鳴らして水を飲む音が、妙に大きく聞こえる。
フランカもようやく荷を下ろした。
けれど座る前に、すぐ近くで足をもつれさせた子へ手を伸ばした。
「大丈夫?」
「う、うん……」
その背を一度だけ支えてから、ようやく自分の水筒を取る。
「フランカも休みなよ」
声をかけたのはクリスタだった。
日の光を受けた髪が淡く見える。
フランカは栓を開けながら笑った。
「平気平気。私、体力には自信あるからさ」
言い切るのが早い。
そのまま水を一口飲んだ。
ほんの一瞬だけ、その手が止まる。
次に視線をやった時には、もういつもの顔に戻っていた。
ジャンが水筒を傾けたまま、ぼそりと言う。
「ほんと止まんねぇな、あいつ」
マルコはフランカの背を見る。
「止まったら、余計しんどいのかも」
ジャンは返さなかった。
ただ、口元を手の甲で拭ってから前を向いた。
*
別の日の訓練場は、夕方の光をまだ少し残していた。
立体機動の模擬戦闘を終えたあとで、皆、装置を外しながら息を整えている。
ワイヤーの擦れる音。
木枠を蹴った靴底の土。
汗と油の匂いが、まだその場に残っていた。
フランカは、さっきまでの勢いを引きずるみたいに肩で息をしていた。ワイヤーを外す手つきも、まだ少し荒い。
「フランカお前、また取りこぼしてたな」
近くの男子が笑う。
「あー、あれね。ちょっと失敗した」
フランカはすぐに返す。
別の声が重なる。
「お前、無駄な動きが多いんだよ」
「そうそう。勢いだけでどうにかしようとすんなよ」
「みんな酷くない?」
「でもまあ、おとりには使えるかもな」
「誰がおとりだ!」
笑いが起きる。
フランカも言い返す。
笑いが収まりかけたところで、もう一人が言った。
「でも、体力任せじゃ兵士は務まらないぞ」
返事が、半拍だけ遅れた。
「うるさい!結果出せばいいんでしょ!」
ちゃんと強い声だった。
けれど、その一瞬の遅れだけは、マルコにも見えた。
「でもお前ら、兵站じゃその体力に助けられてたろ」
ジャンが横から言う。
投げるみたいな口調だった。
フランカはすぐそこへ乗っかる。
「そうそう!あんたらもっと私の体力に感謝してよね」
「お前もそうやってすぐ調子乗んな」
「急に梯子外すじゃん!」
また笑いが起きる。
ジャンも呆れた顔のまま、口元だけ少し動かした。
その時、少し後ろにいた同じ班の女子が小さく言った。
「……でも、言いすぎじゃない?」
空気が、そこでほんの少しだけ止まる。
フランカは間を空けなかった。
「あはは、大丈夫だよ!いつものノリみたいなもんだし」
彼女がまだ何か言う前に、さらに重ねる。
「今に見返すし!」
それでその場はまた笑いへ戻った。
誰かが「それはそう」と言って、話は別の方へ逸れていく。
フランカも笑っていた。
けれど、マルコには、その笑い方だけが少し硬く見えた。
*
夜気は少しずつ冷えていた。
マルコが桶を取りに水場へ向かった時、先に人影があった。
フランカだった。
顔を洗ったあとの水が、顎先から落ちる。
前髪を払い上げた手が、そのまま止まる。
誰も見ていないと思っている顔だった。
笑っていない。
怒っているわけでもない。
ただ、傷ついた顔をしていた。
そのまま見てしまってから、足音を殺せなかったことに気づく。
フランカが振り向く。
ほんの一瞬だけ、目が見開かれる。
次の瞬間には、もう笑っていた。
「あ、マルコ。どうしたの?」
早かった。
「……水、汲みに」
「そっか」
フランカは桶の縁に軽く腰を預ける。
さっきまでの顔はもう見えない。
「さっきの、気にしてない?」
できるだけ何でもない調子で聞く。
フランカはすぐに笑う。
「全然。いつもの感じじゃん」
返事が早い。
「でも」
「平気だよ」
今度は少し被せるようだった。
そのまま視線を水面へ落とす。
「本気で拾うと、面倒なんだよね」
声は低かった。
「向こうだって、別に本気で嫌って言ってるわけじゃないし。そこで私までムッとしたら、変な空気になるじゃん」
水の上に、小さな波紋がひろがる。
「庇われるのも、なんか嫌だし」
そこだけ少し間が空く。
「……余計な心配かけるのも、きつい」
言い終えてから、フランカは口元を持ち上げた。
さっきまでの顔を、手で押し戻すみたいに。
「まあ、だから平気ってこと」
笑っているのに、少しも軽く見えなかった。
さっき水面を見ていた時の顔だけが、まだ消えきらずに残っている。
喉の奥が、詰まる。
平気だから笑っているんじゃない。
たぶん、逆だ。
そう思いかけて、マルコは口をつぐんだ。
言葉にしてしまえば、彼女が隠したものまで自分が暴いてしまう気がした。
「……そっか」
マルコがそう返すと、フランカは一瞬だけ目を細めた。
兵舎の方から誰かの名を呼ぶ声が飛ぶ。
二人ともそちらを見る。
「戻ろっか」
フランカが先に立ち上がる。
もう表情は、いつものところへ戻っていた。
*
火はまだ揺れていた。
マルコは目を上げる。
火葬台の前に、フランカが立っている。
少し離れた場所に、ジャンもいた。
俯いたまま、何も言わない。
フランカは火を見ている。
握り込んだ指先は、まだほどけない。
その横顔を見た瞬間、水場で見た顔がまた胸の奥に浮いた。
マルコは声をかけなかった。
呼べば、きっとまた先に笑う。そんな気がした。
薪の崩れる音が細く続く。
火の向こうで、白かったものが少しずつ色を変えていく。
フランカの横顔は動かない。
けれど、その目だけが、火の揺れとは別に、かすかに揺れていた。
…To be continued
見せない傷
side - マルコ
火が、細い音を立て続けていた。
組まれた薪が崩れるたび、ぱち、と小さな音が散る。焼けた匂いは風に流れきらず、喉の奥に薄く残った。
回収した亡骸は、順に火葬台へ上げられていく。
熱は近いのに、頬に触れる空気は冷えていた。
誰もほとんど喋らなかった。
少し離れたところで、コニーが頭を抱えたまましゃがみ込んでいる。肩の震えだけが、火の明かりの中でやけに目についた。
マルコは火の向こうを見た。
フランカが立っていた。
昼のあいだ、あれだけ動き回っていたのに、今はただ火を見ている。
頬は強ばっていない。
泣いてもいない。
ただ、黙っている。
その黙り方の方が、昼間よりずっと危うく見えた。
目が、わずかに揺れる。
指先が震えたのか、次の瞬間にはそれを隠すみたいに両手をきつく握り込んでいた。
その仕草を見た時、マルコの胸の奥で、別の光景がふいに近づいた。
同じだった。
あの時も、誰も見ていないところでだけ、そういう顔をしていた。
*
兵站行進の日は、整列した時点で空気が重かった。
土の道は長く、背の荷は容赦なく肩へ食い込む。
列は黙って伸びていた。
靴底が乾いた土を擦る音。金具の揺れる音。
たまに誰かの息が乱れる。
マルコの少し前を、フランカが歩いていた。
荷で背は少し沈んでいる。
それでも歩幅は落ちない。
前を見ているようで、横や後ろの様子まで妙によく拾っていた。
「フランカ、ちょっと待ってくれ!」
後ろから声が飛ぶ。
「また?」
振り向いた声は呆れ半分だった。
けれど足は緩める。
後ろの男子が荷紐をずらして顔をしかめていた。
「あんたさあ、私のこといいように使ってない?」
「そんなことないって!お前が適任だと思うから頼んでる」
「便利に言い換えてるだけじゃん、それ」
文句を言いながらも、フランカは列を少しだけ外れて、紐の位置を引き直してやる。
終わるとすぐ自分の荷を背負い直した。
「次から自分でやりなよ」
「助かった!」
「またお前かよ」
少し前からジャンの声がした。
振り向きもしない。
「断れよ、そういうの」
「うるさい、見てられないだけ」
「それを引き受けてるって言うんだろ」
「はあ?」
フランカが睨む。
ジャンは肩をすくめるだけだった。
その横で、マルコは苦笑する。
「二人とも、列乱れてる」
「マルコまでそんな言い方する?」
「別に怒ってるわけじゃないよ」
「ならもっと優しく言ってよ」
返した声は軽かった。
その軽さのまま、また前を向く。
行進が進むにつれて、列のあちこちで息が荒くなり始めた。
荷を持ち直す音も増える。
フランカはそのあとも二度、呼び止められた。
水筒を落としかけた手を先に拾う。
荷が片寄った子の肩紐を直す。
遅れかけた足に合わせて歩幅を緩める。
呼ぶ声がすれば振り向いた。
目の前で困っているのが見えれば、そのまま手が伸びた。
休憩に入って、列がようやく崩れる。
荷を下ろす音があちこちで続く。
その場にしゃがみ込む者も多かった。
乾いた喉を鳴らして水を飲む音が、妙に大きく聞こえる。
フランカもようやく荷を下ろした。
けれど座る前に、すぐ近くで足をもつれさせた子へ手を伸ばした。
「大丈夫?」
「う、うん……」
その背を一度だけ支えてから、ようやく自分の水筒を取る。
「フランカも休みなよ」
声をかけたのはクリスタだった。
日の光を受けた髪が淡く見える。
フランカは栓を開けながら笑った。
「平気平気。私、体力には自信あるからさ」
言い切るのが早い。
そのまま水を一口飲んだ。
ほんの一瞬だけ、その手が止まる。
次に視線をやった時には、もういつもの顔に戻っていた。
ジャンが水筒を傾けたまま、ぼそりと言う。
「ほんと止まんねぇな、あいつ」
マルコはフランカの背を見る。
「止まったら、余計しんどいのかも」
ジャンは返さなかった。
ただ、口元を手の甲で拭ってから前を向いた。
*
別の日の訓練場は、夕方の光をまだ少し残していた。
立体機動の模擬戦闘を終えたあとで、皆、装置を外しながら息を整えている。
ワイヤーの擦れる音。
木枠を蹴った靴底の土。
汗と油の匂いが、まだその場に残っていた。
フランカは、さっきまでの勢いを引きずるみたいに肩で息をしていた。ワイヤーを外す手つきも、まだ少し荒い。
「フランカお前、また取りこぼしてたな」
近くの男子が笑う。
「あー、あれね。ちょっと失敗した」
フランカはすぐに返す。
別の声が重なる。
「お前、無駄な動きが多いんだよ」
「そうそう。勢いだけでどうにかしようとすんなよ」
「みんな酷くない?」
「でもまあ、おとりには使えるかもな」
「誰がおとりだ!」
笑いが起きる。
フランカも言い返す。
笑いが収まりかけたところで、もう一人が言った。
「でも、体力任せじゃ兵士は務まらないぞ」
返事が、半拍だけ遅れた。
「うるさい!結果出せばいいんでしょ!」
ちゃんと強い声だった。
けれど、その一瞬の遅れだけは、マルコにも見えた。
「でもお前ら、兵站じゃその体力に助けられてたろ」
ジャンが横から言う。
投げるみたいな口調だった。
フランカはすぐそこへ乗っかる。
「そうそう!あんたらもっと私の体力に感謝してよね」
「お前もそうやってすぐ調子乗んな」
「急に梯子外すじゃん!」
また笑いが起きる。
ジャンも呆れた顔のまま、口元だけ少し動かした。
その時、少し後ろにいた同じ班の女子が小さく言った。
「……でも、言いすぎじゃない?」
空気が、そこでほんの少しだけ止まる。
フランカは間を空けなかった。
「あはは、大丈夫だよ!いつものノリみたいなもんだし」
彼女がまだ何か言う前に、さらに重ねる。
「今に見返すし!」
それでその場はまた笑いへ戻った。
誰かが「それはそう」と言って、話は別の方へ逸れていく。
フランカも笑っていた。
けれど、マルコには、その笑い方だけが少し硬く見えた。
*
夜気は少しずつ冷えていた。
マルコが桶を取りに水場へ向かった時、先に人影があった。
フランカだった。
顔を洗ったあとの水が、顎先から落ちる。
前髪を払い上げた手が、そのまま止まる。
誰も見ていないと思っている顔だった。
笑っていない。
怒っているわけでもない。
ただ、傷ついた顔をしていた。
そのまま見てしまってから、足音を殺せなかったことに気づく。
フランカが振り向く。
ほんの一瞬だけ、目が見開かれる。
次の瞬間には、もう笑っていた。
「あ、マルコ。どうしたの?」
早かった。
「……水、汲みに」
「そっか」
フランカは桶の縁に軽く腰を預ける。
さっきまでの顔はもう見えない。
「さっきの、気にしてない?」
できるだけ何でもない調子で聞く。
フランカはすぐに笑う。
「全然。いつもの感じじゃん」
返事が早い。
「でも」
「平気だよ」
今度は少し被せるようだった。
そのまま視線を水面へ落とす。
「本気で拾うと、面倒なんだよね」
声は低かった。
「向こうだって、別に本気で嫌って言ってるわけじゃないし。そこで私までムッとしたら、変な空気になるじゃん」
水の上に、小さな波紋がひろがる。
「庇われるのも、なんか嫌だし」
そこだけ少し間が空く。
「……余計な心配かけるのも、きつい」
言い終えてから、フランカは口元を持ち上げた。
さっきまでの顔を、手で押し戻すみたいに。
「まあ、だから平気ってこと」
笑っているのに、少しも軽く見えなかった。
さっき水面を見ていた時の顔だけが、まだ消えきらずに残っている。
喉の奥が、詰まる。
平気だから笑っているんじゃない。
たぶん、逆だ。
そう思いかけて、マルコは口をつぐんだ。
言葉にしてしまえば、彼女が隠したものまで自分が暴いてしまう気がした。
「……そっか」
マルコがそう返すと、フランカは一瞬だけ目を細めた。
兵舎の方から誰かの名を呼ぶ声が飛ぶ。
二人ともそちらを見る。
「戻ろっか」
フランカが先に立ち上がる。
もう表情は、いつものところへ戻っていた。
*
火はまだ揺れていた。
マルコは目を上げる。
火葬台の前に、フランカが立っている。
少し離れた場所に、ジャンもいた。
俯いたまま、何も言わない。
フランカは火を見ている。
握り込んだ指先は、まだほどけない。
その横顔を見た瞬間、水場で見た顔がまた胸の奥に浮いた。
マルコは声をかけなかった。
呼べば、きっとまた先に笑う。そんな気がした。
薪の崩れる音が細く続く。
火の向こうで、白かったものが少しずつ色を変えていく。
フランカの横顔は動かない。
けれど、その目だけが、火の揺れとは別に、かすかに揺れていた。
…To be continued