【長編】追いかけた先で
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第1話
空は確かに夕方の色をしているのに、トロスト区の中は灰色だった。
瓦礫の粉塵がまだ薄く漂っていて、遠くの煙が赤みを濁らせている。風が吹くたび石の匂いが立ち、喉の奥にざらついたものが残った。
壁の上には、駐屯兵団と訓練兵団から成る数百名の兵士。壁の下には、数十体の巨人が群がっている。
フランカは、壁際まで巨人を引きつけたあと、急いで上へ飛び乗った。
着地の勢いのまま片膝をつく。
息が上がっている。肺の奥が熱い。
額に張りついた髪を払う暇もなく、振り返って街の奥を見た。
赤い信煙弾が上がる。
(え……作戦失敗……!?)
壁上にざわめきが走った。
息を呑む音。
低く漏れる悪態。
誰かが足を踏み変える気配。
直後、マルコの声がした。
「おい!?アルミンどこ行くんだ!?」
フランカの横を、アルミンが走り抜けていく。
迷いのない足取りだった。
フランカは反射でマルコの側に駆け寄った。
「アルミンどうしたの!?」
「エレンの所に行ったのかもしれない」
「は!?行ってどうするの!?」
「……分からない」
マルコの目は、走っていくアルミンの背を追ったままだった。落ち着いているように見えるのに、声の底が少しだけ固い。
そこへ、立体機動の音が重なった。
「エレンの奴、何があったんだ!?」
ジャンが上がってくる。
着地した勢いのまま問いかけると、マルコが短く息を継いだ。
「アルミンが一人で向かってる。多分……大丈夫だろう」
「多分……!?」
「大丈夫さ!きっと!エレンならやるさ……!」
言い切ったはずの声が、最後だけ少し沈んだ。
ジャンが息を詰める。
フランカも、すぐには言葉が出ない。
壁の下では、巨人が壁を掻いている。
石の粉がぱらぱらと落ちた。
「おいフランカ!行くぞ!」
同じ班の仲間に呼ばれて、はっとする。
「分かった!今行く!」
振り返りざまに返し、もう一度だけマルコとジャンを見る。二人とも街の奥から目を離していない。
「とりあえず、私たちは今やれることをやろう」
その声に、マルコが視線を動かした。
街の奥を見ていた目が、そのままフランカに合う。
「ああ。気をつけて……!」
フランカは頷く。
「また後で!」
そのまま、立体機動で飛び出した。
*
訓練兵は三人一組になり、街を走りながら巨人を引きつける。壁際まで来たら壁上に飛ぶ。
それだけの役目のはずなのに、どこもかしこも足りていなかった。
「あっちから来るよ!!」
フランカが叫ぶ。
「後ろからも来てる!!」
「屋根の上に退くぞ!!」
ワイヤーを打ち込み、屋根から屋根へ飛ぶ。
巨人の腕が横から伸び、瓦の端を砕いた。
砕けた破片が頬を掠める。
フランカは身を翻し、ぎりぎりでかわす。
身体が宙に浮き、次の屋根に降り立った。
息を整える。
けれど、整う前に次が来る。
作戦開始からどれくらい時間が経ったのか分からない。とにかく、ずっと走り回っていた。
屋根の上だけが夕焼けを拾って赤く、路地の底はもう暗くなり始めている。明るいのに見通しが悪い。
どこを見ても、煙と崩れた壁が視界を切っていた。
「くそっ……どんだけ走りゃいいんだ!?」
「巨人を壁際に引きつけろったって、数が多すぎる……!!」
仲間が愚痴をこぼす。
その声に重なるように、十メートル級の巨人が建物の陰から現れた。
大きい。
しかも近い。
フランカが叫ぶ。
「一旦ここから離れるよ!!」
三人はそれぞれ立体機動で散る。
フランカは左へ飛んだ。
次の瞬間、すぐ下に別の巨人がいるのが見えた。
歯の間の赤さまで見えた気がして、咄嗟に身体が先に落ちる。地面を転がるように回避する。
肩と肘に鈍い痛みが走ったが、そのまま走った。
辺りには、瓦礫に潰された兵士。
巨人に喰われて下半身のない兵士。
多数の死体が転がっていた。
見ないで済ませられる数じゃなかった。
唇を噛む。
血の味がした。
四メートル級の巨人が追ってきている。
足音は軽いのに、気配だけが異様に近い。
曲がり角を曲がったところで立体機動に移る。
高い屋根まで移動すると、ようやく後ろの影との距離が少しだけ開いた。
そこで、はっとする。
(まずい……はぐれた)
完全に班の仲間から離れてしまっていた。
屋根の上で足を止め、辺りを見回す。
煙の向こうで、まだ巨人が動いている。
味方の影を探しているのに、先に目に入るのはそっちばかりだった。
胸の奥がざわつく。
呼吸が浅くなる。
その時だった。
ふと視界に、見慣れた人影が飛び込む。
マルコだ。
一人で飛んでいる。
フランカは迷わず、そちらへ軌道を変えた。
「マルコ!ちょうど良かった……!」
「フランカ!?」
マルコと目が合う。
少しだけ、胸の奥の張りつめたものが緩む。
その瞬間。
視界の端に他の立体機動の影が入る。
ライナーだった。
すごい形相でこちらに向かってきている。
その後ろにベルトルトの姿も見える。
(——え)
フランカはその顔を見た瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。
見たことのない顔だった。
歯を食いしばって、まっすぐこちらを見ている。
「マルコ!着いてきて!」
「どこに!?」
「いいから!!」
声で誘導し、軌道を変える。
何がまずいのかは分からない。
でも、ここにいたらだめだと思った。
屋根を飛び越え、煙の濃い区画へ抜ける。
風が耳元で裂ける。
下では巨人が建物の角に肩をぶつけ、壁材が剥がれ落ちていた。
どこかでまた何かが崩れる音がする。
その余韻が、夕方の街の底に鈍く残った。
*
壁の向こうで、まだ爆発音が続いていた。
訓練兵たちがウォール・ローゼ内へ移されるころには、空はすっかり暗くなっていた。
トロスト区の方角で砲火が散るたび、遅れてきた振動が腹の底を鈍く揺らす。
戻ってきた訓練兵たちは、それぞれ地面に座り込んでいた。泣いている者もいれば、黙ったまま前を見ている者もいる。
夕方のざわめきはもう薄れていた。
残っているのは、疲れ切った顔と、まだ抜けない緊張だけだった。
フランカは壁にもたれて額の汗を拭った。
汗は乾ききる前で、指先に塩気がざらついた。
ようやく座れたはずなのに、脚の筋肉はまだ走ろうとしているみたいに細かく震えていた。
少し離れた場所にマルコが座り込んでいる。
膝を立てたまま、視線だけが落ちている。
怪我をしているようには見えない。
けれど妙だった。さっきから一度もこちらを見ない。
「……マルコ」
声を掛けると、肩がわずかに揺れた。
「ん?」
返事はする。でも少し遅い。
フランカは眉をひそめたまま、
彼の隣に腰を下ろした。
「さっきから変」
「そう?」
「そうだよ」
マルコは苦笑する。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
「いや……心配かけたなら」
「心配はしてるけど」
そこで言葉を切る。
すぐに聞いていいものか迷った。
けれど、夕方のあの違和感がまだ胸の奥に残っていて、飲み込めそうになかった。
フランカは一瞬躊躇いながら、違和感を言葉にする。
「……奪還作戦の時さ」
「……うん」
「ライナーたちとなんかあった?」
「え?」
マルコの喉がゴクリと上下する。
そこで初めて目が合う。
「私があんたと合流した時、後ろからライナーとベルトルトが来るのが見えてさ」
「……」
「それで……ライナー、すごい怖い顔してた」
言ってから、喉の奥が少し詰まる。
「距離があったから、見間違いかもしれないけど……」
マルコは言葉を失う。
遠くで砲声がひとつ鳴り、その振動が地面を細く揺らした。
「あんなライナーの顔、初めて見た」
指先に力が籠る。
「なんとなく嫌な感じがして、とにかくマルコとここを離れなきゃって思って……」
フランカは苦笑した。
「いや、ほんと意味わかんないよね。自分でも、何それって感じだし」
「いや……」
マルコの声は低かった。
視線が前を向く。
「その違和感、正しかったと思う」
「え?」
マルコは前を見ながら続ける。
「……僕、聞いたんだ」
声が少し掠れる。
「ライナーとベルトルトが話してて。すごく変なことを言ってた」
「変なこと?」
「……うん。あまりにもおかしくて、最初は冗談かと思った。でも……」
夜気が少し冷えてきていた。
さっきまでの熱が引き始めているのに、喉の奥だけはまだ乾いたままだった。
「どんなこと言ってたの?」
「……うまく言えない。僕も、整理できてなくて」
「うん」
「ただ、聞いた瞬間、背中が冷たくなった」
フランカは少し息を詰めた。
自分が見た違和感とマルコの話。
繋がりそうで繋がらない。けれど、無関係とも思えない。
「……じゃあ、整理できたら話して」
「……いや、これ以上君を巻き込みたくない」
「は?なにそれ」
「……もし僕の考えすぎじゃなかったら、これは……多分、かなり危険な話だ」
マルコの声がわずかに固くなる。
「そんなにまずい話なの?」
「……分からない」
「はぁ……」
マルコの煮え切らない態度にため息が出る。
けれど、ただ引き下がる気にはなれなかった。
あの顔と今のこの様子が、どうしても嫌に繋がってしまう。
「今後、一人で動かないで」
「え?」
「そんなまずいものに首突っ込んでるかもなんでしょ?」
「でも……」
「今、一人にするのはよくない気がする」
マルコが黙る。
フランカは膝を抱えたまま前を見た。
トロスト区の方角だけが、砲火のたびに少し明るくなる。終わったはずなのに、あそこだけまだ熱を引きずっている。
「考えすぎなら、それでいいじゃん」
少しだけ声が落ちる。
「でも、違ったら困る」
マルコは何も言わなかった。
その横顔だけが、さっきより少し沈んで見えた。
フランカは唇を結ぶ。
言いすぎたかとも思った。けれど、取り消したくはなかった。今日のあの顔を見てしまった以上、放っておける気がしなかった。
「……明日、ジャンにも言う」
マルコがようやくこちらを見る。
「ジャンにも?」
「うん。私一人より、二人いた方が心強いでしょ」
言ってから、少しだけ肩をすくめた。
「別に、守ってあげるとかそういうんじゃないけど」
口にした途端、少し変な言い方だったかと思う。
眉間に皺が寄る。
「今のマルコを、一人にしたくない」
最後の方は、自分でも思ったより小さな声になった。
マルコはしばらく黙っていた。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……ありがとう」
その声は低く、力が抜けていた。
フランカは返事の代わりに、膝の上で指を組み直す。何か言えば軽くなりそうで、嫌だった。
だからそのまま、トロスト区の方を見た。
遠くでまた火が散る。遅れて砲声が来る。
今夜は、もう一人にしない方がいい。
そのことだけが、妙にはっきりしていた。
夜気は少しずつ冷えていくのに、トロスト区の方角だけがいつまでも熱を持っていた。
…To be continued
不穏察知
西に傾いた光が、崩れた屋根の端に残っていた。空は確かに夕方の色をしているのに、トロスト区の中は灰色だった。
瓦礫の粉塵がまだ薄く漂っていて、遠くの煙が赤みを濁らせている。風が吹くたび石の匂いが立ち、喉の奥にざらついたものが残った。
壁の上には、駐屯兵団と訓練兵団から成る数百名の兵士。壁の下には、数十体の巨人が群がっている。
フランカは、壁際まで巨人を引きつけたあと、急いで上へ飛び乗った。
着地の勢いのまま片膝をつく。
息が上がっている。肺の奥が熱い。
額に張りついた髪を払う暇もなく、振り返って街の奥を見た。
赤い信煙弾が上がる。
(え……作戦失敗……!?)
壁上にざわめきが走った。
息を呑む音。
低く漏れる悪態。
誰かが足を踏み変える気配。
直後、マルコの声がした。
「おい!?アルミンどこ行くんだ!?」
フランカの横を、アルミンが走り抜けていく。
迷いのない足取りだった。
フランカは反射でマルコの側に駆け寄った。
「アルミンどうしたの!?」
「エレンの所に行ったのかもしれない」
「は!?行ってどうするの!?」
「……分からない」
マルコの目は、走っていくアルミンの背を追ったままだった。落ち着いているように見えるのに、声の底が少しだけ固い。
そこへ、立体機動の音が重なった。
「エレンの奴、何があったんだ!?」
ジャンが上がってくる。
着地した勢いのまま問いかけると、マルコが短く息を継いだ。
「アルミンが一人で向かってる。多分……大丈夫だろう」
「多分……!?」
「大丈夫さ!きっと!エレンならやるさ……!」
言い切ったはずの声が、最後だけ少し沈んだ。
ジャンが息を詰める。
フランカも、すぐには言葉が出ない。
壁の下では、巨人が壁を掻いている。
石の粉がぱらぱらと落ちた。
「おいフランカ!行くぞ!」
同じ班の仲間に呼ばれて、はっとする。
「分かった!今行く!」
振り返りざまに返し、もう一度だけマルコとジャンを見る。二人とも街の奥から目を離していない。
「とりあえず、私たちは今やれることをやろう」
その声に、マルコが視線を動かした。
街の奥を見ていた目が、そのままフランカに合う。
「ああ。気をつけて……!」
フランカは頷く。
「また後で!」
そのまま、立体機動で飛び出した。
*
訓練兵は三人一組になり、街を走りながら巨人を引きつける。壁際まで来たら壁上に飛ぶ。
それだけの役目のはずなのに、どこもかしこも足りていなかった。
「あっちから来るよ!!」
フランカが叫ぶ。
「後ろからも来てる!!」
「屋根の上に退くぞ!!」
ワイヤーを打ち込み、屋根から屋根へ飛ぶ。
巨人の腕が横から伸び、瓦の端を砕いた。
砕けた破片が頬を掠める。
フランカは身を翻し、ぎりぎりでかわす。
身体が宙に浮き、次の屋根に降り立った。
息を整える。
けれど、整う前に次が来る。
作戦開始からどれくらい時間が経ったのか分からない。とにかく、ずっと走り回っていた。
屋根の上だけが夕焼けを拾って赤く、路地の底はもう暗くなり始めている。明るいのに見通しが悪い。
どこを見ても、煙と崩れた壁が視界を切っていた。
「くそっ……どんだけ走りゃいいんだ!?」
「巨人を壁際に引きつけろったって、数が多すぎる……!!」
仲間が愚痴をこぼす。
その声に重なるように、十メートル級の巨人が建物の陰から現れた。
大きい。
しかも近い。
フランカが叫ぶ。
「一旦ここから離れるよ!!」
三人はそれぞれ立体機動で散る。
フランカは左へ飛んだ。
次の瞬間、すぐ下に別の巨人がいるのが見えた。
歯の間の赤さまで見えた気がして、咄嗟に身体が先に落ちる。地面を転がるように回避する。
肩と肘に鈍い痛みが走ったが、そのまま走った。
辺りには、瓦礫に潰された兵士。
巨人に喰われて下半身のない兵士。
多数の死体が転がっていた。
見ないで済ませられる数じゃなかった。
唇を噛む。
血の味がした。
四メートル級の巨人が追ってきている。
足音は軽いのに、気配だけが異様に近い。
曲がり角を曲がったところで立体機動に移る。
高い屋根まで移動すると、ようやく後ろの影との距離が少しだけ開いた。
そこで、はっとする。
(まずい……はぐれた)
完全に班の仲間から離れてしまっていた。
屋根の上で足を止め、辺りを見回す。
煙の向こうで、まだ巨人が動いている。
味方の影を探しているのに、先に目に入るのはそっちばかりだった。
胸の奥がざわつく。
呼吸が浅くなる。
その時だった。
ふと視界に、見慣れた人影が飛び込む。
マルコだ。
一人で飛んでいる。
フランカは迷わず、そちらへ軌道を変えた。
「マルコ!ちょうど良かった……!」
「フランカ!?」
マルコと目が合う。
少しだけ、胸の奥の張りつめたものが緩む。
その瞬間。
視界の端に他の立体機動の影が入る。
ライナーだった。
すごい形相でこちらに向かってきている。
その後ろにベルトルトの姿も見える。
(——え)
フランカはその顔を見た瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。
見たことのない顔だった。
歯を食いしばって、まっすぐこちらを見ている。
「マルコ!着いてきて!」
「どこに!?」
「いいから!!」
声で誘導し、軌道を変える。
何がまずいのかは分からない。
でも、ここにいたらだめだと思った。
屋根を飛び越え、煙の濃い区画へ抜ける。
風が耳元で裂ける。
下では巨人が建物の角に肩をぶつけ、壁材が剥がれ落ちていた。
どこかでまた何かが崩れる音がする。
その余韻が、夕方の街の底に鈍く残った。
*
壁の向こうで、まだ爆発音が続いていた。
訓練兵たちがウォール・ローゼ内へ移されるころには、空はすっかり暗くなっていた。
トロスト区の方角で砲火が散るたび、遅れてきた振動が腹の底を鈍く揺らす。
戻ってきた訓練兵たちは、それぞれ地面に座り込んでいた。泣いている者もいれば、黙ったまま前を見ている者もいる。
夕方のざわめきはもう薄れていた。
残っているのは、疲れ切った顔と、まだ抜けない緊張だけだった。
フランカは壁にもたれて額の汗を拭った。
汗は乾ききる前で、指先に塩気がざらついた。
ようやく座れたはずなのに、脚の筋肉はまだ走ろうとしているみたいに細かく震えていた。
少し離れた場所にマルコが座り込んでいる。
膝を立てたまま、視線だけが落ちている。
怪我をしているようには見えない。
けれど妙だった。さっきから一度もこちらを見ない。
「……マルコ」
声を掛けると、肩がわずかに揺れた。
「ん?」
返事はする。でも少し遅い。
フランカは眉をひそめたまま、
彼の隣に腰を下ろした。
「さっきから変」
「そう?」
「そうだよ」
マルコは苦笑する。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
「いや……心配かけたなら」
「心配はしてるけど」
そこで言葉を切る。
すぐに聞いていいものか迷った。
けれど、夕方のあの違和感がまだ胸の奥に残っていて、飲み込めそうになかった。
フランカは一瞬躊躇いながら、違和感を言葉にする。
「……奪還作戦の時さ」
「……うん」
「ライナーたちとなんかあった?」
「え?」
マルコの喉がゴクリと上下する。
そこで初めて目が合う。
「私があんたと合流した時、後ろからライナーとベルトルトが来るのが見えてさ」
「……」
「それで……ライナー、すごい怖い顔してた」
言ってから、喉の奥が少し詰まる。
「距離があったから、見間違いかもしれないけど……」
マルコは言葉を失う。
遠くで砲声がひとつ鳴り、その振動が地面を細く揺らした。
「あんなライナーの顔、初めて見た」
指先に力が籠る。
「なんとなく嫌な感じがして、とにかくマルコとここを離れなきゃって思って……」
フランカは苦笑した。
「いや、ほんと意味わかんないよね。自分でも、何それって感じだし」
「いや……」
マルコの声は低かった。
視線が前を向く。
「その違和感、正しかったと思う」
「え?」
マルコは前を見ながら続ける。
「……僕、聞いたんだ」
声が少し掠れる。
「ライナーとベルトルトが話してて。すごく変なことを言ってた」
「変なこと?」
「……うん。あまりにもおかしくて、最初は冗談かと思った。でも……」
夜気が少し冷えてきていた。
さっきまでの熱が引き始めているのに、喉の奥だけはまだ乾いたままだった。
「どんなこと言ってたの?」
「……うまく言えない。僕も、整理できてなくて」
「うん」
「ただ、聞いた瞬間、背中が冷たくなった」
フランカは少し息を詰めた。
自分が見た違和感とマルコの話。
繋がりそうで繋がらない。けれど、無関係とも思えない。
「……じゃあ、整理できたら話して」
「……いや、これ以上君を巻き込みたくない」
「は?なにそれ」
「……もし僕の考えすぎじゃなかったら、これは……多分、かなり危険な話だ」
マルコの声がわずかに固くなる。
「そんなにまずい話なの?」
「……分からない」
「はぁ……」
マルコの煮え切らない態度にため息が出る。
けれど、ただ引き下がる気にはなれなかった。
あの顔と今のこの様子が、どうしても嫌に繋がってしまう。
「今後、一人で動かないで」
「え?」
「そんなまずいものに首突っ込んでるかもなんでしょ?」
「でも……」
「今、一人にするのはよくない気がする」
マルコが黙る。
フランカは膝を抱えたまま前を見た。
トロスト区の方角だけが、砲火のたびに少し明るくなる。終わったはずなのに、あそこだけまだ熱を引きずっている。
「考えすぎなら、それでいいじゃん」
少しだけ声が落ちる。
「でも、違ったら困る」
マルコは何も言わなかった。
その横顔だけが、さっきより少し沈んで見えた。
フランカは唇を結ぶ。
言いすぎたかとも思った。けれど、取り消したくはなかった。今日のあの顔を見てしまった以上、放っておける気がしなかった。
「……明日、ジャンにも言う」
マルコがようやくこちらを見る。
「ジャンにも?」
「うん。私一人より、二人いた方が心強いでしょ」
言ってから、少しだけ肩をすくめた。
「別に、守ってあげるとかそういうんじゃないけど」
口にした途端、少し変な言い方だったかと思う。
眉間に皺が寄る。
「今のマルコを、一人にしたくない」
最後の方は、自分でも思ったより小さな声になった。
マルコはしばらく黙っていた。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……ありがとう」
その声は低く、力が抜けていた。
フランカは返事の代わりに、膝の上で指を組み直す。何か言えば軽くなりそうで、嫌だった。
だからそのまま、トロスト区の方を見た。
遠くでまた火が散る。遅れて砲声が来る。
今夜は、もう一人にしない方がいい。
そのことだけが、妙にはっきりしていた。
夜気は少しずつ冷えていくのに、トロスト区の方角だけがいつまでも熱を持っていた。
…To be continued
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