【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第6話
訓練は相変わらず厳しく、毎日が慌ただしく過ぎていく。
オリアナは、あの日のことを何度も思い出していた。
泣いてしまったこと。
ベルトルトが、隣にいてくれたこと。
食堂で向かい合って座ったこと。
どれも、大きな出来事と呼ぶほどではない。
それでも、何かが少しだけ変わった気がしていた。
あれ以来、特別な会話をしたわけではない。
訓練中に顔を合わせれば、軽く言葉を交わす程度だ。
それだけなのに、前より話しかけやすくなった気がする。
けれど、それを言葉にするほどの確信もなかった。
その夜、オリアナはなかなか眠れなかった。
寝返りを打つたび、寝台の軋む音が耳につく。同室の仲間たちの寝息が、やけに大きく感じられた。
静かな空気の中で、落ち着かない気持ちだけが浮かび上がる。
少しだけ、外の空気を吸いたい。
そっと起き上がり、上着を羽織って廊下に出る。
夜の訓練兵舎は、昼間とは別の場所のように静まり返っていた。外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
月明かりに照らされた中庭の隅に、人影が見える。背の高い、見覚えのあるシルエット。
「……ベルトルト?」
声をかけると、彼は少し驚いたように振り返った。
「あ、オリアナ……どうしたの?」
「ちょっと眠れなくて。外の空気、吸おうかなって」
「……そっか」
彼は少しだけ間を置いたあと、言葉を選ぶように口を開いた。
「僕も……ちょっと、ライナーと話してて」
「ライナーと?」
「うん。……あいつ、時々、夜に眠れないみたいで」
そう言って、ベルトルトは小さく苦笑した。
けれどその表情は、どこか無理に作ったものにも見えた。
「さっき部屋に戻ったよ。僕は……なんとなく、もう少しここにいようかなって思って」
「そうなんだ」
オリアナは深くは聞かなかった。
これ以上踏み込んではいけない。
はっきりした理由はないのに、そう思った。
夜の空気が、二人の間を静かに通り抜ける。
言葉は途切れた。
けれど、その途切れ方は不思議と嫌ではなかった。
「最近、どう?」
ベルトルトが静かに聞いた。
「訓練、少しは慣れた?」
「……慣れたって言えるほどじゃないけど」
オリアナは苦笑する。
「でも、前よりはマシかも。最初の頃は、本気で逃げ出したくなってたし」
「……分かるよ」
彼は小さくうなずいた。
「僕も、何度も思った。なんでここにいるんだろうって」
オリアナは少しだけ考えてから、口を開いた。
「ねえ、ベルトルトは……なんで兵士を選んだの?」
問いかけた瞬間、彼の表情がわずかに揺れた。
「……どうして、か」
すぐには答えず、視線を地面に落とす。
「正直に言うと……自分でも、よく分からないんだ」
「え?」
「気がついたら、ここにいたっていうか……流されるままに、ここまで来た感じで」
彼は苦笑したが、その目は笑っていなかった。
「……怖いよ、時々」
そう言ってから、彼ははっとしたように口を閉じた。自分でも、言い過ぎたと思ったのかもしれない。
その声は、夜の空気に溶けるほど小さかった。
オリアナは、思わず彼の顔を見つめる。
ベルトルトは、すぐに視線をそらした。
「……ごめん。変なこと言ったね」
「ううん」
オリアナは首を振る。
「……ちょっと安心した」
「え?」
「ベルトルトも、同じなんだなって思って」
彼は少しだけ目を見開いたあと、ふっと表情を緩めた。
ベルトルトが空を見上げた。
「……今日は、星がよく見えるね」
オリアナも、つられて顔を上げる。
夜空には、小さな光がいくつも瞬いていた。
静かな空に、冷たい星の光だけが浮かんでいる。
二人は、並んだまましばらく何も言わなかった。
ただ、同じ空を見上げていた。
不思議と、心が落ち着いていく。
言葉はない。それでも、隣に誰かがいるだけで、少し息がしやすかった。
「……そろそろ戻ろうか」
ベルトルトが静かに言った。
「うん」
二人は並んで歩き出す。
言葉は少なかったけれど、さっきまでよりも距離が近い気がした。
兵舎の入口の前で、足を止める。
「……おやすみ、オリアナ」
「うん、おやすみ」
それだけのやり取りなのに、胸の奥が少しだけ温かくなった。
*
部屋に戻って寝台に潜り込むと、さっきまでの夜の空気が、まだ肌に残っていた。
星の光。
静かな声。
隣に立っていた、大きな背中。
思い返すと、少しだけ息が緩む。
会えたことが、嬉しかった。
そう気づいて、布団の中で小さく息を吐く。
けれど同時に、言葉にできない引っかかりも残っていた。
あの時、一瞬だけ遠くを見ていた目。
何かを思い出すようで、それ以上は踏み込ませない、あの沈黙。
ユミルの言葉が、ふと蘇る。
彼は何かを抱えているのだろうか。
理由は分からない。
聞いていいことなのかも、分からない。
それでも、あの背中が少しだけ寂しそうに見えたことだけが、どうしても頭から離れなかった。
目を閉じると、眠りは思ったより早く訪れた。
…To be continued
夜に残る温度
食堂での一件から、数日が過ぎた。訓練は相変わらず厳しく、毎日が慌ただしく過ぎていく。
オリアナは、あの日のことを何度も思い出していた。
泣いてしまったこと。
ベルトルトが、隣にいてくれたこと。
食堂で向かい合って座ったこと。
どれも、大きな出来事と呼ぶほどではない。
それでも、何かが少しだけ変わった気がしていた。
あれ以来、特別な会話をしたわけではない。
訓練中に顔を合わせれば、軽く言葉を交わす程度だ。
それだけなのに、前より話しかけやすくなった気がする。
けれど、それを言葉にするほどの確信もなかった。
その夜、オリアナはなかなか眠れなかった。
寝返りを打つたび、寝台の軋む音が耳につく。同室の仲間たちの寝息が、やけに大きく感じられた。
静かな空気の中で、落ち着かない気持ちだけが浮かび上がる。
少しだけ、外の空気を吸いたい。
そっと起き上がり、上着を羽織って廊下に出る。
夜の訓練兵舎は、昼間とは別の場所のように静まり返っていた。外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
月明かりに照らされた中庭の隅に、人影が見える。背の高い、見覚えのあるシルエット。
「……ベルトルト?」
声をかけると、彼は少し驚いたように振り返った。
「あ、オリアナ……どうしたの?」
「ちょっと眠れなくて。外の空気、吸おうかなって」
「……そっか」
彼は少しだけ間を置いたあと、言葉を選ぶように口を開いた。
「僕も……ちょっと、ライナーと話してて」
「ライナーと?」
「うん。……あいつ、時々、夜に眠れないみたいで」
そう言って、ベルトルトは小さく苦笑した。
けれどその表情は、どこか無理に作ったものにも見えた。
「さっき部屋に戻ったよ。僕は……なんとなく、もう少しここにいようかなって思って」
「そうなんだ」
オリアナは深くは聞かなかった。
これ以上踏み込んではいけない。
はっきりした理由はないのに、そう思った。
夜の空気が、二人の間を静かに通り抜ける。
言葉は途切れた。
けれど、その途切れ方は不思議と嫌ではなかった。
「最近、どう?」
ベルトルトが静かに聞いた。
「訓練、少しは慣れた?」
「……慣れたって言えるほどじゃないけど」
オリアナは苦笑する。
「でも、前よりはマシかも。最初の頃は、本気で逃げ出したくなってたし」
「……分かるよ」
彼は小さくうなずいた。
「僕も、何度も思った。なんでここにいるんだろうって」
オリアナは少しだけ考えてから、口を開いた。
「ねえ、ベルトルトは……なんで兵士を選んだの?」
問いかけた瞬間、彼の表情がわずかに揺れた。
「……どうして、か」
すぐには答えず、視線を地面に落とす。
「正直に言うと……自分でも、よく分からないんだ」
「え?」
「気がついたら、ここにいたっていうか……流されるままに、ここまで来た感じで」
彼は苦笑したが、その目は笑っていなかった。
「……怖いよ、時々」
そう言ってから、彼ははっとしたように口を閉じた。自分でも、言い過ぎたと思ったのかもしれない。
その声は、夜の空気に溶けるほど小さかった。
オリアナは、思わず彼の顔を見つめる。
ベルトルトは、すぐに視線をそらした。
「……ごめん。変なこと言ったね」
「ううん」
オリアナは首を振る。
「……ちょっと安心した」
「え?」
「ベルトルトも、同じなんだなって思って」
彼は少しだけ目を見開いたあと、ふっと表情を緩めた。
ベルトルトが空を見上げた。
「……今日は、星がよく見えるね」
オリアナも、つられて顔を上げる。
夜空には、小さな光がいくつも瞬いていた。
静かな空に、冷たい星の光だけが浮かんでいる。
二人は、並んだまましばらく何も言わなかった。
ただ、同じ空を見上げていた。
不思議と、心が落ち着いていく。
言葉はない。それでも、隣に誰かがいるだけで、少し息がしやすかった。
「……そろそろ戻ろうか」
ベルトルトが静かに言った。
「うん」
二人は並んで歩き出す。
言葉は少なかったけれど、さっきまでよりも距離が近い気がした。
兵舎の入口の前で、足を止める。
「……おやすみ、オリアナ」
「うん、おやすみ」
それだけのやり取りなのに、胸の奥が少しだけ温かくなった。
*
部屋に戻って寝台に潜り込むと、さっきまでの夜の空気が、まだ肌に残っていた。
星の光。
静かな声。
隣に立っていた、大きな背中。
思い返すと、少しだけ息が緩む。
会えたことが、嬉しかった。
そう気づいて、布団の中で小さく息を吐く。
けれど同時に、言葉にできない引っかかりも残っていた。
あの時、一瞬だけ遠くを見ていた目。
何かを思い出すようで、それ以上は踏み込ませない、あの沈黙。
ユミルの言葉が、ふと蘇る。
彼は何かを抱えているのだろうか。
理由は分からない。
聞いていいことなのかも、分からない。
それでも、あの背中が少しだけ寂しそうに見えたことだけが、どうしても頭から離れなかった。
目を閉じると、眠りは思ったより早く訪れた。
…To be continued