【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第4話
オリアナは前を向いたまま、歩調を崩さずに進んでいた。
その時、ふと視界の端に背の高い影が入る。
ベルトルトだった。
少し前を歩くアニの背中へ、彼の視線が向いている。
ほんの一瞬のことだった。すぐにベルトルトは視線を戻し、何事もなかったように前を向く。
それだけのことだ。
誰が誰を見ていたって、自分には関係ない。
そう思ったのに。
さっきの横顔だけが、妙に残った。
自分でも理由は分からない。
ただ、歩きながら、今見た光景が頭の中で何度も繰り返される。
アニの背中。
それを見ていた、ベルトルトの横顔。
気にすることじゃない。
そう思って、意識を切り替えようとする。
いつもなら、それで終わるはずだった。
なのに今日は、なぜかうまくいかなかった。
*
立体機動装置を装着し、模擬戦闘の準備をする。
今日の訓練は、班ごとの連携を重視した空中戦だった。互いの動きを見て、タイミングを合わせる必要がある。
「油断するな!空中では一人の判断の遅れが、全体の命取りになる」
教官の声が響く。
分かってる。
いつも通りにやればいい。
そう思って、ワイヤーを射出した。
体が宙へと引き上げられる。
風が頬を叩く。
視界の中で、班の仲間たちがそれぞれの位置についた。
「オリアナ、右から回り込め!」
ジャンの声が飛ぶ。
「了解──」
返事をしながら、ふと別のものが頭をよぎった。
少し前を歩くアニの背中。
それを見ていた、ベルトルトの横顔。
理由の分からない引っかかりが、ほんの一瞬だけ意識を遅らせる。
その刹那──
「うわっ!」
すぐ横を通過するはずだった仲間の軌道がずれた。空中で肩がぶつかり、二人の体勢が崩れる。
「しまっ──」
ワイヤーが絡まり、三人分の軌道が乱れた。
なんとか着地はしたが、地面に転がるような形になる。
「そこまで!!」
教官の怒号が飛ぶ。
空気が一気に張り詰めた。
「何をしている!!」
教官が怒鳴りながら歩み寄ってくる。
「連携訓練で衝突とはどういうことだ!お前たちは遊んでいるのか!!」
誰も答えられない。
視線が、自然とオリアナに集まる。
判断が遅れたのは、自分だった。
「原因は誰だ」
低い声で問われる。
オリアナは一歩前に出た。
「……私です」
教官の目が鋭く細められる。
「シュトルツ。お前が判断を誤ったのか」
「はい」
「珍しいな。お前がそんな初歩的なミスをするとは」
その言葉が、胸に刺さった。
「連帯責任だ。全員、追加訓練だ」
短く告げられ、班全員が返事をした。
「……ちっ」
ジャンが、小さく舌打ちした。
*
追加訓練が終わり、解散の号令がかかった。
「お前があんなミスするなんて、珍しいな」
横を通り過ぎながら、ジャンが言った。
皮肉混じりの声だった。
「……悪かった」
「別に。死んだわけじゃねぇし」
そう言いながらも、その表情はどこか不満げだった。ジャンの背中が離れていく。
危険に晒したのは事実だ。
軽傷で済んだのは、ただの偶然。もし少しでも角度が違っていたら、どうなっていたか分からない。
オリアナは装置を外し、人の流れから外れるように歩いた。
訓練場の端。
物陰になる場所で、ようやく足を止める。
深く息を吸おうとして、うまくできなかった。
空中で交錯したワイヤー。
判断が遅れた一瞬。
仲間同士がぶつかり、制御を失ったあの感覚。
何度考えても、原因は自分だった。
考え事をしていた。
訓練中に、関係のないことを持ち込んだ。
それだけは、はっきりしている。
(……情けない)
歯を食いしばる。
泣くつもりなんてなかった。
こんなところで崩れるつもりもなかった。
けれど喉の奥が詰まり、視界が滲む。
自分一人の判断で、仲間を危険に晒した。
それが何より、耐え難かった。
耐えきれず、膝に手をつく。
肩が小さく震えるのを、必死に抑えた。
その時だった。
「……オリアナ?」
聞き覚えのある、低くて穏やかな声。
心臓が跳ねる。
反射的に顔を伏せ、目元を隠した。
「だ、大丈夫……」
声が、わずかに掠れた。
足音が近づく。
けれど、すぐそばまでは来ない。
少し距離を取って、彼が立ち止まったのが分かった。
「……ごめん。通りかかっただけなんだ」
無理に踏み込まない声音だった。
その距離の取り方が、かえって苦しかった。
「さっきの訓練……危なかったね」
その一言は、決して軽くなかった。
慰めでも、擁護でもない。
事実として、向き合っている声だった。
オリアナはゆっくり顔を上げる。
涙の跡を見られたくなくて、視線は合わせられないまま。
「……私の判断が遅れた」
声が、かすかに震えた。
「連携、ちゃんと取れてたのに……私が考え事をして」
「考え事?」
ベルトルトが、少しだけ首を傾ける。
「……なんでもない」
言い切ってから、唇を噛む。
言い訳みたいだった。そんなつもりはないのに、自分の言葉が嫌になる。
「……軽傷で済んだのは、運が良かっただけ」
ぽつりと零れる。
「次も同じとは限らない。だから……」
言葉が、途中で途切れた。
ベルトルトはすぐには何も言わなかった。
少し考えるように視線を落とし、それからゆっくり口を開く。
「……オリアナが、そんなふうに考えるのは」
言葉を選ぶ声だった。
「それだけ、ちゃんと仲間のことを見てるからだと思う」
思いがけない言葉に、胸がわずかに揺れた。
「……でも」
「うん。ミスはミスだ」
きっぱりと、でも優しく。
「だから、次に同じことをしない。それでいいんじゃないかな」
オリアナは、ようやく彼を見る。
大きな体に似合わない、控えめな立ち方。
真っ直ぐだけど、押しつけがましくない視線。
責めてもいない。
軽く流してもいない。
ただ、そこに立っている。
「……ありがとう」
小さく言うと、ベルトルトは少し照れたように視線を逸らした。
「その……オリアナが、ああいうミスするの、珍しかったから」
「……自分でも、そう思う」
苦笑する。
理性的でいるつもりだった。
ちゃんとやれていると、思っていた。
それなのに、今日は違った。
「……戻ろうか」
「うん」
歩き出す直前、ベルトルトが一瞬だけ立ち止まる。
「……さっきのこと」
「?」
「一人で抱え込まなくていいと思う」
それだけ言って、先に歩き出した。
背中を見送りながら、オリアナはゆっくり息を吐いた。
まだ重たい。
まだ、完全には消えていない。
でも──
ほんの少しだけ、息がしやすくなっていた。
…To be continued
小さな綻び
午後の訓練へ向かう途中、訓練兵たちは班ごとに並んで歩いていた。乾いた地面を踏みしめる足音が、規則的に響く。オリアナは前を向いたまま、歩調を崩さずに進んでいた。
その時、ふと視界の端に背の高い影が入る。
ベルトルトだった。
少し前を歩くアニの背中へ、彼の視線が向いている。
ほんの一瞬のことだった。すぐにベルトルトは視線を戻し、何事もなかったように前を向く。
それだけのことだ。
誰が誰を見ていたって、自分には関係ない。
そう思ったのに。
さっきの横顔だけが、妙に残った。
自分でも理由は分からない。
ただ、歩きながら、今見た光景が頭の中で何度も繰り返される。
アニの背中。
それを見ていた、ベルトルトの横顔。
気にすることじゃない。
そう思って、意識を切り替えようとする。
いつもなら、それで終わるはずだった。
なのに今日は、なぜかうまくいかなかった。
*
立体機動装置を装着し、模擬戦闘の準備をする。
今日の訓練は、班ごとの連携を重視した空中戦だった。互いの動きを見て、タイミングを合わせる必要がある。
「油断するな!空中では一人の判断の遅れが、全体の命取りになる」
教官の声が響く。
分かってる。
いつも通りにやればいい。
そう思って、ワイヤーを射出した。
体が宙へと引き上げられる。
風が頬を叩く。
視界の中で、班の仲間たちがそれぞれの位置についた。
「オリアナ、右から回り込め!」
ジャンの声が飛ぶ。
「了解──」
返事をしながら、ふと別のものが頭をよぎった。
少し前を歩くアニの背中。
それを見ていた、ベルトルトの横顔。
理由の分からない引っかかりが、ほんの一瞬だけ意識を遅らせる。
その刹那──
「うわっ!」
すぐ横を通過するはずだった仲間の軌道がずれた。空中で肩がぶつかり、二人の体勢が崩れる。
「しまっ──」
ワイヤーが絡まり、三人分の軌道が乱れた。
なんとか着地はしたが、地面に転がるような形になる。
「そこまで!!」
教官の怒号が飛ぶ。
空気が一気に張り詰めた。
「何をしている!!」
教官が怒鳴りながら歩み寄ってくる。
「連携訓練で衝突とはどういうことだ!お前たちは遊んでいるのか!!」
誰も答えられない。
視線が、自然とオリアナに集まる。
判断が遅れたのは、自分だった。
「原因は誰だ」
低い声で問われる。
オリアナは一歩前に出た。
「……私です」
教官の目が鋭く細められる。
「シュトルツ。お前が判断を誤ったのか」
「はい」
「珍しいな。お前がそんな初歩的なミスをするとは」
その言葉が、胸に刺さった。
「連帯責任だ。全員、追加訓練だ」
短く告げられ、班全員が返事をした。
「……ちっ」
ジャンが、小さく舌打ちした。
*
追加訓練が終わり、解散の号令がかかった。
「お前があんなミスするなんて、珍しいな」
横を通り過ぎながら、ジャンが言った。
皮肉混じりの声だった。
「……悪かった」
「別に。死んだわけじゃねぇし」
そう言いながらも、その表情はどこか不満げだった。ジャンの背中が離れていく。
危険に晒したのは事実だ。
軽傷で済んだのは、ただの偶然。もし少しでも角度が違っていたら、どうなっていたか分からない。
オリアナは装置を外し、人の流れから外れるように歩いた。
訓練場の端。
物陰になる場所で、ようやく足を止める。
深く息を吸おうとして、うまくできなかった。
空中で交錯したワイヤー。
判断が遅れた一瞬。
仲間同士がぶつかり、制御を失ったあの感覚。
何度考えても、原因は自分だった。
考え事をしていた。
訓練中に、関係のないことを持ち込んだ。
それだけは、はっきりしている。
(……情けない)
歯を食いしばる。
泣くつもりなんてなかった。
こんなところで崩れるつもりもなかった。
けれど喉の奥が詰まり、視界が滲む。
自分一人の判断で、仲間を危険に晒した。
それが何より、耐え難かった。
耐えきれず、膝に手をつく。
肩が小さく震えるのを、必死に抑えた。
その時だった。
「……オリアナ?」
聞き覚えのある、低くて穏やかな声。
心臓が跳ねる。
反射的に顔を伏せ、目元を隠した。
「だ、大丈夫……」
声が、わずかに掠れた。
足音が近づく。
けれど、すぐそばまでは来ない。
少し距離を取って、彼が立ち止まったのが分かった。
「……ごめん。通りかかっただけなんだ」
無理に踏み込まない声音だった。
その距離の取り方が、かえって苦しかった。
「さっきの訓練……危なかったね」
その一言は、決して軽くなかった。
慰めでも、擁護でもない。
事実として、向き合っている声だった。
オリアナはゆっくり顔を上げる。
涙の跡を見られたくなくて、視線は合わせられないまま。
「……私の判断が遅れた」
声が、かすかに震えた。
「連携、ちゃんと取れてたのに……私が考え事をして」
「考え事?」
ベルトルトが、少しだけ首を傾ける。
「……なんでもない」
言い切ってから、唇を噛む。
言い訳みたいだった。そんなつもりはないのに、自分の言葉が嫌になる。
「……軽傷で済んだのは、運が良かっただけ」
ぽつりと零れる。
「次も同じとは限らない。だから……」
言葉が、途中で途切れた。
ベルトルトはすぐには何も言わなかった。
少し考えるように視線を落とし、それからゆっくり口を開く。
「……オリアナが、そんなふうに考えるのは」
言葉を選ぶ声だった。
「それだけ、ちゃんと仲間のことを見てるからだと思う」
思いがけない言葉に、胸がわずかに揺れた。
「……でも」
「うん。ミスはミスだ」
きっぱりと、でも優しく。
「だから、次に同じことをしない。それでいいんじゃないかな」
オリアナは、ようやく彼を見る。
大きな体に似合わない、控えめな立ち方。
真っ直ぐだけど、押しつけがましくない視線。
責めてもいない。
軽く流してもいない。
ただ、そこに立っている。
「……ありがとう」
小さく言うと、ベルトルトは少し照れたように視線を逸らした。
「その……オリアナが、ああいうミスするの、珍しかったから」
「……自分でも、そう思う」
苦笑する。
理性的でいるつもりだった。
ちゃんとやれていると、思っていた。
それなのに、今日は違った。
「……戻ろうか」
「うん」
歩き出す直前、ベルトルトが一瞬だけ立ち止まる。
「……さっきのこと」
「?」
「一人で抱え込まなくていいと思う」
それだけ言って、先に歩き出した。
背中を見送りながら、オリアナはゆっくり息を吐いた。
まだ重たい。
まだ、完全には消えていない。
でも──
ほんの少しだけ、息がしやすくなっていた。
…To be continued