【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第34話
息を吸おうとして、胸が詰まった。
空気はうまく入ってこない。喉の奥で乾いた音が鳴り、もう一度吸い込んだ瞬間、今度は埃が肺に入り込んだ。
咳が出る。
胸の奥が焼け、肋の内側に細い針を刺されたような痛みが走った。
体が動かない。
腹の上に何か重いものが乗っていて、脚も押さえつけられている。腕を動かそうとしても、かすかに動いたのは指先だけだった。
その感覚が、やけに遠い。
(……なにが……起きた……)
耳の奥で、低く長い音が鳴っていた。世界がその音の中に沈んでいて、自分の呼吸だけが、ひどく近いところで擦れている。
オリアナはゆっくり目を開けた。
暗い。
少しして、上の方に細い光が見えた。
瓦礫の隙間だった。その隙間を、煙が流れている。
瞬きをすると、視界が赤く滲んだ。
血だった。
額から流れているのだと分かった瞬間、頭の奥の痛みが一気に戻ってきた。こめかみの奥が脈を打ち、後頭部が鈍く重い。
息を吸うたび、胸が軋んだ。深く吸おうとしても途中で詰まり、浅く短い呼吸だけが喉の奥を行き来する。
(……苦しい……)
何が起きたのか、すぐには思い出せない。
ただ、遠くで音がした。
——ドン。
低い爆音が響いた。
少し遅れて、もう一つ。
雷槍の音だと、ようやく分かった。
戦いは終わっていない。
その事実だけが、ぼんやりした頭に残った。
オリアナは体を動かそうとした。肩がわずかに動き、腹の上の瓦礫が石を擦る音を立てる。
重さが、少しだけずれた。
そのときだった。
声が聞こえた。
「……話をしたら!!」
胸の奥が強く跳ねる。
耳鳴りの奥で、その声だけがはっきりしていた。
「全員死んでくれるか!?」
呼吸が止まる。
どこから聞こえたのか分からない。瓦礫の上か、煙の向こうか、それとも頭の奥に残ったものなのか。
声が続く。
「僕たちの要求はわずか二つ!!」
喉の奥が、ひくりと震えた。
「エレンの引き渡しと!!」
胸が締まる。
「壁中人類の死滅!!」
息が漏れた。
煙と炎、崩れた瓦礫と白い蒸気が、まだ目の裏に残っている。
(……彼が)
考えようとして、頭が軋んだ。
(……私たちの死を)
その認識だけが、遅れて体の内側へ沈んでいく。
次の瞬間、別の声が重なった。
「誰が好きで……」
かすれた声だった。
「誰が好きでこんなこと!!」
視界が揺れる。
瓦礫の隙間の光が滲み、その向こうを煙が細く流れていく。
「こんなことをしたいと思うんだよ!!」
胸の奥で、何かがひどく引き攣れた。
違う。
今の声じゃない。
もっと前の、あの時の声だった。
焼けた草の匂い。
馬の荒い息。
夕暮れの空。
ミカサの鋭い声。
「頼む……誰か……」
声が遠くなる。
「誰か僕らを見つけてくれ……」
オリアナは目を閉じた。
煙と炎、瓦礫と叫びと熱が、頭の中で混ざっていく。その中で、あの時のベルトルトの声だけが浮かんだ。
追い詰められて、掠れて、それでもどこかで助けを求めていた。
胸の奥が強く痛む。
(……違う)
あの声で叫ぶ人間が。
あんなふうに、誰かに見つけてくれと願った人間が。
本当に。
こんなことを。
息を吸うと、肺が焼けた。
オリアナは腕に力を入れる。
腹の上の瓦礫は、最初ほとんど動かなかった。肩に力を込め直すと、石が擦れ、重さがほんのわずか横へずれる。
その瞬間、肋の奥に鋭い痛みが走った。
「……っ」
息が詰まる。
空気を吸っているはずなのに、胸が少しも広がらない。視界の端が暗く滲み、頬に落ちた細かい瓦礫の感触だけがやけにはっきりしていた。
それでも、腕は止めなかった。
もう一度、押す。
石が擦れ、腹を押さえつけていた瓦礫がようやく落ちた。空気が一気に肺へ流れ込み、反射的に咳が出る。
喉が焼けた。
胸が裂けそうになる。
けれど、動ける隙間はできていた。
オリアナは地面を掴み、瓦礫の隙間へ肩を滑り込ませる。体を引きずるたびに石が背中を擦り、立体機動装置の金具が何度も引っ掛かった。
もう少し。
光はすぐそこにある。
腕に残った力を全部使って体を引くと、背後で瓦礫が崩れた。
そして。
オリアナの体は、ようやく瓦礫の外へ転がり出た。
膝が地面に落ちる。
息を吐く。
だが肺はまだうまく動かない。吸うたびに胸は浅く軋み、それでも空気だけは確かに入ってきた。
オリアナはしばらく、その場で呼吸を繰り返した。
手の甲で顔を拭うと、血が広がった。
顔を上げる。
街が燃えていた。
屋根は崩れ、炎が上がり、煙が空を覆っている。焼けた木の匂いに、石の粉のざらついた匂いが混ざっていた。
遠くで雷槍が爆ぜる。
その奥。
白く揺れる熱の向こうに、建物より高い輪郭が立っていた。
蒸気が空へ上がっている。
それを見た瞬間、足元の感覚が少し遠のいた。
頬に熱が当たる。
皮膚がひりついた。
呼吸が荒くなる。
そのとき。
頭の奥で、もう一度声が響いた。
「誰が好きでこんなこと……!!」
胸の奥が締め付けられる。
違う。
ベルトルトは——
その先が、形にならなかった。
頭が回らない。考えが続かない。
ただ、体の内側に残った感覚だけがはっきりしている。
あの声。
あんなふうに叫ぶ人間が。
こんな終わり方を、望むはずがない。
答えは出ない。
出ないまま、じっとしていられなかった。
オリアナはふらつきながら立ち上がる。膝は震え、足元は定まらない。
それでも立体機動装置の柄を掴み、アンカーを装填した。
指が震える。血で滑る。
それでも引き金を引いた。
金属音が鳴り、ワイヤーが空へ伸びる。
体が前へ引かれる。
煙の街へ、オリアナは飛び出した。
屋根を越える。
火が上がり、煙が渦を巻く。
息を吸うたび肺が痛み、呼吸はすぐに追いつかなくなった。耳鳴りだけが、頭の奥で低く続いている。
次の屋根へ飛ぶ。
着地した瞬間、膝が崩れかけた。
踏みとどまる。
また飛ぶ。
熱風が頬を叩き、額から流れた血が目に入る。視界が赤く滲んでも、オリアナは前を見た。
その先で、巨大な影が動いた。
煙の向こうでゆっくり揺れているのは、超大型巨人だった。蒸気が噴き上がり、熱風が街を押している。
その近くで、人影が揺れていた。
(アルミン……)
蒸気の中で、必死に立体機動を続けている。
だが距離が近すぎる。
熱風が吹いた。
アルミンの軌道が乱れる。
落ちる。
喉の奥から、声になる前の息がせり上がった。
違う。
違う。
こんな終わり方じゃない。
彼に。
仲間を殺させるために。
ここまで来たんじゃない。
名前が、叫びになって飛び出した。
「——ベルトルト!!」
煙を裂く声だった。
蒸気の流れが、ほんのわずか変わる。
巨大な影の動きが止まった。
ほんの一瞬。
——死んだはずの声だった。
その一瞬の空白に、戦場の音だけが落ちる。
オリアナの視界が揺れた。
足元の瓦が砕け、体が前へ倒れる。頭の奥で鈍い音が鳴り、白く弾けた視界の中で、体だけが屋根の上を滑っていった。
瓦が弾ける。
背中に衝撃が走った。
息が抜ける。
肺が動かない。
空が回り、炎と煙、白く濁った熱が混ざって視界の端を流れていく。
その向こうで、蒸気が一瞬だけ途切れた。
黒い軌道が走る。
立体機動の影。
刃の光。
巨体の項が裂ける。
弾けた白煙の向こうで、人影が引きずり出された。
そこまでしか、見えなかった。
どこかで、誰かが叫んでいる。
声はもう、聞き取れない。
それでも一瞬だけ、あの声が重なった。
——ベルトルト。
視界が暗く沈む。
最後に残ったのは、呼んだ名前の感触だけだった。
…To be continued
瓦礫の下の呼吸
暗い。息を吸おうとして、胸が詰まった。
空気はうまく入ってこない。喉の奥で乾いた音が鳴り、もう一度吸い込んだ瞬間、今度は埃が肺に入り込んだ。
咳が出る。
胸の奥が焼け、肋の内側に細い針を刺されたような痛みが走った。
体が動かない。
腹の上に何か重いものが乗っていて、脚も押さえつけられている。腕を動かそうとしても、かすかに動いたのは指先だけだった。
その感覚が、やけに遠い。
(……なにが……起きた……)
耳の奥で、低く長い音が鳴っていた。世界がその音の中に沈んでいて、自分の呼吸だけが、ひどく近いところで擦れている。
オリアナはゆっくり目を開けた。
暗い。
少しして、上の方に細い光が見えた。
瓦礫の隙間だった。その隙間を、煙が流れている。
瞬きをすると、視界が赤く滲んだ。
血だった。
額から流れているのだと分かった瞬間、頭の奥の痛みが一気に戻ってきた。こめかみの奥が脈を打ち、後頭部が鈍く重い。
息を吸うたび、胸が軋んだ。深く吸おうとしても途中で詰まり、浅く短い呼吸だけが喉の奥を行き来する。
(……苦しい……)
何が起きたのか、すぐには思い出せない。
ただ、遠くで音がした。
——ドン。
低い爆音が響いた。
少し遅れて、もう一つ。
雷槍の音だと、ようやく分かった。
戦いは終わっていない。
その事実だけが、ぼんやりした頭に残った。
オリアナは体を動かそうとした。肩がわずかに動き、腹の上の瓦礫が石を擦る音を立てる。
重さが、少しだけずれた。
そのときだった。
声が聞こえた。
「……話をしたら!!」
胸の奥が強く跳ねる。
耳鳴りの奥で、その声だけがはっきりしていた。
「全員死んでくれるか!?」
呼吸が止まる。
どこから聞こえたのか分からない。瓦礫の上か、煙の向こうか、それとも頭の奥に残ったものなのか。
声が続く。
「僕たちの要求はわずか二つ!!」
喉の奥が、ひくりと震えた。
「エレンの引き渡しと!!」
胸が締まる。
「壁中人類の死滅!!」
息が漏れた。
煙と炎、崩れた瓦礫と白い蒸気が、まだ目の裏に残っている。
(……彼が)
考えようとして、頭が軋んだ。
(……私たちの死を)
その認識だけが、遅れて体の内側へ沈んでいく。
次の瞬間、別の声が重なった。
「誰が好きで……」
かすれた声だった。
「誰が好きでこんなこと!!」
視界が揺れる。
瓦礫の隙間の光が滲み、その向こうを煙が細く流れていく。
「こんなことをしたいと思うんだよ!!」
胸の奥で、何かがひどく引き攣れた。
違う。
今の声じゃない。
もっと前の、あの時の声だった。
焼けた草の匂い。
馬の荒い息。
夕暮れの空。
ミカサの鋭い声。
「頼む……誰か……」
声が遠くなる。
「誰か僕らを見つけてくれ……」
オリアナは目を閉じた。
煙と炎、瓦礫と叫びと熱が、頭の中で混ざっていく。その中で、あの時のベルトルトの声だけが浮かんだ。
追い詰められて、掠れて、それでもどこかで助けを求めていた。
胸の奥が強く痛む。
(……違う)
あの声で叫ぶ人間が。
あんなふうに、誰かに見つけてくれと願った人間が。
本当に。
こんなことを。
息を吸うと、肺が焼けた。
オリアナは腕に力を入れる。
腹の上の瓦礫は、最初ほとんど動かなかった。肩に力を込め直すと、石が擦れ、重さがほんのわずか横へずれる。
その瞬間、肋の奥に鋭い痛みが走った。
「……っ」
息が詰まる。
空気を吸っているはずなのに、胸が少しも広がらない。視界の端が暗く滲み、頬に落ちた細かい瓦礫の感触だけがやけにはっきりしていた。
それでも、腕は止めなかった。
もう一度、押す。
石が擦れ、腹を押さえつけていた瓦礫がようやく落ちた。空気が一気に肺へ流れ込み、反射的に咳が出る。
喉が焼けた。
胸が裂けそうになる。
けれど、動ける隙間はできていた。
オリアナは地面を掴み、瓦礫の隙間へ肩を滑り込ませる。体を引きずるたびに石が背中を擦り、立体機動装置の金具が何度も引っ掛かった。
もう少し。
光はすぐそこにある。
腕に残った力を全部使って体を引くと、背後で瓦礫が崩れた。
そして。
オリアナの体は、ようやく瓦礫の外へ転がり出た。
膝が地面に落ちる。
息を吐く。
だが肺はまだうまく動かない。吸うたびに胸は浅く軋み、それでも空気だけは確かに入ってきた。
オリアナはしばらく、その場で呼吸を繰り返した。
手の甲で顔を拭うと、血が広がった。
顔を上げる。
街が燃えていた。
屋根は崩れ、炎が上がり、煙が空を覆っている。焼けた木の匂いに、石の粉のざらついた匂いが混ざっていた。
遠くで雷槍が爆ぜる。
その奥。
白く揺れる熱の向こうに、建物より高い輪郭が立っていた。
蒸気が空へ上がっている。
それを見た瞬間、足元の感覚が少し遠のいた。
頬に熱が当たる。
皮膚がひりついた。
呼吸が荒くなる。
そのとき。
頭の奥で、もう一度声が響いた。
「誰が好きでこんなこと……!!」
胸の奥が締め付けられる。
違う。
ベルトルトは——
その先が、形にならなかった。
頭が回らない。考えが続かない。
ただ、体の内側に残った感覚だけがはっきりしている。
あの声。
あんなふうに叫ぶ人間が。
こんな終わり方を、望むはずがない。
答えは出ない。
出ないまま、じっとしていられなかった。
オリアナはふらつきながら立ち上がる。膝は震え、足元は定まらない。
それでも立体機動装置の柄を掴み、アンカーを装填した。
指が震える。血で滑る。
それでも引き金を引いた。
金属音が鳴り、ワイヤーが空へ伸びる。
体が前へ引かれる。
煙の街へ、オリアナは飛び出した。
屋根を越える。
火が上がり、煙が渦を巻く。
息を吸うたび肺が痛み、呼吸はすぐに追いつかなくなった。耳鳴りだけが、頭の奥で低く続いている。
次の屋根へ飛ぶ。
着地した瞬間、膝が崩れかけた。
踏みとどまる。
また飛ぶ。
熱風が頬を叩き、額から流れた血が目に入る。視界が赤く滲んでも、オリアナは前を見た。
その先で、巨大な影が動いた。
煙の向こうでゆっくり揺れているのは、超大型巨人だった。蒸気が噴き上がり、熱風が街を押している。
その近くで、人影が揺れていた。
(アルミン……)
蒸気の中で、必死に立体機動を続けている。
だが距離が近すぎる。
熱風が吹いた。
アルミンの軌道が乱れる。
落ちる。
喉の奥から、声になる前の息がせり上がった。
違う。
違う。
こんな終わり方じゃない。
彼に。
仲間を殺させるために。
ここまで来たんじゃない。
名前が、叫びになって飛び出した。
「——ベルトルト!!」
煙を裂く声だった。
蒸気の流れが、ほんのわずか変わる。
巨大な影の動きが止まった。
ほんの一瞬。
——死んだはずの声だった。
その一瞬の空白に、戦場の音だけが落ちる。
オリアナの視界が揺れた。
足元の瓦が砕け、体が前へ倒れる。頭の奥で鈍い音が鳴り、白く弾けた視界の中で、体だけが屋根の上を滑っていった。
瓦が弾ける。
背中に衝撃が走った。
息が抜ける。
肺が動かない。
空が回り、炎と煙、白く濁った熱が混ざって視界の端を流れていく。
その向こうで、蒸気が一瞬だけ途切れた。
黒い軌道が走る。
立体機動の影。
刃の光。
巨体の項が裂ける。
弾けた白煙の向こうで、人影が引きずり出された。
そこまでしか、見えなかった。
どこかで、誰かが叫んでいる。
声はもう、聞き取れない。
それでも一瞬だけ、あの声が重なった。
——ベルトルト。
視界が暗く沈む。
最後に残ったのは、呼んだ名前の感触だけだった。
…To be continued