【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第29話
足音と紙の擦れる音が、朝の空気を押しのけていく。
オリアナは名を告げ、指示された部屋へ入った。
机の上に並ぶ書類。
削られた名前の跡。補充の印。
「再編だ」
上官の声は短い。
「ハンジ分隊長の班へ回る。今日からだ」
理由は告げられない。
聞く者もいない。
「……了解しました」
声は平らだった。
部屋を出ると、すぐ背後から勢いのある足音が近づく。
「君がオリアナ?」
振り返ると、ハンジ分隊長が立っていた。
眼鏡の奥の目が、観察するみたいに細まる。
「私はハンジ。よろしくね」
握手を求めるでもなく、ただ興味を向けてくる。
「今日、面白い実験があるんだよね。人手が足りなくてさ」
「分隊長」
低い声が横から入る。
「いきなり連れて行く前に説明を」
整った姿勢の男が立っていた。
視線は冷静だが、分隊長を止める役目に慣れている顔だ。
「モブリットだ。ついてきなさい」
オリアナは敬礼する。
「本日より、よろしくお願いいたします」
モブリットは軽く頷いた。
ハンジはもう歩き出している。
「今日は屋外だよ。空気がいい。実験には最高だ!」
*
外れの区域は風が抜けていた。
洞窟の口が開き、木材と足場が組まれている。
「ここを塞げるか試す」
モブリットが簡潔に言う。
「エレンの硬質化で、入口を封鎖できるかの確認だ」
少し離れた場所に、エレンが立っていた。
ミカサはさらに後方で様子を見ている。
ハンジが声を張る。
「エレン!準備はいいか!?」
エレンが振り向き、背筋を伸ばす。
「はい。いつでもいけます」
はっきりした声。
「よし!実験開始だ!」
「はい!」
迷いのない返事。
エレンは自分の手を噛んだ。
閃光。
爆音と蒸気。
巨人の影が立ち上がる。
地面が揺れる。
巨人の体表に白い筋が走る。
硬質化の兆し。
「おおっ……!」
ハンジが身を乗り出す。
だが次の瞬間。
巨人の膝が崩れた。
体勢が傾く。
肩が岩壁に当たる。
硬質化は広がらない。
「うぉおお!!頑張れエレーン!!」
ハンジが前へ出る。
「分隊長!離れてください!!」
モブリットの声が飛ぶ。
巨人の体が崩れ、蒸気が噴き出す。
煙の中からエレンが落ちた。
膝をつく。
オリアナは思わず一歩前へ出た。
その瞬間。
離れた位置からミカサが駆け寄る。
「エレン……!」
「……平気だ」
息は荒いが、意識ははっきりしている。
ハンジは蒸気の残る空間を見つめている。
「今、硬質化出たよね!?」
ハンジは巨人を指差した。
モブリットが即座に書き込む。
「硬質化確認。持続三秒」
「そうそう、それ!」
ハンジは満足そうに頷いた。
やがて休憩が入る。
エレンは水を受け取り、肩で息をしている。
巨人化の熱がまだ身体に残っているのか、額の汗を手の甲で拭った。
その視線が、少し離れた場所に立つオリアナに止まる。
エレンは数歩近づいた。
「……ハンジ班に回ったんだってな」
オリアナは振り向く。
「……うん」
「忙しくなるな」
「そうだね」
少し風が吹く。
エレンは水を一口飲んだ。
それから、思い出したように言う。
「……そういえば」
オリアナを見る。
「壁の上のこと、覚えてるか」
オリアナは少し考える。
「……断片だけ」
エレンは頷きも否定もしない。
「ミカサが飛んでさ」
言葉を探す。
「ベルトルトが倒れて」
そこで一度、口を閉じる。
「お前、叫んだよな」
オリアナの視線が落ちる。
そのとき。
背後からミカサの視線が刺さった。
言葉はない。
だが意味は分かる。
——まだ、迷っているのか。
「……覚えてない」
静かな声だった。
エレンは肩をすくめる。
「そうか」
少し沈黙が落ちる。
遠くでハンジの声が響く。
エレンが続ける。
「……今のお前」
視線は逸らさない。
「迷ってるように見える」
オリアナは顔を上げる。
「迷ってない」
すぐに返した。
エレンは少しだけ眉を寄せる。
それから短く言う。
「ならいい」
視線を外さないまま、続けた。
「迷ってると死ぬぞ」
オリアナは小さく頷く。
「……分かってる」
エレンは水袋を握り直す。
それ以上は言わない。
「休憩終わりだ」
それだけ言って、エレンは立ち上がった。
*
実験が一段落し、兵舎へ戻るころには
日が傾いていた。
兵舎の食堂はまだ人が多かった。
長い机の上に、パンとスープの匂いが漂っている。
疲れた笑い声が、食堂に広がっていた。
オリアナは入口で一瞬だけ立ち止まった。
「こっちだ」
モブリットが手を上げた。
奥の机に、ハンジと数人の班員が座っている。
ハンジはパンを片手に、何かを語っていた。
「だからね、硬質化っていうのは恐らく——」
「分隊長」
モブリットが短く言う。
「食事が冷めます」
「分かった分かった」
言いながら、また話し始める。
班員の一人が小さく笑う。
オリアナは空いた席に腰を下ろした。
皿にパンを取る。
「新しい班員?」
向かいの兵が言った。
「オリアナです。本日付で配属されました」
「よろしく」
軽い調子の返事。
巨人の話。
装備の調整。
壁外の噂。
ハンジはふとこちらを見た。
観察するような目。
「オリアナ」
身を乗り出す。
「巨人は好き?」
唐突だった。
オリアナは少し考え、
「……好きではありません」
正直に答える。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ハンジが笑った。
「いいね!」
「?」
「好きじゃない方がいい」
パンをかじりながら言う。
「好きすぎるとね、研究が止まらなくなる」
モブリットが小さく呟く。
「もう止まってませんよ……」
班員が笑う。
オリアナはスープを口に運ぶ。
温かい。
騒がしくもなく、無理に笑う空気もない。
誰かが話し、誰かが笑い、また別の話題に移る。
巨人。
奪還作戦。
補給。
オリアナは黙って聞いていた。
*
食堂を出たあと。
廊下を歩く足音だけが続く。
モブリットが隣に並んだ。
「分隊長はああだが、悪くない班だ」
淡々とした口調。
「王都の騒乱で席が空いた。埋めるしかない」
オリアナは頷く。
「承知しています」
モブリットは一瞬だけ視線を向けた。
「無理はするなよ」
短い声。
「動けなくなると困る」
「はい」
オリアナは答えた。
*
朝は静かに来ていた。
兵舎の廊下では、もう誰かが動いている。
補給品を運ぶ音。
書類をめくる乾いた音。
外へ出る準備は、始まっている。
オリアナは寝台から起き上がった。
まだ体の奥に、昨日のざわめきが残っている。
窓辺に立つ。
外の空気が少し冷たい。
空は広い。
ウォール・マリアの向こうにも、きっと同じ空がある。
ヒストリアの声。
エレンの言葉。
ミカサの視線。
どれも消えない。
それでも、朝は来る。
オリアナは窓を閉めた。
今日も動く。
それだけは、変わらない。
空は静かに明るくなっていった。
…To be continued
新しい場所
本部の廊下は騒がしかった。足音と紙の擦れる音が、朝の空気を押しのけていく。
オリアナは名を告げ、指示された部屋へ入った。
机の上に並ぶ書類。
削られた名前の跡。補充の印。
「再編だ」
上官の声は短い。
「ハンジ分隊長の班へ回る。今日からだ」
理由は告げられない。
聞く者もいない。
「……了解しました」
声は平らだった。
部屋を出ると、すぐ背後から勢いのある足音が近づく。
「君がオリアナ?」
振り返ると、ハンジ分隊長が立っていた。
眼鏡の奥の目が、観察するみたいに細まる。
「私はハンジ。よろしくね」
握手を求めるでもなく、ただ興味を向けてくる。
「今日、面白い実験があるんだよね。人手が足りなくてさ」
「分隊長」
低い声が横から入る。
「いきなり連れて行く前に説明を」
整った姿勢の男が立っていた。
視線は冷静だが、分隊長を止める役目に慣れている顔だ。
「モブリットだ。ついてきなさい」
オリアナは敬礼する。
「本日より、よろしくお願いいたします」
モブリットは軽く頷いた。
ハンジはもう歩き出している。
「今日は屋外だよ。空気がいい。実験には最高だ!」
*
外れの区域は風が抜けていた。
洞窟の口が開き、木材と足場が組まれている。
「ここを塞げるか試す」
モブリットが簡潔に言う。
「エレンの硬質化で、入口を封鎖できるかの確認だ」
少し離れた場所に、エレンが立っていた。
ミカサはさらに後方で様子を見ている。
ハンジが声を張る。
「エレン!準備はいいか!?」
エレンが振り向き、背筋を伸ばす。
「はい。いつでもいけます」
はっきりした声。
「よし!実験開始だ!」
「はい!」
迷いのない返事。
エレンは自分の手を噛んだ。
閃光。
爆音と蒸気。
巨人の影が立ち上がる。
地面が揺れる。
巨人の体表に白い筋が走る。
硬質化の兆し。
「おおっ……!」
ハンジが身を乗り出す。
だが次の瞬間。
巨人の膝が崩れた。
体勢が傾く。
肩が岩壁に当たる。
硬質化は広がらない。
「うぉおお!!頑張れエレーン!!」
ハンジが前へ出る。
「分隊長!離れてください!!」
モブリットの声が飛ぶ。
巨人の体が崩れ、蒸気が噴き出す。
煙の中からエレンが落ちた。
膝をつく。
オリアナは思わず一歩前へ出た。
その瞬間。
離れた位置からミカサが駆け寄る。
「エレン……!」
「……平気だ」
息は荒いが、意識ははっきりしている。
ハンジは蒸気の残る空間を見つめている。
「今、硬質化出たよね!?」
ハンジは巨人を指差した。
モブリットが即座に書き込む。
「硬質化確認。持続三秒」
「そうそう、それ!」
ハンジは満足そうに頷いた。
やがて休憩が入る。
エレンは水を受け取り、肩で息をしている。
巨人化の熱がまだ身体に残っているのか、額の汗を手の甲で拭った。
その視線が、少し離れた場所に立つオリアナに止まる。
エレンは数歩近づいた。
「……ハンジ班に回ったんだってな」
オリアナは振り向く。
「……うん」
「忙しくなるな」
「そうだね」
少し風が吹く。
エレンは水を一口飲んだ。
それから、思い出したように言う。
「……そういえば」
オリアナを見る。
「壁の上のこと、覚えてるか」
オリアナは少し考える。
「……断片だけ」
エレンは頷きも否定もしない。
「ミカサが飛んでさ」
言葉を探す。
「ベルトルトが倒れて」
そこで一度、口を閉じる。
「お前、叫んだよな」
オリアナの視線が落ちる。
そのとき。
背後からミカサの視線が刺さった。
言葉はない。
だが意味は分かる。
——まだ、迷っているのか。
「……覚えてない」
静かな声だった。
エレンは肩をすくめる。
「そうか」
少し沈黙が落ちる。
遠くでハンジの声が響く。
エレンが続ける。
「……今のお前」
視線は逸らさない。
「迷ってるように見える」
オリアナは顔を上げる。
「迷ってない」
すぐに返した。
エレンは少しだけ眉を寄せる。
それから短く言う。
「ならいい」
視線を外さないまま、続けた。
「迷ってると死ぬぞ」
オリアナは小さく頷く。
「……分かってる」
エレンは水袋を握り直す。
それ以上は言わない。
「休憩終わりだ」
それだけ言って、エレンは立ち上がった。
*
実験が一段落し、兵舎へ戻るころには
日が傾いていた。
兵舎の食堂はまだ人が多かった。
長い机の上に、パンとスープの匂いが漂っている。
疲れた笑い声が、食堂に広がっていた。
オリアナは入口で一瞬だけ立ち止まった。
「こっちだ」
モブリットが手を上げた。
奥の机に、ハンジと数人の班員が座っている。
ハンジはパンを片手に、何かを語っていた。
「だからね、硬質化っていうのは恐らく——」
「分隊長」
モブリットが短く言う。
「食事が冷めます」
「分かった分かった」
言いながら、また話し始める。
班員の一人が小さく笑う。
オリアナは空いた席に腰を下ろした。
皿にパンを取る。
「新しい班員?」
向かいの兵が言った。
「オリアナです。本日付で配属されました」
「よろしく」
軽い調子の返事。
巨人の話。
装備の調整。
壁外の噂。
ハンジはふとこちらを見た。
観察するような目。
「オリアナ」
身を乗り出す。
「巨人は好き?」
唐突だった。
オリアナは少し考え、
「……好きではありません」
正直に答える。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ハンジが笑った。
「いいね!」
「?」
「好きじゃない方がいい」
パンをかじりながら言う。
「好きすぎるとね、研究が止まらなくなる」
モブリットが小さく呟く。
「もう止まってませんよ……」
班員が笑う。
オリアナはスープを口に運ぶ。
温かい。
騒がしくもなく、無理に笑う空気もない。
誰かが話し、誰かが笑い、また別の話題に移る。
巨人。
奪還作戦。
補給。
オリアナは黙って聞いていた。
*
食堂を出たあと。
廊下を歩く足音だけが続く。
モブリットが隣に並んだ。
「分隊長はああだが、悪くない班だ」
淡々とした口調。
「王都の騒乱で席が空いた。埋めるしかない」
オリアナは頷く。
「承知しています」
モブリットは一瞬だけ視線を向けた。
「無理はするなよ」
短い声。
「動けなくなると困る」
「はい」
オリアナは答えた。
*
朝は静かに来ていた。
兵舎の廊下では、もう誰かが動いている。
補給品を運ぶ音。
書類をめくる乾いた音。
外へ出る準備は、始まっている。
オリアナは寝台から起き上がった。
まだ体の奥に、昨日のざわめきが残っている。
窓辺に立つ。
外の空気が少し冷たい。
空は広い。
ウォール・マリアの向こうにも、きっと同じ空がある。
ヒストリアの声。
エレンの言葉。
ミカサの視線。
どれも消えない。
それでも、朝は来る。
オリアナは窓を閉めた。
今日も動く。
それだけは、変わらない。
空は静かに明るくなっていった。
…To be continued