【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第20話
兵団の建物の一室。
そこに集められていたのは、調査兵団所属の104期だけだった。
戦闘服は禁止され、立体機動装置も支給されない。訓練を命じられるわけでもなく、理由も知らされないまま、ただ私服での待機だけを命じられていた。
窓の外には完全武装した上官たちが立ち、監視棟の上にはミケの姿も見える。
内部にいる新兵だけが丸腰で待機している。
その配置は、あまりにも異様だった。
食堂には落ち着かない空気が満ちている。
椅子を揺らす者。
意味もなく立ち上がる者。
窓の外を見続ける者。
何かが起きている。
だが誰も知らされていない。
オリアナは壁際に立ち、静かに周囲を観察していた。
不自然な配置。
説明の欠如。
武装の差。
視線を巡らせる途中、ふとベルトルトの姿が目に入る。
少し離れた場所で、ライナーと向かい合い、簡素な盤を挟んで座っていた。駒を指そうとしたその瞬間、何気なく上げた彼の視線がこちらへ向く。
一瞬、視線が合いかける。
だが、彼はわずかに目を揺らし、何事もなかったように盤へ視線を落とした。
気のせいではない。
言葉にできない違和感だけが残る。
理由は分からない。
だが、この空気そのものがどこかおかしい。
(……待機というより、隔離)
外には完全武装の上官。
内側には私服の新兵。
境界を引かれたような感覚が、薄い不安となって胸の奥へ沈んでいく。
そのとき。
「——あれ!?足音みたいな地鳴りが聞こえます!!」
サシャの声が響いた。
一瞬、室内が静まり返る。
次の瞬間、外の空気が裂ける音がした。
窓の外から影が飛び込み、窓枠に足をかけて体を支える。ナナバだった。
荒い呼吸を整えながら、室内を素早く見渡す。
「——全員いるか?」
張り詰めた声。
だが、取り乱した様子はない。
「500メートル南方より巨人が多数接近。こっちに向かって歩いてきてる」
空気が凍った。
室内のざわめきを断ち切るように、ナナバが続ける。
「君達に戦闘服を着せているヒマはない」
視線が一人一人を貫く。
「直ちに馬に乗り、付近の民家や集落を走り回って避難させなさい。いいね?」
反応を待たない。
「——さぁ!動いて!!」
その声が落ちた瞬間、静止していた時間が一斉に動き出した。
*
状況説明は短かった。
巨人が接近している。
壁が突破された可能性が高い。
だが、どこが破られたのかは分かっていない。
104期は武装兵と組み、周辺集落の避難誘導を担当する。
昼食は任務終了までなし。
オリアナは西班。
ナナバとヘニングが率い、ユミルとクリスタも同行した。
全員、馬に乗る。
蹄の音が乾いた土を打ち、隊は一斉に駆け出した。
*
最初の村に到着した時点で、すでに空気は混乱していた。
扉を叩き、住民を引き出し、状況を説明して移動させる。同じことを何度も繰り返す。
だが、時間がない。
泣き出す子供。動けない老人。
荷物をまとめようとして、その場から離れない家族。
オリアナは村の中央へ踏み込み、戸口に立ち尽くす住民の肩を軽く押して外へ導いた。
状況を一瞥し、すぐ判断する。
「ユミル、動ける人から外へ出して。荷物は最低限だけ」
「……チッ、わかった」
オリアナは泣き崩れた子供を抱き上げ、母親の腕へ戻しながら続ける。
「クリスタ、歩けない人を優先して」
「はい!」
人の流れが滞る場所へ自分で入り、通路を空けて方向を示す。
逃げる方向、馬の通れる幅、避難の順番。
現場を動かしながら、必要なものをひとつずつ整えていく。
(……混乱は伝染する)
だから、声の高さは一定に保った。
「南から巨人が来ます。壁内へ急いでください」
静かな声の方が、人は動く。
それを知っていた。
住民の流れが整い始め、避難列が壁の方向へ動き出す。
そのとき。
遠くの林が揺れた。
ナナバが振り返る。
「……来る」
巨人が一体、村へ向かっていた。
「避難を急がせろ」
短い命令。
オリアナは巨人の影と、逃げる住民の流れを見比べる。理屈より先に、体が緊張した。
(まだ押し切れる)
「ユミル、東側の家を回収して」
「了解」
「クリスタ、最後尾を見て」
「はい!」
自分は通路の中央に立ち、逃げ遅れた者を前へ押し出す。
背後で金属音がした。
振り向かない。
ナナバとヘニングが前へ出ていた。
立体機動の音が走る。
刃が一閃する。
巨体が倒れた。
戦闘は一瞬で終わった。
オリアナは最後の住民を送り出し、浅く息を吐く。
(……止まるな)
まだ任務は続く。
*
同じころ、南班もまた村々を回っていた。
ベルトルトは馬上から、壊れた家屋を見つめていた。
巨人との遭遇は想定より少なかった。
進むほどに、その静けさがかえって不気味になる。
やがて辿り着いたのは、コニーの故郷だった。
家屋は壊れている。
だが、死体は見当たらない。
逃げた痕跡も、争った形跡もない。
人だけが、最初から消えてしまったようだった。
ただ一つ、異様なものがあった。
壊れた家の中に、動けない巨人が横たわっている。
まるで、そこに置かれたように。
ベルトルトは無言でそれを見ていた。
喉の奥が乾く。
(……この状況は)
隣でライナーが小さく息を呑む。
互いに何も言わない。言葉にした瞬間、何かが確定してしまいそうだった。
空はまだ明るい。
だが胸の奥だけが、静かに沈んでいく。
*
巨人出現から七時間が過ぎたころ、西班はようやく壁の近くまで到達していた。
夕暮れの空は赤く沈み、長く伸びた壁の影が地面を覆っている。
ナナバが進路を示した。
「ここから壁沿いを進む。破壊地点を探す」
隊は壁に沿って馬を走らせる。
続くのは、同じ景色、同じ速度、同じ沈黙だった。
疲労は声もなく体を侵食し、水も尽きかけていた。
*
気づけば、あたりはすっかり暗くなっていた。
雲が月を隠す暗闇の中、隊は壁沿いを進み続ける。視界は狭く、馬の呼吸だけが荒く耳に残った。
そのとき、前方に別の隊列が見えた。
南から進んできた南班だった。
互いに馬を止める。
蹄の音だけが、遅れて土の上に消えた。
先に口を開いたのはゲルガーだった。
「……お前らも壁に沿って来たのか?」
ナナバが短く頷く。
「ああ……」
そして。
「それで……穴はどこに?」
ゲルガーが目を見開いた。
「……は?」
一瞬、意味を測りかねたように眉を寄せる。
「?……こっちはかなり西から壁沿いを迂回してきたんだけど、異常は何もなかった」
ナナバの声は静かだった。
「こっちじゃないとすれば、そっちが見つけたはずでは?」
ゲルガーはゆっくり首を振る。
「いいや……。こちらも穴など見ていない」
空気が重く沈んだ。
壁は、ただそこにある。
傷ひとつない。
それでも、巨人だけが現れた。
説明のつかない状況が、疲労の奥で不安だけを膨らませていく。
もう一度探索する余力はなかった。
馬も、人も限界だった。
ふいに、雲が切れた。
月明かりが地平を照らし、遠くに黒い影が浮かび上がる。
「あれは……」
誰かが呟いた。
「城……跡……か?」
崩れた塔が、月光の中に立っていた。
ナナバが短く決断する。
「……あそこで休息する」
異論は出なかった。
隊は静かに馬を進めた。
誰も言葉を発さない。発する余力がなかった。
手綱を握る指は痺れ、太腿は震えている。
馬の呼吸も荒かった。
まぶたが重い。
だが止まれば崩れる気がした。
オリアナは馬上で姿勢を保ちながら、無意識に周囲を数えていた。
仲間の数。
馬の数。
動いているかどうか。
(……全員いる)
それだけを確認し続ける。
疲労は思考を削る。
だが任務だけは離さない。
そして、城が見えた。
崩れた塔は、月明かりの中で静かに沈黙している。
その夜がどこへ続いているのか、まだ誰も知らなかった。
古城の闇が、静かに口を開く。
…To be continued
無防備な戦場
ウォール・ローゼ南区。兵団の建物の一室。
そこに集められていたのは、調査兵団所属の104期だけだった。
戦闘服は禁止され、立体機動装置も支給されない。訓練を命じられるわけでもなく、理由も知らされないまま、ただ私服での待機だけを命じられていた。
窓の外には完全武装した上官たちが立ち、監視棟の上にはミケの姿も見える。
内部にいる新兵だけが丸腰で待機している。
その配置は、あまりにも異様だった。
食堂には落ち着かない空気が満ちている。
椅子を揺らす者。
意味もなく立ち上がる者。
窓の外を見続ける者。
何かが起きている。
だが誰も知らされていない。
オリアナは壁際に立ち、静かに周囲を観察していた。
不自然な配置。
説明の欠如。
武装の差。
視線を巡らせる途中、ふとベルトルトの姿が目に入る。
少し離れた場所で、ライナーと向かい合い、簡素な盤を挟んで座っていた。駒を指そうとしたその瞬間、何気なく上げた彼の視線がこちらへ向く。
一瞬、視線が合いかける。
だが、彼はわずかに目を揺らし、何事もなかったように盤へ視線を落とした。
気のせいではない。
言葉にできない違和感だけが残る。
理由は分からない。
だが、この空気そのものがどこかおかしい。
(……待機というより、隔離)
外には完全武装の上官。
内側には私服の新兵。
境界を引かれたような感覚が、薄い不安となって胸の奥へ沈んでいく。
そのとき。
「——あれ!?足音みたいな地鳴りが聞こえます!!」
サシャの声が響いた。
一瞬、室内が静まり返る。
次の瞬間、外の空気が裂ける音がした。
窓の外から影が飛び込み、窓枠に足をかけて体を支える。ナナバだった。
荒い呼吸を整えながら、室内を素早く見渡す。
「——全員いるか?」
張り詰めた声。
だが、取り乱した様子はない。
「500メートル南方より巨人が多数接近。こっちに向かって歩いてきてる」
空気が凍った。
室内のざわめきを断ち切るように、ナナバが続ける。
「君達に戦闘服を着せているヒマはない」
視線が一人一人を貫く。
「直ちに馬に乗り、付近の民家や集落を走り回って避難させなさい。いいね?」
反応を待たない。
「——さぁ!動いて!!」
その声が落ちた瞬間、静止していた時間が一斉に動き出した。
*
状況説明は短かった。
巨人が接近している。
壁が突破された可能性が高い。
だが、どこが破られたのかは分かっていない。
104期は武装兵と組み、周辺集落の避難誘導を担当する。
昼食は任務終了までなし。
オリアナは西班。
ナナバとヘニングが率い、ユミルとクリスタも同行した。
全員、馬に乗る。
蹄の音が乾いた土を打ち、隊は一斉に駆け出した。
*
最初の村に到着した時点で、すでに空気は混乱していた。
扉を叩き、住民を引き出し、状況を説明して移動させる。同じことを何度も繰り返す。
だが、時間がない。
泣き出す子供。動けない老人。
荷物をまとめようとして、その場から離れない家族。
オリアナは村の中央へ踏み込み、戸口に立ち尽くす住民の肩を軽く押して外へ導いた。
状況を一瞥し、すぐ判断する。
「ユミル、動ける人から外へ出して。荷物は最低限だけ」
「……チッ、わかった」
オリアナは泣き崩れた子供を抱き上げ、母親の腕へ戻しながら続ける。
「クリスタ、歩けない人を優先して」
「はい!」
人の流れが滞る場所へ自分で入り、通路を空けて方向を示す。
逃げる方向、馬の通れる幅、避難の順番。
現場を動かしながら、必要なものをひとつずつ整えていく。
(……混乱は伝染する)
だから、声の高さは一定に保った。
「南から巨人が来ます。壁内へ急いでください」
静かな声の方が、人は動く。
それを知っていた。
住民の流れが整い始め、避難列が壁の方向へ動き出す。
そのとき。
遠くの林が揺れた。
ナナバが振り返る。
「……来る」
巨人が一体、村へ向かっていた。
「避難を急がせろ」
短い命令。
オリアナは巨人の影と、逃げる住民の流れを見比べる。理屈より先に、体が緊張した。
(まだ押し切れる)
「ユミル、東側の家を回収して」
「了解」
「クリスタ、最後尾を見て」
「はい!」
自分は通路の中央に立ち、逃げ遅れた者を前へ押し出す。
背後で金属音がした。
振り向かない。
ナナバとヘニングが前へ出ていた。
立体機動の音が走る。
刃が一閃する。
巨体が倒れた。
戦闘は一瞬で終わった。
オリアナは最後の住民を送り出し、浅く息を吐く。
(……止まるな)
まだ任務は続く。
*
同じころ、南班もまた村々を回っていた。
ベルトルトは馬上から、壊れた家屋を見つめていた。
巨人との遭遇は想定より少なかった。
進むほどに、その静けさがかえって不気味になる。
やがて辿り着いたのは、コニーの故郷だった。
家屋は壊れている。
だが、死体は見当たらない。
逃げた痕跡も、争った形跡もない。
人だけが、最初から消えてしまったようだった。
ただ一つ、異様なものがあった。
壊れた家の中に、動けない巨人が横たわっている。
まるで、そこに置かれたように。
ベルトルトは無言でそれを見ていた。
喉の奥が乾く。
(……この状況は)
隣でライナーが小さく息を呑む。
互いに何も言わない。言葉にした瞬間、何かが確定してしまいそうだった。
空はまだ明るい。
だが胸の奥だけが、静かに沈んでいく。
*
巨人出現から七時間が過ぎたころ、西班はようやく壁の近くまで到達していた。
夕暮れの空は赤く沈み、長く伸びた壁の影が地面を覆っている。
ナナバが進路を示した。
「ここから壁沿いを進む。破壊地点を探す」
隊は壁に沿って馬を走らせる。
続くのは、同じ景色、同じ速度、同じ沈黙だった。
疲労は声もなく体を侵食し、水も尽きかけていた。
*
気づけば、あたりはすっかり暗くなっていた。
雲が月を隠す暗闇の中、隊は壁沿いを進み続ける。視界は狭く、馬の呼吸だけが荒く耳に残った。
そのとき、前方に別の隊列が見えた。
南から進んできた南班だった。
互いに馬を止める。
蹄の音だけが、遅れて土の上に消えた。
先に口を開いたのはゲルガーだった。
「……お前らも壁に沿って来たのか?」
ナナバが短く頷く。
「ああ……」
そして。
「それで……穴はどこに?」
ゲルガーが目を見開いた。
「……は?」
一瞬、意味を測りかねたように眉を寄せる。
「?……こっちはかなり西から壁沿いを迂回してきたんだけど、異常は何もなかった」
ナナバの声は静かだった。
「こっちじゃないとすれば、そっちが見つけたはずでは?」
ゲルガーはゆっくり首を振る。
「いいや……。こちらも穴など見ていない」
空気が重く沈んだ。
壁は、ただそこにある。
傷ひとつない。
それでも、巨人だけが現れた。
説明のつかない状況が、疲労の奥で不安だけを膨らませていく。
もう一度探索する余力はなかった。
馬も、人も限界だった。
ふいに、雲が切れた。
月明かりが地平を照らし、遠くに黒い影が浮かび上がる。
「あれは……」
誰かが呟いた。
「城……跡……か?」
崩れた塔が、月光の中に立っていた。
ナナバが短く決断する。
「……あそこで休息する」
異論は出なかった。
隊は静かに馬を進めた。
誰も言葉を発さない。発する余力がなかった。
手綱を握る指は痺れ、太腿は震えている。
馬の呼吸も荒かった。
まぶたが重い。
だが止まれば崩れる気がした。
オリアナは馬上で姿勢を保ちながら、無意識に周囲を数えていた。
仲間の数。
馬の数。
動いているかどうか。
(……全員いる)
それだけを確認し続ける。
疲労は思考を削る。
だが任務だけは離さない。
そして、城が見えた。
崩れた塔は、月明かりの中で静かに沈黙している。
その夜がどこへ続いているのか、まだ誰も知らなかった。
古城の闇が、静かに口を開く。
…To be continued