【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
第15話
調査兵団に配属されてから、二週間あまり。
索敵陣形の反復訓練と、立体機動の連携確認。
来るべき壁外遠征を前に、兵舎の空気は日ごとに張り詰めていた。
その日も例外ではない。
夜の巡回を終えたベルトルトは、兵舎裏の通路を一人歩いていた。
できるだけ、人の少ない時間を選んだつもりだった。
なのに。
「あれ……ベルトルト?」
足が止まる。
壁際に立っていたオリアナが、こちらを見ていた。
月明かりに照らされた横顔を見た瞬間、呼吸が浅くなった。
(……最悪だ)
避けていた。
ここ数日、意識して距離を取っていた。
視線も、会話も、必要最低限。
それなのに。
「……こんな時間に会うの、久しぶりだね」
どこか、確かめるような声だった。
自分がわずかに距離を取っていたことに、気づいているのかもしれない。
そう思うだけで、喉の奥が詰まる。
オリアナが、少しだけ柔らかく笑う。
その表情が、駄目だった。
「……ああ」
それ以上の言葉が、うまく出てこない。
短い会話のあと、気づけば二人は壁際の低い石段に並んで座っていた。
夜風が、静かに吹き抜ける。
以前なら、この沈黙は苦ではなかった。
隣にいるだけで、どこか落ち着いた。
けれど、今は違う。
倉庫での距離。
腕の中に収まった体温。
思い出しかけて、ベルトルトは意識的に思考を切った。
(……駄目だ)
奥歯を、強く噛みしめる。
隣にいる資格など、最初から自分にはない。
瓦礫。
崩れた壁。
煙の向こうで消えていった、無数の命。
そして、あの日、彼女も。
ほんの少し歯車が違えば、あの瓦礫の下にいたのはオリアナだったかもしれない。
それだけではない。
いつか、自分の手で奪う側に回るかもしれない。
その可能性を、ベルトルトは一度たりとも否定できなかった。
喉の奥が焼ける。
(……僕は)
彼女の隣に、いていい人間じゃない。
静かな沈黙が、少しだけ長くなる。
耐えきれなくなって、ベルトルトはゆっくり立ち上がった。
「……そろそろ、戻る」
その瞬間だった。
制服の裾が、ほんのわずかに引かれる。
呼吸が止まる。
振り返る。
オリアナが、俯いたまま指先で裾を掴んでいた。
無意識なのだろう。
掴む力は、ひどく弱い。
「……オリアナ?」
小さく肩が揺れる。
迷うような間。
それから、消え入りそうな声。
「……もう少しだけ」
指先が、ほんのわずかに強くなる。
「ここに、いて」
胸の奥が、大きく軋んだ。
(……やめろ)
これは、駄目だ。
分かっている。
ここで立ち止まれば、戻れなくなる。
これ以上、彼女に踏み込まれたら、きっと。
それでも。
裾を掴む指先が、あまりにも頼りなくて。
守りたい、と思ってしまった。
その衝動の強さに、ベルトルト自身が一瞬、息を詰める。
それがどれほど愚かな衝動か、誰よりも自分が分かっているのに。
思考が滑る。
もし。
もし、自分が何も背負っていなかったなら。
このまま、ただ彼女の隣に座って。
こんな夜を、何度でも。
「……っ」
強く息を呑む。
馬鹿だ。
そんな未来があるはずない。
ベルトルトは、ゆっくり息を吐いた。
「……少しだけ」
掠れた声でそう言って、再び腰を下ろす。
オリアナの指先が、そっと離れた。
「……ありがとう」
その声は、思っていたよりも少しだけ柔らかかった。
彼女はたぶん、自分で気づいていない。
小さな声だった。
それなのに、胸の奥がまた鈍く痛む。
夜は静かだった。
言葉は多くない。
それでも、隣にいるだけで、どうしようもなく安らいでしまう。
それが何より、危険だった。
こんな感情を、抱いていいはずがないのに。
*
廊下の角を曲がったところで、壁にもたれていた影がゆっくりと身を起こした。
「……遅かったな、ベルトルト」
低い声。
ライナーだった。
ベルトルトの肩が、わずかに強張る。
「別に」
「……そうか」
短い沈黙。
ライナーは一度だけ廊下の奥、オリアナが去っていった方向へ視線をやった。
それだけで、十分だった。
ライナーの視線が、わずかに細くなる。
「——余計なこと、考えるなよ」
静かな声だった。
だが、命令に近い重さがあった。
ベルトルトは、何も答えない。
ただ、喉の奥がわずかに軋んだ。
それから数日後。
第57回壁外調査を翌日に控えた夜。
夜気は、やけに冷えていた。
まるで、何かが始まる前触れのように。
…To be continued
選ばれなかった未来
side - ベルトルト
調査兵団に配属されてから、二週間あまり。
索敵陣形の反復訓練と、立体機動の連携確認。
来るべき壁外遠征を前に、兵舎の空気は日ごとに張り詰めていた。
その日も例外ではない。
夜の巡回を終えたベルトルトは、兵舎裏の通路を一人歩いていた。
できるだけ、人の少ない時間を選んだつもりだった。
なのに。
「あれ……ベルトルト?」
足が止まる。
壁際に立っていたオリアナが、こちらを見ていた。
月明かりに照らされた横顔を見た瞬間、呼吸が浅くなった。
(……最悪だ)
避けていた。
ここ数日、意識して距離を取っていた。
視線も、会話も、必要最低限。
それなのに。
「……こんな時間に会うの、久しぶりだね」
どこか、確かめるような声だった。
自分がわずかに距離を取っていたことに、気づいているのかもしれない。
そう思うだけで、喉の奥が詰まる。
オリアナが、少しだけ柔らかく笑う。
その表情が、駄目だった。
「……ああ」
それ以上の言葉が、うまく出てこない。
短い会話のあと、気づけば二人は壁際の低い石段に並んで座っていた。
夜風が、静かに吹き抜ける。
以前なら、この沈黙は苦ではなかった。
隣にいるだけで、どこか落ち着いた。
けれど、今は違う。
倉庫での距離。
腕の中に収まった体温。
思い出しかけて、ベルトルトは意識的に思考を切った。
(……駄目だ)
奥歯を、強く噛みしめる。
隣にいる資格など、最初から自分にはない。
瓦礫。
崩れた壁。
煙の向こうで消えていった、無数の命。
そして、あの日、彼女も。
ほんの少し歯車が違えば、あの瓦礫の下にいたのはオリアナだったかもしれない。
それだけではない。
いつか、自分の手で奪う側に回るかもしれない。
その可能性を、ベルトルトは一度たりとも否定できなかった。
喉の奥が焼ける。
(……僕は)
彼女の隣に、いていい人間じゃない。
静かな沈黙が、少しだけ長くなる。
耐えきれなくなって、ベルトルトはゆっくり立ち上がった。
「……そろそろ、戻る」
その瞬間だった。
制服の裾が、ほんのわずかに引かれる。
呼吸が止まる。
振り返る。
オリアナが、俯いたまま指先で裾を掴んでいた。
無意識なのだろう。
掴む力は、ひどく弱い。
「……オリアナ?」
小さく肩が揺れる。
迷うような間。
それから、消え入りそうな声。
「……もう少しだけ」
指先が、ほんのわずかに強くなる。
「ここに、いて」
胸の奥が、大きく軋んだ。
(……やめろ)
これは、駄目だ。
分かっている。
ここで立ち止まれば、戻れなくなる。
これ以上、彼女に踏み込まれたら、きっと。
それでも。
裾を掴む指先が、あまりにも頼りなくて。
守りたい、と思ってしまった。
その衝動の強さに、ベルトルト自身が一瞬、息を詰める。
それがどれほど愚かな衝動か、誰よりも自分が分かっているのに。
思考が滑る。
もし。
もし、自分が何も背負っていなかったなら。
このまま、ただ彼女の隣に座って。
こんな夜を、何度でも。
「……っ」
強く息を呑む。
馬鹿だ。
そんな未来があるはずない。
ベルトルトは、ゆっくり息を吐いた。
「……少しだけ」
掠れた声でそう言って、再び腰を下ろす。
オリアナの指先が、そっと離れた。
「……ありがとう」
その声は、思っていたよりも少しだけ柔らかかった。
彼女はたぶん、自分で気づいていない。
小さな声だった。
それなのに、胸の奥がまた鈍く痛む。
夜は静かだった。
言葉は多くない。
それでも、隣にいるだけで、どうしようもなく安らいでしまう。
それが何より、危険だった。
こんな感情を、抱いていいはずがないのに。
*
廊下の角を曲がったところで、壁にもたれていた影がゆっくりと身を起こした。
「……遅かったな、ベルトルト」
低い声。
ライナーだった。
ベルトルトの肩が、わずかに強張る。
「別に」
「……そうか」
短い沈黙。
ライナーは一度だけ廊下の奥、オリアナが去っていった方向へ視線をやった。
それだけで、十分だった。
ライナーの視線が、わずかに細くなる。
「——余計なこと、考えるなよ」
静かな声だった。
だが、命令に近い重さがあった。
ベルトルトは、何も答えない。
ただ、喉の奥がわずかに軋んだ。
それから数日後。
第57回壁外調査を翌日に控えた夜。
夜気は、やけに冷えていた。
まるで、何かが始まる前触れのように。
…To be continued