【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第12話
火葬台の火は絶え間なく揺れ、運び込まれた遺体が次々と炎に呑まれていく。
トロスト区奪還作戦から二日。街の喧騒は嘘のように静まり返り、残ったのは処理しきれない死の気配だけだった。
担架を下ろした瞬間、手のひらに残る重みが嫌に生々しい。
(……軽い)
それが、いちばん堪えた。
生きていたはずの重さが、あまりにもあっけなく消えている。
隣では、コニーが無言で薪をくべていた。
普段は騒がしい彼も、今日はやけに静かだった。
ぱち、と火の粉が弾ける。
その音に、不意に記憶が引き戻された。
あの日も、こんな空気だった。
*
トロスト区奪還作戦が告げられた、あの時。
ざわめきは、最初は小さかった。
「……いやだ」
誰かが、掠れた声で呟く。
「死にたくねぇ……!」
その一言が、波紋のように広がった。
列のあちこちで、動揺が伝播していく。
後ずさる者。
視線を泳がせる者。
中には、隊列から静かに離れていく兵士もいた。
オリアナの喉が、ひどく乾く。
(……また、あの地獄に)
心臓が、嫌な速さで脈打っている。
逃げたい。今すぐここから離れたい衝動が、背中を強く引いた。
それでも、足は動かなかった。
動けなかった、の方が正しい。
兵士が何をすべきか、分かっている。
ここで列を離れる意味も、理解している。
理解しているのに、恐怖だけがどうしても消えない。
指先が、細かく震えていた。
その時だった。
壁上に立つ司令の声が、重く、しかしはっきりと響いた。
「今この場から去る者の罪を免除する!」
場の空気が、凍りつく。
「一度巨人の恐怖に屈した者は、二度と巨人に立ち向かえん!巨人の恐ろしさを知った者は——ここから去るがいい!」
胸が、強く軋む。
逃げてもいい。そう言われた気がして、ほんの一瞬だけ呼吸が緩みかけた。
だが次の言葉が、空気を切り裂いた。
「そして!その巨人の恐ろしさを——自分の親や兄弟、愛する者にも味わわせたい者も!ここから去るが良い!!」
父の顔が浮かんだ。
少し不器用に笑う横顔。
仕事帰りの硬い手で、何でもないように頭を撫でてくれた感触。
それから、無邪気に駆け寄ってくる弟の姿。
「姉さん」と呼ぶ声。
小さな手が、迷いなくこちらへ伸びてくる。
(……だめだ)
ここで背を向けたら、あの恐怖があの人たちに向かう。
怖い。
今すぐ逃げたい。
それでも。
(戦わなくちゃ、守れない)
震える指を、ゆっくりと握り込んだ。
爪が、掌に食い込む。
それでも震えは、止まらなかった。
*
「……おい、オリアナ」
現実に引き戻された。
振り向くと、コニーが火葬台を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「あんなに頑張ったのに……全部、無駄だったのか……?」
火が、大きく揺れる。
鈍い痛みが、体の奥に沈んだ。
(……無駄じゃない)
そう思いたいのに、言葉が喉で止まる。
誰も、すぐには口を開かなかった。
重い沈黙の中、乾いた足音が近づいてくる。
ジャンだった。
彼はしばらく炎を見つめ、やがて低く口を開いた。
「おい……お前ら……」
わずかに、声が震えている。
「所属兵科は何にするか……決めたか?」
空気が、張り詰めた。
ジャンは拳を握りしめ、歯を食いしばるように続ける。
「……俺は決めたぞ」
喉が鳴る音が、やけに大きく聞こえた。
そして、震える声で——
「俺は……、調査兵団になる」
その言葉が、静かに落ちた。
オリアナの心臓が、大きく跳ねる。
(正気じゃない……)
頭では、はっきりそう思う。
壁の外へ出る兵団。
一番、死に近い場所。
まともな選択じゃない。
視線の端に、無言で炎を見つめるベルトルトの姿があった。
静かな横顔。
けれどその指先は、わずかに強く握られている。
胸の内が、小さく揺れた。
(私は……)
戦うと、決めたはずだ。
家族を守るために。
兵士として。
なのに。
(まだ、怖い……)
恐怖は、消えていない。
足の奥に、あの初陣の震えがまだ残っている。
それでも。
ふと、マルコの顔が浮かんだ。
訓練のあと、何でもないことで笑っていた顔。
誰よりも真面目で、誰よりも人のことを見ていた。
あの人はもういない。
胸の奥が静かに軋む。
でも、オリアナはその痛みを押し込めた。
あの人の死を、ただの喪失で終わらせたくはない。
もう、守られる側ではいられない。
視線が、自然と前へ向いた。
ジャンの震える背中から、目が離せなかった。
逃げていない背中だった。
オリアナは、ゆっくりと息を吐く。
肺の奥が、わずかに震える。
指先の震えは、まだ消えない。
それでも。
「……私も」
かすれた声が、零れた。
完全な覚悟じゃない。
恐怖も、震えも、まだ消えていない。
それでも、逃げないための一歩だった。
炎の向こうで、灰が静かに舞い上がる。
オリアナはそれを見つめたまま、もう一度、震える指を握り込んだ。
…To be continued
決意の残り火
煙の匂いが、喉に張りついていた。火葬台の火は絶え間なく揺れ、運び込まれた遺体が次々と炎に呑まれていく。
トロスト区奪還作戦から二日。街の喧騒は嘘のように静まり返り、残ったのは処理しきれない死の気配だけだった。
担架を下ろした瞬間、手のひらに残る重みが嫌に生々しい。
(……軽い)
それが、いちばん堪えた。
生きていたはずの重さが、あまりにもあっけなく消えている。
隣では、コニーが無言で薪をくべていた。
普段は騒がしい彼も、今日はやけに静かだった。
ぱち、と火の粉が弾ける。
その音に、不意に記憶が引き戻された。
あの日も、こんな空気だった。
*
トロスト区奪還作戦が告げられた、あの時。
ざわめきは、最初は小さかった。
「……いやだ」
誰かが、掠れた声で呟く。
「死にたくねぇ……!」
その一言が、波紋のように広がった。
列のあちこちで、動揺が伝播していく。
後ずさる者。
視線を泳がせる者。
中には、隊列から静かに離れていく兵士もいた。
オリアナの喉が、ひどく乾く。
(……また、あの地獄に)
心臓が、嫌な速さで脈打っている。
逃げたい。今すぐここから離れたい衝動が、背中を強く引いた。
それでも、足は動かなかった。
動けなかった、の方が正しい。
兵士が何をすべきか、分かっている。
ここで列を離れる意味も、理解している。
理解しているのに、恐怖だけがどうしても消えない。
指先が、細かく震えていた。
その時だった。
壁上に立つ司令の声が、重く、しかしはっきりと響いた。
「今この場から去る者の罪を免除する!」
場の空気が、凍りつく。
「一度巨人の恐怖に屈した者は、二度と巨人に立ち向かえん!巨人の恐ろしさを知った者は——ここから去るがいい!」
胸が、強く軋む。
逃げてもいい。そう言われた気がして、ほんの一瞬だけ呼吸が緩みかけた。
だが次の言葉が、空気を切り裂いた。
「そして!その巨人の恐ろしさを——自分の親や兄弟、愛する者にも味わわせたい者も!ここから去るが良い!!」
父の顔が浮かんだ。
少し不器用に笑う横顔。
仕事帰りの硬い手で、何でもないように頭を撫でてくれた感触。
それから、無邪気に駆け寄ってくる弟の姿。
「姉さん」と呼ぶ声。
小さな手が、迷いなくこちらへ伸びてくる。
(……だめだ)
ここで背を向けたら、あの恐怖があの人たちに向かう。
怖い。
今すぐ逃げたい。
それでも。
(戦わなくちゃ、守れない)
震える指を、ゆっくりと握り込んだ。
爪が、掌に食い込む。
それでも震えは、止まらなかった。
*
「……おい、オリアナ」
現実に引き戻された。
振り向くと、コニーが火葬台を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「あんなに頑張ったのに……全部、無駄だったのか……?」
火が、大きく揺れる。
鈍い痛みが、体の奥に沈んだ。
(……無駄じゃない)
そう思いたいのに、言葉が喉で止まる。
誰も、すぐには口を開かなかった。
重い沈黙の中、乾いた足音が近づいてくる。
ジャンだった。
彼はしばらく炎を見つめ、やがて低く口を開いた。
「おい……お前ら……」
わずかに、声が震えている。
「所属兵科は何にするか……決めたか?」
空気が、張り詰めた。
ジャンは拳を握りしめ、歯を食いしばるように続ける。
「……俺は決めたぞ」
喉が鳴る音が、やけに大きく聞こえた。
そして、震える声で——
「俺は……、調査兵団になる」
その言葉が、静かに落ちた。
オリアナの心臓が、大きく跳ねる。
(正気じゃない……)
頭では、はっきりそう思う。
壁の外へ出る兵団。
一番、死に近い場所。
まともな選択じゃない。
視線の端に、無言で炎を見つめるベルトルトの姿があった。
静かな横顔。
けれどその指先は、わずかに強く握られている。
胸の内が、小さく揺れた。
(私は……)
戦うと、決めたはずだ。
家族を守るために。
兵士として。
なのに。
(まだ、怖い……)
恐怖は、消えていない。
足の奥に、あの初陣の震えがまだ残っている。
それでも。
ふと、マルコの顔が浮かんだ。
訓練のあと、何でもないことで笑っていた顔。
誰よりも真面目で、誰よりも人のことを見ていた。
あの人はもういない。
胸の奥が静かに軋む。
でも、オリアナはその痛みを押し込めた。
あの人の死を、ただの喪失で終わらせたくはない。
もう、守られる側ではいられない。
視線が、自然と前へ向いた。
ジャンの震える背中から、目が離せなかった。
逃げていない背中だった。
オリアナは、ゆっくりと息を吐く。
肺の奥が、わずかに震える。
指先の震えは、まだ消えない。
それでも。
「……私も」
かすれた声が、零れた。
完全な覚悟じゃない。
恐怖も、震えも、まだ消えていない。
それでも、逃げないための一歩だった。
炎の向こうで、灰が静かに舞い上がる。
オリアナはそれを見つめたまま、もう一度、震える指を握り込んだ。
…To be continued