【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
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第二章 | 分かたれた道
第11話
灰色の初陣
その日は、突然訪れた。訓練兵団の解散式を終えた翌日。
それぞれが、それぞれの道へ向かって歩み出したばかりの日だった。
誰が想像していただろう。
「いつか」がこんなにも早く、日常を壊しにくるなんて。
トロスト区の扉が破られてから、どれほど時間が経ったのか分からない。
空はまだ昼の色を残しているのに、街は灰色だった。
崩れた建物から立ちのぼる粉塵が光を鈍らせ、吸い込む息には石の匂いが混じっている。
遠くで誰かが泣いていた。
瓦礫を踏む音が、やけに乾いて響く。
兵士たちが慌ただしく駆け回る中、駐屯兵団指揮官の怒号が飛んできた。
「お前たち訓練兵も卒業演習を合格した立派な兵士だ!今回の作戦でも活躍を期待する!」
活躍。
その言葉が、場違いに胸へ刺さった。
オリアナは無言で装置を締め直す。
金具の冷たさが、汗ばんだ指先に張りついた。
緊張で、喉の奥が痛いほど締めつけられる。
(……落ち着け、訓練通りにやれば大丈夫……)
一度大きく息を吐き、班の仲間たちと共に走り出した。
*
編成された班とともに配置につくと、すでに中衛の位置まで巨人が迫っていた。
大きい。
想像より、ずっと。
手が震える。
止めようとして、余計に震えが強くなる。
怖い。
それでも、ガスを噴射した。
アンカーを打ち込み、屋根から屋根に飛び移る。
視界を広く取る。
「目標、目の前!かかれ!」
仲間の一人が叫んだ。
その刹那、危険の兆しが皮膚の上をざわつくように伝わってくる。
視界の端に影を捉えた一瞬で、巨人の腕を紙一重でかわした。
訓練で叩き込まれた軌道が、身体の奥から浮かび上がる。恐怖と同時に、妙に冷静な自分がいた。
だが、安堵する暇はなかった。
目の前で、仲間が掴まれる。
「やめ──」
声は最後まで形にならない。
巨人の口が開き、血が飛ぶ。
噛み砕く音だけが、やけに鮮明だった。
オリアナは絶句した。
喉の奥が凍りつく。
息ができない。
足が、止まる。
動け。
分かっているのに、身体が言うことをきかない。
気づいた時には、巨大な手が目の前まで迫っていた。
避けきれない。
死ぬ──
そう思った瞬間、巨人の体勢が崩れた。
足元が裂け、巨体が膝をつく。
「下がれ!」
迷いのない声だった。
刃が巨人の足を断ち、オリアナの退路を開く。
「ベルトルト……!?」
交差する軌道の向こうに、ライナーとマルコの姿も見えた。
次の瞬間、巨人が呻きながら立ち上がろうとする。斬撃が浅い。
「来るぞ!左から回り込め!」
オリアナは反射的に屋根を蹴った。
巨人の視線を引きつけるように軌道を描き、腕が振り下ろされる直前で離脱する。
背後から、風を裂く音。
直後、うなじが深く裂けた。
蒸気が噴き出し、巨人が崩れ落ちる。
鼓動が、遅れて戻ってきた。
生きている。
だが周囲には、まだ無数の影が迫っていた。
「一旦下がるぞ!」
ライナーが声を張り上げる。その場にいた全員が、弾かれたように後方へ跳んだ。
*
カンカンカンカン──
撤退命令の鐘の音が響く中、新兵たちは立ち尽くしていた。
ガス残量は僅かなのに、補給班が来ない。
このままでは、壁を登れない。
屋根の上に集まった新兵たちの間に、重たい沈黙が落ちる。
遠くで巨人の足音が響くたび、屋根瓦がかすかに震えた。
このまま、終わる。
その予感が、じわじわと胸を満たしていく。
オリアナは無理やり息を整えた。
喉が焼けるように乾いている。
震えるな。平静を装え。
隣にいるベルトルトも無言だった。
横顔は静かだが、握る指が白い。
その時、後衛から合流したミカサが沈黙を破った。
本部に群がる巨人を一人で蹴散らす。
そう言い切った声に、誰もすぐには反応できなかった。
だがミカサは振り返らない。
そのまま、屋根を蹴って走り出す。
遅れて、ジャンが叫んだ。
「おい!俺たちは仲間に一人で戦わせろと学んだか!?お前ら!本当に腰抜けになっちまうぞ!」
一拍遅れて、皆が声を上げる。
恐怖を押し返すような叫びだった。
オリアナは顔を上げ、隣を見る。
ベルトルトと目が合った。
お互いに小さく頷き合い、走り出す。
皆も一斉に屋根を蹴り、本部へ向かった。
震えを隠すように、前だけを見据える。
立体機動に移り、滑るように身を翻す。
ベルトルトの背を追いながら、前へ前へと進んだ。
*
無事にガスを補給し、壁を登った。
ウォール・ローゼ内の街路に、新兵たちは散らばるように腰を下ろしていた。
(生きて、ここまで戻ってこれた……)
安堵と恐怖が押し寄せる。
仲間が次々に巨人に食われる光景が甦り、呼吸が浅くなった。
「……大丈夫か」
ベルトルトの掠れた声に、少しだけ現実へ引き戻される。
「……うん」
顔を上げると、気遣うような表情をした彼と目が合った。
不思議と、胸の奥のざわめきが静まる。
だがまだ、作戦は終わっていない。
新兵たちは暗い顔で座り込み、次の指令が来るまで待機している。
石畳に落ちた影が、ゆっくりと伸びていく。
遠くで響く巨人の足音が、ここがまだ戦場であることを告げていた。
腰の装置が重い。
刃に残る感触が、手のひらから離れない。
一緒に戦った仲間の姿が、もうない。
喉の奥が、静かに詰まる。
(……助けられなかった)
それでも、自分は生きている。
逃げなかった。
震えながらも屋根を蹴り、必死に刃を振るった。
それが、今日の事実だった。
「昨日まで、訓練兵だったのに……」
零れた声は、風にさらわれた。
ベルトルトは何も言わない。
ただ前を向いたまま、立っている。
その背中が、妙に遠い。
鐘の音が低く響く。
終わったわけではない。
けれど、戻れない。
守れなかった命の重さだけが、兵士という言葉を現実にした。
オリアナはゆっくりと立ち上がる。
足はまだ重い。
それでも、前を向いた。
その日、兵士という言葉は、初めて現実の重さを持った。
…To be continued