【長編】境界を越えて、 君に会いにいく。
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
第9話
昼下がりの中庭。
訓練を終えた訓練兵たちが、穏やかな空気の中で談笑していた。
ベルトルトは少し離れた場所から、オリアナの姿を見ていた。
ジャンやサシャたちと話している。
声は聞こえない。
けれど、空気が柔らかいことは分かった。
(……楽しそうだな)
そう思ってから、すぐに目を逸らそうとする。
誰と話していたって、構わない。
そう考えたはずなのに、視線はまた彼女へ戻っていた。
ジャンが何かを言い、オリアナが笑う。
口元を手で押さえ、肩を小さく震わせている。
なんてことのない、些細な仕草だった。
普段の凜とした表情とは違う、少し無防備な姿。
胸の奥が、ほんのわずかにざわついた。
大きな感情ではない。
名前をつけるには、あまりにも曖昧なもの。
それでも、何も感じなかったことにはできなかった。
「……気になるのか?」
隣から聞こえたライナーの声に、肩がわずかに強張った。
振り向くと、ライナーがこちらを見ている。
軽い笑みを浮かべていた。
「え……?」
「オリアナだよ」
その名前を出された瞬間、頭の中が一瞬止まった。
「なっ……別に、そんなんじゃ……」
思わず否定する。けれど、その声は自分でも分かるほどぎこちなかった。
ライナーは少し楽しげに目を細める。
「お前は、アニの方を見てると思ってたがな」
「ち、違うよ!そんなんじゃないって!」
否定の言葉が、少し強くなった。
アニ。
確かに、意識の片隅にはいる。
同じ場所から来た、同じものを背負っている相手だ。目で追ってしまうことも、なかったとは言えない。
彼女を見ると、自分たちが何者なのかを思い出す。帰るべき場所も、果たすべきことも。
放っておけない相手ではある。
でも、オリアナを見ている時の感覚とは違う。
今残っているものは、もっと静かで、もっと柔らかいものだった。
ライナーの一言が、見ないようにしていたものの輪郭をなぞっていく。
「まあ、オリアナも時々、お前を見てるぞ」
心臓が、はっきりと跳ねた。
「……え?」
小さく声が漏れる。
視線を向けると、ライナーは楽しげな顔をしていた。
からかわれているのは分かっている。
それでも、言葉だけが頭の中に残った。
——オリアナも、時々、僕を見ている。
本当に、そうなのだろうか。
視線の先にいる彼女が、また笑う。
その笑顔が、さっきより遠く見えた。
それなのに、胸の奥だけがじんわりと熱を持つ。
もし、本当にそうなら。
そう考えた瞬間、自分が何を期待したのかに気づいた。
ベルトルトは短く息を吐き、視線を落とした。
言葉にしてはいけない。
そう思うのに、視線はまた無意識にオリアナを追っていた。
(見てるって、どういう意味だ……)
その問いだけが、頭の片隅でずっと響いていた。
*
少しして、オリアナと偶然すれ違った。
「ベルトルト、これ、落としたよ」
差し出されたのは、手袋だった。
いつの間にか落としていたらしい。
「あ……ありがとう」
受け取るために手を伸ばす。
手袋が渡される、その一瞬。
指先が、ほんの少し触れた。
雪山で手のひらに残った温度が、不意に蘇る。
頭の中で、ライナーの言葉が反響した。
“オリアナも時々、お前を見てるぞ”
「……どうかした?」
オリアナが首を傾ける。
「いや……何でもない」
そう答えるのが精一杯だった。
目が合う。
ほんの短い時間なのに、胸の奥が苦しくなる。
言葉は続かなかった。
彼女は少しだけ不思議そうにしてから、軽く頷いて歩いていく。
その背中を、ベルトルトはしばらく見送っていた。
*
その夜、ベッドの中で天井を見つめる。
昼間の出来事が、順番に頭に浮かんだ。
中庭で見た笑顔。
ライナーの声。
落とした手袋。
指先に残った温度。
それから、雪山で伸ばした手。
並んで歩いた距離。
小さな「ありがとう」の声。
ひとつずつ思い出すたび、もう誤魔化せない気がした。
——僕は、オリアナに惹かれている。
その言葉は、思っていたよりも静かに胸の中へ落ちた。
驚きよりも先に、怖さが来る。
自分は、この島の人間じゃない。
いつか、この世界を壊す側になる。
喜びも、安堵も、期待も。
本当なら、持ってはいけないものだ。
それでも、今日ライナーに言われた時、心臓が跳ねた。
オリアナも自分を見ているかもしれない。
そう思った一瞬を、なかったことにはできなかった。
息を吐く。
天井は暗く、何も答えない。
感情と使命が、同じ場所にある。
どちらも無視できない。
それでも、目を離せなかった。
見てしまう。
声を聞いてしまう。
少しの温度を、いつまでも覚えてしまう。
内側に芽生えたものは、凍てつく湖の底のように静かで、確かに存在していた。
小さく息を吸う。
(惹かれている……)
でも、それを抱き続けていいのかは、まだ分からなかった。
…To be continued
揺れる理性
side - ベルトルト
昼下がりの中庭。
訓練を終えた訓練兵たちが、穏やかな空気の中で談笑していた。
ベルトルトは少し離れた場所から、オリアナの姿を見ていた。
ジャンやサシャたちと話している。
声は聞こえない。
けれど、空気が柔らかいことは分かった。
(……楽しそうだな)
そう思ってから、すぐに目を逸らそうとする。
誰と話していたって、構わない。
そう考えたはずなのに、視線はまた彼女へ戻っていた。
ジャンが何かを言い、オリアナが笑う。
口元を手で押さえ、肩を小さく震わせている。
なんてことのない、些細な仕草だった。
普段の凜とした表情とは違う、少し無防備な姿。
胸の奥が、ほんのわずかにざわついた。
大きな感情ではない。
名前をつけるには、あまりにも曖昧なもの。
それでも、何も感じなかったことにはできなかった。
「……気になるのか?」
隣から聞こえたライナーの声に、肩がわずかに強張った。
振り向くと、ライナーがこちらを見ている。
軽い笑みを浮かべていた。
「え……?」
「オリアナだよ」
その名前を出された瞬間、頭の中が一瞬止まった。
「なっ……別に、そんなんじゃ……」
思わず否定する。けれど、その声は自分でも分かるほどぎこちなかった。
ライナーは少し楽しげに目を細める。
「お前は、アニの方を見てると思ってたがな」
「ち、違うよ!そんなんじゃないって!」
否定の言葉が、少し強くなった。
アニ。
確かに、意識の片隅にはいる。
同じ場所から来た、同じものを背負っている相手だ。目で追ってしまうことも、なかったとは言えない。
彼女を見ると、自分たちが何者なのかを思い出す。帰るべき場所も、果たすべきことも。
放っておけない相手ではある。
でも、オリアナを見ている時の感覚とは違う。
今残っているものは、もっと静かで、もっと柔らかいものだった。
ライナーの一言が、見ないようにしていたものの輪郭をなぞっていく。
「まあ、オリアナも時々、お前を見てるぞ」
心臓が、はっきりと跳ねた。
「……え?」
小さく声が漏れる。
視線を向けると、ライナーは楽しげな顔をしていた。
からかわれているのは分かっている。
それでも、言葉だけが頭の中に残った。
——オリアナも、時々、僕を見ている。
本当に、そうなのだろうか。
視線の先にいる彼女が、また笑う。
その笑顔が、さっきより遠く見えた。
それなのに、胸の奥だけがじんわりと熱を持つ。
もし、本当にそうなら。
そう考えた瞬間、自分が何を期待したのかに気づいた。
ベルトルトは短く息を吐き、視線を落とした。
言葉にしてはいけない。
そう思うのに、視線はまた無意識にオリアナを追っていた。
(見てるって、どういう意味だ……)
その問いだけが、頭の片隅でずっと響いていた。
*
少しして、オリアナと偶然すれ違った。
「ベルトルト、これ、落としたよ」
差し出されたのは、手袋だった。
いつの間にか落としていたらしい。
「あ……ありがとう」
受け取るために手を伸ばす。
手袋が渡される、その一瞬。
指先が、ほんの少し触れた。
雪山で手のひらに残った温度が、不意に蘇る。
頭の中で、ライナーの言葉が反響した。
“オリアナも時々、お前を見てるぞ”
「……どうかした?」
オリアナが首を傾ける。
「いや……何でもない」
そう答えるのが精一杯だった。
目が合う。
ほんの短い時間なのに、胸の奥が苦しくなる。
言葉は続かなかった。
彼女は少しだけ不思議そうにしてから、軽く頷いて歩いていく。
その背中を、ベルトルトはしばらく見送っていた。
*
その夜、ベッドの中で天井を見つめる。
昼間の出来事が、順番に頭に浮かんだ。
中庭で見た笑顔。
ライナーの声。
落とした手袋。
指先に残った温度。
それから、雪山で伸ばした手。
並んで歩いた距離。
小さな「ありがとう」の声。
ひとつずつ思い出すたび、もう誤魔化せない気がした。
——僕は、オリアナに惹かれている。
その言葉は、思っていたよりも静かに胸の中へ落ちた。
驚きよりも先に、怖さが来る。
自分は、この島の人間じゃない。
いつか、この世界を壊す側になる。
喜びも、安堵も、期待も。
本当なら、持ってはいけないものだ。
それでも、今日ライナーに言われた時、心臓が跳ねた。
オリアナも自分を見ているかもしれない。
そう思った一瞬を、なかったことにはできなかった。
息を吐く。
天井は暗く、何も答えない。
感情と使命が、同じ場所にある。
どちらも無視できない。
それでも、目を離せなかった。
見てしまう。
声を聞いてしまう。
少しの温度を、いつまでも覚えてしまう。
内側に芽生えたものは、凍てつく湖の底のように静かで、確かに存在していた。
小さく息を吸う。
(惹かれている……)
でも、それを抱き続けていいのかは、まだ分からなかった。
…To be continued