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翌日、日は傾き病室に橙色の光が差していた。
もう夕方になる。
こちらが暇な分、今は昼時か、そろそろ下校時刻か、と彼女が来るのが待ち遠しい。
待つのは嫌いだ。
こちらに来る途中事故にあっていないだろうか。
自分がいない間、他の男に言い寄られ気持ちが傾いてしまわないか。
あらゆる心配に襲われた。
キリキリと痛む胸をごまかすようにため息を吐いた時、ノックの音が鳴った。
名前かもしれない。
期待を込めて返事をすると、部屋に入ってきたのは看護師だった。
手際良く点滴の準備をしながら彼女は笑顔を向けてくる。
「もう夕方ですもんね。彼女さん、待ってるんでしょ?」
「…………わかるか」
「だって部屋に入ってきたのが私だとわかってあからさまにがっかりしましたもんね。失礼しちゃう」
表情に出したつもりはなかったのだが、わかってしまったらしい。
昨日会ったばかりの看護師に表情の変化がばれるとは。
舌打ちをした。
窓を見やる。
マンションのある方角はこちらだろうか。
早く、名前のところに帰りたい。
看護師が部屋を出てしばらくした後、ノックの音が聞こえた。
「一方通行?」
ドアから顔を出した愛しい少女の姿に心が打ち震える。
「名前、来い……来てくれ」
手招きをする。当たり前のように彼女は寄ってきた。
その姿にほっとしつつ名前の腰に腕をまわす。
彼女は黙って俺の頭を撫でた。
「お待たせ」
その言葉を噛み締めるように何度も頷く。
そォだ。待ってた。
朝起きてから一日中、名前のことばかり考えていた。
自分はこの少女が心底好きで、彼女に捨てられては生きていけないのだと悟り、目頭が熱くなる。
「今あなたが飲んでる缶コーヒー、持ってきたんだ。
胃によくなさそうだから飲む前に看護師さんに聞いてみてね」
「買ってきたのか」
「え……うん、来る途中に自販機があったから……ね?」
言葉尻に怒気を感じたのか、名前は狼狽えた。
「まっすぐ来いって言ったろ」
「……だめだった?」
どうしても責めるような口調になってしまう。
自分がどんな思いをして待っていたかこの少女はわかっていないのだろう。
そう思うと少し恨めしい気持ちになる。
名前の困り顔は、嫌いじゃないのだが。
「駄目だった」
「明日も、まっすぐ?」
「まっすぐ、だ。ここ売店あるし、差し入れも何も気にしなくてイイ」
「読みたい本とか雑誌とかない?」
「まだイイから。頼む」
「まだ……?」
「入院生活に慣れるまでは、イイから」
娯楽よりも名前に、まっすぐここに来て安心させて欲しかった。
「そういうなら、わかったよ」
名前は少し残念そうに言う。
「何か買ってきて喜んで貰いたかったんだけどな」
「……」
俺にはオマエが一番なンだよ。
そうは言えず、名前を強く引き寄せた。
彼女の温もりが安心する。
「私いなくて、毎日眠れてる?」
「ン……睡眠薬貰えるし、まァ……。なンとかなるモンだな」
「睡眠薬…」
名前の顔が曇った。
頭を撃たれて心配をかけたばかりなのだ。
これ以上余計な心配をかけたくない。
手を伸ばして名前の頭を撫でてやる。
「1日の殆んどが横になってンだ。患者の寝つきが悪くなることくらいよくある」
あァ、でも。
アレがあるならば寝つきがよくなるかもしれない。
言いたくはないが、この少女に弱味を見せることなど今更、か。
「……頼みがあんだ。あの……ぬい、ぐる、み……を、貸してくれ」
「えっ、あの……ウサギの?」
「あァ。オマエ部屋じゃ毎晩アレを抱いて寝るだろ。…………少しでも、名前を感じてたい……」
「さびしい?」
「当たり前だろ!……俺がオマエ無しじゃいられねェことくらいわかってンだろ。頼むからもォ言わせるな」
いい加減言わなくてもわかれ、と声を荒げる。
誰にも見せなかった弱みを名前には見せてもいいと思った。
だがそれは必要最低限でありたい。
あまり余計に言わせないで欲しい。
名前のいない方を向いて横になると、慌てたような声が後ろから聞こえた。
「ご、ごめんね。私、意地悪言った。寂しいのは私もなんだけど、弱気になってるあなたがかわいく思えちゃって」
「……かわいくねェし」
少しは強気になって突き放しても追いかけてくれる。
もうこちらが追いかけ縋らなくてもいいのだと思っていいのだろうか。
機嫌を直した印に寝返りを打ち、名前の方を向いてやることにする。
「……で、持ってきてくれンのかよ」
「あぁ、うん。明日持ってくるね」
名前は毎日見舞いに来てくれた。
その日は休日で、彼女は差し入れにりんごを切って来たのだと言う。
つまようじに刺したりんごが口元に運ばれる。
素直にそのりんごをシャクシャクと咀嚼しながら、彼女の指に巻かれた絆創膏に気づく。
「それ、包丁で切ったのか」
「え、あぁ……普段ピーラーばっかり使ってたからかな、うっかり」
彼女の優しさに、心が溶けていきそうだ。
俺はりんごを飲み込むと、怪我をした彼女の左手を取った。
不思議そうな顔をする名前を余所に、絆創膏越しに口付ける。
「……?」
名前は頬を赤らめ、戸惑う素振りをしている。
毎日見舞いに来てくれて嬉しい。
慣れないことをして差し入れを持ってきてくれる優しさが愛おしい。
尽くされている、と感じる。
夜になると名前が持ってきてくれたぬいぐるみをクロゼットから取り出すのが日課となっている。
はやく帰りたい。
温かい、名前を抱きしめて眠りたい。
そしたら心の底から安心できる。
「……」
ぬいぐるみを抱きしめ、名前の匂いを探すように息を吸う。
今会えなくとも、声を聞いてもいいだろうか。
サイドテーブルから携帯を取り出し、電話を掛ける。
さっき消灯時間になったばかりだ。
名前も起きているだろう。
数回コール音が鳴った後にいとしい声が聞こえる。
「もしもし」
「名前……」
「病室から掛けて大丈夫なの?」
「個室だからイイらしい…なァ、寝付くまで相手してくれ」
「うん、いいよ」
「……怖い。あのガキを助けたことを後悔しちゃいねェが、オマエに捨てられたらと思うと怖くて仕方ない」
「え、え?なんで捨てるって話に」
「代理演算ねェと俺はもォ廃人同然だろ」
「捨てるわけないよ!あぁ、電話じゃなかったら……」
「なかったら?」
「………………ぎゅってしたい」
「名前……」
すん、と鼻をすする。
だめだ、視界が滲んでいる。
手の甲で涙を拭う。
泣きそうなのが声でバレるかもしれない。
彼女の言うとおりに抱きしめられたい。温もりが欲しい。
柔らかな身体に身をゆだねていたい。
この少女のそばにいたくて、愛されたくて仕方ない。
「名前、すきだ」
好かれている実感欲しさに、照れくさいのを我慢する。
「……、ありがとう」
「……」
欲しい言葉はそれじゃない。
俺はすきと言ったんだ、オマエはどォなンだ。
そんな気持ちを込めて問う声は低くなった。
「……名前は」
「すき。だいすきだよ」
「ずっと一緒か?」
「うん、ずーっと一緒だよ」
このようなやり取りは何度も繰り返した。
何度だって彼女からの愛情と、変わらぬ暮らしを確かめたくなる。
その度に名前はうっとおしくないだろうか、と様子を伺うが、彼女は毎度嫌がる素振りも見せずに付き合ってくれる。
名前は己の一番の理解者なのだと、思う。
「そォ……だな。……なァ、家帰ったら…甘やかしてくれよ」
「んー?今も甘やかしてない?」
「もっとだ。さっき言ってくれただろ、ぎゅって……」
自分の体温の移ったぬいぐるみを抱く腕に力がこもる。
ぎゅってして、ぬくもりを確かめさせてほしい。
「……うん、そうだね、私から言ったんだもんね」
「そォじゃなくてもご褒美くれたってイインじゃねェの。打ち止めは元気にしてンだろ?」
「あ、そっか、そうだ。じゃあ退院したら願いごと沢山言ってね」
「あァ……楽しみにしてる」
あれから無事退院の日を迎え、名前との暮らしに戻った。
能力には制限がついた。
歩行するにもバランスを保つために杖が必要になった。
それでも名前は当たり前のように側にいる。
側にいて気にかけてくれる。
能力があることで暑い日も寒い日も快適に過ごしていたのだが、それがなくなった。
代わりに今までより名前が近いと思えるようになった。
その点に関しては、障害を負うことも全く悪いものでもない気がする。
能力に制限が付くことで無能力者の生活に近づいたからだろうか。
だから
「名前、寒ィ」
寒さを口実に名前に寄りかかれるようにもなった。
「んー?私も冷たいかもよ」
「……じゃあ俺が温めてやることになるな」
体温を分け合うことの幸福を思い知る。
彼女の指先に触れると確かに冷たい。
その指を絡め取り、息を吹きかけてやる。
「どォだ、あったけェか?」
「……うん、でもはずかしいな」
じっと黒い瞳を見つめると、目を逸らされた。
照れて少し顔を赤くした名前は可愛い。
「なんだか、退院してからのあなたが今までより近い気がする」
「反射が最低限になった分、体感温度が近くなったンだろォな」
「そのせい?甘えんぼさんになった気がする」
「気のせいだろ」
視線を逸らして声には出さずに唇を動かす。
ばれてたか。
「オマエは、甘えたは嫌いかよ……」
「ううん、あなたとくっつくの好きだから」
「それならどォでもイイだろ」
名前の肩口に顔を埋め、目を閉じた。
end
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