Ruf
「
客人そっちのけで兄の方を見るフリードリヒを察し、公爵は優しく言った。
フリードリヒは慌ててユーマイル公に向き直る。立場はフリードリヒが上だが、もし相手の機嫌を損ねるようなことがあれば、リウォインとの関係は悪化する。
たとえ王がそれを望んでも、フリードリヒは戦争には反対だった。
「いえ……あの、ヘルガ様はご健在であらせられますか?」
「ええ、そろそろ次代を生す頃合いと、王宮は忙しくなります」
リウォイン側は、少なくとも継承者が生まれるまで、なんとしてでも、アルヴァとの衝突を避けたいところだろう。
しかしアルヴァは、この時点でリウォインを完膚なきまでに滅ぼしたいに決まっている。
「我らが女王陛下は、御身に深く感謝してらっしゃいます。なればこそ、リウォインはアルヴァとより強い和平を結ぶべきと考えておりますれば……」
「その発言を盲信するほど、私は
「陛下」
会議を終えたエンディミオが、書類片手にフリードリヒの隣に座った。
どこか殺気立つ暴虐王にさえ、ユーマイル公爵は微笑を絶やさない。
「これは、国王陛下。いやはや、手厳しい」
「ユーマイル公、貴様は確かに信用に値する。しかしそれ以上に、我々は魔女を忌み嫌う」
なるほど、と老公は頷き、第三の道を示した。
「我らリウォインと手を取り、教会に反目するという気は、ございませんか?」
「貴様――」
「へ、いか」
フリードリヒは王の腕に触れ、縋るように見つめた。それだけはしてはならない、と。
教会とアルヴァの政治経済的結び付きは、互いに離れることのできないものとなっている。
エンディミオは白い手を払い、黙するよう言い付けた。
「非現実的であるな。宗主はあらゆる鉱山を買い取り、恐らくは武器の製造をしている。
教会騎士団の規模は、実のところ計り知れん。
リウォインはまたも、アルヴァを捨て駒にすると見た」
黒獅子王は、リウォインの誘いを完全に跳ね退けた。
フリードリヒはひどく安堵した。御子が幼い今、やたらと争うべきではないのだ。
胆を冷やした会談は終わった。が、ユーマイル公はしばらく滞在する。
アルヴァの情勢を直接見聞きし、女王に伝えることもまた、公爵の仕事である。
「んなわけだから必死こいて媚びへつらってこいってさー、うけるー」
「に、兄様ー……公爵さまのお耳に入ったらまずいんじゃ……」
王妃の部屋で、主に向かってへらへらと笑う男を、侍女らは不満げに見ていた。
主人の実兄であるからには、歓待せねばならないが、ローレンツはあまりに礼儀がなっていない。
それでもフリードリヒは、嬉しそうに会話をしている。
そのために、侍女たちはローレンツの扱いに困った。
「ねーフリッツー。預言できるんっしょ?兄様にもやってー」
「え……でもー……」
フリードリヒは密かな声で、不吉の預言しかできないことを兄に伝えた。
だがローレンツは不気味に思うこともなく、それでも預言をくれと駄々をこねた。
「兄様が思っているようなものとは、違うんです」
「えー、お願いー、兄様怒んないからー」
『授けよ。望むものは与えられるべきだ』
ふいに、卓に置いた鏡から、鵲が顕れた。
近頃、とんと姿を見せなかったというに、どういう気まぐれか。
「でも……」
『されどこれこそが、わたしとお前の契約の結果ぞ』
それでも尚、フリードリヒは渋っていたが、テスカトリポカは本来の姿を顕現し、手を伸ばす。
フリードリヒの右手を掴み、無理矢理に書かせた。
「何を――」
『契約に則り、預言を与えよう』
神にとって喰らうとは、それを取り込むということだ。
今やフリードリヒの右手は、戦神テスカトリポカのもの。
あらがうことなどできず、筆を走らせる。
神の力を得るとは、こういうことだ、とテスカトリポカは言い聞かせた。
「あの、兄様……」
「なあに?」
嫌われることを恐れ、フリードリヒは預言を渡さず、なんとか注意を逸らせないだろうかと考えた。
されどもローレンツの手は素早く、掠め取る。
「憐れな愛し子よ、あなたの父は人殺しだ――なにこれ?」
「わ、かりません……神様のお言葉ですもの」
「わからないものを、ありがたむのん? まあいいや」
ろくに読みもせず、紙片を畳み、ローレンツは懐に仕舞う。
厳重に保管されるべきものを私物化する。その行為が侍従らに見られていないことを確認し、ローレンツはほくそ笑む。
「でも、思ったより元気そうでよかったにゃー」
フリードリヒの目元や首には、紫紺の痣が残る。
暴虐の黒獅子王に、だれも嫁を出さなかった理由がこれだ。
「兄様は反対したんだけどね。お前じゃあ殺されちまうと思った」
「陛下は、とてもお優しいです」
誤解をとくため、エンディミオがいかに、ヘルガや教会から自分を守ってくれたかを語る。
滔々と話す弟を、ローレンツは眩しそうに見つめた。
何も知らず、死を待つだけの子供は、自分の意思で話す人間となったのだ。
ローレンツは寂しくなった。もう弟は、自分を必要としてはいない。
「だから兄様。僕はここに来れて、よかったです」
そんなに傷だらけでか、とローレンツは聞くことができなかった。
(せめて、助けてくださいの一言でもあれば、こっちは罪悪感ないのになー)
「兄様?」
「うにゃ、お前が幸せなら、それでいいんじゃない?」
王妃の部屋を出たローレンツは、足早に廊下を進み、真っ直ぐ客間へ向かった。
室内に入る。ユーマイル公は読書中であったが、ローレンツは構わず声をかけた。
「ご報告します。室内の防備はやはり堅牢なれど、私一人ならば問題ありません」
同僚らの視線が突き刺さる。
ユーマイル公はゆるりと顔を上げ、穏やかに聞いた。
「本当に、一人でできますか」
「……暴れ牛エリンが懸念ですが、他の者と作戦を立てます」
功を急ぐ同僚らは眉間に皺を寄せた。
ローレンツ一人に名誉がいくのは不愉快だが、魔女すら恐れる暴れ牛を相手にするなど――
「本当に、一人でできますか」
老公は再び聞いた。
ローレンツの忠誠を確認しているのだ。
ローレンツは即答した。
「ご期待下さい、閣下。
アルヴァ王妃の首、必ずや我らが女王の御前に」
暗殺家系のロメンラルにとって、殺しとは名誉だ。
特に神憑き殺しは栄光だ。
「先祖に誓いましょう。女王に害する神憑きは、必ず刃に伏します」
公爵はゆるりと頷く。
王妃を殺せば、極刑は免れない。
戦争のきっかけのために、ローレンツは栄誉の死を与えられるのだ。
「我らが女王は、争いをお望みです。百年と続くような、大戦争を」
敵国の妃。無二の預言者。呪いを解いた英雄。
神聖と栄光の象徴ともいうべき人物を殺せば、アルヴァの怒りたるや凄まじいものだろう。教会をも敵にまわす。
女王の望みを叶えるために、和平の使者は戦争を仕掛けに来たのだ。
◇
「テスカトリポカ様。魔王とは、何を示すのでしょう」
兄の去った後、戦神はさらに預言を授けた。
全ての火炎の魂を引き換えに
魔王は黄昏に歌う
統一の世界は次の旅路へ
魔女よ
扉開けた者よ
魔王を祝福せよ
そのための悲劇は、誰にも止めさせてはならない!
再び、謎めいた“魔王”の預言。
セシルがいないため、神に直接、その真意を聞くしかない。
意外にも、鵲は素直に口を割った。
『魔王は世界の約束。我らが待ち望む、最初にして最後の者』
「約束?」
『大いなる哀しみを、ただ一人の犠牲で止める者。欠けゆく月の導き手――と、裁定者は言っていたな』
謎めく言葉に、フリードリヒはますます首を傾げる。
神はとかく、真実を隠したがるものだ。
こういう時は、わかる部分から質問をすれば良い。フリードリヒは調和の神との経験を生かした。
「魔王は、どこかの国の王様でしょうか」
『有り得るが、有り得ない』
テスカトリポカは、この問答に飽きてきたらしい。フリードリヒの傍を離れ、室内を飛び回る。
「テスカトリポカ様。恐るべき戦乱の神よ。これを差し上げますから、僕のお話を聞いてください」
緑硬玉の腕輪を示せば、鵲は滑空し、フリードリヒの肩に留まる。
腕輪を呑み、鵲は上機嫌に答えた。
『魔王が誰かは、わたしにも解らぬ。或はお前かも知れぬ』
「それはー……魔王は“なってしまう"もの、ということ?」
『察しが良く何より。
――石の返礼だ。忠告をやろう』
暑さで滴る汗を、慎重に拭う。
呼吸は浅く、静かに。
静謐そのものとなり、意識を対象に向ける。
王宮の廊下、執務室の前で、アルヴァの国王とその妻が、何事か話し合いていた。
目をこらし、唇の動きを読む。
「陛下、戦は避けられぬものでしょうか」
「そなたはあの魔女と、手を取り合いたいと思うか」
フリードリヒはうつむき、考え込む。不可能だ。
妻の顎を取りて目を合わせ、エンディミオは教えてやった。
「そなたの家が微妙な立場であるのはわかっている。子も幼い」
「でしたら――」
「だからこそ、リウォインは滅ぼさねばならぬ。
魔女が次代に移行しては、私の継承者に余計な負担がかかる」
全てを滅ぼし、平穏を手にする。
血塗られた平和を、フリードリヒは素直に肯定できなかった。
「案ずるな。そなたは私の命令に従っていれば良い」
しかし率先して剣を振るい、豊かさと平穏をもたらしたのは、他ならぬ国王だ。この国で生きる限り、それを否定してはならない。
それにエンディミオならば、ロメンラルの立場も考慮してくれるだろう 。
フリードリヒは自らの無知を悔い、王の意見を呑む決意をした。
「信じております、陛下ー。んと、どうか戦神のご加護がありますように」
理解したか、とエンディミオは妃の頭を撫でた。
つと、彼方から声がかかる。
「ああよかった。こちらにおられましたか」
二人の
話しかけてきた男は、セシルに勝るとも劣らぬ美貌を有し、高貴な雰囲気を漂わせる。
貴人に続くもう一人は、アルヴァの軍服を着ている。
背格好からして子供のようだが、長大な太刀を持ち、腰には大小様々な種類の刀を、六振りも
軍帽に隠れて表情は伺えないが、黒獅子王以上の殺気を向けてくる。フリードリヒは恐れをなし、王の陰に隠れた。
「
「申し訳ありません。此方も急いでおりまして、ここで」
紫儀之宮は王妃に気づくと、優しい笑みを浮かべ、おっとりと挨拶をした。
「お初にお目にかかります。やつがれは葦弥騨盟主、紫儀之宮ともうしますれば。
これはやつがれの護で、名を
「よろしくお願いしま……ひい」
挨拶を返そうとするだけでも、凄まじい殺気を向けられる。
縮こまる妃の肩を、エンディミオが抱き寄せる。
「それをこちらにむけるな」
「後生です。とはいえ、葦弥騨の軍はこれに一任しておりますゆえ」
リウォインとの戦争が始まれば、アルヴァに連なる他の民族も、軍隊を率いて王の下に馳せねばならない。
「葦弥騨の兵は少数なれど、剛崎一人でも、一個大隊をまかなえます」
怖いなあ、早く終わらないかなあと思っていると、鵲がフリードリヒの頭に止まり、楽しそうにわめいた。
『おう反逆の星よ。お前も此度の戦に乗るのか』
テスカトリポカは、誰に話しかけているのだろう。
その疑問は、しかしすぐ解決した。剛崎が憤怒の視線を、カササギに向けていたからだ。
「ポチテカの商隊も合わせれば、まずまずの勝利は見込めましょう。本音としましては、ベリオールの民にも参戦してほしいところですな」
「剣を持たぬ狂信者どもに、目をかける暇はない。
近く、軍議を開く。必ず出席しろ」
フリードリヒが剛崎からの謎の威嚇に怯えている間にも、王と盟主の会話は進む。
「ではそのように致します。ご武運あれ」
深く一礼し、去る紫儀之宮。剛崎はカササギを一瞥し、盟主に追随する。
『なんだあやつ。黙しおって』
カササギが不満げに鳴いた。
しばし廊下を歩み、誰もいなくなった所で、紫儀之宮が口を開いた。
「言いたい事があったらお言い」
すると、背後で沈黙を守っていた剛崎が、まるで火でも着いたかのように喚き立てた。
「なんだあの王妃は! 暗殺の血筋と聞いて警戒したが、ただの餓鬼じゃねえか!」
「素直で穏やかなお方と、やつがれは言うたはずぞ」
この調子では、やはり黙らせて正解だったか、と紫儀之宮は頭を抱えた。
虫も殺せなさそうな王妃の、何を警戒していたのかを聞く。
剛崎は苦虫を噛み潰したような表情で、危険を忠告する。
「戦神と契約していやがる。この戦、泥沼になるぞ」
もうひとつ、と剛崎は続けた。
「見られていた」
「ほう。陛下は人払いをしていたが」
「巧妙に隠れていやがる。そういや、リウォインの兵が来ているらしいな」
刃を抜かなかったことを誉め、紫儀之宮は頷く。
「となれば、高名な
リウォイン随一の暗殺者。噂によれば、やたら喧しく、しかし警戒を忘れた頃には、首はないという。
凶器は発見されず、鵲のように喰ってしまったのではないかという、眉唾物の噂まで出回っている。
「どちらにせよ、手はださぬように。伴侶の身も守れぬような王を、戴いた覚えはない」
葦弥騨の盟主も、国王も去った廊下に、青年が降り立つ。
仕事とはいえ、屋根に張り付くのも骨が折れる。ローレンツは立ち上がり、盗聴していた内容を整理した。
(主力軍の他に、葦弥騨にポチテカ。ダメ押しに最大戦力の剛崎――こりゃ総力戦だな。バカ兄も駆り出されそー)
ぶらぶら歩きながら考えていると、とっくにいるはずのない弟が、廊下にぽつりと立っていた。
「兄様」
「あれフリッツー。侍従も連れずに何してんの」
一瞬どきりとしたが、盗聴がばれるはずが無い。思い直し、いつものように弟に絡む。
「僕はお散歩ですー。
兄様こそ、何故このようなところにー?」
「まぁた迷ってしまったにゃー。ここどこー?」
ああ、とフリードリヒは頷き、案内をかって出た。
「兄様の方向音痴は、相変わらずですー」
「なにおーう、兄様が気にしていることをー」
抱きついて頭を撫で回してやれば、弟は無邪気に笑った。
ローレンツはひとつ咳払いをした。口内から、短剣の柄が延びる。
「兄様――」
「んー?なあに」
殺意を微塵も出さず、ローレンツは短剣で弟の胸を刺した。
斜めに刃を入れ、柄を回し、心臓の動きを断つ。
悲鳴のひとつも上げられないまま、フリードリヒは倒れた。
血が溢れ出る。猟奇的な死体の方が、アルヴァの怒りを煽れるというのものだ。
ロメンラルの紋章が入った短剣を刺したままに、死体を床に横たわらせる。
「ばいばい、フリッツ」
手を振り、ローレンツは悠々と公爵のいる客間へ向かった。
「女王からの伝令です。王妃の暗殺は取り止めよ、と」
「……はい?」
伝令書を丸め、ユーマイル公は言った。
命令の変更は珍しくもないが、意図が掴めない。何より、もう遅い。
「近く、王妃の預言が必要になるそうです」
「なんと……陛下らしくもない」
なんとか言葉を紡ぐ。死体を隠すか?それにしても、王宮の衛兵はいまだ王妃の死体を見つけていないのだろうか、やたら平穏だ。
「仕方ありません。何も黒獅子王を狙え、などと酷なことは言いません。
幼い王子を。ローレンツ、貴方なら王妃に取り入り、近づくこともできるでしょう」
「……御意に」
部屋に戻ったフリードリヒが着替えていると、鏡に映る自身が、密かに話しかけてきた。
「見よ、殺意の度合いを測ってきてやったぞ」
王妃の姿をしたテスカトリポカは、胸の傷を見せた。
「ほれ、触ってみるか」
「……本当に、兄様が」
着付けが終わり、侍女が髪に香油を馴染ませる。華やかな薔薇の香りとは裏腹に、フリードリヒは不安で落ち着かない。
つと、カササギが舞い降りる。喉元を膨らませ、短剣をフリードリヒの手に吐き出した。
「これ、は……」
ロメンラルの紋章が入った短剣を、侍女らに見つからぬよう、手早く懐に仕舞う。
テスカトリポカは、ユーマイル公爵およびローレンツが王妃の命を狙っていることを忠告した。
しかし何かの間違いと、フリードリヒは聞く耳を持たない。
ならば証明してやろうと、テスカトリポカは王妃の姿を取りて、刃をその身に受けた。
『実に鮮やかな技術だった。お前の兄弟は、優れた殺し屋ぞ』
「……兄様」
リウォインの兵として、それはとても立派なことなのだろう。
だがフリードリヒは、兄への敬愛を捨て切れなかった。
翌日になっても、王妃が死んだという報は入らず、ローレンツは気にもんだ。
死体を隠そうとしたが、なぜか血痕すら無かった。
影武者を殺したにしても、こちらに探りが入らないのはおかしい。何より、弟を間違えるはずがない。
懐から、フリードリヒが書いた預言を出す。
それを小さく畳み、親指ほどの大きさの金属製の筒に入れる。
筒を酒ともに飲み下す。
何物をも呑んで胃に入れる。これこそ、ローレンツが鵲伯爵と呼ばれる由縁だった。
王に挨拶をするという公爵に、ローレンツは衛兵として追随する。
今日も今日とて大臣らを叱り飛ばす王の隣には、昨日殺したはずの妃が、平然と立っていた。
「陛下、あまり怒鳴るのは、よくないたたた」
「政治を知らぬ者が、口を挟むな」
諌める妻を、黒獅子王は容赦なく折檻する。
頬をつねるエンディミオを、しかし誰も止めない。
ローレンツは戦慄した。王妃は確かにこの手で殺したはずだ。感触も覚えている。
ローレンツの動揺など露知らず、老公は目で命じる。王妃に取り入り、王子を殺せと。
妃が夫と離れたのを見計らい、人懐こい笑顔を張り付けて近づく。
「やほーフリッツ、ご機嫌よう」
「兄様……」
フリードリヒは苦い表情で、兄と目を合わせようとしない。
どうしたかと聞いても、首を横に振るのみで、答えようとはしない。
「ねえフリッツ、子を見せてほしいんだけど」
「……なぜ?」
「んーと、俺から見たら、可愛い甥と姪じゃないー。それに男女の双子ってのも、一度は拝見したいにゃー」
だがフリードリヒはうつむくばかりで、返事もしない。具合でも悪いのか、と心配しかけた時、王妃は糾弾した。
「今度は、殿下を手にかけようというのですか」
ローレンツは虚をつかれたがそれも一瞬のこと。すぐににこにこ笑い、弟にすりよる。王妃つきの侍女が睨むが、気に止めない。
「なーに言ってるのさ。暴虐王に何か吹き込まれたかー?」
フリードリヒは兄を見据える。
「どうして殿下まで……ヘルガ様の命ならば、僕を殺せばよいでしょう……!」
(なぜこちらの情報を……これも神の預言か?)
「昨日の影武者も、お前の差し金か? フリッツ」
「……そう、です。何者をも、僕を殺せません」
「なーにが神聖なる預言者だ。やることは魔女と変わらないな」
ち、と舌打ち、ローレンツは弟から離れた。
「兄様、どうしてこんなことをするのです?
エンディミオ陛下は、ロメンラルの立場も慮ってくださいますー」
「お前は黒獅子王の残虐さを知らないから言えるんだ。獅子に跪いていてみろ、奴隷のような扱いに違いない」
「父様を呪い殺した魔女に、従うというのですか……!」
「……せいぜい、暗がりに気をつけることだね」
負け惜しみともとれる脅迫。フリードリヒは説得に失敗した。
「魔女の兵と何を話していた」
「んぎゃ」
王に頭を掴まれ、フリードリヒはすっとんきょうな悲鳴を上げた。
「ん、とぉ……」
内容が内容だけに、言えないでいると、エンディミオは苛立たしげに妻の頭を締め付ける。
「そなたは、私と魔女の、どちらを信用するというのだ?」
「うぁっ……申し訳、ありませんー……」
王を裏切るような真似をしてはならない。
フリードリヒは実家への懲罰も覚悟し、兄の思惑を話した。
「白鷺らしいやり口だ。リウォインごと罰しようと、蜥蜴の尻尾切りだろうよ」
ヘルガを糾弾しても、私は殺せなんて言ってないわ、兵の暴走よ、などとはぐらかすに違いない。
ローレンツは犬死にだ。ユーマイル公爵はやはり魔女の配下だと気付き、フリードリヒの表情は青ざめた。
「ひどい……許せませんー。わたくしを苦しめるためだけに、兄様を利用するなんて」
『そうだ、憎悪せよ』
戦神が、契約者の怒りを煽る。
『生とは戦いだ。それこそが人だ。
憎しみは混沌と革命をもたらし、お前の心を色彩豊かにする』
「よいか、フリードリヒ」
エンディミオに名前を呼ばれ、王妃は居ずまいを正す。
「そなたがアルヴァの王妃であることを覚悟するならば、故郷への未練など棄てろ。でなくば、早々に私の前から去れ」
フリードリヒが望む望まないに関わらず、戦争はとうに始まっている。
エンディミオは暴力で言い聞かせず、青年を試した。
「……当然です。この身は陛下のものです」
子供を守り、王の愛を得るためには、少しづつ何かを捨てなければならない。国主の隣に立つ者に、甘えは許されないのだ。
エンディミオは微笑し、よろしい、と誉めた。妻の青白い頬を撫でる。
◇
(ちょっと、裏切られた気分かもー)
ローレンツは嘆息した。同僚の揶揄も、耳に入らない。
末子が神憑きと判明したとき、父はひどく苦悩していた。兄となった男は、どこか蔑んだ目をしていた。
自分だけはと可愛がっていた弟が敵となり、よもや出し抜かれるとは!
王子に近づく術は無い。王妃以上に、厳重な警備が敷かれている。
だからといって、このまま帰ることなどできない。
ローレンツに残された選択肢は、王族を殺めて死ぬるか、役立たずとして惨めに生きるかの、二つにひとつ。
そして彼は、優れた猟師だった。