Schweigen

 ロメンラル辺境伯フランツ・ケーフィンは、一人の人間の死骸を無言で見下ろしていた。

 国境付近に広がる、リウォイン国内最大規模の墓地、メッシュード共同墓地。
 名君も乞食も野良犬も、ここでは平等に葬られる。故に様々な縁の死体が運ばれ、あるいは棄てられる。

 墓を掘るのはただ一人。たった一人が、飽きもせずに屍と戯れていた。
 その唯一の墓掘り人夫が、地面にうつ伏せに転がっていた。首の無い遺体という形で。

 フランツは落ち着き払って膝をつき、死体を検分した。
 首の切断面は実に慣れた手に見えたが、剣の切れ味は良いとは言えない。

 現在のリウォインに普及している剣に、成人男性の首を一刀両断できる業物は存在しない。

 死体を転がすと案の定、胸と腹に刺し傷。殺害者は墓掘りを正面から殺し、首を切って持ち帰ったのだろう。

 この墓掘りが下賎な一般人であらば、フランツはここまで気に留めない。
 死体となってどれほど時間が経ったか見ようとした時だ、墓掘りが住まいにしているあばら屋から、木戸の開閉する音がした。

 フランツは死体を元に戻し、今来たとばかりに墓地入り口のアーチ下に行く。
 連れていた息子に黙っているよう言いつけ、フランツは帽子を目深にかぶり直す。幸い今日は積雪が無く、足跡は目立たない。

 あばら屋から出てきたのは、体格の良い男だった。
 纏う気迫は軍人のそれ――フランツはさも田舎から墓参りに来た郷士を装い、控えめに会釈した。そして初めて死体を見たかのように、喉の奥で唸る。

「失敬、何用でこちらに」

 相手が話しかけてきた。武骨な手には紙きれを握り、腰には国軍支給の軍刀を帯びている。

「いえ、古い友人が馬車に轢かれ、不吉だということでこちらに葬られたと聞いて……貴方は墓地の管理人ですかな」

「いやいや滅相も無い。私も貴方と同じく、墓参りですよ。全く墓掘りは何処へ行ったやら、そこに遺体があるのに」

 フランツが倹約家で、古めかしい服装をしていたことが役立った。
 だいぶ昔に買ったトンビ外套は、袖の釦は取れ、繕った痕が見える。靴は知人からの貰い物だ。

 その姿は辺境伯になど到底見えず、まるで貧乏な田舎郷士か、たまに贅沢ができる小金のある学者といったところか。――とにかく、正体を隠して探りを入れるに最適であった。
 男がフランツの息子に目を向けた。いかにも生意気そうな少年で、父親に言われて仕方なく口を閉じているという感じだ。

 少年の隣には、大人しい痩せ馬がいた。馬車には使えなくなった老馬を、安く買い取ったのだろう。
 馬には毛布に包まれた子どもが、荷といっしょに括られている。乗り心地は悪いだろうに、熟睡している。

「触んなよ、病気なんだ」

 兄弟なのだろう。そんなつもりはないさ、と男は肩をすくませる。
 フランツは慌てた素振りで男に会釈し、息子の腕を掴んで墓地の奥へと歩いた。




「もーやだよー、臭いから早く帰ろーよー」

 再び死体を調べる父を見て、ローレンツは駄々をこねた。

「慣れなさい」

「無理ーやだー。なー、フリッツも帰りたいよなー」

 寝ている弟を揺さぶって起こす。指先で頬を突くと、うっすらと目を開けた。

「あうぅ……お外……?」

「そーだよ。ま、初めての外出が墓地ってのもすごいけど」

「兄様ー……ここどこー」

 くしゃみをした弟の鼻を拭き、ローレンツはぞんざいに答える。

「どこでもよくねー?リウォインはどこも同じような感じだにゃー」

 それでも子どもは興味深げに、墓を見つめる。

「お化けでもいたー?」

「……鳥さんー……んと、首、ながくてー……おっきいの」

「フリッツ、寒すぎて幻覚見てる?」

 弟は再び寝入ってしまった。父親に連れ回されてつまらないローレンツは、死肉にありつく野犬を追い立てて遊んだ。

 一方でフランツは、墓掘りの住まいに入った。
 中は蝋燭とぼろ布。そして円匙(えんし)が板張りの床にぞんざいにあった。

 軍靴の跡を追う。浮いている釘を抜き、床板を剥がす。その下には、短剣で土を掘られた痕跡があった。

 フランツの知る限り、墓掘りは小心者だった。武器など持ったことは無いだろう。

 フランツは円匙を持ち、外の地面を掘る。
 穴に墓掘りの死体を入れ、埋めた。分かりやすいよう、杭ではなく、円匙を突き立て墓とした。
  
 リウォイン王国の国境付近の土地を治める、ノーコウェ伯爵ドナート・レイドは、酒を飲んでのんびりしていた。

「お館様」

「っお……なんだ、余暇を邪魔するな」

「申し訳ありません。ですが、お館様にお客様です」

 侍従の言葉に、ドナートは嘆息した。約束も無しに伯爵に会うなど、無礼にも程がある。

 追い払えと言うと、侍従は非常に言いづらそうに答えた。

「それが……ロメンラル辺境伯でして……」

 ドナートは思わず、椅子からずり落ちた。

 ロメンラルといえば、これがまた冴えない田舎だ。産業もない貧しい土地で、領主の忠誠によって国から援助を受けている。

 そして当代の伯爵は、ケツについた火を消すためになんでもするような男だ。
 その吝嗇(りんしょく)さは有名で、皆は“家計簿伯爵”などと揶揄している。

 だが辺境伯は国王に信頼され、辺境の統治を任されている。つまり伯爵より偉く、というより侯爵とほぼ同等の地位だ。

 ドナートは唸りに唸って、立ち上がる。
 髪を整えて狐の毛皮の上着を着て、辺境伯を出迎える。

「やあやあフランツ、我が友よ。久しいな」

「突然申し訳ない、ドナート。すぐに伝えなければならないことがある」

「なに、とりあえず入ってくれ。おや、その子は息子か」

 馬の鼻に草の茎を差し込んで、しょうもない悪戯をするローレンツ。
 一癖も二癖もありそうな、生意気な目つきは、父親に似ていなくもない。

「ローレンツという。挨拶なさい」

「こんちわー」

 ドナートに興味が無いのか、荷物を持つ父親の袖を引っ張る。

「俺が持つー」

「落とさないように」

 子供は客室に押し込め、フランツはドナートとともに談話室に通された。

 
「それで、駆け込んで来たのだから、急ぎなんだろう?何かあったのか」

「メッシュード墓地の墓掘りが死んでいた」

 その一言だけで十分だった。ドナートは震える手で紅茶の杯を卓に戻し、真剣な目で問う。

「まさか……ダニエルか、ダニエルが死んでいたのか?」

「死体は確かに、この目で。首は無かったが、あの墓地には彼以外はいない」

「首が無いならば、奴とは限らん。冗談はやめてくれ」

 ドナートが治めるノーコウェは、おぞましいことに領内に国最大の共同墓地を有していた。
 表向きはノーコウェ伯爵家が、土地を貸していることになっている。
 しかし真相は逆。墓掘りが死体を埋めていた土地を、女王が勝手に切り取りし分配したのだ。

 墓掘りは後から入ってきた制度など無視し、どんどん墓地を広げていく。
 ノーコウェ伯爵家にとっては非常に厄介だが、うまみもあった。

 この国リウォインを治める女王は、魔女である。
 気に入らぬ家臣は呪い殺し、嘲笑う。誰もが恐れる恐怖の王。

 気まぐれで殺されぬよう、貴族らは顔色をうかがうばかりだが、墓掘りが住むノーコウェ伯爵だけは、多少横柄な態度を取ることができた。

「ダニエルは……奴は魔女だ。魔女がそんな簡単に、死ぬはずがない」

 墓掘りもまた、病を撒き散らす魔女であった。墓掘り人夫は、どうも年をとらない。フランツやドナートが幼いころから、三十代頃の男の姿をしている。これが何よりの人外の証拠。

 不潔でがめつく、周辺住民からは嫌われている。
 だからこそ墓地は、あらゆる証拠の隠滅にも使われた。

「そんな、簡単に……」

「ならば、確認するか」

「何だって?」

「確認しよう。死体はまだ残っている」
 
 翌日、フランツはしぶるドナートを連れ、墓地を再び訪れた。
 息子らは伯爵の館で留守を言い渡した。ぶうぶう不満が喧しかったが。

「はあ……なぜ私がこんな所に」

「領地の重要事項は、自らの目で確かめるべきだ」

 白木の杭が立ち並ぶ平地。国ができる前、かつては村であったらしいが、恐ろしい流行り病で多くの人間が死に絶えたという。記録によれば、それは千人にものぼったとか。

 忌避される土地として、この辺りは建物を建造しない慣習がある。

 フランツは今一度、円匙を取りて土を掘る。
 本職ではない故、そんなに深く掘ってはいなかった。すぐに首無し死体が出てきた。

「なんと……」

 ドナートは頭を抱えた。灰と土にまみれたぼろ服と、痩せぎすの体はまさしく墓掘りのもの。

「誰だやったのは!卑しい墓掘りを殺したとて、何の意味がある!」

「ドナート、昔に君の私兵が、墓掘りが教会に通じているとして調査したではないか」

「あれは国からの圧力で仕方なくだ。魔女の呪いで監察官が一人死に、他も原因不明の病気で前後不覚。頼まれてももうやらん」

「……あの新入りの監察官、ダニエルが殺したことになっているのか」

「何だとフランツ?墓掘りが殺したのではないというのか……?まさか君が!」

 フランツは眉をひそめて首を振る。まかり間違っても、伯爵の兵を殺そうなど考えない。
 だがこの地の墓掘りは、虫も殺せないほどの小心者だ。

「あの若者は完全な事故だった」

「何を言うか、葬儀のために遺体を奴から取り上げたが、それは酷いものだったぞ。毒殺されたような、苦しんだ痕がありありと見て取れた」

 ドナートは領内の青少年をしっかり教育し、本人が望まぬかぎりむやみに軍属にさせない制度を敷いている。特に孤児には目をかけ、優先的に自分の館で働かせている。
 だからこそ、領地を圧迫する墓掘りを、ドナートはことさらに嫌っていた。

「もう何年も前の話だろう。とにかくノーコウェ伯よ、この事はいかように処置する」

 公表し墓地を閉鎖するか、なかったことにして放置するか。
 どちらをとっても、所詮は墓のことだ。ドナートに不利益にはなるまい。

「そうだな、まずは遺体を検分してみるとしよう」

 死体の服を取ってはみたが、とうに皮膚は腐り果て、骨が見えている。
 血痕などを探したが、どこにも見当たらない。それほどに時間が経っているのか。

「今まで誰にも見つからず、このままだと?首はどこに」

「奪われたのだろうな」

「……陛下に対する挑発か。魔女すらも殺せるぞという意思表示」

 犯人をさがして突き出そうとフランツは提案したが、ドナートは青ざめた顔で黙りこくっている。
 
 好奇心旺盛で活発なローレンツは、留守番が特に大嫌いだった。雪かきでもしている方が、まだ楽しいと思えるほどだ。

 寝台で眠ったままの弟の腕を掴んで、人形遊びがごとくいじくっていると、敷布の端から蝗(いなご)が跳び出す。
 蝗を素早く捕まえたローレンツは、しかしすぐに床に放って踏み潰した。

「あー飽きた。おやつでも貰ってくるね」

 火の元には用心しろと常に言い聞かされている。蝋燭の火を吹き消し、ローレンツは部屋から出た。

 客室から続く廊下には、常に下働きが何らかの仕事で歩いている。彼らに一言何が欲しいかを伝えればいいだけ、わざわざ厨房まで行く必要はないのだ。

「それで、伯爵はいつ帰ってくるのだ」

 どこかで聞いたような声だなとは思ったが、姿を見てすぐに思い出した。墓地にいた男だ。
 着崩してはいるが、軍で支給される上着を着用している。

 男の方もローレンツに気づき、馴れ馴れしく近寄ってくる。

「やあ、親御さんはどうした」

「んーぼく子供だからわっかんなぁい」

 白々しい嘘を吐くと、男はそれを鼻で笑い何処かへ行ってしまった。

 墓掘り人夫の死、行く先々に現れる軍属の男。何もないわけがなかった。そんなことは子供でもわかる。

(……ちょっと探検、してみようかなー?)



 フランツとドナートは帰って早速、当主の書斎で話し合った。

 犯人を捕まえることが優先事項だが、ドナートはすでに女王の機嫌を損ねたと思い込んでいる。

「伯爵の仕事は領地統制であって、墓所管理ではないだろう。代々のノーコウェ伯も、墓所だけは手を触れなかった」

 昔に墓地に立ち入り調査をした領土監察官の話は、あえてしなかった。フランツはドナートの慰めになるよう、言葉を選ぶ。

「陛下とてそこまで性急では――聞き耳とは趣味の悪いことだ」

 フランツが促すように杖で床を打つと、書斎の扉が開く。
 
 一礼して入ってきたのは、赤い髪の少年だった。ローレンツより二、三年上だろうか。姿勢が良く、賢そうな眼差しをしている。

「アレックス、客の前で無礼だぞ」

「申し訳ありません。家がいつになく騒がしいと、落ち着かないもので。
はじめまして、ロメンラル伯爵閣下。アレックス・レイドと申します」

 折り目正しく礼をし、手を差し出すアレックス。
 久しぶりに伯爵閣下と呼ばれ、フランツはすぐにこの少年のことが好きになった。

「ドナートの息子か。すでに将来が楽しみだ」

「ありがとうございます、閣下。
父上、留守の間にバルザー殿が来ていますよ、どうも急ぎの用かと」

「ああ、聞いている。だが今はこちらが重要でな……」

「夜にはフィソス先生も来るのでしょう。私はもう学校の寄宿舎に戻りますから、先生によろしくお伝えください」

「お前に言われずともわかっている……何をそんなに気にしているんだ」

 アレックスが父親に対して何が気に食わないのか、それは本人にしか知る由がない。赤毛の少年は書斎からいくつか本を借りて、出ていった。

「……ふう、全く小うるさい息子で困る」

「礼儀正しい、良い子ではないか。それに、リウォイン人はあれぐらい口が回る方が良い」

 ローレンツの教育に苦労しているフランツは、大人しい子どもを羨ましがった。隣の芝生は青いというところか。

(あの子供……ドナートを探っていたな。特に来客に関する……息子にも隠し事とは、大したリウォイン人だ)

「とにかく墓地だが、しばらく立ち入りを禁ずる。あとは容疑者を拾い上げねば……」

「あの墓地の使用者は、主に私とその同業者だ。よければ、一覧表を貸そう」

「……どうせ、金をとるのだろう」

「……泊めてくれるのだから、ここは友情に応えようではないか」

「我らの友情は、銀でできているのか」

 
 晩餐までには時間があるため、フランツは息子らの様子を見に客室に戻る。

 火は消えており、ローレンツはいない。軽食でも貰っているのだろうと、探すことはせずに、寝台の子を見る。

 すやすやと眠ったまま、起きることはない。乱れた毛布をかけなおすと、寝苦しそうに身動ぐ。

 寝台横の飾り棚に置いた手帳を開く。末子にいつ食事を与えたか、厠に行かせたかなどを記したものだ。
 それを見ると、だいぶ時間が空いてしまっている、フランツは寝る子を抱き上げ、扉を開けた。

「やあどうも。墓地でお会いして以来だ」

 部屋の前で待っていたのだろう、墓地で見かけた男が、フランツに声をかけてきた。

「ノーコウェ伯のご友人ならば、挨拶せねばな。バドル・バルザーだ。国軍軍馬育成部隊に所属している」

「……フランツ・ケーフィン。ただの田舎郷士だ」

「ロメンラル伯、よく知っておりますぞ。機密文書の持ち出しがお得意だとか」

 フランツの事は、ドナートから聞いたのだろう。これ以上嘘を吐くなという警告か、バルザーはフランツの仕事の話をする。
 しかし想定内だ。基本的に、軍に所属しない外部の暗殺者は軍情報部で名簿を管理されている。
 内輪での無為な殺し合いを防ぐためでもあるが、軍人から私兵として雇われることもあるのだ。知っていてもおかしいことではない。

「貴方はメッシュ―ド墓地によく訪れていたようですなあ」

「仕事で必要なもので」

「閣下の領地は、産業もなく、あまり暮らしぶりもよくないと聞いております。
よく息子さんを育てておられる……奥方は?」

「次男を残した。勉強不足だな、君」

「それは失礼。それで、墓掘りに埋めてもらうときは口止め料を払うと聞いたことがあります」

「私が墓掘りを殺したと?」

 不快だと示すように睨むが、バルザーは片手を振っていなす。

「そうは言っておりません。ですがこのままではドナート殿がお可哀想で」

「バルザーと言ったか。君こそ、墓地で何をしていた」

「それこそ墓参りですよ、どうやら貴方は私が墓掘りを殺したと疑っているようだ」

「私には墓掘りを殺す理由が無い。仕事で使う上、同業者に睨まれるような事はしたくはない」

「それは私も同じですなあ。リウォインは純粋な兵士よりも、暗殺者が多いやもしれぬ。皆が皆、いつ殺されるか気が気でないのです」

「暗殺や潜入の術は、アルヴァと戦うためのものだ。決して同士討ちをするためではない」

 そこまで聞いたバルザーは長い息を吐き、鼻で嗤った。

「口が固いとは聞いていたが、まことその通りだな」

「……すまないが、病気の子を小用に行かせたい」

「ああ、それは悪かった、お通りくだされロメンラル伯爵閣下」

 楽しそうに笑い、バルザーは廊下の端に寄った。皮肉を返す気にもなれず、フランツは厠へ向かう。
 ドナートの息子が警戒するのも当然といえた。食えない人物であるし、大変に不愉快だ。
 
 
 厠で息子を後ろから抱えて補助してやっていると、つと気配がした。隠そうとはしているが、下手くそだ。
 フランツが壁を強めに殴ると、小窓から顔を出したのは生意気な銀髪の少年。

「なーんだ父上かー」

「なんだではない、弟の面倒はどうした。言い出した事には責任を持て」

「探検してたんだー。ごめんにゃーフリッツ」

 小窓から厠の中に入る。潜入のやり方は教えてはいるが、まだまだ未熟で向こう見ずな少年では不安がある。
 後で証拠を消しておかねばと、フランツは嘆息した。

「ここさー、弩(いしゆみ)とか剣とかいっぱいあんの。俺も弩ほしーいー」

 何気ない言葉に、フランツは訝しんだ。
 ノーコウェ伯爵は代々、争いごとと無縁な、交渉事や経営などで手腕を振るう領主だ。

 国境が近いとはいえ、他国との諍いは国内最大の防衛圏のひとつであるベッケルド大砦がすべて管轄し、ノーコウェは流入する商売人や情報屋の受け皿になっている。

 沢山の武具を見たと砦に密告しても、法螺だと笑われるだけだ。

 ノーコウェ領には領土監察官という伯爵の私兵集団がいるが、せいぜい警備や哨戒をする程度の小規模なもの。あまり大きな組織にすると、国軍に目をつけられる。

(武器の売買は、この辺りでは砦で行っている。闇商品だとしても、どこから大量に)
 
 故に、武器も最低限のもので十分だ。子供がいっぱいと形容するほど必要ではない。



 フランツは今度こそ長男がどこぞへふらつかないよう、しかと手を繋いで歩く。

 もう片方の腕は次男を抱き上げているが、ローレンツはお気に入りの猫を取り上げられたかのように不満を喚く。

「やーだー、俺がだっこするーやぁー」

「静かに」

 わがままな息子を諌めながら客室に戻る途中、また別の人物とかち会った。
 老いた銀髪の男だ。眼鏡の奥の知的な眼差しが印象的な、いかにもな学者風であった。
 老人の隣には、彼の伴侶にしては若いものの、壮年の女性が佇んでいる。茶髪のその女は気まずそうに、うつむいている。
  
「先ほどは、仲裁もせず悪かったね。ドナートは何を考えて、あんな野蛮な男を迎えているのか……」

 フランツとバルザーの応酬のことを言っているのだろう。フランツは構わない、と首を横に振る。

「私はモンディ・フィソス。言語学者だが、この家の子息の、識字の教師をしている。内縁の妻が伯爵夫人の友人でね、その伝手だが」

「――。……ああ、古典言語の翻訳に関する説本を、拝読したことがあります」

「それは嬉しい、学者といっても、実入りがよいわけでもないのだよ
ところで、あのバルザーという男は、最近出入りをしているようだ。知っていたかね?」

「私はたまの挨拶はすれど、仕事上あまり伯爵本人とは関わらない。貴方の方が詳しいのでは」

フランツとしては、できれば老学者の隣の女性から話を聞きたかった。しかし女は黙りこくって、愛想笑いもしない。
 その様子を、モンディ老は鼻で嗤う。

「彼女はそういったことに興味が無いようでしてな。全くこれだから女というものは、視野が狭くて困る」

「……常識というものは、個々人の半生より形成されるものでしょう。私にとって誰かの死が常であるように。
――失礼、右手を怪我しておられるのか?」

 注意深く見なければ気づかないが、女性が礼をした時に組んだ手がどこかぎこちない。

 フランツとしては、単純に心配する気持ちから出た言葉だったが、モンディ老は呆れたように内縁の妻に文句を飛ばす。

「どこでやらかしたのやら。近頃、ぼうとしすぎではないか」

「ご、ごめんなさい……」

 女性は細々とした声音で、誰にともなく謝る。老学者も偏屈というか、たいそう面倒くさい人物だ。老人を師と仰がねばならないドナートの息子を、フランツは哀れに思った。

 もう少し会話しようかという、そんな気も失せた。ローレンツが飽きて駄々をこねはじめたのをよいことに、フランツはやり取りを切り上げた。

「ねーねー、いつまでここいるのー?もう帰りたいよー」

「もうすぐだ、我慢しろ」
  
 晩餐の時間だと、フランツと息子は客間へ赴く。末子だけは可哀想だが、部屋に寝かせておく他ない。

 上座に当主ドナートが座った。その次に客人の中では地位の高いフランツが着席。

 対面の座席にはモンディ老。茶髪を結った婦人は、先ほどと打って変わってドナートの奥方とお喋りに夢中だ。とても仲が深いのだろう。

 老学者の隣にバルザーが座る。自信家の男は余裕のある笑みを絶やさず、葡萄酒の入った杯を掲げる。

「そちらは息子さんで?」

 バルザーに聞かれ、口を開こうとした少年を、フランツは自らの皿の上の鹿肉を子供の皿に移すことで黙らせる。

「ロランです。この子のことは放っておきましょう」

「坊主は食べ盛りか、お兄さんの分もやろう」

「うわぁーいありがとーおじさん」

 微笑ましいと思われるやりとりを見て、モンディ老がつとこぼす。

「私にも娘がいましてな……病気で失ってしまったが。彼の藍の眼はあの子を思い出すよ」

 不思議な取り合わせだ。一見すれば、伯爵の地位に見合う友人達とも言えるだろう。

 不吉な土地を有するノーコウェ伯爵、休暇の時期でもないのに国境付近の領地をふらつく軍人、従者も連れずに伯爵家に入り浸る学者。
 ――そして、家族全員を連れて墓地を訪ねた奇妙な男。

 それぞれが、特異な行動をしていると言えた。ドナートは落ち着かない様子で、食事に手もつけず酒を飲むばかり。

「ノーコウェ伯、アレックスはどうしたね?
最近とんと会わなくてね……避けられているのかな」

「ああ、すまない。あれはどうも反抗的で」

「そういう時期なのさ。男は誰だってそんな時がある」

「それにしても、今日はやけに冷えるわ……そんな時季でもないのだけど」

「ここのところ、晴れ間がありませんでしたから、なおさらそう感じるのかもしれませんよ」

 なんでもない会話が続いていたが、バルザーは三杯目の葡萄酒を注いだ後、やけに低い声で宣言する。

「ノーコウェ伯、かの辺境伯閣下に、あのことをお話したらどうかね。こうも口が固い人物は久しいぞ」

 フランツはよくない空気を感じ取った。それは勘に過ぎないが、ローレンツに弟に食事をさせるよう言いつけた。

 少年は紅茶を飲み干してから、客間を出ていった。病人のために別に用意してもらった食事を、厨房に取りに行くためだ。

「あら、では私がついてあげましょう。坊や、こっちへおいで」

 優しいドナートの奥方が、子供を心配してついて行く。
 息子の背を見届けてから、フランツはバルザーに向き直る。刃のような鈍色の眼差しにも、男は飄々としたまま。
  
 バルザーは大卓の下から粗末な皮袋を出した。

「まあ、年端もいかぬ子どもに見せるものではないな」

 誇らしげに取り出し、食卓に置いたは長い赤毛の男の首だった。生気の無い肌も、灰で斑になったぼさぼさ髪も、まちがいなくフランツとドナートが探していたものだった。

「ダニエル……なんと、本当に、お前がやったのか、バルザー」

「簡単だったぞ。魔女といえど、首を刎ねてしまえばどうということはない」

 フランツは舌打ちをこらえ、首を注意深く観察した。顔は髪に隠れて確認できない。――そも、いつも隠れていたため、あまり見たことはないが。

 蛆が湧いていないのが不自然だった。だが偽物というには、鼻を刺す腐臭が本物の肉塊だと示してくる。

「ドナート、墓地の拡大による領地侵犯を止めたかったのはわかるが、彼がああも過激な人間だと見抜けなかったのか」

「暗殺者に過激と言われてしまうとは。だがこれを見せしめにすれば、女王は恐れる存在ではないと周知できるのだぞ」

 モンディ老は興味深く、墓掘り人夫の首を見ている。魔女殺しは彼らの同意のうえで行われたと、フランツは確信した。

「だが、あちらの指示があるまでは待つべきだった。バルザー、どうする気だ」

「味方を増やすためさ。フィソス殿は病院で見捨てられたお嬢さんのため、私は大義のため、辺境伯閣下は――言わずともわかるだろう。尻に着いた火を消すためならば、何もためらわないそうだな」

 フランツは文書の運び出しや潜入調査なども得意としていたため、バルザーの属する反抗組織には必要だろう。ドナートはあくまで資金扱いか。

「……もし中枢に叛逆者がいても、魔女の力は全てを看過するという。お前たちのしていることは無意味だ」

「中枢にいなければいい。女王は長く、防衛はしても、進軍はしてこなかった。
あの女だってわかっているのさ、アルヴァには勝てないと」

 仕込み杖を部屋に置いてきてしまったことは痛手だった。袖口に隠した短剣があるとはいえ、軍人相手に立ち回るには慎重さが肝要だ。

 つと、モンディ老の内縁の妻が静かに立ち上がる。気分でも悪くしたろうかと、フランツだけが彼女に注目した。

 女性はためらいなく魔女の首の頭を掴み、転がす。そして首の切断面に手を突っ込み、何かを引き抜いた。
 
「おい、不用心に触るものでは……」

「なるほど、ここにあったのね」

 バルザーの注意を遮ったのは、ぼそぼそとした女声ではなく、よく通る張りのある声音だった。
 女の右腕がごとりと床に落ちる。あまりに急すぎて、木の粗末な義手だと理解するのに時間を要した。

「首が無いと困るという事はないでしょうけど、くふふ、私もこの文書には興味があるわ」

 そう言って茶髪のかつらを取り払うと、氷滝のごとく輝く銀髪があらわれる。
 その正体を察知したバルザーは大卓を乗り越え、抜身の剣を女に向けた。

 刃は女の喉を目指すものの、あえなくフランツの持つ短剣に阻まれる。

「陛下! お退がりください!」

 弾き返すものの、誰かを守りながら戦うことは、フランツが最も苦手とする分野だ。
 おまけに背後の人物は、やけにつまらなそうな顔で、動くこともなく応戦を眺めている。

「そうねえ、殺さないでおいて。もっと聞きたいこともあるの」

 しかも化粧を直しはじめた。鏡も無しに、器用に左手だけで紅を塗っている。

「護衛の兵も無く、よく現れたな。ここで殺してしまえば、すべて解決するわけだ」

「私を守る人間などいないし、いらないわ。私はヘルガという、ただひとつの事実に基づいた独りきりよ」

 化粧を終えて髪を簡単に結うその女こそ、北方を支配し、民を蹂躙する唯一無二の王。ヘルガ・ヨッヘン=ホールゾイだった。
 青い眼も、魔女の証と噂される深紅の瞳孔も、なぜ気づかなかったのか。

 バルザーは憎悪に輝いた眼でヘルガを見ている。主君を守るフランツに、先程まで飄々としていたとは思えぬほど声を荒げる。

「辺境伯! そこをどけ!」

「理由がない」

 刃がかち合うが、不利は悟っていた。勝機を得ようと、フランツは相手の出方を待っていたが、それが仇となった。
 モンディ老が弩を女王に向けていた。震える声で、内縁の妻の行方を問う。

「わ、私が彼女と会ったのは五年も前のはず……い、いつから!」

 フランツは思わず、短剣をモンディ老に投擲した。
 短剣は老学者の肩に刺さり、モンディは弩を落とす。その隙を軍人が逃すはずもなく、フランツの横腹に長剣がねじ込まれる。とっさに手で刃を押さえ、深く刺さることは防いだが、バルザーは剣の柄をまだ掴んでいる。

「バルザー!これ以上の抵抗は無駄だ!」

 ドナートはモンディ老の傷を押さえながら、バルザーに呼びかける。さっさと退路を確保すべきだと説得しているのだろうが、それさえ聞けぬほど、魔女への憎しみは深いようだ。
 
「昨日からこんな格好をしていたわ。我ながら全く似ていないけど、女に毛ほども興味もない馬鹿で何よりねえ」

 ヘルガは件の死骸の首を掴み、暖炉に投げ捨てる。燃え上がる様を見届けることもせず、客間を出て行く。

「っ待て!」

 急に剣を抜くこともできず、バルザーは仕方なく柄から手を離す。

 女王は武器を持っていない。彼女一人ならば制圧できるはずと、高をくくったのだろう。警戒もせず扉に体当たりする形で突破する。

「ぐっ……!?」

 バルザーは呻き、その場に崩折れる。
 扉の前にいたローレンツが、父親の仕込み杖の細剣を男の腹に突き刺していた。自重で深く刺さり、子どもの力では抜けない。

「あっ、やべっ」

 普段から一撃で仕留めるよう教えられていたローレンツは、失敗したと焦った。
 自分用の短剣でバルザーの喉を裂こうとしたが、フランツに止められる。

「その男は、まだ情報を、持っている」

「そうなんだ。……えっとー、大丈夫なの?」

「さっきから眼が霞むうえに、花畑の向こうから死んだお前の母親が腕を引っ張ってきて怖い」

「うーんだめかも」

 手や腹は血塗れなうえ顔色も悪い父の意識が飛ばないよう、ローレンツは会話を重ねるが、いつもより饒舌なことに危機感を覚えた。

 廊下を悠然と歩む女王を、紺色の軍服を着た兵らが出迎える。反乱の計画など、とうに看過されていた。それを悟ったバルザーは、ローレンツから短剣を奪い、自ら喉を掻っ捌く。

 膨大な量の血を見て、少年はやっちまったという表情をする。それは男への憐憫などではなく、父親からの説教を嫌がってのものだ。
 
「そうねえ、完全に偶然であったようだし、バドル・バルザーを死なせたことは不問にしてあげるわ」

 ノーコウェ伯爵の屋敷は兵が取り囲み、ドナートとその妻、モンディ老はバルザーに与する者として拿捕だほされた。そのうち、ドナートの息子も一緒にされるだろう。

 刺された横腹は応急処置を施され、なんとか歩くことはできる。だが血を失ったことによる体温の低下が問題だ。

 フランツだけならばともかく、幼い子どもが二人もいるとして、軍の馬車に乗せてもらえることになった。

「父上怒んないのー?」

 一応気にはしているのか、長男は荷を運んでくれる。かたやフランツは怒る気力もなかった。

 友というには繋がりは薄いものの、ドナートは好感を持てる人物であった。戦いを知らぬ貴族というものが、フランツにとって羨ましくもあり、そうあるべきとも思っていた。

 そう本来、ドナートは無理な反乱など起こすような人間ではない。だが真の動機なぞ、深い仲でもあるまいに、知る由もないのだ。

「よォ、運が悪かったなァ。なんかごめん」

 何事もなかったように、赤毛の墓掘り人夫が馬車の影から現れた。

「……陽動作戦か」

「あーいや、首を斬られたのはマジ。ただまあ、アタシはそんなんじゃあ死なねェしなぁ」

 魔女というものを、本当は誰もよく知らないのだろう。人間の枠をはみ出してしまった異物は、フランツの眼の前でへらへら笑っている。

 そしてそんな存在がこの国を支配し、皆で寄りかかっているのだと、あらためて辟易する。
  
「お前の持っていた文書、実に興味深いものだったわ」

 ヘルガが二人に割って入る。辺境伯爵は膝をつこうとしたが、女王は手を払って余計な所作はいらないと示した。

「その文書が偽物だとかァ、考えねェのか?」

「それはそれで、お前を潰すいい口実になるわね」

「……少なくとも、あんな雑な反乱、教会がやるわけないだろォ」

「アルヴァの問題よ。あの獅子が食らいつけるかどうか、眺めるのが楽しいのよ」

 やはりこの二人は、何かしらの深い繋がりがあるようだ。フランツは確信した。
 息子に馬車に入るよう促す。この場にいたくなかった。

「そういやフランツ、アタシの墓地になんの用だったんだィ?」

「……。――息子に、墓地の使い方を教えようとしただけだ」

「そうかァ。まだ早いんじゃねェのォ?」

「……だろうな」

 ヘルガの方に視線を移すと、一瞬息子らを見たが、すぐ興味が失せたように彼方を向く。

「陛下……私はこれにて」

「そう。ノーコウェ伯の尋問に、貴方も招待しましょうか?」

「いえ、申し訳ありません。病床の子どもがいるもので」

 たいして期待もしていなかったか、ヘルガは背を向ける。侍従らが女王の下に集まって、あれやこれやと世話を焼く。

「じゃーなフランツ。病気の子? よくなるといいなァ」

 ダニエルのその言葉で確信した。魔女らはフランツの子どもが何であるか認識していないのだ。

(神の加護というものが……もしもあるならば、賭けることはできるかもしれん)

 本当は次男の事を相談しにダニエルを尋ねた。しかし女王とああも親しい様子では、沈黙を貫く方が正解だった。
 フランツはさらに危険な行為を選択するしかなかった。






 
「私は君の身元引受人になるつもりだ」

 反逆者の子として、ドナートの息子アレックスは首都にある重犯罪者の入る要塞監獄に軟禁されていた。

 主犯ではないため、普通の部屋で拘束などはされていないが、突然の事に精神的に追いつけず、アレックスは真っ白い顔で消沈している。

「……希望を持たせる方が酷だと思っている。率直に言うが、君の両親の処刑は避けられない」

「わけが、わかりません。同情のつもりならば……やめてほしい」

 とても聡明な子だなと、フランツは改めて思った。故に、自分の計画に乗ってくれる気がした。

「君一人の書類をどうこうすることは苦労しなかった。元より、全く危険視されていないということもあってな」

 フランツは手帳を示し、文字を書く。声では「ぜひ我が家を支えてほしい、親友の忘れ形見として」などとそれらしい言葉を吐いて。

 アレックスが見たのは、リウォイン古典言語で“私は王を騙さなければならない”と書かれた紙。

 そしてこう続いた。“私は命を賭ける”
 “もし一矢報いる気があるならば”
 “その命を貸してほしい”“報酬は生きるすべだ”

「――よって、君の身元は保証される。どうかね」

 アレックスは眼前の男よりも、手帳の文字にかじりついている。
 指先が真っ白になり紙がよれるほど力をこめ、アレックスは呟いた。

「勝算なんて、あるのですか」

「むしろ、このためだ。息子らを生かすためだ。
――末子をアルヴァの獅子に売る」

 
(結局生き残ったのは私だけだった)

 養父は実子だけを生かすために、アレックスを引き取ったのだと今は理解できる。
 でなければ、裕福とはいえない辺境伯が、ただの知人の子を引き取ったりはしない。

 だが捨て駒にする割に、フランツはたくさんの生きるすべをアレックスに教えた。
 交渉術や簡単な脅迫の仕方、いざという時に賊や兵に見つからず国境を越える山道などだ。

 アレックスは無茶な叛乱計画に乗って全てを失った実父より、命を賭してヘルガを騙し、神憑きを国外に逃した養父を尊敬した。

 だが大事な兄弟は、養父同様に長い人生は歩めなかった。元々そういった星の下だったのだと、自らに言い聞かせるしかない。

「それで、伯父上殿?わざわざ呼び出したからには、期待できる情報がありますのね」

 ぼうとするなと、わりと気の短い姪が話を促す。微笑しながら、アレックスはとりあえず席を勧める。

 血の繋がっていない弟が残した双子は、あまりリウォイン人らしさはなかったが、アレックスにとっては自分より大事な存在だと思えた。この子らは何としてでも守らねばならないと、信念を持って言える。

 フランツの死は無意味ではない。過去の選択の結果は、何らかの形で活かされる。

「まあ、急いては事を仕損じます。
長い事武器の密輸を行っていた運び屋が吐きましたので、お知らせせねばと」

「長い事って……まさか、私が生まれる前からとでも言うんじゃないでしょうね」

「おや、今日は勘が良いですね。殿下のお陰でしょうか」

「あのね、ちょこちょこ馬鹿にして、どこで私が怒るのか試すのはやめてくださいまし!」

  
 
 
「ようやっと解った。
君が男ばかり殺すわけも、そのように愛情を求める理由も。
あの男の元妻も、精神的に追い詰められ自死したそうだな。その様を、見てしまったのか」

 碑銘もない粗末な墓石を、簡単に掃除しながらフランツは語りかける。

 長年屋敷に勤めている雑用が、これぐらいはと持ってきてくれた薔薇は、少し萎れていた。だが死に近いものの方が、彼女に合っていた。

「君が残したあの子は、やはり君以上に手こずるものだ。
そんなに私の命が欲しいのかね」

 深く息を吐いた。これから養子を迎えるために、色々と家のものを売らなければならない。わずかに残った、亡き妻の遺品もだ。

「君の連呼した愛とは無意味だな。何一つ我々にもたらさない。もしあるならば、それは自らへの愛だろう。
――それでも他者との繋がりを求めるのは、それが唯一の希望か救いか。聞いておけばよかったな」

 妻は花など愛でたことはなかった。たまに猫をなでたりする程度で、人間以外への反応が薄かった。
 フランツは花弁をむしり、地面に散らした。
 
 
 
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