Schweigen
「領土監察官だ。メッシュード墓地の墓掘り、お前に聞くことがある」
若く精悍な男は、二度大きな声で同じ事を言った。
しつこくするとようやく、夢中で穴を掘っていた赤毛の墓掘りは噛みタバコを吐き出す。
領土監察官とはその名の通り、土地の警備と調査を行う、領主が個人的に作り上げた小規模の警備体制だ。
「何だってんだィ」
「密告があった。ここいらを根城にする魔女が、死体を暴き、教会に売り渡したと――よりにもよって教会にだ!」
墓掘り人夫は嘆息した。墓地を含む北の領土を統べる女王は、教会と凄まじく仲が悪い。
誰にとっても運の悪いことに、女王は恐ろしく狡猾で、信じがたいほどの刹那的快楽主義者でもある。
女王に不満を持ち、教会に取り入ろうとして死んだ大臣貴族、その血縁者の数は計り知れない。
故に、監察官の言う密告が事実ならば、墓掘りはとうにこの世にいない。
「あー……騙されたんでねェの? お疲れー」
「はぐらかすな、少し話を聞くだけだ。
ここの記録は何か無いか?日記でもいいが、公式な文書が望ましい」
「アンタ、アタシが文字を書けるように見えるかィ?」
「っ……それは……」
「めっちゃ書けるけどォ」
「こっ、この野郎……」
堅苦しく融通の効かない若者が、墓掘りことダニエルはもう嫌になった。皮肉が叩けないリウォイン人ほど、退屈な存在もない。
「まった面倒なのがきたもんだねェ」
「領主のノーコウェ伯爵よりあずかる土地で、お前はいやしくも墓所管理を任されているんだぞ。もう少し言葉に気をつけろ」
ダニエルはフケと灰だらけの頭を掻き、監察官の顔をまじまじと見る。
「あのなァ、ここは伯爵から借りた土地じゃあない。アタシの先祖が先に居座り、後から女王が勝手に分配したんだ。
むしろアタシが許してやってんだぜィ」
勝手な物言いに、監察官は呆れた。墓掘りの虚言など無視して、こうなったら連行して吐かせる他ない。
「お前の土地云々の話は、伯爵家の文書をあらためればよいだけだ。とにかく来い」
「だああ掴むな触るなァ。ったくよォ、これだからお役所は」
実のところ、ダニエルが教会に死体を売ろうが売ってなかろうが、どうでも良い。
女王の怒りを買うことだけは、避けねばならない。伯爵以下、領民も憂き目を見るだろう。
墓所の入り口まで行くと、錆びた鉄のアーチの下に、監察官のものではない馬がいた。
老いさらばえた痩せ馬だ。そのみすぼらしさに、監察官は呆れた。この墓所はこんなものばかりだ。処分しない伯爵は何を考えているのか――。
「もし、その錆鼠色の制服。ノーコウェの領土監察官とお見受けする」
黒いトンビ外套を着込んだ青年が、痩せ馬の陰より出で立つ。
帽子も杖も、良い作りであるが、いかんせん流行から大きく外れている。
つまりは最新の服飾をこしらえる金のない、田舎郷士だろう。
「ええそうですが、貴方は墓参りですか」
「いいえ、そこな墓掘り用がありまして」
監察官は首を横に振る。伯爵の命で聴取するのだと言った。
「残念ですが、貴方の用事はまたの機会に……」
「いいや、私の用を優先してもらおう」
青年は目深にかぶっていた帽子を取り、折り目正しい挨拶をした。
二十を過ぎたばかりであろうに、青年の銀髪には白いものが混じっている。
研ぎ澄まされた、刃のような鈍色の眼が、監察官を見据える。
「申し遅れた。私はロメンラル辺境伯フランツ・ケーフィンだ。
この意味が理解できるならば、近くの村人でも連れて行ってくれたまえ――どうせ、誰でもよいのだろう」
眉のひとつも動かさず、フランツは言い放った。
一方で監察官は呻く。辺境伯とは、王に信頼され、辺境の統治を任せられた者を指す。
つまりは普通の伯爵よりも偉く、あるいは侯爵と同等である。
されど従者はおらず、痩せ馬を連れ、服は古めかしいわ本人は老け込んでいるわで、貴族らしさは欠片もない。
「ええと、本当にロメンラル伯ですか?」
「全くもって。文句があるならば、ノーコウェ伯を通してくれたまえ」
監察官は不満げな表情を見せたが、深く一礼し、墓所を後にした。
「いやァ助かったぜフランツ」
「なんだあの監察官は。お前は何をした」
「何もしちゃいねェよ。魔女が教会に死体を売ったなんてデタラメ、どこから出たんだィ」
フランツは馬から荷を降ろし、ダニエルがそれを受け取る。
藁に包まれた荷を引きずり、白木の杭が並ぶ地面に置いた。
藁を取り払えば、中年の男と、幼児期の男の子の死体があった。
「親子かィ」
「いや、子供の方はここに来る間に拾った」
男はうなじに刺された痕がある。問題は幼児の方で、紫斑が体中に這っている。
ダニエルは円匙で穴を掘り、死体を投げ入れて埋める。
そこまでは鼻歌まじりでやっていたが、杭を建てた後、墓掘りはなんと祈りの口上を述べた。
「我ら畏怖す待つ母よ。宵の旅路往く子に、せめてひとときの恩寵を垂れたもう。我らは貴方のもとへ還りて、果てを夢に見る」
「……思うに、そのように祈るから、教会と関係があると見なされるのではないか」
北方リウォインにおいて、教会に関するものは卑下すべきと避けられている。
神学を修めたくば、国を出るしかない。
「アタシは教会なんざ興味ないよォ。神への敬愛を持っているだけさね」
「果てしなく矛盾しているな。その祈りは」
「信仰と宗教は違うのさァ」
へらへら笑う墓掘りに、フランツは手土産として安物の果実酒を差し出した。
ダニエルは喜んで、隙間風のよく通るあばら屋から、杯をふたつ持ってきた。
「干し肉食うかィ?」
黒ずんだ肉片を示されたが、フランツは首を横に振る。一体どこの、何の肉だかわかったものではない。
「やっぱお貴族様にゃ合わねえかァ」
「そういう事ではない。それに、家の食事とたいして変わりはない」
ダニエルは笑った。北方の人間は皮肉や冗談、虚言を好むのだ。こりゃあ面白いと、と膝を叩く。
だが辺境伯は俯いたまま、無表情で呟く。
「冗談ならば、どんなに楽しいか。
見ろ、靴も外套も、何度も繕うたあとが見えよう。私の領地は四方を山に囲まれ、農地が少なく家畜もろくにいない。かといって産業があるでもなし……民からは穀潰しと罵られる始末」
「あ、ああ……なんかすんません」
「なんとか金を回そうと、領民を従者として雇用し、売れるものは全て売ったが、病床の母の介護が終わらなければ、結婚すら絶望的だ」
「いやあの……おっかさんの墓は、タダでやろうか?」
「私が他の貴族からなんと呼ばれているか。家計簿伯爵だと?ええい、田舎者と馬鹿にしおって……」
「アンタ酔ってる?」
妙に興奮してきた伯爵を捨て置き、ダニエルは杯を片付け、雪かきでもするかと円匙を持った。
(にしたって“魔女が教会に死体を売った”だと?嘘の密告だとは思うが、ノーコウェのおっさんも下手うったなァ……それとも、監察官の嘘か?あのくそ真面目そうな?)
つと、考え事をしていたダニエルに、フランツが声をかける。
「向こうに先ほどの監察官がいるぞ。お前を呼んでいる」
「はああ?今度はなんだってェんだ」
監察官は一人ではなかった。若く淑やかな女性を連れていた。
女の服は平民のものだが、どこか虚ろな眼と、ぎょっとするほどの美貌が浮世離れしていた。
「ロメンラル伯、お手数おかけしました」
「かまわんよ。しかし、このお嬢さんはどちらの方だ」
「墓地に用があるとかで、ここまで案内しました」
美しい容貌の女に、監察官もつい浮ついているようだ。若さっていいなあと、若者らしからぬ感想を抱いたフランツだが、ダニエルがちゃちゃを入れる。
「おうおう、
目前に近づき、じろじろと見た挙句、懐から蝗の死骸を出す。女性に対する礼儀の無さに、真面目な監察官は怒る。
だが当の女はぼうとしたまま、首を傾げるのみ。
「はあー、つまらんねェ」
「この卑しい墓掘りは……!」
こんな処に女性を置いていくわけにはいかんと、監察官は吼えるが、先に女が前に出て口を開いた。
「あの……ここに、多分、わたくしの恋人が……眠っている、はずなの、ですが……」
「ん?恋人ォ?」
落胆する監察官の肩を、フランツは慰めるように叩いた。
恋人の遺体を探しに来た女性は、ラウラと名乗った。
彼女はくすんだ銀髪をいじくりながら、ぼそぼそと静かな声で述べる。
「わたくしの、恋人は……館から、身を投げて……死体は見つからず……占い師より、聞いて……ここにいる、でしょうか」
薄幸の美女に、監察官はすっかり同情しきった。
一方で赤毛の墓掘り人夫は、困ったなあと溢す。
「アタシは墓掘りであって、墓守りじゃあない。記録なんていちいち残してねェよ」
「でしたら……わたくしの挙げる、特徴で……思い出して、いただけ、ますか……」
それならば、とダニエルが頷くと、女は俯きながら語り始めた。
「うんと……銀の髪に、灰の眼……背は貴方より高く、病気でひどく、痩せていました」
どれもよく見る死体だ。墓掘りは首を横に振る。
「それだけじゃあわからんョ。一応、骨になっていなさそうな墓をば、掘り返してみるかィ」
「よろしいの、ですか……でしたら、お願いします」
二つ返事で安請け合いしたダニエルを、フランツが釘をさす。
「できもしないことを言うものではない」
「はん、おめェあの眼を見ろォ。あれは狂人の眼だ。適当な死体を渡しゃ、納得するに決まってらァ」
ダニエルの真意など知らず、哀れな女は切実に願い上げた。
監察官に連れられ、ラウラは墓地を出た。
「なんだィあの監察官。鼻の下ァ、伸ばしやがってよォ。こりゃ死体を探す必要はないんじゃねェか?」
とはいえ、約束は約束。ダニエルは今日埋めたばかりの地面に円匙を突き立てる。それにフランツが待ったをかけた。
「私が持ってきた死体を、ここに埋葬した理由を考えろ。支払いをやめるぞ」
家計簿伯爵と同じ程度には、金にがめつい墓掘りは唸る。
「じゃあ、ガキの方を出そうや。それで文句はあるまい」
ラウラは毎日のように、墓地の様子を伺いに来た。
子供の死体には反応を示さず、お可哀想に、と呟いたのみ。
外に出している間に、野犬にでも食われたのか、内蔵の無い屍をフランツは哀れに思い土に戻す。
(ダニエルがいないとは……)
出不精で、死体と金にしか興味のないダニエルが、墓所を出るとは珍しい。
これは何かあるのでは、とフランツは考える。
「あの……もし」
控えめな声音で、ラウラが辺境伯に話しかける。彼女の隣には護衛の騎士でも気取っているのか、監察官が佇む。
「ご機嫌よう、お嬢さん。何かご用かね」
「うんと、その……伯爵さまと、墓掘りさんは、お友達、なのですか……?」
いやいや、とフランツは即座に否定。あれが友達ならば、猫にかしずく方がずっといい。
「私とあれは、仕事上の知り合いといったところでね。だから彼が拘束されるのは、実に困るのだよ」
牽制のために、フランツは監察官に視線をやる。
監察官は青い顔でうつむいた。体調が優れないのか冷や汗が多く、目も充血している。フランツは心配になった。
「わたくしの、求めるものは……ここに、ある、でしょうか」
「そればかりは、神頼みだ」
ラウラは皮肉を理解できず、おっとりと首を傾げた。
「しっかし本当に教会に記録が残っていやがった。あんにゃろう……残すなって合意じゃなかったかァ?」
その夜、自分の縄張りに帰還したダニエルは、懐から丸めた紙を取り出し、あばら屋の床に広げる。火は彼にとって大敵であるため、なんとか夜目を効かせる。
「銀髪で灰の目、女の年齢を鑑みるに、ここ十年以内に病と飛び降り自殺で死んだ奴ァ、こいつだけか」
紙には、簡単な図解とともに、解剖の記録が残されている。
「病名は……不明?なんだアイツ、結構ちゃらんぽらんだなァ」
記録には『度重なる嘔吐による食道の障害。また下痢も頻発していたか、肛門剥脱』とある。
これを記した医師と思われる人物にも、原因はわからずにいたらしい。
ダニエルから見ても、病気ではないだろうと推察できた。
「そういやあの子供にも、下痢の痕があったなァ。だが紫斑は……新しい感染症かァ?」
だが病名など大した問題ではない。件の死体はとうに解剖しつくし、証拠隠滅にダニエルが骨ごと食べてもう存在しない。
どう誤魔化そうかと、墓掘りは頭を掻いて考えたか。
異変は起きた。
朝方、三人の監察官達が、憤怒の表情で死体を墓所に運んできた。
藁を取り払ってみれば、ここ数日来ていた、あの若くも愚直な監察官の変わり果てた姿。
黄色い胃液を口の端からこぼし、腹を抱えたまま硬直している。
「墓掘りどもめ、妙な病気を蔓延させたな」
「それはねェよ、病でこんな急に死ぬかァ?その前にアタシがくたばってらァ」
死体の傍らでは、ラウラが顔を伏せてじっとしている。
「しきりに、お腹がいたいと……熱も、下がらなくて……」
「アンタが看病したのかィ」
「はい……家事をするかわりに、この方の、お世話になっていました……。早く、彼の遺体を、見つけたくて……」
フランツは冷静に、哀れな屍を見る。
ただの胃痛なら食中毒を疑うが、ここまで早く症状が変わるだろうか。
前日の充血した目といい、フランツの中に、何か引っかかるものがあった。
こっそりと、他の監察官にばれぬよう、遺体の襟元をくつろげる。白茶けた体には、紫の斑が浮かんでいた。
「これは……」
恐るべき原因がわかったフランツが発言する前に、監察官が声を荒げる。
「我々は、この女こそ怪しいと考えている。得体も知れぬ女が、腐敗の魔女に違いない」
「魔女の噂といい、教会癒着の密告といい、ここは怪しい箇所が多すぎる!全員拘束すべきだ!」
興奮した監察官を見て、逃げようとしたダニエルだが、あえなく殴られ、後ろ手に拘束される。
「なァにするんだ、ったくもー」
「喧しい、だいたいお前は周辺住民からの苦情が絶えないんだ!伯爵閣下に言ってこんな墓地は潰すべきだ!」
「っこの、アタシがちゃんと埋めてやってるから、生きてられるんだぜェ?」
「全くだ。そいつを裁く権利は、女王陛下にすらない」
フランツは杖に仕込んだ細剣を抜き、ダニエルを拘束する監察官の腕を切り裂いた。鞘である杖で、ラウラに襲いかかる男の首元を打ち据えた。相手がひるんだ隙に、いまだぼうとして動かないラウラの腕を引く。
「ダニエル、早く起きろ。囮にならないか」
「お断りだィ、と言いたいところだが」
ダニエルは円匙を地面に突き立てる。口内の血を飲み下すと、神への祈りか、不可思議な口上を唱えた。
その間にも監察官達はラウラやダニエルを捕らえようと向かってくる。
フランツは鞘杖を捨て、外套の袖から短剣を出す。
辺境伯が刃を抜いたと見るや、監察官も腰に帯びていた剣を取る。
だがフランツに殺意は無い。彼らの怒りは理解できるし、ただ頭を冷やして話し合えばよいだけだ。
幾度も刃を返し、致命傷にならぬよう、相手の手や肩を狙う。
軽い細剣が弾かれ、地面に転がる。フランツはそれを拾いもせず、下方からの刃を短剣で塞ぎ、胴に巻いた革帯から柄の無い短剣を抜き、投擲。目元を切られた監察官がたたらを踏む。
フランツは一対一ならば確実に勝てる自信はあるが、三人相手では難しい。せめて二人が逃げてくれればいいが。そう思った時、墓掘り人夫は地を這うような悍ましい、声なき声を張り上げた。
『我は審判の母にして子である――私は夜の幻のうちに見た。
見よ、天の四方からの風が大海をかきたてると、四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり――』
するとどうだろう、三人の監察官はくずおれ、ある者は腹を、ある者は頭を抱えてもんどりうつ。
『その後私が見たのは、豹のような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つ頭があり、主権が与えられた』
彼らは苦しみに呻き、涎をたらし、激しく嘔吐し、疼痛に喚きながら悶える。
ダニエルは皮膚に湿疹を出した監察官の頭をぽんぽんと撫で、安心させるような優しい声で慰めた。
「五ヶ月ほど死んだ方がましな思いをするが、死にはしない。そういう呪いさ」
襲ってきた連中を、凍死しないよう墓掘りのあばら屋に置き、墓所に戻る。
放ったままの遺体を、埋葬せねばならない。
「で、結局女の求める死体は無く、むしろ増えたわけだがァ」
「それに関して、言うべきことがある」
フランツは、今まさに埋めようとした死体に近づく。
「これは砒素(ひそ)中毒だ。症状に、この体に浮かぶ紫の斑。
暗殺でよく使う手だ。無味無臭で食物に混ぜやすく、遺体の様相も様々で、砒素とわかり辛い」
「毒物なんて、んなもん、どこで手にするんだィ」
「殺鼠剤(さっそざい)の主成分であるし、安価な化粧品にはまだ使われている場合がある。
ラウラ、君はどちらを使った?」
「おしろいですわ、伯爵さま」
女は美しい微笑を浮かべ、あっさり答えた。
まるで天気の話でもするように、ラウラはのんびりと、のどかに語る。
「この方はわたくしを愛してくださいました。最期までわたくしの名を呼び、すがり、手を握ってくださいました。
わたくしはとても、愛されていました」
「まさか……アンタ」
ダニエルは教会から持ってきた、解剖記録を思い出す。
ラウラが探していた死体も、死んだ監察官と同じような症状だった。
そしてフランツが運んだふたつの死体。そのうち子供の方は、体中に紫斑が浮かんでいた。
「ああ……そうかァ、病気なら、アタシは屍肉を食えば解る。だが殺意をもって使われた薬品はわからん」
「偶然、死に方が同じようなものでなくば、私でもわからなかった。
ラウラ、君はなぜ彼らを殺した」
「……それは、わたくしを愛していただくためです」
ラウラの行動は早かった。女と油断していたフランツに飛びかかって押し倒し、両の手を伯爵の首にかける。
「フランツ!」
「待て、彼女を傷つけるな!」
いつにない気迫に、ダニエルは動けなかった。呪いの力はあれど、この魔女の膂力は人並みだ。
「弱って哀しいひとりの方は、わたくしをとても愛してくださるのです。彼は重い借金に苦しみ、坊やはご両親に捨てられ、監察官さんは一人で寂しかった。だからわたくしを愛してくれた」
「そんな勝手な理由で殺したのかィ! 馬鹿だが正義感のある若者を!」
「もっともっと愛してほしいから、だからあんなことをしてしまいました。
わたくしは後悔しています。もっと長く、一緒にいれる方法が欲しいのです」
「ぐっ……君を、哀れだとは、私は思わない」
「では、わたくしを愛してくださるのですか?無理でしょうね、わたくしは貴方を苦しめているだけ」
混濁した意識のなか、フランツは初めて、本音を他人にもらした。沈黙をよしとする男の、かすかな言葉。
「私は多くを殺したが……わずかに後悔がよぎる……君のような人間が……私は羨ましい……」
ラウラの指の力が緩んだ。その隙に、フランツはラウラの顎に掌底を打ち込んだ。
「ラウラ・フィソス。さる学者の娘。六年前に精神病院に収監されたが脱走。以後死亡扱いだァ」
国の保健行政機関に問い合わせ、殺人者の正体がようやくわかった。
「その後はあっちこっちへふーらふら。殺し回ったわけかィ。いんやァおっかねェや」
「やめろダニエル」
“死人”であるラウラを裁く司法など無く、とりあえずとダニエルのもとに置かれていた。
メッシュード共同大墓地は、周辺の人々からさらに遠巻きにされた。
もとより、女王の呪いを恐れるノーコウェ伯爵は、ダニエルを咎めたりはしない。
監察官を再起不能にしようとも、なんの探りもなかった。
この騒動を生んだのは、教会所属の医者に死体を売り渡したダニエルと、その件で女王の命令があり探りを入れていた、フランツの周到な密告によるものだった。
結局はお互いに証拠は掴めず、嘘を吐き合い、なかった事にするか、で話は済んでしまった。ラウラさえいなければ。
「しっかしだ、こいつどうしよう。アタシはごくつぶしを養う金なんてないよォ」
確かに、とフランツは頷く。
ラウラがこれ以上に犠牲者を出さぬよう、ここで監視しておきたいのは山々だ。
とはいえ、女性をこんな場所に放置するわけにもいくまい。
狂女にできる仕事はあろうか――考えを巡らせていたフランツは、はたと思いつく。
それを実行すれば、全てがうまくいくぞ、と伯爵は自身の考案を褒めた。
フランツは女の手を取り、凄まじい発言をかました。
「私の妻になってくれないか?」
「はぼぶふっ!?」
驚きに飲みかけの酒を噴き出すダニエルは無視し、最高効率を求める家計簿伯爵は、求婚を続ける。
「私の家はたいした財産も無いが、だからこそ浮気はしない。自分で言うのもなんだが、よく働くし、病気もしたことがない。
それに我が家は……由緒正しき、暗殺者の家系なのだ」
「由緒正しいってなんだィそりゃ」
「君のような、負の部分を恐れない人が理想だ。
どうだろう、受け入れてはもらえまいか?」
ラウラは白い頬を、ほんのり愛らしく薔薇色に染め、おずおずと答えた。
「ああ、喜んで、伯爵さま……。どうぞよろしく、お願い致します」
あっさりと、婚約が成立した。
ダニエルは慌てて、暴走した男を止める。
「オイオイおーい、殺されちまうぞ馬鹿!いくら貧乏で嫁の貰いどころがないからって」
フランツはいずれ妻になる女の手を取り、皮肉まじりに言い返す。自嘲か、口角がわずかに上がっていた。
「なに、暗殺者というものは、えてして王権に屠られるものだ。
そう、沈黙のままに」