先生。人見先生。私は、あなたを愛しています。
　学校の玄関で、彼女がそう伝えた後に待っていたのは、彼、人見広介の錯乱と狂気だった。

「僕を愛してる？　君みたいな娘が？」

　信じられない、という表情。
　彼女は、自分の妄想の産物ではないのか？　疑いが脳裏をよぎる。だから、人見は少女を信じられない。
　けれど彼女は、彼の少し長めの髪も、虚ろな瞳も、拒絶を言い放つ唇も、愛している。
　人見広介の全てを、愛していた。
　美しい少女は、慈愛に満ちた表情で彼を見つめる。

「先生、私を受け入れてください。そうしたら、楽になれますから……」

　少女は年齢に反して、聖母のように微笑む。

「さあ、私の手を取って……」
「嫌だ……！」
　人見は、慈悲深い彼女の手を振り払った。

「何故？　私を受け入れさえすれば、あなたはここから自由になれるんですよ？」
「…………黙れ！」

　男の両手が、少女の細い首を絞める。

「せ、んせぇ…………」

　苦しみに喘ぐ少女。
　目を見開き、涙を流しながら少女を殺そうとする男。
　やがて、少女の体から力が抜け、手足がだらりと垂れた。
　彼女は、死んだ。いや、殺されたのだ。
　その翌日。学校の玄関には、元気な姿の美しい少女がいる。

「あ、人見先生～！」

　人見を見付けると、手を振って笑顔を浮かべる少女。
「ああ、君か……」

　男は、少女の死からの復活を認識出来ていない。

「先生、私は全ての人を平等に愛しているんです。だから、人見先生のこともちゃんと愛してあげたいんです」

　そう。彼女は、世界中の人を愛している。さらに言うと、世界中の命を愛しているのだ。

「先生、私と静かな場所へ行きましょう？」
「……分かったよ」

　人見は、そっと差し出された手を握る。

「ふふ。やっと、ふたりきりになれますね。こんなところから、さよなら出来ますね、先生」
「そうだな…………」

　少女は、見惚れるほど綺麗に笑った。
　男は、ほんの少しだけ口角を上げる。

　病院の玄関の壁にかけられた、プラスチックの花瓶に入れられた造花を手に取り、人見広介は歩き出した。