うちよそ

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 彼女と連絡が取れなくなって、10年。
 陶原創は、結婚して家庭を持ち、5歳のひとり娘を可愛がり、日々を暮らしている。
 それは、とても安らかで、平らか。
 しかし、時折思い出す。灰崎ありすという、鮮烈過ぎた女のことを。儚げな美人に見えて、全くそうではないところ。女王のように偉そうな態度。美味しそうに食事をする姿。創の目を見て、微笑むありす。「ありがとう」と言う声。
 全ては、過去。ありすの写真などないから、心の中のアルバムにしか、彼女はいない。その癖、魂に刻まれてしまっている記憶。
 灰崎ありすは、嵐だった。
 休日の昼間。妻を買い物に送り出し、娘と遊ぶ。

「パパ! これよんで!」
「うん、了解」
「はやく!」

「……不思議の国のアリス」と、タイトルを読み上げたところで、インターホンが鳴った。

「ごめん。ちょっと待ってね」
「うん」

 娘を待たせ、玄関先を映す画面を覗く。

「え…………?」
『いるな。早く出て来い。私は腹が減っている』
「ありすさん……?」

 白日夢や幻ではない。確かに、そこにありすがいる。

『私を知っているのか。尚更、早く来い』
「はい……!」

 創は、混乱しながら、玄関へ向かい、ドアを開けた。
 ありすは、10年前と遜色ない美しい姿で、腕を組んで立っている。

「ん? 見たことある顔だな」
「あの、陶原創です」
「ああ、創か。久し振り」

 勝手に消えたはずなのに、気安くそんなことを言う。

「ふーん。結婚したのか?」

 左手薬指の指輪を見て、尋ねる。

「はい……」
「おめでとう。飯をくれるなら、私を眺めてもいいぞ」

 相変わらず、“そういう”生き方をしていることに驚いた。本当に、誰のものにもならなかったのか。

「ど、どうぞ」
「邪魔するぞ」

 遠慮なく、ありすは家に上がった。

「パパ、このひとだれ?」
「この人は……」
「灰崎ありす。ありすと呼んでいいぞ、子供」
「ありす! ふしぎのくにの?!」
「それは別人だな」
「ありすは、パパのともだち?」
「そうだ。賢いな、子供。お前のパパに、飯を作ってもらう」

 あああ。なんだか、勝手に話が進んでいる。
 ありすは、すでに椅子に座っているし、娘はその隣に座って話しかけ続けていた。

「何か、作って来ます」
「ああ」
「ありす、どこからきたの?」
「月にある城」
「へー! どうやってきたの?」
「ロケットで」

 後ろ髪を引かれながら、キッチンへ向かう。冷蔵庫には、卵。冷凍庫には、白米がひとり分。チャーハンなら出来そうだ。
 白米と卵、それと塩コショウ。それらを調理する。
 楕円形の皿に盛り、スプーンと一緒にトレーに乗せて運ぶ。
 ありすの元へ戻ると、娘が彼女の膝の上に座っていた。

「わー!? すいません!」
「気にするな。子供、私は飯を食うから、降りろ」
「はーい」

 さあ、食事の準備は出来た。と言わんばかりの視線を寄越すありす。
「どうぞ」と、トレーを置き、ありすの向かいに座った。

「いただきます」

 やはり彼女は、とても美味しそうに料理を食べる。

「美味い。褒めてやろう」
「ありがとうございます」

 懐かしいやり取り。あの、1Kの部屋を思い出した。

「ごちそうさま」

 食べ終わると、すぐに席を立って、鞄を手に取るありす。

「あの、お茶…………」
「そういうことは、早く言え」
「すいません」

 ありすは、椅子に座り直して、お茶を待つ。
 彼女が緑茶を飲む間も、目が釘付けだった。
 その後。

「じゃあな。さよなら、創。それと、子供」
「ばいばい」
「はい……」

 玄関で、ありすを見送る。
 ありすは、振り返らず去って行った。

「パパ。ありす、きれいだったねえ」
「うん……」

 俺なんかじゃ、手が届かなかった人なんだよ。
 内心、独り言ちる創。

「またくる?」
「もう来ないよ」

 だって、ありすは、「さよなら」と言ったから。
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