創作企画「冥冥の澱」
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この家には、闇が渦巻いている。それは、私が生まれる前から続く、呪いのようなもの。
「宵さん……おかえりなさい……」
「ご心配をおかけしました、お母様」
呪いの犠牲者、狐ヶ崎花。私の母は、困ったような笑みで言う。
「……宵さん。どうして、急に旅行なんて……」
「お母様。何も告げずに行ったことは、謝ります。ですが、私は、生まれながらに自由なんです。あなたも、そうです。思い出してください。私も、お母様も、自分の人生を生きるべきです」
「日が暮れたら、照雄さんと明さんがお帰りになるわ。宵さん……お逃げなさい……」
母は、わずかに笑みを曇らせ、忠告した。
「いいえ、逃げません。お母様、私と一緒に闘うんです。父と兄の言いなりなんて、おかしいですよ」
「……神様に逆らうようなものだわ」
「ただの人間です。お母様、お父様に付き従うことが、あなたの幸せなんですか?」
「私、幸せよ。毎日、なんの不安もありませんもの」
「お母様、かつては、ひとり旅がお好きでしたよね? それは、不安もあったかもしれません。しかし、あなたは、日々を楽しんでいたはずです」
「母は、狐ヶ崎に嫁入りしたのよ。だから————」
「狐ヶ崎の嫁でもなく、母でもなく、あなたはどうなんですか?」
「私? 私は…………」
狐ヶ崎花の顔から、笑みが消える。張り付けた薄皮が、剥離する。
「女がひとりで遊び歩くなんて、はしたないと言われたわ。家事なんてしなくていいから、身綺麗にして側に立っていろと言われたわ」
口元を隠そうとする右手が、震えていた。
「……私、出来ることなら、あの旅の続きをしたいわ」
「出来ますよ。今からでも可能です」
「私は……宵さんと闘うわ……」
「ありがとうございます。必ず、勝ちます。お母様、お手伝いさんたちを集めてください」
「え、ええ……田中さん、皆さんを呼んでいただけるかしら?」
「はい、奥様」
もうすぐ、父と兄が帰ってくる。
◆◆◆
大広間に、ずらりと女中たちが集まり、私と母は、その前に立つ。
父と兄を迎えた田中さんが、こちらへと誘導してくれる手筈だ。
「宵! お前、どの面下げて帰って来た?!」
襖が開き、兄が怒鳴り込んでくる。その後ろには、見るからに不機嫌な父。
「なんだ? 女中どもなんぞ集めて?」
父が、怪訝そうに口を開く。
「お兄様、そしてお父様。私、狐ヶ崎宵は、本日より、あなた方に従うのをやめます」
「は? お前、弟のくせに何を言っている?」
「それから! お母様は、ひとり旅に出ます!」
「あ?」
「花?」
「私、狐ヶ崎花は、明日には、この家を出ます。ひとりでヨーロッパ巡りをしますので。終わったら、帰って来て差し上げますわ」
「お母様、何を……」
「花! お前、何を言っているか分かっているのか?!」
父の怒声をものともせず、母は凛と立っている。
「照雄さん。あなたのこと、嫌いにはなりきれませんでした。ずっと、そうなのでしょうね。ですが、私は、あなたの集めている美術品のひとつのような心地でしたわ。だから一度、あなたから離れます」
真っ直ぐ、父を見つめて、宣言した。
「……ふたりとも、座敷牢行きだ」
「お言葉ですが、旦那様」
「なんだ?」
田中さんが、絞り出すように言葉を続ける。
「わたくしたちは、奥様と宵様に付きます。おふたりを害するようでしたら、わたくしたちは、皆、お暇をいただきます」
“女”が楯突いたことに、父と兄は驚愕した様子。
「照雄様、そして、明様。わたくしたち女中の名前を、ひとりでも覚えていらっしゃいますか? 奥様、いえ、花様と宵様は、全員の名前を呼んでくださいます」
「女如きが! 調子に乗るな! 全員解雇だ!」
「おやおや。そんなこと出来るんですか? お父様。その“女如き”にお世話されているご自分を顧みたらどうですか?」
「宵、お前!」
父が、拳を振り上げる。そうすることはお見通しなので、私は、ひょいと避けた。
「あなたは最早、体制側ではないんですよ」
哀れな人たち。いつまでも“女たち”の自我の屍の上に座っていられると思うな。
「そうでした、そうでした。私、恋人が出来ましたので、縁談を持ってくるのはやめてくださいね」
「なんだと? お前なんかを好きになる女がいたのか?」
愚かな人。こんなのが、私の兄か。
「女性ではありませんよ」
「……お前。おかしいと思っていたんだ。お前、女なのか? 髪を伸ばしているのは、そういうことだったんだな」
「はぁ。あなたは、偏見の塊ですね。正直、お話にならない」
「じゃあ、なんだ? 男同士で付き合ってるというのか? 気色悪い」
「あなたなんかに何を言われようと、私は私の道を行きますので。お父様、お兄様。今から、この家で肩身が狭くなるのは、あなた方ですよ」
私は、ふたりを睨みながら、告げる。
「せいぜい、皆さんに感謝しながら、日々をお過ごしください」
父と兄は押し黙って、嫌悪感をあらわにした。
「では、通常業務に戻りますわ」
田中さんが、そう言うと、お手伝いさんたちは、それぞれの持ち場へと戻る。
「私は、旅支度をします。止めても無駄ですからね」
母は、さっさと自室へ向かう。
「私も、部屋に下がらせてもらいます。おふたりは、身の振り方をじっくりお考えくださいね」
ふたりの横をすり抜けて、私は自室を目指す。
あのふたりが、これからどうするのか。まだ油断は出来ないが、私は、私に出来ることをした。自由のために、尽力した。
ようやく反旗を翻した私は、からから笑う。
◆◆◆
「コンばんは。陽一さん」
『宵くん。大丈夫?』
「うーん、まあ、今のところは。父と兄に言いたいことは、だいたい言えました。清々しい気持ちです」
『僕は、いつでも宵くんの味方だからね』
「ありがとうございます。世界で一番好きですよ、陽一さん」
『僕も、宵くんのことが、世界で一番好きだよ』
「あははっ! 私は、果報者ですね」
「宵さん……おかえりなさい……」
「ご心配をおかけしました、お母様」
呪いの犠牲者、狐ヶ崎花。私の母は、困ったような笑みで言う。
「……宵さん。どうして、急に旅行なんて……」
「お母様。何も告げずに行ったことは、謝ります。ですが、私は、生まれながらに自由なんです。あなたも、そうです。思い出してください。私も、お母様も、自分の人生を生きるべきです」
「日が暮れたら、照雄さんと明さんがお帰りになるわ。宵さん……お逃げなさい……」
母は、わずかに笑みを曇らせ、忠告した。
「いいえ、逃げません。お母様、私と一緒に闘うんです。父と兄の言いなりなんて、おかしいですよ」
「……神様に逆らうようなものだわ」
「ただの人間です。お母様、お父様に付き従うことが、あなたの幸せなんですか?」
「私、幸せよ。毎日、なんの不安もありませんもの」
「お母様、かつては、ひとり旅がお好きでしたよね? それは、不安もあったかもしれません。しかし、あなたは、日々を楽しんでいたはずです」
「母は、狐ヶ崎に嫁入りしたのよ。だから————」
「狐ヶ崎の嫁でもなく、母でもなく、あなたはどうなんですか?」
「私? 私は…………」
狐ヶ崎花の顔から、笑みが消える。張り付けた薄皮が、剥離する。
「女がひとりで遊び歩くなんて、はしたないと言われたわ。家事なんてしなくていいから、身綺麗にして側に立っていろと言われたわ」
口元を隠そうとする右手が、震えていた。
「……私、出来ることなら、あの旅の続きをしたいわ」
「出来ますよ。今からでも可能です」
「私は……宵さんと闘うわ……」
「ありがとうございます。必ず、勝ちます。お母様、お手伝いさんたちを集めてください」
「え、ええ……田中さん、皆さんを呼んでいただけるかしら?」
「はい、奥様」
もうすぐ、父と兄が帰ってくる。
◆◆◆
大広間に、ずらりと女中たちが集まり、私と母は、その前に立つ。
父と兄を迎えた田中さんが、こちらへと誘導してくれる手筈だ。
「宵! お前、どの面下げて帰って来た?!」
襖が開き、兄が怒鳴り込んでくる。その後ろには、見るからに不機嫌な父。
「なんだ? 女中どもなんぞ集めて?」
父が、怪訝そうに口を開く。
「お兄様、そしてお父様。私、狐ヶ崎宵は、本日より、あなた方に従うのをやめます」
「は? お前、弟のくせに何を言っている?」
「それから! お母様は、ひとり旅に出ます!」
「あ?」
「花?」
「私、狐ヶ崎花は、明日には、この家を出ます。ひとりでヨーロッパ巡りをしますので。終わったら、帰って来て差し上げますわ」
「お母様、何を……」
「花! お前、何を言っているか分かっているのか?!」
父の怒声をものともせず、母は凛と立っている。
「照雄さん。あなたのこと、嫌いにはなりきれませんでした。ずっと、そうなのでしょうね。ですが、私は、あなたの集めている美術品のひとつのような心地でしたわ。だから一度、あなたから離れます」
真っ直ぐ、父を見つめて、宣言した。
「……ふたりとも、座敷牢行きだ」
「お言葉ですが、旦那様」
「なんだ?」
田中さんが、絞り出すように言葉を続ける。
「わたくしたちは、奥様と宵様に付きます。おふたりを害するようでしたら、わたくしたちは、皆、お暇をいただきます」
“女”が楯突いたことに、父と兄は驚愕した様子。
「照雄様、そして、明様。わたくしたち女中の名前を、ひとりでも覚えていらっしゃいますか? 奥様、いえ、花様と宵様は、全員の名前を呼んでくださいます」
「女如きが! 調子に乗るな! 全員解雇だ!」
「おやおや。そんなこと出来るんですか? お父様。その“女如き”にお世話されているご自分を顧みたらどうですか?」
「宵、お前!」
父が、拳を振り上げる。そうすることはお見通しなので、私は、ひょいと避けた。
「あなたは最早、体制側ではないんですよ」
哀れな人たち。いつまでも“女たち”の自我の屍の上に座っていられると思うな。
「そうでした、そうでした。私、恋人が出来ましたので、縁談を持ってくるのはやめてくださいね」
「なんだと? お前なんかを好きになる女がいたのか?」
愚かな人。こんなのが、私の兄か。
「女性ではありませんよ」
「……お前。おかしいと思っていたんだ。お前、女なのか? 髪を伸ばしているのは、そういうことだったんだな」
「はぁ。あなたは、偏見の塊ですね。正直、お話にならない」
「じゃあ、なんだ? 男同士で付き合ってるというのか? 気色悪い」
「あなたなんかに何を言われようと、私は私の道を行きますので。お父様、お兄様。今から、この家で肩身が狭くなるのは、あなた方ですよ」
私は、ふたりを睨みながら、告げる。
「せいぜい、皆さんに感謝しながら、日々をお過ごしください」
父と兄は押し黙って、嫌悪感をあらわにした。
「では、通常業務に戻りますわ」
田中さんが、そう言うと、お手伝いさんたちは、それぞれの持ち場へと戻る。
「私は、旅支度をします。止めても無駄ですからね」
母は、さっさと自室へ向かう。
「私も、部屋に下がらせてもらいます。おふたりは、身の振り方をじっくりお考えくださいね」
ふたりの横をすり抜けて、私は自室を目指す。
あのふたりが、これからどうするのか。まだ油断は出来ないが、私は、私に出来ることをした。自由のために、尽力した。
ようやく反旗を翻した私は、からから笑う。
◆◆◆
「コンばんは。陽一さん」
『宵くん。大丈夫?』
「うーん、まあ、今のところは。父と兄に言いたいことは、だいたい言えました。清々しい気持ちです」
『僕は、いつでも宵くんの味方だからね』
「ありがとうございます。世界で一番好きですよ、陽一さん」
『僕も、宵くんのことが、世界で一番好きだよ』
「あははっ! 私は、果報者ですね」