創作企画「冥冥の澱」
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朝が来た。いつも通りの、朝。窓から射し込む光。鳥の囀り。家人の生活音。そのどれもが鬱陶しくて、布団から出られない。
「宵様? 起きていらっしゃいますか?」
女中の声。彼女は、確か、田中さん。
「今、起きます…………」
緩慢な動作で、身を起こす。洗面所へ行き、顔を洗って、髪をとかして、結ぶ。のろのろと自室へ戻り、寝間着から、洋服へ着替える。
父母と兄が揃った食卓は、いつもよりも気が滅入った。
「おはようございます」
「遅いな。寝坊か?」
兄が問う。
「はい。申し訳ありません」
何も食べたくない。けれど、「いただきます」を言い、無理矢理に胃袋に詰め込んだ。残すと怒られるから。昔から、そうだ。
今日は、午前中から、大学の講義がある。鞄に、筆記用具や哲学書が入っていることを確認して、玄関へ向かう。
「いってきます、田中さん」
「いってらっしゃいませ」
田中さんは、一礼した。そんなこと、しなくていいのに。でも、それを言うと、田中さんに迷惑がかかる。
私は、バス停まで歩いた。運転手に車で送迎させればいいのに、何故? と父や兄は不思議がる。私が通う大学では、悪目立ちするんですよ。
バスに乗り、大学前で降りる。今日の哲学科の講義は、「人間とは何か?」という内容。
肉の器に囚われた精神じゃないですか? しかも、肉の器には、他人に貼られたラベルがあるんですよ。剥がしても剥がしても、また貼られるから。嫌になる。
私に、反抗期はなかった。モラトリアムは許されない。レールから外れたら、出来損ない呼ばわり。
飄々と、努めて生きているけれど。狐ヶ崎の異端として、意地を張っているけれど。
もう、哲学的ゾンビになってしまいたい。
自我なんて、意識なんて、なんの意味があるんですか? 誰か教えてくださいませんか?
◆◆◆
夜が来た。いつも通りの、夜。
布団に潜り込み、考える。明日、目が覚めなければいいのになぁ。調子が悪い時は、必ずそんなことを思う。
なかなか、寝付けない。胸の内に、黒い靄が渦巻いている。
結局、一睡も出来なかった。
窓から射し込む、容赦のない光。耳障りな鳥の囀り。いつまでも好きになれない家人の生活音。
そのどれもが恐ろしくて。私は、布団の中で、胎児みたいに丸まった。
そして、私は、動けなくなる。ずっと、ずっと。何日経ったのだろう? 家族たちが寝静まった後に、こそこそ台所に行き、水を飲む。
人間って、水だけで何日生きられるんだっけ?
夜が来ると、思い出す。女中の心配そうな声。父の怒声。母の泣き声。兄の罵声。
うるさいな。
「宵様、どうなさったのですか?」
「宵、部屋に籠るなど、恥ずかしくないのか?! それでも男か?!」
「宵さん、出て来て。母は、心配です」
「この穀潰しが」
うるさいって言ってるじゃないですか。
そうだ。いいことを思い付いた。
自室へ戻る。そして、押し入れから、クライミングロープを取り出す。
それから。えーと。椅子。椅子を踏み台にして、ロープを梁にかける。くるりと、輪を作って、首にかければ、準備は完了。
「狐ヶ崎に、呪いあれ。私は、夜毎にお前たちを呪う。日が沈む度に、震えろ」
私は、椅子を倒した。
私の脳裏に最期に過ったのが、意外な人だったから、驚いたけど、もう死ぬので。あなたは、幸せになってくださいね。
◆◆◆
狐ヶ崎家の一室に、ある男の呪いと澱みが混ざり、怪異が巣食った。それは、夜に訪れる。梁が軋む音と、ぎぃぎぃ揺れる、何か。
その部屋には、かつて、狐ヶ崎宵が生きていた。
「宵様? 起きていらっしゃいますか?」
女中の声。彼女は、確か、田中さん。
「今、起きます…………」
緩慢な動作で、身を起こす。洗面所へ行き、顔を洗って、髪をとかして、結ぶ。のろのろと自室へ戻り、寝間着から、洋服へ着替える。
父母と兄が揃った食卓は、いつもよりも気が滅入った。
「おはようございます」
「遅いな。寝坊か?」
兄が問う。
「はい。申し訳ありません」
何も食べたくない。けれど、「いただきます」を言い、無理矢理に胃袋に詰め込んだ。残すと怒られるから。昔から、そうだ。
今日は、午前中から、大学の講義がある。鞄に、筆記用具や哲学書が入っていることを確認して、玄関へ向かう。
「いってきます、田中さん」
「いってらっしゃいませ」
田中さんは、一礼した。そんなこと、しなくていいのに。でも、それを言うと、田中さんに迷惑がかかる。
私は、バス停まで歩いた。運転手に車で送迎させればいいのに、何故? と父や兄は不思議がる。私が通う大学では、悪目立ちするんですよ。
バスに乗り、大学前で降りる。今日の哲学科の講義は、「人間とは何か?」という内容。
肉の器に囚われた精神じゃないですか? しかも、肉の器には、他人に貼られたラベルがあるんですよ。剥がしても剥がしても、また貼られるから。嫌になる。
私に、反抗期はなかった。モラトリアムは許されない。レールから外れたら、出来損ない呼ばわり。
飄々と、努めて生きているけれど。狐ヶ崎の異端として、意地を張っているけれど。
もう、哲学的ゾンビになってしまいたい。
自我なんて、意識なんて、なんの意味があるんですか? 誰か教えてくださいませんか?
◆◆◆
夜が来た。いつも通りの、夜。
布団に潜り込み、考える。明日、目が覚めなければいいのになぁ。調子が悪い時は、必ずそんなことを思う。
なかなか、寝付けない。胸の内に、黒い靄が渦巻いている。
結局、一睡も出来なかった。
窓から射し込む、容赦のない光。耳障りな鳥の囀り。いつまでも好きになれない家人の生活音。
そのどれもが恐ろしくて。私は、布団の中で、胎児みたいに丸まった。
そして、私は、動けなくなる。ずっと、ずっと。何日経ったのだろう? 家族たちが寝静まった後に、こそこそ台所に行き、水を飲む。
人間って、水だけで何日生きられるんだっけ?
夜が来ると、思い出す。女中の心配そうな声。父の怒声。母の泣き声。兄の罵声。
うるさいな。
「宵様、どうなさったのですか?」
「宵、部屋に籠るなど、恥ずかしくないのか?! それでも男か?!」
「宵さん、出て来て。母は、心配です」
「この穀潰しが」
うるさいって言ってるじゃないですか。
そうだ。いいことを思い付いた。
自室へ戻る。そして、押し入れから、クライミングロープを取り出す。
それから。えーと。椅子。椅子を踏み台にして、ロープを梁にかける。くるりと、輪を作って、首にかければ、準備は完了。
「狐ヶ崎に、呪いあれ。私は、夜毎にお前たちを呪う。日が沈む度に、震えろ」
私は、椅子を倒した。
私の脳裏に最期に過ったのが、意外な人だったから、驚いたけど、もう死ぬので。あなたは、幸せになってくださいね。
◆◆◆
狐ヶ崎家の一室に、ある男の呪いと澱みが混ざり、怪異が巣食った。それは、夜に訪れる。梁が軋む音と、ぎぃぎぃ揺れる、何か。
その部屋には、かつて、狐ヶ崎宵が生きていた。