創作企画「冥冥の澱」
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狐ヶ崎家は、元を辿れば、狐憑きの家である。支えた主の政敵を、呪い殺してきたのだという。
私は、符に、筆で呪言を記す。けれど、これは人を殺すためではない。澱みを浄化するためのものだ。自室でひとり、文机に向かっている。静寂が私を包み、自然と背筋を伸ばさせた。
博巳先生に、習字を教わってきたので、文字は綺麗に書けている。私は、満足して、墨が乾いた呪符を制服のあちこちに仕込む。
「宵くんは、美しい字を書くね」
先生に、初めて私の書いた文字を見てもらった時の言葉を思い出す。実は、博巳先生と出会う前から、習字は教わっていたのだ。子供の頃、狐ヶ崎家の家庭教師に。何度、手を打たれたことだろう。
「そんな弱々しい文字では、呪符とは呼べません」
「はい、先生」
苦痛だった。墨で文字を綴る時間は、苦痛でしかなかった。
それを変えてくれたのが、真咲博巳先生である。今では、楽しく文字を書ける。
思えば、私は、家から得られなかったものを取り戻すばかりの日々を送っていると気付く。
きっと、両親も、家庭教師も、家の女中たちも、私に愛情を注いできている。私にとって、それは愛ではなかったけれど。お陰様で、愛情が何なのか、さっぱり分かりません。
女中、といえば。ひとりだけ、好きな人がいた。それは、別に恋ではないと思うが。子供心に、いい人だな、と思える存在がいた。けれど、その人は、「鈍臭い」という兄の一言でクビになり、所在は分からない。
今なら、私は彼女を守れただろうか?
残念ながら、そんな光景は、思い浮かばない。大切なものは、いつも私の手の届かないところへ行ってしまう。そういう、漠然とした諦めが、私の中にある。拭っても拭っても、消えない汚れみたいなものが、心に巣くっている。
それでも、光はあるのだ。大切な人たちがいて、楽しい時間がある。
友人との語らいや、仲間たちとのバカ騒ぎ。何度、お祭りが終わっても、また次のお祭りに行けばいい。
その輝きにすがって、私は生きている。
◆◆◆
「宵」
出かけようとした玄関先で、兄に呼び止められる。
「なんでしょう? お兄様」
「お前、近頃、怪しい店で酒を飲んでるらしいな」
「はぁ。と、言いますと?」
「しらばっくれる気か? 俺の優秀な部下が見たと言っている」
「そう言われましても。私は、もう成人ですし、怪しい店ではありませんよ。よく、バーに寄らせていただいてます」
「はっ。お前が? バーに? 立派になったものだな。大学では、哲学などという遊びをして、しょっちゅう家を空けては遊び歩いている、お前が? 図に乗るなよ」
「家業の手を抜いた覚えはありませんが」
「そういう話じゃない。狐ヶ崎の名に相応しく、品行方正でいろと言っている」
何が、狐ヶ崎の名だ。ただの呪い屋じゃないか。という言葉を呑み込む。
「そうですね。私の行いが家に相応しくないなら、ひとり暮らしを認めるというのは?」
「まだ、そんな寝言を言うのか。お前は、つくづく出来の悪い弟だよ。少しは————」
「ああっと! もう、コンな時間! 今日は、絵画教室へ行きますので! ごきげんよう、お兄様!」
耐え切れなくなった私は、一方的に会話を打ち切り、足早に外へ出た。
助けて。誰か、助けて。早く、ここから出して。もう嫌だ。私を、助けてください。
気付けば私は、全速力で走っていた。とにかく、家から離れたくて。私の人生を否定されたくなくて。私から、大切なものを取り上げられたくなくて。
◆◆◆
絵画教室が終わり、私は亀より遅い歩みで、帰路を行く。帰りたくない理由なんて、いくらでもあった。
「宵くん?」
「……あ」
振り返ると、そこには、陽一さんがいる。
「…………コン」
私は、急いで手で狐を作り、いつもみたいにした。
「元気ないね?」
やめて。取り繕わせて。気付かないで。
「何かあったの?」
構わないで。優しくしないで。心配そうにしないで。空っぽだって、バレたくないよ。
「いえ、ちょっと絵画教室で色々ありまして。好きなものを描いてと言われて、狐を描いたんですけど、どうも、犬っぽくなってしまうというか…………」
「そうなんだ。でも、宵くんなら、すぐに上手く描けるようになるよ。宵くんは、なんでも出来るから」
眩しいなぁ。夕陽が、凄く眩しい。眩し過ぎて、何も見えない。
「陽一さん、今から、ふたりで何処か行きませんか? どこでもいいから…………」
「えっ? 僕と? どこでもって……」
「私の家族がいないとこ。何処か遠い、誰も私を知らないとこ」
「…………宵くん?」
「あははっ! コンなこと、急に言われても困りますよね! 帆希さんにも、よく言われます」
私は、くるりと陽一さんに背を向けた。夕焼けを背にして、私は懸命に、いつもの“狐ヶ崎宵”をやる。
「コンコン! では、失礼します。また、面白いことを思い付いたら、メッセージ送りますね」
「う、うん。またね、宵くん」
陽一さんと別れ、私は歩き出す。いつも通りに、家へと向かう。
泣いてることが、バレませんように。
私は、符に、筆で呪言を記す。けれど、これは人を殺すためではない。澱みを浄化するためのものだ。自室でひとり、文机に向かっている。静寂が私を包み、自然と背筋を伸ばさせた。
博巳先生に、習字を教わってきたので、文字は綺麗に書けている。私は、満足して、墨が乾いた呪符を制服のあちこちに仕込む。
「宵くんは、美しい字を書くね」
先生に、初めて私の書いた文字を見てもらった時の言葉を思い出す。実は、博巳先生と出会う前から、習字は教わっていたのだ。子供の頃、狐ヶ崎家の家庭教師に。何度、手を打たれたことだろう。
「そんな弱々しい文字では、呪符とは呼べません」
「はい、先生」
苦痛だった。墨で文字を綴る時間は、苦痛でしかなかった。
それを変えてくれたのが、真咲博巳先生である。今では、楽しく文字を書ける。
思えば、私は、家から得られなかったものを取り戻すばかりの日々を送っていると気付く。
きっと、両親も、家庭教師も、家の女中たちも、私に愛情を注いできている。私にとって、それは愛ではなかったけれど。お陰様で、愛情が何なのか、さっぱり分かりません。
女中、といえば。ひとりだけ、好きな人がいた。それは、別に恋ではないと思うが。子供心に、いい人だな、と思える存在がいた。けれど、その人は、「鈍臭い」という兄の一言でクビになり、所在は分からない。
今なら、私は彼女を守れただろうか?
残念ながら、そんな光景は、思い浮かばない。大切なものは、いつも私の手の届かないところへ行ってしまう。そういう、漠然とした諦めが、私の中にある。拭っても拭っても、消えない汚れみたいなものが、心に巣くっている。
それでも、光はあるのだ。大切な人たちがいて、楽しい時間がある。
友人との語らいや、仲間たちとのバカ騒ぎ。何度、お祭りが終わっても、また次のお祭りに行けばいい。
その輝きにすがって、私は生きている。
◆◆◆
「宵」
出かけようとした玄関先で、兄に呼び止められる。
「なんでしょう? お兄様」
「お前、近頃、怪しい店で酒を飲んでるらしいな」
「はぁ。と、言いますと?」
「しらばっくれる気か? 俺の優秀な部下が見たと言っている」
「そう言われましても。私は、もう成人ですし、怪しい店ではありませんよ。よく、バーに寄らせていただいてます」
「はっ。お前が? バーに? 立派になったものだな。大学では、哲学などという遊びをして、しょっちゅう家を空けては遊び歩いている、お前が? 図に乗るなよ」
「家業の手を抜いた覚えはありませんが」
「そういう話じゃない。狐ヶ崎の名に相応しく、品行方正でいろと言っている」
何が、狐ヶ崎の名だ。ただの呪い屋じゃないか。という言葉を呑み込む。
「そうですね。私の行いが家に相応しくないなら、ひとり暮らしを認めるというのは?」
「まだ、そんな寝言を言うのか。お前は、つくづく出来の悪い弟だよ。少しは————」
「ああっと! もう、コンな時間! 今日は、絵画教室へ行きますので! ごきげんよう、お兄様!」
耐え切れなくなった私は、一方的に会話を打ち切り、足早に外へ出た。
助けて。誰か、助けて。早く、ここから出して。もう嫌だ。私を、助けてください。
気付けば私は、全速力で走っていた。とにかく、家から離れたくて。私の人生を否定されたくなくて。私から、大切なものを取り上げられたくなくて。
◆◆◆
絵画教室が終わり、私は亀より遅い歩みで、帰路を行く。帰りたくない理由なんて、いくらでもあった。
「宵くん?」
「……あ」
振り返ると、そこには、陽一さんがいる。
「…………コン」
私は、急いで手で狐を作り、いつもみたいにした。
「元気ないね?」
やめて。取り繕わせて。気付かないで。
「何かあったの?」
構わないで。優しくしないで。心配そうにしないで。空っぽだって、バレたくないよ。
「いえ、ちょっと絵画教室で色々ありまして。好きなものを描いてと言われて、狐を描いたんですけど、どうも、犬っぽくなってしまうというか…………」
「そうなんだ。でも、宵くんなら、すぐに上手く描けるようになるよ。宵くんは、なんでも出来るから」
眩しいなぁ。夕陽が、凄く眩しい。眩し過ぎて、何も見えない。
「陽一さん、今から、ふたりで何処か行きませんか? どこでもいいから…………」
「えっ? 僕と? どこでもって……」
「私の家族がいないとこ。何処か遠い、誰も私を知らないとこ」
「…………宵くん?」
「あははっ! コンなこと、急に言われても困りますよね! 帆希さんにも、よく言われます」
私は、くるりと陽一さんに背を向けた。夕焼けを背にして、私は懸命に、いつもの“狐ヶ崎宵”をやる。
「コンコン! では、失礼します。また、面白いことを思い付いたら、メッセージ送りますね」
「う、うん。またね、宵くん」
陽一さんと別れ、私は歩き出す。いつも通りに、家へと向かう。
泣いてることが、バレませんように。