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夜。海辺で星空を見上げていた。
ミョウジナマエは、魔術師である。水を操る魔術を得意とし、研鑽を重ねてきた。
「はぁ~」
大きな溜め息をつく。
もうすぐ16歳になる少年には、悩みがあった。
自分の存在価値。存在証明。そんな、思春期らしい悩み事。
黒い海が、静かに彼を見ている。
そして。しばらくして、ナマエは旅をすることにした。
◆◆◆
「お嬢様、起きてくださいまし」
「うー、ん…………」
「本日は、晴天でございますよ」
主人である遠坂凛の寝室のカーテンを開ける長身のメイド。
「……おはよう、ナマエ」
「おはようございます。もうすぐ朝食ですよ」
「はーい」
メイド服の男、ミョウジナマエは、エプロンドレスを翻してキッチンへ向かう。
何故、彼がメイドの格好をしているのかというと、凛が年頃の娘だかららしい。長い髪を三つ編みのおさげにしているのも同じ理由だそうだ。
しかし、ナマエの身長は190㎝で、体重は78㎏である。それでも、冬木市ではメイドとして押し通していた。
「ナマエ、朝食のメニューは何?」
凛は、テーブル席に座り、質問する。
「クロックムッシュでございます」と答えながら、銀色のトレイを運んで来るメイド。
「美味しそうね」
「ええ、もちろん。わたしの自信作でございますから」
凛の前に飲み物と料理を並べ、ナマエは、姿勢正しく脇に控えた。
「いただきます」
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
凛は、「美味しい」と言い、朝食を食べ続ける。
その後。凛の登校を見送ってから、ナマエは庭に出て、アークローヤル・スイートに火を着けた。
「ふう」
チョコレートのフレーバーの煙草は、彼のお気に入りである。
ミョウジナマエを拾ってくれた遠坂時臣が聖杯戦争で亡くなってから、10年が過ぎた。
桜様は、間桐家の養子になってしまったし、奥様も亡くなられ、凛様は独り。わたしが、支えなくては。
ナマエは、固く決意している。
さて。
ナマエは、日用品や食材の買い出しに行くことにした。
遠坂邸に施錠し、街へ出る。
旬の食べ物を値切り、セール品の消耗品を買い足し、帰宅した。
買ってきたものをしまい、掃除を始める。棚の埃を拭き、床を掃き、ゴミ出しをした。
終わってから、少し休憩をする。
紅茶を淹れて、チョコレートのアソートの箱を開けた。チョコレートは、ナマエの好物である。
「…………」
近頃、嫌な予感がしていた。彼の、そういう勘はよく当たる。
第五次聖杯戦争が始まるまで、もう少し。
◆◆◆
16歳の少年は、歩いて旅をしている。
故郷の千葉県から、西へ西へと歩いて旅をした。
そうして、数ヶ月後。ミョウジナマエは、冬木市を訪れる。
季節は、冬。粉雪がナマエの上に降りかかる。
さて。どこかバイト先を探さなくてはならない。
ナマエが街を歩いていると、品のいい男を見かけた。家柄のよさそうな立ち姿が、彼の視線を釘付ける。
「君」
「はい……!?」
いつの間にか近付いていた男に話しかけられ、ナマエは飛び上がりそうになった。
「どうかしたのか?」
「あ、いや。すいません。なんでもないです」
慌てて、そう答えたその時、大きく腹の虫が鳴く。
「ふむ。空腹のようだ」
「…………」
ナマエは、赤くなって俯いた。
「よかったら、私の家へ来なさい。見たところ、旅をしているのだろう?」
「あ、ありがとうございます! ミョウジナマエと申します。よろしくお願いします」
「私は、遠坂時臣」
「遠坂、さん」
ナマエは、呟くように名前を呼ぶ。
ちらちら降る雪が、街灯によって星のように光っている宵。
この出会いは、きっと、ミョウジナマエの運命だった。
◆◆◆
遠坂家のメイドは、腹を立てている。凛のサーヴァントであるアーチャーに対して。
「アーチャーさん、お嬢様にそのような不遜な態度は、いかがかと思います」
「君、いや、お前のように飼い犬にはならない。私は、サーヴァントではあるが、忠義の騎士ではない」
赤い弓兵は、面倒そうにナマエに言葉を返した。
「はぁ。そうでございますね。あなたのような、どこの馬の骨かも分からない者には、期待するだけ無駄でございました」
メイド服の男は、慇懃無礼に喋る。
「では、これだけ。くれぐれも凛様のことをお守りするように、お願い申し上げますよ」
「言われるまでもない」
「はぁ、まったく。不快な男でいらっしゃいますこと」と、台詞を吐き捨て、ナマエは仕事に戻った。
夜中に外出する凛のために、コートを綺麗にし、すぐに着られるようにする。
そして、彼女の靴を磨き、きちんと揃えた。
その晩。遠坂凛とアーチャーを見送り、ナマエは煙草に火を着ける。
「ふぅ」
煙を吐き、遠坂邸の庭から夜空を眺めた。
今夜は、とても月が綺麗で、星灯りは霞んで見える。
「…………」
かつて聖杯戦争で命を落とした恩人を想い、ナマエは黙祷を捧げた。
時臣様、葵様、どうか安らかに。
煙草を一本吸い終えてから、ナマエは自室へ戻る。
それから、魔術師として主人のために出来ることをしようと思った。
「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」
精神集中のための歌を声に出し、魔術回路を起動させる。
ミョウジナマエは、小さな水晶玉に魔力を込めた。切実な祈りと共に。
◆◆◆
黒いスーツを着た男は、遠坂時臣に支えている。遠坂家に身を寄せ、時臣を主人としてから、今年で8年。
遠坂時臣は、聖杯戦争のための準備を進めていた。
使用人のミョウジナマエは、その手助けをしている。
「時臣様、お召し物の用意が出来ております」
「ああ。ありがとう、ナマエ」
時臣の着替えを手伝い、最後にリボンタイを結んだ。
「お支度、完了でございます」
「……ナマエも、もう24歳か」
自分より背が高くなったナマエを見上げて、時臣は感慨深そうに言う。
「はい。どうかなさいました?」
「いや、立派になったと思っただけだ」
「ありがとうございます」
「君は、本当にここを離れなくていいのか?」
「ええ。わたしは、ご主人様のお側におります」
「……そうか」
その後。時臣の弟子、言峰綺礼が訪れ、ナマエはふたり分の紅茶を淹れた。
ナマエは姿勢正しく時臣の横に控える。
もうすぐ、敬愛する主人とは会えなくなるとも知らずに。
◆◆◆
「ナマエ」
「はい、お嬢様」
「私、同盟を結ぶことにしたわ」
「同盟、でございますか?」
「ええ。セイバーを連れた衛宮くんとね」
「衛宮……」
その名前には、聞き覚えがあった。
前回の聖杯戦争の参加者に、そのような名前の男がいたはずである。
「その方は、いえ、なんでもございません。凛様がお決めになったのでしたら、わたしは異存ありません」
「そう」
それから、遠坂凛と衛宮士郎は、共に行動するようになった。
そんな中で、実は、恐ろしいことが裏で進行している。
夜な夜な人を、サーヴァントを喰らう影。
数日後。凛のアーチャーも、同盟者のセイバーも犠牲になった。
その上、間桐桜も聖杯戦争に関わっていると知り、ナマエは青ざめる。
「そんな……桜様が…………?」
「事実よ。あの子は、ライダーのマスターをしているわ」
「争うというのですか? 実の姉妹で……」
「…………」
凛は、一度唇を引き結んだ。
「そうなるわね。あの子が手を引かないのなら」
しかし、今のところは同盟者の家で保護されているらしい。
「では、問題となるのは、間桐の翁ということでございますね」
「そうね。アサシンを逃がしてしまったから、また仕掛けて来るはずよ」
「なんとも往生際の悪いお人でございますこと」
「まったくだわ」
疲れて椅子にもたれかかる凛を気遣い、ナマエは紅茶を淹れた。
「ナマエ。あなたも付き合いなさい」
「はい。では、失礼いたします」
凛の向かいに座り、ナマエも紅茶を飲む。
「凛様、チョコレートはいかがですか? 甘いものは疲労に効きますよ」
常備しているブランドチョコレートの箱をテーブルに置くナマエ。
「ありがとう、いただくわ」
「ええ。ご遠慮なく、どうぞ」
凛は、チョコレートアソートの中から、赤いハート型のものを指先で摘まんで口にした。
「うん。美味しいわ」
「お口に合ったのなら、よかったです」
ナマエは、柔らかく微笑む。
ふたりが休息をとっている一方で、間桐桜の歪みは、着々と大きくなっていった。
雪が降り積もるように、暗闇が増えていく。
◆◆◆
「時臣様…………」
遠坂時臣の墓前にて、ミョウジナマエは膝をついて泣いた。
「ミョウジ」
「……言峰さん」
いつの間にか、背後に言峰綺礼がいる。感情の読めない顔で、立っていた。
「あなたがついていながら、何故旦那様をお守り出来なかったのですか?!」
ナマエは、叫ぶように言峰を詰める。
「そのことについては、心より無念に思っている」
「……っ!」
彼は、嘘をついていると思った。この男には、まともな感性がないのだと思った。
ナマエのその考えは当たっているが、言峰が時臣を殺したというところまでは分からない。
「わたしは、あなたの顔を見ていたくありません。失礼します」
ナマエは言峰に背を向け、時臣の墓に一礼してから、遠坂邸へと帰る。
戻ってから。ミョウジナマエは、凛の元へ行った。
「お嬢様……」
「ナマエ、泣いてたの?」
少女は、青年の目元を見て心配そうにする。
「バレてしまいましたか。でも、大丈夫でございますよ。凛様のことも、奥様のことも、ナマエにお任せくださいませ」
「うん……」
ミョウジナマエは、優しく凛の頭を撫でた。
そして、彼女を精一杯守ろうと誓う。
◆◆◆
その日。間桐桜は、堕ちてしまった。
彼女が決壊した最後の一滴は、間桐慎二によるもの。彼は殺された。
遠坂凛は、妹の桜と戦うことを決める。
「お嬢様……」
「ナマエ。私は行くわ、あの子のところへ」
「かしこまりました。何なりとお申し付けくださいまし」
「宝石剣ゼルレッチの設計図を持って来てちょうだい」
「はい」
メイドは、主の命令に従い、彼女を送り出した。
そして、遠坂凛は決戦の舞台へ上がる。
「姉さんは、ずるい…………」
桜の怨嗟の声を受け流し、対決する凛。
結果的に。遠坂凛は、実の妹を手にかけられなかった。
桜に致命傷を負わされて、倒れる。
姉を手にかけた桜は、凛からの想いに触れ、絶望した。
意識を失い、滑り落ちる凛の体。
その凛が身に付けている小さな水晶玉が、淡く光る。
それは、ミョウジナマエの魔術によるもの。凛を生かそうとする魔術回路を助ける治癒のお守りだった。
水晶玉の治癒魔術が起動したことに気付いたナマエは、主人の元へ走る。
「凛様!」
すぐにミョウジ家が受け継いできた治癒魔術を駆使して、凛を助けようとした。
ミョウジ家は、代々治癒魔術を研究してきた家系である。
今使わずに、いつ使う? わたしは、もう誰も喪いたくない。
「お嬢様、ナマエが必ずお助けいたします……!」
ミョウジナマエの献身的な治療により、意識を取り戻した凛は、「あの子を、桜を助けてあげて……」と小さく告げた。
「かしこまりました。お任せくださいましね」
ナマエは、倒れている桜の元へ行き、治癒魔術を施す。
どうか。また、姉妹で笑える日が来ますように。
◆◆◆
先日の戦いで、言峰綺礼とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは世を去った。
桜の想い人、衛宮士郎は帰って来ない。
凛は桜を気遣い、努めて明るく振る舞った。
「帰って来るわよ、必ず。それが、どんな形であれね」
「姉さん……」
しばしの間、遠坂邸で療養してほしいとのナマエの嘆願があったため、姉妹は共に暮らしている。
「おふたり共、朝食の用意が出来ております。お席へどうぞ」
「ありがとう、ナマエ。行きましょう、桜」
「はい」
メイドは、ブラウンシチューとバゲットをふたりの前に並べ、凛の脇に控えた。
「いただきます」と、ふたり。
「はい。お召し上がりくださいまし」
「あの、ナマエさんは、何故メイド服を着ているんですか?」
桜が、小さく疑問を口にする。
彼女が遠坂の家にいた頃のミョウジナマエは、黒いスーツを着ていたからだ。
「お嬢様は、お年頃ですから。男とふたり暮らしとなると、色々と邪推されるのですよ」
「そう、なんですね」
「私は、ナマエがメイドになる必要なんてないと思ってるわよ」
凛は、さらりと言う。
そして、こう続けた。
「それに私、ナマエと結婚するから」
「えっ?」
「凛様、それは…………」
「昔、約束したのよ。私が大人になって、好きな人がいなかったら結婚するって」
「お嬢様、まだ3年ほどあります」
「そうね」
「…………」
桜は、姉の発言のせいで、ぽかんとしている。
「桜様が驚いていらっしゃいますよ」
「桜は、衛宮くんと。私は、ナマエと。それでいいじゃないの」
「ね、姉さん…………」
「まったく、お嬢様は明け透けでございますね」
ふぅ、とナマエは溜め息をついた。
朝の日の光が、3人を優しく照らしている。
それから、回復した桜は衛宮の家に移り、その場所を守ることにした。
数年後。
「凛様」
「ナマエ、その話し方はもう相応しくないわよ」
「そうおっしゃられましても……」
「はぁ。仕方ない人」
純白のウェディングドレスに身を包んだ遠坂凛は、わざとらしく溜め息をつく。
タキシードを着たミョウジナマエは、困り笑いをした。
ふたりは、今日、結婚する。
結婚式は、つつがなく進み、凛はブーケトスをした。
それを手にしたのは、間桐桜。
「次は、桜の番ね」
「姉さん……ありがとう…………」
「どういたしまして」
凛は、満面の笑みを浮かべた。
ナマエは、全ては妹のためにしているのだと気付いていたから、その光景を笑顔で見ている。
その晩。遠坂ナマエになった男と、その妻である凛は、遠坂邸の庭で星を見た。
「今夜は、春の大三角形が綺麗でございますね。一等星の獅子座のレグルス、乙女座のスピカ、牛飼い座のアークトゥルス」
「ナマエは、星が好きね。まあ、私も嫌いじゃないけど」
「あなたと見る星空は、いつもより美しく見えます」
「……っ!? なによ、それ。反則じゃないの」
凛は、顔を赤く染める。
「わたしの運命の人は、もういませんが、あなたのことは本当に愛しく思っておりますよ」
「そ、そう。当然よね。私も、ナマエのことが好きよ」
「ありがとうございます。末長く、よろしくお願いいたしますね」
「ええ。よろしくね、ナマエ」
ふたりは、そのまま寄り添って星を眺めた。
遠坂夫妻が、桜の結婚式に出席するまで、あと————。
『おまけ』
遠坂夫妻の娘たちは、双子の姉妹である。
姉の冬美と、妹の雪。ふたりは、とても仲が良く、いつも一緒にいる。
冬美と雪は、現在10歳だ。
長い黒髪を一本の三つ編みにした元気溌剌な姉と、同じくらい長い黒髪をなびかせているのんびり屋な妹。
休日なので、ふたりで遠坂邸の庭で遊んでいる。
「雪、のぼって来なよ!」
「むりだよー」
冬美は、庭の木に登り、雪を呼んだが、雪は地面の蟻の巣を見ながら断った。
「お母さんにおこられるよー」
「バレなきゃいいの!」
「こらっ!」
「ママ!?」
いつの間にかやって来た背の高い男、ふたりの父親が、にこやかな表情のままに冬美を注意する。
「ママ、ワタシは止めたんだよ」と、雪は弁明した。
「冬美さん、降りなさい」
「はーい……」
渋々、木から降りる冬美。
「ママ、ボクが木にのぼってたこと、お母さんにはだまってて!」
「仕方ないですね。今回だけですよ?」
ママこと、遠坂ナマエは腕を組んで答えた。
「やったぁ! お母さん、おこるとめちゃくちゃこわいからさぁ」
「怒ったら、誰でも怖いと思いますけれど」
「ママはこわくないよ。ママ、かた車して!」
「ずるい。ワタシも」
「順番にですよ」
190㎝あるナマエは、冬美を肩車する。
「高ーい!」
「冬美さん、ちゃんと掴まっていてください」
「はーい!」
しばらく冬美を肩に乗せた後、今度は雪を肩車した。
「高いねー」
「雪さん、わたしの首を絞めないでください」
「ごめんなさい」
「ボクも、ママくらいデカくなりたい!」
「でしたら、ちゃんと食べて運動して寝るのですよ」
「はーい!」
冬美は、片腕を上げる。
「いいお返事です」
「ワタシは、ママみたいなまじゅつしになりたい」
「では、きちんと基礎から学びましょうね」
「はーい」
雪は、片腕を上げた。
ナマエは、雪を降ろしてから、娘たちの頭を撫でる。
「おふたりとも、危ないことはしないでくださいね。あなたたちに何かあったら、わたしは泣いてしまいますから」
「はーい」と、ふたりの声。
「では、わたしは凛様をお迎えしに行きますので。お留守番をよろしくお願いしますね」
「うん!」
「いってらっしゃーい」
双子たちは、ナマエを見送った後、虫取りを始めた。
雪の頭に止まった紋白蝶を、虫取り網で捕獲しようとした冬美だが、妹しか捕まえられずに終わる。
そうしているうちに、両親が帰宅した。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
姉妹のユニゾンが響く。
「いい子にしてた?」と、お母さんこと、凛が尋ねた。
「してた!」
「してたよー」
「あんまりナマエを困らせちゃダメよ?」
「困ってませんよ」
「もう、ナマエは甘過ぎるんだから」
両親を見ながら、双子はクスクスと笑う。
「さあ、そろそろ夕食よ。家に戻りましょう」
「はーい」
「今日は、凛様が作ってくださいますよ」
こうして、遠坂家は、賑やかな日々を送り続けた。
厳しいけれど優しい凛と、穏やかで優しいナマエのことが、冬美と雪は大好きである。
ミョウジナマエは、魔術師である。水を操る魔術を得意とし、研鑽を重ねてきた。
「はぁ~」
大きな溜め息をつく。
もうすぐ16歳になる少年には、悩みがあった。
自分の存在価値。存在証明。そんな、思春期らしい悩み事。
黒い海が、静かに彼を見ている。
そして。しばらくして、ナマエは旅をすることにした。
◆◆◆
「お嬢様、起きてくださいまし」
「うー、ん…………」
「本日は、晴天でございますよ」
主人である遠坂凛の寝室のカーテンを開ける長身のメイド。
「……おはよう、ナマエ」
「おはようございます。もうすぐ朝食ですよ」
「はーい」
メイド服の男、ミョウジナマエは、エプロンドレスを翻してキッチンへ向かう。
何故、彼がメイドの格好をしているのかというと、凛が年頃の娘だかららしい。長い髪を三つ編みのおさげにしているのも同じ理由だそうだ。
しかし、ナマエの身長は190㎝で、体重は78㎏である。それでも、冬木市ではメイドとして押し通していた。
「ナマエ、朝食のメニューは何?」
凛は、テーブル席に座り、質問する。
「クロックムッシュでございます」と答えながら、銀色のトレイを運んで来るメイド。
「美味しそうね」
「ええ、もちろん。わたしの自信作でございますから」
凛の前に飲み物と料理を並べ、ナマエは、姿勢正しく脇に控えた。
「いただきます」
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
凛は、「美味しい」と言い、朝食を食べ続ける。
その後。凛の登校を見送ってから、ナマエは庭に出て、アークローヤル・スイートに火を着けた。
「ふう」
チョコレートのフレーバーの煙草は、彼のお気に入りである。
ミョウジナマエを拾ってくれた遠坂時臣が聖杯戦争で亡くなってから、10年が過ぎた。
桜様は、間桐家の養子になってしまったし、奥様も亡くなられ、凛様は独り。わたしが、支えなくては。
ナマエは、固く決意している。
さて。
ナマエは、日用品や食材の買い出しに行くことにした。
遠坂邸に施錠し、街へ出る。
旬の食べ物を値切り、セール品の消耗品を買い足し、帰宅した。
買ってきたものをしまい、掃除を始める。棚の埃を拭き、床を掃き、ゴミ出しをした。
終わってから、少し休憩をする。
紅茶を淹れて、チョコレートのアソートの箱を開けた。チョコレートは、ナマエの好物である。
「…………」
近頃、嫌な予感がしていた。彼の、そういう勘はよく当たる。
第五次聖杯戦争が始まるまで、もう少し。
◆◆◆
16歳の少年は、歩いて旅をしている。
故郷の千葉県から、西へ西へと歩いて旅をした。
そうして、数ヶ月後。ミョウジナマエは、冬木市を訪れる。
季節は、冬。粉雪がナマエの上に降りかかる。
さて。どこかバイト先を探さなくてはならない。
ナマエが街を歩いていると、品のいい男を見かけた。家柄のよさそうな立ち姿が、彼の視線を釘付ける。
「君」
「はい……!?」
いつの間にか近付いていた男に話しかけられ、ナマエは飛び上がりそうになった。
「どうかしたのか?」
「あ、いや。すいません。なんでもないです」
慌てて、そう答えたその時、大きく腹の虫が鳴く。
「ふむ。空腹のようだ」
「…………」
ナマエは、赤くなって俯いた。
「よかったら、私の家へ来なさい。見たところ、旅をしているのだろう?」
「あ、ありがとうございます! ミョウジナマエと申します。よろしくお願いします」
「私は、遠坂時臣」
「遠坂、さん」
ナマエは、呟くように名前を呼ぶ。
ちらちら降る雪が、街灯によって星のように光っている宵。
この出会いは、きっと、ミョウジナマエの運命だった。
◆◆◆
遠坂家のメイドは、腹を立てている。凛のサーヴァントであるアーチャーに対して。
「アーチャーさん、お嬢様にそのような不遜な態度は、いかがかと思います」
「君、いや、お前のように飼い犬にはならない。私は、サーヴァントではあるが、忠義の騎士ではない」
赤い弓兵は、面倒そうにナマエに言葉を返した。
「はぁ。そうでございますね。あなたのような、どこの馬の骨かも分からない者には、期待するだけ無駄でございました」
メイド服の男は、慇懃無礼に喋る。
「では、これだけ。くれぐれも凛様のことをお守りするように、お願い申し上げますよ」
「言われるまでもない」
「はぁ、まったく。不快な男でいらっしゃいますこと」と、台詞を吐き捨て、ナマエは仕事に戻った。
夜中に外出する凛のために、コートを綺麗にし、すぐに着られるようにする。
そして、彼女の靴を磨き、きちんと揃えた。
その晩。遠坂凛とアーチャーを見送り、ナマエは煙草に火を着ける。
「ふぅ」
煙を吐き、遠坂邸の庭から夜空を眺めた。
今夜は、とても月が綺麗で、星灯りは霞んで見える。
「…………」
かつて聖杯戦争で命を落とした恩人を想い、ナマエは黙祷を捧げた。
時臣様、葵様、どうか安らかに。
煙草を一本吸い終えてから、ナマエは自室へ戻る。
それから、魔術師として主人のために出来ることをしようと思った。
「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」
精神集中のための歌を声に出し、魔術回路を起動させる。
ミョウジナマエは、小さな水晶玉に魔力を込めた。切実な祈りと共に。
◆◆◆
黒いスーツを着た男は、遠坂時臣に支えている。遠坂家に身を寄せ、時臣を主人としてから、今年で8年。
遠坂時臣は、聖杯戦争のための準備を進めていた。
使用人のミョウジナマエは、その手助けをしている。
「時臣様、お召し物の用意が出来ております」
「ああ。ありがとう、ナマエ」
時臣の着替えを手伝い、最後にリボンタイを結んだ。
「お支度、完了でございます」
「……ナマエも、もう24歳か」
自分より背が高くなったナマエを見上げて、時臣は感慨深そうに言う。
「はい。どうかなさいました?」
「いや、立派になったと思っただけだ」
「ありがとうございます」
「君は、本当にここを離れなくていいのか?」
「ええ。わたしは、ご主人様のお側におります」
「……そうか」
その後。時臣の弟子、言峰綺礼が訪れ、ナマエはふたり分の紅茶を淹れた。
ナマエは姿勢正しく時臣の横に控える。
もうすぐ、敬愛する主人とは会えなくなるとも知らずに。
◆◆◆
「ナマエ」
「はい、お嬢様」
「私、同盟を結ぶことにしたわ」
「同盟、でございますか?」
「ええ。セイバーを連れた衛宮くんとね」
「衛宮……」
その名前には、聞き覚えがあった。
前回の聖杯戦争の参加者に、そのような名前の男がいたはずである。
「その方は、いえ、なんでもございません。凛様がお決めになったのでしたら、わたしは異存ありません」
「そう」
それから、遠坂凛と衛宮士郎は、共に行動するようになった。
そんな中で、実は、恐ろしいことが裏で進行している。
夜な夜な人を、サーヴァントを喰らう影。
数日後。凛のアーチャーも、同盟者のセイバーも犠牲になった。
その上、間桐桜も聖杯戦争に関わっていると知り、ナマエは青ざめる。
「そんな……桜様が…………?」
「事実よ。あの子は、ライダーのマスターをしているわ」
「争うというのですか? 実の姉妹で……」
「…………」
凛は、一度唇を引き結んだ。
「そうなるわね。あの子が手を引かないのなら」
しかし、今のところは同盟者の家で保護されているらしい。
「では、問題となるのは、間桐の翁ということでございますね」
「そうね。アサシンを逃がしてしまったから、また仕掛けて来るはずよ」
「なんとも往生際の悪いお人でございますこと」
「まったくだわ」
疲れて椅子にもたれかかる凛を気遣い、ナマエは紅茶を淹れた。
「ナマエ。あなたも付き合いなさい」
「はい。では、失礼いたします」
凛の向かいに座り、ナマエも紅茶を飲む。
「凛様、チョコレートはいかがですか? 甘いものは疲労に効きますよ」
常備しているブランドチョコレートの箱をテーブルに置くナマエ。
「ありがとう、いただくわ」
「ええ。ご遠慮なく、どうぞ」
凛は、チョコレートアソートの中から、赤いハート型のものを指先で摘まんで口にした。
「うん。美味しいわ」
「お口に合ったのなら、よかったです」
ナマエは、柔らかく微笑む。
ふたりが休息をとっている一方で、間桐桜の歪みは、着々と大きくなっていった。
雪が降り積もるように、暗闇が増えていく。
◆◆◆
「時臣様…………」
遠坂時臣の墓前にて、ミョウジナマエは膝をついて泣いた。
「ミョウジ」
「……言峰さん」
いつの間にか、背後に言峰綺礼がいる。感情の読めない顔で、立っていた。
「あなたがついていながら、何故旦那様をお守り出来なかったのですか?!」
ナマエは、叫ぶように言峰を詰める。
「そのことについては、心より無念に思っている」
「……っ!」
彼は、嘘をついていると思った。この男には、まともな感性がないのだと思った。
ナマエのその考えは当たっているが、言峰が時臣を殺したというところまでは分からない。
「わたしは、あなたの顔を見ていたくありません。失礼します」
ナマエは言峰に背を向け、時臣の墓に一礼してから、遠坂邸へと帰る。
戻ってから。ミョウジナマエは、凛の元へ行った。
「お嬢様……」
「ナマエ、泣いてたの?」
少女は、青年の目元を見て心配そうにする。
「バレてしまいましたか。でも、大丈夫でございますよ。凛様のことも、奥様のことも、ナマエにお任せくださいませ」
「うん……」
ミョウジナマエは、優しく凛の頭を撫でた。
そして、彼女を精一杯守ろうと誓う。
◆◆◆
その日。間桐桜は、堕ちてしまった。
彼女が決壊した最後の一滴は、間桐慎二によるもの。彼は殺された。
遠坂凛は、妹の桜と戦うことを決める。
「お嬢様……」
「ナマエ。私は行くわ、あの子のところへ」
「かしこまりました。何なりとお申し付けくださいまし」
「宝石剣ゼルレッチの設計図を持って来てちょうだい」
「はい」
メイドは、主の命令に従い、彼女を送り出した。
そして、遠坂凛は決戦の舞台へ上がる。
「姉さんは、ずるい…………」
桜の怨嗟の声を受け流し、対決する凛。
結果的に。遠坂凛は、実の妹を手にかけられなかった。
桜に致命傷を負わされて、倒れる。
姉を手にかけた桜は、凛からの想いに触れ、絶望した。
意識を失い、滑り落ちる凛の体。
その凛が身に付けている小さな水晶玉が、淡く光る。
それは、ミョウジナマエの魔術によるもの。凛を生かそうとする魔術回路を助ける治癒のお守りだった。
水晶玉の治癒魔術が起動したことに気付いたナマエは、主人の元へ走る。
「凛様!」
すぐにミョウジ家が受け継いできた治癒魔術を駆使して、凛を助けようとした。
ミョウジ家は、代々治癒魔術を研究してきた家系である。
今使わずに、いつ使う? わたしは、もう誰も喪いたくない。
「お嬢様、ナマエが必ずお助けいたします……!」
ミョウジナマエの献身的な治療により、意識を取り戻した凛は、「あの子を、桜を助けてあげて……」と小さく告げた。
「かしこまりました。お任せくださいましね」
ナマエは、倒れている桜の元へ行き、治癒魔術を施す。
どうか。また、姉妹で笑える日が来ますように。
◆◆◆
先日の戦いで、言峰綺礼とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは世を去った。
桜の想い人、衛宮士郎は帰って来ない。
凛は桜を気遣い、努めて明るく振る舞った。
「帰って来るわよ、必ず。それが、どんな形であれね」
「姉さん……」
しばしの間、遠坂邸で療養してほしいとのナマエの嘆願があったため、姉妹は共に暮らしている。
「おふたり共、朝食の用意が出来ております。お席へどうぞ」
「ありがとう、ナマエ。行きましょう、桜」
「はい」
メイドは、ブラウンシチューとバゲットをふたりの前に並べ、凛の脇に控えた。
「いただきます」と、ふたり。
「はい。お召し上がりくださいまし」
「あの、ナマエさんは、何故メイド服を着ているんですか?」
桜が、小さく疑問を口にする。
彼女が遠坂の家にいた頃のミョウジナマエは、黒いスーツを着ていたからだ。
「お嬢様は、お年頃ですから。男とふたり暮らしとなると、色々と邪推されるのですよ」
「そう、なんですね」
「私は、ナマエがメイドになる必要なんてないと思ってるわよ」
凛は、さらりと言う。
そして、こう続けた。
「それに私、ナマエと結婚するから」
「えっ?」
「凛様、それは…………」
「昔、約束したのよ。私が大人になって、好きな人がいなかったら結婚するって」
「お嬢様、まだ3年ほどあります」
「そうね」
「…………」
桜は、姉の発言のせいで、ぽかんとしている。
「桜様が驚いていらっしゃいますよ」
「桜は、衛宮くんと。私は、ナマエと。それでいいじゃないの」
「ね、姉さん…………」
「まったく、お嬢様は明け透けでございますね」
ふぅ、とナマエは溜め息をついた。
朝の日の光が、3人を優しく照らしている。
それから、回復した桜は衛宮の家に移り、その場所を守ることにした。
数年後。
「凛様」
「ナマエ、その話し方はもう相応しくないわよ」
「そうおっしゃられましても……」
「はぁ。仕方ない人」
純白のウェディングドレスに身を包んだ遠坂凛は、わざとらしく溜め息をつく。
タキシードを着たミョウジナマエは、困り笑いをした。
ふたりは、今日、結婚する。
結婚式は、つつがなく進み、凛はブーケトスをした。
それを手にしたのは、間桐桜。
「次は、桜の番ね」
「姉さん……ありがとう…………」
「どういたしまして」
凛は、満面の笑みを浮かべた。
ナマエは、全ては妹のためにしているのだと気付いていたから、その光景を笑顔で見ている。
その晩。遠坂ナマエになった男と、その妻である凛は、遠坂邸の庭で星を見た。
「今夜は、春の大三角形が綺麗でございますね。一等星の獅子座のレグルス、乙女座のスピカ、牛飼い座のアークトゥルス」
「ナマエは、星が好きね。まあ、私も嫌いじゃないけど」
「あなたと見る星空は、いつもより美しく見えます」
「……っ!? なによ、それ。反則じゃないの」
凛は、顔を赤く染める。
「わたしの運命の人は、もういませんが、あなたのことは本当に愛しく思っておりますよ」
「そ、そう。当然よね。私も、ナマエのことが好きよ」
「ありがとうございます。末長く、よろしくお願いいたしますね」
「ええ。よろしくね、ナマエ」
ふたりは、そのまま寄り添って星を眺めた。
遠坂夫妻が、桜の結婚式に出席するまで、あと————。
『おまけ』
遠坂夫妻の娘たちは、双子の姉妹である。
姉の冬美と、妹の雪。ふたりは、とても仲が良く、いつも一緒にいる。
冬美と雪は、現在10歳だ。
長い黒髪を一本の三つ編みにした元気溌剌な姉と、同じくらい長い黒髪をなびかせているのんびり屋な妹。
休日なので、ふたりで遠坂邸の庭で遊んでいる。
「雪、のぼって来なよ!」
「むりだよー」
冬美は、庭の木に登り、雪を呼んだが、雪は地面の蟻の巣を見ながら断った。
「お母さんにおこられるよー」
「バレなきゃいいの!」
「こらっ!」
「ママ!?」
いつの間にかやって来た背の高い男、ふたりの父親が、にこやかな表情のままに冬美を注意する。
「ママ、ワタシは止めたんだよ」と、雪は弁明した。
「冬美さん、降りなさい」
「はーい……」
渋々、木から降りる冬美。
「ママ、ボクが木にのぼってたこと、お母さんにはだまってて!」
「仕方ないですね。今回だけですよ?」
ママこと、遠坂ナマエは腕を組んで答えた。
「やったぁ! お母さん、おこるとめちゃくちゃこわいからさぁ」
「怒ったら、誰でも怖いと思いますけれど」
「ママはこわくないよ。ママ、かた車して!」
「ずるい。ワタシも」
「順番にですよ」
190㎝あるナマエは、冬美を肩車する。
「高ーい!」
「冬美さん、ちゃんと掴まっていてください」
「はーい!」
しばらく冬美を肩に乗せた後、今度は雪を肩車した。
「高いねー」
「雪さん、わたしの首を絞めないでください」
「ごめんなさい」
「ボクも、ママくらいデカくなりたい!」
「でしたら、ちゃんと食べて運動して寝るのですよ」
「はーい!」
冬美は、片腕を上げる。
「いいお返事です」
「ワタシは、ママみたいなまじゅつしになりたい」
「では、きちんと基礎から学びましょうね」
「はーい」
雪は、片腕を上げた。
ナマエは、雪を降ろしてから、娘たちの頭を撫でる。
「おふたりとも、危ないことはしないでくださいね。あなたたちに何かあったら、わたしは泣いてしまいますから」
「はーい」と、ふたりの声。
「では、わたしは凛様をお迎えしに行きますので。お留守番をよろしくお願いしますね」
「うん!」
「いってらっしゃーい」
双子たちは、ナマエを見送った後、虫取りを始めた。
雪の頭に止まった紋白蝶を、虫取り網で捕獲しようとした冬美だが、妹しか捕まえられずに終わる。
そうしているうちに、両親が帰宅した。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
姉妹のユニゾンが響く。
「いい子にしてた?」と、お母さんこと、凛が尋ねた。
「してた!」
「してたよー」
「あんまりナマエを困らせちゃダメよ?」
「困ってませんよ」
「もう、ナマエは甘過ぎるんだから」
両親を見ながら、双子はクスクスと笑う。
「さあ、そろそろ夕食よ。家に戻りましょう」
「はーい」
「今日は、凛様が作ってくださいますよ」
こうして、遠坂家は、賑やかな日々を送り続けた。
厳しいけれど優しい凛と、穏やかで優しいナマエのことが、冬美と雪は大好きである。
