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双子の兄弟である人見広介とナマエは、同じ顔をしているが表情が全く違うので、似ていないように見えるふたりだった。
広介は、鬱屈した精神を反映した暗い表情をしている。一方、ナマエは、いつもニコニコと朗らかに笑っていた。
広介は、弟のナマエが好きではない。人に好かれる性質が疎ましいから。
ナマエは、兄の広介を心配している。自己愛も他者への愛も欠けているから。
そんなふたりが共に暮らす理由。それは、広介がつい最近まで精神病棟に入院していたからだ。
ナマエは、兄を気遣いながら生活をしている。
広介は、教職に就くために勉強をしており、ナマエは、探偵業を営んでいた。
「いってきます」
「ああ…………」
兄は、ナマエを一瞥もせずに返事をする。
その日の晩。帰宅したナマエからは、笑みが消えていた。
「ただいま、兄さん」
「どうした? ナマエ」
「ああ、うん。ちょっと辛いことがあって…………」
「僕に言えないことか?」
「……聞いてくれる?」
依頼人に人探しを頼まれていたナマエは、今日、目当ての人物を見付けたそうだが。その人は、遺体となっていたのだと言う。
「キツいね。間に合わなかったっていうのは…………」
「…………」
広介は、煙草の火を灰皿で消し、ナマエの頭を無造作に撫でた。髪がくしゃくしゃになる。
「聞いてくれて、ありがとう。兄さん」
少しばかり笑顔を取り戻すナマエを見て、広介は安心した。表情には出していないけれど。
その後。ふたりで食事を摂り、それぞれの部屋に行く。
ナマエの部屋は、雑然としていて、書籍や書類が床に積まれている。
広介の部屋は、強迫的に整理整頓されていて、塵ひとつない。
ナマエは、考えた。兄がいなかったら、今頃泣いていただろう、と。
広介は、考えた。弟がいなかったら、自分の病は寛解していないだろう、と。
ナマエのことは好きではない。それでも彼にとっては、たったひとりの家族だった。親や姉のことは、忘れることにしているが、弟は側にいても構わない。
いつの日か、ふたりで笑い合える時が来るのだろうか?
そんな夢を見るくらいには、ナマエは親しい他者であった。
自分が退院した時、一番喜んでいたのはナマエだし、教師になった時や恋人が出来た時などに一番祝ってくれるのも、弟であろうことは明白である。
ナマエの願いもまた、広介の晴れやかな笑顔を見ることだ。
今はまだ、不揃いなふたり。不完全な双子は、歪なガラス細工のよう。
擦れ合う近さにいる兄弟は、いずれは宝石のようにもなれるだろう。
◆◆◆
兄の広介の喫煙量が増えている。
そのことに、弟のナマエは気が付いた。
おそらく、ストレスによるもの。
「兄さん」
「なんだ?」
「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「ああ……」
「了解」
ナマエは、いつもの笑顔のまま、広介に休憩をうながす。
キッチンでコーヒーをマグカップふたつに入れて、広介のいるテーブルに戻った。
「はい。どうぞ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
兄の向かいに座り、ナマエはコーヒーを飲む。
「兄さん、ブドウ糖を摂った方がいいんじゃないかな」と、ブドウ糖タブレットを差し出した。
直接的な脳の餌である。
「もらっておく」
「うん」
素直に受け取ってもらえて、ほっとした。
兄は、社会復帰のために懸命に努力している。それを手助けするのが、ナマエの役目だ。しかし、広介のプライドを傷付けないようにする必要がある。
その辺りは、ナマエは幼い頃から理解していたから、特に軋轢は生じていない。
問題があるとすれば、姉のこと。
瀬美奈には、広介に連絡を取らないようにと再三言ってあるが、代わりにナマエに逐一報告を求めていた。
愛情深いというよりは、過干渉なきらいがあるため、ナマエは気を張って広介の防壁になっている。
「ナマエ」
「なに?」
「いや、なんでもない……」
「なんでも話してよ、兄さん」
ナマエは、困り笑いみたいな表情をした。
「僕は、前に進めてるのか? ずっと、同じ場所で足踏みしてないか?」
「そんなことないよ。兄さんは、一歩ずつ前に進んでるよ」
それは、ナマエの本心からの言葉である。
「そうか。よかった…………」と、広介。
相変わらず暗い顔をしているが、わずかに口角を上げた。
双子の兄弟は、不完全な一致をしている。
かつては、ふたりでひとりのようだった。
永遠のアラベスクのような。無限を巡るウロボロスのような。終わらないカノンのような。
憧れのイヴは、人見広介の前には、まだ現れていない。
それでも、弟がいる。
夕暮れ時を終わらせた兄のために、手を差し出し続けている弟。
「一本吸うか?」
「えっ?」
「冗談だよ。お前には似合わない」
「あはは」
ナマエは、指先で頬を掻いた。
「俺は、兄さんの味方だからね」
真剣な声色でそう言って、煙草を持つ手に手を重ねる。
不完全な鏡写しの男たちは、これからも共に生きていく。
暮れなずむ空には、カストルとポルックスが輝いていた。
◆◆◆
年が変わった。
「明けましておめでとう、兄さん」
「おめでとう。今年もよろしく」
「うん。今年もよろしくね」
深夜。ふたりで炬燵に入っている広介とナマエ。
なんとなく日付が変わるまで起きていたが、初詣に行く予定などはない。
新年の挨拶もそこそこに、ふたりとも就寝することにした。
「おやすみ、兄さん」
「おやすみ、ナマエ」
隣合ったそれぞれの部屋に入り、ベッドに潜る。
広介は、暗くなった自室で、まどろみながら考えた。
今年は、もっと兄らしく過ごせるだろうか? 昔みたいに。
その夜見た夢には、幼い頃の兄弟が出て来た。
人見広介とナマエは、どちらがどちらなのか分からないくらい似ている。鏡合わせの双子。双び立つ相似形。
「にいさん、まってよ!」
「おいてくぞ、ナマエ」
真夏の日射しにも負けず、ふたりは走っている。
駆ける双子を、人見広介は陰鬱な表情で見ていた。
昔は、同じだったのに。僕とお前に差なんてなかったのに。
今では、ナマエは、まともな大人で。僕は……僕は、ずっと…………そんなお前が嫌いだった。
朝。鳥の囀ずりが聴こえる。
「…………」
何か、悪い夢を見た気がした。
「兄さん、起きてる? お餅いくつ食べる?」と、ドアの前からナマエの声。
「起きてる。3つ食べる」
「了解!」
弟が、階段を降りて行く音。
広介がのそのそと身支度をしてから、テーブルの前に座ると、すぐにナマエが雑煮を入れた椀を置いた。
「いただきます」
声を揃えるふたり。
ナマエが用意した雑煮は、誰から教わったのか、イクラがかけられている。
「美味い」
「本当? よかった」
「ああ」
ナマエは、三が日は休みだから、広介のサポートに徹すると言う。
「ナマエは…………」
「ん?」
「無理してないか……?」
「してないよ」
即答だった。嘘をついているようには見えない。
ナマエは、いつもの笑みを浮かべている。
「俺は、そんなに器用じゃないよ。無理なんてしてない」
「……ならいい」
弟の台詞に、ほっとしている自分がいた。
僕は、弟のお荷物にはなっていないらしい。
「兄さん」
「なんだ?」
「兄さんこそ、無理はしないで」
「ああ、分かった」
そう返事をすれば、ナマエは目を細めて笑った。
絶対的な味方がいるのは、とても心強い。
人見広介に根ざしていた弟への劣等感は、もうほとんど残っていない。
「お前がいて、よかった」
「そう? 嬉しいなぁ」
ナマエは、髪を指先で弄び始めた。昔からある、彼が照れた時の癖だ。
「ふっ」と、広介は口元を押さえて笑う。
◆◆◆
人見広介は、少しずつ前に進んだ。
雪解けが、いずれは春になるように。
弟のナマエに任せきりだった家事も、少し手伝えるようになった。
人見ナマエは、結構器用な男で、家事も仕事も兄のサポートも、きちんとこなしている。
広介は、ナマエのことでひとつ気がかりがあった。
「ナマエは、いないのか? 彼女とか」
「いないよ」
「僕のせいか? 僕なんかがお前の側にいるから、だからお前には————」
「兄さん」
ナマエは優しい声色で囁き、思い詰めている広介の手を取って、両手で握る。
「俺は、アロマンティック・アセクシャルなんだ。内緒だよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、ナマエは告げた。
「アロマンティック・アセクシャル?」
「俺は、恋愛しないし、性愛にも興味がないんだ」
「そうなのか…………」
「だけど、大切な人はいるよ。それが、兄さんだよ」
「…………」
人見兄弟は、お互いが大切で、得難いものだと感じていて、ごく普通の家族だった。
「前にも言ったけど、俺は、兄さんのせいで何かを失ったりなんてしてないんだ。まあ、不安になったら何度でも訊いてくれていいよ」
答えは、いつも決まっているけれど。
「ああ。ありがとう、ナマエ」
「どういたしまして」
パッと手を放し、ナマエはエプロンを着けて夕飯の支度を始めた。
「兄さん。クリームシチューとブラウンシチュー、どっちがいい?」
「ブラウンシチューがいい」
「了解!」
ナマエは、牛肉とニンジンとジャガイモを切る。コンソメを溶かしておいたお湯に材料を入れて、よく煮込む。
充分に煮込んだら、バターを入れる。こうすると、コクが出るのだ。
ブラウンシチューを、シチュー皿に綺麗に入れる。そして横には、パン屋で買ったガーリックマーガリンのバゲットを添えた。
「兄さん、出来たよ」
エプロンを脱ぎながら、ナマエが呼ぶ。
「ああ」
「いただきます」と、声を合わせる。
「ナマエは……」
「うん?」
「料理が上手いな」
「ありがとう。なんか性に合ってるみたい」
広介が、薄く笑っている。それを見たナマエは、とても嬉しくなった。
「兄さん、何か食べてみたいものある?」
「……アミノサプリ」
「それは飲み物でしょ!」
「何も思い付かなかった。ナマエの料理がいつも美味しいから」
「そっか。それならいいんだけど」
今度、突然ケバブとか作って驚かせよう。
ナマエは、そう心に決めた。
2月が半分過ぎた日。ふたりは、自然に笑い合う兄弟になれていた。
広介は、鬱屈した精神を反映した暗い表情をしている。一方、ナマエは、いつもニコニコと朗らかに笑っていた。
広介は、弟のナマエが好きではない。人に好かれる性質が疎ましいから。
ナマエは、兄の広介を心配している。自己愛も他者への愛も欠けているから。
そんなふたりが共に暮らす理由。それは、広介がつい最近まで精神病棟に入院していたからだ。
ナマエは、兄を気遣いながら生活をしている。
広介は、教職に就くために勉強をしており、ナマエは、探偵業を営んでいた。
「いってきます」
「ああ…………」
兄は、ナマエを一瞥もせずに返事をする。
その日の晩。帰宅したナマエからは、笑みが消えていた。
「ただいま、兄さん」
「どうした? ナマエ」
「ああ、うん。ちょっと辛いことがあって…………」
「僕に言えないことか?」
「……聞いてくれる?」
依頼人に人探しを頼まれていたナマエは、今日、目当ての人物を見付けたそうだが。その人は、遺体となっていたのだと言う。
「キツいね。間に合わなかったっていうのは…………」
「…………」
広介は、煙草の火を灰皿で消し、ナマエの頭を無造作に撫でた。髪がくしゃくしゃになる。
「聞いてくれて、ありがとう。兄さん」
少しばかり笑顔を取り戻すナマエを見て、広介は安心した。表情には出していないけれど。
その後。ふたりで食事を摂り、それぞれの部屋に行く。
ナマエの部屋は、雑然としていて、書籍や書類が床に積まれている。
広介の部屋は、強迫的に整理整頓されていて、塵ひとつない。
ナマエは、考えた。兄がいなかったら、今頃泣いていただろう、と。
広介は、考えた。弟がいなかったら、自分の病は寛解していないだろう、と。
ナマエのことは好きではない。それでも彼にとっては、たったひとりの家族だった。親や姉のことは、忘れることにしているが、弟は側にいても構わない。
いつの日か、ふたりで笑い合える時が来るのだろうか?
そんな夢を見るくらいには、ナマエは親しい他者であった。
自分が退院した時、一番喜んでいたのはナマエだし、教師になった時や恋人が出来た時などに一番祝ってくれるのも、弟であろうことは明白である。
ナマエの願いもまた、広介の晴れやかな笑顔を見ることだ。
今はまだ、不揃いなふたり。不完全な双子は、歪なガラス細工のよう。
擦れ合う近さにいる兄弟は、いずれは宝石のようにもなれるだろう。
◆◆◆
兄の広介の喫煙量が増えている。
そのことに、弟のナマエは気が付いた。
おそらく、ストレスによるもの。
「兄さん」
「なんだ?」
「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「ああ……」
「了解」
ナマエは、いつもの笑顔のまま、広介に休憩をうながす。
キッチンでコーヒーをマグカップふたつに入れて、広介のいるテーブルに戻った。
「はい。どうぞ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
兄の向かいに座り、ナマエはコーヒーを飲む。
「兄さん、ブドウ糖を摂った方がいいんじゃないかな」と、ブドウ糖タブレットを差し出した。
直接的な脳の餌である。
「もらっておく」
「うん」
素直に受け取ってもらえて、ほっとした。
兄は、社会復帰のために懸命に努力している。それを手助けするのが、ナマエの役目だ。しかし、広介のプライドを傷付けないようにする必要がある。
その辺りは、ナマエは幼い頃から理解していたから、特に軋轢は生じていない。
問題があるとすれば、姉のこと。
瀬美奈には、広介に連絡を取らないようにと再三言ってあるが、代わりにナマエに逐一報告を求めていた。
愛情深いというよりは、過干渉なきらいがあるため、ナマエは気を張って広介の防壁になっている。
「ナマエ」
「なに?」
「いや、なんでもない……」
「なんでも話してよ、兄さん」
ナマエは、困り笑いみたいな表情をした。
「僕は、前に進めてるのか? ずっと、同じ場所で足踏みしてないか?」
「そんなことないよ。兄さんは、一歩ずつ前に進んでるよ」
それは、ナマエの本心からの言葉である。
「そうか。よかった…………」と、広介。
相変わらず暗い顔をしているが、わずかに口角を上げた。
双子の兄弟は、不完全な一致をしている。
かつては、ふたりでひとりのようだった。
永遠のアラベスクのような。無限を巡るウロボロスのような。終わらないカノンのような。
憧れのイヴは、人見広介の前には、まだ現れていない。
それでも、弟がいる。
夕暮れ時を終わらせた兄のために、手を差し出し続けている弟。
「一本吸うか?」
「えっ?」
「冗談だよ。お前には似合わない」
「あはは」
ナマエは、指先で頬を掻いた。
「俺は、兄さんの味方だからね」
真剣な声色でそう言って、煙草を持つ手に手を重ねる。
不完全な鏡写しの男たちは、これからも共に生きていく。
暮れなずむ空には、カストルとポルックスが輝いていた。
◆◆◆
年が変わった。
「明けましておめでとう、兄さん」
「おめでとう。今年もよろしく」
「うん。今年もよろしくね」
深夜。ふたりで炬燵に入っている広介とナマエ。
なんとなく日付が変わるまで起きていたが、初詣に行く予定などはない。
新年の挨拶もそこそこに、ふたりとも就寝することにした。
「おやすみ、兄さん」
「おやすみ、ナマエ」
隣合ったそれぞれの部屋に入り、ベッドに潜る。
広介は、暗くなった自室で、まどろみながら考えた。
今年は、もっと兄らしく過ごせるだろうか? 昔みたいに。
その夜見た夢には、幼い頃の兄弟が出て来た。
人見広介とナマエは、どちらがどちらなのか分からないくらい似ている。鏡合わせの双子。双び立つ相似形。
「にいさん、まってよ!」
「おいてくぞ、ナマエ」
真夏の日射しにも負けず、ふたりは走っている。
駆ける双子を、人見広介は陰鬱な表情で見ていた。
昔は、同じだったのに。僕とお前に差なんてなかったのに。
今では、ナマエは、まともな大人で。僕は……僕は、ずっと…………そんなお前が嫌いだった。
朝。鳥の囀ずりが聴こえる。
「…………」
何か、悪い夢を見た気がした。
「兄さん、起きてる? お餅いくつ食べる?」と、ドアの前からナマエの声。
「起きてる。3つ食べる」
「了解!」
弟が、階段を降りて行く音。
広介がのそのそと身支度をしてから、テーブルの前に座ると、すぐにナマエが雑煮を入れた椀を置いた。
「いただきます」
声を揃えるふたり。
ナマエが用意した雑煮は、誰から教わったのか、イクラがかけられている。
「美味い」
「本当? よかった」
「ああ」
ナマエは、三が日は休みだから、広介のサポートに徹すると言う。
「ナマエは…………」
「ん?」
「無理してないか……?」
「してないよ」
即答だった。嘘をついているようには見えない。
ナマエは、いつもの笑みを浮かべている。
「俺は、そんなに器用じゃないよ。無理なんてしてない」
「……ならいい」
弟の台詞に、ほっとしている自分がいた。
僕は、弟のお荷物にはなっていないらしい。
「兄さん」
「なんだ?」
「兄さんこそ、無理はしないで」
「ああ、分かった」
そう返事をすれば、ナマエは目を細めて笑った。
絶対的な味方がいるのは、とても心強い。
人見広介に根ざしていた弟への劣等感は、もうほとんど残っていない。
「お前がいて、よかった」
「そう? 嬉しいなぁ」
ナマエは、髪を指先で弄び始めた。昔からある、彼が照れた時の癖だ。
「ふっ」と、広介は口元を押さえて笑う。
◆◆◆
人見広介は、少しずつ前に進んだ。
雪解けが、いずれは春になるように。
弟のナマエに任せきりだった家事も、少し手伝えるようになった。
人見ナマエは、結構器用な男で、家事も仕事も兄のサポートも、きちんとこなしている。
広介は、ナマエのことでひとつ気がかりがあった。
「ナマエは、いないのか? 彼女とか」
「いないよ」
「僕のせいか? 僕なんかがお前の側にいるから、だからお前には————」
「兄さん」
ナマエは優しい声色で囁き、思い詰めている広介の手を取って、両手で握る。
「俺は、アロマンティック・アセクシャルなんだ。内緒だよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、ナマエは告げた。
「アロマンティック・アセクシャル?」
「俺は、恋愛しないし、性愛にも興味がないんだ」
「そうなのか…………」
「だけど、大切な人はいるよ。それが、兄さんだよ」
「…………」
人見兄弟は、お互いが大切で、得難いものだと感じていて、ごく普通の家族だった。
「前にも言ったけど、俺は、兄さんのせいで何かを失ったりなんてしてないんだ。まあ、不安になったら何度でも訊いてくれていいよ」
答えは、いつも決まっているけれど。
「ああ。ありがとう、ナマエ」
「どういたしまして」
パッと手を放し、ナマエはエプロンを着けて夕飯の支度を始めた。
「兄さん。クリームシチューとブラウンシチュー、どっちがいい?」
「ブラウンシチューがいい」
「了解!」
ナマエは、牛肉とニンジンとジャガイモを切る。コンソメを溶かしておいたお湯に材料を入れて、よく煮込む。
充分に煮込んだら、バターを入れる。こうすると、コクが出るのだ。
ブラウンシチューを、シチュー皿に綺麗に入れる。そして横には、パン屋で買ったガーリックマーガリンのバゲットを添えた。
「兄さん、出来たよ」
エプロンを脱ぎながら、ナマエが呼ぶ。
「ああ」
「いただきます」と、声を合わせる。
「ナマエは……」
「うん?」
「料理が上手いな」
「ありがとう。なんか性に合ってるみたい」
広介が、薄く笑っている。それを見たナマエは、とても嬉しくなった。
「兄さん、何か食べてみたいものある?」
「……アミノサプリ」
「それは飲み物でしょ!」
「何も思い付かなかった。ナマエの料理がいつも美味しいから」
「そっか。それならいいんだけど」
今度、突然ケバブとか作って驚かせよう。
ナマエは、そう心に決めた。
2月が半分過ぎた日。ふたりは、自然に笑い合う兄弟になれていた。
