アイマス
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秋深し。窓の外は雨降る夕暮れ。待ちわびていた呼び鈴が鳴り響く。
玄関の扉を開けると、ずぶ濡れになった少女が立っていた。たまたま指に引っ掛かっていたから、ここまで引き摺って来たのではないかと思えるくらいのぞんざいさで傍らにあるキャリーバッグも濡れている。
「やあ、シキ。久し振り」
遠雷まで聴こえる雨天だというのに、男は晴天の下にいるかのような笑顔で、少女の来訪を歓迎した。
少女は、何も語らない。彼女の瞳は精彩を欠いており、男を見ていない。男の言葉も、彼女には響いていない。
一ノ瀬志希と親子くらい歳の離れた男、ナマエは、彼女がそんな様子であるにも関わらず、上機嫌で少女を家の中に招いた。
「私の家が土足厳禁だって覚えてるかい?」
「……うん」
少女は小さく、生気のない返事をして、水を吸って重くなった靴を脱ぐ。彼女が素足で廊下に踏み出すと、髪や服からポタポタと落ちた雫が床を濡らした。
「あー。ちょっとそこで止まってくれ。タオルを取ってくる」
志希にバスタオルと、キャリーバッグを拭くためのタオルを取りに向かう。男が急いで玄関に戻ると、少女がくしゃみをしているところだった。
雨が降ったら傘を差せ、という最もな忠告を聞いてくれるとは思えないので、彼は何も言わない。
「ほら、体を拭く。バッグは私がやる」
「……ありがと」
それは、ギリギリ人間としての体裁を整えようとしてのお礼だった。
しばし、ふたりは無言で雨を拭う。特に気まずさはないが、志希が気落ちしているのに対して、ナマエがウキウキしているのが奇妙な雰囲気を出していた。日常風景の中の、わずかな違和感のようなものがある。それがあるせいで、全てが不気味に思えてしまうような。
「暖かい飲み物が用意してある。リビングへ行こう。ただし、椅子にもカーペットにも座らないでくれよ?」
「……ん」
ナマエはキャリーバッグを持ち、志希の手首を掴んで歩き出す。
彼女の肌は、すっかり冷たくなっている。少し早いが、脈拍には異常なし。心はともかく、身体は健康なのだろう。そうでなくては、都合が悪い。
少女を先導するナマエは、密かに口角を上げる。
シックに統一されたリビングの隅に少女を立たせて、男はキッチンからふたり分の飲み物を取って来た。志希に生姜紅茶の入ったカップを差し出し、自身はホットワインを煽る。客を立たせているので、彼も立ったままだ。
「まずは飲んで、それから風呂だ。湯は張ってある。濡れた服は洗濯機か乾燥機に放り込めばいい」
「……うん」
志希から、今日こちらに来ると連絡をもらったのは、すでに彼女が空港に着いた後で。
それから、少女を待っているうちに雨が降り始めた。
経験から言って。彼女が雨に濡れて来るかどうかは五分の確率だったので、一応準備をしていたのだが、それで正解だった。雨に当たりたい気分だったのだろう。
彼女は相変わらず生気のない顔で、ゆっくりと生姜紅茶を飲んでいる。
飲み終えた後にカップをナマエに渡し、志希は緩慢な動きでキャリーバッグから着替えを出して、ふらふらと廊下を歩いて行った。
暇になったナマエは、数年前の少女との出会いを思い出す。
あれは、今とは全く違う空模様の日のことだ。
春の、よく晴れた暖かな昼下がり。ふと、窓の外を見ると、庭に見知らぬ少女がいる。長いボサボサ髪で、だらしない格好をした少女。彼女は、庭に咲いた色とりどりの薔薇を見ているようだ。
ナマエは外へ出て、声をかけることにする。面倒事にならなければいいが。
「こんにちは。君は誰で、何人で、何をしているのかな?」
「一ノ瀬志希。志希が名前。日本出身、14歳~。いい匂いに釣られ中~」
振り向いた少女は、薔薇を見ていたというよりは、嗅いでいたらしい。
「知らない人の家に勝手に入るのは危ない。私の故郷だったら、身ぐるみ剥がされてるよ? シキ」
「あなたのこと知ってる。ナマエさんでしょ?」
話を聞くと、彼女の父親とナマエは旧知の仲であることが判明した。
「いや、それでも油断していいことにはならない。私の故郷だったら、皮まで剥がされてるよ?」
「志希ちゃん特製スプレーで撃退するから、ご心配なく~」
ふたりの出会いは、さほど劇的でもなかったが、ナマエにとって志希はとても興味深い人物であり、巡り合わせに感謝した。
その彼女が、この国から去ってから、どれほどの月日が流れただろうか。
一ノ瀬志希は、神か悪魔になるのだと思っていた。しかし驚いたことに、彼女は神の振りをする人間になったのである。予想外の出来事は、ナマエを大層興奮させた。
彼女が、「キョーミがある」と言っていた人物。その人物の元で、アイドルという存在になった志希。
何故その男に興味が湧くのか、ナマエにはさっぱり分からなかったが、まさかその理由が恋どというもののせいだとは。人間みたいだ。
一ノ瀬志希は人間だった! 大発見だ!
さて、もうすぐ、彼女から事件当時の様子を聞けるだろうか。
◆◆◆
「そろそろ話してくれないか? シキ」
ナマエは、革張りのソファーの上で胡座をかいている風呂上がりの少女に声をかけた。
「私は君にとって人形みたいなもので、愚痴を言うには、うってつけだろう?」
「そうだね。そして、あなたにとって、あたしは興味深い動物みたいなもの」
「酷いな、お互い」
男は、微塵もそうは思っていない様子。
これでも、ふたりは友人と言えなくもない関係だった。共通言語が、歳の離れたふたりを結んでいるのである。
「どうして、ここに来たんだい? アイドルをやるのに飽きたのかい?」
「違うよ」
わざと的外れなことを言うな、と少女の目が訴えている。
「メール、読んだんでしょ?」
「読んだよ、君の実験……いや、犯行記録か………?」
その香水は、クピドの矢の如く恋愛感情を誘発する。彼女は、それを想い人に使ってしまったのだ。一ノ瀬志希の実験は当然のように成功し、彼は一時、彼女に恋をする。その魔法は時間が来ると解けてしまうものだが。しかし、魔法は再現可能であった。
「それで、想い人に愛されて、君はどう思った?」
「あの人に……永遠に、あたしを好きでいてほしいと思った…………」
「へぇ」
男は、鼻で笑いそうになった。永遠なんて人間には計れないのに、馬鹿げている。
少女は男が言いたいことを解っているし、少女が解っていることを男は判っているので、お互い沈黙した。
その気になれば、永遠に近いものは手に入るというのに。結局、香水が呼び起こした感情は紛いものだと、志希は考えたのだろう。そして、あろうことか、彼女は実験場から、対象から逃げ出した。なんて愚かしい。
しばし、雨音と壁掛け時計の音だけが、部屋を満たした。
ふいに、背後の窓から雷光が少女に影を落とす。5秒後、存在を主張するように雷鳴が響いた。
「私は、君に少女性が無ければいいのに、と思わずにはいられないよ」
そんな同情的なことは全く思っていない様子で、わざとらしく肩を竦めて、ナマエは言った。
「君を苦しめるのは、いつだってその少女性じゃないのか?」
男は、彼女が苦しんでいることに心を痛めているのではなく、神からの贈り物を受け取っておきながら、悩みが普通の少女のそれであることが哀れで面白いのである。故に、そのままでいてほしい。永遠に。
「今回のことは……あたしの失敗だった…………実験は成功したけど、あれは失敗だった。だけど、あたしは諦めないから。あたしは、もっと変化しなくちゃ」
しかし少女は、しなやかな強さを持っており、意地の悪い男の望みなど、軽く蹴飛ばしてしまう。その様を残念そうに、少しばかり愉快そうに、ナマエは顎に手を当てて眺めていた。
失踪してきた志希が、ここから去るまで、そう時間はかからないだろう。
2018/04/28
玄関の扉を開けると、ずぶ濡れになった少女が立っていた。たまたま指に引っ掛かっていたから、ここまで引き摺って来たのではないかと思えるくらいのぞんざいさで傍らにあるキャリーバッグも濡れている。
「やあ、シキ。久し振り」
遠雷まで聴こえる雨天だというのに、男は晴天の下にいるかのような笑顔で、少女の来訪を歓迎した。
少女は、何も語らない。彼女の瞳は精彩を欠いており、男を見ていない。男の言葉も、彼女には響いていない。
一ノ瀬志希と親子くらい歳の離れた男、ナマエは、彼女がそんな様子であるにも関わらず、上機嫌で少女を家の中に招いた。
「私の家が土足厳禁だって覚えてるかい?」
「……うん」
少女は小さく、生気のない返事をして、水を吸って重くなった靴を脱ぐ。彼女が素足で廊下に踏み出すと、髪や服からポタポタと落ちた雫が床を濡らした。
「あー。ちょっとそこで止まってくれ。タオルを取ってくる」
志希にバスタオルと、キャリーバッグを拭くためのタオルを取りに向かう。男が急いで玄関に戻ると、少女がくしゃみをしているところだった。
雨が降ったら傘を差せ、という最もな忠告を聞いてくれるとは思えないので、彼は何も言わない。
「ほら、体を拭く。バッグは私がやる」
「……ありがと」
それは、ギリギリ人間としての体裁を整えようとしてのお礼だった。
しばし、ふたりは無言で雨を拭う。特に気まずさはないが、志希が気落ちしているのに対して、ナマエがウキウキしているのが奇妙な雰囲気を出していた。日常風景の中の、わずかな違和感のようなものがある。それがあるせいで、全てが不気味に思えてしまうような。
「暖かい飲み物が用意してある。リビングへ行こう。ただし、椅子にもカーペットにも座らないでくれよ?」
「……ん」
ナマエはキャリーバッグを持ち、志希の手首を掴んで歩き出す。
彼女の肌は、すっかり冷たくなっている。少し早いが、脈拍には異常なし。心はともかく、身体は健康なのだろう。そうでなくては、都合が悪い。
少女を先導するナマエは、密かに口角を上げる。
シックに統一されたリビングの隅に少女を立たせて、男はキッチンからふたり分の飲み物を取って来た。志希に生姜紅茶の入ったカップを差し出し、自身はホットワインを煽る。客を立たせているので、彼も立ったままだ。
「まずは飲んで、それから風呂だ。湯は張ってある。濡れた服は洗濯機か乾燥機に放り込めばいい」
「……うん」
志希から、今日こちらに来ると連絡をもらったのは、すでに彼女が空港に着いた後で。
それから、少女を待っているうちに雨が降り始めた。
経験から言って。彼女が雨に濡れて来るかどうかは五分の確率だったので、一応準備をしていたのだが、それで正解だった。雨に当たりたい気分だったのだろう。
彼女は相変わらず生気のない顔で、ゆっくりと生姜紅茶を飲んでいる。
飲み終えた後にカップをナマエに渡し、志希は緩慢な動きでキャリーバッグから着替えを出して、ふらふらと廊下を歩いて行った。
暇になったナマエは、数年前の少女との出会いを思い出す。
あれは、今とは全く違う空模様の日のことだ。
春の、よく晴れた暖かな昼下がり。ふと、窓の外を見ると、庭に見知らぬ少女がいる。長いボサボサ髪で、だらしない格好をした少女。彼女は、庭に咲いた色とりどりの薔薇を見ているようだ。
ナマエは外へ出て、声をかけることにする。面倒事にならなければいいが。
「こんにちは。君は誰で、何人で、何をしているのかな?」
「一ノ瀬志希。志希が名前。日本出身、14歳~。いい匂いに釣られ中~」
振り向いた少女は、薔薇を見ていたというよりは、嗅いでいたらしい。
「知らない人の家に勝手に入るのは危ない。私の故郷だったら、身ぐるみ剥がされてるよ? シキ」
「あなたのこと知ってる。ナマエさんでしょ?」
話を聞くと、彼女の父親とナマエは旧知の仲であることが判明した。
「いや、それでも油断していいことにはならない。私の故郷だったら、皮まで剥がされてるよ?」
「志希ちゃん特製スプレーで撃退するから、ご心配なく~」
ふたりの出会いは、さほど劇的でもなかったが、ナマエにとって志希はとても興味深い人物であり、巡り合わせに感謝した。
その彼女が、この国から去ってから、どれほどの月日が流れただろうか。
一ノ瀬志希は、神か悪魔になるのだと思っていた。しかし驚いたことに、彼女は神の振りをする人間になったのである。予想外の出来事は、ナマエを大層興奮させた。
彼女が、「キョーミがある」と言っていた人物。その人物の元で、アイドルという存在になった志希。
何故その男に興味が湧くのか、ナマエにはさっぱり分からなかったが、まさかその理由が恋どというもののせいだとは。人間みたいだ。
一ノ瀬志希は人間だった! 大発見だ!
さて、もうすぐ、彼女から事件当時の様子を聞けるだろうか。
◆◆◆
「そろそろ話してくれないか? シキ」
ナマエは、革張りのソファーの上で胡座をかいている風呂上がりの少女に声をかけた。
「私は君にとって人形みたいなもので、愚痴を言うには、うってつけだろう?」
「そうだね。そして、あなたにとって、あたしは興味深い動物みたいなもの」
「酷いな、お互い」
男は、微塵もそうは思っていない様子。
これでも、ふたりは友人と言えなくもない関係だった。共通言語が、歳の離れたふたりを結んでいるのである。
「どうして、ここに来たんだい? アイドルをやるのに飽きたのかい?」
「違うよ」
わざと的外れなことを言うな、と少女の目が訴えている。
「メール、読んだんでしょ?」
「読んだよ、君の実験……いや、犯行記録か………?」
その香水は、クピドの矢の如く恋愛感情を誘発する。彼女は、それを想い人に使ってしまったのだ。一ノ瀬志希の実験は当然のように成功し、彼は一時、彼女に恋をする。その魔法は時間が来ると解けてしまうものだが。しかし、魔法は再現可能であった。
「それで、想い人に愛されて、君はどう思った?」
「あの人に……永遠に、あたしを好きでいてほしいと思った…………」
「へぇ」
男は、鼻で笑いそうになった。永遠なんて人間には計れないのに、馬鹿げている。
少女は男が言いたいことを解っているし、少女が解っていることを男は判っているので、お互い沈黙した。
その気になれば、永遠に近いものは手に入るというのに。結局、香水が呼び起こした感情は紛いものだと、志希は考えたのだろう。そして、あろうことか、彼女は実験場から、対象から逃げ出した。なんて愚かしい。
しばし、雨音と壁掛け時計の音だけが、部屋を満たした。
ふいに、背後の窓から雷光が少女に影を落とす。5秒後、存在を主張するように雷鳴が響いた。
「私は、君に少女性が無ければいいのに、と思わずにはいられないよ」
そんな同情的なことは全く思っていない様子で、わざとらしく肩を竦めて、ナマエは言った。
「君を苦しめるのは、いつだってその少女性じゃないのか?」
男は、彼女が苦しんでいることに心を痛めているのではなく、神からの贈り物を受け取っておきながら、悩みが普通の少女のそれであることが哀れで面白いのである。故に、そのままでいてほしい。永遠に。
「今回のことは……あたしの失敗だった…………実験は成功したけど、あれは失敗だった。だけど、あたしは諦めないから。あたしは、もっと変化しなくちゃ」
しかし少女は、しなやかな強さを持っており、意地の悪い男の望みなど、軽く蹴飛ばしてしまう。その様を残念そうに、少しばかり愉快そうに、ナマエは顎に手を当てて眺めていた。
失踪してきた志希が、ここから去るまで、そう時間はかからないだろう。
2018/04/28