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京都は、憧れの土地だった。好きな小説家の出身地だから。
そんな理由で、俺は、京都に移り住んだ。
しかし、千葉県の海沿いに住み、海洋性気候で生きてきた俺に、盆地の昼間の灼熱と夜の寒さは辛かった。
帰りたい。何度か、本気でそう思った。
そんな折、居酒屋「白熊」の存在を知る。
「たそビールねぇ……」
俺は、クラフトビールを飲んだことがなかった。お手軽に酔える9%の缶チューハイばかり飲んでいる。
行ってみるか? あの店に。
でも、しばらく混雑しそうだな。
俺は、人混みが苦手である。
だが数日後、好奇心に負けて店前まで来てしまった。
どうしよう。いつまでも突っ立ってるワケにもいかない。
気合いを入れて、店内に入る。
「いらっしゃい」と、店長が言った。
会釈し、カウンターに座る。
とりあえず、色々飲めるセットを頼むことにした。
俺の隣には、常連客らしき目付きの悪い男がいる。
目付きの悪さは、人のことを言えないが。この顔のせいで、学生時代は散々陰口を叩かれた。それは、眼鏡をしたくらいでは、どうにも出来なかった。
ふと、お隣さんと目が合う。
「一見さんやんな?」
「はい」
「中国の人?」
「いえ、チャイナ服が好きで着てるだけで、日本人です」
「そうなんや。ビール好きなん?」
「興味があるので来ました」
そう答えると、お隣さんは嬉しそうに笑った。
「おれ、芦刈鉄雄。カメラマンやっとります」
「俺は、こういう者です」
名刺入れを取り出し、名刺を彼に渡す。
「群崎スナヲさん。小説家なんや。ほな、先生やんな?」
「先生って呼ばれるの苦手なんだ。そんな大した人間じゃない」
「ほんなら、スナヲさんて呼んでも?」
「ああ、それがいい」
少しして、注文したものがきた。
「いただきます」
初めて飲むクラフトビールは思っていたより飲みやすく、料理との相性も最高で。あっという間に食べ終えてしまった。
「美味いやろ?」
「うん。びっくりした。俺、アルコールにこだわりなくて、9%のチューハイしか飲んでなかったから」
「そうなん?」
「たそビールで興味持って。来てよかった」
「はは。やってよかったわ」
「君も関係者?」
「まあ、そうやな」
きっとたくさんの人が頑張って作り上げたイベントだったんだろう。
つくづく、俺は人が作ったものが好きだな。
俺の日常を取り巻く全てが、人間の叡知の結晶であるワケで。
「不老不死になれる酒が飲みたい」
「ふはっ! なんやそれ?」
「そういう物語があるんだよ」
「自分、楽しそうやな」
「楽しいよ。だから、ずっと生きていたいんだ」
鉄雄さんは、笑みを消して俺を見つめた。
いい大人が見る夢にしては子供っぽいかもしれないが、俺は真剣だ。
「叶ったらええなあ」と、呟くように言う声がする。そこには、嘲笑などはなかった。
君は、善い人なんだろうね。
◆◆◆
缶チューハイを空けながら、パソコンに向かっている。カタカタと打鍵して、依頼された小説を書いた。
「あ~クソっ!」
頭を掻きむしる。
書いても書いても賞レースで勝てないことが、俺を惨めにさせた。
小学生の時に作文で賞を取ったとか。そういうエピソードもない。
それでも、仕事はする。そうしなくては生きていけない。
俺は、自己肯定感は高い方だと思うが、自己評価は低かった。
会社勤めなんて到底無理だから、小説を書いている。
電子煙草に手を伸ばし、オレンジの香りの煙を吸った。
「はぁ…………」
他者から評価されなくても、俺は書き続けられるだろうが、金を得るためには評価されなくてはならない。
ムカムカしながらも小説を書き終え、クライアントに送る。
あとは、直しが入るかどうかだ。
返信を待つ間に、白熊へ行くことにする。
あれから俺は、何度も足を運んでいて、今では常連客と言ってもいいだろう。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
カウンターに座る。
鉄くん来ないかなぁ。
甘くて酔えるクラフトビールを頼み、チラチラと出入り口を見た。
アイスクリームを乗せたクラフトビールを飲み、溜め息をつく。
「スナヲさん、どうかしたん?」と、常連客の春子さんに訊かれた。
「あーいや、ちょっと自信喪失してて」
「あら。そうなんや」
「賞賛も金もちやほやも欲しい~ってなってます」
「正直者やねぇ」
俺は、正直者ではない。本音と建て前が使いこなせないだけだ。
春子さんと話しているうちに、待ち人が来た。
「こんばんは、スナヲさん」
「鉄くん、こんばんは」
「なんや辛気くさい顔やな」
俺の隣に座り、鉄くんは言う。
「自信喪失しとるんやて」と、春子さん。
「いつもは、王様みたいやのに」
「この物語 の主人公は、俺だから」
「その調子や」
「鉄くん、俺のこと褒めて」
「小説が上手い。特に、流れるような暴力描写が」
「……ありがとう」
ビールを飲み干す。
「群崎スナヲ、歌います!」
「あかん。かなり酔っとる。ストゼロ飲んでから来たな?」
「正解。国歌斉唱」
「すな。水飲め、水」
渡されたグラスから水を飲んだ。
「誰か俺を承認してくれ…………」
その後。気付いたら、鉄くんに肩を借りて歩いていた。
「酔いが冷めた」
「そら、よかった」
「いつかさぁ、鉄くんの写真を表紙に使わせてもらいたいんだよね」
「おれは、ええけど」
「編集さんに言ってみるわ」
ふと、空を見上げる。今晩は、綺麗な月夜だった。
◆◆◆
苦しい。何も書けない。
書けない自分には価値がない気がしてくる。
なんとかしようとしたが、結局、ソファーに寝そべり時が過ぎた。
ダメだ。白熊に行こう。
白熊へ行くと、鉄くんがいた。
「どうしたん? 顔色悪いな」
「低気圧に負けてる」
「お大事に」
「ありがとう……」
人の優しさが沁みる。
鉄くんの隣に座り、甘いクラフトビールを注文した。
「そういえばさ」
「ん?」
「メッセージアプリの連絡先交換したいんだけど」
「ええよ」
よかった。ずっと仕事用の連絡先しか知らなかったから。
「めちゃくちゃ病んだメッセージ送られたら困る?」
「見てみんと分からんわ」
「だよねぇ」
「ただ、スナヲさんが辛いのは嫌やな」
「むり」
「は?」
つい、オタク語の“無理”を口走ってしまった。
「鉄くんが、俺をダメにする~!」
「なんや、自分」
「だって君、俺に優しいんだもん」
頭を抱える。
「大袈裟やな」
「俺、実は長いこと友達いなかったしさぁ。距離感分っかんねぇんだよ」
「へぇ。意外やな」
グラスを傾けながら、鉄くんが言った。
「今度、俺ん家来てくれる?」
「スナヲさんがええなら。興味あるわ」
「ただのオタクの家って感じだよ」
「群崎スナヲの家、やろ」
「……うん」
鉄くんは、善い奴過ぎる。
正直なところ、俺はもうだいぶマズいことになっていた。
芦刈鉄雄のことが好き。そういう気持ちが膨らんで、弾けそうになっている。
俺は、Xジェンダーのパンロマンティック・アセクシャルだ。
そして、家族仲は悪く、精神疾患持ち。なんて面倒な人生なんだろう。
群崎スナヲの面倒くさい人生に、これ以上君を関わらせていいのだろうか?
でも、彼のためを思うなら身を引くべきとか。深入りさせない方がいいとか。そんな優しさ、俺にはない。
俺が破滅する時でも、隣にいてほしいよ。
「俺がもし、呪われてたら、どうする?」
呟くように質問する。
「楽になれるように、手を貸す」
「そっか」
すぐにそんな答えをくれる君に、俺は何をあげられるのだろう?
俺は、鉄くんに本名すら教えられてないんだ。
両親から受けた、最初の呪い。
長子の呪い。性別の呪い。障害。疾患。宗教2世。機能不全家族。
言えないよ。とても。
鉄くんの重荷になりたくない。
でも俺は、君に助けてほしいんだ。
重たい人間。
「吐きそう」
酔ったんじゃなくて、人生を省みて嫌になってしまった。
「スナヲさん!? 隆一!」
さっそく迷惑をかけている。
やっぱり、俺はひとりでいた方がいいのかもしれない。
◆◆◆
築20年の一軒家。そこが、群崎スナヲの自宅である。
「ここが、書斎」
遊びに来た鉄くんに、大きな本棚とパソコンを乗せたデスクがある部屋を見せた。
「ここは寝室」
本棚が6つあり、デスクの上に本の山が出来ている寝室。ベッドの上には、ぬいぐるみがたくさん。
「ここが、リビング」
大きなテレビと、ブルーレイやゲームソフトの棚と、本棚からあぶれた本の山。ソファーの横にあるサイドテーブルには、積ん読タワー。
「本、多過ぎやろ」
「助けてください」
鉄くんは、興味深そうに本のタイトルを見ている。
「小説家やから?」
「読書家だから、小説家になった」
「なるほどな。人生のバイブルは?」
「江戸川乱歩の孤島の鬼」
「あー、乱歩好きそうやな」
とっ散らかったシュミをしているが、俺が江戸川乱歩の怪奇小説が好きなのは分かりやすいだろう。
「スナヲさんて、胡散臭い登場人物として出て来て、別に悪人でもなんでもないタイプやんな」
「俺もそう思う」
鉄くんを椅子に座らせ、紅茶を出した。
「チューハイやないんや?」
「ティーバッグが山ほどあってな」
オタクだから、イメージティーを買いまくっていて、消費が追い付いていない。
対面に座り、ティーカップから紅茶を飲む。
なんのフレーバーかは覚えてないが、シャーロック・ホームズの緋色の研究のイメージティーである。
「自宅見て、俺の人間性とか分かる?」
「ストイックな職人気質のオタク。整理整頓は苦手やないけど、物が多過ぎて半ば諦めて生活してる」
「当たり」
そして、群崎スナヲは、芦刈鉄雄が好き。どうしようもない。
「俺さ、パンロマンティック・アセクシャルなんだよね」
「そうなんや」
「うん。そんでさぁ、俺、鉄くんのこと好きなんだけど」
「ほんまに?」と、少し目を見開く鉄くん。
「ほんまに。ごめん」
「なんで謝るんや?」
「……なんとなく」
「スナヲさんって、自責の念が強いよな」
「自分のろくでもなさは、嫌というほど分かるから」
「でも、そういうとこ好きや。いつも頑張ってて」
「……それって?」
鉄くんは、一呼吸置いて答えた。
「付き合うてみたいなって」
「マジですか?」
「マジやで」
「君と海に行きたい」
「それって、スナヲの愛情表現?」
「そうだよ」
好きな人と好きな景色を一緒に見ることが、俺の中ではとても大切なことなんだよ。
「そのうち、ふたりで九十九里浜にでも行かない?」
「ええなぁ、千葉旅行」
君に見せたいものが、食べてほしいものが、一緒に行きたいところが、たくさんあるよ。
◆◆◆
シーズンオフの九十九里浜は、静かで人気がなかった。
遠くで、ひとりのサーファーが波乗りをしているのが見える。
隣にいる鉄くんを見ると、カメラで海を撮っていた。
「ええなぁ、海」
「うん。好きだな、海」
「なんや思い入れでもあるん?」
「俺の本名に、海が入ってるんだよ」
「本名…………」
鉄くんは目を見開き、俺を見ている。
「そか。群崎スナヲて、ペンネームか」
「俺の本名、知りたい?」
「スナヲが教えたいんなら」
「教えたくない。自分の名前、好きなところと嫌いなところがあるから」
大好きな海と、大嫌いな母から受け継がされた漢字。両方とも、俺の名前を構成しているものだ。
「スナヲのが、本名って感じがする」
「ほんなら、聞かんでおくわ。ただし、本名書いてあるもんは教えといてや。いざという時に困るやろ?」
「鞄の中に、不思議の国のアリスのポーチが入ってる。中身は、マイナンバーカードと保険証とお薬手帳と障害者手帳と診察券」
「了解。手ぇ繋がん?」
「いいよ」
鉄くんの手を取る。このくらいの身体接触なら、俺は大丈夫だ。もちろん、相手が鉄くんだからだけれど。
海風が、少し冷たい。繋いだ手は、あったかい。
「いい写真撮れたか?」
「もう一枚必要やな。スナヲの写真」
「俺?」
「嫌なん?」
「いいけど」
鉄くんは、手を離して俺から遠ざかる。
「撮れたで」
「そう。まあ、いつか必要になるかもな」
「著者近影?」
「遺影」
「自分、すぐそないなこと言うやんな」
恋人に呆れられた。どうも、鉄くんといると根暗の本性が出て来てしまう。
「……結婚したいなぁ」
「なんて?」
「鉄くんと結婚したい」
「急やな」
「鉄くんに海洋散骨してほしいし」
もう一度、俺たちは手を繋ぐ。
「スナヲの希望は、叶えてやりたい」
「……ありがと」
ふたりで、しばらくそのまま凪いだ海を見つめていた。
「この後、どこ行く?」
「オススメは?」
「いわし博物館は、爆発しちまったからなぁ」
「え、怖…………」
少し考えて、俺は、彼を新鮮な魚料理が食べられる食堂に連れて行くことにする。
「いわしの漬け丼と焼きはまぐりは、絶対に食べた方がいい」
「地酒もいきたいな」
「九十九里オーシャンビールって、クラフトビールが6種類ある」
「それにしよ」
食堂で、俺と鉄くんは、漁師料理とビールを味わった。
「うまっ」
「癖がないな」
ペールエール・バイツエン・IPA・ライスエール・ピルスナー・スタウト。全部爽やかで飲みやすい。
「はは」
「ん?」
「鉄くんがビール飲んでるの見るの、好きで」
「そうなん?」
「好きだなぁ。君のこと」
そっと、テーブルの上にある彼の手に手を重ねた。
「休んだら、お土産買いに行こうか?」
「そうやな」
「オランダ家の楽花生パイは外せない」
あとは、チューリップサブレとか、マックスコーヒーのプチケーキとか、ぬれせんべいとか。
ああ、クラフトビールも忘れちゃならないな。
◆◆◆
感性が死んでいく音がする。
うつが酷くて、インプットもアウトプットも出来ない。
何か読みたいのに、見たいのに、聴きたいのに。出来ずにいる。
小説を書くことも出来そうにない。
「鉄くん…………」
ここにはいない恋人の名を呼ぶ。
「鉄くん、俺を承認して…………」
ソファーから起き上がり、キッチンで抗不安薬を飲んだ。
それから、スマホでメッセージを送る。
『あいたい』
なんとか、それだけ送信した。
再びソファーに横になり、目を閉じる。
そして、夢を見た。ソファーで見るのは、いつも必ず明晰夢になる。
俺は、無数の影たちに、性別が不定であることを詰られ、嘲笑され、貶められた。
嫌な夢だなぁ。
そう思うけれど、目覚める元気がない。
「スナヲ」
不意に、声が聴こえた。
「スナヲ、起きてや」
「鉄くん……?」
「そやで」
「…………」
夢から覚める夢をよく見るため、鉄くんが本当に目の前にいるのかが分からない。
上半身を起こし、両手を広げる。鉄くんは、俺を抱き締めてくれた。
「……あったかい」
「そうやな」
「ありがとう。来てくれて」
「どういたしまして。スナヲは、ちゃんとSOSを出して偉かったなぁ」
優しい温度と声。俺は少し、生きててよかったと思った。
「あのさ」
「ん?」
「鉄くんに言えずにいることが、たくさんあって、ごめんね」
「ええよ。スナヲが話したいことだけ聞かせてや」
本名が言えない。身体性別が言えない。家族のことが話せない。
こんな俺を、君は許してくれる。
「ありがとう。鉄くん、愛してるよ」
「愛してるで、スナヲ」
その言葉で、ガチガチに凍り付いていた精神が溶けていく。
肩の力が抜けて、呼吸が楽になって、世界の美しさを思い出せる。
「鉄くん、虹の写真撮ったことある?」
「確か、あるな」
「そっか。そのうち見せてほしい」
「了解」
俺は、君に救われて、本当によかった。君でよかった。君がよかった。
世界中の誰もが、好きなものを好きだと言えるといいのに。
みんな笑顔でいられたらいいのに。
他者と理解し合えなくても、歩み寄れたらいいのに。
「……お腹空いたな」
「白熊行こうや」
「行きたい」
身支度をしてから、鉄くんと手を繋いで、白熊を目指す。
生まれ故郷に、俺の居場所はなかった。京都も、俺の居場所ではないのかもしれないと思った。
でも今は、好きな場所がある。そこには、君もいる。
どうか、ずっと隣にいてほしい。
鉄くんは、俺の中の星空の一等星なんだ。
そんな理由で、俺は、京都に移り住んだ。
しかし、千葉県の海沿いに住み、海洋性気候で生きてきた俺に、盆地の昼間の灼熱と夜の寒さは辛かった。
帰りたい。何度か、本気でそう思った。
そんな折、居酒屋「白熊」の存在を知る。
「たそビールねぇ……」
俺は、クラフトビールを飲んだことがなかった。お手軽に酔える9%の缶チューハイばかり飲んでいる。
行ってみるか? あの店に。
でも、しばらく混雑しそうだな。
俺は、人混みが苦手である。
だが数日後、好奇心に負けて店前まで来てしまった。
どうしよう。いつまでも突っ立ってるワケにもいかない。
気合いを入れて、店内に入る。
「いらっしゃい」と、店長が言った。
会釈し、カウンターに座る。
とりあえず、色々飲めるセットを頼むことにした。
俺の隣には、常連客らしき目付きの悪い男がいる。
目付きの悪さは、人のことを言えないが。この顔のせいで、学生時代は散々陰口を叩かれた。それは、眼鏡をしたくらいでは、どうにも出来なかった。
ふと、お隣さんと目が合う。
「一見さんやんな?」
「はい」
「中国の人?」
「いえ、チャイナ服が好きで着てるだけで、日本人です」
「そうなんや。ビール好きなん?」
「興味があるので来ました」
そう答えると、お隣さんは嬉しそうに笑った。
「おれ、芦刈鉄雄。カメラマンやっとります」
「俺は、こういう者です」
名刺入れを取り出し、名刺を彼に渡す。
「群崎スナヲさん。小説家なんや。ほな、先生やんな?」
「先生って呼ばれるの苦手なんだ。そんな大した人間じゃない」
「ほんなら、スナヲさんて呼んでも?」
「ああ、それがいい」
少しして、注文したものがきた。
「いただきます」
初めて飲むクラフトビールは思っていたより飲みやすく、料理との相性も最高で。あっという間に食べ終えてしまった。
「美味いやろ?」
「うん。びっくりした。俺、アルコールにこだわりなくて、9%のチューハイしか飲んでなかったから」
「そうなん?」
「たそビールで興味持って。来てよかった」
「はは。やってよかったわ」
「君も関係者?」
「まあ、そうやな」
きっとたくさんの人が頑張って作り上げたイベントだったんだろう。
つくづく、俺は人が作ったものが好きだな。
俺の日常を取り巻く全てが、人間の叡知の結晶であるワケで。
「不老不死になれる酒が飲みたい」
「ふはっ! なんやそれ?」
「そういう物語があるんだよ」
「自分、楽しそうやな」
「楽しいよ。だから、ずっと生きていたいんだ」
鉄雄さんは、笑みを消して俺を見つめた。
いい大人が見る夢にしては子供っぽいかもしれないが、俺は真剣だ。
「叶ったらええなあ」と、呟くように言う声がする。そこには、嘲笑などはなかった。
君は、善い人なんだろうね。
◆◆◆
缶チューハイを空けながら、パソコンに向かっている。カタカタと打鍵して、依頼された小説を書いた。
「あ~クソっ!」
頭を掻きむしる。
書いても書いても賞レースで勝てないことが、俺を惨めにさせた。
小学生の時に作文で賞を取ったとか。そういうエピソードもない。
それでも、仕事はする。そうしなくては生きていけない。
俺は、自己肯定感は高い方だと思うが、自己評価は低かった。
会社勤めなんて到底無理だから、小説を書いている。
電子煙草に手を伸ばし、オレンジの香りの煙を吸った。
「はぁ…………」
他者から評価されなくても、俺は書き続けられるだろうが、金を得るためには評価されなくてはならない。
ムカムカしながらも小説を書き終え、クライアントに送る。
あとは、直しが入るかどうかだ。
返信を待つ間に、白熊へ行くことにする。
あれから俺は、何度も足を運んでいて、今では常連客と言ってもいいだろう。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
カウンターに座る。
鉄くん来ないかなぁ。
甘くて酔えるクラフトビールを頼み、チラチラと出入り口を見た。
アイスクリームを乗せたクラフトビールを飲み、溜め息をつく。
「スナヲさん、どうかしたん?」と、常連客の春子さんに訊かれた。
「あーいや、ちょっと自信喪失してて」
「あら。そうなんや」
「賞賛も金もちやほやも欲しい~ってなってます」
「正直者やねぇ」
俺は、正直者ではない。本音と建て前が使いこなせないだけだ。
春子さんと話しているうちに、待ち人が来た。
「こんばんは、スナヲさん」
「鉄くん、こんばんは」
「なんや辛気くさい顔やな」
俺の隣に座り、鉄くんは言う。
「自信喪失しとるんやて」と、春子さん。
「いつもは、王様みたいやのに」
「この
「その調子や」
「鉄くん、俺のこと褒めて」
「小説が上手い。特に、流れるような暴力描写が」
「……ありがとう」
ビールを飲み干す。
「群崎スナヲ、歌います!」
「あかん。かなり酔っとる。ストゼロ飲んでから来たな?」
「正解。国歌斉唱」
「すな。水飲め、水」
渡されたグラスから水を飲んだ。
「誰か俺を承認してくれ…………」
その後。気付いたら、鉄くんに肩を借りて歩いていた。
「酔いが冷めた」
「そら、よかった」
「いつかさぁ、鉄くんの写真を表紙に使わせてもらいたいんだよね」
「おれは、ええけど」
「編集さんに言ってみるわ」
ふと、空を見上げる。今晩は、綺麗な月夜だった。
◆◆◆
苦しい。何も書けない。
書けない自分には価値がない気がしてくる。
なんとかしようとしたが、結局、ソファーに寝そべり時が過ぎた。
ダメだ。白熊に行こう。
白熊へ行くと、鉄くんがいた。
「どうしたん? 顔色悪いな」
「低気圧に負けてる」
「お大事に」
「ありがとう……」
人の優しさが沁みる。
鉄くんの隣に座り、甘いクラフトビールを注文した。
「そういえばさ」
「ん?」
「メッセージアプリの連絡先交換したいんだけど」
「ええよ」
よかった。ずっと仕事用の連絡先しか知らなかったから。
「めちゃくちゃ病んだメッセージ送られたら困る?」
「見てみんと分からんわ」
「だよねぇ」
「ただ、スナヲさんが辛いのは嫌やな」
「むり」
「は?」
つい、オタク語の“無理”を口走ってしまった。
「鉄くんが、俺をダメにする~!」
「なんや、自分」
「だって君、俺に優しいんだもん」
頭を抱える。
「大袈裟やな」
「俺、実は長いこと友達いなかったしさぁ。距離感分っかんねぇんだよ」
「へぇ。意外やな」
グラスを傾けながら、鉄くんが言った。
「今度、俺ん家来てくれる?」
「スナヲさんがええなら。興味あるわ」
「ただのオタクの家って感じだよ」
「群崎スナヲの家、やろ」
「……うん」
鉄くんは、善い奴過ぎる。
正直なところ、俺はもうだいぶマズいことになっていた。
芦刈鉄雄のことが好き。そういう気持ちが膨らんで、弾けそうになっている。
俺は、Xジェンダーのパンロマンティック・アセクシャルだ。
そして、家族仲は悪く、精神疾患持ち。なんて面倒な人生なんだろう。
群崎スナヲの面倒くさい人生に、これ以上君を関わらせていいのだろうか?
でも、彼のためを思うなら身を引くべきとか。深入りさせない方がいいとか。そんな優しさ、俺にはない。
俺が破滅する時でも、隣にいてほしいよ。
「俺がもし、呪われてたら、どうする?」
呟くように質問する。
「楽になれるように、手を貸す」
「そっか」
すぐにそんな答えをくれる君に、俺は何をあげられるのだろう?
俺は、鉄くんに本名すら教えられてないんだ。
両親から受けた、最初の呪い。
長子の呪い。性別の呪い。障害。疾患。宗教2世。機能不全家族。
言えないよ。とても。
鉄くんの重荷になりたくない。
でも俺は、君に助けてほしいんだ。
重たい人間。
「吐きそう」
酔ったんじゃなくて、人生を省みて嫌になってしまった。
「スナヲさん!? 隆一!」
さっそく迷惑をかけている。
やっぱり、俺はひとりでいた方がいいのかもしれない。
◆◆◆
築20年の一軒家。そこが、群崎スナヲの自宅である。
「ここが、書斎」
遊びに来た鉄くんに、大きな本棚とパソコンを乗せたデスクがある部屋を見せた。
「ここは寝室」
本棚が6つあり、デスクの上に本の山が出来ている寝室。ベッドの上には、ぬいぐるみがたくさん。
「ここが、リビング」
大きなテレビと、ブルーレイやゲームソフトの棚と、本棚からあぶれた本の山。ソファーの横にあるサイドテーブルには、積ん読タワー。
「本、多過ぎやろ」
「助けてください」
鉄くんは、興味深そうに本のタイトルを見ている。
「小説家やから?」
「読書家だから、小説家になった」
「なるほどな。人生のバイブルは?」
「江戸川乱歩の孤島の鬼」
「あー、乱歩好きそうやな」
とっ散らかったシュミをしているが、俺が江戸川乱歩の怪奇小説が好きなのは分かりやすいだろう。
「スナヲさんて、胡散臭い登場人物として出て来て、別に悪人でもなんでもないタイプやんな」
「俺もそう思う」
鉄くんを椅子に座らせ、紅茶を出した。
「チューハイやないんや?」
「ティーバッグが山ほどあってな」
オタクだから、イメージティーを買いまくっていて、消費が追い付いていない。
対面に座り、ティーカップから紅茶を飲む。
なんのフレーバーかは覚えてないが、シャーロック・ホームズの緋色の研究のイメージティーである。
「自宅見て、俺の人間性とか分かる?」
「ストイックな職人気質のオタク。整理整頓は苦手やないけど、物が多過ぎて半ば諦めて生活してる」
「当たり」
そして、群崎スナヲは、芦刈鉄雄が好き。どうしようもない。
「俺さ、パンロマンティック・アセクシャルなんだよね」
「そうなんや」
「うん。そんでさぁ、俺、鉄くんのこと好きなんだけど」
「ほんまに?」と、少し目を見開く鉄くん。
「ほんまに。ごめん」
「なんで謝るんや?」
「……なんとなく」
「スナヲさんって、自責の念が強いよな」
「自分のろくでもなさは、嫌というほど分かるから」
「でも、そういうとこ好きや。いつも頑張ってて」
「……それって?」
鉄くんは、一呼吸置いて答えた。
「付き合うてみたいなって」
「マジですか?」
「マジやで」
「君と海に行きたい」
「それって、スナヲの愛情表現?」
「そうだよ」
好きな人と好きな景色を一緒に見ることが、俺の中ではとても大切なことなんだよ。
「そのうち、ふたりで九十九里浜にでも行かない?」
「ええなぁ、千葉旅行」
君に見せたいものが、食べてほしいものが、一緒に行きたいところが、たくさんあるよ。
◆◆◆
シーズンオフの九十九里浜は、静かで人気がなかった。
遠くで、ひとりのサーファーが波乗りをしているのが見える。
隣にいる鉄くんを見ると、カメラで海を撮っていた。
「ええなぁ、海」
「うん。好きだな、海」
「なんや思い入れでもあるん?」
「俺の本名に、海が入ってるんだよ」
「本名…………」
鉄くんは目を見開き、俺を見ている。
「そか。群崎スナヲて、ペンネームか」
「俺の本名、知りたい?」
「スナヲが教えたいんなら」
「教えたくない。自分の名前、好きなところと嫌いなところがあるから」
大好きな海と、大嫌いな母から受け継がされた漢字。両方とも、俺の名前を構成しているものだ。
「スナヲのが、本名って感じがする」
「ほんなら、聞かんでおくわ。ただし、本名書いてあるもんは教えといてや。いざという時に困るやろ?」
「鞄の中に、不思議の国のアリスのポーチが入ってる。中身は、マイナンバーカードと保険証とお薬手帳と障害者手帳と診察券」
「了解。手ぇ繋がん?」
「いいよ」
鉄くんの手を取る。このくらいの身体接触なら、俺は大丈夫だ。もちろん、相手が鉄くんだからだけれど。
海風が、少し冷たい。繋いだ手は、あったかい。
「いい写真撮れたか?」
「もう一枚必要やな。スナヲの写真」
「俺?」
「嫌なん?」
「いいけど」
鉄くんは、手を離して俺から遠ざかる。
「撮れたで」
「そう。まあ、いつか必要になるかもな」
「著者近影?」
「遺影」
「自分、すぐそないなこと言うやんな」
恋人に呆れられた。どうも、鉄くんといると根暗の本性が出て来てしまう。
「……結婚したいなぁ」
「なんて?」
「鉄くんと結婚したい」
「急やな」
「鉄くんに海洋散骨してほしいし」
もう一度、俺たちは手を繋ぐ。
「スナヲの希望は、叶えてやりたい」
「……ありがと」
ふたりで、しばらくそのまま凪いだ海を見つめていた。
「この後、どこ行く?」
「オススメは?」
「いわし博物館は、爆発しちまったからなぁ」
「え、怖…………」
少し考えて、俺は、彼を新鮮な魚料理が食べられる食堂に連れて行くことにする。
「いわしの漬け丼と焼きはまぐりは、絶対に食べた方がいい」
「地酒もいきたいな」
「九十九里オーシャンビールって、クラフトビールが6種類ある」
「それにしよ」
食堂で、俺と鉄くんは、漁師料理とビールを味わった。
「うまっ」
「癖がないな」
ペールエール・バイツエン・IPA・ライスエール・ピルスナー・スタウト。全部爽やかで飲みやすい。
「はは」
「ん?」
「鉄くんがビール飲んでるの見るの、好きで」
「そうなん?」
「好きだなぁ。君のこと」
そっと、テーブルの上にある彼の手に手を重ねた。
「休んだら、お土産買いに行こうか?」
「そうやな」
「オランダ家の楽花生パイは外せない」
あとは、チューリップサブレとか、マックスコーヒーのプチケーキとか、ぬれせんべいとか。
ああ、クラフトビールも忘れちゃならないな。
◆◆◆
感性が死んでいく音がする。
うつが酷くて、インプットもアウトプットも出来ない。
何か読みたいのに、見たいのに、聴きたいのに。出来ずにいる。
小説を書くことも出来そうにない。
「鉄くん…………」
ここにはいない恋人の名を呼ぶ。
「鉄くん、俺を承認して…………」
ソファーから起き上がり、キッチンで抗不安薬を飲んだ。
それから、スマホでメッセージを送る。
『あいたい』
なんとか、それだけ送信した。
再びソファーに横になり、目を閉じる。
そして、夢を見た。ソファーで見るのは、いつも必ず明晰夢になる。
俺は、無数の影たちに、性別が不定であることを詰られ、嘲笑され、貶められた。
嫌な夢だなぁ。
そう思うけれど、目覚める元気がない。
「スナヲ」
不意に、声が聴こえた。
「スナヲ、起きてや」
「鉄くん……?」
「そやで」
「…………」
夢から覚める夢をよく見るため、鉄くんが本当に目の前にいるのかが分からない。
上半身を起こし、両手を広げる。鉄くんは、俺を抱き締めてくれた。
「……あったかい」
「そうやな」
「ありがとう。来てくれて」
「どういたしまして。スナヲは、ちゃんとSOSを出して偉かったなぁ」
優しい温度と声。俺は少し、生きててよかったと思った。
「あのさ」
「ん?」
「鉄くんに言えずにいることが、たくさんあって、ごめんね」
「ええよ。スナヲが話したいことだけ聞かせてや」
本名が言えない。身体性別が言えない。家族のことが話せない。
こんな俺を、君は許してくれる。
「ありがとう。鉄くん、愛してるよ」
「愛してるで、スナヲ」
その言葉で、ガチガチに凍り付いていた精神が溶けていく。
肩の力が抜けて、呼吸が楽になって、世界の美しさを思い出せる。
「鉄くん、虹の写真撮ったことある?」
「確か、あるな」
「そっか。そのうち見せてほしい」
「了解」
俺は、君に救われて、本当によかった。君でよかった。君がよかった。
世界中の誰もが、好きなものを好きだと言えるといいのに。
みんな笑顔でいられたらいいのに。
他者と理解し合えなくても、歩み寄れたらいいのに。
「……お腹空いたな」
「白熊行こうや」
「行きたい」
身支度をしてから、鉄くんと手を繋いで、白熊を目指す。
生まれ故郷に、俺の居場所はなかった。京都も、俺の居場所ではないのかもしれないと思った。
でも今は、好きな場所がある。そこには、君もいる。
どうか、ずっと隣にいてほしい。
鉄くんは、俺の中の星空の一等星なんだ。
