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警察病院で、ふたりの男が対峙している。
ひとりは、精神科医の男。もうひとり、目隠しされている男は、窃野トウヤ。指定ヴィラン団体、死穢八斎會の構成員だった者だ。目にしたものを瞬時に盗める個性を持つ。
「私は、あなたの味方です。あなたを理解したいと思っています。だから、窃野さんのお話を聞かせていただきたいと思っています。どうか、話していただけませんか? 人間関係は、まずは対話から始めなくてはならないのです。億劫かもしれませんが、お願いします」
窃野トウヤの担当の精神科医は、訥々と喋る。
「…………うるせぇ」
取り付く島もない。
大嫌いなヒーローに捕らえられた犯罪者。そんな人物の心象風景を、これから見に行く。
精神科医は、意識を集中させて、個性、パノラマ・ウォッチを発動する。
窃野の心の中の風景は、暗闇だった。どちらを向いても真っ暗な闇。
長い闘いになりそうだ、と男は思った。
「では、まずは一方的に、私の話をさせていただきますね。私も、自殺をしようとしたことがあります」
男は語る。命とは、「授かりもの」ではなく、「拾いもの」なのだと。
それは、窃野にとって、興味深い話だった。
次の診察の日も、その次も、精神科医は、自分の身の上話を披露する。窃野は、それに共感し、同情し、親しみを覚えていった。
この、ヒーローが存在する世界でさえ、救われない者がいる。取りこぼされる命がある。そんな、弱者に寄り添うために、自分はこの仕事をしているのだと、彼は告げた。
「…………救われるなら、あんたにがいい」
ぼそり、と漏れ出た言葉に、自分自身が驚いてしまう。幸い、精神科医には、聴こえなかったようだが。
診察の後、自分の房に戻り、窃野トウヤは、考える。
俺は、あの男を信頼し始めている。
それだけならば、まだ良かった。
俺は、あの男を、先生を、好きになり始めている。
先生に、恋をしている。
そのことは、窃野トウヤにとっては、とても恐ろしいことだった。かつて、愛した者に裏切られた傷が疼くのを感じる。
けれど、“あいつ”と“あの人”は違うはずだ。自分は、彼を、先生を信じたい。
窃野トウヤは、服の裾を、ぎゅっと握り締めた。
◆◆◆
医師は、努めて冷静でなくてはならない。患者との距離感を見誤ってはならない。患者に感情移入し過ぎてはならない。
しかし、精神科医は、己の矜持と心情の間で、揺らいでいた。窃野トウヤが、自分に心を開いてくれたことをきっかけに。
彼を、恋慕う気持ちが、溢れ出しそうになる。一線を越えそうになる。
それは、罪だ。
「先生」
「はい」
目隠しなしで診察するようになって、半月。彼の瞳は、精神科医を信頼し、尊敬し、愛していた。
「俺のこと、好きになってくれませんか?」
「それは…………」
罪だ。とっくに、男は罪を犯している。
「…………すいません」
「謝るなよ、先生」
「ですが」
「いいんだよ、俺みたいな奴と、先生じゃ釣り合わねぇよ」
「そういうことでは…………」
他者を愛し、裏切られ、それでも、もう一度、人を信じて愛そうとすることは、とても尊いことだと感じる。
「先生、俺の人生に深入りし過ぎないようにしてくれてるだろ? それが、俺には心地いいんだ」
「そうですか」
ああ、やはり、そうか。私が、あなたに出来ることは、多くはない。
精神科医は、そう考えた。
どうか、彼の人生の、ほんの少しの灯りになれますように。
パノラマ・ウォッチで、窃野トウヤの心象風景を見ると、暗闇の中に一筋の光が差していた。これで、良かったのだ。男は、自分に言い聞かせた。
そんな精神科医とは違い、窃野は、実のところ、主治医の男をゆるせていない。自分の心を掬い上げたことを、赦せない。自分の人生から遠ざかることを、許せない。
信じられないほどの、憎悪と愛情を、窃野は抱いている。
自殺未遂をした、あの時に、ヒーローなんかではなく、彼と出会えていたらな。などと、夢物語を考える始末。
窃野トウヤは、夢を見る。好きな男に、抱かれる夢だ。それはそれは、幸せで。起きたら、いつも絶望する。
あの男が、自分を抱いてくれることはないだろう。彼は、立派な人だから、劣情のままに患者を抱いたりしないのだ。
診察後、房に戻ると、すぐに、粗末なベッドに横になる。
「あーあ。クソ…………」
窃野は、天井を睨みながら、悪態をつく。
「俺と心中してくれよ、先生…………」
呟きは、虚空に吸い込まれていった。
◆◆◆
もし、あなたと、医者と患者の立場でなく、出会えていたのなら、私は、あなたを愛したことでしょう。
精神科医は、心の中で、独白する。
しかし、この関係性でなければ、出会うことはなかったのだろう、とも思う。
運命とは、時に残酷なものだ。
そうこうしているうちに、診察の時間がきた。窃野トウヤが、診察室へとやって来る。
「よう、先生」
「こんにちは、窃野さん」
いつもの挨拶。閉鎖的な部屋で行われる、いつもの診察。ちゃんと寝ているか? 食べているか? などの質問。ちょっとした世間話。
ふたりにとって、大切な時間は、あっという間に過ぎていく。
「なあ、先生」
「はい」
「俺と、心中してくれねぇか?」
「心中、ですか…………」
男は、困った。何故なら、とても魅力的な提案に思えてしまったからである。
ふたりで、夜の海へ行き、手を繋いで、沖へと進む。笑い合いながら。デートするみたいに、楽しそうに。そして、とぷん、と海に沈んで、ふたりで死ぬのだ。物語は、おしまい、おしまい。なんて、幸せな結末の風景なのだろう。
「窃野さん、それは出来ません」
精神科医は、心とは別の言葉を吐いた。表情に動揺が表れないように。軋む心を隠すように。
「分かってるよ。だから、先生、せめて…………」
窃野は、少し言い淀んで、顔を赤くしながら、小さく気持ちを告げる。
「…………俺を、抱いてくれ」
「窃野さん…………」
しばしの沈黙。カチコチと、時計の針が進む音だけが診察室に響く。
窃野が、「嘘だよ。全部、嘘だよ、先生」と口を開きかけたところで、主治医の男は、思いがけない行動に出た。
男は、立ち上がり、座っている窃野を抱き締めたのである。優しく、包み込むように。
「先生…………先生…………」
窃野は、おずおずと愛する人を抱き締め返す。
「窃野さん、私とあなたが、医者と患者という間柄でなくなる日が来たら、共に生きていただけますか?」
「あ、ああ。俺は、ずっとそうしたかったんだと思う…………」
窃野は、両目に涙を浮かべ、震える声で言った。そして、精神科医は、窃野の笑顔を初めて見る。
正直に言えば、彼と唇を重ねたかった。今、この瞬間、すぐに。けれど、それは叶わぬ夢。叶えてはいけない望み。男は、己を律して、揺らぐまいと気を張る。目先の快楽のために、未来を潰したくない。名残惜しいが、抱き合うふたりは、ひとりとひとりに戻った。
「先生、好きだ…………」
窃野は、頬を赤らめて、噛み締めるように言う。
「ありがとうございます。私からも、いずれ言わせていただきます」
神を信じない男は、自分自身に誓った。
運命が、イコールで神と結び付くとしても、この運命を選んだのは自分だと、そう信じたい。
ふたりの男は、将来、一緒に幸せになるために、境界線上に並んだ。いつか、この境界線を越えて、同じ景色を眺める日が来ますように。
ひとりは、精神科医の男。もうひとり、目隠しされている男は、窃野トウヤ。指定ヴィラン団体、死穢八斎會の構成員だった者だ。目にしたものを瞬時に盗める個性を持つ。
「私は、あなたの味方です。あなたを理解したいと思っています。だから、窃野さんのお話を聞かせていただきたいと思っています。どうか、話していただけませんか? 人間関係は、まずは対話から始めなくてはならないのです。億劫かもしれませんが、お願いします」
窃野トウヤの担当の精神科医は、訥々と喋る。
「…………うるせぇ」
取り付く島もない。
大嫌いなヒーローに捕らえられた犯罪者。そんな人物の心象風景を、これから見に行く。
精神科医は、意識を集中させて、個性、パノラマ・ウォッチを発動する。
窃野の心の中の風景は、暗闇だった。どちらを向いても真っ暗な闇。
長い闘いになりそうだ、と男は思った。
「では、まずは一方的に、私の話をさせていただきますね。私も、自殺をしようとしたことがあります」
男は語る。命とは、「授かりもの」ではなく、「拾いもの」なのだと。
それは、窃野にとって、興味深い話だった。
次の診察の日も、その次も、精神科医は、自分の身の上話を披露する。窃野は、それに共感し、同情し、親しみを覚えていった。
この、ヒーローが存在する世界でさえ、救われない者がいる。取りこぼされる命がある。そんな、弱者に寄り添うために、自分はこの仕事をしているのだと、彼は告げた。
「…………救われるなら、あんたにがいい」
ぼそり、と漏れ出た言葉に、自分自身が驚いてしまう。幸い、精神科医には、聴こえなかったようだが。
診察の後、自分の房に戻り、窃野トウヤは、考える。
俺は、あの男を信頼し始めている。
それだけならば、まだ良かった。
俺は、あの男を、先生を、好きになり始めている。
先生に、恋をしている。
そのことは、窃野トウヤにとっては、とても恐ろしいことだった。かつて、愛した者に裏切られた傷が疼くのを感じる。
けれど、“あいつ”と“あの人”は違うはずだ。自分は、彼を、先生を信じたい。
窃野トウヤは、服の裾を、ぎゅっと握り締めた。
◆◆◆
医師は、努めて冷静でなくてはならない。患者との距離感を見誤ってはならない。患者に感情移入し過ぎてはならない。
しかし、精神科医は、己の矜持と心情の間で、揺らいでいた。窃野トウヤが、自分に心を開いてくれたことをきっかけに。
彼を、恋慕う気持ちが、溢れ出しそうになる。一線を越えそうになる。
それは、罪だ。
「先生」
「はい」
目隠しなしで診察するようになって、半月。彼の瞳は、精神科医を信頼し、尊敬し、愛していた。
「俺のこと、好きになってくれませんか?」
「それは…………」
罪だ。とっくに、男は罪を犯している。
「…………すいません」
「謝るなよ、先生」
「ですが」
「いいんだよ、俺みたいな奴と、先生じゃ釣り合わねぇよ」
「そういうことでは…………」
他者を愛し、裏切られ、それでも、もう一度、人を信じて愛そうとすることは、とても尊いことだと感じる。
「先生、俺の人生に深入りし過ぎないようにしてくれてるだろ? それが、俺には心地いいんだ」
「そうですか」
ああ、やはり、そうか。私が、あなたに出来ることは、多くはない。
精神科医は、そう考えた。
どうか、彼の人生の、ほんの少しの灯りになれますように。
パノラマ・ウォッチで、窃野トウヤの心象風景を見ると、暗闇の中に一筋の光が差していた。これで、良かったのだ。男は、自分に言い聞かせた。
そんな精神科医とは違い、窃野は、実のところ、主治医の男をゆるせていない。自分の心を掬い上げたことを、赦せない。自分の人生から遠ざかることを、許せない。
信じられないほどの、憎悪と愛情を、窃野は抱いている。
自殺未遂をした、あの時に、ヒーローなんかではなく、彼と出会えていたらな。などと、夢物語を考える始末。
窃野トウヤは、夢を見る。好きな男に、抱かれる夢だ。それはそれは、幸せで。起きたら、いつも絶望する。
あの男が、自分を抱いてくれることはないだろう。彼は、立派な人だから、劣情のままに患者を抱いたりしないのだ。
診察後、房に戻ると、すぐに、粗末なベッドに横になる。
「あーあ。クソ…………」
窃野は、天井を睨みながら、悪態をつく。
「俺と心中してくれよ、先生…………」
呟きは、虚空に吸い込まれていった。
◆◆◆
もし、あなたと、医者と患者の立場でなく、出会えていたのなら、私は、あなたを愛したことでしょう。
精神科医は、心の中で、独白する。
しかし、この関係性でなければ、出会うことはなかったのだろう、とも思う。
運命とは、時に残酷なものだ。
そうこうしているうちに、診察の時間がきた。窃野トウヤが、診察室へとやって来る。
「よう、先生」
「こんにちは、窃野さん」
いつもの挨拶。閉鎖的な部屋で行われる、いつもの診察。ちゃんと寝ているか? 食べているか? などの質問。ちょっとした世間話。
ふたりにとって、大切な時間は、あっという間に過ぎていく。
「なあ、先生」
「はい」
「俺と、心中してくれねぇか?」
「心中、ですか…………」
男は、困った。何故なら、とても魅力的な提案に思えてしまったからである。
ふたりで、夜の海へ行き、手を繋いで、沖へと進む。笑い合いながら。デートするみたいに、楽しそうに。そして、とぷん、と海に沈んで、ふたりで死ぬのだ。物語は、おしまい、おしまい。なんて、幸せな結末の風景なのだろう。
「窃野さん、それは出来ません」
精神科医は、心とは別の言葉を吐いた。表情に動揺が表れないように。軋む心を隠すように。
「分かってるよ。だから、先生、せめて…………」
窃野は、少し言い淀んで、顔を赤くしながら、小さく気持ちを告げる。
「…………俺を、抱いてくれ」
「窃野さん…………」
しばしの沈黙。カチコチと、時計の針が進む音だけが診察室に響く。
窃野が、「嘘だよ。全部、嘘だよ、先生」と口を開きかけたところで、主治医の男は、思いがけない行動に出た。
男は、立ち上がり、座っている窃野を抱き締めたのである。優しく、包み込むように。
「先生…………先生…………」
窃野は、おずおずと愛する人を抱き締め返す。
「窃野さん、私とあなたが、医者と患者という間柄でなくなる日が来たら、共に生きていただけますか?」
「あ、ああ。俺は、ずっとそうしたかったんだと思う…………」
窃野は、両目に涙を浮かべ、震える声で言った。そして、精神科医は、窃野の笑顔を初めて見る。
正直に言えば、彼と唇を重ねたかった。今、この瞬間、すぐに。けれど、それは叶わぬ夢。叶えてはいけない望み。男は、己を律して、揺らぐまいと気を張る。目先の快楽のために、未来を潰したくない。名残惜しいが、抱き合うふたりは、ひとりとひとりに戻った。
「先生、好きだ…………」
窃野は、頬を赤らめて、噛み締めるように言う。
「ありがとうございます。私からも、いずれ言わせていただきます」
神を信じない男は、自分自身に誓った。
運命が、イコールで神と結び付くとしても、この運命を選んだのは自分だと、そう信じたい。
ふたりの男は、将来、一緒に幸せになるために、境界線上に並んだ。いつか、この境界線を越えて、同じ景色を眺める日が来ますように。