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ある日、夜の王様から依頼がきた。
ミョウジナマエは、ダンス衣料会社「幽蛾灯」の代表取締役である。
フィギュアスケート選手、狼嵜光の衣装をデザインしてほしい、と夜鷹純に言われた。
ナマエは、その依頼を自らが引き受ける。夜鷹純は、“美しいもの”だから。その彼が目をかけている選手もまた、そうなのだろう。
衣装デザイナーは、狼嵜光に直接会いに行った。
「はじめまして。俺は、ミョウジナマエ。光さんの衣装デザインを担当します」
「はじめまして。狼嵜光です。よろしくお願いします」
光は、風格のある少女で、ナマエは一目で気に入る。改めて、誠心誠意依頼に応えようと思った。
「俺は、夜鷹さんに頼まれてここまで来たんだ」
「そうですか。あの人に」
「光さんの輝きが増すような衣装を作ると約束するよ」
「ありがとうございます」
その後。彼女のスケーティングを見学し、選択曲を共有してもらった。
「夜鷹さんはいないの?」
「今は昼ですから」と、光は笑う。
「ふーん。彼にも会いたいんだけどな」
「じゃあ、夜までいてください」
「そうするよ」
そして、その晩。夜闇を纏っているかのような男が現れた。
「はじめまして。幽蛾灯のミョウジナマエだ」
ナマエは、夜鷹純に自己紹介をする。
彼は、ナマエを一瞥し、すぐに光の指導に向かった。
挨拶くらいしろよ。
ナマエは、目をすがめた。ムカついた時の癖である。
だが、彼の失礼な態度も許した。
夜鷹純の滑りが、美しいままだったから。
名前の通り、夜の生き物だ。氷の上を高く跳び、見る者を魅了するか、畏怖させるか。あるいは両方。
ナマエは、彼のことが気に入った。この気難しいデザイナーは、美の信奉者である。
男は、そのまま光たちの描くフィギュアを見ていた。
練習が終わると、夜鷹純に「君、まだいたのか」と言われるナマエ。
「デザインは、無からは生まれないからな。あんたらのことを見させてもらったよ。いい仕事になりそうだ」
「……そうか」
それだけ言って、夜の王は去った。
代わりに光がやって来て、「あの人のこと、嫌いになりました?」と尋ねる。
「まさか。俺は、芸術家だ。美を体現する者を愛してるよ」
「そうですか。衣装、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せてくれ」
遅くに帰宅したナマエは、寝食を投げ出してデザイン画を描いた。
華麗な夜の獣に似合う、最高のドレスを。
見てろよ、夜鷹純。あんたが驚くような衣装を生み出してやるからな。
ミョウジナマエは、芸術のためならば、悪魔に魂を売っても構わないと思っている。
◆◆◆
これは、狼嵜光のための“オディール”だ。
光さん、あんたは、強く美しい黒い鳥になれ。
ナマエは、白鳥の湖の悪魔の娘をイメージしたきらびやかな衣装を仕立てた。その作品名が、“オディール”である。
勝つためのそれをクライアントに送った。
その後。仮眠をしようと思ったところで、そういえば、と思い出した。
夜鷹純にメールを送ろう。
ミョウジナマエだ。今、そっちに衣装を送った。
あんたの感想を聞かせてくれ。
よろしく。
ナマエは、欠伸をして、寝室の天蓋付きベッドで眠った。
しばらく夢も見ないで眠り、空腹を感じて起きる。時刻は、18時。
近所のフレンチベースの洋食屋へ行き、牛フィレステーキコースを注文した。
ナマエは、自身が美しいと思った料理が好きである。この店のことは、かなり気に入っていた。
食事を終えた後は、代表取締役としての仕事をこなし、ゆっくりと風呂に入ってから就寝する。
2日後。
光から電話がかかってきた。
『衣装、とても素敵でした。ありがとうございます』
「気に入ってくれたなら、よかった。あとは、勝ってその美しさを証明してくれ」
『はい』
光との通話から、数分後。
夜鷹純から連絡がきた。
「よう」
『ナマエ』
いきなり名前呼び捨てかよ。まあいい。
『君の作った衣装は、光に相応しいものだった。礼を言う』
「そりゃあ、よかった。あれは、王者のための衣装だ。あんたが彼女をそこへ導くんだろう?」
『ああ。光は勝つ』
「はは。今後とも、ご贔屓に」
ナマエは、夜鷹からの賛辞を受け取って満足した。
そして、“オディール”を身に纏った光は、初出場の全日本ノービスBで金メダルを獲得する。
その様子を、ナマエは会場で見ていた。
圧倒的に力強く美しい光の演技は、彼女の努力とあの男がもたらしたもの、か。
ナマエは、素直に感心した。
何故か夜鷹は表には出て来ないが、ナマエはその理由を知らない。どうでもいいことだ。
大切なことは、現役時代の夜鷹純も、今の彼も美しいものであるということだけ。
帰宅してから、ナマエはデザイン画を起こした。仕事ではない。
描いたのは、今の夜鷹純のための衣装だった。もちろん、作ることはないのだが。
その衣装の名は、“ワルプルギス”にした。どこに出すこともない、ナマエだけの美しい衣装。
夜鷹純には、ナマエに筆を奔らせる魅力があった。
その行為が、デザイナー魂から来るものなのか、それとも別のものなのかは、ミョウジナマエ自身にもまだ分からない。
◆◆◆
年が明け、初日の出を自宅で見た。
幽蛾灯は、三が日は休みとしているが、ナマエだけは働いている。彼は、ワーカホリック気味なところがあった。
代表取締役としても、ひとりのデザイナーとしても、ナマエはバリバリと仕事をする。
そして、夜になると思い出す。夜鷹純のスケートのことを。
彼のための衣装を考えるのは、ナマエの息抜きになっていた。“ワルプルギス”だけではない。“ミッドサマー・ナイツ・ドリーム”や“ナイチンゲール”などの衣装を描いている。
仕事としては、光の衣装を継続的に仕立てていた。彼女の成長に合わせた直しや、新たな衣装を作っている。
それから、たまに真夜中のレッスンを見学してもいた。
夜鷹の滑りを見ると、ナマエは心がざわざわする。彼のために衣装を作らなければならないという気持ちになった。
「夜鷹」
「なんだ?」
「ああ、いや。“スノー・クイーン”は気に入ったか?」
何かを誤魔化すように質問する。
「いい物だと思う」
夜鷹は、ナマエの作る衣装に文句はなかった。十全だと考えている。
「そうか。よかった」
「それじゃ、僕は帰る」
「たまには家に呼んでくれよ」
「僕が?」
「そうだよ。俺は、別にあんたが家に来ても構わないが」
と言ったところで、夜鷹純のためのデザイン画が出しっぱなしであることを思い出し、ナマエは目をすがめた。
「まあ、俺の家は散らかってるけどな」
「……ナマエの家なら行ってみてもいい。つまらなかったら、すぐに帰るけど」
「そうか。じゃあ、行くか」
ナマエは、建築家にあれこれ注文をつけて建てた一軒家に夜鷹を連れて行く。
「リビングはこっちだ」
「仕事場が見たい」
「……分かった」
雑然とした仕事場へ案内した。色々な書類が机の上に積み上がっており、デザイン画がそこかしこに貼られている。
「…………」
夜鷹は、それを静かに見ていた。
そして、一枚のデザイン画を手にする。
「これは?」
「“ワルプルギス”だ」
「フィギュアスケートの衣装に見える」
「はは。当たりだ」
「これは、誰のもの?」
「あー、それはだな……あんたのだよ…………」
「僕?」
夜鷹は、少し目を見開く。
「……つい、な。あんたの滑りを見てたら描きたくなって。今のあんたには必要ないものだが」
「……ナマエ」
「ん?」
その一瞬、ナマエには何が起きたのか分からなかった。
夜鷹に手を引かれて、キスをされて、男は目をぱちくりさせる。
「えっ?」
「…………帰る」
ナマエに背を向け、夜鷹は去ろうとした。
「待て待て待て待て!」
慌てて、夜鷹の腕を掴むナマエ。
「夜鷹」
「………」
呼びかけると振り向いたが、俯いているため、その表情は読めない。
「純、俺は、あんたのことを愛してるよ」
「それは、君にとって“美しいもの”だからか?」
「それもあるが、それだけじゃない気がする。まだハッキリとは分からないが」
「そうか。僕は、ナマエの作った衣装を着られなかったことを惜しいと思った」
それは、ナマエにとって最大限の賛辞だった。
ナマエの目から、涙が一筋流れる。
「泣かれると、困る……」
夜鷹純は、指先でナマエの涙を拭った。
「あんたのせいだろ。俺だって、純に着てほしかったよ」
そう言ってから、ナマエは彼を抱き締める。
「俺のために、孤高の王様はやめてくれ」
「…………」
夜鷹純は、ただ、ミョウジナマエを抱き締め返した。
◆◆◆
ひとり、探し物をしている。
夜鷹純が投げ捨てた光のペンダントを、ナマエはしゃがみ込んで探した。
「ったく。ガキみたいなことしやがって」
ナマエは、純を叱りはしないが、少しばかりの文句は出てくる。
しばらくして。同じくペンダントを探しているらしい純と鉢合わせた。
「なんだ。あんたも探してたのか」
「…………」
「ま、もうしないことだな」
恋人の沈黙に慣れたナマエは、肩を軽く叩いて言う。
結局、ペンダントは光が自分で取り戻したようだった。
ナマエは、ほっとして一息つく。
この師弟は、残酷なまでに美しく、静かなようで苛烈だ。
またしてもスマートフォンを壊した純だが、ナマエは、“美しいもの”のためならフットワークが軽いため、彼に直接会いに行くから然程困らない。
自宅か純の家でのみ、ふたりは恋人らしいことをした。
「はっ…………ナマエ…………」
「純、愛してる…………」
深く口付けを交わし、そのままベッドに倒れ込むふたり。
「ナマエ…………」
「どうした?」
ナマエを見上げる視線が、わずかに揺らいでいる。
「僕が、もしも……スケートを失ったらどうする……?」
「はは。心配するな。捨てたりしないよ。俺は、そんな薄情じゃない」
純の手を取り、指を絡めた。
「そんな話じゃない」
「なんだよ?」
「君の目に映る僕は、どうなる?」
「……純は、ずっと俺の好きな人間だろうよ」
たとえ、夜鷹純が氷上から降りても。あんたは、俺の愛する者だ。
「……ならいい」
純は、繋いだ手を引き、恋人を抱き締める。ナマエのつけている香水の匂いがした。
事後。ナマエが、シャワーを浴びてから寝室へ戻ると、先にシャワーを終えた純が眠っていた。
「…………」
ベッドに腰かけ、恋人の黒髪を優しく指先ですく。
「おやすみ、純」
そっと囁き、額にキスを落とした。
ナマエは、寝ている純を眺めながら考える。
もしも、夜鷹純が“美しいもの”でなくなったら、か。
俺はもう、とっくにあんたを引きずり落としてるんじゃないか?
孤高の空から、あんたを拐ったのは、罪だろうか?
それでも、百万の剣で刺されたとしても、ミョウジナマエは彼を離さない。
光の決戦のドレス、“夜の女王のアリア”を作る合間に、ナマエは、夜鷹純のための“魔王 ”をデザインしていた。
美しい氷の王国の王様が夜鷹純なら、ミョウジナマエは、美しい蛾の王国の王様である。
孤高だったふたりの王は、今は手を取り合って生きていた。
◆◆◆
ミョウジナマエは、恋人に対して、ひとつだけ許せないことがあった。
「純、煙草やめろよ」
「やめない」
「はぁ。煙草なんて美しくない」
喫煙は、ナマエの美意識に反する行為である。
「自分を汚す自傷行為だ」
「そうかもね」
「はぁ」と、再び溜め息をつくナマエ。
純は、短くなった煙草を、喫煙スペースの灰皿に押し付けた。
「もう君の前では吸わないよ」
「そういう問題じゃない」
「………」
「分かった。もういい。俺は、会場に行くからな」
「ああ」
純と別れ、ナマエは建物の中に入る。
そして、曲がり角で“壁”とぶつかった。
「うわっ!?」
「あっ!?」
それは、壁ではなく、体格のいい男性で。後方に倒れかけたナマエを片手で抱き止めた。
「悪い、俺の不注意だ」
「いえ、大丈夫ですか?」
「ああ。あんたは、スケートのコーチか?」
「はい。明浦路司です」
「俺は、ミョウジナマエ」と言いながら、黒地に白い文字の名刺を差し出す。
「幽蛾灯のミョウジナマエ!?」
司は、飛び上がりそうなくらい驚いている。
「はは。知ってるのか」
「狼嵜選手の衣装を作ってますよね?」
「ああ」
「作品集、持ってます」
「そりゃあ、どうも」
「すいません、もう時間ですね」
「そうだな。依頼や感想は、名刺にある連絡先に寄越してくれ」
「はい!」
ナマエは、司に背を向けて、ひらひらと手を振りながら去った。
そして、スケートを観てから、帰宅する。
自宅の仕事場のパソコンで、“アケウラジツカサ”を検索すると、アイスダンスをしていた“明浦路司”がヒットした。
「ふーん」
頬杖をつきながら、マウスで情報をスクロールする。
彼も、ミョウジナマエにとっては“美しいもの”であった。あの長身で滑るスケートは、さぞや迫力があるのだろう。
それに、彼が滑っている動画をいくつか見たが、指先まで含めた繊細な美しさも兼ね備えている。
「直接見てみたいな…………」
ぽつり、とナマエは呟いた。
きっと、今でも彼は“美しいもの”であるはずだ。
所属は、ルクス東山FSC、か。
ミョウジナマエは、口元を押さえて笑った。
そんなことをしていると、スマートフォンが鳴る。
「どうした? 純」
『ナマエ、家に来てくれ』
「はいはい。すぐ出るよ」
ナマエは、脱いだジャケットを羽織り、車で夜鷹純の自宅を目指した。
頭の片隅には、明浦路司がアイスダンスをしている姿がある。
純の寝室でキスを交わした後、彼はナマエに尋ねた。
「何かいいことでもあったのか?」
「世界には、まだまだ俺の知らない“美しいもの”があるなと思ってね」
「……そうか」
純は、ナマエの肩に頭を預ける。
「でも、君の一番は、僕だろう?」
「ふ、ははっ! あんた、嫉妬してるのか?」
「答えは?」
「俺の世界で一番美しいのは、夜鷹純だよ」
魔法の鏡とは違って、ミョウジナマエは世界の全てを知らない。
だから、ナマエの世界では、恋人が一番美しかった。
◆◆◆
オオミズアオみたいな男だと思う。
美しい翅を持つ、蛾の王様。
夜鷹純は、ひとり煙草を吸いながら、恋人のミョウジナマエのことを考えている。
彼は、不遜で気難しく、“美しいもの”に向かって飛んで行く。
ナマエにとっての“美しいもの”は、たくさんあった。その中には自分もいて、“世界で一番”だと言う。
純は、その言葉を疑ってはいないが、満足してもいなかった。
君は、すぐにどこかへ飛んで行ってしまう。
ミョウジナマエは、アーティストである。どこにも行くなとは言えない。そうでなくとも、夜鷹純には、そんなことは言えないだろう。
ナマエ。君は、僕が光の元を去った時、何を思うだろうか?
その時は、いずれやって来る。
「人でなし」と言われるかもしれないし、「さよなら」と言われるおそれだってあった。
それでも夜鷹純は、狼嵜光の前から消えるつもりでいる。そうしなくては、彼女に自分と同じ道を進ませられないからだ。
ふう、と紫煙を吐く。
度々、やめろと言われている喫煙。恋人の言うことでも、やめる気はない。
ナマエは、近々展示会があるため、忙しくしている。しばらくは直接会えない。
ミョウジナマエが仕立てた衣装は、多くの人々に賞賛されている。きっと、展示会は大盛況だろう。
そんなきらびやかな場に出向く気はない。
どうせ、夜鷹純のための衣装はそこにはないのだ。
彼の自宅の仕事場に貼られているデザイン画の数々。それらだけが、純に捧げられたものだった。
あの衣装たちが日の目を見ることはないが、夜の生き物のための衣装なのだから、問題はない。
純は、ナマエのことを想う。
君も、僕と同じ夜を飛ぶ生き物だ。気付いているのか?
夜鷹と蛾。ふたりの男。共通項はあれど、共生することはないはずだった者たち。
ナマエが描いたデザイン画がなければ、今のような関係は築いていなかっただろう。
ナマエが、純を引きずり落としたのではないかと考えているように、純もまた、ナマエをそうしてしまったのではないかと考えていた。
お互いを強く引いているふたり。お互いを人間に引き戻すふたり。
どうしようもなく、惹かれ合っている。
煙草を灰皿に押し付け、テーブルの上に目をやった。ナマエのサイン入りの作品集が置かれている。
そこにも、やはり夜鷹純が見るべきものはなかった。
そのことに不満はない。
あれは、夜鷹純とミョウジナマエだけの宝物だった。
秘匿されたそれは、現在、主のいない暗い部屋の中にある。
ミョウジナマエは、ダンス衣料会社「幽蛾灯」の代表取締役である。
フィギュアスケート選手、狼嵜光の衣装をデザインしてほしい、と夜鷹純に言われた。
ナマエは、その依頼を自らが引き受ける。夜鷹純は、“美しいもの”だから。その彼が目をかけている選手もまた、そうなのだろう。
衣装デザイナーは、狼嵜光に直接会いに行った。
「はじめまして。俺は、ミョウジナマエ。光さんの衣装デザインを担当します」
「はじめまして。狼嵜光です。よろしくお願いします」
光は、風格のある少女で、ナマエは一目で気に入る。改めて、誠心誠意依頼に応えようと思った。
「俺は、夜鷹さんに頼まれてここまで来たんだ」
「そうですか。あの人に」
「光さんの輝きが増すような衣装を作ると約束するよ」
「ありがとうございます」
その後。彼女のスケーティングを見学し、選択曲を共有してもらった。
「夜鷹さんはいないの?」
「今は昼ですから」と、光は笑う。
「ふーん。彼にも会いたいんだけどな」
「じゃあ、夜までいてください」
「そうするよ」
そして、その晩。夜闇を纏っているかのような男が現れた。
「はじめまして。幽蛾灯のミョウジナマエだ」
ナマエは、夜鷹純に自己紹介をする。
彼は、ナマエを一瞥し、すぐに光の指導に向かった。
挨拶くらいしろよ。
ナマエは、目をすがめた。ムカついた時の癖である。
だが、彼の失礼な態度も許した。
夜鷹純の滑りが、美しいままだったから。
名前の通り、夜の生き物だ。氷の上を高く跳び、見る者を魅了するか、畏怖させるか。あるいは両方。
ナマエは、彼のことが気に入った。この気難しいデザイナーは、美の信奉者である。
男は、そのまま光たちの描くフィギュアを見ていた。
練習が終わると、夜鷹純に「君、まだいたのか」と言われるナマエ。
「デザインは、無からは生まれないからな。あんたらのことを見させてもらったよ。いい仕事になりそうだ」
「……そうか」
それだけ言って、夜の王は去った。
代わりに光がやって来て、「あの人のこと、嫌いになりました?」と尋ねる。
「まさか。俺は、芸術家だ。美を体現する者を愛してるよ」
「そうですか。衣装、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せてくれ」
遅くに帰宅したナマエは、寝食を投げ出してデザイン画を描いた。
華麗な夜の獣に似合う、最高のドレスを。
見てろよ、夜鷹純。あんたが驚くような衣装を生み出してやるからな。
ミョウジナマエは、芸術のためならば、悪魔に魂を売っても構わないと思っている。
◆◆◆
これは、狼嵜光のための“オディール”だ。
光さん、あんたは、強く美しい黒い鳥になれ。
ナマエは、白鳥の湖の悪魔の娘をイメージしたきらびやかな衣装を仕立てた。その作品名が、“オディール”である。
勝つためのそれをクライアントに送った。
その後。仮眠をしようと思ったところで、そういえば、と思い出した。
夜鷹純にメールを送ろう。
ミョウジナマエだ。今、そっちに衣装を送った。
あんたの感想を聞かせてくれ。
よろしく。
ナマエは、欠伸をして、寝室の天蓋付きベッドで眠った。
しばらく夢も見ないで眠り、空腹を感じて起きる。時刻は、18時。
近所のフレンチベースの洋食屋へ行き、牛フィレステーキコースを注文した。
ナマエは、自身が美しいと思った料理が好きである。この店のことは、かなり気に入っていた。
食事を終えた後は、代表取締役としての仕事をこなし、ゆっくりと風呂に入ってから就寝する。
2日後。
光から電話がかかってきた。
『衣装、とても素敵でした。ありがとうございます』
「気に入ってくれたなら、よかった。あとは、勝ってその美しさを証明してくれ」
『はい』
光との通話から、数分後。
夜鷹純から連絡がきた。
「よう」
『ナマエ』
いきなり名前呼び捨てかよ。まあいい。
『君の作った衣装は、光に相応しいものだった。礼を言う』
「そりゃあ、よかった。あれは、王者のための衣装だ。あんたが彼女をそこへ導くんだろう?」
『ああ。光は勝つ』
「はは。今後とも、ご贔屓に」
ナマエは、夜鷹からの賛辞を受け取って満足した。
そして、“オディール”を身に纏った光は、初出場の全日本ノービスBで金メダルを獲得する。
その様子を、ナマエは会場で見ていた。
圧倒的に力強く美しい光の演技は、彼女の努力とあの男がもたらしたもの、か。
ナマエは、素直に感心した。
何故か夜鷹は表には出て来ないが、ナマエはその理由を知らない。どうでもいいことだ。
大切なことは、現役時代の夜鷹純も、今の彼も美しいものであるということだけ。
帰宅してから、ナマエはデザイン画を起こした。仕事ではない。
描いたのは、今の夜鷹純のための衣装だった。もちろん、作ることはないのだが。
その衣装の名は、“ワルプルギス”にした。どこに出すこともない、ナマエだけの美しい衣装。
夜鷹純には、ナマエに筆を奔らせる魅力があった。
その行為が、デザイナー魂から来るものなのか、それとも別のものなのかは、ミョウジナマエ自身にもまだ分からない。
◆◆◆
年が明け、初日の出を自宅で見た。
幽蛾灯は、三が日は休みとしているが、ナマエだけは働いている。彼は、ワーカホリック気味なところがあった。
代表取締役としても、ひとりのデザイナーとしても、ナマエはバリバリと仕事をする。
そして、夜になると思い出す。夜鷹純のスケートのことを。
彼のための衣装を考えるのは、ナマエの息抜きになっていた。“ワルプルギス”だけではない。“ミッドサマー・ナイツ・ドリーム”や“ナイチンゲール”などの衣装を描いている。
仕事としては、光の衣装を継続的に仕立てていた。彼女の成長に合わせた直しや、新たな衣装を作っている。
それから、たまに真夜中のレッスンを見学してもいた。
夜鷹の滑りを見ると、ナマエは心がざわざわする。彼のために衣装を作らなければならないという気持ちになった。
「夜鷹」
「なんだ?」
「ああ、いや。“スノー・クイーン”は気に入ったか?」
何かを誤魔化すように質問する。
「いい物だと思う」
夜鷹は、ナマエの作る衣装に文句はなかった。十全だと考えている。
「そうか。よかった」
「それじゃ、僕は帰る」
「たまには家に呼んでくれよ」
「僕が?」
「そうだよ。俺は、別にあんたが家に来ても構わないが」
と言ったところで、夜鷹純のためのデザイン画が出しっぱなしであることを思い出し、ナマエは目をすがめた。
「まあ、俺の家は散らかってるけどな」
「……ナマエの家なら行ってみてもいい。つまらなかったら、すぐに帰るけど」
「そうか。じゃあ、行くか」
ナマエは、建築家にあれこれ注文をつけて建てた一軒家に夜鷹を連れて行く。
「リビングはこっちだ」
「仕事場が見たい」
「……分かった」
雑然とした仕事場へ案内した。色々な書類が机の上に積み上がっており、デザイン画がそこかしこに貼られている。
「…………」
夜鷹は、それを静かに見ていた。
そして、一枚のデザイン画を手にする。
「これは?」
「“ワルプルギス”だ」
「フィギュアスケートの衣装に見える」
「はは。当たりだ」
「これは、誰のもの?」
「あー、それはだな……あんたのだよ…………」
「僕?」
夜鷹は、少し目を見開く。
「……つい、な。あんたの滑りを見てたら描きたくなって。今のあんたには必要ないものだが」
「……ナマエ」
「ん?」
その一瞬、ナマエには何が起きたのか分からなかった。
夜鷹に手を引かれて、キスをされて、男は目をぱちくりさせる。
「えっ?」
「…………帰る」
ナマエに背を向け、夜鷹は去ろうとした。
「待て待て待て待て!」
慌てて、夜鷹の腕を掴むナマエ。
「夜鷹」
「………」
呼びかけると振り向いたが、俯いているため、その表情は読めない。
「純、俺は、あんたのことを愛してるよ」
「それは、君にとって“美しいもの”だからか?」
「それもあるが、それだけじゃない気がする。まだハッキリとは分からないが」
「そうか。僕は、ナマエの作った衣装を着られなかったことを惜しいと思った」
それは、ナマエにとって最大限の賛辞だった。
ナマエの目から、涙が一筋流れる。
「泣かれると、困る……」
夜鷹純は、指先でナマエの涙を拭った。
「あんたのせいだろ。俺だって、純に着てほしかったよ」
そう言ってから、ナマエは彼を抱き締める。
「俺のために、孤高の王様はやめてくれ」
「…………」
夜鷹純は、ただ、ミョウジナマエを抱き締め返した。
◆◆◆
ひとり、探し物をしている。
夜鷹純が投げ捨てた光のペンダントを、ナマエはしゃがみ込んで探した。
「ったく。ガキみたいなことしやがって」
ナマエは、純を叱りはしないが、少しばかりの文句は出てくる。
しばらくして。同じくペンダントを探しているらしい純と鉢合わせた。
「なんだ。あんたも探してたのか」
「…………」
「ま、もうしないことだな」
恋人の沈黙に慣れたナマエは、肩を軽く叩いて言う。
結局、ペンダントは光が自分で取り戻したようだった。
ナマエは、ほっとして一息つく。
この師弟は、残酷なまでに美しく、静かなようで苛烈だ。
またしてもスマートフォンを壊した純だが、ナマエは、“美しいもの”のためならフットワークが軽いため、彼に直接会いに行くから然程困らない。
自宅か純の家でのみ、ふたりは恋人らしいことをした。
「はっ…………ナマエ…………」
「純、愛してる…………」
深く口付けを交わし、そのままベッドに倒れ込むふたり。
「ナマエ…………」
「どうした?」
ナマエを見上げる視線が、わずかに揺らいでいる。
「僕が、もしも……スケートを失ったらどうする……?」
「はは。心配するな。捨てたりしないよ。俺は、そんな薄情じゃない」
純の手を取り、指を絡めた。
「そんな話じゃない」
「なんだよ?」
「君の目に映る僕は、どうなる?」
「……純は、ずっと俺の好きな人間だろうよ」
たとえ、夜鷹純が氷上から降りても。あんたは、俺の愛する者だ。
「……ならいい」
純は、繋いだ手を引き、恋人を抱き締める。ナマエのつけている香水の匂いがした。
事後。ナマエが、シャワーを浴びてから寝室へ戻ると、先にシャワーを終えた純が眠っていた。
「…………」
ベッドに腰かけ、恋人の黒髪を優しく指先ですく。
「おやすみ、純」
そっと囁き、額にキスを落とした。
ナマエは、寝ている純を眺めながら考える。
もしも、夜鷹純が“美しいもの”でなくなったら、か。
俺はもう、とっくにあんたを引きずり落としてるんじゃないか?
孤高の空から、あんたを拐ったのは、罪だろうか?
それでも、百万の剣で刺されたとしても、ミョウジナマエは彼を離さない。
光の決戦のドレス、“夜の女王のアリア”を作る合間に、ナマエは、夜鷹純のための“
美しい氷の王国の王様が夜鷹純なら、ミョウジナマエは、美しい蛾の王国の王様である。
孤高だったふたりの王は、今は手を取り合って生きていた。
◆◆◆
ミョウジナマエは、恋人に対して、ひとつだけ許せないことがあった。
「純、煙草やめろよ」
「やめない」
「はぁ。煙草なんて美しくない」
喫煙は、ナマエの美意識に反する行為である。
「自分を汚す自傷行為だ」
「そうかもね」
「はぁ」と、再び溜め息をつくナマエ。
純は、短くなった煙草を、喫煙スペースの灰皿に押し付けた。
「もう君の前では吸わないよ」
「そういう問題じゃない」
「………」
「分かった。もういい。俺は、会場に行くからな」
「ああ」
純と別れ、ナマエは建物の中に入る。
そして、曲がり角で“壁”とぶつかった。
「うわっ!?」
「あっ!?」
それは、壁ではなく、体格のいい男性で。後方に倒れかけたナマエを片手で抱き止めた。
「悪い、俺の不注意だ」
「いえ、大丈夫ですか?」
「ああ。あんたは、スケートのコーチか?」
「はい。明浦路司です」
「俺は、ミョウジナマエ」と言いながら、黒地に白い文字の名刺を差し出す。
「幽蛾灯のミョウジナマエ!?」
司は、飛び上がりそうなくらい驚いている。
「はは。知ってるのか」
「狼嵜選手の衣装を作ってますよね?」
「ああ」
「作品集、持ってます」
「そりゃあ、どうも」
「すいません、もう時間ですね」
「そうだな。依頼や感想は、名刺にある連絡先に寄越してくれ」
「はい!」
ナマエは、司に背を向けて、ひらひらと手を振りながら去った。
そして、スケートを観てから、帰宅する。
自宅の仕事場のパソコンで、“アケウラジツカサ”を検索すると、アイスダンスをしていた“明浦路司”がヒットした。
「ふーん」
頬杖をつきながら、マウスで情報をスクロールする。
彼も、ミョウジナマエにとっては“美しいもの”であった。あの長身で滑るスケートは、さぞや迫力があるのだろう。
それに、彼が滑っている動画をいくつか見たが、指先まで含めた繊細な美しさも兼ね備えている。
「直接見てみたいな…………」
ぽつり、とナマエは呟いた。
きっと、今でも彼は“美しいもの”であるはずだ。
所属は、ルクス東山FSC、か。
ミョウジナマエは、口元を押さえて笑った。
そんなことをしていると、スマートフォンが鳴る。
「どうした? 純」
『ナマエ、家に来てくれ』
「はいはい。すぐ出るよ」
ナマエは、脱いだジャケットを羽織り、車で夜鷹純の自宅を目指した。
頭の片隅には、明浦路司がアイスダンスをしている姿がある。
純の寝室でキスを交わした後、彼はナマエに尋ねた。
「何かいいことでもあったのか?」
「世界には、まだまだ俺の知らない“美しいもの”があるなと思ってね」
「……そうか」
純は、ナマエの肩に頭を預ける。
「でも、君の一番は、僕だろう?」
「ふ、ははっ! あんた、嫉妬してるのか?」
「答えは?」
「俺の世界で一番美しいのは、夜鷹純だよ」
魔法の鏡とは違って、ミョウジナマエは世界の全てを知らない。
だから、ナマエの世界では、恋人が一番美しかった。
◆◆◆
オオミズアオみたいな男だと思う。
美しい翅を持つ、蛾の王様。
夜鷹純は、ひとり煙草を吸いながら、恋人のミョウジナマエのことを考えている。
彼は、不遜で気難しく、“美しいもの”に向かって飛んで行く。
ナマエにとっての“美しいもの”は、たくさんあった。その中には自分もいて、“世界で一番”だと言う。
純は、その言葉を疑ってはいないが、満足してもいなかった。
君は、すぐにどこかへ飛んで行ってしまう。
ミョウジナマエは、アーティストである。どこにも行くなとは言えない。そうでなくとも、夜鷹純には、そんなことは言えないだろう。
ナマエ。君は、僕が光の元を去った時、何を思うだろうか?
その時は、いずれやって来る。
「人でなし」と言われるかもしれないし、「さよなら」と言われるおそれだってあった。
それでも夜鷹純は、狼嵜光の前から消えるつもりでいる。そうしなくては、彼女に自分と同じ道を進ませられないからだ。
ふう、と紫煙を吐く。
度々、やめろと言われている喫煙。恋人の言うことでも、やめる気はない。
ナマエは、近々展示会があるため、忙しくしている。しばらくは直接会えない。
ミョウジナマエが仕立てた衣装は、多くの人々に賞賛されている。きっと、展示会は大盛況だろう。
そんなきらびやかな場に出向く気はない。
どうせ、夜鷹純のための衣装はそこにはないのだ。
彼の自宅の仕事場に貼られているデザイン画の数々。それらだけが、純に捧げられたものだった。
あの衣装たちが日の目を見ることはないが、夜の生き物のための衣装なのだから、問題はない。
純は、ナマエのことを想う。
君も、僕と同じ夜を飛ぶ生き物だ。気付いているのか?
夜鷹と蛾。ふたりの男。共通項はあれど、共生することはないはずだった者たち。
ナマエが描いたデザイン画がなければ、今のような関係は築いていなかっただろう。
ナマエが、純を引きずり落としたのではないかと考えているように、純もまた、ナマエをそうしてしまったのではないかと考えていた。
お互いを強く引いているふたり。お互いを人間に引き戻すふたり。
どうしようもなく、惹かれ合っている。
煙草を灰皿に押し付け、テーブルの上に目をやった。ナマエのサイン入りの作品集が置かれている。
そこにも、やはり夜鷹純が見るべきものはなかった。
そのことに不満はない。
あれは、夜鷹純とミョウジナマエだけの宝物だった。
秘匿されたそれは、現在、主のいない暗い部屋の中にある。
