その他
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「召喚に応じ参上つかまつりました。ラプラスの悪魔でございます。バーサーカーとお呼びください」
間桐雁夜が召喚した者は、思い描いていた狂戦士とはかけ離れた見た目をしていた。
黒いローブを着た魔術師然としたサーヴァントは、キャスターではなくバーサーカーである。
フードを目深に被っており、顔はよく見えない。僅かに髪が覗くばかりだ。
「悪魔……?」
「はい、貴方に仕える悪魔です」
「ラプラスの悪魔だっていうのか?」
全てを知っている故に、未来も予見している知性。物理学における概念上の存在であり、仮想的なもの。未来予測など出来るはずもない、不確定性原理に殺されて久しいもの。
「ええ。ええ、私は悪魔ですとも。貴方の身を守り、手足をもいで、勝利と敗北を捧げますとも」
悪魔の死体は笑っている。
どうやら、意思の疎通がきちんと出来ているとは言えないようだ。
「なんです? その狂人を見るような目は? なーんて、私が狂っていることは知っています。私、狂死したもので。自分は狂っていますなんて、まるで狂っていないかのような台詞ですね。という訳で、私は正常です。精神に異常を来しておりません」
バーサーカーは気怠げに、しかし軽やかに話す。
「私を喚べた貴方は、私の貴方。私は、貴方の私。しばし、お付き合いいたしましょう」
曖昧な悪魔は、口端を吊り上げると優雅に礼をした。
◆◆◆
バーサーカーに、「聖杯にかける望みはあるのか?」と尋ねたところ。
「私の望みは叶いました。望みは、ありません。新たな望みは忘れることにします。私は、それが叶えられないことを知っていますので」
どうも彼は、曖昧で意味深なことしか言えないらしい。
ふと、バーサーカーが歩みを止める。
「なにやら既に負けが込んでらっしゃる。これはちょっと無理無理無理です」
「は?」
「果たして、ニミュエに育てられし彼と私、どちらが良かったのでしょうねぇ。いえ、強弱の話ではなく。それは明らかに、あちらが上ですので」
「バーサーカー?」
「根源へ至らず、抑止力に殺されるに至らず、それでも私は再利用されるのですね。英雄でも真なる悪魔でもない、幻のような私。該当者の中から、よりによってハズレの私を引いた可哀想なマスター。数学者を喚んだ方がマシだったことでしょう」
ラプラスの悪魔は、自身を嘲笑う。
「この聖杯戦争における敗北条件は丸見えかと」
「なんだそれ? 勝利条件は無いのか?」
「既に失われておりますので。役を間違えましたね、マスター」
そう、間桐雁夜は間違えている。遠坂葵のためにならない夫殺しをしようという志。桜を救おうという気持ちに嘘はないが、矛盾しているのだ。
「遠坂時臣。あの方、貴方が何もせずとも死にますよ」
「なんだと?」
「貴方が犬死にをお望みなら、英雄王に挑みますが。死ぬか、殺されるかでしょう」
「待て、時臣のサーヴァントの正体を知っているのか?」
「ええ、知っていますとも。私などは足元にも及ばない、人類最古の英雄王」
「人類最古の…………」
まさか、人類最古の英雄とは、ギルガメッシュ叙事詩の? 雁夜は答えに思い至る。
「供物を間違えて、女神様を怒らせたくないでしょう? マスター、我々は第四次聖杯戦争で勝利する訳には参りません」
「お前…………!」
雁夜は、バーサーカーに掴みかかる。この戦いに勝利する気のないサーヴァントに腹が立ったからだ。
揉めている男たちをよそに、実は、ある少女の物語が進行している。
少女の名は、遠坂凜。
彼女は、キャスターに拐われた子供たちを救うが、海魔に襲われてしまう。そこを、雁夜が助けた。
また、凛によってキャスターの術中から逃れたある少年は、必死になって走ったが不運にも海魔と遭遇してしまった。
その少年も、また、雁夜が助ける。
「あの子供、可哀想に。アレじゃあ、狂ってしまうよ」
ぼそり、とバーサーカーは気絶した少年を見やって、呟く。その呟きは虚空へと消えた。
◆◆◆
ついに、遠坂時臣のサーヴァント、ギルガメッシュと相対することになる雁夜たち。
「時臣ぃ!」
「道化が、許可なく我を見上げるか」
王の財宝 による、無数の武器の投擲。それによって、雁夜たちの命運は尽きるはずだった。
「時よ止まれーーーー」
その台詞は物語の中の悪魔に告げるようだが、実のところ、ただの懇願である。
まだ死にたくない。まだ、すべきことがある。だから、男は年月をかけて魔術で編まれた空間へ逃げるのだ。
時から外れた部屋。傷口は閉じないが、流血は止められる。
「貴方が狂っているように、私も狂っていますので、私は貴方を助けますよ。私は義理堅いので、恩は返すのです。まさか、私を拒否しませんよねぇ? 貴方のために、やっているのですからねぇ」
「なんとかしろ! バーサーカー!」
「では、ご案内しましょう」
バーサーカーは、宝具を使用することを決めた。
「真名解放、ラプラスの間 」
ラプラスの悪魔の宝具解放。
「私は何でもお見通し。まあ、理論上は?」
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:1人
「さようなら、マスター。美しい終わりの夢を見せられないことを、お許しください。私にならない私に、後は任せます」
主に届かぬ呟きを残し、全知の存在であることを願われた悪魔、ラプラスの霊基は消滅した。
◆◆◆
もう、ずっと悪夢を見ている。
男は、子供の頃から何度も同じ夢を見る。
人拐い。少女。触手を持つ怪物。
そして蟲。
男が悪夢だと思っているそれは、現実に起きたことである。男、ミョウジナマエは、子供の時分にキャスターに拐われ、命を落とすところだった。
そこを、少女と男に救われる。その後、記憶処理を受けたが、先祖が魔術師だったために、魔術回路が起動して不完全なものになった。そのため、彼は自分の身に起きたことを断片的に夢に見るようになる。
ここからは、ある魔術師の話である。名前を、ロレンツォ・センプレヴェルデという。
後のラプラスの師になるイタリア人で、根源へ行くために、まずアカシックレコードを目指す魔術師だ。
先祖がアカシックレコードへのアクセス方法を見付けたが、望む知識を引き出せなかった(引き出す知識はランダムになってしまう)。
「無限に蔵書がある図書館から無作為に持ち出した本に、望む知識が書いてあるはずがないだろう?」とは、ロレンツォの言である。
そのアクセス方法を改善すべく研究しているのが、センプレヴェルデの家系。人の秘密(特に根源を目指している魔術師の)を暴くのが趣味で、冬木の聖杯戦争の調査に内部の人間を使おうとして、ラプラスに出会う。一族が皆そういう人間なので、ロレンツォ以外は殺された。
「やあ。私は魔法使いなんだが、君、私の弟子にならないかい?」
ナマエは、恐る恐る、その提案を受け入れる。魔法使いだろうが悪魔だろうが、この悪夢を消してくれるかもしれない存在にすがりたかったのだ。
ある日、ロレンツォは、物理的にアカシックレコードへ入り込む実験をする。
ラプラスズ・デーモンズ・システム。人海戦術でアカシックレコードの情報処理速度を上げるために、自我のないホムンクルスを送り込む仕組みである。
その試みは成功した。成功してしまった。故に、ロレンツォは抑止の力に殺される。
不可解な師の自殺。ナマエは、抑止力によるものだとすぐに気付き、死にたくないと願った。まだ死にたくない。まだ、すべきことがある。だから、男は年月をかけて魔術で編まれた空間へ逃げるのだ。
その空間で狂死し、そして、ナマエは「ラプラスの悪魔」となった。
◆◆◆
哀れな男たちの物語を再開しよう。間桐雁夜が、ラプラスの間 に送り込まれたところから。
そこには、先客がいた。
「あなたは……?」
「お前は……バーサーカー……? ここは一体……」
それは、生前のラプラスとの邂逅。マスターとサーヴァントという関係になる以前に起きた奇跡のような時間。否、この空間に時間の概念は存在しない。
無数の本で溢れた広い一室。そこで、机に本を積み上げて読み漁る魔術師が、ひとり。彼の周りの床には、人間の死体のようなものが複数転がっている。
「私のことは、ラプラスとでもお呼びください。ここはアストラル光で出来た虚空の一部を切り取った空間、とでも申しましょうか。ここが真に根源の一端かというと疑問ですが」
ラプラスを名乗る魔術師は、そう告げる。
「私は、見る度に狂いそうになる悪夢を止めるために、ここへ至りました。しかし、私に関わりのあるものに限定してなお膨大な数の記録。辞書を引くための単語を知らないから全て読むしかないような状態ですね。それに厄介なことに、ここにある記録を読むのは精神に毒なのです。滑稽にも、狂夢を払うために狂気に近付く速度を上げているのです」
ラプラスは、やれやれといった調子で肩をすくめた。
「私と貴方に関するものに限定すれば、状況が把握出来そうですね」
魔術師は、詠唱を開始する。
「Initium sapientiae cognitio sui ipsius. Scio me nihil scire――」
自身を知ることが知恵の始まりである。私は、私が何も知らないことを知っている。
「Nos postulo scire-nos scire」
我々は知らねばならない、我々は知るであろう。
詠唱を終えると、一冊の本がラプラスの手に飛び込んでくる。魔術師ラプラスは、それをパラパラとめくり、「なるほど」と一言。
「1994年の11月に私を助けてくれて、ありがとうございます」
「なんの話だ?」
「子供だった私を、海魔から助けてくれたのは、貴方だったのですね」
「なっ!? あの時の…………?!」
「はい。改めて、ありがとうございました」
「ラプラス…………」
あの出来事が縁となって、ラプラスの悪魔は召喚されたのだろう。逆を言えば、あれさえなければ、胡乱な悪魔など召喚せずに済んだはずである。
「さて、ここから出ましょうか」
「出られるのか?」
「ええ、もちろん。さあ、私の手を握って」
手を軽く握ると、ラプラスは、安全性について語らないままに詠唱を始めた。
「Ignoramus et ignorabimus」
我々は知らない、知ることはないだろう。
一瞬の酩酊感。それから、吐き気がふたりを襲う。上下左右が分からない。
そして。気付けば、どこかの公園のベンチに、ふたりは座っていた。穏やかな木漏れ日が射し込んでいる。
雁夜は、パッとラプラスから手を離した。
次の瞬間。
「あははははははははッ! 完成した! 私の人生の完結だ!」
「ラプラス、どうしたんだ?」
隣に座るラプラスが、突然大声を上げた。
塞き止められていた時が、払うべき代償が、彼の精神を急速に蝕み始めている。
彼は泣きながら笑い、早口で喋りだした。
「私は、貴方を知っている。これでお仕舞い! 私は死に、貴方は生きる。その束の間が良きものであることを祈りましょう、悪魔にでも!」
気が狂ったように、いや、実際に狂いかけている男の哄笑と涙。
「あはははは……私も独り善がりだ……」
泣き笑いになっていたラプラスの顔が、突然に表情を失う。
「ラプラス?」
力の抜けた彼の体が、雁夜の方に倒れた。呼吸をしていない。心臓は止まっている。
「ラプラス……!」
その後、周りにいた者が通報したのか、やって来た警察官に、雁夜はいくつか質問された。
「倒れていた方の名前、知ってます?」
「…………知りません」
所は日本。時は2015年。
男は独り、立ち竦んだ。
間桐雁夜が召喚した者は、思い描いていた狂戦士とはかけ離れた見た目をしていた。
黒いローブを着た魔術師然としたサーヴァントは、キャスターではなくバーサーカーである。
フードを目深に被っており、顔はよく見えない。僅かに髪が覗くばかりだ。
「悪魔……?」
「はい、貴方に仕える悪魔です」
「ラプラスの悪魔だっていうのか?」
全てを知っている故に、未来も予見している知性。物理学における概念上の存在であり、仮想的なもの。未来予測など出来るはずもない、不確定性原理に殺されて久しいもの。
「ええ。ええ、私は悪魔ですとも。貴方の身を守り、手足をもいで、勝利と敗北を捧げますとも」
悪魔の死体は笑っている。
どうやら、意思の疎通がきちんと出来ているとは言えないようだ。
「なんです? その狂人を見るような目は? なーんて、私が狂っていることは知っています。私、狂死したもので。自分は狂っていますなんて、まるで狂っていないかのような台詞ですね。という訳で、私は正常です。精神に異常を来しておりません」
バーサーカーは気怠げに、しかし軽やかに話す。
「私を喚べた貴方は、私の貴方。私は、貴方の私。しばし、お付き合いいたしましょう」
曖昧な悪魔は、口端を吊り上げると優雅に礼をした。
◆◆◆
バーサーカーに、「聖杯にかける望みはあるのか?」と尋ねたところ。
「私の望みは叶いました。望みは、ありません。新たな望みは忘れることにします。私は、それが叶えられないことを知っていますので」
どうも彼は、曖昧で意味深なことしか言えないらしい。
ふと、バーサーカーが歩みを止める。
「なにやら既に負けが込んでらっしゃる。これはちょっと無理無理無理です」
「は?」
「果たして、ニミュエに育てられし彼と私、どちらが良かったのでしょうねぇ。いえ、強弱の話ではなく。それは明らかに、あちらが上ですので」
「バーサーカー?」
「根源へ至らず、抑止力に殺されるに至らず、それでも私は再利用されるのですね。英雄でも真なる悪魔でもない、幻のような私。該当者の中から、よりによってハズレの私を引いた可哀想なマスター。数学者を喚んだ方がマシだったことでしょう」
ラプラスの悪魔は、自身を嘲笑う。
「この聖杯戦争における敗北条件は丸見えかと」
「なんだそれ? 勝利条件は無いのか?」
「既に失われておりますので。役を間違えましたね、マスター」
そう、間桐雁夜は間違えている。遠坂葵のためにならない夫殺しをしようという志。桜を救おうという気持ちに嘘はないが、矛盾しているのだ。
「遠坂時臣。あの方、貴方が何もせずとも死にますよ」
「なんだと?」
「貴方が犬死にをお望みなら、英雄王に挑みますが。死ぬか、殺されるかでしょう」
「待て、時臣のサーヴァントの正体を知っているのか?」
「ええ、知っていますとも。私などは足元にも及ばない、人類最古の英雄王」
「人類最古の…………」
まさか、人類最古の英雄とは、ギルガメッシュ叙事詩の? 雁夜は答えに思い至る。
「供物を間違えて、女神様を怒らせたくないでしょう? マスター、我々は第四次聖杯戦争で勝利する訳には参りません」
「お前…………!」
雁夜は、バーサーカーに掴みかかる。この戦いに勝利する気のないサーヴァントに腹が立ったからだ。
揉めている男たちをよそに、実は、ある少女の物語が進行している。
少女の名は、遠坂凜。
彼女は、キャスターに拐われた子供たちを救うが、海魔に襲われてしまう。そこを、雁夜が助けた。
また、凛によってキャスターの術中から逃れたある少年は、必死になって走ったが不運にも海魔と遭遇してしまった。
その少年も、また、雁夜が助ける。
「あの子供、可哀想に。アレじゃあ、狂ってしまうよ」
ぼそり、とバーサーカーは気絶した少年を見やって、呟く。その呟きは虚空へと消えた。
◆◆◆
ついに、遠坂時臣のサーヴァント、ギルガメッシュと相対することになる雁夜たち。
「時臣ぃ!」
「道化が、許可なく我を見上げるか」
「時よ止まれーーーー」
その台詞は物語の中の悪魔に告げるようだが、実のところ、ただの懇願である。
まだ死にたくない。まだ、すべきことがある。だから、男は年月をかけて魔術で編まれた空間へ逃げるのだ。
時から外れた部屋。傷口は閉じないが、流血は止められる。
「貴方が狂っているように、私も狂っていますので、私は貴方を助けますよ。私は義理堅いので、恩は返すのです。まさか、私を拒否しませんよねぇ? 貴方のために、やっているのですからねぇ」
「なんとかしろ! バーサーカー!」
「では、ご案内しましょう」
バーサーカーは、宝具を使用することを決めた。
「真名解放、
ラプラスの悪魔の宝具解放。
「私は何でもお見通し。まあ、理論上は?」
ランク:C
種別:対人宝具
レンジ:1
最大捕捉:1人
「さようなら、マスター。美しい終わりの夢を見せられないことを、お許しください。私にならない私に、後は任せます」
主に届かぬ呟きを残し、全知の存在であることを願われた悪魔、ラプラスの霊基は消滅した。
◆◆◆
もう、ずっと悪夢を見ている。
男は、子供の頃から何度も同じ夢を見る。
人拐い。少女。触手を持つ怪物。
そして蟲。
男が悪夢だと思っているそれは、現実に起きたことである。男、ミョウジナマエは、子供の時分にキャスターに拐われ、命を落とすところだった。
そこを、少女と男に救われる。その後、記憶処理を受けたが、先祖が魔術師だったために、魔術回路が起動して不完全なものになった。そのため、彼は自分の身に起きたことを断片的に夢に見るようになる。
ここからは、ある魔術師の話である。名前を、ロレンツォ・センプレヴェルデという。
後のラプラスの師になるイタリア人で、根源へ行くために、まずアカシックレコードを目指す魔術師だ。
先祖がアカシックレコードへのアクセス方法を見付けたが、望む知識を引き出せなかった(引き出す知識はランダムになってしまう)。
「無限に蔵書がある図書館から無作為に持ち出した本に、望む知識が書いてあるはずがないだろう?」とは、ロレンツォの言である。
そのアクセス方法を改善すべく研究しているのが、センプレヴェルデの家系。人の秘密(特に根源を目指している魔術師の)を暴くのが趣味で、冬木の聖杯戦争の調査に内部の人間を使おうとして、ラプラスに出会う。一族が皆そういう人間なので、ロレンツォ以外は殺された。
「やあ。私は魔法使いなんだが、君、私の弟子にならないかい?」
ナマエは、恐る恐る、その提案を受け入れる。魔法使いだろうが悪魔だろうが、この悪夢を消してくれるかもしれない存在にすがりたかったのだ。
ある日、ロレンツォは、物理的にアカシックレコードへ入り込む実験をする。
ラプラスズ・デーモンズ・システム。人海戦術でアカシックレコードの情報処理速度を上げるために、自我のないホムンクルスを送り込む仕組みである。
その試みは成功した。成功してしまった。故に、ロレンツォは抑止の力に殺される。
不可解な師の自殺。ナマエは、抑止力によるものだとすぐに気付き、死にたくないと願った。まだ死にたくない。まだ、すべきことがある。だから、男は年月をかけて魔術で編まれた空間へ逃げるのだ。
その空間で狂死し、そして、ナマエは「ラプラスの悪魔」となった。
◆◆◆
哀れな男たちの物語を再開しよう。間桐雁夜が、
そこには、先客がいた。
「あなたは……?」
「お前は……バーサーカー……? ここは一体……」
それは、生前のラプラスとの邂逅。マスターとサーヴァントという関係になる以前に起きた奇跡のような時間。否、この空間に時間の概念は存在しない。
無数の本で溢れた広い一室。そこで、机に本を積み上げて読み漁る魔術師が、ひとり。彼の周りの床には、人間の死体のようなものが複数転がっている。
「私のことは、ラプラスとでもお呼びください。ここはアストラル光で出来た虚空の一部を切り取った空間、とでも申しましょうか。ここが真に根源の一端かというと疑問ですが」
ラプラスを名乗る魔術師は、そう告げる。
「私は、見る度に狂いそうになる悪夢を止めるために、ここへ至りました。しかし、私に関わりのあるものに限定してなお膨大な数の記録。辞書を引くための単語を知らないから全て読むしかないような状態ですね。それに厄介なことに、ここにある記録を読むのは精神に毒なのです。滑稽にも、狂夢を払うために狂気に近付く速度を上げているのです」
ラプラスは、やれやれといった調子で肩をすくめた。
「私と貴方に関するものに限定すれば、状況が把握出来そうですね」
魔術師は、詠唱を開始する。
「Initium sapientiae cognitio sui ipsius. Scio me nihil scire――」
自身を知ることが知恵の始まりである。私は、私が何も知らないことを知っている。
「Nos postulo scire-nos scire」
我々は知らねばならない、我々は知るであろう。
詠唱を終えると、一冊の本がラプラスの手に飛び込んでくる。魔術師ラプラスは、それをパラパラとめくり、「なるほど」と一言。
「1994年の11月に私を助けてくれて、ありがとうございます」
「なんの話だ?」
「子供だった私を、海魔から助けてくれたのは、貴方だったのですね」
「なっ!? あの時の…………?!」
「はい。改めて、ありがとうございました」
「ラプラス…………」
あの出来事が縁となって、ラプラスの悪魔は召喚されたのだろう。逆を言えば、あれさえなければ、胡乱な悪魔など召喚せずに済んだはずである。
「さて、ここから出ましょうか」
「出られるのか?」
「ええ、もちろん。さあ、私の手を握って」
手を軽く握ると、ラプラスは、安全性について語らないままに詠唱を始めた。
「Ignoramus et ignorabimus」
我々は知らない、知ることはないだろう。
一瞬の酩酊感。それから、吐き気がふたりを襲う。上下左右が分からない。
そして。気付けば、どこかの公園のベンチに、ふたりは座っていた。穏やかな木漏れ日が射し込んでいる。
雁夜は、パッとラプラスから手を離した。
次の瞬間。
「あははははははははッ! 完成した! 私の人生の完結だ!」
「ラプラス、どうしたんだ?」
隣に座るラプラスが、突然大声を上げた。
塞き止められていた時が、払うべき代償が、彼の精神を急速に蝕み始めている。
彼は泣きながら笑い、早口で喋りだした。
「私は、貴方を知っている。これでお仕舞い! 私は死に、貴方は生きる。その束の間が良きものであることを祈りましょう、悪魔にでも!」
気が狂ったように、いや、実際に狂いかけている男の哄笑と涙。
「あはははは……私も独り善がりだ……」
泣き笑いになっていたラプラスの顔が、突然に表情を失う。
「ラプラス?」
力の抜けた彼の体が、雁夜の方に倒れた。呼吸をしていない。心臓は止まっている。
「ラプラス……!」
その後、周りにいた者が通報したのか、やって来た警察官に、雁夜はいくつか質問された。
「倒れていた方の名前、知ってます?」
「…………知りません」
所は日本。時は2015年。
男は独り、立ち竦んだ。