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 いつからそんな意識が芽生えたのか、覚えていない。
 ただ、ヒトのことを知りたかった。
 一匹の魔物は、水からこっそりと顔を出し、人間を観察している。
 彼は、海洋性テンタクルスの亜種である。緑色の肌の人のような上半身と、触手で出来た下半身を持つ。
 その日、やって来たのは、変わった冒険者一行だった。
 クラーケンを倒して、それの寄生虫を食べ始める。
 その様子を、魔物は見ていた。
 金髪の男の嬉しそうな顔が、とても印象的で。そんな風に、自分もヒトを喜ばせてみたいと思う。

「コンニチハ。ハジメマシテ」

 だから、水辺まで行き、話しかけてみた。

「うわぁっ!?」
「魔物!?」
「ライオス、なんだコイツは?!」

 テンタクルスは、慌てる。

「ぼく、きみたちを攻撃シナイ。敵ジャナイ」
「ライオス、どうする?!」
「これは……人の真似をしてるだけの発声じゃないと思う…………」
「そうそう。ぼく、ヒトのコトバ覚えたの。ヒトのこと知りたくて」

 魔物は、笑顔を作った。

「でも、こんな魔物は初めて見るな」
「ぼく、遠くにいた。召喚されて、帰れなくナッタヨ」
「そうか。この迷宮の魔物じゃないのか」
「ぼく、コワイ?」
「かなり理性的だと思う」
「ぼく、リセーテキ」

 触手生物は、ニコニコしている。

「俺は、ライオス。君は?」
「ライオス、ナマエ? ぼく、ナイヨ」
「うーん。じゃあ、ナマエと呼んでいいかな?」
「イイヨ。ぼく、ナマエ。ありがとう」

 千年以上生きているが、名前を貰えたのは初めてで、嬉しかった。

ナマエは、俺たちに何か訊きたいことでも?」
「きみたちに、食べてホシイノ」
「え!?」

 エルフらしき女が、大声を上げる。

「ヒト、喜ぶ。顔ミタイ」

「喜ばない! 喜ばない!」とエルフ。
 ちらりと、ライオスを見ると、興味津々といった様子だった。

「ライオスは、ぼく食べる?」
「たぶん、触手部分なら……」
「亜人系はダメーッ!」
「やめろ、バカ!」

 エルフとハーフフットが反対する。

「……ナマエ、君を食べることは出来ない」

 ライオスが、残念そうに言った。ナマエは、しゅんとしてしまう。

「ワカッタ。気が変わったら、イッテネ。ぼく、マッテル」

 そう言うと、ナマエは水中に潜って行った。
 いつか、ライオスが食べてくれるまで生き抜こう。天敵や他の冒険者に殺されないようにしよう。
 孤独だったナマエは、生きるよすがを見付けた。

◆◆◆

 迷宮に異変が起きた。

「わっ!?」

 ナマエは、水流に飲み込まれ、身動きが取れない。
 そして、彼は地上に出た。

「ここは……?」
ナマエ!」
「ライオス! 元気?」
「ああ、まあ。ちょうどよかった! 肉は食えるか? 食べるのを手伝ってほしい」

 実のところ、ナマエは水さえあれば平気な種族である。しかし、人を模した部分には、消化器官もあった。

「肉、食べてみたい!」
「じゃあ、一緒に食べよう」
「うん」

 ナマエは、ライオスと並んで歩く。彼の触手は、うねうねと動いて器用に地面を進んだ。

「おーい」
「えっ!? ナマエ?!」
「エルフのお嬢さん、コンニチハ」
「彼女は、マルシル。マルシル、ナマエも食べてくれるそうだ」
「え、えー? そうなの? じゃあ、はい。テールスープ。熱いから気を付けて」
「ありがとう、マルシル」

 ナマエは、器を受け取り、口元へ運ぶ。テールスープを嚥下する様子を、ライオスとマルシルはじっと見た。

「大丈夫?」
「うん。オイシイネ。ところで、これはナニ?」
「説明してないんかーい!」

 ライオスは、マルシルにぽこぽこ叩かれる。

「あ、ああ。妹のファリンがドラゴンと合成されてしまったから、ドラゴン部分を食べる必要があって」
「ドラゴン……? ドラゴン、ハジメテ食べた」

 ナマエは、楽しそうだ。好奇心旺盛な彼は、次々とドラゴン料理を食べる。

「ハーフフットのお兄さんと、ドワーフのお兄さんダ」

 そんな中、チルチャックやセンシたちも紹介した。
 ライオス一行以外からは、ナマエの存在は大層驚かれたが、お祝いの雰囲気でうやむやになっていく。
 宴が始まってから、7日目。ライオスたちが、最後の料理を平らげる。
 その頃、ナマエは、迷宮の外の海で泳いでいた。
 ぼくも、役に立ててヨカッタ。
 水中で、踊るように泳ぐナマエ
 その様を、魚の群れだけが見ていた。
 ナマエは、召喚されたものである。人のために行動するのは、そのせいなのか? 個体の気質なのか? それは、彼自身にも分からない。
 ただ、ナマエが生を謳歌しているのは確かだった。
 宴は、ずっと楽しくて。こんな日々が続いてほしいと思った。
 海中を浮上し、岸辺に上がる。
 そして、ライオスたちのところへ歩いた。

「ファリン、ドウナッタ?」
ナマエ……まだ意識は戻らない…………」
「そう。シンパイダネ」

 両腕と数本の触手を伸ばし、ライオスを抱き締める。

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 誰にも分からない言語で、ナマエは祈った。

◆◆◆

 ファリンが目覚めてから、数日が経つ。
 ライオスから、ナマエの話を聞くと、自身も会ってみたいと言う。
 そして、ふたりで海へ向かった。

「おーい! ナマエ!」

 少しして、ナマエが海上まで来る。

「コンニチハ、ライオス」
「やあ。ほら、妹のファリンだ」
「はじめまして。よろしくね、ナマエ
「よろしくネ、ファリン」

 ふたりと一匹は、なごやかに話した。

「そういえば、ナマエはどうして俺に近付けるんだろう?」
「ぼく?」
「ああ。悪魔の呪いで、魔物に逃げられるようになってしまって」
「ぼく、召喚されたカラ? 術師、生きてるノ」

 つまり、無害な召喚獣としてカウントされているらしい。

「そうか。なあ、よかったら、城に住まないか?」
「城の地下、ぼく、シッテル」
「地下?」
「水路あるヨ」
「あ! そうなのか! じゃあ、その水路を自由に使ってくれていいから」
「ありがとう、ライオス。ぼく、遊びにイクヨ」

 その後、度々、海に繋がる地下水路からナマエが訪ねて来るようになった。
 ライオスは、ナマエの体の隅々まで観察し、独自に研究する。
 そんなライオスに、カブルーなどは頭を抱えたが、ナマエがおとなしいので、渋々と王の息抜きを了承した。
 ある日、ナマエが水路から顔を出すと、マルシルがいて。どうやら、待ち構えていたようだった。

ナマエ、こんにちは」
「コンニチハ、マルシル」
「あのさ、ライオスにされて嫌なことない?」
「ナイヨ……?」

 それは、無知故のことではないだろうか? ナマエは、魔物である。普通ならデリカシーがないとされる行為に気付けないのかもしれない。

「ライオスに触られるの嫌じゃない?」
「嫌ジャナイヨ」
「で、でもさ…………」

 マルシルは、言葉に詰まった。

「マルシルは、ファリンと仲良し?」
「え? うん、そうだよ」
「仲良しは、口をくっ付けるノ?」
「え!? わ、わぁ~!? 見てたの?!」

 真っ赤になるマルシル。林檎みたいだと思った。

「……ファリンのことが好きなの。その、恋愛としてもね」
「レンアイ?」
「知らないか。他人に対して特別な好きを持つことだよ」
「特別な好き?」

 ナマエは、首をかしげる。そして、あどけない顔で言った。

「ぼくの特別な好きは、ライオスダヨ」
「えーッ!? ダメ! いつか本当に食べられちゃう!」
「イイヨ」
「よくない!」

 マルシルの言うことは、ナマエにはよく分からない。
 ライオスが食べたいなら、食べればいい。
 まあ、ぼく、毒あるんだけどネ。

◆◆◆

 ライオスに、文字を教わっている。
「ぼく、字を読めるようにナリタイ」と、ナマエが言ったら、教えると二つ返事で了承された。

「ところで、ナマエはどうやって生殖するんだ?」
「セイショク?」
「子供を産むとか、卵を産むとか、受粉するとか」
「ぼく、卵から産まれたヨ」
「卵生なのか」

 ナマエ曰く、キョーダイがいたが、みんな小さいうちに食われてしまったらしい。長生きしてるのは、ナマエだけだそうだ。

ナマエは、卵を産めるのか?」
「うん。前に教えてモラッタ、シユードウタイ」

 ライオスは、「卵をひとつもらいたい」と思ったが、口にしないでおく。この前、マルシルに「ナマエのことを実験動物みたいな扱いをしないように!」と注意をされたからだ。

「ライオスって、好きなヒトいる?」
「それは、まあ。ファリンとかマルシルとか」
「そうじゃなくて。特別な好きの話。恋?」
「恋人はいない。好きな人も、いない。人間のことは、よく分からないな。あんまり人に好かれることもないし」

 ヒトなのに、ヒトのことがワカラナイ?
 ナマエは、不思議に思った。

「ぼく、ライオス好きだけどナ」

 するり、と触手をライオスの腕に巻き付ける。

「ありがとう、ナマエ

 ライオスは、嬉しそうにした。
 その笑顔を見て、やっぱり好きだと思うナマエであった。
 このやり取りを、こっそりとマルシルの使い魔が見ていたことを、彼らは知らない。
 マルシルは、ライオスとナマエは、“噛み合い過ぎる”と危機感を抱いていた。
 魔物が好きで、味も知りたいライオス。人間に興味があり、喜んでくれるなら、なんでもしそうなナマエ
 いつか、何かやらかすのではないかと心配している。
 この前など、「ナマエの毒は、酢で無効化出来るはず」とかなんとか言っていたし。食べる算段をしているのでは?
 マルシルは疑った。

「マルシル? どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そう?」

 隣にいるファリンが、眉間に皺を寄せるマルシルを案じている。

「なにかあったら言ってね?」
「うん。ありがとう、ファリン」

 自分の手を握る彼女には言えない。あなたの兄が、ナマエを食べるかもしれないなんて。
 私がしっかりしないと!
 マルシルは、奮起した。
 だいたい、ナマエはライオスに恋してるかもしれないのに、食べられたら、ロマンスも何もなくなってしまう。
 ナマエの話し方が幼い故に、子供のように思っているマルシル。
 実は、ナマエは1020歳なのだが。

◆◆◆

 ナマエの“好き”とは、“笑顔が見たい”であった。

「ライオス…………」
「…………」

 ライオスは、度重なる外交で疲弊している。座り込んで、ナマエの触手部分を抱き締めていた。
 そんな彼を、ナマエは心配している。

「大丈夫? ぼく食べたら元気になる?」
「それは、みんなに怒られる…………」

 元気になるのは否定しない辺り、悪食王の面目躍如だ。

「みんな、なんで怒る?」
ナマエが意志疎通出来るから?」
「イシソツー出来ると、なんでダメなの?」
「倫理的に、だろうな」

 ナマエには、“倫理的”は分からない。

「つまり、バレなきゃイイノ?」
「バレ……そうか…………」

 はっとするライオス。立ち上がり、ナマエの目を見つめた。

ナマエ、触手を一本食べてもいいか?」
「イイヨ」

 ニコニコ笑うナマエ
 連れ立って、こそこそと厨房へ向かう。

「ちなみに、触手を失うとどうなる?」
「また生えてクルヨ」

 安心した。バレないうちに生えるといいが。
 厨房に着いた。「カブルーが呼んでる」と嘘をつき、人払いをする。

「その、触手を切るの、痛いんじゃないか?」
「ダイジョブ。我慢する」

 包丁を手にしたライオスは、躊躇した。
 そして。

「ほらー! やっぱりこうなった!」
「マルシル!?」

 息を切らせて、マルシルが飛び込んで来る。

「ふたりのこと、監視してたの」
「カンシ?」
「見張られてたのか……」

 ライオスが、片手で額を押さえた。

「あのね、ナマエは、私から言わせれば、ほとんど人間だよ? 食べるとか、絶対にダメだから!」
「はい…………」
「疲れてるのは分かるけど、ナマエに甘えるのも、ほどほどにしてよね」

 マルシルは、ナマエは子供みたいなものなんだから、と続ける。

「ぼく、子供じゃナイヨ」
「いや、年齢はともかく、まだ人のことよく知らないから……!」
「そっかー」

 ナマエは、肩を落とした。それから、ライオスの手から包丁を奪い、触手を一本切る。
「えーっ!?」と驚くふたり。

「食べないとモッタイナイナー」

 ちらっとライオスを見るナマエ

「マルシル! 酢に漬けないと!」
「え! え~!」

 結局、ふたりでバタバタと調理を始めた。
 そうして出来たのは、触手の酢漬けとクリーム煮とスープである。

「いただきます」

 ライオスは、厨房内のテーブルに並べた料理を食べ始めた。

「さっぱりしてて美味しい!」

 悪食王ライオスは、ご満悦だ。
 ナマエは、その様子を見て、嬉しくなった。

◆◆◆

 触手を食べてもらってから、ナマエは、より一層ライオスを好きになっていた。

「ライオス! 遊びにキタヨ!」
「やあ、ナマエ
「ぼく、食べる?」
「た、食べないよ…………?」

 そして、しょっちゅう自分を食べるか尋ねてくる。
 マルシルは、そんな彼らを白い眼で見ていた。

ナマエ、もっと自分を大切にしなきゃ!」
「シテルヨ?」
「ライオスに食べさせようとしちゃダメ!」
「なんで?」
「倫理的にダメ!」
「リンリテキ……?」
「うう…………」

 言葉に詰まるマルシル。どうすれば、ナマエに理解してもらえるだろうか?

「あのね、普通は、自分のことを誰かに食べさせたりしないの」
「そうナノ?」
「うん」
「でも、みんな、ファリン食べてたヨ?」
「あれは、例外!」

 ナマエには、やっぱりよく分からなかった。
 ライオスとマルシルは、仕事があると言うので、城に滞在していたファリンと遊ぶことにする。

ナマエ、久し振り」
「コンニチハ、ファリン」

 ファリンと共に、海辺を散歩した。

「ファリンは、マルシルのこと食べたくないノ?」
「えっ!?」

 目を見開くファリン。

「マルシルが痛い思いをするのは、嫌だな」
「そっか。痛いから、ダメ…………」
ナマエは、兄さんが好きなの?」
「ライオス、好き!」
「そう。それって、どういう好き?」

 ナマエは、首を傾げた。
 空は晴れていて、海は凪いでいる。
 けれどナマエは、何か、もやもやしたものを感じた。

「好きって、いっぱいアルノ?」
「あるよ。私の兄さんへの好きと、マルシルへの好きは違うの」
「どう違うのノ?」
「兄さんのことは、家族として愛してる。マルシルのことは、特別に好きなんだ」

“他人に対して特別な好きを持つことだよ”

「マルシルとファリンは、同じ“好き”を持ってるんだネ」
「そうだよ」
「ライオスは、ぼくのこと、どう思ってるのカナ?」
「訊いてみたら?」
「うん。ぼくの“好き”は、幸せになってホシイって気持ち」

 ファリンは微笑み、「ナマエは、優しいね」と言う。
 自分が優しいのかは、分からない。だけど、そうなりたかった。
 ナマエは、ライオスの悲しみや苦しみを、全て取り除いてやりたいと考えている。
 それは、彼に芽生えた愛だった。小さな芽が、いずれは花開くように、ナマエの想いも変わり行くのかもしれない。
 関わった人々から、少しずつ雨粒のような気持ちを受け取り、ナマエは成長していった。

◆◆◆

 ライオスに、訊かなくてはならないことがある。
 彼の休みの時間まで、ナマエは水路で待っていた。

ナマエ
「ライオス!」

 待ち人の声が聴こえ、嬉しくて、ぱしゃりと水から出る。

「ぼく、知りたいことがアッテ…………」
「うん?」
「ライオスは、ぼくのこと好き?」
ナマエのことは、好きだ」

 それって?

「どういう好き?」

 ナマエは、続けて尋ねた。

「どういう? 魔物はみんな好きだ。ナマエは俺に近付けるし、生態を調べさせてくれるし、話し相手になってくれるから、特別好きかもな」
「特別…………」

 何故だろう? 自分の“特別な好き”とライオスのそれは、違う気がする。

「ぼくが、魔物じゃなかったら、ライオスは好きじゃナイノ…………?」

 ナマエの声は震えた。

「え?」
「ぼくがヒトだったら、ライオスは…………」

 おそらく、歯牙にもかけないだろう。有象無象の人間のひとり。
 ナマエは、両の瞳から、ボロボロと涙をこぼした。

ナマエ?! どこか痛いのか?!」

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
 胸の奥が、ずきずきと痛む。その痛みが何なのか、ナマエには分からなかった。

「ぼく、海に戻る……サヨナラ…………」

 かろうじて、さよならだけ残して、ナマエは水路に飛び込む。ライオスが何か言っているが、彼には聴こえなかった。
 悲しい。でも、何がそんなに悲しいのか?
 水中を泳ぎながら、ナマエは考えた。
 人間だったなら、ライオスは自分に興味がない? 笑いかけてはくれない?
 ナマエが海に戻ると、そこが、とても寂しい場所に思えた。
 同じ種族は、この辺りにはいない。孤独だ。
 遥か彼方の故郷の海は、どうなっているのだろうか?

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 帰りたい。そう、人には分からない言語で呟いた。
 しかし、ナマエは帰り方を知らない。
 たとえ、千年の孤独でさえも、怖くはなかった。時が移ろい、ゆるやかに変わっても、ナマエには恐れはなかった。
 召喚され、人のことを知りたくなったあの時までは。

「◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️」

 この寂しさは、ライオスに出会ったから感じるのだ。ならば私は、あなたと出会いたくなどなかった。
 ナマエの嘆きは、どこにも届かない。
 海深くに潜って行く。暗い闇に溶け込むように。
 悲しみの海に沈むナマエは、海底に横たわり、上を見やる。
 日の光の届かないそこは、ゆりかごのようでも、墓場のようでもあった。

◆◆◆

 ナマエは、悲しくて、悲しくて。海を少しだけ増やした。
 光のない深海で過ごすうちに、すっかり弱ってしまっている。
 薄暗い思考を重ね、そして、あることを思い付いた。
 私とあなたを分けているものを、取り払ってしまえばいい。
 ナマエは、ゆっくりと浮上し、日の光の眩しさに顔を歪めた。
 この目映さが不快なのに、自分の体は光を求めている。
 明けない夜の中にいる気分なのに、太陽はナマエを照らした。

「…………」

 城の地下水路を目指す。
 城内で、最初にナマエを見付けたのは、マルシルだった。

ナマエ!?」
「久し振りダネ、マルシル」
「ライオスが凄く心配してたんだよ!」
「そう。ライオスが…………ライオスに会いたいナ…………」

 マルシルが言うには、庭園でお茶をしているらしい。
 ナマエは、静かにマルシルの後について行った。

「ライオス! チルチャック! センシ! ナマエが来たよ!」
ナマエ!?」

 ライオスが、椅子から立ち上がる。
 ナマエは、自分に近付いて来た彼を、触手で縛り上げ、引き倒す。

「えっ…………」

 呆気にとられるライオス。目の前の光景が信じられないマルシル。
 動いたのは、“魔物”という言葉を思い出したチルチャックとセンシ。
 だが、距離があるため、ナマエの方が早かった。

「動くナ! ニンゲン!」
「ど、どうしたんだ? ナマエ……」
「動いたら、手足を折る!」

 ぴたりと、皆が動きを止める。

「ぼくは、ニンゲンなんて好きになるべきじゃなかった」
「おい、ライオスを放せ」

 チルチャックを無視して、ナマエは続けた。

「◼️◼️◼️◼️◼️ライオス◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️!」

 私が、ライオスのことを愛したのは、間違いだった!
 ナマエの言葉は、恐ろしい魔物の鳴き声として響く。

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️!」

 私を止めたければ、太陽を落とせ!
 魔物は、ライオスの肩に尖った歯を突き立てた。

「ぐッ!」

 この人間を、食べてしまえばいいと。自分の中に取り込んでしまえばいいと。魔物は、肉を噛んだ。

「アイシテタノニ…………」
ナマエ、俺は君のことを……」

 私の名を呼ぶな。私に名などない。
 魔物の思考は、ぐちゃぐちゃになる。

「……泣かないでくれ」

 ライオスの声。それを聴いて、初めて自分が涙を流していることに気付いた。

「ぼく……どうしたらいいか、分からないノ…………ライオスを食べたいのに、食べたら、もう話せなくなっちゃう…………」

 ナマエは、触手からライオスを解放する。

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 殺しなさい。
 ライオスの目を見つめて、ナマエは言った。

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️」

 私が、あなたを殺す前に。

ナマエ。俺は、君を殺さない」
「ライオス……?」

 マルシルが、緊張した面持ちで尋ねる。

「……ナマエの言葉が分かるの?」
「その、少しは……ナマエは、たまに言葉を教えてくれたから…………」

 ライオスは、肩を押さえながら、ナマエに近付いた。

ナマエ、◼️◼️◼️◼️◼️」

◆◆◆

 始末した方がいいと言われた。
 王に牙を剥いた魔物なのだから、それは当然である。

「俺は、彼に生きていてほしい」

 そう言うと、反論された。
 しかし、「食べたのは、お互い様なんだ。先に彼を食べたのは、俺だし」と言えば、「ああ、悪食王だから、仕方ないか」みたいな雰囲気になる。
 話し合いを終わらせて、地下へ向かうライオス。
 水路の縁に、ナマエが座っていた。

「ライオス、ぼく…………」
「大丈夫だ。君は俺の友達だから、今までと同じように過ごしてくれ」
「ごめんね。ありがとう」

 ナマエの隣に座るライオス。

ナマエ。その、訊きたいことがあるんだが」
「なに?」
「俺を食べてみて、どうだった?」
「……ライオスって、変なヒト」
「よく言われるよ」

 ナマエは、くすりと笑った。

「味はね、覚えてないノ。ただ、命を奪うってカンタンだと思ったヨ。ぼくは、何も殺さないで生きられるから、怖かった」
「そうか。ナマエは、日光と水があれば生きられる種族だから。食物連鎖から外れているんだな」

 ライオスは、考える。

「そんな君が食べたいと思ったのが、俺でよかった。君を庇うことが出来る」
「肩、痛い?」
「痛い。ナマエは、何故歯が尖っているんだろう? 消化器官があるんだろう?」
「分からないヨ」

 やはり、ナマエのことを、骨の髄までしゃぶり尽くすように調べたいと思った。

「なあ、ナマエは、俺を“愛してる”のか?」
「それも、もう分からなくなっちゃった」

 ナマエは、しゅんとする。

「好きなヒトを食べようとするなんて、おかしいヨネ。ぼくが、魔物だからカナ」
「おかしいのかな? 俺は、ナマエのことが好きで、食べた」
「……ライオスは、ぼくが魔物だから好きなんだヨネ?」
「うーん。初めは、まあ、そうだった。でも、最近はよく分からなくて。君は、今まで会ったどの魔物とも違うから。自分を食べさせる魔物なんて、いなかったよ」

 ライオスは、ナマエの手を取った。

「マルシルやカブルーに言われてたんだが、俺たちの関係は、不健全だった。だから、やり直そう。対等な友達として」
「やだ!」
「え!?」

 ナマエの返事に、心底驚くライオス。

「愛してくれなきゃ、やだー!」
「愛してるよ?」
「ぼくの愛してると、ライオスのは違うもん!」
「ち、違う?」
「マルシルとファリンみたいな関係じゃなきゃ、やだ!」

 ライオスは、困った。あのふたりみたいな関係というと、恋人同士ということか。

「彼女たちも、最初は友人だったんだよ、ナマエ
「そうなノ?」
「うん。関係性は、段々と変わっていくものだから」
「ぼく、初めは、ライオスを幸せにしたかった。でも今は、ライオスと幸せになりたいノ」

 ナマエから、真っ直ぐな愛情を向けられていることに、ライオスはようやく気付いた。

「それなら、とりあえず、一緒にお茶でもしようか」
「……うん!」

 ナマエと手を繋いだまま、庭園まで歩く。
 衛兵やら侍従やらに、ぎょっとされるが、ふたりは慣れていた。
 そして、お茶会が始まる。
 テーブルには、美味しい紅茶と、色とりどりのお菓子。
 それから、今はまだ不揃いな、“愛してる”を並べて。
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