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いつからそんな意識が芽生えたのか、覚えていない。
ただ、ヒトのことを知りたかった。
一匹の魔物は、水からこっそりと顔を出し、人間を観察している。
彼は、海洋性テンタクルスの亜種である。緑色の肌の人のような上半身と、触手で出来た下半身を持つ。
その日、やって来たのは、変わった冒険者一行だった。
クラーケンを倒して、それの寄生虫を食べ始める。
その様子を、魔物は見ていた。
金髪の男の嬉しそうな顔が、とても印象的で。そんな風に、自分もヒトを喜ばせてみたいと思う。
「コンニチハ。ハジメマシテ」
だから、水辺まで行き、話しかけてみた。
「うわぁっ!?」
「魔物!?」
「ライオス、なんだコイツは?!」
テンタクルスは、慌てる。
「ぼく、きみたちを攻撃シナイ。敵ジャナイ」
「ライオス、どうする?!」
「これは……人の真似をしてるだけの発声じゃないと思う…………」
「そうそう。ぼく、ヒトのコトバ覚えたの。ヒトのこと知りたくて」
魔物は、笑顔を作った。
「でも、こんな魔物は初めて見るな」
「ぼく、遠くにいた。召喚されて、帰れなくナッタヨ」
「そうか。この迷宮の魔物じゃないのか」
「ぼく、コワイ?」
「かなり理性的だと思う」
「ぼく、リセーテキ」
触手生物は、ニコニコしている。
「俺は、ライオス。君は?」
「ライオス、ナマエ? ぼく、ナイヨ」
「うーん。じゃあ、ナマエと呼んでいいかな?」
「イイヨ。ぼく、ナマエ。ありがとう」
千年以上生きているが、名前を貰えたのは初めてで、嬉しかった。
「ナマエは、俺たちに何か訊きたいことでも?」
「きみたちに、食べてホシイノ」
「え!?」
エルフらしき女が、大声を上げる。
「ヒト、喜ぶ。顔ミタイ」
「喜ばない! 喜ばない!」とエルフ。
ちらりと、ライオスを見ると、興味津々といった様子だった。
「ライオスは、ぼく食べる?」
「たぶん、触手部分なら……」
「亜人系はダメーッ!」
「やめろ、バカ!」
エルフとハーフフットが反対する。
「……ナマエ、君を食べることは出来ない」
ライオスが、残念そうに言った。ナマエは、しゅんとしてしまう。
「ワカッタ。気が変わったら、イッテネ。ぼく、マッテル」
そう言うと、ナマエは水中に潜って行った。
いつか、ライオスが食べてくれるまで生き抜こう。天敵や他の冒険者に殺されないようにしよう。
孤独だったナマエは、生きるよすがを見付けた。
◆◆◆
迷宮に異変が起きた。
「わっ!?」
ナマエは、水流に飲み込まれ、身動きが取れない。
そして、彼は地上に出た。
「ここは……?」
「ナマエ!」
「ライオス! 元気?」
「ああ、まあ。ちょうどよかった! 肉は食えるか? 食べるのを手伝ってほしい」
実のところ、ナマエは水さえあれば平気な種族である。しかし、人を模した部分には、消化器官もあった。
「肉、食べてみたい!」
「じゃあ、一緒に食べよう」
「うん」
ナマエは、ライオスと並んで歩く。彼の触手は、うねうねと動いて器用に地面を進んだ。
「おーい」
「えっ!? ナマエ?!」
「エルフのお嬢さん、コンニチハ」
「彼女は、マルシル。マルシル、ナマエも食べてくれるそうだ」
「え、えー? そうなの? じゃあ、はい。テールスープ。熱いから気を付けて」
「ありがとう、マルシル」
ナマエは、器を受け取り、口元へ運ぶ。テールスープを嚥下する様子を、ライオスとマルシルはじっと見た。
「大丈夫?」
「うん。オイシイネ。ところで、これはナニ?」
「説明してないんかーい!」
ライオスは、マルシルにぽこぽこ叩かれる。
「あ、ああ。妹のファリンがドラゴンと合成されてしまったから、ドラゴン部分を食べる必要があって」
「ドラゴン……? ドラゴン、ハジメテ食べた」
ナマエは、楽しそうだ。好奇心旺盛な彼は、次々とドラゴン料理を食べる。
「ハーフフットのお兄さんと、ドワーフのお兄さんダ」
そんな中、チルチャックやセンシたちも紹介した。
ライオス一行以外からは、ナマエの存在は大層驚かれたが、お祝いの雰囲気でうやむやになっていく。
宴が始まってから、7日目。ライオスたちが、最後の料理を平らげる。
その頃、ナマエは、迷宮の外の海で泳いでいた。
ぼくも、役に立ててヨカッタ。
水中で、踊るように泳ぐナマエ。
その様を、魚の群れだけが見ていた。
ナマエは、召喚されたものである。人のために行動するのは、そのせいなのか? 個体の気質なのか? それは、彼自身にも分からない。
ただ、ナマエが生を謳歌しているのは確かだった。
宴は、ずっと楽しくて。こんな日々が続いてほしいと思った。
海中を浮上し、岸辺に上がる。
そして、ライオスたちのところへ歩いた。
「ファリン、ドウナッタ?」
「ナマエ……まだ意識は戻らない…………」
「そう。シンパイダネ」
両腕と数本の触手を伸ばし、ライオスを抱き締める。
「◼️◼️◼️◼️◼️」
誰にも分からない言語で、ナマエは祈った。
◆◆◆
ファリンが目覚めてから、数日が経つ。
ライオスから、ナマエの話を聞くと、自身も会ってみたいと言う。
そして、ふたりで海へ向かった。
「おーい! ナマエ!」
少しして、ナマエが海上まで来る。
「コンニチハ、ライオス」
「やあ。ほら、妹のファリンだ」
「はじめまして。よろしくね、ナマエ」
「よろしくネ、ファリン」
ふたりと一匹は、なごやかに話した。
「そういえば、ナマエはどうして俺に近付けるんだろう?」
「ぼく?」
「ああ。悪魔の呪いで、魔物に逃げられるようになってしまって」
「ぼく、召喚されたカラ? 術師、生きてるノ」
つまり、無害な召喚獣としてカウントされているらしい。
「そうか。なあ、よかったら、城に住まないか?」
「城の地下、ぼく、シッテル」
「地下?」
「水路あるヨ」
「あ! そうなのか! じゃあ、その水路を自由に使ってくれていいから」
「ありがとう、ライオス。ぼく、遊びにイクヨ」
その後、度々、海に繋がる地下水路からナマエが訪ねて来るようになった。
ライオスは、ナマエの体の隅々まで観察し、独自に研究する。
そんなライオスに、カブルーなどは頭を抱えたが、ナマエがおとなしいので、渋々と王の息抜きを了承した。
ある日、ナマエが水路から顔を出すと、マルシルがいて。どうやら、待ち構えていたようだった。
「ナマエ、こんにちは」
「コンニチハ、マルシル」
「あのさ、ライオスにされて嫌なことない?」
「ナイヨ……?」
それは、無知故のことではないだろうか? ナマエは、魔物である。普通ならデリカシーがないとされる行為に気付けないのかもしれない。
「ライオスに触られるの嫌じゃない?」
「嫌ジャナイヨ」
「で、でもさ…………」
マルシルは、言葉に詰まった。
「マルシルは、ファリンと仲良し?」
「え? うん、そうだよ」
「仲良しは、口をくっ付けるノ?」
「え!? わ、わぁ~!? 見てたの?!」
真っ赤になるマルシル。林檎みたいだと思った。
「……ファリンのことが好きなの。その、恋愛としてもね」
「レンアイ?」
「知らないか。他人に対して特別な好きを持つことだよ」
「特別な好き?」
ナマエは、首をかしげる。そして、あどけない顔で言った。
「ぼくの特別な好きは、ライオスダヨ」
「えーッ!? ダメ! いつか本当に食べられちゃう!」
「イイヨ」
「よくない!」
マルシルの言うことは、ナマエにはよく分からない。
ライオスが食べたいなら、食べればいい。
まあ、ぼく、毒あるんだけどネ。
◆◆◆
ライオスに、文字を教わっている。
「ぼく、字を読めるようにナリタイ」と、ナマエが言ったら、教えると二つ返事で了承された。
「ところで、ナマエはどうやって生殖するんだ?」
「セイショク?」
「子供を産むとか、卵を産むとか、受粉するとか」
「ぼく、卵から産まれたヨ」
「卵生なのか」
ナマエ曰く、キョーダイがいたが、みんな小さいうちに食われてしまったらしい。長生きしてるのは、ナマエだけだそうだ。
「ナマエは、卵を産めるのか?」
「うん。前に教えてモラッタ、シユードウタイ」
ライオスは、「卵をひとつもらいたい」と思ったが、口にしないでおく。この前、マルシルに「ナマエのことを実験動物みたいな扱いをしないように!」と注意をされたからだ。
「ライオスって、好きなヒトいる?」
「それは、まあ。ファリンとかマルシルとか」
「そうじゃなくて。特別な好きの話。恋?」
「恋人はいない。好きな人も、いない。人間のことは、よく分からないな。あんまり人に好かれることもないし」
ヒトなのに、ヒトのことがワカラナイ?
ナマエは、不思議に思った。
「ぼく、ライオス好きだけどナ」
するり、と触手をライオスの腕に巻き付ける。
「ありがとう、ナマエ」
ライオスは、嬉しそうにした。
その笑顔を見て、やっぱり好きだと思うナマエであった。
このやり取りを、こっそりとマルシルの使い魔が見ていたことを、彼らは知らない。
マルシルは、ライオスとナマエは、“噛み合い過ぎる”と危機感を抱いていた。
魔物が好きで、味も知りたいライオス。人間に興味があり、喜んでくれるなら、なんでもしそうなナマエ。
いつか、何かやらかすのではないかと心配している。
この前など、「ナマエの毒は、酢で無効化出来るはず」とかなんとか言っていたし。食べる算段をしているのでは?
マルシルは疑った。
「マルシル? どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そう?」
隣にいるファリンが、眉間に皺を寄せるマルシルを案じている。
「なにかあったら言ってね?」
「うん。ありがとう、ファリン」
自分の手を握る彼女には言えない。あなたの兄が、ナマエを食べるかもしれないなんて。
私がしっかりしないと!
マルシルは、奮起した。
だいたい、ナマエはライオスに恋してるかもしれないのに、食べられたら、ロマンスも何もなくなってしまう。
ナマエの話し方が幼い故に、子供のように思っているマルシル。
実は、ナマエは1020歳なのだが。
◆◆◆
ナマエの“好き”とは、“笑顔が見たい”であった。
「ライオス…………」
「…………」
ライオスは、度重なる外交で疲弊している。座り込んで、ナマエの触手部分を抱き締めていた。
そんな彼を、ナマエは心配している。
「大丈夫? ぼく食べたら元気になる?」
「それは、みんなに怒られる…………」
元気になるのは否定しない辺り、悪食王の面目躍如だ。
「みんな、なんで怒る?」
「ナマエが意志疎通出来るから?」
「イシソツー出来ると、なんでダメなの?」
「倫理的に、だろうな」
ナマエには、“倫理的”は分からない。
「つまり、バレなきゃイイノ?」
「バレ……そうか…………」
はっとするライオス。立ち上がり、ナマエの目を見つめた。
「ナマエ、触手を一本食べてもいいか?」
「イイヨ」
ニコニコ笑うナマエ。
連れ立って、こそこそと厨房へ向かう。
「ちなみに、触手を失うとどうなる?」
「また生えてクルヨ」
安心した。バレないうちに生えるといいが。
厨房に着いた。「カブルーが呼んでる」と嘘をつき、人払いをする。
「その、触手を切るの、痛いんじゃないか?」
「ダイジョブ。我慢する」
包丁を手にしたライオスは、躊躇した。
そして。
「ほらー! やっぱりこうなった!」
「マルシル!?」
息を切らせて、マルシルが飛び込んで来る。
「ふたりのこと、監視してたの」
「カンシ?」
「見張られてたのか……」
ライオスが、片手で額を押さえた。
「あのね、ナマエは、私から言わせれば、ほとんど人間だよ? 食べるとか、絶対にダメだから!」
「はい…………」
「疲れてるのは分かるけど、ナマエに甘えるのも、ほどほどにしてよね」
マルシルは、ナマエは子供みたいなものなんだから、と続ける。
「ぼく、子供じゃナイヨ」
「いや、年齢はともかく、まだ人のことよく知らないから……!」
「そっかー」
ナマエは、肩を落とした。それから、ライオスの手から包丁を奪い、触手を一本切る。
「えーっ!?」と驚くふたり。
「食べないとモッタイナイナー」
ちらっとライオスを見るナマエ。
「マルシル! 酢に漬けないと!」
「え! え~!」
結局、ふたりでバタバタと調理を始めた。
そうして出来たのは、触手の酢漬けとクリーム煮とスープである。
「いただきます」
ライオスは、厨房内のテーブルに並べた料理を食べ始めた。
「さっぱりしてて美味しい!」
悪食王ライオスは、ご満悦だ。
ナマエは、その様子を見て、嬉しくなった。
◆◆◆
触手を食べてもらってから、ナマエは、より一層ライオスを好きになっていた。
「ライオス! 遊びにキタヨ!」
「やあ、ナマエ」
「ぼく、食べる?」
「た、食べないよ…………?」
そして、しょっちゅう自分を食べるか尋ねてくる。
マルシルは、そんな彼らを白い眼で見ていた。
「ナマエ、もっと自分を大切にしなきゃ!」
「シテルヨ?」
「ライオスに食べさせようとしちゃダメ!」
「なんで?」
「倫理的にダメ!」
「リンリテキ……?」
「うう…………」
言葉に詰まるマルシル。どうすれば、ナマエに理解してもらえるだろうか?
「あのね、普通は、自分のことを誰かに食べさせたりしないの」
「そうナノ?」
「うん」
「でも、みんな、ファリン食べてたヨ?」
「あれは、例外!」
ナマエには、やっぱりよく分からなかった。
ライオスとマルシルは、仕事があると言うので、城に滞在していたファリンと遊ぶことにする。
「ナマエ、久し振り」
「コンニチハ、ファリン」
ファリンと共に、海辺を散歩した。
「ファリンは、マルシルのこと食べたくないノ?」
「えっ!?」
目を見開くファリン。
「マルシルが痛い思いをするのは、嫌だな」
「そっか。痛いから、ダメ…………」
「ナマエは、兄さんが好きなの?」
「ライオス、好き!」
「そう。それって、どういう好き?」
ナマエは、首を傾げた。
空は晴れていて、海は凪いでいる。
けれどナマエは、何か、もやもやしたものを感じた。
「好きって、いっぱいアルノ?」
「あるよ。私の兄さんへの好きと、マルシルへの好きは違うの」
「どう違うのノ?」
「兄さんのことは、家族として愛してる。マルシルのことは、特別に好きなんだ」
“他人に対して特別な好きを持つことだよ”
「マルシルとファリンは、同じ“好き”を持ってるんだネ」
「そうだよ」
「ライオスは、ぼくのこと、どう思ってるのカナ?」
「訊いてみたら?」
「うん。ぼくの“好き”は、幸せになってホシイって気持ち」
ファリンは微笑み、「ナマエは、優しいね」と言う。
自分が優しいのかは、分からない。だけど、そうなりたかった。
ナマエは、ライオスの悲しみや苦しみを、全て取り除いてやりたいと考えている。
それは、彼に芽生えた愛だった。小さな芽が、いずれは花開くように、ナマエの想いも変わり行くのかもしれない。
関わった人々から、少しずつ雨粒のような気持ちを受け取り、ナマエは成長していった。
◆◆◆
ライオスに、訊かなくてはならないことがある。
彼の休みの時間まで、ナマエは水路で待っていた。
「ナマエ」
「ライオス!」
待ち人の声が聴こえ、嬉しくて、ぱしゃりと水から出る。
「ぼく、知りたいことがアッテ…………」
「うん?」
「ライオスは、ぼくのこと好き?」
「ナマエのことは、好きだ」
それって?
「どういう好き?」
ナマエは、続けて尋ねた。
「どういう? 魔物はみんな好きだ。ナマエは俺に近付けるし、生態を調べさせてくれるし、話し相手になってくれるから、特別好きかもな」
「特別…………」
何故だろう? 自分の“特別な好き”とライオスのそれは、違う気がする。
「ぼくが、魔物じゃなかったら、ライオスは好きじゃナイノ…………?」
ナマエの声は震えた。
「え?」
「ぼくがヒトだったら、ライオスは…………」
おそらく、歯牙にもかけないだろう。有象無象の人間のひとり。
ナマエは、両の瞳から、ボロボロと涙をこぼした。
「ナマエ?! どこか痛いのか?!」
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
胸の奥が、ずきずきと痛む。その痛みが何なのか、ナマエには分からなかった。
「ぼく、海に戻る……サヨナラ…………」
かろうじて、さよならだけ残して、ナマエは水路に飛び込む。ライオスが何か言っているが、彼には聴こえなかった。
悲しい。でも、何がそんなに悲しいのか?
水中を泳ぎながら、ナマエは考えた。
人間だったなら、ライオスは自分に興味がない? 笑いかけてはくれない?
ナマエが海に戻ると、そこが、とても寂しい場所に思えた。
同じ種族は、この辺りにはいない。孤独だ。
遥か彼方の故郷の海は、どうなっているのだろうか?
「◼️◼️◼️◼️◼️」
帰りたい。そう、人には分からない言語で呟いた。
しかし、ナマエは帰り方を知らない。
たとえ、千年の孤独でさえも、怖くはなかった。時が移ろい、ゆるやかに変わっても、ナマエには恐れはなかった。
召喚され、人のことを知りたくなったあの時までは。
「◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️」
この寂しさは、ライオスに出会ったから感じるのだ。ならば私は、あなたと出会いたくなどなかった。
ナマエの嘆きは、どこにも届かない。
海深くに潜って行く。暗い闇に溶け込むように。
悲しみの海に沈むナマエは、海底に横たわり、上を見やる。
日の光の届かないそこは、ゆりかごのようでも、墓場のようでもあった。
◆◆◆
ナマエは、悲しくて、悲しくて。海を少しだけ増やした。
光のない深海で過ごすうちに、すっかり弱ってしまっている。
薄暗い思考を重ね、そして、あることを思い付いた。
私とあなたを分けているものを、取り払ってしまえばいい。
ナマエは、ゆっくりと浮上し、日の光の眩しさに顔を歪めた。
この目映さが不快なのに、自分の体は光を求めている。
明けない夜の中にいる気分なのに、太陽はナマエを照らした。
「…………」
城の地下水路を目指す。
城内で、最初にナマエを見付けたのは、マルシルだった。
「ナマエ!?」
「久し振りダネ、マルシル」
「ライオスが凄く心配してたんだよ!」
「そう。ライオスが…………ライオスに会いたいナ…………」
マルシルが言うには、庭園でお茶をしているらしい。
ナマエは、静かにマルシルの後について行った。
「ライオス! チルチャック! センシ! ナマエが来たよ!」
「ナマエ!?」
ライオスが、椅子から立ち上がる。
ナマエは、自分に近付いて来た彼を、触手で縛り上げ、引き倒す。
「えっ…………」
呆気にとられるライオス。目の前の光景が信じられないマルシル。
動いたのは、“魔物”という言葉を思い出したチルチャックとセンシ。
だが、距離があるため、ナマエの方が早かった。
「動くナ! ニンゲン!」
「ど、どうしたんだ? ナマエ……」
「動いたら、手足を折る!」
ぴたりと、皆が動きを止める。
「ぼくは、ニンゲンなんて好きになるべきじゃなかった」
「おい、ライオスを放せ」
チルチャックを無視して、ナマエは続けた。
「◼️◼️◼️◼️◼️ライオス◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️!」
私が、ライオスのことを愛したのは、間違いだった!
ナマエの言葉は、恐ろしい魔物の鳴き声として響く。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️!」
私を止めたければ、太陽を落とせ!
魔物は、ライオスの肩に尖った歯を突き立てた。
「ぐッ!」
この人間を、食べてしまえばいいと。自分の中に取り込んでしまえばいいと。魔物は、肉を噛んだ。
「アイシテタノニ…………」
「ナマエ、俺は君のことを……」
私の名を呼ぶな。私に名などない。
魔物の思考は、ぐちゃぐちゃになる。
「……泣かないでくれ」
ライオスの声。それを聴いて、初めて自分が涙を流していることに気付いた。
「ぼく……どうしたらいいか、分からないノ…………ライオスを食べたいのに、食べたら、もう話せなくなっちゃう…………」
ナマエは、触手からライオスを解放する。
「◼️◼️◼️◼️◼️」
殺しなさい。
ライオスの目を見つめて、ナマエは言った。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️」
私が、あなたを殺す前に。
「ナマエ。俺は、君を殺さない」
「ライオス……?」
マルシルが、緊張した面持ちで尋ねる。
「……ナマエの言葉が分かるの?」
「その、少しは……ナマエは、たまに言葉を教えてくれたから…………」
ライオスは、肩を押さえながら、ナマエに近付いた。
「ナマエ、◼️◼️◼️◼️◼️」
◆◆◆
始末した方がいいと言われた。
王に牙を剥いた魔物なのだから、それは当然である。
「俺は、彼に生きていてほしい」
そう言うと、反論された。
しかし、「食べたのは、お互い様なんだ。先に彼を食べたのは、俺だし」と言えば、「ああ、悪食王だから、仕方ないか」みたいな雰囲気になる。
話し合いを終わらせて、地下へ向かうライオス。
水路の縁に、ナマエが座っていた。
「ライオス、ぼく…………」
「大丈夫だ。君は俺の友達だから、今までと同じように過ごしてくれ」
「ごめんね。ありがとう」
ナマエの隣に座るライオス。
「ナマエ。その、訊きたいことがあるんだが」
「なに?」
「俺を食べてみて、どうだった?」
「……ライオスって、変なヒト」
「よく言われるよ」
ナマエは、くすりと笑った。
「味はね、覚えてないノ。ただ、命を奪うってカンタンだと思ったヨ。ぼくは、何も殺さないで生きられるから、怖かった」
「そうか。ナマエは、日光と水があれば生きられる種族だから。食物連鎖から外れているんだな」
ライオスは、考える。
「そんな君が食べたいと思ったのが、俺でよかった。君を庇うことが出来る」
「肩、痛い?」
「痛い。ナマエは、何故歯が尖っているんだろう? 消化器官があるんだろう?」
「分からないヨ」
やはり、ナマエのことを、骨の髄までしゃぶり尽くすように調べたいと思った。
「なあ、ナマエは、俺を“愛してる”のか?」
「それも、もう分からなくなっちゃった」
ナマエは、しゅんとする。
「好きなヒトを食べようとするなんて、おかしいヨネ。ぼくが、魔物だからカナ」
「おかしいのかな? 俺は、ナマエのことが好きで、食べた」
「……ライオスは、ぼくが魔物だから好きなんだヨネ?」
「うーん。初めは、まあ、そうだった。でも、最近はよく分からなくて。君は、今まで会ったどの魔物とも違うから。自分を食べさせる魔物なんて、いなかったよ」
ライオスは、ナマエの手を取った。
「マルシルやカブルーに言われてたんだが、俺たちの関係は、不健全だった。だから、やり直そう。対等な友達として」
「やだ!」
「え!?」
ナマエの返事に、心底驚くライオス。
「愛してくれなきゃ、やだー!」
「愛してるよ?」
「ぼくの愛してると、ライオスのは違うもん!」
「ち、違う?」
「マルシルとファリンみたいな関係じゃなきゃ、やだ!」
ライオスは、困った。あのふたりみたいな関係というと、恋人同士ということか。
「彼女たちも、最初は友人だったんだよ、ナマエ」
「そうなノ?」
「うん。関係性は、段々と変わっていくものだから」
「ぼく、初めは、ライオスを幸せにしたかった。でも今は、ライオスと幸せになりたいノ」
ナマエから、真っ直ぐな愛情を向けられていることに、ライオスはようやく気付いた。
「それなら、とりあえず、一緒にお茶でもしようか」
「……うん!」
ナマエと手を繋いだまま、庭園まで歩く。
衛兵やら侍従やらに、ぎょっとされるが、ふたりは慣れていた。
そして、お茶会が始まる。
テーブルには、美味しい紅茶と、色とりどりのお菓子。
それから、今はまだ不揃いな、“愛してる”を並べて。
ただ、ヒトのことを知りたかった。
一匹の魔物は、水からこっそりと顔を出し、人間を観察している。
彼は、海洋性テンタクルスの亜種である。緑色の肌の人のような上半身と、触手で出来た下半身を持つ。
その日、やって来たのは、変わった冒険者一行だった。
クラーケンを倒して、それの寄生虫を食べ始める。
その様子を、魔物は見ていた。
金髪の男の嬉しそうな顔が、とても印象的で。そんな風に、自分もヒトを喜ばせてみたいと思う。
「コンニチハ。ハジメマシテ」
だから、水辺まで行き、話しかけてみた。
「うわぁっ!?」
「魔物!?」
「ライオス、なんだコイツは?!」
テンタクルスは、慌てる。
「ぼく、きみたちを攻撃シナイ。敵ジャナイ」
「ライオス、どうする?!」
「これは……人の真似をしてるだけの発声じゃないと思う…………」
「そうそう。ぼく、ヒトのコトバ覚えたの。ヒトのこと知りたくて」
魔物は、笑顔を作った。
「でも、こんな魔物は初めて見るな」
「ぼく、遠くにいた。召喚されて、帰れなくナッタヨ」
「そうか。この迷宮の魔物じゃないのか」
「ぼく、コワイ?」
「かなり理性的だと思う」
「ぼく、リセーテキ」
触手生物は、ニコニコしている。
「俺は、ライオス。君は?」
「ライオス、ナマエ? ぼく、ナイヨ」
「うーん。じゃあ、ナマエと呼んでいいかな?」
「イイヨ。ぼく、ナマエ。ありがとう」
千年以上生きているが、名前を貰えたのは初めてで、嬉しかった。
「ナマエは、俺たちに何か訊きたいことでも?」
「きみたちに、食べてホシイノ」
「え!?」
エルフらしき女が、大声を上げる。
「ヒト、喜ぶ。顔ミタイ」
「喜ばない! 喜ばない!」とエルフ。
ちらりと、ライオスを見ると、興味津々といった様子だった。
「ライオスは、ぼく食べる?」
「たぶん、触手部分なら……」
「亜人系はダメーッ!」
「やめろ、バカ!」
エルフとハーフフットが反対する。
「……ナマエ、君を食べることは出来ない」
ライオスが、残念そうに言った。ナマエは、しゅんとしてしまう。
「ワカッタ。気が変わったら、イッテネ。ぼく、マッテル」
そう言うと、ナマエは水中に潜って行った。
いつか、ライオスが食べてくれるまで生き抜こう。天敵や他の冒険者に殺されないようにしよう。
孤独だったナマエは、生きるよすがを見付けた。
◆◆◆
迷宮に異変が起きた。
「わっ!?」
ナマエは、水流に飲み込まれ、身動きが取れない。
そして、彼は地上に出た。
「ここは……?」
「ナマエ!」
「ライオス! 元気?」
「ああ、まあ。ちょうどよかった! 肉は食えるか? 食べるのを手伝ってほしい」
実のところ、ナマエは水さえあれば平気な種族である。しかし、人を模した部分には、消化器官もあった。
「肉、食べてみたい!」
「じゃあ、一緒に食べよう」
「うん」
ナマエは、ライオスと並んで歩く。彼の触手は、うねうねと動いて器用に地面を進んだ。
「おーい」
「えっ!? ナマエ?!」
「エルフのお嬢さん、コンニチハ」
「彼女は、マルシル。マルシル、ナマエも食べてくれるそうだ」
「え、えー? そうなの? じゃあ、はい。テールスープ。熱いから気を付けて」
「ありがとう、マルシル」
ナマエは、器を受け取り、口元へ運ぶ。テールスープを嚥下する様子を、ライオスとマルシルはじっと見た。
「大丈夫?」
「うん。オイシイネ。ところで、これはナニ?」
「説明してないんかーい!」
ライオスは、マルシルにぽこぽこ叩かれる。
「あ、ああ。妹のファリンがドラゴンと合成されてしまったから、ドラゴン部分を食べる必要があって」
「ドラゴン……? ドラゴン、ハジメテ食べた」
ナマエは、楽しそうだ。好奇心旺盛な彼は、次々とドラゴン料理を食べる。
「ハーフフットのお兄さんと、ドワーフのお兄さんダ」
そんな中、チルチャックやセンシたちも紹介した。
ライオス一行以外からは、ナマエの存在は大層驚かれたが、お祝いの雰囲気でうやむやになっていく。
宴が始まってから、7日目。ライオスたちが、最後の料理を平らげる。
その頃、ナマエは、迷宮の外の海で泳いでいた。
ぼくも、役に立ててヨカッタ。
水中で、踊るように泳ぐナマエ。
その様を、魚の群れだけが見ていた。
ナマエは、召喚されたものである。人のために行動するのは、そのせいなのか? 個体の気質なのか? それは、彼自身にも分からない。
ただ、ナマエが生を謳歌しているのは確かだった。
宴は、ずっと楽しくて。こんな日々が続いてほしいと思った。
海中を浮上し、岸辺に上がる。
そして、ライオスたちのところへ歩いた。
「ファリン、ドウナッタ?」
「ナマエ……まだ意識は戻らない…………」
「そう。シンパイダネ」
両腕と数本の触手を伸ばし、ライオスを抱き締める。
「◼️◼️◼️◼️◼️」
誰にも分からない言語で、ナマエは祈った。
◆◆◆
ファリンが目覚めてから、数日が経つ。
ライオスから、ナマエの話を聞くと、自身も会ってみたいと言う。
そして、ふたりで海へ向かった。
「おーい! ナマエ!」
少しして、ナマエが海上まで来る。
「コンニチハ、ライオス」
「やあ。ほら、妹のファリンだ」
「はじめまして。よろしくね、ナマエ」
「よろしくネ、ファリン」
ふたりと一匹は、なごやかに話した。
「そういえば、ナマエはどうして俺に近付けるんだろう?」
「ぼく?」
「ああ。悪魔の呪いで、魔物に逃げられるようになってしまって」
「ぼく、召喚されたカラ? 術師、生きてるノ」
つまり、無害な召喚獣としてカウントされているらしい。
「そうか。なあ、よかったら、城に住まないか?」
「城の地下、ぼく、シッテル」
「地下?」
「水路あるヨ」
「あ! そうなのか! じゃあ、その水路を自由に使ってくれていいから」
「ありがとう、ライオス。ぼく、遊びにイクヨ」
その後、度々、海に繋がる地下水路からナマエが訪ねて来るようになった。
ライオスは、ナマエの体の隅々まで観察し、独自に研究する。
そんなライオスに、カブルーなどは頭を抱えたが、ナマエがおとなしいので、渋々と王の息抜きを了承した。
ある日、ナマエが水路から顔を出すと、マルシルがいて。どうやら、待ち構えていたようだった。
「ナマエ、こんにちは」
「コンニチハ、マルシル」
「あのさ、ライオスにされて嫌なことない?」
「ナイヨ……?」
それは、無知故のことではないだろうか? ナマエは、魔物である。普通ならデリカシーがないとされる行為に気付けないのかもしれない。
「ライオスに触られるの嫌じゃない?」
「嫌ジャナイヨ」
「で、でもさ…………」
マルシルは、言葉に詰まった。
「マルシルは、ファリンと仲良し?」
「え? うん、そうだよ」
「仲良しは、口をくっ付けるノ?」
「え!? わ、わぁ~!? 見てたの?!」
真っ赤になるマルシル。林檎みたいだと思った。
「……ファリンのことが好きなの。その、恋愛としてもね」
「レンアイ?」
「知らないか。他人に対して特別な好きを持つことだよ」
「特別な好き?」
ナマエは、首をかしげる。そして、あどけない顔で言った。
「ぼくの特別な好きは、ライオスダヨ」
「えーッ!? ダメ! いつか本当に食べられちゃう!」
「イイヨ」
「よくない!」
マルシルの言うことは、ナマエにはよく分からない。
ライオスが食べたいなら、食べればいい。
まあ、ぼく、毒あるんだけどネ。
◆◆◆
ライオスに、文字を教わっている。
「ぼく、字を読めるようにナリタイ」と、ナマエが言ったら、教えると二つ返事で了承された。
「ところで、ナマエはどうやって生殖するんだ?」
「セイショク?」
「子供を産むとか、卵を産むとか、受粉するとか」
「ぼく、卵から産まれたヨ」
「卵生なのか」
ナマエ曰く、キョーダイがいたが、みんな小さいうちに食われてしまったらしい。長生きしてるのは、ナマエだけだそうだ。
「ナマエは、卵を産めるのか?」
「うん。前に教えてモラッタ、シユードウタイ」
ライオスは、「卵をひとつもらいたい」と思ったが、口にしないでおく。この前、マルシルに「ナマエのことを実験動物みたいな扱いをしないように!」と注意をされたからだ。
「ライオスって、好きなヒトいる?」
「それは、まあ。ファリンとかマルシルとか」
「そうじゃなくて。特別な好きの話。恋?」
「恋人はいない。好きな人も、いない。人間のことは、よく分からないな。あんまり人に好かれることもないし」
ヒトなのに、ヒトのことがワカラナイ?
ナマエは、不思議に思った。
「ぼく、ライオス好きだけどナ」
するり、と触手をライオスの腕に巻き付ける。
「ありがとう、ナマエ」
ライオスは、嬉しそうにした。
その笑顔を見て、やっぱり好きだと思うナマエであった。
このやり取りを、こっそりとマルシルの使い魔が見ていたことを、彼らは知らない。
マルシルは、ライオスとナマエは、“噛み合い過ぎる”と危機感を抱いていた。
魔物が好きで、味も知りたいライオス。人間に興味があり、喜んでくれるなら、なんでもしそうなナマエ。
いつか、何かやらかすのではないかと心配している。
この前など、「ナマエの毒は、酢で無効化出来るはず」とかなんとか言っていたし。食べる算段をしているのでは?
マルシルは疑った。
「マルシル? どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そう?」
隣にいるファリンが、眉間に皺を寄せるマルシルを案じている。
「なにかあったら言ってね?」
「うん。ありがとう、ファリン」
自分の手を握る彼女には言えない。あなたの兄が、ナマエを食べるかもしれないなんて。
私がしっかりしないと!
マルシルは、奮起した。
だいたい、ナマエはライオスに恋してるかもしれないのに、食べられたら、ロマンスも何もなくなってしまう。
ナマエの話し方が幼い故に、子供のように思っているマルシル。
実は、ナマエは1020歳なのだが。
◆◆◆
ナマエの“好き”とは、“笑顔が見たい”であった。
「ライオス…………」
「…………」
ライオスは、度重なる外交で疲弊している。座り込んで、ナマエの触手部分を抱き締めていた。
そんな彼を、ナマエは心配している。
「大丈夫? ぼく食べたら元気になる?」
「それは、みんなに怒られる…………」
元気になるのは否定しない辺り、悪食王の面目躍如だ。
「みんな、なんで怒る?」
「ナマエが意志疎通出来るから?」
「イシソツー出来ると、なんでダメなの?」
「倫理的に、だろうな」
ナマエには、“倫理的”は分からない。
「つまり、バレなきゃイイノ?」
「バレ……そうか…………」
はっとするライオス。立ち上がり、ナマエの目を見つめた。
「ナマエ、触手を一本食べてもいいか?」
「イイヨ」
ニコニコ笑うナマエ。
連れ立って、こそこそと厨房へ向かう。
「ちなみに、触手を失うとどうなる?」
「また生えてクルヨ」
安心した。バレないうちに生えるといいが。
厨房に着いた。「カブルーが呼んでる」と嘘をつき、人払いをする。
「その、触手を切るの、痛いんじゃないか?」
「ダイジョブ。我慢する」
包丁を手にしたライオスは、躊躇した。
そして。
「ほらー! やっぱりこうなった!」
「マルシル!?」
息を切らせて、マルシルが飛び込んで来る。
「ふたりのこと、監視してたの」
「カンシ?」
「見張られてたのか……」
ライオスが、片手で額を押さえた。
「あのね、ナマエは、私から言わせれば、ほとんど人間だよ? 食べるとか、絶対にダメだから!」
「はい…………」
「疲れてるのは分かるけど、ナマエに甘えるのも、ほどほどにしてよね」
マルシルは、ナマエは子供みたいなものなんだから、と続ける。
「ぼく、子供じゃナイヨ」
「いや、年齢はともかく、まだ人のことよく知らないから……!」
「そっかー」
ナマエは、肩を落とした。それから、ライオスの手から包丁を奪い、触手を一本切る。
「えーっ!?」と驚くふたり。
「食べないとモッタイナイナー」
ちらっとライオスを見るナマエ。
「マルシル! 酢に漬けないと!」
「え! え~!」
結局、ふたりでバタバタと調理を始めた。
そうして出来たのは、触手の酢漬けとクリーム煮とスープである。
「いただきます」
ライオスは、厨房内のテーブルに並べた料理を食べ始めた。
「さっぱりしてて美味しい!」
悪食王ライオスは、ご満悦だ。
ナマエは、その様子を見て、嬉しくなった。
◆◆◆
触手を食べてもらってから、ナマエは、より一層ライオスを好きになっていた。
「ライオス! 遊びにキタヨ!」
「やあ、ナマエ」
「ぼく、食べる?」
「た、食べないよ…………?」
そして、しょっちゅう自分を食べるか尋ねてくる。
マルシルは、そんな彼らを白い眼で見ていた。
「ナマエ、もっと自分を大切にしなきゃ!」
「シテルヨ?」
「ライオスに食べさせようとしちゃダメ!」
「なんで?」
「倫理的にダメ!」
「リンリテキ……?」
「うう…………」
言葉に詰まるマルシル。どうすれば、ナマエに理解してもらえるだろうか?
「あのね、普通は、自分のことを誰かに食べさせたりしないの」
「そうナノ?」
「うん」
「でも、みんな、ファリン食べてたヨ?」
「あれは、例外!」
ナマエには、やっぱりよく分からなかった。
ライオスとマルシルは、仕事があると言うので、城に滞在していたファリンと遊ぶことにする。
「ナマエ、久し振り」
「コンニチハ、ファリン」
ファリンと共に、海辺を散歩した。
「ファリンは、マルシルのこと食べたくないノ?」
「えっ!?」
目を見開くファリン。
「マルシルが痛い思いをするのは、嫌だな」
「そっか。痛いから、ダメ…………」
「ナマエは、兄さんが好きなの?」
「ライオス、好き!」
「そう。それって、どういう好き?」
ナマエは、首を傾げた。
空は晴れていて、海は凪いでいる。
けれどナマエは、何か、もやもやしたものを感じた。
「好きって、いっぱいアルノ?」
「あるよ。私の兄さんへの好きと、マルシルへの好きは違うの」
「どう違うのノ?」
「兄さんのことは、家族として愛してる。マルシルのことは、特別に好きなんだ」
“他人に対して特別な好きを持つことだよ”
「マルシルとファリンは、同じ“好き”を持ってるんだネ」
「そうだよ」
「ライオスは、ぼくのこと、どう思ってるのカナ?」
「訊いてみたら?」
「うん。ぼくの“好き”は、幸せになってホシイって気持ち」
ファリンは微笑み、「ナマエは、優しいね」と言う。
自分が優しいのかは、分からない。だけど、そうなりたかった。
ナマエは、ライオスの悲しみや苦しみを、全て取り除いてやりたいと考えている。
それは、彼に芽生えた愛だった。小さな芽が、いずれは花開くように、ナマエの想いも変わり行くのかもしれない。
関わった人々から、少しずつ雨粒のような気持ちを受け取り、ナマエは成長していった。
◆◆◆
ライオスに、訊かなくてはならないことがある。
彼の休みの時間まで、ナマエは水路で待っていた。
「ナマエ」
「ライオス!」
待ち人の声が聴こえ、嬉しくて、ぱしゃりと水から出る。
「ぼく、知りたいことがアッテ…………」
「うん?」
「ライオスは、ぼくのこと好き?」
「ナマエのことは、好きだ」
それって?
「どういう好き?」
ナマエは、続けて尋ねた。
「どういう? 魔物はみんな好きだ。ナマエは俺に近付けるし、生態を調べさせてくれるし、話し相手になってくれるから、特別好きかもな」
「特別…………」
何故だろう? 自分の“特別な好き”とライオスのそれは、違う気がする。
「ぼくが、魔物じゃなかったら、ライオスは好きじゃナイノ…………?」
ナマエの声は震えた。
「え?」
「ぼくがヒトだったら、ライオスは…………」
おそらく、歯牙にもかけないだろう。有象無象の人間のひとり。
ナマエは、両の瞳から、ボロボロと涙をこぼした。
「ナマエ?! どこか痛いのか?!」
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
胸の奥が、ずきずきと痛む。その痛みが何なのか、ナマエには分からなかった。
「ぼく、海に戻る……サヨナラ…………」
かろうじて、さよならだけ残して、ナマエは水路に飛び込む。ライオスが何か言っているが、彼には聴こえなかった。
悲しい。でも、何がそんなに悲しいのか?
水中を泳ぎながら、ナマエは考えた。
人間だったなら、ライオスは自分に興味がない? 笑いかけてはくれない?
ナマエが海に戻ると、そこが、とても寂しい場所に思えた。
同じ種族は、この辺りにはいない。孤独だ。
遥か彼方の故郷の海は、どうなっているのだろうか?
「◼️◼️◼️◼️◼️」
帰りたい。そう、人には分からない言語で呟いた。
しかし、ナマエは帰り方を知らない。
たとえ、千年の孤独でさえも、怖くはなかった。時が移ろい、ゆるやかに変わっても、ナマエには恐れはなかった。
召喚され、人のことを知りたくなったあの時までは。
「◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️」
この寂しさは、ライオスに出会ったから感じるのだ。ならば私は、あなたと出会いたくなどなかった。
ナマエの嘆きは、どこにも届かない。
海深くに潜って行く。暗い闇に溶け込むように。
悲しみの海に沈むナマエは、海底に横たわり、上を見やる。
日の光の届かないそこは、ゆりかごのようでも、墓場のようでもあった。
◆◆◆
ナマエは、悲しくて、悲しくて。海を少しだけ増やした。
光のない深海で過ごすうちに、すっかり弱ってしまっている。
薄暗い思考を重ね、そして、あることを思い付いた。
私とあなたを分けているものを、取り払ってしまえばいい。
ナマエは、ゆっくりと浮上し、日の光の眩しさに顔を歪めた。
この目映さが不快なのに、自分の体は光を求めている。
明けない夜の中にいる気分なのに、太陽はナマエを照らした。
「…………」
城の地下水路を目指す。
城内で、最初にナマエを見付けたのは、マルシルだった。
「ナマエ!?」
「久し振りダネ、マルシル」
「ライオスが凄く心配してたんだよ!」
「そう。ライオスが…………ライオスに会いたいナ…………」
マルシルが言うには、庭園でお茶をしているらしい。
ナマエは、静かにマルシルの後について行った。
「ライオス! チルチャック! センシ! ナマエが来たよ!」
「ナマエ!?」
ライオスが、椅子から立ち上がる。
ナマエは、自分に近付いて来た彼を、触手で縛り上げ、引き倒す。
「えっ…………」
呆気にとられるライオス。目の前の光景が信じられないマルシル。
動いたのは、“魔物”という言葉を思い出したチルチャックとセンシ。
だが、距離があるため、ナマエの方が早かった。
「動くナ! ニンゲン!」
「ど、どうしたんだ? ナマエ……」
「動いたら、手足を折る!」
ぴたりと、皆が動きを止める。
「ぼくは、ニンゲンなんて好きになるべきじゃなかった」
「おい、ライオスを放せ」
チルチャックを無視して、ナマエは続けた。
「◼️◼️◼️◼️◼️ライオス◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️!」
私が、ライオスのことを愛したのは、間違いだった!
ナマエの言葉は、恐ろしい魔物の鳴き声として響く。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️!」
私を止めたければ、太陽を落とせ!
魔物は、ライオスの肩に尖った歯を突き立てた。
「ぐッ!」
この人間を、食べてしまえばいいと。自分の中に取り込んでしまえばいいと。魔物は、肉を噛んだ。
「アイシテタノニ…………」
「ナマエ、俺は君のことを……」
私の名を呼ぶな。私に名などない。
魔物の思考は、ぐちゃぐちゃになる。
「……泣かないでくれ」
ライオスの声。それを聴いて、初めて自分が涙を流していることに気付いた。
「ぼく……どうしたらいいか、分からないノ…………ライオスを食べたいのに、食べたら、もう話せなくなっちゃう…………」
ナマエは、触手からライオスを解放する。
「◼️◼️◼️◼️◼️」
殺しなさい。
ライオスの目を見つめて、ナマエは言った。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️」
私が、あなたを殺す前に。
「ナマエ。俺は、君を殺さない」
「ライオス……?」
マルシルが、緊張した面持ちで尋ねる。
「……ナマエの言葉が分かるの?」
「その、少しは……ナマエは、たまに言葉を教えてくれたから…………」
ライオスは、肩を押さえながら、ナマエに近付いた。
「ナマエ、◼️◼️◼️◼️◼️」
◆◆◆
始末した方がいいと言われた。
王に牙を剥いた魔物なのだから、それは当然である。
「俺は、彼に生きていてほしい」
そう言うと、反論された。
しかし、「食べたのは、お互い様なんだ。先に彼を食べたのは、俺だし」と言えば、「ああ、悪食王だから、仕方ないか」みたいな雰囲気になる。
話し合いを終わらせて、地下へ向かうライオス。
水路の縁に、ナマエが座っていた。
「ライオス、ぼく…………」
「大丈夫だ。君は俺の友達だから、今までと同じように過ごしてくれ」
「ごめんね。ありがとう」
ナマエの隣に座るライオス。
「ナマエ。その、訊きたいことがあるんだが」
「なに?」
「俺を食べてみて、どうだった?」
「……ライオスって、変なヒト」
「よく言われるよ」
ナマエは、くすりと笑った。
「味はね、覚えてないノ。ただ、命を奪うってカンタンだと思ったヨ。ぼくは、何も殺さないで生きられるから、怖かった」
「そうか。ナマエは、日光と水があれば生きられる種族だから。食物連鎖から外れているんだな」
ライオスは、考える。
「そんな君が食べたいと思ったのが、俺でよかった。君を庇うことが出来る」
「肩、痛い?」
「痛い。ナマエは、何故歯が尖っているんだろう? 消化器官があるんだろう?」
「分からないヨ」
やはり、ナマエのことを、骨の髄までしゃぶり尽くすように調べたいと思った。
「なあ、ナマエは、俺を“愛してる”のか?」
「それも、もう分からなくなっちゃった」
ナマエは、しゅんとする。
「好きなヒトを食べようとするなんて、おかしいヨネ。ぼくが、魔物だからカナ」
「おかしいのかな? 俺は、ナマエのことが好きで、食べた」
「……ライオスは、ぼくが魔物だから好きなんだヨネ?」
「うーん。初めは、まあ、そうだった。でも、最近はよく分からなくて。君は、今まで会ったどの魔物とも違うから。自分を食べさせる魔物なんて、いなかったよ」
ライオスは、ナマエの手を取った。
「マルシルやカブルーに言われてたんだが、俺たちの関係は、不健全だった。だから、やり直そう。対等な友達として」
「やだ!」
「え!?」
ナマエの返事に、心底驚くライオス。
「愛してくれなきゃ、やだー!」
「愛してるよ?」
「ぼくの愛してると、ライオスのは違うもん!」
「ち、違う?」
「マルシルとファリンみたいな関係じゃなきゃ、やだ!」
ライオスは、困った。あのふたりみたいな関係というと、恋人同士ということか。
「彼女たちも、最初は友人だったんだよ、ナマエ」
「そうなノ?」
「うん。関係性は、段々と変わっていくものだから」
「ぼく、初めは、ライオスを幸せにしたかった。でも今は、ライオスと幸せになりたいノ」
ナマエから、真っ直ぐな愛情を向けられていることに、ライオスはようやく気付いた。
「それなら、とりあえず、一緒にお茶でもしようか」
「……うん!」
ナマエと手を繋いだまま、庭園まで歩く。
衛兵やら侍従やらに、ぎょっとされるが、ふたりは慣れていた。
そして、お茶会が始まる。
テーブルには、美味しい紅茶と、色とりどりのお菓子。
それから、今はまだ不揃いな、“愛してる”を並べて。