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自分の中に、どうしようもない衝動がある。
「アキラくん」
「なんですか? ミョウジ先生」
「先生はやめてよ」
「あ、はい。そうでしたね」
アキラくんは、すいませんと頭を下げた。
僕みたいのは、“先生”って呼ばれると自分が偉くなったような気がしてしまうんだよ。だから嫌なんだ。
「それで、俺に何か用ですか?」
「うん。僕は、定期的に糖分を摂らないといけないんだけど、飴か何か持ってない? このままだとマズいかも……」
「えっ!? え、と、ちょっと待ってください!」
慌てるアキラくんを見て、僕は薄く笑う。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。頭脳労働だから、ブドウ糖タブレットを常備してる」
すっと小さな容器を取り出して見せた。
「驚かせないでくださいよ……!」
「いやぁ、我ながら申し訳ないと思ってるよ」
「ミョウジさんって、いつもそうですよね。そんな感じで大丈夫なんですか? 友達とかいます?」
「いないよ」
「え、すいません」
「嘘だよ。いるよ、友人のひとりやふたりくらい」
クスクス笑いながら、答える。
ああ、面白い。
「それじゃ、僕は仕事に戻るよ」
アキラくんに背を向け、ひらひらと片手を振りながら自分のデスクへ向かった。
そして。デスクに突っ伏した。
「はぁ~」
大きな溜め息をつく。
まただ。また、やってしまった。
僕には、好きな子を、ついからかってしまう悪癖がある。
このままでは、いつか本当に嫌われるかもしれない。
別に、片想いのままでもいいから、せめて嫌われたくないのに。
「好きなだけなんだけどなぁ……」
ひとり、小さく呟いた言葉は、こんなにも単純で。嘘がない。
その後は、一通り仕事をこなし、昼休憩に入った。
「あ、ミョウジさん」
「やあ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
アキラくんは、こんな僕にまだ話しかけてくれるのか。
「これ、よかったら、どうぞ」
「え……?」
アキラくんが差し出した手のひらの上には、個包装された飴がいくつか乗っていた。
「……ありがとう、アキラくん」
「どういたしまして」
「君は、善い人だなぁ。心配になるよ」
僕は今、困り笑いみたいな顔をしているだろう。
「ミョウジさんが甘いもの好きなのは、前に聞きましたから」
「覚えててくれて嬉しいな」
「ところで、質問なんですけど」
「うん?」
「どうして、白衣を着ないんですか?」
「これが、僕の白衣だよ」と、着ている白いチャイナ服に手をやった。
「ミョウジさん、秘密が多いですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
「たとえば、僕がアキラくんを好きなこととか?」
「え?」
僕は、彼の驚いた様子を見て、ニッと笑う。
「あははっ! 君は本当に可愛いな!」
アキラくんは、僕の言葉の真偽を考えているようだ。
今のは、僕に騙されて可愛いって意味じゃないんだよ?
◆◆◆
波間を揺蕩うように生きてきた。
僕に遊泳能力はなく、ただ水流に身を任せているだけ。クラゲみたいに。
「ナマエ、お父さんに恥じない立派な大人になりなさい」
「はい」
僕が幼い頃に死んだ父は、医者だった。
母は、僕を一流にしようと厳しく教育し、それが愛情なんだと思っていた。
期待に応えたかったけれど、僕には出来なくて。
「薬剤師、ですか?」
「はい」
「そんなものは、医師になれなかった敗者がなる職業です」
「そんなことは、ありませんよ……薬学は未来のためのものです……」
「言い訳だけは立派ですこと」
「…………」
18歳の頃。僕は、母と訣別した。
その後は、なんとかひとり暮らしをしながら、薬学部で学ぶ日々を送る。
当時、僕を買ってくれた教授は、痂氷に関する研究をしている人だった。
その人に師事し、僕は無事に薬剤師になり、今に至る。
この場所で、僕は君に出会った。
「はじめまして、ミョウジナマエです」
「よろしくお願いします、ミョウジ先生」
アキラくんに、「先生」と呼ばれた時、僕は心臓が冷たくなるような心地がしたのである。
まるで、僕が立派な人間みたい。
そう思われたかった? だから、薬剤師になった?
結局、母の呪いからは逃れられずに、自分の夢を描くことすら出来なかった?
「どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
その時は、冷えた心臓を押さえながら、なんともないように振る舞った。
アキラくんと別れ、仕事場に戻った僕は、無心で調剤をする。
ドナーが必要とするのは、痂氷とは直接的には関係ないものもあった。
ドナーたちが抱えている、数々の障害。気分障害、睡眠障害、摂食障害など。それらの薬を用意するのも、僕の役割である。
医師の診断を元に、飲み合わせが問題ないか? 体質に合うものか? とダブルチェックをする。
「はぁ……」
片手で、こめかみを押さえた。
先ほどのことを思い出す。
“ミョウジ先生”
ああ、嫌だ。僕は、“先生”じゃない。
休憩時間。飲食出来るスペースへ向かう。
コーヒーを一杯飲み、椅子にもたれた。
「ミョウジ先生、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様……」
アキラくん。そんな風に呼ばなくていいよ。
「顔色悪いですよ?」
「頭の使い過ぎだよ。甘いものを食べれば治る」
「甘いもの、好きなんですか?」
「うん」
白衣のポケットから、小さなチョコレートを取り出し、口に放り込む。
「やめようかな……」
それは、こぼれてしまった言葉だった。
「やめる?」
「薬剤師、やめようかな」
「……なんでですか?」
心配そうな様子のアキラくん。
「ごめん、嘘だよ」
僕は、溢れた言葉を無理矢理嘘にした。
「よかった。ミョウジ先生がいなくなったら、みんな困りますから」
「そうだね」
「あ、でも、本当にやめたいなら止めませんよ? しんどいこともあるでしょうし」
「……そう」
優しいね。
そう思ったところで、「止めてくれよ」と考えている自分もいた。
僕に、止めてもらえる価値があるのか?
「やっぱり、やめるかぁ」
アキラくんは、何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じる。
「決めた。白衣を着るのやめるよ」
「はい?」
僕は、翌日から、白衣の代わりに白色のチャイナ服を着るようになった。
「ミョウジ先生、どうしたんですか?!」と、アキラくんには驚かれる。
「似合ってる?」
側面や背面も見せながら問う。
「あ、はい。似合ってますね」
「ふふ。君がそう言うなら、そうなんだろう」
君は、正直な人だから。
アキラくんのおかげで、ここの水は、僕の居場所のような気がした。
僕が、彼に「先生」と呼ばないでほしいと言えるのは、数年後のことである。
◆◆◆
まあ、当然と言えば当然なのだけれど、僕の冗談めかした告白の真意は伝わらなかった。
「ミョウジさんが俺に好意的なのは分かってますよ」
「あは。それは、よかった」
「だって、俺のこと見付けると必ず話しかけてくるじゃないですか」
「あー、そうだね」
恥ずかしい!
表情を変えないように気を付けながら、会話を続ける。
「アキラくんは、僕とは全然違うから。興味深くてね」
「なるほど?」
「君は、嘘をつくの苦手だろう?」
「そう、ですね」
僕は、得意だ。ずっと仮面を被って生きてきたから。
「ミョウジさん、そろそろ、お昼食べないと」
「ああ、そうだね。じゃあ、またね」
「はい、また」
食事を摂りに向かうと、そこには麻生先生がいた。
「おや、珍しい。麻生先生がまともな食事をしているなんて」
「ミョウジ」
「はは、いいことだ。君に倒れられたら大変だからね」
「そうだな……」
僕は、昼食を取りに行き、麻生先生の対面に座る。
「麻生先生、プライベートな時間あります?」
「それなりに」
ほとんどないな、これは。
「ミョウジは、相変わらずなのか?」
「相変わらずと言うと?」
「アキラのことが好きなんだろう?」
「……あはは。バレてる?」
麻生先生は、ふぅ、と息を吐いてから、「本人以外にはね」と答えた。
「ミョウジがからかうのは、アキラだけだ。察しがつく」
「そうかぁ」
別に、アキラくんに気付かれてないなら、それでいい。という気持ちと、少しくらい気付いてくれ。という気持ちがない交ぜになる。
「どうして、アキラなんだ?」
「彼の善性に焼かれたのさ」
「見る目があるな」と、麻生先生は少し表情をやわらげた。
「だが、ミョウジが今のままだと、その恋は成就しないぞ」
「うーん。そうだね。恋する女性は可愛いくなるけど、男はダサくなるんだよねぇ」
「一般化するな。俺は、ミョウジの話をしているんだ」
「はいはい、善処しますよ」
僕は、わざとらしく不服な顔をして返事をする。
「全く……またな、ミョウジ」
「はーい。またね」
食事を終えた麻生先生は、去って行く。
「…………」
ひとり、サラダパスタを食べながら考えた。
世界は、僕に都合よく変わることはない。
僕が変わらなければ、きっと何も変わらない。
でも、クラゲが陸を歩けるようになることもない。
これは、言い訳だな。
「ごちそうさま……」
食器を乗せたトレイを片付け、デスクに戻る。
午後は、激務だった。
カフェイン錠を飲み、ブドウ糖タブレットを噛み砕き、ひとつひとつ仕事をこなしていく。
仕事が終わった後。重い足取りで、ふらつきながら廊下に出た。休憩スペースへ向かう。
「あ…………」
倒れる。そう思った瞬間。
「ミョウジさん!?」
「アキラくん…………」
彼の片腕に抱き止められ、僕は転倒せずに済んだ。
「大丈夫ですか?!」
「ああ、うん。大丈夫。少し休めば……」
「休憩スペースですね? 付き添います」
「ありがとう、アキラくん」
アキラくんに支えられながら、僕は休憩スペースの椅子に辿り着く。
「コーヒー、持って来ます」
「うん…………」
僕は、どこか現実感がない中、彼の背中を見ていた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
コーヒーを飲むと、砂糖とミルクが入っているのが分かる。そんなところまで把握してくれているのか。
「アキラくん」
「はい」
「……ありがとう、本当に」
「どういたしまして」
コーヒーと一緒に、「好き」という言葉を飲み込んだ。
顔が赤いのは、疲労のせいだと思ってくれるといいのだけれど。
◆◆◆
それは事故だった。
「ご、ごめんなさい! ミョウジ先生!」
「あー。大丈夫、大丈夫」
同僚が躓き、皮膚感覚を過敏にする液体を頭から被ったので、大丈夫なはずないが。
「僕は、着替えに行くよ。で、効果が切れるまで休む」
「はい! 本当に申し訳ありません!」
仕事場を出て、自室のある別棟へ向かう途中。
「ミョウジさん」
「やあ、アキラくん」
よりによって君か。
「びしょ濡れじゃないですか。どうしたんです?」
「ちょっと事故で水を被ってね」
肌が服で擦れるだけで、下腹部がぞくぞくする。
「大変ですね。顔が赤いですけど、風邪ですかね……?」
「あっ…………」
アキラくんが、僕の額に手で触れた。
「……ッ!?」
「ミョウジさん?」
「あ、ごめん……だいじょぶ、だから……」
マズい。マズい! マズいっ!
顔が真っ赤に染まっていくのを感じる。
呼吸が乱れ、心臓が高鳴っている。
「全然大丈夫そうじゃないですよ?!」
「は、あ……いや、ほんとに、へいき……」
もっと触ってほしい。
いや、早く離れないと。
「僕、ほら、着替えないといけないから……」
「時間ありますから、手伝いますよ」
「や、いや、いいよ」
「ミョウジさん」
「ひゃっ!?」
アキラくんの手が、僕の手を掴んだ。
「行きましょう」
「あ……」
手を引いて、歩みを進めるアキラくん。
僕には、その手を振りほどけない。
力で敵わないのもそうだけれど、意思が弱くなっているみたいだ。
そのまま、僕たちは歩き続ける。
「着きましたよ」
「う、うん」
カードキーでロックを解除し、中に入ると、「お邪魔します」とアキラくんも来た。
「アキラくん、もう戻っていいよ。シャワー浴びて、着替えるだけだから」
「ここで待ってます。ミョウジさんが倒れたら嫌ですから」
「そう……あ、そこ座ってて……」と、僕はひとりがけのソファーを指す。
どうしよう?
洗い流しても、皮膚から吸収された薬は残る。効果が切れるのは、一時間後くらい。
とりあえず、シャワーと着替えを済ませることにした。
「ふっ……あっ…………」
水滴が肌を伝うのも、布が擦れるのも、快感になって襲ってくる。
なんとか、ゆったりとしたチャイナ服に着替え、バスルームから出た。
アキラくんは、本当に僕を待っている。
彼に近付くと、こちらを見てほっとした様子を見せた。
「ミョウジさん、だ————」
「今すぐ君を抱きたい」
ソファーに座るアキラくんの脚の間に片膝を入れ、首に両腕を回して、耳元で囁く。
「へ?」
「ごめん、急に。でも、我慢出来なくて……」
こうして抱き着いているだけでも、どんどん理性が溶けていっている。
「僕は、アキラくんのことが好きなんだ」
「ミョウジさんが、俺のことを好き? それは、前みたいなことじゃなく?」
「ずっと前から……好きだったよ…………」
言えなかったこと。言わないでいたこと。
僕は、とうとうそれを告げてしまった。
「好きだよ、好き……大好き…………」
「ミョウジさん……」
アキラくんの両腕が、僕の背中に回される。
「ひっ……」
「泣かないでください」
いつの間にか、彼の首筋に涙を落としていた。
「こんな、こんなはずじゃなかったんだ……僕は……」
「大丈夫ですよ」
頭の中に響く優しい声。
「ミョウジさんは、嘘つきだから。でも、今日は、本当のことを話してくれたんですね」
「ごめんね……」
「どうして謝るんですか?」
「君には、迷惑をかけてばかりだ」
「迷惑だなんて思ってないですよ」
「ありがとう……」
僕は、人を、自分を、好きになってもよかったんだ。
愛してるから、どうか僕の側にいて。
◆◆◆
薬が切れるまで、僕はアキラくんと抱き合っていた。
「……恥だ」
座っているアキラくんから少し離れて、僕は呟くように言う。
「ミョウジさん?」
「恥ずかしい! 30にもなって、みっともなく泣いて告白して……!」
僕は、両手で顔を覆った。
「待ってください。ミョウジさん、30歳なんですか?! 麻生先生より歳上!?」
「そうだよ……! 麻生先生に知られたら笑われるよ……!」
「いや、誰にも言いませんから!」
「いいや、君は言うね。ぽろっと言ってしまうね。僕には分かる」
そう言うと、アキラくんは、すっと立ち上がり、僕の手を握る。
「ズルいですよ、ミョウジさんばっかり。俺のこと分かってて。俺にも、ミョウジさんのこと教えてくださいよ」
「……君だって、僕のこと分かってるじゃないか。嘘つきとか、甘いものが好きとか」
「そういう表面的なことじゃなくて。もっとミョウジさんのことを知りたいです」
「……それって、告白の返事?」
「はい。まずは、知りたいんです」
僕は、一度、口を引き結んだ。
「本当はね、アキラくんに話したいことがたくさんあるんだ。僕が辿って来た道の話とか、何を考えているのかとか」
「聞かせてください」
「これから、少しずつ話すよ。約束する」
「はい」
アキラくんは、優しく笑っている。
「僕は、ずっと君の人の好さに甘えていたんだ。自分の気持ちなんて、全部冗談にしてしまえばいいって。何度も君をからかって。馬鹿みたいだよね。それに、君には謝らないといけないね。ごめん…………」
頭を下げると、アキラくんは、慌てて言う。
「いいんですよ、そんなに謝らなくても。俺は、平気ですから」
「いや、僕が悪かった。そりゃあ、君は優しいから赦してくれるだろう。でも、僕はそうは出来ないよ。償えるなら、償いたい」
「えーと、それじゃあ、今度からお昼一緒してください」
「それ、全然罰になってないよ!?」
「あはは」
ぐっ。可愛い。ズルい。
「ミョウジさんの照れた顔、新鮮だなぁ。可愛いですね」
「可愛いくない……」
僕は、片手で額を押さえた。
そして、溜め息をついてから、深呼吸する。
「厚かましいのだけれど、ひとつだけ、お願いしてもいいかな?」と、遠慮がちに口を開いた。
「なんですか?」
「……名前で呼んでほしい」
「はい。ナマエさん」
「ありがとう。大好きだよ」
いいのかな? いいんだろうな。
こんなに幸せでも。
僕は、君が大切で、自分が大切で。
それで、いや、それがよかったのだろう。
アキラくんがいるなら、きっと僕も真っ直ぐになれるはず。
僕の“好き”は、ようやく表に出せるようになった。
これからは、本当のことを君に話すよ。
「アキラくん」
「なんですか? ミョウジ先生」
「先生はやめてよ」
「あ、はい。そうでしたね」
アキラくんは、すいませんと頭を下げた。
僕みたいのは、“先生”って呼ばれると自分が偉くなったような気がしてしまうんだよ。だから嫌なんだ。
「それで、俺に何か用ですか?」
「うん。僕は、定期的に糖分を摂らないといけないんだけど、飴か何か持ってない? このままだとマズいかも……」
「えっ!? え、と、ちょっと待ってください!」
慌てるアキラくんを見て、僕は薄く笑う。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。頭脳労働だから、ブドウ糖タブレットを常備してる」
すっと小さな容器を取り出して見せた。
「驚かせないでくださいよ……!」
「いやぁ、我ながら申し訳ないと思ってるよ」
「ミョウジさんって、いつもそうですよね。そんな感じで大丈夫なんですか? 友達とかいます?」
「いないよ」
「え、すいません」
「嘘だよ。いるよ、友人のひとりやふたりくらい」
クスクス笑いながら、答える。
ああ、面白い。
「それじゃ、僕は仕事に戻るよ」
アキラくんに背を向け、ひらひらと片手を振りながら自分のデスクへ向かった。
そして。デスクに突っ伏した。
「はぁ~」
大きな溜め息をつく。
まただ。また、やってしまった。
僕には、好きな子を、ついからかってしまう悪癖がある。
このままでは、いつか本当に嫌われるかもしれない。
別に、片想いのままでもいいから、せめて嫌われたくないのに。
「好きなだけなんだけどなぁ……」
ひとり、小さく呟いた言葉は、こんなにも単純で。嘘がない。
その後は、一通り仕事をこなし、昼休憩に入った。
「あ、ミョウジさん」
「やあ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
アキラくんは、こんな僕にまだ話しかけてくれるのか。
「これ、よかったら、どうぞ」
「え……?」
アキラくんが差し出した手のひらの上には、個包装された飴がいくつか乗っていた。
「……ありがとう、アキラくん」
「どういたしまして」
「君は、善い人だなぁ。心配になるよ」
僕は今、困り笑いみたいな顔をしているだろう。
「ミョウジさんが甘いもの好きなのは、前に聞きましたから」
「覚えててくれて嬉しいな」
「ところで、質問なんですけど」
「うん?」
「どうして、白衣を着ないんですか?」
「これが、僕の白衣だよ」と、着ている白いチャイナ服に手をやった。
「ミョウジさん、秘密が多いですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
「たとえば、僕がアキラくんを好きなこととか?」
「え?」
僕は、彼の驚いた様子を見て、ニッと笑う。
「あははっ! 君は本当に可愛いな!」
アキラくんは、僕の言葉の真偽を考えているようだ。
今のは、僕に騙されて可愛いって意味じゃないんだよ?
◆◆◆
波間を揺蕩うように生きてきた。
僕に遊泳能力はなく、ただ水流に身を任せているだけ。クラゲみたいに。
「ナマエ、お父さんに恥じない立派な大人になりなさい」
「はい」
僕が幼い頃に死んだ父は、医者だった。
母は、僕を一流にしようと厳しく教育し、それが愛情なんだと思っていた。
期待に応えたかったけれど、僕には出来なくて。
「薬剤師、ですか?」
「はい」
「そんなものは、医師になれなかった敗者がなる職業です」
「そんなことは、ありませんよ……薬学は未来のためのものです……」
「言い訳だけは立派ですこと」
「…………」
18歳の頃。僕は、母と訣別した。
その後は、なんとかひとり暮らしをしながら、薬学部で学ぶ日々を送る。
当時、僕を買ってくれた教授は、痂氷に関する研究をしている人だった。
その人に師事し、僕は無事に薬剤師になり、今に至る。
この場所で、僕は君に出会った。
「はじめまして、ミョウジナマエです」
「よろしくお願いします、ミョウジ先生」
アキラくんに、「先生」と呼ばれた時、僕は心臓が冷たくなるような心地がしたのである。
まるで、僕が立派な人間みたい。
そう思われたかった? だから、薬剤師になった?
結局、母の呪いからは逃れられずに、自分の夢を描くことすら出来なかった?
「どうかしました?」
「いや、なんでもないよ」
その時は、冷えた心臓を押さえながら、なんともないように振る舞った。
アキラくんと別れ、仕事場に戻った僕は、無心で調剤をする。
ドナーが必要とするのは、痂氷とは直接的には関係ないものもあった。
ドナーたちが抱えている、数々の障害。気分障害、睡眠障害、摂食障害など。それらの薬を用意するのも、僕の役割である。
医師の診断を元に、飲み合わせが問題ないか? 体質に合うものか? とダブルチェックをする。
「はぁ……」
片手で、こめかみを押さえた。
先ほどのことを思い出す。
“ミョウジ先生”
ああ、嫌だ。僕は、“先生”じゃない。
休憩時間。飲食出来るスペースへ向かう。
コーヒーを一杯飲み、椅子にもたれた。
「ミョウジ先生、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様……」
アキラくん。そんな風に呼ばなくていいよ。
「顔色悪いですよ?」
「頭の使い過ぎだよ。甘いものを食べれば治る」
「甘いもの、好きなんですか?」
「うん」
白衣のポケットから、小さなチョコレートを取り出し、口に放り込む。
「やめようかな……」
それは、こぼれてしまった言葉だった。
「やめる?」
「薬剤師、やめようかな」
「……なんでですか?」
心配そうな様子のアキラくん。
「ごめん、嘘だよ」
僕は、溢れた言葉を無理矢理嘘にした。
「よかった。ミョウジ先生がいなくなったら、みんな困りますから」
「そうだね」
「あ、でも、本当にやめたいなら止めませんよ? しんどいこともあるでしょうし」
「……そう」
優しいね。
そう思ったところで、「止めてくれよ」と考えている自分もいた。
僕に、止めてもらえる価値があるのか?
「やっぱり、やめるかぁ」
アキラくんは、何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じる。
「決めた。白衣を着るのやめるよ」
「はい?」
僕は、翌日から、白衣の代わりに白色のチャイナ服を着るようになった。
「ミョウジ先生、どうしたんですか?!」と、アキラくんには驚かれる。
「似合ってる?」
側面や背面も見せながら問う。
「あ、はい。似合ってますね」
「ふふ。君がそう言うなら、そうなんだろう」
君は、正直な人だから。
アキラくんのおかげで、ここの水は、僕の居場所のような気がした。
僕が、彼に「先生」と呼ばないでほしいと言えるのは、数年後のことである。
◆◆◆
まあ、当然と言えば当然なのだけれど、僕の冗談めかした告白の真意は伝わらなかった。
「ミョウジさんが俺に好意的なのは分かってますよ」
「あは。それは、よかった」
「だって、俺のこと見付けると必ず話しかけてくるじゃないですか」
「あー、そうだね」
恥ずかしい!
表情を変えないように気を付けながら、会話を続ける。
「アキラくんは、僕とは全然違うから。興味深くてね」
「なるほど?」
「君は、嘘をつくの苦手だろう?」
「そう、ですね」
僕は、得意だ。ずっと仮面を被って生きてきたから。
「ミョウジさん、そろそろ、お昼食べないと」
「ああ、そうだね。じゃあ、またね」
「はい、また」
食事を摂りに向かうと、そこには麻生先生がいた。
「おや、珍しい。麻生先生がまともな食事をしているなんて」
「ミョウジ」
「はは、いいことだ。君に倒れられたら大変だからね」
「そうだな……」
僕は、昼食を取りに行き、麻生先生の対面に座る。
「麻生先生、プライベートな時間あります?」
「それなりに」
ほとんどないな、これは。
「ミョウジは、相変わらずなのか?」
「相変わらずと言うと?」
「アキラのことが好きなんだろう?」
「……あはは。バレてる?」
麻生先生は、ふぅ、と息を吐いてから、「本人以外にはね」と答えた。
「ミョウジがからかうのは、アキラだけだ。察しがつく」
「そうかぁ」
別に、アキラくんに気付かれてないなら、それでいい。という気持ちと、少しくらい気付いてくれ。という気持ちがない交ぜになる。
「どうして、アキラなんだ?」
「彼の善性に焼かれたのさ」
「見る目があるな」と、麻生先生は少し表情をやわらげた。
「だが、ミョウジが今のままだと、その恋は成就しないぞ」
「うーん。そうだね。恋する女性は可愛いくなるけど、男はダサくなるんだよねぇ」
「一般化するな。俺は、ミョウジの話をしているんだ」
「はいはい、善処しますよ」
僕は、わざとらしく不服な顔をして返事をする。
「全く……またな、ミョウジ」
「はーい。またね」
食事を終えた麻生先生は、去って行く。
「…………」
ひとり、サラダパスタを食べながら考えた。
世界は、僕に都合よく変わることはない。
僕が変わらなければ、きっと何も変わらない。
でも、クラゲが陸を歩けるようになることもない。
これは、言い訳だな。
「ごちそうさま……」
食器を乗せたトレイを片付け、デスクに戻る。
午後は、激務だった。
カフェイン錠を飲み、ブドウ糖タブレットを噛み砕き、ひとつひとつ仕事をこなしていく。
仕事が終わった後。重い足取りで、ふらつきながら廊下に出た。休憩スペースへ向かう。
「あ…………」
倒れる。そう思った瞬間。
「ミョウジさん!?」
「アキラくん…………」
彼の片腕に抱き止められ、僕は転倒せずに済んだ。
「大丈夫ですか?!」
「ああ、うん。大丈夫。少し休めば……」
「休憩スペースですね? 付き添います」
「ありがとう、アキラくん」
アキラくんに支えられながら、僕は休憩スペースの椅子に辿り着く。
「コーヒー、持って来ます」
「うん…………」
僕は、どこか現実感がない中、彼の背中を見ていた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
コーヒーを飲むと、砂糖とミルクが入っているのが分かる。そんなところまで把握してくれているのか。
「アキラくん」
「はい」
「……ありがとう、本当に」
「どういたしまして」
コーヒーと一緒に、「好き」という言葉を飲み込んだ。
顔が赤いのは、疲労のせいだと思ってくれるといいのだけれど。
◆◆◆
それは事故だった。
「ご、ごめんなさい! ミョウジ先生!」
「あー。大丈夫、大丈夫」
同僚が躓き、皮膚感覚を過敏にする液体を頭から被ったので、大丈夫なはずないが。
「僕は、着替えに行くよ。で、効果が切れるまで休む」
「はい! 本当に申し訳ありません!」
仕事場を出て、自室のある別棟へ向かう途中。
「ミョウジさん」
「やあ、アキラくん」
よりによって君か。
「びしょ濡れじゃないですか。どうしたんです?」
「ちょっと事故で水を被ってね」
肌が服で擦れるだけで、下腹部がぞくぞくする。
「大変ですね。顔が赤いですけど、風邪ですかね……?」
「あっ…………」
アキラくんが、僕の額に手で触れた。
「……ッ!?」
「ミョウジさん?」
「あ、ごめん……だいじょぶ、だから……」
マズい。マズい! マズいっ!
顔が真っ赤に染まっていくのを感じる。
呼吸が乱れ、心臓が高鳴っている。
「全然大丈夫そうじゃないですよ?!」
「は、あ……いや、ほんとに、へいき……」
もっと触ってほしい。
いや、早く離れないと。
「僕、ほら、着替えないといけないから……」
「時間ありますから、手伝いますよ」
「や、いや、いいよ」
「ミョウジさん」
「ひゃっ!?」
アキラくんの手が、僕の手を掴んだ。
「行きましょう」
「あ……」
手を引いて、歩みを進めるアキラくん。
僕には、その手を振りほどけない。
力で敵わないのもそうだけれど、意思が弱くなっているみたいだ。
そのまま、僕たちは歩き続ける。
「着きましたよ」
「う、うん」
カードキーでロックを解除し、中に入ると、「お邪魔します」とアキラくんも来た。
「アキラくん、もう戻っていいよ。シャワー浴びて、着替えるだけだから」
「ここで待ってます。ミョウジさんが倒れたら嫌ですから」
「そう……あ、そこ座ってて……」と、僕はひとりがけのソファーを指す。
どうしよう?
洗い流しても、皮膚から吸収された薬は残る。効果が切れるのは、一時間後くらい。
とりあえず、シャワーと着替えを済ませることにした。
「ふっ……あっ…………」
水滴が肌を伝うのも、布が擦れるのも、快感になって襲ってくる。
なんとか、ゆったりとしたチャイナ服に着替え、バスルームから出た。
アキラくんは、本当に僕を待っている。
彼に近付くと、こちらを見てほっとした様子を見せた。
「ミョウジさん、だ————」
「今すぐ君を抱きたい」
ソファーに座るアキラくんの脚の間に片膝を入れ、首に両腕を回して、耳元で囁く。
「へ?」
「ごめん、急に。でも、我慢出来なくて……」
こうして抱き着いているだけでも、どんどん理性が溶けていっている。
「僕は、アキラくんのことが好きなんだ」
「ミョウジさんが、俺のことを好き? それは、前みたいなことじゃなく?」
「ずっと前から……好きだったよ…………」
言えなかったこと。言わないでいたこと。
僕は、とうとうそれを告げてしまった。
「好きだよ、好き……大好き…………」
「ミョウジさん……」
アキラくんの両腕が、僕の背中に回される。
「ひっ……」
「泣かないでください」
いつの間にか、彼の首筋に涙を落としていた。
「こんな、こんなはずじゃなかったんだ……僕は……」
「大丈夫ですよ」
頭の中に響く優しい声。
「ミョウジさんは、嘘つきだから。でも、今日は、本当のことを話してくれたんですね」
「ごめんね……」
「どうして謝るんですか?」
「君には、迷惑をかけてばかりだ」
「迷惑だなんて思ってないですよ」
「ありがとう……」
僕は、人を、自分を、好きになってもよかったんだ。
愛してるから、どうか僕の側にいて。
◆◆◆
薬が切れるまで、僕はアキラくんと抱き合っていた。
「……恥だ」
座っているアキラくんから少し離れて、僕は呟くように言う。
「ミョウジさん?」
「恥ずかしい! 30にもなって、みっともなく泣いて告白して……!」
僕は、両手で顔を覆った。
「待ってください。ミョウジさん、30歳なんですか?! 麻生先生より歳上!?」
「そうだよ……! 麻生先生に知られたら笑われるよ……!」
「いや、誰にも言いませんから!」
「いいや、君は言うね。ぽろっと言ってしまうね。僕には分かる」
そう言うと、アキラくんは、すっと立ち上がり、僕の手を握る。
「ズルいですよ、ミョウジさんばっかり。俺のこと分かってて。俺にも、ミョウジさんのこと教えてくださいよ」
「……君だって、僕のこと分かってるじゃないか。嘘つきとか、甘いものが好きとか」
「そういう表面的なことじゃなくて。もっとミョウジさんのことを知りたいです」
「……それって、告白の返事?」
「はい。まずは、知りたいんです」
僕は、一度、口を引き結んだ。
「本当はね、アキラくんに話したいことがたくさんあるんだ。僕が辿って来た道の話とか、何を考えているのかとか」
「聞かせてください」
「これから、少しずつ話すよ。約束する」
「はい」
アキラくんは、優しく笑っている。
「僕は、ずっと君の人の好さに甘えていたんだ。自分の気持ちなんて、全部冗談にしてしまえばいいって。何度も君をからかって。馬鹿みたいだよね。それに、君には謝らないといけないね。ごめん…………」
頭を下げると、アキラくんは、慌てて言う。
「いいんですよ、そんなに謝らなくても。俺は、平気ですから」
「いや、僕が悪かった。そりゃあ、君は優しいから赦してくれるだろう。でも、僕はそうは出来ないよ。償えるなら、償いたい」
「えーと、それじゃあ、今度からお昼一緒してください」
「それ、全然罰になってないよ!?」
「あはは」
ぐっ。可愛い。ズルい。
「ミョウジさんの照れた顔、新鮮だなぁ。可愛いですね」
「可愛いくない……」
僕は、片手で額を押さえた。
そして、溜め息をついてから、深呼吸する。
「厚かましいのだけれど、ひとつだけ、お願いしてもいいかな?」と、遠慮がちに口を開いた。
「なんですか?」
「……名前で呼んでほしい」
「はい。ナマエさん」
「ありがとう。大好きだよ」
いいのかな? いいんだろうな。
こんなに幸せでも。
僕は、君が大切で、自分が大切で。
それで、いや、それがよかったのだろう。
アキラくんがいるなら、きっと僕も真っ直ぐになれるはず。
僕の“好き”は、ようやく表に出せるようになった。
これからは、本当のことを君に話すよ。
