些末シリーズ
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生きていくために必要な数字は分かっている。
家賃と食費と水道光熱費、それと消耗品費の合計。月にかかる金は、ひとり暮らしの平均額より低いであろう10万ほど、それが必要な数字である。
しかし、それさえあれば生きていける訳ではないと、ミョウジナマエは知っている。
この計算には、生き甲斐と呼べるものが含まれていない。
趣味にかける金とか、人のために使う金とか、そういったものが無い。
ある種、閉じた計算であることを認めなくてはならない。
(あー、あと保険料と貯金が無いな。どうでもいいけど)
自分は、今のことだけで精一杯だ。将来のことなんて分からない。未来や過去は、存在自体を忘れたい。
ナマエは煙草を燻らせながら、考えを巡らせ続ける。
(俺の貯金の残高と、命の残量はどれくらい?)
貯金残高は数字だが、命の残量は数字では出ない。貯金残高がイコールで命の残量だったら分かりやすくていいのに、とナマエは思う。しかし、貯金が尽きたら死ぬとは限らず、貯金が尽きる前に死ぬかもしれず。
「……やめよう」
考えても仕方ない。
それにしても、何故、自分のことばかり考えてしまうのだろう。実は自分が大好きなのだろうか、と考えたら寒気がした。
「真人間になりてぇなぁ」
ナマエが思うまともな人間とは、心身共に健康な自立した者のことだ。そして、大切なものを大切に出来れば、文句なしに正常だろう。
(その大切なものを大切にするってのが、分っかんねぇんだよな……)
それ以前に、大切なものとは? という疑問もある。
(一松は、その辺どうやって理解してんだ……?)
少し整理してみよう。大切なものは、きっと捨てられないものだ。
自分から、もっと削ぎ落とせるものがあるはず。そして、削ぎ落とし切った先に残ったものが大切なものに違いない。
◆◆◆
「思うところあって、今まで禁煙してたんだよ」
「いつから?」
「2日前」
「意志、弱っ」
驚異的な短さだった。
「口寂しくてついね、つい」
「煙草は大切なものなの?」
前に置いてあったものと違い、武器にならなそうな安っぽい灰皿には、真新しい吸い殻が入っている。
「いや、それが全っ然そんなんじゃないんだよ」
「ただの依存症じゃん……」
「いつでもやめられる気でいたんだけどなぁ」
「ダメ人間の台詞だ」
「あ、そうだ。一松にライターあげる。これで禁煙できるかも」
「このライター高そうなんだけど? それに使い道ないし、いらない」
「まあまあ、いいから。胸ポケットに入れとけば弾丸止められるかもよ?」
「バカかよ」
無理矢理にライターを渡されてしまい、結局持ち帰ることにしてしまった。
ナマエが禁煙したいと言うのだから、協力するのは、やぶさかではない。そう思ったのだが。
「おい、意志弱ヤクザ」
「はい」
「はいじゃねぇ」
「あー。ついね、つい」
後日、ナマエの家を訪ねると煙草を吸っていた。
「百円ライター買ってんじゃん」
「ありがとう、文明の火」
「バカかよ」
「あ、そうだ。口寂しくなったら一松にチューしていい? それなら禁煙できるかも」
苛立ちと照れを混ぜた表情で、「バカ」と言われてしまうナマエ。
一松は横目でナマエを見て、一度、溜め息を吐く。
「ナマエは煙草に執着はないんでしょ?」
「まーね。親父が吸ってたからってのがデカいね。でも、結局依存症じゃーん? 治せるの、俺?」
「治したきゃ治せば……?」
「治したい」
投げやりな一松に、ナマエは、やけにハッキリと答えた。
「だって、煙草って金かかるんだ」
「あー、そういうこと」
出費を減らすために切り捨てるとしたら、煙草が筆頭になるのも頷ける。というか、それ以外に捨てられるものを彼は持っていないのではないだろうか。
「煙草は、ちゃんと薬使ってやめるしかないかぁ。がんばろー」
気の抜けるような決意表明。
ナマエを思い出す匂いが別のものになる日は、果たして来るのだろうか。
◆◆◆
本日のナマエには、珍しく予定があるのだと言う。
「墨消して来る」
なんと、背中の鯉を放流する気になったらしい。
「金は?」
「めっちゃかかる」
「具体的に何すんの?」
「墨ごと皮膚を切除する」
「……拷問?」
「たぶんそう。範囲広いから一度じゃ絶対ぇ終わんねぇし、最悪だよ。それに、白い線みたいな傷は残るし」
ナマエは眉間に皺を寄せ、不満げな声を出した。
「それでも消すんだ……?」
「もう、いらないから。戻る気ないし」
敢えて、渇いた言い方をしているらしい。未練ではないだろうが、自分には量れない想いがあることだろう。入れ墨を背負って生きていた年月が、具体的にどのようなものだったのかは知らないが、彼にとって重要な過去であったはず。
過去。それは、本来なら過ぎ去って後ろに佇んでいるもののはずだが。
ナマエは以前、いつか過去のツケを払うことになるだろうと言っていた。だから、何を築いても無駄なんだと考えている節があった。
そんなミョウジナマエが、必死にこちら側に留まろうとしていることに、一松は気付く。
それに、もしかしたら自分の傍にいるためかもしれないというところまで考えが及んだが、自惚れるなと自分に言い聞かせる。
一松がなんとか平静を保っていると、ナマエがジャージのポケットから何かを取り出した。
「あーそうそう。これ、合鍵。渡しとく」
手の上には、ありふれた銀色の鍵。
「今まで、俺がいなかったら帰ってたんだろうけど、そういう気分じゃないこともあるかなって。そういう時は、ここにいたらいいよ」
彼なりに一松のことを考えて思い浮かんだのは、この程度の些細なことだった。
しかし、一松に追い討ちをかけて顔を熱くさせるには充分だった。これがなければ、耐えられたものを。
「もっとさぁ、いらないもの渡すみたいにしてよ」
少し困らせようと、そんな注文をつけてみると。
ナマエはソファーから立ち上がって、鍵を床に放った。
「落としちゃった。拾ってくれる?」
一松が鍵を拾うと、ナマエは無言で掌を上に向けて、そこに置くようにと訴えてくる。鍵を置こうとした瞬間、彼はくるりと手首を半回転させ、掌に触れることなく、再び鍵は落下した。
「やっぱり、落としたものなんていらないや。欲しければ拾いなよ」
もう一度鍵に手を伸ばすところを見下ろすナマエの目に、ぞくぞくする。
「そんなものいるんだ?」
「……いる」
「ふーん」
一気に興味を失ったかのような返事。
それから僅かに間を置いて、ナマエは自分の頬を軽く平手で叩いた。
「今ので合ってた?」
いつもの軽薄な笑顔に戻り、一松に尋ねる。
「才能がある」
「それ、喜んでいいのかなぁ?」
「さあ」
その後、出かけるナマエを見送り、一松はひとりで何をするでもなくソファーに座っていた。
日暮れまでそうしてから、鍵をかけて帰路に着く。気を抜くと、口元が緩んでしまいそうだった。
2018/03/27
家賃と食費と水道光熱費、それと消耗品費の合計。月にかかる金は、ひとり暮らしの平均額より低いであろう10万ほど、それが必要な数字である。
しかし、それさえあれば生きていける訳ではないと、ミョウジナマエは知っている。
この計算には、生き甲斐と呼べるものが含まれていない。
趣味にかける金とか、人のために使う金とか、そういったものが無い。
ある種、閉じた計算であることを認めなくてはならない。
(あー、あと保険料と貯金が無いな。どうでもいいけど)
自分は、今のことだけで精一杯だ。将来のことなんて分からない。未来や過去は、存在自体を忘れたい。
ナマエは煙草を燻らせながら、考えを巡らせ続ける。
(俺の貯金の残高と、命の残量はどれくらい?)
貯金残高は数字だが、命の残量は数字では出ない。貯金残高がイコールで命の残量だったら分かりやすくていいのに、とナマエは思う。しかし、貯金が尽きたら死ぬとは限らず、貯金が尽きる前に死ぬかもしれず。
「……やめよう」
考えても仕方ない。
それにしても、何故、自分のことばかり考えてしまうのだろう。実は自分が大好きなのだろうか、と考えたら寒気がした。
「真人間になりてぇなぁ」
ナマエが思うまともな人間とは、心身共に健康な自立した者のことだ。そして、大切なものを大切に出来れば、文句なしに正常だろう。
(その大切なものを大切にするってのが、分っかんねぇんだよな……)
それ以前に、大切なものとは? という疑問もある。
(一松は、その辺どうやって理解してんだ……?)
少し整理してみよう。大切なものは、きっと捨てられないものだ。
自分から、もっと削ぎ落とせるものがあるはず。そして、削ぎ落とし切った先に残ったものが大切なものに違いない。
◆◆◆
「思うところあって、今まで禁煙してたんだよ」
「いつから?」
「2日前」
「意志、弱っ」
驚異的な短さだった。
「口寂しくてついね、つい」
「煙草は大切なものなの?」
前に置いてあったものと違い、武器にならなそうな安っぽい灰皿には、真新しい吸い殻が入っている。
「いや、それが全っ然そんなんじゃないんだよ」
「ただの依存症じゃん……」
「いつでもやめられる気でいたんだけどなぁ」
「ダメ人間の台詞だ」
「あ、そうだ。一松にライターあげる。これで禁煙できるかも」
「このライター高そうなんだけど? それに使い道ないし、いらない」
「まあまあ、いいから。胸ポケットに入れとけば弾丸止められるかもよ?」
「バカかよ」
無理矢理にライターを渡されてしまい、結局持ち帰ることにしてしまった。
ナマエが禁煙したいと言うのだから、協力するのは、やぶさかではない。そう思ったのだが。
「おい、意志弱ヤクザ」
「はい」
「はいじゃねぇ」
「あー。ついね、つい」
後日、ナマエの家を訪ねると煙草を吸っていた。
「百円ライター買ってんじゃん」
「ありがとう、文明の火」
「バカかよ」
「あ、そうだ。口寂しくなったら一松にチューしていい? それなら禁煙できるかも」
苛立ちと照れを混ぜた表情で、「バカ」と言われてしまうナマエ。
一松は横目でナマエを見て、一度、溜め息を吐く。
「ナマエは煙草に執着はないんでしょ?」
「まーね。親父が吸ってたからってのがデカいね。でも、結局依存症じゃーん? 治せるの、俺?」
「治したきゃ治せば……?」
「治したい」
投げやりな一松に、ナマエは、やけにハッキリと答えた。
「だって、煙草って金かかるんだ」
「あー、そういうこと」
出費を減らすために切り捨てるとしたら、煙草が筆頭になるのも頷ける。というか、それ以外に捨てられるものを彼は持っていないのではないだろうか。
「煙草は、ちゃんと薬使ってやめるしかないかぁ。がんばろー」
気の抜けるような決意表明。
ナマエを思い出す匂いが別のものになる日は、果たして来るのだろうか。
◆◆◆
本日のナマエには、珍しく予定があるのだと言う。
「墨消して来る」
なんと、背中の鯉を放流する気になったらしい。
「金は?」
「めっちゃかかる」
「具体的に何すんの?」
「墨ごと皮膚を切除する」
「……拷問?」
「たぶんそう。範囲広いから一度じゃ絶対ぇ終わんねぇし、最悪だよ。それに、白い線みたいな傷は残るし」
ナマエは眉間に皺を寄せ、不満げな声を出した。
「それでも消すんだ……?」
「もう、いらないから。戻る気ないし」
敢えて、渇いた言い方をしているらしい。未練ではないだろうが、自分には量れない想いがあることだろう。入れ墨を背負って生きていた年月が、具体的にどのようなものだったのかは知らないが、彼にとって重要な過去であったはず。
過去。それは、本来なら過ぎ去って後ろに佇んでいるもののはずだが。
ナマエは以前、いつか過去のツケを払うことになるだろうと言っていた。だから、何を築いても無駄なんだと考えている節があった。
そんなミョウジナマエが、必死にこちら側に留まろうとしていることに、一松は気付く。
それに、もしかしたら自分の傍にいるためかもしれないというところまで考えが及んだが、自惚れるなと自分に言い聞かせる。
一松がなんとか平静を保っていると、ナマエがジャージのポケットから何かを取り出した。
「あーそうそう。これ、合鍵。渡しとく」
手の上には、ありふれた銀色の鍵。
「今まで、俺がいなかったら帰ってたんだろうけど、そういう気分じゃないこともあるかなって。そういう時は、ここにいたらいいよ」
彼なりに一松のことを考えて思い浮かんだのは、この程度の些細なことだった。
しかし、一松に追い討ちをかけて顔を熱くさせるには充分だった。これがなければ、耐えられたものを。
「もっとさぁ、いらないもの渡すみたいにしてよ」
少し困らせようと、そんな注文をつけてみると。
ナマエはソファーから立ち上がって、鍵を床に放った。
「落としちゃった。拾ってくれる?」
一松が鍵を拾うと、ナマエは無言で掌を上に向けて、そこに置くようにと訴えてくる。鍵を置こうとした瞬間、彼はくるりと手首を半回転させ、掌に触れることなく、再び鍵は落下した。
「やっぱり、落としたものなんていらないや。欲しければ拾いなよ」
もう一度鍵に手を伸ばすところを見下ろすナマエの目に、ぞくぞくする。
「そんなものいるんだ?」
「……いる」
「ふーん」
一気に興味を失ったかのような返事。
それから僅かに間を置いて、ナマエは自分の頬を軽く平手で叩いた。
「今ので合ってた?」
いつもの軽薄な笑顔に戻り、一松に尋ねる。
「才能がある」
「それ、喜んでいいのかなぁ?」
「さあ」
その後、出かけるナマエを見送り、一松はひとりで何をするでもなくソファーに座っていた。
日暮れまでそうしてから、鍵をかけて帰路に着く。気を抜くと、口元が緩んでしまいそうだった。
2018/03/27