些末シリーズ
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ナマエの腕は背に回され、上半身は麻縄でぐるぐると縛られている。
「ん……痛っ……」
身体は床に転がされ、容易には立てそうもない。すぐ近くには、彼を見下ろす影がある。
「ヒヒ……いい格好……」
一松は邪悪な笑みでナマエを見下ろし、足でゲシゲシと彼の肩を踏んだ。ナマエは、その一松を冷たい目で見つめた。
「ふふ…………ははは…………あはははは!」
ナマエは、せせら笑いながら、ゆらりと腕を伸ばして一松の足を掴んで引き倒した。
「うわっ!?」
そして彼は、ゆっくりと立ち上がる。
「優位に立ってると思って安心しちゃった? ド素人が」
一体どうやったのか、手品師のように縄抜けをしたナマエは、クスリと笑うと自分を縛っていた縄で一松を縛った。左右それぞれの手首と足首を合わせて縛り、仰向けに倒された一松は、いわゆるM字開脚状態になる。
「蟹縛りされた感想はどう?」
それは、なかなかに屈辱的だった。故に、ぞくぞくした。
「なんだこの狂った空間!」
ふたりのやり取りをずっと見ていたチョロ松のツッコミにより、場の空気が一変した。
「なんなんだよお前ら!」
「ごっこ遊びだよ、ごっこ遊び。な、一松」
「うん」
「そんな不健全なごっこ遊びがあるか!」
松野家二階の部屋に先にいたチョロ松を無視して、謎の遊びを始めたふたりは、いけしゃあしゃあとしている。
「人を縛って調子こいてた奴が慢心して逆にやられるごっこ」
「ラノベのタイトルばりに長い!」
「人を縛って調子に乗った俺が逆にやられるわけがない」
「寄せてきた?! ナマエ、ラノベ知ってんの?!」
「読んだことはねーよ?」
本屋で視界の端に捉えたことがある程度だ。
「次、樹海に置き去りにされた多重債務者ごっこするけど、チョロ松もやる?」
ナマエは、一松の縄をほどきながら訊いた。
「誰がやるか!」
チョロ松は、その誘いを全力で拒否した。
「おーい、そろそろ銭湯行くぞー」
「アレ? ナマエまだいたんだ」
下から、おそ松とトド松が上がって来た。
「あ、ナマエも銭湯行く?」
「あー。俺、墨入ってるからやめとくわ」
「マジで?! 見して!」
「やだよ」
おそ松の、何も考えていない興味本意の願いを一蹴した。
「あそこ、確か入れ墨大丈夫だよ?」
「いや、見る奴が見れば個人割れるからやめとく」
「そうなの?」
「そーなの」
そう言って、彼は帰って行った。
「ナマエの入れ墨どんなだと思う?」
おそ松が口にしたその話題に、一松が乗ることはなかった。
◆◆◆
翌日、一松は絶妙なタイミングでナマエの家を訪れてしまった。
「よう、一松」
ドアを開けたナマエは風呂上がりらしく、上半身裸で首にタオルをかけていた。髪はしっとりと濡れている。
「さっき、車に泥水かけられてさぁ」
「災難だったね」
「ほんとになー」
言いながら、ナマエは一松に背を向けて廊下からキッチン横の冷蔵庫の元へ行く。その時に、一松は彼の後ろ姿を見てしまった。背中の全面を使い、滝登りをしているのだろう黒い鯉と水流が描かれていた。その入れ墨を見ていると、何故か胸がざわついた。ナマエは、そんな一松には気付かず、牛乳パックを取り出して直接飲んでいる。
(ああ、なんか……遠くて嫌だ…………)
胸のざわつきの正体は、ある日突然ナマエが消えるのではないかという嫌な予感だった。彼は圧倒的な強さの水流に押し流され、まるで初めからいなかったかのように、自分の前から消えてしまうのだ。
「なに廊下に突っ立ってんの? 一松」
「別に…………」
(あ……なんかマズい気がする……)
どうして、ナマエはこんなにも自分を揺るがす存在なのか? これは親しい友人だから、そう思うのか? まさか、ナマエに依存しているのか? 今更な疑問だが、この関係はまともな友人関係と言えるのか?
(いや、待って…………勘弁して…………)
「…………うんこしたいから帰る」
「ここにもトイレあるけど」
「家のじゃないと出ないから。それじゃ」
「あっそう。じゃーなー」
ナマエはヒラヒラと手を振り、一松を見送った。一松は早足で、とにかくナマエから距離をとる。
せめて、池でもあれば良かった。自分が抱える水槽ときたら、両腕で簡単に持ち運べる大きさで、しかも水が縁まで入っている。許容量の限界だった。そこに突然、真っ黒な鯉が降って来た。当然のように水は溢れ、一松は濡れ鼠だ。
(まさか、アイツのことが好きなのか……?)
その気持ちを、まだ疑っていられる段階だが、一松の体調を悪くするには十分過ぎた。こんなものを心に飼ってしまったら、もう生きてはいけない。
◆◆◆
数日寝込んだ一松は、睡眠の素晴らしさが分かった。眠っていれば、停滞していられるのだ。時が止まったかのように。世界の誰とも関係がなくなったかのように。
「最近、一松寝過ぎじゃね? 冬眠?」
「ナマエと喧嘩でもしたんじゃない?」
おそ松とトド松が、昼間だというのに布団で眠る一松の横でヒソヒソ話す。
「一松~。ナマエと喧嘩した~?」
「ちょっと、なんで訊いちゃうの?! 声落として……! 殺されるよ?!」
長兄は末弟に引き摺られて退室した。
その数時間後、今度はカラ松とチョロ松が様子を見に来た。
「一松まだ寝てるよ……」
「一体どうしたんだ、一松? もしかしてアレか、スリーピングビューティー?」
「今すぐ口を閉じろ、カラ松! 殺されたいの?!」
次男は三男に引き摺られて退室した。
更に数時間後、夕方には十四松がやって来た。十四松は、そーっと一松の近くへ行くと床にうつ伏せになり、内緒話をするように耳元で囁いた。
「一松兄さん、ナマエが心配してたよ~。あと、ナマエがね~」
十四松は両足をパタパタさせながら、先程までいたナマエの家での出来事を語る。
その頃、一松は夢を見ていた。
十四松とナマエが、青空の下でキャッチボールをしている。それを眺めていると幸せな気持ちになった。しばらくそうしていると、いつの間にか自分が手にボールを握っていることに気付いた。そして、ナマエがこちらを見ている。一松は、ボールをナマエに向かって投げた。ナマエはそれをキャッチして、一松に笑顔を向けた。
一方、十四松は全く別の方向を見ていた。その視線の先に目をやると、川で真っ黒な鯉が跳ねているのが見えた。
そこで、一松は目を覚ました。
起きると夢の中で幸せだった気持ちが霧散し、現実がのしかかって来る。周りを見ると、真っ暗だった。カーテンの隙間から、わずかに月の光が差し込んでいる。少し上体を起こして横を見ると、兄弟全員が眠っているのが見えた。再び布団にもぐり、少しだけナマエのことを考える。
(いっそのこと、本人に話して否定してもらえばいいのかも……)
ぼんやり、そんなことを考えた後、一松は穏やかな眠りについた。
◆◆◆
「ずっと寝込んでたって聞いたけど、大丈夫?」
午後に意を決してナマエの家を訪れると、彼に第一声で心配された。
「別に、大丈夫」
「ほんと? 具合悪くなったら言いなよ?」
「大丈夫だって。それより、ちょっと……話があって……」
「一松が俺に話…………ダメ出し…………?」
「違う」
どうしてそうなる。と思ったが、言われてみれば、何度もダメ出しをしている気がする。まあ、そのことは置いて、本題に入ることにする。
「おれ…………お前のこと好きみたいなんだけど…………」
隣に座るナマエに告白した。出来るだけ、軽く聞こえるように努めた。冗談だろうと思われたら、すぐさま肯定するつもりだ。自分でも冗談だろうと思うくらいだから、そう思われるはずだ。早く、この気持ちを冗談にさせてほしい。
「へー。どうして?」
まさか、理由を訊かれるとは。考え過ぎる彼は、こんなことを言われては思考の材料を得るために質問するしかなかったのかもしれない。
「……気の迷いに決まってる」
「へー。じゃあ、付き合おっか」
「は……?!」
まるで考えなしな、その発言に目を見開く一松。
「メンドーだから細かいことはお互い付き合ってから考えよう」
「は? 何それ?」
「付き合っていけそうなら続ければいいし、無理そうならやめればいい。シンプルじゃん。大丈夫大丈夫。依存性はないから一度だけならダイジョーブ」
「あ……ダメなやつだ……」
片方が無理だった場合はどうする気なのだろう。ナマエが何を考えているのか、さっぱり分からない。
「……それにしても、よくそんな発想が出来るよね、ナマエ。普通、男に告白されたら引くでしょ……?」
「引かれたかったの? マゾなの?」
「……違うけど」
「でも真面目な話、俺はやめといた方がいいよ。シュミ悪いなぁ、一松」
ナマエは優しげな笑みで言い聞かせるように話す。
「俺は、いつか過去のツケを払うことになるんだと思う。だから、突然いなくなるかもしれないぜ?」
「…………」
「海に沈められるのか、山に埋められるのか。それは分からないけど」
一松は、しばし考える振りをする。ナマエが考えないのなら、自分だって考えたくはない。
「…………死体、探すから」
「ふっ……はは、ナニソレ。あんまり嬉しくない」
ナマエは、つい笑ってしまった。なんて不毛なことを宣言するのだろう。すぐに見付かると思っているのだろうか? 実りのない行為を、根気強く続ける覚悟があるのだろうか? 何も考えてないのかもしれないと、そう思った。
「俺が消えたら、俺を忘れてくれると嬉しいんだけど。死んでまで人を煩わせたくないよ」
ナマエは、子供から叶えてやれないクリスマスプレゼントの要求をされた親のように、困った顔をしている。この人間関係に幸せな未来はないとでも言いたげだ。それが、例えどんな間柄だとしても。
「こんな……おれみたいな人間の友達になっておいて消えるなんて、無責任だろ……」
情けないことに、少し声が震えてしまった。この男は、ナマエは別に一松を軽んじているのではなく、自分が消えても大したことはないと考えているのだ。彼にとって自分というものは、あまりにも軽い。
「責任とって幸せにしろってこと?」
「そ……んな、こと言ってない……」
「俺には、そう聞こえるけどなぁ」
ナマエはソファーの背もたれに片肘を突いて、床を見つめる一松を眺めた。
「君は俺に厄介なものを持たせるのが上手いねぇ」
一松が意図したことではないかもしれないが、彼は軽過ぎるナマエに荷物を持たせることが度々ある。それは自己を守ることや、思考を放棄しないことなど様々だ。実行出来ているかどうかはともかく、そういったものはナマエにはない新たな観点であったため、何度かブレイクスルーを起こした。
今回持たされたものは、幸せに向かう努力をすること、だろうか。
(それ出来なくね?)
自分の趣味も嗜好も、いまいち分からないのだから。
「俺、一松を幸せにするよ。自分の幸せなんて分からないし」
「え……?」
「それで、なんだっけ? 俺と結婚したいって?」
「言ってない」
「あー、そうそう。とりあえず、付き合うってことで」
付き合うだの付き合わないだのまで、なんとか話を戻した。
「本気……?」
「そっちこそ本気かよ?」
「だから気の迷い――――」
続く台詞は、ナマエにいきなり頬にキスされたせいで言えなかった。
「どうよ?」
「ど…………」
それから一松が言葉を発することも、その場から動くこともなく、10分が経った。
「ベロチューしようとしたけど、考え直して控え目にしたのに……」
一松はソファーの上で体育座りをして顔を伏せている。伏せているが、耳まで真っ赤なので照れているのは分かる。
「でも真っ青になってないから、マジで俺のこと好きなんだな、一松」
「……うるさい」
くぐもった恨みがましい声が聞こえる。
「次は、どこにキスしてほしい?」
「……ほんと、うるさい」
「生娘かよ」
「お前を殺して、おれも死ぬ!」
一松は、ジャージの襟首に掴みかかって来た。
「えー。この期に及んで俺に殺意向けるの、君」
ナマエは一松の両手を無理矢理引き剥がし、左右それぞれの手で指を絡めた。
「これからよろしくね、カレシ~」
一松は声にならない叫びを上げた。
「近所迷惑だぞ、カレシ~。口塞いじゃうぞ」
一松は野性動物のようにナマエから距離をとり、叫ばないように自らの手首を噛んだ。ナマエは終始、人の悪い笑みを湛えていた。
黒い鯉が、楽しそうに大きく跳ねた音が聴こえた気がした。
2017/02/08
「ん……痛っ……」
身体は床に転がされ、容易には立てそうもない。すぐ近くには、彼を見下ろす影がある。
「ヒヒ……いい格好……」
一松は邪悪な笑みでナマエを見下ろし、足でゲシゲシと彼の肩を踏んだ。ナマエは、その一松を冷たい目で見つめた。
「ふふ…………ははは…………あはははは!」
ナマエは、せせら笑いながら、ゆらりと腕を伸ばして一松の足を掴んで引き倒した。
「うわっ!?」
そして彼は、ゆっくりと立ち上がる。
「優位に立ってると思って安心しちゃった? ド素人が」
一体どうやったのか、手品師のように縄抜けをしたナマエは、クスリと笑うと自分を縛っていた縄で一松を縛った。左右それぞれの手首と足首を合わせて縛り、仰向けに倒された一松は、いわゆるM字開脚状態になる。
「蟹縛りされた感想はどう?」
それは、なかなかに屈辱的だった。故に、ぞくぞくした。
「なんだこの狂った空間!」
ふたりのやり取りをずっと見ていたチョロ松のツッコミにより、場の空気が一変した。
「なんなんだよお前ら!」
「ごっこ遊びだよ、ごっこ遊び。な、一松」
「うん」
「そんな不健全なごっこ遊びがあるか!」
松野家二階の部屋に先にいたチョロ松を無視して、謎の遊びを始めたふたりは、いけしゃあしゃあとしている。
「人を縛って調子こいてた奴が慢心して逆にやられるごっこ」
「ラノベのタイトルばりに長い!」
「人を縛って調子に乗った俺が逆にやられるわけがない」
「寄せてきた?! ナマエ、ラノベ知ってんの?!」
「読んだことはねーよ?」
本屋で視界の端に捉えたことがある程度だ。
「次、樹海に置き去りにされた多重債務者ごっこするけど、チョロ松もやる?」
ナマエは、一松の縄をほどきながら訊いた。
「誰がやるか!」
チョロ松は、その誘いを全力で拒否した。
「おーい、そろそろ銭湯行くぞー」
「アレ? ナマエまだいたんだ」
下から、おそ松とトド松が上がって来た。
「あ、ナマエも銭湯行く?」
「あー。俺、墨入ってるからやめとくわ」
「マジで?! 見して!」
「やだよ」
おそ松の、何も考えていない興味本意の願いを一蹴した。
「あそこ、確か入れ墨大丈夫だよ?」
「いや、見る奴が見れば個人割れるからやめとく」
「そうなの?」
「そーなの」
そう言って、彼は帰って行った。
「ナマエの入れ墨どんなだと思う?」
おそ松が口にしたその話題に、一松が乗ることはなかった。
◆◆◆
翌日、一松は絶妙なタイミングでナマエの家を訪れてしまった。
「よう、一松」
ドアを開けたナマエは風呂上がりらしく、上半身裸で首にタオルをかけていた。髪はしっとりと濡れている。
「さっき、車に泥水かけられてさぁ」
「災難だったね」
「ほんとになー」
言いながら、ナマエは一松に背を向けて廊下からキッチン横の冷蔵庫の元へ行く。その時に、一松は彼の後ろ姿を見てしまった。背中の全面を使い、滝登りをしているのだろう黒い鯉と水流が描かれていた。その入れ墨を見ていると、何故か胸がざわついた。ナマエは、そんな一松には気付かず、牛乳パックを取り出して直接飲んでいる。
(ああ、なんか……遠くて嫌だ…………)
胸のざわつきの正体は、ある日突然ナマエが消えるのではないかという嫌な予感だった。彼は圧倒的な強さの水流に押し流され、まるで初めからいなかったかのように、自分の前から消えてしまうのだ。
「なに廊下に突っ立ってんの? 一松」
「別に…………」
(あ……なんかマズい気がする……)
どうして、ナマエはこんなにも自分を揺るがす存在なのか? これは親しい友人だから、そう思うのか? まさか、ナマエに依存しているのか? 今更な疑問だが、この関係はまともな友人関係と言えるのか?
(いや、待って…………勘弁して…………)
「…………うんこしたいから帰る」
「ここにもトイレあるけど」
「家のじゃないと出ないから。それじゃ」
「あっそう。じゃーなー」
ナマエはヒラヒラと手を振り、一松を見送った。一松は早足で、とにかくナマエから距離をとる。
せめて、池でもあれば良かった。自分が抱える水槽ときたら、両腕で簡単に持ち運べる大きさで、しかも水が縁まで入っている。許容量の限界だった。そこに突然、真っ黒な鯉が降って来た。当然のように水は溢れ、一松は濡れ鼠だ。
(まさか、アイツのことが好きなのか……?)
その気持ちを、まだ疑っていられる段階だが、一松の体調を悪くするには十分過ぎた。こんなものを心に飼ってしまったら、もう生きてはいけない。
◆◆◆
数日寝込んだ一松は、睡眠の素晴らしさが分かった。眠っていれば、停滞していられるのだ。時が止まったかのように。世界の誰とも関係がなくなったかのように。
「最近、一松寝過ぎじゃね? 冬眠?」
「ナマエと喧嘩でもしたんじゃない?」
おそ松とトド松が、昼間だというのに布団で眠る一松の横でヒソヒソ話す。
「一松~。ナマエと喧嘩した~?」
「ちょっと、なんで訊いちゃうの?! 声落として……! 殺されるよ?!」
長兄は末弟に引き摺られて退室した。
その数時間後、今度はカラ松とチョロ松が様子を見に来た。
「一松まだ寝てるよ……」
「一体どうしたんだ、一松? もしかしてアレか、スリーピングビューティー?」
「今すぐ口を閉じろ、カラ松! 殺されたいの?!」
次男は三男に引き摺られて退室した。
更に数時間後、夕方には十四松がやって来た。十四松は、そーっと一松の近くへ行くと床にうつ伏せになり、内緒話をするように耳元で囁いた。
「一松兄さん、ナマエが心配してたよ~。あと、ナマエがね~」
十四松は両足をパタパタさせながら、先程までいたナマエの家での出来事を語る。
その頃、一松は夢を見ていた。
十四松とナマエが、青空の下でキャッチボールをしている。それを眺めていると幸せな気持ちになった。しばらくそうしていると、いつの間にか自分が手にボールを握っていることに気付いた。そして、ナマエがこちらを見ている。一松は、ボールをナマエに向かって投げた。ナマエはそれをキャッチして、一松に笑顔を向けた。
一方、十四松は全く別の方向を見ていた。その視線の先に目をやると、川で真っ黒な鯉が跳ねているのが見えた。
そこで、一松は目を覚ました。
起きると夢の中で幸せだった気持ちが霧散し、現実がのしかかって来る。周りを見ると、真っ暗だった。カーテンの隙間から、わずかに月の光が差し込んでいる。少し上体を起こして横を見ると、兄弟全員が眠っているのが見えた。再び布団にもぐり、少しだけナマエのことを考える。
(いっそのこと、本人に話して否定してもらえばいいのかも……)
ぼんやり、そんなことを考えた後、一松は穏やかな眠りについた。
◆◆◆
「ずっと寝込んでたって聞いたけど、大丈夫?」
午後に意を決してナマエの家を訪れると、彼に第一声で心配された。
「別に、大丈夫」
「ほんと? 具合悪くなったら言いなよ?」
「大丈夫だって。それより、ちょっと……話があって……」
「一松が俺に話…………ダメ出し…………?」
「違う」
どうしてそうなる。と思ったが、言われてみれば、何度もダメ出しをしている気がする。まあ、そのことは置いて、本題に入ることにする。
「おれ…………お前のこと好きみたいなんだけど…………」
隣に座るナマエに告白した。出来るだけ、軽く聞こえるように努めた。冗談だろうと思われたら、すぐさま肯定するつもりだ。自分でも冗談だろうと思うくらいだから、そう思われるはずだ。早く、この気持ちを冗談にさせてほしい。
「へー。どうして?」
まさか、理由を訊かれるとは。考え過ぎる彼は、こんなことを言われては思考の材料を得るために質問するしかなかったのかもしれない。
「……気の迷いに決まってる」
「へー。じゃあ、付き合おっか」
「は……?!」
まるで考えなしな、その発言に目を見開く一松。
「メンドーだから細かいことはお互い付き合ってから考えよう」
「は? 何それ?」
「付き合っていけそうなら続ければいいし、無理そうならやめればいい。シンプルじゃん。大丈夫大丈夫。依存性はないから一度だけならダイジョーブ」
「あ……ダメなやつだ……」
片方が無理だった場合はどうする気なのだろう。ナマエが何を考えているのか、さっぱり分からない。
「……それにしても、よくそんな発想が出来るよね、ナマエ。普通、男に告白されたら引くでしょ……?」
「引かれたかったの? マゾなの?」
「……違うけど」
「でも真面目な話、俺はやめといた方がいいよ。シュミ悪いなぁ、一松」
ナマエは優しげな笑みで言い聞かせるように話す。
「俺は、いつか過去のツケを払うことになるんだと思う。だから、突然いなくなるかもしれないぜ?」
「…………」
「海に沈められるのか、山に埋められるのか。それは分からないけど」
一松は、しばし考える振りをする。ナマエが考えないのなら、自分だって考えたくはない。
「…………死体、探すから」
「ふっ……はは、ナニソレ。あんまり嬉しくない」
ナマエは、つい笑ってしまった。なんて不毛なことを宣言するのだろう。すぐに見付かると思っているのだろうか? 実りのない行為を、根気強く続ける覚悟があるのだろうか? 何も考えてないのかもしれないと、そう思った。
「俺が消えたら、俺を忘れてくれると嬉しいんだけど。死んでまで人を煩わせたくないよ」
ナマエは、子供から叶えてやれないクリスマスプレゼントの要求をされた親のように、困った顔をしている。この人間関係に幸せな未来はないとでも言いたげだ。それが、例えどんな間柄だとしても。
「こんな……おれみたいな人間の友達になっておいて消えるなんて、無責任だろ……」
情けないことに、少し声が震えてしまった。この男は、ナマエは別に一松を軽んじているのではなく、自分が消えても大したことはないと考えているのだ。彼にとって自分というものは、あまりにも軽い。
「責任とって幸せにしろってこと?」
「そ……んな、こと言ってない……」
「俺には、そう聞こえるけどなぁ」
ナマエはソファーの背もたれに片肘を突いて、床を見つめる一松を眺めた。
「君は俺に厄介なものを持たせるのが上手いねぇ」
一松が意図したことではないかもしれないが、彼は軽過ぎるナマエに荷物を持たせることが度々ある。それは自己を守ることや、思考を放棄しないことなど様々だ。実行出来ているかどうかはともかく、そういったものはナマエにはない新たな観点であったため、何度かブレイクスルーを起こした。
今回持たされたものは、幸せに向かう努力をすること、だろうか。
(それ出来なくね?)
自分の趣味も嗜好も、いまいち分からないのだから。
「俺、一松を幸せにするよ。自分の幸せなんて分からないし」
「え……?」
「それで、なんだっけ? 俺と結婚したいって?」
「言ってない」
「あー、そうそう。とりあえず、付き合うってことで」
付き合うだの付き合わないだのまで、なんとか話を戻した。
「本気……?」
「そっちこそ本気かよ?」
「だから気の迷い――――」
続く台詞は、ナマエにいきなり頬にキスされたせいで言えなかった。
「どうよ?」
「ど…………」
それから一松が言葉を発することも、その場から動くこともなく、10分が経った。
「ベロチューしようとしたけど、考え直して控え目にしたのに……」
一松はソファーの上で体育座りをして顔を伏せている。伏せているが、耳まで真っ赤なので照れているのは分かる。
「でも真っ青になってないから、マジで俺のこと好きなんだな、一松」
「……うるさい」
くぐもった恨みがましい声が聞こえる。
「次は、どこにキスしてほしい?」
「……ほんと、うるさい」
「生娘かよ」
「お前を殺して、おれも死ぬ!」
一松は、ジャージの襟首に掴みかかって来た。
「えー。この期に及んで俺に殺意向けるの、君」
ナマエは一松の両手を無理矢理引き剥がし、左右それぞれの手で指を絡めた。
「これからよろしくね、カレシ~」
一松は声にならない叫びを上げた。
「近所迷惑だぞ、カレシ~。口塞いじゃうぞ」
一松は野性動物のようにナマエから距離をとり、叫ばないように自らの手首を噛んだ。ナマエは終始、人の悪い笑みを湛えていた。
黒い鯉が、楽しそうに大きく跳ねた音が聴こえた気がした。
2017/02/08