一頁のおまけ
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第一次近界民侵攻のおり、現海砂子の両親は、トリオン器官を抜かれて殺されたと聞く。
しかし、彼女は、始めから両親なんていなかったかのように振る舞っている。噂によると、葬式の喪主を辞退したとか。
砂子は、ボーダーのただひとりの心理カウンセラーであり、世話になった者は数知れずだ。
そんな彼女の心を、一体誰が守るのだろう?
「砂子さん」
「なに? 諏訪くん」
諏訪洸太郎は、カウンセリングの終わりに、砂子に尋ねる。
「辛く、ないですか?」
「なにが?」
砂子には、明瞭でない質問には、質問で返す癖があった。
「ご両親のこと、とか。なんでもいいんですけど、なにか困ってることないですか?」
「特にないよ。ありがとう」
その微笑みには、嘘はないように感じる。そもそも、砂子には裏表がないのだ。彼女は、仮面を被れないと、以前言っていた。
「なら、よかったです」
「他人を気遣うのも、ほどほどにしなよ。自分が潰れちゃ、しょうがない」
「砂子さんのおかげで、平気ですよ」
「そう」
砂子は、白衣のポケットに両手を入れて、諏訪の退室を見送る。
カウンセリングルームの外へ出た諏訪は、考えた。
裏表がないのなら、本当に何も困り事がないのだろう。でも、心の奥では? 本人にも分からない、無意識の領域では?
なんで、あの人の弱み探しみてーなことしてんだか。
諏訪は、自嘲する。
彼に、現海砂子は、大層強く見えた。年の功だけでは説明がつかないくらい、堅牢な精神を持ち合わせているように思う。
「ただ、世話になりっぱなしなのがな……」
なにか、恩返しをしたいものだ。それが、彼女の仕事とはいえ。
帰宅してからも、諏訪は、砂子のことを考え続けた。
しかし、ひとりで考えていても、埒が明かない。
同い年の仲間のグループチャットに、メッセージを送る。
『砂子さんって、どんな人だと思う?』
『世話焼き』と、風間蒼也。
『腕のいいカウンセラー』と、木崎レイジ。
『よく食べる人』と、寺島雷蔵。
みんな、表層でしか、砂子を知らない。
『弱みがねぇ人間とは思えねーんだよな』
『砂子さんの弱みが知りたいのか?』
『どういうこと?』
『シュミが悪いぞ』
風間は、後でシバく。
『んなシュミはねーよ』
『ただ、なにか助けになれねーかと思って』
『身のほど知らずめ』
絶対にシバく。
『砂子さんに直接訊け』
『そうだそうだ』
『訊いたら、ないって言われた』
『おまえが頼りないから』
『シバくぞ』
あの人の力になりたい。それは、そんなに傲慢な想いなのだろうか?
◆◆◆
諏訪は、砂子とは推理小説を貸し借りする仲である。
今日も、彼女のオススメのものを、数冊借りてきた。
「ん?」
一冊のハードカバーの本に、なにか挟まっている。
それは、診断書のコピーだった。
「え…………?」
診断名が目に入ってしまい、驚く諏訪。
うつ病。全般性不安障害。アスペルガー症候群。
翌日。午前中に、カウンセリングルームの前で砂子の出勤を待つ。
「おや、おはよう、諏訪くん」
「おはようございます」
「なにか用?」
「ちょっと、話があって」
「中へ、どうぞ」
「はい」
砂子の城へ招き入れられた。
「お茶、用意するよ」
「いや、結構です。それより、これ……見ちまって…………」
「…………」
砂子は、押し黙る。そして、無表情になった。
「あー、それね」と、無機質な声を出す砂子。
「すいません」
「私のミス。気にしないで」
「気にしますよ」
「気になる? 医者の不養生が?」
「そんな話じゃないでしょう」
砂子は、深く溜め息をついた。
「他人はおろか、自分を大切に出来ない」
「え?」
「自分は、おかしいから、誰にも愛されない。みんなが私を潰そうとする。夢には、手が届かない。壊れているところは、治療しても治らない。私なんて、この世にいない方がいい」
「…………」
「精神疾患を持ったことによる、思い込みの類型だよ。そのどれも、私は持ち合わせていない」
淡々と告げる砂子に、それでも諏訪は訊く。
「砂子さん、誰か、頼れる人はいるんですか?」
「弟がいる。私は、平気」
「そんな簡単に……割り切れるんですか……?」
「簡単だよ。自分を騙すのなんて」
事も無げに言う。
「……俺は、砂子さんを助けたい」
「へぇ。じゃあ、助けてよ」
砂子は、人の悪い笑みを浮かべた。
「私の親は、過保護でねぇ。教師にクレームを入れたり、私にそんな趣味はやめろと言ってきたりして、とにかく過干渉だったよ」
かつ、かつ。靴を鳴らす砂子。
「自分のことを、自分で決めてはいけないのか? 子供の頃、私はそう考えた。結局ね、親が死ぬまで、私はずっと縛られていたよ。私にとって、血縁は呪い」
砂子の闇。認識していなかった面が、顔を覗かせた。
「ああいう人たちの元で育ったから、私は、幼稚で支配的で不安症で無責任で怠け者で恩知らずになったよ」
「砂子さんは、そんな人じゃ————」
「君に俺が分かるかい?」
彼女、いや、砂子は、女でも男でもない。その性自認は、不定性。
砂子は、弟の前でしか出したことのない、素の一人称を使って、諏訪を試す。
「分からない。から、教えてください」
「いいよ。教えてあげても」
口元を手で隠し、「ははは」と笑う砂子は、初めて見る顔をしていた。
「あるところに、少女がいました。その少女は、自分の一人称である“私”に違和感を持っていました。そこで、しっくりくる一人称、“俺”を親の前で使ってみました。飛んできたのは、罵声でした。少女にも少年にもなれない現海砂子は、親を嫌いになりました。そして、大人になった俺は、両親を罰しましたとさ。おしまい」
諏訪は、何も言えない。
砂子の闇は、砂子だけの闇。他人にはない、自分だけの地獄。
「私が人殺しだったら、どうする?」
「……自首してください」
「君は、正しいね」と、暗い瞳で嗤う。
「でも、してあげない。証拠なんてないんだから。私は、みんなのためのカウンセラーなんだから。私が人殺しだって露呈したら、みんな傷付くだろうなぁ」
「本当に、殺したんですか? 両親を」
「今ならやれると思った。見本になる死体が転がってたし。だから、やった」
「トリオン器官は?」
「それは、誤算だったね。そんなもの知らなかったから。でも、誰も私を疑わなかった。私の勝ちだ」
トリオン器官を抜かれてはいなかったのか。噂は、噂に過ぎなかった。
「どうする? 私を警察に突き出してみる? それは、みんなが傷付く選択だけど」
「それは、砂子さんの選択のせいだ」
「あはは。俺は、正論なんてまっぴらなんだよ」
「なんで、俺に話したんですか?」
「さぁ。君の優しさに甘えたくなったのかな」
現海砂子は、自嘲する。
諏訪洸太郎は、恩人の素性を知ってしまった男は、涙を流した。
「なに泣いてんだよ」
「砂子さんが泣かないから」
「ははは。バカだね、君は」
ふたりきりのカウンセリングルームに、ひとり分の雫が落ちていく。
しかし、彼女は、始めから両親なんていなかったかのように振る舞っている。噂によると、葬式の喪主を辞退したとか。
砂子は、ボーダーのただひとりの心理カウンセラーであり、世話になった者は数知れずだ。
そんな彼女の心を、一体誰が守るのだろう?
「砂子さん」
「なに? 諏訪くん」
諏訪洸太郎は、カウンセリングの終わりに、砂子に尋ねる。
「辛く、ないですか?」
「なにが?」
砂子には、明瞭でない質問には、質問で返す癖があった。
「ご両親のこと、とか。なんでもいいんですけど、なにか困ってることないですか?」
「特にないよ。ありがとう」
その微笑みには、嘘はないように感じる。そもそも、砂子には裏表がないのだ。彼女は、仮面を被れないと、以前言っていた。
「なら、よかったです」
「他人を気遣うのも、ほどほどにしなよ。自分が潰れちゃ、しょうがない」
「砂子さんのおかげで、平気ですよ」
「そう」
砂子は、白衣のポケットに両手を入れて、諏訪の退室を見送る。
カウンセリングルームの外へ出た諏訪は、考えた。
裏表がないのなら、本当に何も困り事がないのだろう。でも、心の奥では? 本人にも分からない、無意識の領域では?
なんで、あの人の弱み探しみてーなことしてんだか。
諏訪は、自嘲する。
彼に、現海砂子は、大層強く見えた。年の功だけでは説明がつかないくらい、堅牢な精神を持ち合わせているように思う。
「ただ、世話になりっぱなしなのがな……」
なにか、恩返しをしたいものだ。それが、彼女の仕事とはいえ。
帰宅してからも、諏訪は、砂子のことを考え続けた。
しかし、ひとりで考えていても、埒が明かない。
同い年の仲間のグループチャットに、メッセージを送る。
『砂子さんって、どんな人だと思う?』
『世話焼き』と、風間蒼也。
『腕のいいカウンセラー』と、木崎レイジ。
『よく食べる人』と、寺島雷蔵。
みんな、表層でしか、砂子を知らない。
『弱みがねぇ人間とは思えねーんだよな』
『砂子さんの弱みが知りたいのか?』
『どういうこと?』
『シュミが悪いぞ』
風間は、後でシバく。
『んなシュミはねーよ』
『ただ、なにか助けになれねーかと思って』
『身のほど知らずめ』
絶対にシバく。
『砂子さんに直接訊け』
『そうだそうだ』
『訊いたら、ないって言われた』
『おまえが頼りないから』
『シバくぞ』
あの人の力になりたい。それは、そんなに傲慢な想いなのだろうか?
◆◆◆
諏訪は、砂子とは推理小説を貸し借りする仲である。
今日も、彼女のオススメのものを、数冊借りてきた。
「ん?」
一冊のハードカバーの本に、なにか挟まっている。
それは、診断書のコピーだった。
「え…………?」
診断名が目に入ってしまい、驚く諏訪。
うつ病。全般性不安障害。アスペルガー症候群。
翌日。午前中に、カウンセリングルームの前で砂子の出勤を待つ。
「おや、おはよう、諏訪くん」
「おはようございます」
「なにか用?」
「ちょっと、話があって」
「中へ、どうぞ」
「はい」
砂子の城へ招き入れられた。
「お茶、用意するよ」
「いや、結構です。それより、これ……見ちまって…………」
「…………」
砂子は、押し黙る。そして、無表情になった。
「あー、それね」と、無機質な声を出す砂子。
「すいません」
「私のミス。気にしないで」
「気にしますよ」
「気になる? 医者の不養生が?」
「そんな話じゃないでしょう」
砂子は、深く溜め息をついた。
「他人はおろか、自分を大切に出来ない」
「え?」
「自分は、おかしいから、誰にも愛されない。みんなが私を潰そうとする。夢には、手が届かない。壊れているところは、治療しても治らない。私なんて、この世にいない方がいい」
「…………」
「精神疾患を持ったことによる、思い込みの類型だよ。そのどれも、私は持ち合わせていない」
淡々と告げる砂子に、それでも諏訪は訊く。
「砂子さん、誰か、頼れる人はいるんですか?」
「弟がいる。私は、平気」
「そんな簡単に……割り切れるんですか……?」
「簡単だよ。自分を騙すのなんて」
事も無げに言う。
「……俺は、砂子さんを助けたい」
「へぇ。じゃあ、助けてよ」
砂子は、人の悪い笑みを浮かべた。
「私の親は、過保護でねぇ。教師にクレームを入れたり、私にそんな趣味はやめろと言ってきたりして、とにかく過干渉だったよ」
かつ、かつ。靴を鳴らす砂子。
「自分のことを、自分で決めてはいけないのか? 子供の頃、私はそう考えた。結局ね、親が死ぬまで、私はずっと縛られていたよ。私にとって、血縁は呪い」
砂子の闇。認識していなかった面が、顔を覗かせた。
「ああいう人たちの元で育ったから、私は、幼稚で支配的で不安症で無責任で怠け者で恩知らずになったよ」
「砂子さんは、そんな人じゃ————」
「君に俺が分かるかい?」
彼女、いや、砂子は、女でも男でもない。その性自認は、不定性。
砂子は、弟の前でしか出したことのない、素の一人称を使って、諏訪を試す。
「分からない。から、教えてください」
「いいよ。教えてあげても」
口元を手で隠し、「ははは」と笑う砂子は、初めて見る顔をしていた。
「あるところに、少女がいました。その少女は、自分の一人称である“私”に違和感を持っていました。そこで、しっくりくる一人称、“俺”を親の前で使ってみました。飛んできたのは、罵声でした。少女にも少年にもなれない現海砂子は、親を嫌いになりました。そして、大人になった俺は、両親を罰しましたとさ。おしまい」
諏訪は、何も言えない。
砂子の闇は、砂子だけの闇。他人にはない、自分だけの地獄。
「私が人殺しだったら、どうする?」
「……自首してください」
「君は、正しいね」と、暗い瞳で嗤う。
「でも、してあげない。証拠なんてないんだから。私は、みんなのためのカウンセラーなんだから。私が人殺しだって露呈したら、みんな傷付くだろうなぁ」
「本当に、殺したんですか? 両親を」
「今ならやれると思った。見本になる死体が転がってたし。だから、やった」
「トリオン器官は?」
「それは、誤算だったね。そんなもの知らなかったから。でも、誰も私を疑わなかった。私の勝ちだ」
トリオン器官を抜かれてはいなかったのか。噂は、噂に過ぎなかった。
「どうする? 私を警察に突き出してみる? それは、みんなが傷付く選択だけど」
「それは、砂子さんの選択のせいだ」
「あはは。俺は、正論なんてまっぴらなんだよ」
「なんで、俺に話したんですか?」
「さぁ。君の優しさに甘えたくなったのかな」
現海砂子は、自嘲する。
諏訪洸太郎は、恩人の素性を知ってしまった男は、涙を流した。
「なに泣いてんだよ」
「砂子さんが泣かないから」
「ははは。バカだね、君は」
ふたりきりのカウンセリングルームに、ひとり分の雫が落ちていく。