煙シリーズ
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父は言った、「料理は哲学」だと。
母は言った、「料理は音楽」だと。
それを聞かされた息子は「は?」と思った。思っただけではなく、声に出したかもしれない。昔のことだから覚えていない。
息子は、ふたりのことが好きだった。尊敬出来る家族だった。
そのふたりは、今はもういない。
あの日、「いってきます」と言って、それぞれ家を出た両親は帰って来なかった。
行方不明になったミョウジの両親は、料理が共通言語だった。広い台所には、用途が限定的な調理器具が山のようにある。通販番組で外国人が紹介してそうな物が、たくさん。ミョウジには、使い道が分からない物がほとんどだ。料理を趣味としていた父母がいなくなってから、それらを誰も使わない。
他にも、謎の葉っぱだの、名前も分からないスパイスだの、誰も使いこなせないから全部捨てた。
ミョウジの祖父母は越して行き、この家にはもう、独りきりだ。
いずれここを出て行く時がきたら、自分の手で両親の物を処分しなければならない。そのことを考えると、気が滅入る。自分が、ただの作業として、それをやり遂げられるとは到底思えない。
最近、飲む薬の種類が増えた。
「そろそろダメなのかなぁ?」
深い溜め息をつく。
やめだ、やめだ。考えても仕方ないことだ。
「ミョウジさんは、暗い気持ちになることを考え込んでしまう癖があります。出来るだけ考えないようにしましょう」と、主治医も言っていたのだから。別のことを考えよう。
そうだ。もうすぐ、2月が終わってしまうのが問題だ。バレンタインデーは、とっくの昔に過ぎていて、大問題だ。
冷蔵庫には、用意した手作りチョコレートと市販のチョコレートが眠っている。
諏訪を家に呼んで、本命も本命のチョコを渡したいところだが、さらに問題があった。自宅内の生活動線が最悪なのである。足の踏み場もないくらいに散らかっている。両親も祖父母もいなくなった家は、荒れに荒れていた。
二階は比較的キレイだが、一階は酷い有り様だ。
まず、玄関。何故か靴が、5人家族が住んでいるかのような数出ている。居間へ向かう廊下には、ホコリを被った掃除機が置きっぱなしになっている。居間の床には哲学書が積まれ、紙類が散乱している。あと、通信販売を利用した際の、空の段ボール箱がたくさん。居間の隅には、室内干しの洗濯物が、乾いた後もそのままになっており、そこから着る物を取る始末。台所には洗っていない食器の山。テーブルには食べ物の空き容器が並ぶ。
「どうしよ……」
どうしようも何も、掃除するしかないが。
ミョウジはポケットから携帯電話を取り出し、諏訪にメッセージを送る。
『用事あるんだけど午後に家に来れる?』
すぐに、『行ける』と返事が来た。
これで、午前中は掃除をするしかなくなったというワケである。
午後2時頃、諏訪が、ひとりだけのミョウジ家へとやって来た。
家の中は、いつもと変わらない様子だ。
居間に通され、椅子に座る。
ミョウジは隣に座り、テーブルの上をスッとふたつの箱を滑らせ、諏訪の前に出す。
「ミョウジ……?」
「コレはその、バレンタインのチョコ……遅くなったけど……」
ミョウジは諏訪の方を見ないで答えた。
「なんで、ふたつ……?」
「片方はオレの手作りのトリュフチョコで、もう片方は市販のアソートのやつ。保険で」
トリュフチョコの味見はしてあるが、心配なので買った保険チョコ。それのせいで、随分と諏訪に不審に思われている。
そんなに変か? とミョウジは思った。
「どっちか激辛とかじゃねーだろうな?」
「どっちも激辛じゃないって。破滅的好奇心は自分にしか向かないから!」
諏訪は箱を開けて、トリュフチョコを手に取ると、逡巡した後、食べた。
「うまい……」
「それは良かった。実は、前にも発作的に諏訪へのチョコレートを作ったことがあるんだよ」
「それで?」
「バレンタイン当日に別の発作が起きて、全部自分で食った」
実は、他にも手編みのマフラーや書いた手紙を燃やしたこともある。
片想いを燻らせ、何かを作成し、破壊する。そんなサイクルを、幾度となく繰り返してきた。
「おまえって奴は……」
呆れられている。まあ、仕方のないことだ。
「諏訪」
「ん?」
「改めて言うけど、オレ、おまえのことが好きだ」
「……ありがとうな」
「いや、こっちこそありがとうな?」
好きでいさせてくれて、想い続けさせてくれて、感謝の念に堪えない。
「…………おまえを好きになれたらいいのに」
諏訪の言葉が、切なく響く。お互いに切なく想っていることが分かる。
諏訪はミョウジを「好き」ではないが、友愛の情は持っているのだ。
「ありがとう。諏訪が、そう言ってくれて嬉しいよ」
ミョウジは微笑んだ。
全く同じ気持ちではなくても、諏訪が抱いている気持ちは親愛で、それは掛け替えのないものだ。
しかし、それにしても、照れ臭い。
「……酒飲みてぇ」
話題を変えるために、声を出す。
「我慢しろ」
ミョウジは服薬しているので、酒が飲めない。
「飲まないけど、せめて居酒屋に付き合ってくれよ~」
「……しょうがねーな」
ふたりで夜まで暇潰しをした後に、居酒屋へと繰り出す。
諏訪はビールを、ミョウジは烏龍茶を頼んだ。
「そういや、この前、すれ違い様にC級隊員にビビられたんだけどよ。俺、そんなに目付き悪いか?」
「いや、野性味があるだけだよ。カッコイイよ。好きだよ」
近頃のミョウジは、このようにすぐ諏訪を褒めたり、好意を伝えたりしてくる。そして、諏訪は度々ドキリとするのだが、なんだか悔しいので黙っていることにしている。
そんな調子で、話や飲食をしながら、しばらく経った頃、ミョウジがぽつりと呟く。
「この想いが何かのきっかけで反転したらどうしよう。オレは何をしでかしてしまうのだろう」
「酔ってんのか?」
「哲学になら、毎日酔ってるよ。酒飲めないんだから、それくらい許せよ」
自分は、生きている限り哲学し続けることだろう。それが人生の麻酔だからだ。
さて、この想いとは、もちろん諏訪への想いのことである。
諏訪に対する、強くて重い感情が反転した時のことを考える。
それは、「嫌悪」あるいは「憎悪」になるのだろうか? そんなものを抱えたくはないが、ミョウジは自分に全幅の信頼を寄せているワケではないので、心配になってしまうのだ。
「何かやらかしたオレは、後悔すんだろうな。思えば生来、オレはそういう者だった……」
「事件を起こす前から自供とは器用だな、おまえ」
「出会ってすぐは、初めは、そんなつもりなかったんです。ただ私は、彼のことを好きだっただけで……思い返せば、私は幼い頃からーーーー」
「やめろ! 怖えーよ!」
ガタッと、カウンターに足をぶつけてしまう諏訪。
真に迫るミョウジの台詞に、冷や汗が出る。
「諏訪が、オレを止めてくれよな。おまえにしか頼めないんだ」
ミョウジは真剣な様子で、そう口にした。
「お前、俺を脅すのが趣味なのか?」
「ごめんねぇ! オレも出来れば無害なハムスターかなんかになりてぇんだけどね!」
祟るように、恋をしている。だから、自分に気を付けてほしい。
誠実であろうとすれば、それは脅しのような言葉になってしまう。ミョウジ自身、そんな己が嫌だったが、後悔するくらいなら、口を開く方が遥かにマシだと考えた。
この想いは、狂気にしても良くはない。恋とは、良き狂気であるべきだ。それは百も承知だが。
ふたりは、お気に入りの銘柄の煙草を吸い、煙を吐く。
居酒屋からの帰路。夜空には、見事な月が輝いていた。月光が、ふたりの影を照らし出す。
「おい、見ろよ。月デケェ」
諏訪が、白い息を吐きながら、月を指差す。
「眩しい、消して」
「無茶言うな」
ミョウジは月を睨むように見つめてから、隣を歩く諏訪を見た。
2020/09/08
母は言った、「料理は音楽」だと。
それを聞かされた息子は「は?」と思った。思っただけではなく、声に出したかもしれない。昔のことだから覚えていない。
息子は、ふたりのことが好きだった。尊敬出来る家族だった。
そのふたりは、今はもういない。
あの日、「いってきます」と言って、それぞれ家を出た両親は帰って来なかった。
行方不明になったミョウジの両親は、料理が共通言語だった。広い台所には、用途が限定的な調理器具が山のようにある。通販番組で外国人が紹介してそうな物が、たくさん。ミョウジには、使い道が分からない物がほとんどだ。料理を趣味としていた父母がいなくなってから、それらを誰も使わない。
他にも、謎の葉っぱだの、名前も分からないスパイスだの、誰も使いこなせないから全部捨てた。
ミョウジの祖父母は越して行き、この家にはもう、独りきりだ。
いずれここを出て行く時がきたら、自分の手で両親の物を処分しなければならない。そのことを考えると、気が滅入る。自分が、ただの作業として、それをやり遂げられるとは到底思えない。
最近、飲む薬の種類が増えた。
「そろそろダメなのかなぁ?」
深い溜め息をつく。
やめだ、やめだ。考えても仕方ないことだ。
「ミョウジさんは、暗い気持ちになることを考え込んでしまう癖があります。出来るだけ考えないようにしましょう」と、主治医も言っていたのだから。別のことを考えよう。
そうだ。もうすぐ、2月が終わってしまうのが問題だ。バレンタインデーは、とっくの昔に過ぎていて、大問題だ。
冷蔵庫には、用意した手作りチョコレートと市販のチョコレートが眠っている。
諏訪を家に呼んで、本命も本命のチョコを渡したいところだが、さらに問題があった。自宅内の生活動線が最悪なのである。足の踏み場もないくらいに散らかっている。両親も祖父母もいなくなった家は、荒れに荒れていた。
二階は比較的キレイだが、一階は酷い有り様だ。
まず、玄関。何故か靴が、5人家族が住んでいるかのような数出ている。居間へ向かう廊下には、ホコリを被った掃除機が置きっぱなしになっている。居間の床には哲学書が積まれ、紙類が散乱している。あと、通信販売を利用した際の、空の段ボール箱がたくさん。居間の隅には、室内干しの洗濯物が、乾いた後もそのままになっており、そこから着る物を取る始末。台所には洗っていない食器の山。テーブルには食べ物の空き容器が並ぶ。
「どうしよ……」
どうしようも何も、掃除するしかないが。
ミョウジはポケットから携帯電話を取り出し、諏訪にメッセージを送る。
『用事あるんだけど午後に家に来れる?』
すぐに、『行ける』と返事が来た。
これで、午前中は掃除をするしかなくなったというワケである。
午後2時頃、諏訪が、ひとりだけのミョウジ家へとやって来た。
家の中は、いつもと変わらない様子だ。
居間に通され、椅子に座る。
ミョウジは隣に座り、テーブルの上をスッとふたつの箱を滑らせ、諏訪の前に出す。
「ミョウジ……?」
「コレはその、バレンタインのチョコ……遅くなったけど……」
ミョウジは諏訪の方を見ないで答えた。
「なんで、ふたつ……?」
「片方はオレの手作りのトリュフチョコで、もう片方は市販のアソートのやつ。保険で」
トリュフチョコの味見はしてあるが、心配なので買った保険チョコ。それのせいで、随分と諏訪に不審に思われている。
そんなに変か? とミョウジは思った。
「どっちか激辛とかじゃねーだろうな?」
「どっちも激辛じゃないって。破滅的好奇心は自分にしか向かないから!」
諏訪は箱を開けて、トリュフチョコを手に取ると、逡巡した後、食べた。
「うまい……」
「それは良かった。実は、前にも発作的に諏訪へのチョコレートを作ったことがあるんだよ」
「それで?」
「バレンタイン当日に別の発作が起きて、全部自分で食った」
実は、他にも手編みのマフラーや書いた手紙を燃やしたこともある。
片想いを燻らせ、何かを作成し、破壊する。そんなサイクルを、幾度となく繰り返してきた。
「おまえって奴は……」
呆れられている。まあ、仕方のないことだ。
「諏訪」
「ん?」
「改めて言うけど、オレ、おまえのことが好きだ」
「……ありがとうな」
「いや、こっちこそありがとうな?」
好きでいさせてくれて、想い続けさせてくれて、感謝の念に堪えない。
「…………おまえを好きになれたらいいのに」
諏訪の言葉が、切なく響く。お互いに切なく想っていることが分かる。
諏訪はミョウジを「好き」ではないが、友愛の情は持っているのだ。
「ありがとう。諏訪が、そう言ってくれて嬉しいよ」
ミョウジは微笑んだ。
全く同じ気持ちではなくても、諏訪が抱いている気持ちは親愛で、それは掛け替えのないものだ。
しかし、それにしても、照れ臭い。
「……酒飲みてぇ」
話題を変えるために、声を出す。
「我慢しろ」
ミョウジは服薬しているので、酒が飲めない。
「飲まないけど、せめて居酒屋に付き合ってくれよ~」
「……しょうがねーな」
ふたりで夜まで暇潰しをした後に、居酒屋へと繰り出す。
諏訪はビールを、ミョウジは烏龍茶を頼んだ。
「そういや、この前、すれ違い様にC級隊員にビビられたんだけどよ。俺、そんなに目付き悪いか?」
「いや、野性味があるだけだよ。カッコイイよ。好きだよ」
近頃のミョウジは、このようにすぐ諏訪を褒めたり、好意を伝えたりしてくる。そして、諏訪は度々ドキリとするのだが、なんだか悔しいので黙っていることにしている。
そんな調子で、話や飲食をしながら、しばらく経った頃、ミョウジがぽつりと呟く。
「この想いが何かのきっかけで反転したらどうしよう。オレは何をしでかしてしまうのだろう」
「酔ってんのか?」
「哲学になら、毎日酔ってるよ。酒飲めないんだから、それくらい許せよ」
自分は、生きている限り哲学し続けることだろう。それが人生の麻酔だからだ。
さて、この想いとは、もちろん諏訪への想いのことである。
諏訪に対する、強くて重い感情が反転した時のことを考える。
それは、「嫌悪」あるいは「憎悪」になるのだろうか? そんなものを抱えたくはないが、ミョウジは自分に全幅の信頼を寄せているワケではないので、心配になってしまうのだ。
「何かやらかしたオレは、後悔すんだろうな。思えば生来、オレはそういう者だった……」
「事件を起こす前から自供とは器用だな、おまえ」
「出会ってすぐは、初めは、そんなつもりなかったんです。ただ私は、彼のことを好きだっただけで……思い返せば、私は幼い頃からーーーー」
「やめろ! 怖えーよ!」
ガタッと、カウンターに足をぶつけてしまう諏訪。
真に迫るミョウジの台詞に、冷や汗が出る。
「諏訪が、オレを止めてくれよな。おまえにしか頼めないんだ」
ミョウジは真剣な様子で、そう口にした。
「お前、俺を脅すのが趣味なのか?」
「ごめんねぇ! オレも出来れば無害なハムスターかなんかになりてぇんだけどね!」
祟るように、恋をしている。だから、自分に気を付けてほしい。
誠実であろうとすれば、それは脅しのような言葉になってしまう。ミョウジ自身、そんな己が嫌だったが、後悔するくらいなら、口を開く方が遥かにマシだと考えた。
この想いは、狂気にしても良くはない。恋とは、良き狂気であるべきだ。それは百も承知だが。
ふたりは、お気に入りの銘柄の煙草を吸い、煙を吐く。
居酒屋からの帰路。夜空には、見事な月が輝いていた。月光が、ふたりの影を照らし出す。
「おい、見ろよ。月デケェ」
諏訪が、白い息を吐きながら、月を指差す。
「眩しい、消して」
「無茶言うな」
ミョウジは月を睨むように見つめてから、隣を歩く諏訪を見た。
2020/09/08