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好きな娘がいるけれど、どうすべきか分からなかった。
おれは、ミョウジナマエが好き。でも、彼女は、弓場さんのことが好き。
だから、ずっと機を伺っていた。
そうしてるうちに、第二次近界民侵攻が起きる。通信室で死者が出た時は、正直、最悪な気持ちになった。
ミョウジちゃんがいるところだから。彼女が死んでいたかもしれないことが、とても不安にさせた。
「ミョウジちゃんさ、怖くないの?」
いつだったか、おれは彼女に質問したんだ。
「なにが?」
「ボーダーにいること」
「怖いよ。知ってる人が殺されたんだもの」
「やめないの?」
「やめない。わたし、三門が好きだから」
そう答えるミョウジちゃんは、強い意思を持って、真っ直ぐな視線を寄越す。
そういうとこ、嫌いなんだよなぁ。もっと自分を大事にしてほしいよ。
「犬飼くんは?」
「おれ?」
「怖くないの?」
「おれは、平気だよ」
嘘だ。おれは、ミョウジちゃんが死ぬのが怖い。
「それじゃあ、一緒に頑張ろうね」
「うん」
無垢な笑顔を向ける彼女。卑怯だよね。何も言い返せなかった。
2月のとある日、ミョウジちゃんが失恋したことを知る。
待ちに待った機会だと思った。
「ミョウジちゃん、元気?」
「うん。元気だよ」
彼女は、おれから視線を外して答える。
「何かあった?」
「ああ、うん。ちょっとね」
それ以上は、何も言わない。
「おれでよかったら、話聞くから、いつでも連絡してよ」
「ありがとう、犬飼くん」
微笑むミョウジちゃん。別に、無理に笑ってるワケでもなさそうだ。
でも、その笑顔じゃ、もう満足出来ない。“みんな”に向けるのと同じ表情じゃ、嫌だ。
「おれ、ミョウジちゃんのこと好きだよ」
「えっ? それって、どういう————」
「恋愛的に好きってこと」
「そう、なの? わたし、でも…………」
「別に、返事はいらないから。ただ、こういう奴もいるって覚えといて」
「……うん」
彼女は、一瞬目を伏せてから、おれを見つめる。気持ちに応えようとするかのように。
想いが、しっかり届いたことに安心した。
「そろそろ行かなきゃ。じゃあ、またね」
「またね、犬飼くん」
ミョウジちゃんは、小さく手を振る。
あの娘が、純真でいられるのは、きっと確率の魔法の中にいるからだ。そして、彼女は、その大切さに気付いてる。
それがいいんだよな。真綿の中に一本の芯が通ってる。
誰かが困っていたら、ドブ川にでも飛び込みそうなところは、どうかと思うけれど。
ミョウジちゃんがドブ川に飛び込んだら、おれが引っ張り上げてあげるよ。
おれにしとけばいいのに。
◆◆◆
この痛みに、どれだけの人が耐えられるのだろう?
わたしの心は、少しだけ針が刺さったみたいに痛んでいる。
それを取り除いてくれると、犬飼くんは言った。
きっと、あなたは、わたしを助けてくれる。一世一代の初恋の相手に振られたわたしを。
「ミョウジちゃん」
「犬飼くん…………」
「そんなに構えないでよ。おれは、味方なんだからさ」
「うん、ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
犬飼くんは、少し困ったように笑う。
「ミョウジちゃん、暇な時に勉強見てくれない? 星輪だし、ミョウジちゃんは勉強出来るでしょ?」
「え? うん、いいけど」
「また連絡するね」
「うん」
わたしは、犬飼くんと別れて通信室へ行く。
本部のオペレーターとしての仕事をこなし、刺さった棘を無視した。
日々は、過ぎていく。止まることのない川の流れのように。
「ミョウジちゃんは、真っ白だよね」
「真っ白?」
「芯があって、何色にも染まらない」
「そうかな?」
「そうだよ」
一緒に勉強をしながら、そんなことを話す。
白色は、わたしの好きな色だ。
でも、わたしのドレスはもう、純白ではないのだと思う。赤い染みが点々とついている気がした。
それでも、あなたはわたしのことを好きですか?
犬飼くんには、そんなことは訊けないけれど。
「犬飼くんは、どうしてわたしを好きなの?」
代わりに、そんな質問をした。
「さあ。気付いたら好きだった」
「そっか…………」
まあ、わたしも弓場さんを好きになったきっかけは、ほんの些細なことだったものね。ただ、あの人が落としたハンカチを拾ってくれただけ。
そういう何かが犬飼くんにもあったのかもしれないし、積み重ねで好意が生まれたのかもしれない。
「犬飼くんのことは、友達だと思ってるの。今は、それでいい?」
「もちろん。嬉しいよ」
「ありがとう」
その言葉に救われる。
あなたは、大切な友達。わたしの心強い味方。
全員が、好きな人の好きな人にはなれない。恋愛って、そういうものだろうけれど、犬飼くんを傷付けたくない。
少なくとも、わたしは彼に悪感情を抱いてはいないから。
犬飼澄晴くんは、いわゆるモテる人だ。引く手あまただと思う。
そんな彼が、わたしを好きだと言う。わたしは、少しだけ心配になった。
誰かに恨まれたら、どうしよう?
こんなことを考えているわたしは、全然いい人じゃない。
わたしは、純粋な人間とは言えなかった。
◆◆◆
美しい精神性が愛しかった。
ミョウジナマエは、しなやかで折れない。
「犬飼くん」
「なに?」
「クッキー焼いたんだけど、もらってくれる?」
二宮隊の作戦室にやって来たミョウジちゃんは、綺麗にラッピングされたクッキーを持っていた。
「もらうよ、ありがとう」
「うん」
ミョウジちゃんは、柔らかく笑う。
彼女の手作りクッキーが欲しい奴なんて、掃いて捨てるほどいるだろう。そのことを、ミョウジちゃんは、きっと知らない。
おれは、優越感を覚えながら、手元のクッキーを見つめた。
「ミョウジちゃん、今日一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
「よかった。後で連絡するね」
「分かった。それじゃあ、わたしは戻るね。また後で」
「じゃあね」
軽く手を振り、彼女を見送る。
やっぱり、ミョウジナマエは純白だと思う。
「犬飼先輩」
「ん?」
「今の人が、例の?」
ミョウジちゃんが作戦室から出たからか、辻ちゃんが訊いてきた。
「そうだよ。おれの好きな人」
「優しそうな人ですね」
「優しいよ。可愛くてしょうがない」
おれは、彼女を守るためなら、なんでも出来る気がする。
「犬飼先輩の恋、上手くいくといいですね」
「ありがとう、辻ちゃん」
まあ、最終的には、“曲がって”くれると思うよ。決して折れないミョウジちゃんは、おれにすぐに乗り換えるような娘じゃないけれど、いつかはそうなる。
おれは、ただ待っていればいいだけだ。それが、明日なのか、来年なのか、もっと先なのかは分からないけれど。
じっと獲物を待つ肉食獣みたいな気分だ。
その後。任務を終えてから、ミョウジちゃんにメッセージを送った。
『お疲れ様』
『こっちは終わったよ』
『お疲れ様』
『わたしも終わったよ』
ボーダー本部の外に出て、待ち合わせ場所へ向かう。
ミョウジちゃんは、先にいた。
「お待たせ。帰ろう、ミョウジちゃん」
「うん」
おれたちは、並んで歩き出す。他愛ない話をしながら。
ボーダーでの仕事のこと、勉強のこと、趣味のこと。
ミョウジちゃんは、真面目にオペレーターの仕事をこなしていて。きちんと勉強に励んでいて。趣味のお菓子作りにも、本気で取り組んでいる。
絵に描いたような“いい子”だ。でも、それだけじゃない。
おれと関わることで起きる良くないことを避けるだけの強かさがある。
そんな彼女だから、おれは好きになったんだよね。
ミョウジナマエは、他人に嫌われたくなくて、嫌われないように出来る娘なんだ。
それって、才能と努力の賜物だよね。
◆◆◆
最近、よく犬飼くんのことを考えている。
わたしが、あなたを傷付けてはいないかってことを。
そう考えているのは、我が身可愛さじゃないかってことも。
棘が与える痛みは、少しずつなくなってきている。
失恋しても、想いがいきなり消えることはない。けれど、時間がそれを思い出にしていく。
それが、いいことなのかどうか、わたしには分からなかった。
「ミョウジちゃん」
犬飼くんに呼ばれると、わたしは微笑んで返事をする。勉強や遊びに誘われれば、応える。彼に、手作りのお菓子をあげることもある。
友達だから? 好きだから?
違う。きっと、“好きになりたいから”だ。
わたしは、わたしを好きな人を好きになりたいと考え始めている。
ずるい人間かもしれない。
でも、それを誰も咎めないだろう。わたし以外は。
ミョウジナマエは、犬飼くんの好意に甘えている。
一生のうちに出会える人には限りがある。自分を好きになってくれる他者がいることは、とても幸せなことだ。
だから。だから?
わたしは、自己を正当化しようとしている?
小さく溜め息をついた。
自室から出て、姉の部屋まで行く。
「お姉ちゃん、入ってもいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
姉は、ベッドに腰かけて読書をしていた。
「お姉ちゃん、相談があるんだけど……」
隣に座り、姉の返事を待つ。
「んー? どうしたの?」
文庫本から顔をあげ、お姉ちゃんがわたしを見つめた。
「恋愛のことなんだけれど」
「おー、話してみて」
「同い年の男の子に告白されたんだけど、返事を保留していて」
「へぇ。どうして?」
お姉ちゃんは、頬に手を当てて考える仕草をする。
「わたし、別の人に片想いしていて、告白して、失恋したの」
「勇気あるねぇ」
「だから、どうしたらいいか悩んでる」
「ふーん」
一呼吸置いて。
「ナマエは、その子を振りたくない。でも、今すぐ付き合うことも出来ない。そういうこと?」
「まあ、そうかな…………」
「私だったら付き合うけど、ナマエはなぁ。自分をゆるせないんじゃない?」
鋭い指摘をされた。
「……わたし、悪い人間だよね」
「そんなことないよ。まあ、自責が多いとこは悪いかもね」
「…………」
「友達のままでいたら?」
「そうだね……そうする…………」
お姉ちゃんにお礼を言ってから、自分の部屋に戻る。
ベッドに寝て、しばらく白い天井を眺めた。
明日、犬飼くんに返事をしよう。
◆◆◆
ミョウジちゃんに呼び出されて、人気のない廊下へ来た。
「ごめんね、急に。でも、大切なことは直接言った方がいいと思って」
「…………」
ミョウジナマエの真っ直ぐな眼差しを見て、察しがつく。
おれを振るつもりなんだ。
「わたしね……」
「ストップ。言ったでしょ? 返事はしなくていいって」
「犬飼くん…………」
ミョウジちゃんは、躊躇うように口を引き結ぶ。
「おれは、ずっと待ってるから。ミョウジちゃんの気持ちが変わるまで。だから、おれのためを思うなら、その台詞は言わないでほしいな」
「……分かった。ありがとう、犬飼くん。あなたを自己満足に巻き込むところだった」
「いや、おれのワガママだよ。ごめんね、ミョウジちゃん」
「そんなことないよ」と、ミョウジちゃんは美しく微笑んだ。
「わたし、犬飼くんのおかげで救われてる。わたしのことを好きでいてくれるあなたがいるから、自分を嫌わずにいられるの」
「ミョウジちゃんは、強い娘だね」
「そうかな? そうだといいな……」
ミョウジちゃんは、一瞬目を伏せてから、真剣な顔をする。
「わたしが、もっと強くなったら、犬飼くんの手を取りに行きます。だから、待っていてください」
やっぱり、そうでなくちゃね。
ミョウジちゃんは、絶対に折れないんだよ。
「うん。待ってる」
曲がってくれるその日まで、おれは待ってるから。
「ありがとう、ミョウジちゃん」
「こちらこそ、ありがとう。犬飼くん」
おれたちは、どちらからともなく握手をした。
今は、これで充分。
「それじゃあ、またね」
「うん、またね」
手を離して、ミョウジちゃんと別れた。
去って行く彼女の後ろ姿を見ながら、おれは考える。
ミョウジナマエは純白で、たとえそれが汚れても、自分で綺麗にすることが可能で。正しくあろうとする彼女は美しくて。だけど、いつかは、おれに染まってくれるかもしれない娘で。
でも、おれはきっと、彼女に色を与えないようにするんだろう。
月並みに言えば、ありのままのミョウジナマエが好きだから。
どうか、これからも真っ白のままでいてね。ミョウジちゃん。
彼女の姿が見えなくなってから、おれは歩き出す。
視線をやった窓の外には、ちらちらと雪が見えた。
雪のように白くて、スズランみたいに可憐で、マシュマロみたいに可愛くて、塩のように大切な彼女。
真珠みたいに綺麗なミョウジちゃんを、一番近くで見ていたい。
おれは、そのために行動するし、彼女の「好き」を待ち続ける。
それくらいの覚悟はあるよ。
今日も、明日も、その先も、ミョウジナマエが幸せの魔法の中にいられますように。
おれは、ミョウジナマエが好き。でも、彼女は、弓場さんのことが好き。
だから、ずっと機を伺っていた。
そうしてるうちに、第二次近界民侵攻が起きる。通信室で死者が出た時は、正直、最悪な気持ちになった。
ミョウジちゃんがいるところだから。彼女が死んでいたかもしれないことが、とても不安にさせた。
「ミョウジちゃんさ、怖くないの?」
いつだったか、おれは彼女に質問したんだ。
「なにが?」
「ボーダーにいること」
「怖いよ。知ってる人が殺されたんだもの」
「やめないの?」
「やめない。わたし、三門が好きだから」
そう答えるミョウジちゃんは、強い意思を持って、真っ直ぐな視線を寄越す。
そういうとこ、嫌いなんだよなぁ。もっと自分を大事にしてほしいよ。
「犬飼くんは?」
「おれ?」
「怖くないの?」
「おれは、平気だよ」
嘘だ。おれは、ミョウジちゃんが死ぬのが怖い。
「それじゃあ、一緒に頑張ろうね」
「うん」
無垢な笑顔を向ける彼女。卑怯だよね。何も言い返せなかった。
2月のとある日、ミョウジちゃんが失恋したことを知る。
待ちに待った機会だと思った。
「ミョウジちゃん、元気?」
「うん。元気だよ」
彼女は、おれから視線を外して答える。
「何かあった?」
「ああ、うん。ちょっとね」
それ以上は、何も言わない。
「おれでよかったら、話聞くから、いつでも連絡してよ」
「ありがとう、犬飼くん」
微笑むミョウジちゃん。別に、無理に笑ってるワケでもなさそうだ。
でも、その笑顔じゃ、もう満足出来ない。“みんな”に向けるのと同じ表情じゃ、嫌だ。
「おれ、ミョウジちゃんのこと好きだよ」
「えっ? それって、どういう————」
「恋愛的に好きってこと」
「そう、なの? わたし、でも…………」
「別に、返事はいらないから。ただ、こういう奴もいるって覚えといて」
「……うん」
彼女は、一瞬目を伏せてから、おれを見つめる。気持ちに応えようとするかのように。
想いが、しっかり届いたことに安心した。
「そろそろ行かなきゃ。じゃあ、またね」
「またね、犬飼くん」
ミョウジちゃんは、小さく手を振る。
あの娘が、純真でいられるのは、きっと確率の魔法の中にいるからだ。そして、彼女は、その大切さに気付いてる。
それがいいんだよな。真綿の中に一本の芯が通ってる。
誰かが困っていたら、ドブ川にでも飛び込みそうなところは、どうかと思うけれど。
ミョウジちゃんがドブ川に飛び込んだら、おれが引っ張り上げてあげるよ。
おれにしとけばいいのに。
◆◆◆
この痛みに、どれだけの人が耐えられるのだろう?
わたしの心は、少しだけ針が刺さったみたいに痛んでいる。
それを取り除いてくれると、犬飼くんは言った。
きっと、あなたは、わたしを助けてくれる。一世一代の初恋の相手に振られたわたしを。
「ミョウジちゃん」
「犬飼くん…………」
「そんなに構えないでよ。おれは、味方なんだからさ」
「うん、ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
犬飼くんは、少し困ったように笑う。
「ミョウジちゃん、暇な時に勉強見てくれない? 星輪だし、ミョウジちゃんは勉強出来るでしょ?」
「え? うん、いいけど」
「また連絡するね」
「うん」
わたしは、犬飼くんと別れて通信室へ行く。
本部のオペレーターとしての仕事をこなし、刺さった棘を無視した。
日々は、過ぎていく。止まることのない川の流れのように。
「ミョウジちゃんは、真っ白だよね」
「真っ白?」
「芯があって、何色にも染まらない」
「そうかな?」
「そうだよ」
一緒に勉強をしながら、そんなことを話す。
白色は、わたしの好きな色だ。
でも、わたしのドレスはもう、純白ではないのだと思う。赤い染みが点々とついている気がした。
それでも、あなたはわたしのことを好きですか?
犬飼くんには、そんなことは訊けないけれど。
「犬飼くんは、どうしてわたしを好きなの?」
代わりに、そんな質問をした。
「さあ。気付いたら好きだった」
「そっか…………」
まあ、わたしも弓場さんを好きになったきっかけは、ほんの些細なことだったものね。ただ、あの人が落としたハンカチを拾ってくれただけ。
そういう何かが犬飼くんにもあったのかもしれないし、積み重ねで好意が生まれたのかもしれない。
「犬飼くんのことは、友達だと思ってるの。今は、それでいい?」
「もちろん。嬉しいよ」
「ありがとう」
その言葉に救われる。
あなたは、大切な友達。わたしの心強い味方。
全員が、好きな人の好きな人にはなれない。恋愛って、そういうものだろうけれど、犬飼くんを傷付けたくない。
少なくとも、わたしは彼に悪感情を抱いてはいないから。
犬飼澄晴くんは、いわゆるモテる人だ。引く手あまただと思う。
そんな彼が、わたしを好きだと言う。わたしは、少しだけ心配になった。
誰かに恨まれたら、どうしよう?
こんなことを考えているわたしは、全然いい人じゃない。
わたしは、純粋な人間とは言えなかった。
◆◆◆
美しい精神性が愛しかった。
ミョウジナマエは、しなやかで折れない。
「犬飼くん」
「なに?」
「クッキー焼いたんだけど、もらってくれる?」
二宮隊の作戦室にやって来たミョウジちゃんは、綺麗にラッピングされたクッキーを持っていた。
「もらうよ、ありがとう」
「うん」
ミョウジちゃんは、柔らかく笑う。
彼女の手作りクッキーが欲しい奴なんて、掃いて捨てるほどいるだろう。そのことを、ミョウジちゃんは、きっと知らない。
おれは、優越感を覚えながら、手元のクッキーを見つめた。
「ミョウジちゃん、今日一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
「よかった。後で連絡するね」
「分かった。それじゃあ、わたしは戻るね。また後で」
「じゃあね」
軽く手を振り、彼女を見送る。
やっぱり、ミョウジナマエは純白だと思う。
「犬飼先輩」
「ん?」
「今の人が、例の?」
ミョウジちゃんが作戦室から出たからか、辻ちゃんが訊いてきた。
「そうだよ。おれの好きな人」
「優しそうな人ですね」
「優しいよ。可愛くてしょうがない」
おれは、彼女を守るためなら、なんでも出来る気がする。
「犬飼先輩の恋、上手くいくといいですね」
「ありがとう、辻ちゃん」
まあ、最終的には、“曲がって”くれると思うよ。決して折れないミョウジちゃんは、おれにすぐに乗り換えるような娘じゃないけれど、いつかはそうなる。
おれは、ただ待っていればいいだけだ。それが、明日なのか、来年なのか、もっと先なのかは分からないけれど。
じっと獲物を待つ肉食獣みたいな気分だ。
その後。任務を終えてから、ミョウジちゃんにメッセージを送った。
『お疲れ様』
『こっちは終わったよ』
『お疲れ様』
『わたしも終わったよ』
ボーダー本部の外に出て、待ち合わせ場所へ向かう。
ミョウジちゃんは、先にいた。
「お待たせ。帰ろう、ミョウジちゃん」
「うん」
おれたちは、並んで歩き出す。他愛ない話をしながら。
ボーダーでの仕事のこと、勉強のこと、趣味のこと。
ミョウジちゃんは、真面目にオペレーターの仕事をこなしていて。きちんと勉強に励んでいて。趣味のお菓子作りにも、本気で取り組んでいる。
絵に描いたような“いい子”だ。でも、それだけじゃない。
おれと関わることで起きる良くないことを避けるだけの強かさがある。
そんな彼女だから、おれは好きになったんだよね。
ミョウジナマエは、他人に嫌われたくなくて、嫌われないように出来る娘なんだ。
それって、才能と努力の賜物だよね。
◆◆◆
最近、よく犬飼くんのことを考えている。
わたしが、あなたを傷付けてはいないかってことを。
そう考えているのは、我が身可愛さじゃないかってことも。
棘が与える痛みは、少しずつなくなってきている。
失恋しても、想いがいきなり消えることはない。けれど、時間がそれを思い出にしていく。
それが、いいことなのかどうか、わたしには分からなかった。
「ミョウジちゃん」
犬飼くんに呼ばれると、わたしは微笑んで返事をする。勉強や遊びに誘われれば、応える。彼に、手作りのお菓子をあげることもある。
友達だから? 好きだから?
違う。きっと、“好きになりたいから”だ。
わたしは、わたしを好きな人を好きになりたいと考え始めている。
ずるい人間かもしれない。
でも、それを誰も咎めないだろう。わたし以外は。
ミョウジナマエは、犬飼くんの好意に甘えている。
一生のうちに出会える人には限りがある。自分を好きになってくれる他者がいることは、とても幸せなことだ。
だから。だから?
わたしは、自己を正当化しようとしている?
小さく溜め息をついた。
自室から出て、姉の部屋まで行く。
「お姉ちゃん、入ってもいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
姉は、ベッドに腰かけて読書をしていた。
「お姉ちゃん、相談があるんだけど……」
隣に座り、姉の返事を待つ。
「んー? どうしたの?」
文庫本から顔をあげ、お姉ちゃんがわたしを見つめた。
「恋愛のことなんだけれど」
「おー、話してみて」
「同い年の男の子に告白されたんだけど、返事を保留していて」
「へぇ。どうして?」
お姉ちゃんは、頬に手を当てて考える仕草をする。
「わたし、別の人に片想いしていて、告白して、失恋したの」
「勇気あるねぇ」
「だから、どうしたらいいか悩んでる」
「ふーん」
一呼吸置いて。
「ナマエは、その子を振りたくない。でも、今すぐ付き合うことも出来ない。そういうこと?」
「まあ、そうかな…………」
「私だったら付き合うけど、ナマエはなぁ。自分をゆるせないんじゃない?」
鋭い指摘をされた。
「……わたし、悪い人間だよね」
「そんなことないよ。まあ、自責が多いとこは悪いかもね」
「…………」
「友達のままでいたら?」
「そうだね……そうする…………」
お姉ちゃんにお礼を言ってから、自分の部屋に戻る。
ベッドに寝て、しばらく白い天井を眺めた。
明日、犬飼くんに返事をしよう。
◆◆◆
ミョウジちゃんに呼び出されて、人気のない廊下へ来た。
「ごめんね、急に。でも、大切なことは直接言った方がいいと思って」
「…………」
ミョウジナマエの真っ直ぐな眼差しを見て、察しがつく。
おれを振るつもりなんだ。
「わたしね……」
「ストップ。言ったでしょ? 返事はしなくていいって」
「犬飼くん…………」
ミョウジちゃんは、躊躇うように口を引き結ぶ。
「おれは、ずっと待ってるから。ミョウジちゃんの気持ちが変わるまで。だから、おれのためを思うなら、その台詞は言わないでほしいな」
「……分かった。ありがとう、犬飼くん。あなたを自己満足に巻き込むところだった」
「いや、おれのワガママだよ。ごめんね、ミョウジちゃん」
「そんなことないよ」と、ミョウジちゃんは美しく微笑んだ。
「わたし、犬飼くんのおかげで救われてる。わたしのことを好きでいてくれるあなたがいるから、自分を嫌わずにいられるの」
「ミョウジちゃんは、強い娘だね」
「そうかな? そうだといいな……」
ミョウジちゃんは、一瞬目を伏せてから、真剣な顔をする。
「わたしが、もっと強くなったら、犬飼くんの手を取りに行きます。だから、待っていてください」
やっぱり、そうでなくちゃね。
ミョウジちゃんは、絶対に折れないんだよ。
「うん。待ってる」
曲がってくれるその日まで、おれは待ってるから。
「ありがとう、ミョウジちゃん」
「こちらこそ、ありがとう。犬飼くん」
おれたちは、どちらからともなく握手をした。
今は、これで充分。
「それじゃあ、またね」
「うん、またね」
手を離して、ミョウジちゃんと別れた。
去って行く彼女の後ろ姿を見ながら、おれは考える。
ミョウジナマエは純白で、たとえそれが汚れても、自分で綺麗にすることが可能で。正しくあろうとする彼女は美しくて。だけど、いつかは、おれに染まってくれるかもしれない娘で。
でも、おれはきっと、彼女に色を与えないようにするんだろう。
月並みに言えば、ありのままのミョウジナマエが好きだから。
どうか、これからも真っ白のままでいてね。ミョウジちゃん。
彼女の姿が見えなくなってから、おれは歩き出す。
視線をやった窓の外には、ちらちらと雪が見えた。
雪のように白くて、スズランみたいに可憐で、マシュマロみたいに可愛くて、塩のように大切な彼女。
真珠みたいに綺麗なミョウジちゃんを、一番近くで見ていたい。
おれは、そのために行動するし、彼女の「好き」を待ち続ける。
それくらいの覚悟はあるよ。
今日も、明日も、その先も、ミョウジナマエが幸せの魔法の中にいられますように。
