煙シリーズ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
煙に巻かれてくれない人間には、本当に困らせられる。
「おまえ、さっきからはぐらかしてばっかじゃねーか」
諏訪洸太郎は、ミョウジナマエに言いくるめられてはくれない。
大学の喫煙室で、ぼんやりしていたところに諏訪がやって来て、ミョウジは尋問されている。
「オレが諏訪に言ってないこと、たくさんあるけど、どれを言ってほしいんだ?」
「また、おまえはそうやって……もう全部言え、全部……!」
「オレが生まれたのは、11月のそれはそれは冷たい雨の降る陰鬱な日で――」
「おい、くそったれ。いい加減怒るぞ。直近3つの悩みを白状しろ」
「げーっ! その指定、ずるいぞ。小賢しいぞ、諏訪」
ミョウジは膨れっ面をした。
「メンドクセー。おまえんとこの本棚にオレの日記が紛れてるから、勝手に読んでくれよぉ」
「ないもん読めるか」
諏訪隊の作戦室にミョウジの日記などないし、それどころか、子供の頃に科された宿題を嫌々やったことが何度かあるだけで、彼は自発的に日記を付けたことがない。今後も、強制されない限りは付けないだろう。
この世に存在しない日記は読めない。そんな便利なものがあれば、ミョウジと今のような攻防を繰り広げないで済んだのかもしれないと諏訪は思ったが、この男が人に見せる前提の日記に本心を綴るとは考えづらい。口から煙を吐くのだから、指先からも煙を出すことだろう。
「散弾相手に、この距離で煙幕張ろうとしたオレがバカだったよ」
いつだってミョウジには対面で、近距離で、当たらなくてはならない。そうしないと逃げられる、と諏訪が理解していることを、ミョウジは承知している。だから近頃は、諏訪と会うのを不自然ではない程度に避けていたのだ。
「何から話せばいいのか……」
とうとう降参したミョウジは、少し思案した。
「うち、ジジババだけじゃん?」
「ああ」
「面倒見てくれる親戚のとこに身を寄せるって話になって。オレも一緒に引っ越さないかって――」
「おまえ引っ越すのか?!」
「いいえ? お話は最後まで聞きましょうね、洸太郎くん」
「おまえ、俺をムカつかせる天才か?」
更に、ミョウジはボーダーで顔を合わせた当初から心配させる天才でもあり、厄介なことこの上ない。
「引っ越さないかって言われて……えーと、でも親戚に断りを入れて、オレはひとりで残ることにした。少し悩んだけど、ボーダー続けたいし」
「そうか」
どうして自己解決する前に自分に相談しないのだろうか、この男は。もちろん、決断するのはミョウジ自身だが、相談せずに引っ越すと決めた場合でも、いけしゃあしゃあと答えるつもりなのか?
諏訪は、友人であるミョウジの気持ちが分からない。
「でー、ふたつ目。戦闘マジ向いてないから、オペレーターに転向しようと思って」
「はァ?!」
二度目の寝耳に水である。
ミョウジは涼しい顔で煙草を吸って、フーと煙を吐いた。
「人間、向き不向きがあるし」
ボーダーに入り、かろうじてB級戦闘員として活動してきたが、自分には戦闘センスがないのだと認めざるを得ない。ミョウジは、これまでの経験から冷静に分析し、そう結論を出したのである。
例の引っ越しの件もあり、一時はボーダー自体をやめることも検討したのだが、オペレーターという一歩引いた役割ならば出来るかもしれないと考え、こっそりと仕事を学んだ。
「オペであの喋り方はやめとけよな、ミョウジ」
諏訪は秘密主義が過ぎる男に呆れた顔を向け、溜め息を吐く。
「せいぜい頑張って玉虫色じゃないオペレーターになるよ、と言いたいとこだけど、オレはオペレーターになりません。なれん。ビックリするほど向いてなかった。頭パンクするわ、アレ」
「……おまえ、わざとやってんだろ?」
「そーだよ」
「好感度下がるわ!」
「オレは大好きだよ……オレが……」
諏訪は苛立ちを隠さず、飄々としているミョウジを睨み付けた。
「で、まあ、オペは諦めたワケ。そんで、メディア対策室に入り込めねぇかな、と思ったんだけど」
「ダメだったんだろ?」
「えげつない音楽性の違いが浮き彫りになって。ポップスとノイズミュージックぐらい違う」
「ああ、おまえの喋りはノイズっぽいよな」
腕を組んで何度か頷く諏訪。
「最新の悩みは、サボりで単位がヤバい、以上」
「さては、今もサボりか」
「サボりとは、なんだろう? オレは休むのをサボっていないだけであって――」
「授業、を、サボるな」
「はい、そーね。もうサボりません、たぶん」
次にサボるのは、単位を気にするのをやめた時だろう。
話は終わったと言わんばかりに、ミョウジは立ち去ろうとするが、諏訪に腕を掴まれた。
「なんか、他にも隠してねーか?」
真剣な表情と声に気圧され、目が逸らせない。ぞくぞくと、心がざわつく。
「なんで分かんの? コエーよ、おまえ」
正面に立つミョウジは、ばつが悪そうな、それでいて妙に嬉しそうな様子で言った。
諏訪がミョウジに「隠し事してるだろ?」と訊く時は、いつも当てずっぽうである。だからミョウジが怖がる必要はないのだが、今のところ外れたことがないのも事実だ。
彼にとっては、ミョウジに元気がないと思ったら、「とりあえず訊いとくか」というノリで言っている台詞。それがミョウジには、とても効果がある。
諏訪が、そんなことを訊く理由は、ミョウジがなんでもかんでもひとりで抱え込む人間であることが嫌というほど身に染みているからだ。弱音の代わりに煙を吐く男だから。煙草を吸える年齢になる前から、そんな調子の難儀な奴だから。
自分が、諏訪が考えているような難儀な人間になっていることを、ミョウジは自覚している。
発端は、第一次近界民侵攻で両親が行方不明になったことだと思う。「悲しい」とか「苦しい」とか、そういった言葉の数々を甘えだとして、呑み込むようになった。
彼に、言いたい/言いたくない
そしてこれは、その弊害なのだろうか。
脳内で、相反するふたつの意見を同時に展開する思考。常にという訳ではないが、これは自動的に起こるもので、止めるのは至難の業だ。
この思考では、結論が出ない。全くもって意味のないもの。二重の答えから導けるのは、いつだって現状維持のみである。
好きだ/嫌いだ
想いを告げたい/言葉は持たない
好き/ふざけんな
愛されたい/自惚れだ
愛されないなら/愛せないなら、通り過ぎてくれないか?
そんなことを、言いたい/言えるものか
思考の波は途切れない。諏訪洸太郎に関する悩みだけが、頭の中で出口のない迷宮みたいに広がっている。
ミョウジにとって、正直に生きることは難しい。
諏訪の正面に立ち、ミョウジは不意打ちで彼の両目を右手で覆う。彼はビクリと肩を震わせたが、手を払おうとはしなかった。目隠しされている諏訪には、目の前に立つ男が愛おしそうな表情をしていることなど分からない。
「オレはね、なんでだか知らないが、おまえに甘えたいんだよ」
男は、本音を煙に包んで出した。
煙に巻くような喋りを繰り返している時点で、相当甘えているのだろうと、自嘲する。けれど、これ以上はダメだ。
「でも、なにかが邪魔してんだ」
邪魔してるものは、見栄や、つまらないプライドだろう。
例えば、彼とあまり変わらない身長でなく、同じ年齢ではなく、同じ性別でなければ、問題は解決するのかもしれない。どれかひとつでもあれば。
ミョウジは一度、深く溜め息を吐き、諏訪の目隠しを解いた。
「オレ、なんで諏訪と同い年なんだろうな? ワケが分からねぇ。18歳になりてぇ」
「なんで18だよ?」
「スケベなもん見られなくなるのは困るからだよ」
「別にミョウジが俺を頼ろうが、俺は気にしねーけど」
友人であり仲間であるのに今更なにを、と彼。納得いかない、とその表情が語っている。
「オレが気にするんですぅ。オメーの了承なんて無意味ですぅ」
「意地っ張り野郎」
「つまらねぇ意地ですぅ」
「ですぅ、やめろ! おまえ、俺をイラつかせるプロか?」
諏訪は立ち上がり、真正面からミョウジの目を見据えた。彼の目が、ミョウジを少したじろがせる。
「俺には、おまえが何を気にしてんのか、さっぱりだよ」
「絵面がヒデーんだよ、絵面が」
「絵面ァ?」
「成人した男が床を転げ回って駄々こねてたら、引くだろ?」
「哀れだな」
「オレを哀れにしないでくれ」
ミョウジは声の調子を暗くし、黙り込んだ。しかし、諏訪は沈黙を許さない。追及をやめない。
「よく分かんねーよ。はっきり言いやがれ」
「いつか、言うから…………いや違うわ。明日、言うから……」
いつか、なんて来ないかもしれない。
何故なら、日常や平穏が呆気なく壊れることをミョウジは知っている。今、目の前にいる人間が、ずっと傍にいるとは限らないのだ。
引っ越し話をきっかけに、転換期がきた。そういうことにして、無理にでも波に乗らなければ、自分が動くことはないだろうと。これはチャンスなのだと、自分に言い聞かせた。
けれど、これはやっぱり、なにかを壊してしまうものかもしれない。
「覚悟しとけよ」
「脅すな」
諏訪は、不敵な笑みのミョウジが向けてきた人差し指を、手のひらで軽く押し返した。
◆◆◆
両親と最後に何を話したのか、覚えていない。
その上、ふたりの声も忘れそうだ。写真がなければ、いずれは顔だって忘れてしまうことだろう。
ふたりに帰って来てほしいが、心の何処かでは、両親の生存を諦めている。しかし、それが真実として突き付けられるのは怖い。
生きているのか、死んでいるのか。その箱を、自分で開けることは出来そうになかった。
先のことを考えたって仕方ない。世界を極彩色に捉えて、いちいち感情的になってはならない。彩度も明度も下げろ。そんなことを拾い上げても、ノイズになるだけ。自分を騙し騙し生きていくのだ。そうしないと自分は、社会的動物として、やっていけない。記憶や思い出だって、不鮮明にしたり、都合よく編集したりしてこその人間だろう。
そう思うけれど。
それなのに、彼だけはいつまでも鮮烈で、どうしようもなかった。こんなことになるような、決定的な出来事などなかったはずなのに。気付けば、1年以上想い続けている。
ただ、死のふちで後悔するのは嫌だという気持ちが。自分勝手な気持ちが、不意打ちになるだろう告白へと急がせた。
そして今、ミョウジナマエは自室に招いた彼に告白するのだ。ソファーに並んで座っているのだが、今すぐにでも、背後の窓から飛び出して逃げてしまいたい。しかし、後悔への恐れがミョウジを押し止める。
最初の2文字を声に出してからは、勝手に口が動いて言葉が続いた。
「好き、なんだよ、おまえのこと。どう聞こえてるか分からねぇけど、今は煙に巻こうとしてないぜ?」
抜き身の自分は、どう見えているのだろう? この言葉は信用してもらえるだろうか?
胸中、不安が募る。
「おまえは、俺に嘘は言わねぇからな」
諏訪は、告白を告白と受け取ってくれたらしい。
正直にはなれなくとも、決して嘘つきではないことが、ミョウジが自身を肯定して生きるには必要で。どうも、それは伝わっていたようだ。
「けどな、おまえが俺を好きっていう気が全っ然しねーんだよな」
「分かる。キミの気持ち、世界で一番オレが分かる。だってオレ、おまえに気取られるような言動した覚えねぇし」
「隠し事するエキスパートかよ」
諏訪は口元を手で抑え、困り笑いをする。
「そういうことだから、困惑してる……たぶん、俺はミョウジと同じ気持ちにはなれない……」
「そうか。そりゃあ、そうだ。諏訪は悪くないよ。末代まで祟ってやる。これからも、友達でいてくれよな」
フラれた男は少し俯き、諦念を滲ませた声色で、静かに気持ちを表した。
「友達を祟るな」
この男には、たまにヒヤリとさせられる。
なんてことない言葉を溢すように、声色も変えずに言われたものだから一拍遅れたが、とんでもない予告が挟まれていた。自然に混ぜられた物騒な宣言に気付けたのは、ミョウジナマエの手口に慣れている諏訪だからだろう。
「祟る代わりに、好きで居続けるのは?」
彼に、諏訪を好きでいることをやめるつもりは全くなかった。好きになってもらえないのは仕方がないが、それとこれとは別だという話。
相手にとっては、自分の想いが災害みたいなものだとしても、やめられない。結局のところ、祟るのも想い続けるのも、ミョウジには同一のもののように思えた。でも、そのことは黙っておく。
「それは、俺がどうこう言うことじゃねぇだろ…………つーか、おまえもっと普通に口説けねーの? 今のところ、おまえの脅迫でしかドキッとしてねーぞ」
「ナニソレ。クドク、ワカラナイ」
ミョウジは目を見開き、「なんて恐ろしいことを」と言いたげな表情をしている。それが出来るなら、とっくにしていただろう。
「なんつーの? 好きなら、それらしい態度でいてくれねぇとマジで何も分からないだろ?」
「善処しますよ、この野郎」
「怒ってんのか?」
苦々しい顔付きのミョウジに、諏訪が尋ねると。
「怒ってんじゃなくて、自分を律してんの。無様を晒したくないの」
言い訳じみた台詞を返される。
自分が自分である限り、出来ることと出来ないことがあるとミョウジは頑なに考えていた。
◆◆◆
告白して(そしてフラれて)から数日が経ち、ミョウジは以前より遥かに心が軽くなっていることに気付いた。
あの、妙な思考が起こらないのだ。
好き
好きだ
好き過ぎる
なんて、普通の思考。
ただ、これらの想いは口にはしない。相手の迷惑を考えて、というのもあるが、似合わないことをする自分を許せない。
しかし、それは些事だ。人は誰しも思ったことを全て口から出している訳ではないし、長いだけで意味のないことを喋るのも、黙るのも、同じくらい慣れている。
諏訪を好きでいてもいいという、言質は取った。実は密かに、ボイスレコーダーで録音しておいた。自分の納得のために、たまに聞き返す用に。
とにかく、ミョウジはもう無敵であるかのような気分で、スキップでもしそうなほど浮かれていた。
彼は、そんな調子でボーダー本部へ赴き、諏訪隊が出ているランク戦を観ている。
諏訪が荒船のスナイプを防いだところで、ミョウジは歓声を上げた。心の中だけで。
勝算のある一点賭けは大好きなので、「カッケー! マジ好き!」と相手に聴こえなくても言いたくなった。
ファンの女(ミョウジの想像上の人物)みたいにキャーキャー騒ぎたいところだが、我慢する。
ミョウジは、相変わらず絵面とやらを気にしていた。自分は、そんな言動が似合う人間ではない、と。
「諏訪さん、カッコイイ~! 好き~!」
ふいに、隣から女の声がした。横には、両手を口に当てて、恥ずかしげもなく歓声を上げる女がいた。この世に、自分を阻むものなど何も無いと思っていそうな女。
「え…………?」
ミョウジは、ぎょっとした。
あの女がいる。諏訪のことが好きな、18歳の華のあるオペレーターの女がいる。
存在しないはずの女は、生き生きと。一方でミョウジの顔は、まるで死のふちにいるかのように青ざめる。
「おまえ……なんで……」
こんなところにいるんだ?
途中で切れたにも関わらず、少女はその問いに答えた。
「なんでって、諏訪さんを見に来たに決まってるでしょ?」
ミョウジの耳には、今や彼女の声しか届かない。
「おまえ、誰だ……?」
「あたしは――――」
おまえなんかに名前があるはずがない!
叫ぶのを堪えて、急いで席を立ち、この場を離れようとするミョウジを酷い吐き気が襲う。それでも、出来るだけ早く歩を進め、人気のないところを探して、誰もいない喫煙室に行き当たった。そこに入り、倒れそうになりながらも椅子に座ると、非実在の女が隣に座る。ついて来たというより、その場に湧いたようだ。
「どーして、諏訪さんに気持ちを伝えないの?」
「いや、なにかが邪魔して言えねぇんだよ!」
「くだらなーい」
「そりゃ、おまえにとってはそうだろうけど……オレには……」
なにを悠長に会話しているんだ?
そもそも、これは会話ではないはずだ。この女は存在しないのだから、これは独り言のはずだ。
冷静にならなくては。
「落ち着け、ミョウジナマエ。深呼吸だ」
自己暗示をかけるように、声にする。
目を閉じて、息を吐いて、息を吸う。3分ぐらいそうして、最後に深く息を吸い込んでから目を開けると、存在しないはずの女の顔が目の前にあった。大きな目が瞬きもせず、ミョウジの目を見詰めている。
「ひっ……」
思わず、小さな悲鳴を上げてしまう。
「……冷静でいなくちゃ、冷静でいなくちゃ」
ミョウジは、小さくぶつぶつと口にしながら、ライターを片手に、煙草を探す。
「どうして?」
女が問う。
煙草は見付からない。
「オレは冷静でいなくちゃならねぇんだよ! じゃないと、役割を果たせない……それが出来ないと、ここにはいられない……」
煙草が見付からない。
「変なの。それと、諏訪さんに何も言わないのと、どんな関係があるっていうの?」
女は問う。
煙草を見付けられない。
「オレは、おまえみたいなことは出来ない!」
煙草の箱を、床に落としていることに気付いて、拾い上げようとした。が、拾えない。
自分の足で踏んでいた。足をどかさなくてはならない。
痺れて上手く動かない手で、なんとか足を掴んでどかした。
「はぁ……はぁ…………」
息が苦しい。気持ち悪い。
眩暈がする。吐き気がする。
もう一度、煙草に手を伸ばそうとしたところで、ミョウジは昏倒した。
数時間後にミョウジが目を覚ますと、そこは医務室だった。喫煙室で倒れていたのを発見されて運び込まれたのだという。
血圧や熱を測ったところ、特に異常はなかったそうだ。
ミョウジは礼を言い、帰路に着く。
あの女は、現れなかった。家の前で、左右や背後を確認したが、女はいない。
かつては5人で住んでいた、ひとりには広過ぎる二階建ての一軒家へと帰る。
「たでーまー」
おかえりと返してくれる家族がいなくなってから、まだ日が浅い。しかし今は、ひとりであることに安堵した。
あの女は、一体なんなのだろう。諏訪が好きだと宣う、あの女。
「あの女より、オレの方がアイツのこと分かってるし、好きだし!」
早足で二階の自室へ向かいながら、ミョウジは大声を出した。
「誰よ、あの女って?! あの女、オレだ!?」
更に、大声で自分にツッコミをする。
「キツい…………」
部屋に辿り着くや否や、ベッドに座り込み、ミョウジは項垂れた。
自分の偏見とか思い込みとか、侮蔑を帯びた意識を人型にしたような女を、まざまざと見せられるのは精神に来る。
ミョウジが思う、あの言動が許される姿の、名もなき女。あれに名前が付いたら終わりだ。解離が進めば、本当に精神的におかしくなってしまう。
二重の無意味な思考から解放されたと思ったら、これである。
こうなったのは、諏訪洸太郎のせいだ。
「おかしいよ、絶対。どうしてアイツへの好感度上がり続けてんだよ……絶対おかしいよ、こんなの。ずりーよ…………」
そう、責任転嫁した。
自分はこのまま、どんどん気が狂っていくのだろうかと、戦慄する。
「こんなのオレじゃねぇ……」
いや、自分らしくないというより、自分の理想とズレがあるのが嫌だ。
何事も、さらっと告げたい。クールに。重過ぎず、軽過ぎず。湿り過ぎでも、渇き過ぎでもなく。そう思うのに、上手くいかないから困っている。
そして、架空の女が脳内に住み着く始末。こうなったら、助けを呼ぶしかない。
「先生! 助けて先生!」
あの女より古参の脳内住人に助けを求める。
10人ほどいる脳内哲学者が、口々に持論を展開しだした。この哲学者たちは過去に実在した、読み終えた哲学書を元に形成した相談員であり、ミョウジを脅かすものではない。
とはいえ、日常的に頭の中の人物と会話していたのもあって、あの女がすんなり生まれてしまったのでは? 頭の片隅に浮かんだ考えを、意識の底へ沈めた。
「社会的な動物として生まれたオレは、自由の刑に処され、時という幻影にまとわりつかれてしまう。実存は不確かだから、何もかもを疑ってようやく自分の存在を信じられる。人間を導くのは感情であるワケで、恋をしながら賢くあることは無理で。つまり結局、人生に必要なのは大胆さ! 語るよりは示すべき! ですね、分かりました先生!」
哲学者たちの言を独自に繋ぎ合わせ、完成したキメラ人生哲学に勇気付けられるミョウジ。
「あんな太古のオッサンたちより、諏訪さんに頼りた~い。あんたってバカだよね~。本当は直情型のバカなんだから、なんていうかバカだよね~」
突然出てきた女が、脳内の哲学者たちには、あっさり頼るミョウジをなじる。
「うるせー!」
ミョウジは一理あると思ったが、それはそれとして腹が立ったので怒鳴った。
諏訪ひとりに向けるには、自分の気持ちは重過ぎる。絶対に良くないことが起きる。
ミョウジは、その不安が拭えず、思ったことを言えないのだ。
「これ以上、オレに何を言えってんだよ…………?」
もう、好きと一度伝えたのだから、それで終わりでいいだろう。ギリ、と歯を食いしばり、自身の頬に爪を立てた。
◆◆◆
あの女が現れてから、もう3日が過ぎた。妄想が頻繁に話しかけてくるため、全く心が休まらない。
「うるせぇんだよ、黙ってろ」
常にイライラしているし、煙草の消費が明らかに早くなっている。状況は悪化の一途を辿っていた。
「ミョウジ、大丈夫か?」
「全っ然ダメ」
独り言を聴かれてしまったのだろう。隣を歩く諏訪の存在を、一瞬忘れていた自分が嫌になる。
「ちゃんと薬飲んでんのか?」
「毎日、あまりのマズさに驚きながら飲んでるよ。金魚の餌みたいなやつを」
「味が?」
「見た目が。オレが金魚の餌食ったことあるように見えんの?」
「まあ」
「オレのこと嫌いなら、嫌いって言えば?」
「嫌いじゃねーよ。おまえのことが心配なんだよ」
「どういう心配だよ…………」
「おまえ、興味本位で変なことするだろ」
「し…………」
しないとは言えなかった。
いらないマフラーを燃やしてみたり、風呂にいらない教科書を沈めてみたり、カビの生えた野菜を食べたりした前科を知られていることを思い出したからである。
煙に巻くために、これらのエピソードを唐突に語った過去の自分に舌打ちを送りたい。
「しましたね」
「おまえ、バカだろ」
「そーですね」
「そういうことすんのやめろ。そもそも、なんでやるんだ?」
「苦し紛れに……?」
苦し紛れのストレス解消であり、破滅的好奇心である。
「おまえがひとりで苦しんでるのは嫌だ」
その台詞は、ミョウジの脳を焦がすには充分過ぎるくらいのものだった。
「助けて…………えっ、あっ……?」
「なにからだ?」
「今のは違う!」
彼が、あまりにもカッコイイことを言うものだから、一瞬頭が真っ白になって何者かに助けを求めてしまっただけである。
諏訪に比べて自分はなんてカッコ悪いのだろう。穴があったら入りたい。
「なにからって、おまえだよ、おまえ! 諏訪洸太郎!」
「は?」
「全部おまえのせいにしてぇ~! 絶対しないけどさぁ~!」
ミョウジは頭を抱えて喚く。
「なんつーか、オレをオレから助けてほしいな。マジでな」
「は?」
何度も諏訪に怪訝な表情をさせてしまって申し訳ないが、ミョウジは自分の身に起きていることの説明に付き合ってもらうことにした。
毒を食らわば皿まで、ということで。
「ひとりの癖に登場人物多いな」
事のあらましを聞いてから、まず諏訪が放ったのは、冗談めいた文句だった。
あの女が騒いでいる具体的な内容はぼかしたが、とうとう脳内住人のことや幻のことを話してしまった。ミョウジは内心、戦々恐々としている。
諏訪の方は、なにやら少し考えてから口を開いた。
「おまえは俺を好きなのが恥ずかしくて、イヤで、認められないのか?」
「全っ然、違ーう! オレが諏訪のことを好きなのは全く恥ずかしくないし、イヤじゃないし、認めてるし! オレがおまえを好きであることを貶すなら、例え相手がおまえでも、はっ倒してやる絶対に……!」
思い付く限り最悪の勘違いをされそうになり、全く何も考えずにベラベラと言葉を垂れ流してしまったミョウジであったが――――――しかし。
「んん?」
「オレ、今なんて言った?」
諏訪は、いつもの対ミョウジフィルターを通して発言を聞いていたため、直接的な台詞に対応出来ず、早口だったこともあり、理解が出来なかった。ミョウジは、脳を通さず喋ったので自分の発言を忘却。哀れにも、言葉は霧散してしまった。
「オレは、ただ…………」
言葉に詰まってしまう。感情を砕いて、水で薄めて、気化させてからでないと出せないのだから。
「……なんだテメー? オレの感情の原液を浴びて爛れてぇのか?」
ミョウジは思わず逆ギレした。
「生身のオレは、生身のおまえには重過ぎる。10倍は希釈させないと……」
そんなことを言いながら、めちゃくちゃな話を聞いてくれている諏訪のおかげで、もう5000点は増えている。
一体なにが? そんなことは知らない。こんなものが好意のはずがない。はずがない、ことにしたいが。
「ところで、その女、おまえの理想なのか?」
「違う。オレの理想は、オレのままでいることだから――――」
ふと、思い付く。彼女の倒し方。
「あ、なんかイケるかも。アイツをオレに戻せるかも」
諏訪と話したからか、冷静さを取り戻せたようだった。
「ありがとう。今度なにか奢るわ」
礼を言うと、喫煙室を出て、諏訪隊の作戦室へ行くミョウジ。
「おサノくんいる?」
彼は何故か、小佐野瑠衣に会いに来た。
質問を終えてから、今度お礼に彼女の好きなものを手土産にすることを約束し、決戦の場へ赴くことにした。
ドラッグストアの袋片手に、ミョウジは帰宅した。
戦いは居間で行われることになった。当たり前のように、彼女がいる。
「おまえは、18歳のオペレーターの女じゃないな……」
非日常的な緊張感に少し眩暈がしたが、なんとか、あの女と真正面から対峙する。
そして、ミョウジが気合いを入れて叫ぶ。
「おまえは、やっぱりオレなんだよ! 食らえオラァーっ!」
それは儀式だった。
妄想を撃退するために妄想を作り込むことになるが、彼女がなんなのか規定する必要があった。だから、メイク落としシートを手触りのない女の顔に押し当てる。すると、自分と同じ顔が覗いた。
「メイクを落とせば同じ顔」、「本当は同じ者だから」、「正体はミョウジナマエと瓜二つ」などの設定を幻に付加する。
「オレたち、分けとく意味ないよ! 変な見栄で言いたいこと我慢すんの、もうやめるから! だから、成仏してくれ……?! いや、安らかに眠ってくれ……?! なんて言やいいんだ?!」
彼女は、ミョウジが言いたいことを言っていただけだった。それは、自分自身のままで言いたいことだった。
「とにかく、オレはオレの味方だ! だってオレは、自分が大好きなんだからな!」
嘘つきにはなりたくない。
結局、どこか負けたような形になるのが癪だが。諏訪に負けたことにしよう。ことにしよう、というかそれが真実である。
「じゃあ、自分のままで告白出来る?」
「それはもうしたじゃん」
「バカ~」
呆れたように、じっとりした目で見つめられた。
「あのな、告白は何度してもいいと思うよ。それじゃあ後は、よろしく~」
「ちょっと!? それは重くね?! 待って!」
瞬きの間に、「彼」は消えてしまった。
告白。きっとそれは、広く何かを打ち明けてみることを指している。
◆◆◆
一応の決着がついた後。諏訪を家に招き、事の顛末を報告した。
「マジで大丈夫なんだな?」
明らかに訝しまれている。
「マジだよ。あと、他にも話すことがあってだな」
一気に緊張感が押し寄せてきたミョウジ。
「今から本当のことを言うので、そのつもりで聞いてくださいよ?」
「ああ?」
「……ちょっと待って。今、使ったことない技術を頑張って使おうとしてっから、待て。いや、いつも使ってる技術を使わないようにしてる? のか」
ミョウジは右手で拳骨を作り、こめかみをぐりぐりと刺激しながら、必死に言葉を紡ごうとしている。
「オレはオレが大好きだけど…………それ以上に諏訪のことが大好きだよ…………!」
そうして出てきたのは、なんてことない素直な気持ちだ。
「諏訪はカッコイイし、優しくて面倒見いいし、度胸あるし、オレより頭良いし、カッコイイし。でも、それを知る前から大好きだよ……!」
これら全ては好きになってから気付いたことで、好きになった理由ではない。それは今でも分からない。
包み隠さず本音を言うと、ミョウジは恥ずかしそうに笑った。
「実はおまえ、俺を口説く免許皆伝なのか…………?」
砂糖で固めたかのような台詞に、諏訪は目をぱちぱちさせた後、ミョウジを睨むような表情で照れている。その恥ずかしそうな顔が可愛くて、ミョウジナマエは益々、諏訪洸太郎を好きになっていく。
「ああ、好き。加点」
「なにをどこに加えた……?」
「オレにもよく分かんねぇな」
出来ることなら、このまま彼を好きで居続けたいと、男は願った。
2019/07/15
「おまえ、さっきからはぐらかしてばっかじゃねーか」
諏訪洸太郎は、ミョウジナマエに言いくるめられてはくれない。
大学の喫煙室で、ぼんやりしていたところに諏訪がやって来て、ミョウジは尋問されている。
「オレが諏訪に言ってないこと、たくさんあるけど、どれを言ってほしいんだ?」
「また、おまえはそうやって……もう全部言え、全部……!」
「オレが生まれたのは、11月のそれはそれは冷たい雨の降る陰鬱な日で――」
「おい、くそったれ。いい加減怒るぞ。直近3つの悩みを白状しろ」
「げーっ! その指定、ずるいぞ。小賢しいぞ、諏訪」
ミョウジは膨れっ面をした。
「メンドクセー。おまえんとこの本棚にオレの日記が紛れてるから、勝手に読んでくれよぉ」
「ないもん読めるか」
諏訪隊の作戦室にミョウジの日記などないし、それどころか、子供の頃に科された宿題を嫌々やったことが何度かあるだけで、彼は自発的に日記を付けたことがない。今後も、強制されない限りは付けないだろう。
この世に存在しない日記は読めない。そんな便利なものがあれば、ミョウジと今のような攻防を繰り広げないで済んだのかもしれないと諏訪は思ったが、この男が人に見せる前提の日記に本心を綴るとは考えづらい。口から煙を吐くのだから、指先からも煙を出すことだろう。
「散弾相手に、この距離で煙幕張ろうとしたオレがバカだったよ」
いつだってミョウジには対面で、近距離で、当たらなくてはならない。そうしないと逃げられる、と諏訪が理解していることを、ミョウジは承知している。だから近頃は、諏訪と会うのを不自然ではない程度に避けていたのだ。
「何から話せばいいのか……」
とうとう降参したミョウジは、少し思案した。
「うち、ジジババだけじゃん?」
「ああ」
「面倒見てくれる親戚のとこに身を寄せるって話になって。オレも一緒に引っ越さないかって――」
「おまえ引っ越すのか?!」
「いいえ? お話は最後まで聞きましょうね、洸太郎くん」
「おまえ、俺をムカつかせる天才か?」
更に、ミョウジはボーダーで顔を合わせた当初から心配させる天才でもあり、厄介なことこの上ない。
「引っ越さないかって言われて……えーと、でも親戚に断りを入れて、オレはひとりで残ることにした。少し悩んだけど、ボーダー続けたいし」
「そうか」
どうして自己解決する前に自分に相談しないのだろうか、この男は。もちろん、決断するのはミョウジ自身だが、相談せずに引っ越すと決めた場合でも、いけしゃあしゃあと答えるつもりなのか?
諏訪は、友人であるミョウジの気持ちが分からない。
「でー、ふたつ目。戦闘マジ向いてないから、オペレーターに転向しようと思って」
「はァ?!」
二度目の寝耳に水である。
ミョウジは涼しい顔で煙草を吸って、フーと煙を吐いた。
「人間、向き不向きがあるし」
ボーダーに入り、かろうじてB級戦闘員として活動してきたが、自分には戦闘センスがないのだと認めざるを得ない。ミョウジは、これまでの経験から冷静に分析し、そう結論を出したのである。
例の引っ越しの件もあり、一時はボーダー自体をやめることも検討したのだが、オペレーターという一歩引いた役割ならば出来るかもしれないと考え、こっそりと仕事を学んだ。
「オペであの喋り方はやめとけよな、ミョウジ」
諏訪は秘密主義が過ぎる男に呆れた顔を向け、溜め息を吐く。
「せいぜい頑張って玉虫色じゃないオペレーターになるよ、と言いたいとこだけど、オレはオペレーターになりません。なれん。ビックリするほど向いてなかった。頭パンクするわ、アレ」
「……おまえ、わざとやってんだろ?」
「そーだよ」
「好感度下がるわ!」
「オレは大好きだよ……オレが……」
諏訪は苛立ちを隠さず、飄々としているミョウジを睨み付けた。
「で、まあ、オペは諦めたワケ。そんで、メディア対策室に入り込めねぇかな、と思ったんだけど」
「ダメだったんだろ?」
「えげつない音楽性の違いが浮き彫りになって。ポップスとノイズミュージックぐらい違う」
「ああ、おまえの喋りはノイズっぽいよな」
腕を組んで何度か頷く諏訪。
「最新の悩みは、サボりで単位がヤバい、以上」
「さては、今もサボりか」
「サボりとは、なんだろう? オレは休むのをサボっていないだけであって――」
「授業、を、サボるな」
「はい、そーね。もうサボりません、たぶん」
次にサボるのは、単位を気にするのをやめた時だろう。
話は終わったと言わんばかりに、ミョウジは立ち去ろうとするが、諏訪に腕を掴まれた。
「なんか、他にも隠してねーか?」
真剣な表情と声に気圧され、目が逸らせない。ぞくぞくと、心がざわつく。
「なんで分かんの? コエーよ、おまえ」
正面に立つミョウジは、ばつが悪そうな、それでいて妙に嬉しそうな様子で言った。
諏訪がミョウジに「隠し事してるだろ?」と訊く時は、いつも当てずっぽうである。だからミョウジが怖がる必要はないのだが、今のところ外れたことがないのも事実だ。
彼にとっては、ミョウジに元気がないと思ったら、「とりあえず訊いとくか」というノリで言っている台詞。それがミョウジには、とても効果がある。
諏訪が、そんなことを訊く理由は、ミョウジがなんでもかんでもひとりで抱え込む人間であることが嫌というほど身に染みているからだ。弱音の代わりに煙を吐く男だから。煙草を吸える年齢になる前から、そんな調子の難儀な奴だから。
自分が、諏訪が考えているような難儀な人間になっていることを、ミョウジは自覚している。
発端は、第一次近界民侵攻で両親が行方不明になったことだと思う。「悲しい」とか「苦しい」とか、そういった言葉の数々を甘えだとして、呑み込むようになった。
彼に、言いたい/言いたくない
そしてこれは、その弊害なのだろうか。
脳内で、相反するふたつの意見を同時に展開する思考。常にという訳ではないが、これは自動的に起こるもので、止めるのは至難の業だ。
この思考では、結論が出ない。全くもって意味のないもの。二重の答えから導けるのは、いつだって現状維持のみである。
好きだ/嫌いだ
想いを告げたい/言葉は持たない
好き/ふざけんな
愛されたい/自惚れだ
愛されないなら/愛せないなら、通り過ぎてくれないか?
そんなことを、言いたい/言えるものか
思考の波は途切れない。諏訪洸太郎に関する悩みだけが、頭の中で出口のない迷宮みたいに広がっている。
ミョウジにとって、正直に生きることは難しい。
諏訪の正面に立ち、ミョウジは不意打ちで彼の両目を右手で覆う。彼はビクリと肩を震わせたが、手を払おうとはしなかった。目隠しされている諏訪には、目の前に立つ男が愛おしそうな表情をしていることなど分からない。
「オレはね、なんでだか知らないが、おまえに甘えたいんだよ」
男は、本音を煙に包んで出した。
煙に巻くような喋りを繰り返している時点で、相当甘えているのだろうと、自嘲する。けれど、これ以上はダメだ。
「でも、なにかが邪魔してんだ」
邪魔してるものは、見栄や、つまらないプライドだろう。
例えば、彼とあまり変わらない身長でなく、同じ年齢ではなく、同じ性別でなければ、問題は解決するのかもしれない。どれかひとつでもあれば。
ミョウジは一度、深く溜め息を吐き、諏訪の目隠しを解いた。
「オレ、なんで諏訪と同い年なんだろうな? ワケが分からねぇ。18歳になりてぇ」
「なんで18だよ?」
「スケベなもん見られなくなるのは困るからだよ」
「別にミョウジが俺を頼ろうが、俺は気にしねーけど」
友人であり仲間であるのに今更なにを、と彼。納得いかない、とその表情が語っている。
「オレが気にするんですぅ。オメーの了承なんて無意味ですぅ」
「意地っ張り野郎」
「つまらねぇ意地ですぅ」
「ですぅ、やめろ! おまえ、俺をイラつかせるプロか?」
諏訪は立ち上がり、真正面からミョウジの目を見据えた。彼の目が、ミョウジを少したじろがせる。
「俺には、おまえが何を気にしてんのか、さっぱりだよ」
「絵面がヒデーんだよ、絵面が」
「絵面ァ?」
「成人した男が床を転げ回って駄々こねてたら、引くだろ?」
「哀れだな」
「オレを哀れにしないでくれ」
ミョウジは声の調子を暗くし、黙り込んだ。しかし、諏訪は沈黙を許さない。追及をやめない。
「よく分かんねーよ。はっきり言いやがれ」
「いつか、言うから…………いや違うわ。明日、言うから……」
いつか、なんて来ないかもしれない。
何故なら、日常や平穏が呆気なく壊れることをミョウジは知っている。今、目の前にいる人間が、ずっと傍にいるとは限らないのだ。
引っ越し話をきっかけに、転換期がきた。そういうことにして、無理にでも波に乗らなければ、自分が動くことはないだろうと。これはチャンスなのだと、自分に言い聞かせた。
けれど、これはやっぱり、なにかを壊してしまうものかもしれない。
「覚悟しとけよ」
「脅すな」
諏訪は、不敵な笑みのミョウジが向けてきた人差し指を、手のひらで軽く押し返した。
◆◆◆
両親と最後に何を話したのか、覚えていない。
その上、ふたりの声も忘れそうだ。写真がなければ、いずれは顔だって忘れてしまうことだろう。
ふたりに帰って来てほしいが、心の何処かでは、両親の生存を諦めている。しかし、それが真実として突き付けられるのは怖い。
生きているのか、死んでいるのか。その箱を、自分で開けることは出来そうになかった。
先のことを考えたって仕方ない。世界を極彩色に捉えて、いちいち感情的になってはならない。彩度も明度も下げろ。そんなことを拾い上げても、ノイズになるだけ。自分を騙し騙し生きていくのだ。そうしないと自分は、社会的動物として、やっていけない。記憶や思い出だって、不鮮明にしたり、都合よく編集したりしてこその人間だろう。
そう思うけれど。
それなのに、彼だけはいつまでも鮮烈で、どうしようもなかった。こんなことになるような、決定的な出来事などなかったはずなのに。気付けば、1年以上想い続けている。
ただ、死のふちで後悔するのは嫌だという気持ちが。自分勝手な気持ちが、不意打ちになるだろう告白へと急がせた。
そして今、ミョウジナマエは自室に招いた彼に告白するのだ。ソファーに並んで座っているのだが、今すぐにでも、背後の窓から飛び出して逃げてしまいたい。しかし、後悔への恐れがミョウジを押し止める。
最初の2文字を声に出してからは、勝手に口が動いて言葉が続いた。
「好き、なんだよ、おまえのこと。どう聞こえてるか分からねぇけど、今は煙に巻こうとしてないぜ?」
抜き身の自分は、どう見えているのだろう? この言葉は信用してもらえるだろうか?
胸中、不安が募る。
「おまえは、俺に嘘は言わねぇからな」
諏訪は、告白を告白と受け取ってくれたらしい。
正直にはなれなくとも、決して嘘つきではないことが、ミョウジが自身を肯定して生きるには必要で。どうも、それは伝わっていたようだ。
「けどな、おまえが俺を好きっていう気が全っ然しねーんだよな」
「分かる。キミの気持ち、世界で一番オレが分かる。だってオレ、おまえに気取られるような言動した覚えねぇし」
「隠し事するエキスパートかよ」
諏訪は口元を手で抑え、困り笑いをする。
「そういうことだから、困惑してる……たぶん、俺はミョウジと同じ気持ちにはなれない……」
「そうか。そりゃあ、そうだ。諏訪は悪くないよ。末代まで祟ってやる。これからも、友達でいてくれよな」
フラれた男は少し俯き、諦念を滲ませた声色で、静かに気持ちを表した。
「友達を祟るな」
この男には、たまにヒヤリとさせられる。
なんてことない言葉を溢すように、声色も変えずに言われたものだから一拍遅れたが、とんでもない予告が挟まれていた。自然に混ぜられた物騒な宣言に気付けたのは、ミョウジナマエの手口に慣れている諏訪だからだろう。
「祟る代わりに、好きで居続けるのは?」
彼に、諏訪を好きでいることをやめるつもりは全くなかった。好きになってもらえないのは仕方がないが、それとこれとは別だという話。
相手にとっては、自分の想いが災害みたいなものだとしても、やめられない。結局のところ、祟るのも想い続けるのも、ミョウジには同一のもののように思えた。でも、そのことは黙っておく。
「それは、俺がどうこう言うことじゃねぇだろ…………つーか、おまえもっと普通に口説けねーの? 今のところ、おまえの脅迫でしかドキッとしてねーぞ」
「ナニソレ。クドク、ワカラナイ」
ミョウジは目を見開き、「なんて恐ろしいことを」と言いたげな表情をしている。それが出来るなら、とっくにしていただろう。
「なんつーの? 好きなら、それらしい態度でいてくれねぇとマジで何も分からないだろ?」
「善処しますよ、この野郎」
「怒ってんのか?」
苦々しい顔付きのミョウジに、諏訪が尋ねると。
「怒ってんじゃなくて、自分を律してんの。無様を晒したくないの」
言い訳じみた台詞を返される。
自分が自分である限り、出来ることと出来ないことがあるとミョウジは頑なに考えていた。
◆◆◆
告白して(そしてフラれて)から数日が経ち、ミョウジは以前より遥かに心が軽くなっていることに気付いた。
あの、妙な思考が起こらないのだ。
好き
好きだ
好き過ぎる
なんて、普通の思考。
ただ、これらの想いは口にはしない。相手の迷惑を考えて、というのもあるが、似合わないことをする自分を許せない。
しかし、それは些事だ。人は誰しも思ったことを全て口から出している訳ではないし、長いだけで意味のないことを喋るのも、黙るのも、同じくらい慣れている。
諏訪を好きでいてもいいという、言質は取った。実は密かに、ボイスレコーダーで録音しておいた。自分の納得のために、たまに聞き返す用に。
とにかく、ミョウジはもう無敵であるかのような気分で、スキップでもしそうなほど浮かれていた。
彼は、そんな調子でボーダー本部へ赴き、諏訪隊が出ているランク戦を観ている。
諏訪が荒船のスナイプを防いだところで、ミョウジは歓声を上げた。心の中だけで。
勝算のある一点賭けは大好きなので、「カッケー! マジ好き!」と相手に聴こえなくても言いたくなった。
ファンの女(ミョウジの想像上の人物)みたいにキャーキャー騒ぎたいところだが、我慢する。
ミョウジは、相変わらず絵面とやらを気にしていた。自分は、そんな言動が似合う人間ではない、と。
「諏訪さん、カッコイイ~! 好き~!」
ふいに、隣から女の声がした。横には、両手を口に当てて、恥ずかしげもなく歓声を上げる女がいた。この世に、自分を阻むものなど何も無いと思っていそうな女。
「え…………?」
ミョウジは、ぎょっとした。
あの女がいる。諏訪のことが好きな、18歳の華のあるオペレーターの女がいる。
存在しないはずの女は、生き生きと。一方でミョウジの顔は、まるで死のふちにいるかのように青ざめる。
「おまえ……なんで……」
こんなところにいるんだ?
途中で切れたにも関わらず、少女はその問いに答えた。
「なんでって、諏訪さんを見に来たに決まってるでしょ?」
ミョウジの耳には、今や彼女の声しか届かない。
「おまえ、誰だ……?」
「あたしは――――」
おまえなんかに名前があるはずがない!
叫ぶのを堪えて、急いで席を立ち、この場を離れようとするミョウジを酷い吐き気が襲う。それでも、出来るだけ早く歩を進め、人気のないところを探して、誰もいない喫煙室に行き当たった。そこに入り、倒れそうになりながらも椅子に座ると、非実在の女が隣に座る。ついて来たというより、その場に湧いたようだ。
「どーして、諏訪さんに気持ちを伝えないの?」
「いや、なにかが邪魔して言えねぇんだよ!」
「くだらなーい」
「そりゃ、おまえにとってはそうだろうけど……オレには……」
なにを悠長に会話しているんだ?
そもそも、これは会話ではないはずだ。この女は存在しないのだから、これは独り言のはずだ。
冷静にならなくては。
「落ち着け、ミョウジナマエ。深呼吸だ」
自己暗示をかけるように、声にする。
目を閉じて、息を吐いて、息を吸う。3分ぐらいそうして、最後に深く息を吸い込んでから目を開けると、存在しないはずの女の顔が目の前にあった。大きな目が瞬きもせず、ミョウジの目を見詰めている。
「ひっ……」
思わず、小さな悲鳴を上げてしまう。
「……冷静でいなくちゃ、冷静でいなくちゃ」
ミョウジは、小さくぶつぶつと口にしながら、ライターを片手に、煙草を探す。
「どうして?」
女が問う。
煙草は見付からない。
「オレは冷静でいなくちゃならねぇんだよ! じゃないと、役割を果たせない……それが出来ないと、ここにはいられない……」
煙草が見付からない。
「変なの。それと、諏訪さんに何も言わないのと、どんな関係があるっていうの?」
女は問う。
煙草を見付けられない。
「オレは、おまえみたいなことは出来ない!」
煙草の箱を、床に落としていることに気付いて、拾い上げようとした。が、拾えない。
自分の足で踏んでいた。足をどかさなくてはならない。
痺れて上手く動かない手で、なんとか足を掴んでどかした。
「はぁ……はぁ…………」
息が苦しい。気持ち悪い。
眩暈がする。吐き気がする。
もう一度、煙草に手を伸ばそうとしたところで、ミョウジは昏倒した。
数時間後にミョウジが目を覚ますと、そこは医務室だった。喫煙室で倒れていたのを発見されて運び込まれたのだという。
血圧や熱を測ったところ、特に異常はなかったそうだ。
ミョウジは礼を言い、帰路に着く。
あの女は、現れなかった。家の前で、左右や背後を確認したが、女はいない。
かつては5人で住んでいた、ひとりには広過ぎる二階建ての一軒家へと帰る。
「たでーまー」
おかえりと返してくれる家族がいなくなってから、まだ日が浅い。しかし今は、ひとりであることに安堵した。
あの女は、一体なんなのだろう。諏訪が好きだと宣う、あの女。
「あの女より、オレの方がアイツのこと分かってるし、好きだし!」
早足で二階の自室へ向かいながら、ミョウジは大声を出した。
「誰よ、あの女って?! あの女、オレだ!?」
更に、大声で自分にツッコミをする。
「キツい…………」
部屋に辿り着くや否や、ベッドに座り込み、ミョウジは項垂れた。
自分の偏見とか思い込みとか、侮蔑を帯びた意識を人型にしたような女を、まざまざと見せられるのは精神に来る。
ミョウジが思う、あの言動が許される姿の、名もなき女。あれに名前が付いたら終わりだ。解離が進めば、本当に精神的におかしくなってしまう。
二重の無意味な思考から解放されたと思ったら、これである。
こうなったのは、諏訪洸太郎のせいだ。
「おかしいよ、絶対。どうしてアイツへの好感度上がり続けてんだよ……絶対おかしいよ、こんなの。ずりーよ…………」
そう、責任転嫁した。
自分はこのまま、どんどん気が狂っていくのだろうかと、戦慄する。
「こんなのオレじゃねぇ……」
いや、自分らしくないというより、自分の理想とズレがあるのが嫌だ。
何事も、さらっと告げたい。クールに。重過ぎず、軽過ぎず。湿り過ぎでも、渇き過ぎでもなく。そう思うのに、上手くいかないから困っている。
そして、架空の女が脳内に住み着く始末。こうなったら、助けを呼ぶしかない。
「先生! 助けて先生!」
あの女より古参の脳内住人に助けを求める。
10人ほどいる脳内哲学者が、口々に持論を展開しだした。この哲学者たちは過去に実在した、読み終えた哲学書を元に形成した相談員であり、ミョウジを脅かすものではない。
とはいえ、日常的に頭の中の人物と会話していたのもあって、あの女がすんなり生まれてしまったのでは? 頭の片隅に浮かんだ考えを、意識の底へ沈めた。
「社会的な動物として生まれたオレは、自由の刑に処され、時という幻影にまとわりつかれてしまう。実存は不確かだから、何もかもを疑ってようやく自分の存在を信じられる。人間を導くのは感情であるワケで、恋をしながら賢くあることは無理で。つまり結局、人生に必要なのは大胆さ! 語るよりは示すべき! ですね、分かりました先生!」
哲学者たちの言を独自に繋ぎ合わせ、完成したキメラ人生哲学に勇気付けられるミョウジ。
「あんな太古のオッサンたちより、諏訪さんに頼りた~い。あんたってバカだよね~。本当は直情型のバカなんだから、なんていうかバカだよね~」
突然出てきた女が、脳内の哲学者たちには、あっさり頼るミョウジをなじる。
「うるせー!」
ミョウジは一理あると思ったが、それはそれとして腹が立ったので怒鳴った。
諏訪ひとりに向けるには、自分の気持ちは重過ぎる。絶対に良くないことが起きる。
ミョウジは、その不安が拭えず、思ったことを言えないのだ。
「これ以上、オレに何を言えってんだよ…………?」
もう、好きと一度伝えたのだから、それで終わりでいいだろう。ギリ、と歯を食いしばり、自身の頬に爪を立てた。
◆◆◆
あの女が現れてから、もう3日が過ぎた。妄想が頻繁に話しかけてくるため、全く心が休まらない。
「うるせぇんだよ、黙ってろ」
常にイライラしているし、煙草の消費が明らかに早くなっている。状況は悪化の一途を辿っていた。
「ミョウジ、大丈夫か?」
「全っ然ダメ」
独り言を聴かれてしまったのだろう。隣を歩く諏訪の存在を、一瞬忘れていた自分が嫌になる。
「ちゃんと薬飲んでんのか?」
「毎日、あまりのマズさに驚きながら飲んでるよ。金魚の餌みたいなやつを」
「味が?」
「見た目が。オレが金魚の餌食ったことあるように見えんの?」
「まあ」
「オレのこと嫌いなら、嫌いって言えば?」
「嫌いじゃねーよ。おまえのことが心配なんだよ」
「どういう心配だよ…………」
「おまえ、興味本位で変なことするだろ」
「し…………」
しないとは言えなかった。
いらないマフラーを燃やしてみたり、風呂にいらない教科書を沈めてみたり、カビの生えた野菜を食べたりした前科を知られていることを思い出したからである。
煙に巻くために、これらのエピソードを唐突に語った過去の自分に舌打ちを送りたい。
「しましたね」
「おまえ、バカだろ」
「そーですね」
「そういうことすんのやめろ。そもそも、なんでやるんだ?」
「苦し紛れに……?」
苦し紛れのストレス解消であり、破滅的好奇心である。
「おまえがひとりで苦しんでるのは嫌だ」
その台詞は、ミョウジの脳を焦がすには充分過ぎるくらいのものだった。
「助けて…………えっ、あっ……?」
「なにからだ?」
「今のは違う!」
彼が、あまりにもカッコイイことを言うものだから、一瞬頭が真っ白になって何者かに助けを求めてしまっただけである。
諏訪に比べて自分はなんてカッコ悪いのだろう。穴があったら入りたい。
「なにからって、おまえだよ、おまえ! 諏訪洸太郎!」
「は?」
「全部おまえのせいにしてぇ~! 絶対しないけどさぁ~!」
ミョウジは頭を抱えて喚く。
「なんつーか、オレをオレから助けてほしいな。マジでな」
「は?」
何度も諏訪に怪訝な表情をさせてしまって申し訳ないが、ミョウジは自分の身に起きていることの説明に付き合ってもらうことにした。
毒を食らわば皿まで、ということで。
「ひとりの癖に登場人物多いな」
事のあらましを聞いてから、まず諏訪が放ったのは、冗談めいた文句だった。
あの女が騒いでいる具体的な内容はぼかしたが、とうとう脳内住人のことや幻のことを話してしまった。ミョウジは内心、戦々恐々としている。
諏訪の方は、なにやら少し考えてから口を開いた。
「おまえは俺を好きなのが恥ずかしくて、イヤで、認められないのか?」
「全っ然、違ーう! オレが諏訪のことを好きなのは全く恥ずかしくないし、イヤじゃないし、認めてるし! オレがおまえを好きであることを貶すなら、例え相手がおまえでも、はっ倒してやる絶対に……!」
思い付く限り最悪の勘違いをされそうになり、全く何も考えずにベラベラと言葉を垂れ流してしまったミョウジであったが――――――しかし。
「んん?」
「オレ、今なんて言った?」
諏訪は、いつもの対ミョウジフィルターを通して発言を聞いていたため、直接的な台詞に対応出来ず、早口だったこともあり、理解が出来なかった。ミョウジは、脳を通さず喋ったので自分の発言を忘却。哀れにも、言葉は霧散してしまった。
「オレは、ただ…………」
言葉に詰まってしまう。感情を砕いて、水で薄めて、気化させてからでないと出せないのだから。
「……なんだテメー? オレの感情の原液を浴びて爛れてぇのか?」
ミョウジは思わず逆ギレした。
「生身のオレは、生身のおまえには重過ぎる。10倍は希釈させないと……」
そんなことを言いながら、めちゃくちゃな話を聞いてくれている諏訪のおかげで、もう5000点は増えている。
一体なにが? そんなことは知らない。こんなものが好意のはずがない。はずがない、ことにしたいが。
「ところで、その女、おまえの理想なのか?」
「違う。オレの理想は、オレのままでいることだから――――」
ふと、思い付く。彼女の倒し方。
「あ、なんかイケるかも。アイツをオレに戻せるかも」
諏訪と話したからか、冷静さを取り戻せたようだった。
「ありがとう。今度なにか奢るわ」
礼を言うと、喫煙室を出て、諏訪隊の作戦室へ行くミョウジ。
「おサノくんいる?」
彼は何故か、小佐野瑠衣に会いに来た。
質問を終えてから、今度お礼に彼女の好きなものを手土産にすることを約束し、決戦の場へ赴くことにした。
ドラッグストアの袋片手に、ミョウジは帰宅した。
戦いは居間で行われることになった。当たり前のように、彼女がいる。
「おまえは、18歳のオペレーターの女じゃないな……」
非日常的な緊張感に少し眩暈がしたが、なんとか、あの女と真正面から対峙する。
そして、ミョウジが気合いを入れて叫ぶ。
「おまえは、やっぱりオレなんだよ! 食らえオラァーっ!」
それは儀式だった。
妄想を撃退するために妄想を作り込むことになるが、彼女がなんなのか規定する必要があった。だから、メイク落としシートを手触りのない女の顔に押し当てる。すると、自分と同じ顔が覗いた。
「メイクを落とせば同じ顔」、「本当は同じ者だから」、「正体はミョウジナマエと瓜二つ」などの設定を幻に付加する。
「オレたち、分けとく意味ないよ! 変な見栄で言いたいこと我慢すんの、もうやめるから! だから、成仏してくれ……?! いや、安らかに眠ってくれ……?! なんて言やいいんだ?!」
彼女は、ミョウジが言いたいことを言っていただけだった。それは、自分自身のままで言いたいことだった。
「とにかく、オレはオレの味方だ! だってオレは、自分が大好きなんだからな!」
嘘つきにはなりたくない。
結局、どこか負けたような形になるのが癪だが。諏訪に負けたことにしよう。ことにしよう、というかそれが真実である。
「じゃあ、自分のままで告白出来る?」
「それはもうしたじゃん」
「バカ~」
呆れたように、じっとりした目で見つめられた。
「あのな、告白は何度してもいいと思うよ。それじゃあ後は、よろしく~」
「ちょっと!? それは重くね?! 待って!」
瞬きの間に、「彼」は消えてしまった。
告白。きっとそれは、広く何かを打ち明けてみることを指している。
◆◆◆
一応の決着がついた後。諏訪を家に招き、事の顛末を報告した。
「マジで大丈夫なんだな?」
明らかに訝しまれている。
「マジだよ。あと、他にも話すことがあってだな」
一気に緊張感が押し寄せてきたミョウジ。
「今から本当のことを言うので、そのつもりで聞いてくださいよ?」
「ああ?」
「……ちょっと待って。今、使ったことない技術を頑張って使おうとしてっから、待て。いや、いつも使ってる技術を使わないようにしてる? のか」
ミョウジは右手で拳骨を作り、こめかみをぐりぐりと刺激しながら、必死に言葉を紡ごうとしている。
「オレはオレが大好きだけど…………それ以上に諏訪のことが大好きだよ…………!」
そうして出てきたのは、なんてことない素直な気持ちだ。
「諏訪はカッコイイし、優しくて面倒見いいし、度胸あるし、オレより頭良いし、カッコイイし。でも、それを知る前から大好きだよ……!」
これら全ては好きになってから気付いたことで、好きになった理由ではない。それは今でも分からない。
包み隠さず本音を言うと、ミョウジは恥ずかしそうに笑った。
「実はおまえ、俺を口説く免許皆伝なのか…………?」
砂糖で固めたかのような台詞に、諏訪は目をぱちぱちさせた後、ミョウジを睨むような表情で照れている。その恥ずかしそうな顔が可愛くて、ミョウジナマエは益々、諏訪洸太郎を好きになっていく。
「ああ、好き。加点」
「なにをどこに加えた……?」
「オレにもよく分かんねぇな」
出来ることなら、このまま彼を好きで居続けたいと、男は願った。
2019/07/15
1/24ページ