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化物が、美術として消費されている。
恐れをなくすには、それをコンテンツにしてしまえば手っ取り早い。
惑星直列が近いからか、終末論が囁かれている昨今。
僕は、人間の恐れへの防御本能について考えていた。
そんな、ある日。
「小春さん、チケット取れたよ」
「本当ですの?!」
奇跡的に倍率2000倍の化物展のチケットを取れたので、恋人と美術展へ行くことにした。
ロイヤル・バレンタインデー当日。
待ち合わせ場所の駅前へ向かう。
合流した小春さんの希望で、カフェへ。
「新さま、作って来ましたの!」
手作りバレンタインチョコをもらった。
「食べてくださいませ。お味はどうですの?」
「美味しい。小春さんは、やっぱり凄いね」
「うふふ」
おそらく、異物が混入している。それが何かまでは分からないけれど。
小春さんがそうしたいならば、僕はそれでいい。
「この後、スポッチャ? 行ってみたいですの」
「うん。行こうか」
僕が注文した、クロックムッシュセットとブレンドコーヒーが届いた。
「いただきます」
わりと豪華な朝食。フランスの朝みたいだ。
「新さま、一口欲しいですの」
「一口? どうぞ。はい、あーん」
「洋って感じですの」
小春さんは、笑顔で言う。
「じゃあ、新さまには、だし巻き卵をあげますの」
「あーん。美味しいね」
時は、穏やかに過ぎていった。
食後。スポッチャへ。
まずは、ボウリングをする。
「うわ」
僕の指がボールから抜けず、モニターを破壊する事故が起きた。
小春さんが弁償してくれて、事なきを得る。
気を取り直して、カラオケへ。
僕は、あんまり歌が上手くない。
「新さまの歌声、癒されますの」
「小春さんは、歌が上手いね」
さて。そろそろ。
「常設展も見たいし、美術館へ行こうか」
「はい」
白い建物、黄泉比良坂美術館前。
小春さんと肩を組んで写真を撮る。
大正からある建物らしい。
エントランスには、様々な人外を題材にした作品があった。
音声ガイドは、ないのか。
写真撮影は禁止、と。
日本神話が取り上げられているみたいだ。イザナギとイザナミの話。
「新さまは、わたくしが化物になったら、逃げますの?」
「いや、逃げないよ」
何をもって、曙小春を曙小春とするのか?
その答えを出すのは難しい。
しかし僕は、今隣にいる彼女を愛しているから、逃げるという選択肢を選ぶことはないと断言出来る。
「小春さん、2階の常設展を見よう」
「はい」
展示室の一角には、不可解なものばかりが置かれていた。
自らの知識で、作品について考察をする。
「小春さん、この幾何学的なものは、危ないものかもしれない」
「どういうことですの?」
「深く考えない方がいいってこと」
八つ折りの黄色い紙片は、楽譜に見える。
分厚い革の本は、ネクロ……?
ネクロとは、一般的にはいい意味の言葉ではない。
「ここの展示は、どこか指向性があるように感じる。同じジャンルというか」
「新さまは知識豊富ですの」
少し不吉な予感がした。
ホワイエへ移動する。
小春さんと、お揃いのストールを購入。
「新さま、似合ってます?」と、ストールを身に付けた小春さんが尋ねる。
「うん。似合ってるよ」
「やったぁ」
可愛い。
「こういう綺麗なところで結婚式を挙げたいですの」
「そうだね。あと、個人的には海の近くがいいな」
「海が好きですの?」
「うん」
「そういうことは、もっと早く知りたかったですの」
「たまたま言う機会がなくて」
小春さんは、拗ねたような顔をする。
そんな様子も愛おしいのだから、僕は幸せ者なのだろう。
次は、ピアノホールに向かった。
ヴィバルディの四季~冬~が演奏されている。
季節を合わせているのだろう。
「新さまは、帽子が好きですの?」
「いやぁ、人と目を合わせるのが得意じゃなくて」
「わたくしも?」
「小春さんは、例外」
「じゃあ、わたくしだけを見ていてくださいませ」
「うん」
その後。屋外庭園へ。
小春さんが冬のダイヤモンドについて教えてくれた。
僕の頭の中で、「3」がカウントされる。
「小春さん、ちょっといい話じゃないんだけど」
「なんですの?」
「僕は、3回連続で起きたら偶然じゃないと思ってるんだけど。今日は、死に別れの話をやけに聞くんだよね」
イザナギとイザナミの死に別れ。
四季~冬~。冬は、死の季節。
カストルとポルックスの死に別れ。
ついでに言うなら、最近流行りの終末思想。
「僕の考え過ぎかなぁ?」
「それは、考え過ぎですの」
「そうだね。ごめんね、小春さん」
ふたりで、シアターホールへ行く。
短編映画「星と怪物」を観た。
怪物と人間の悲恋、だろうか。
「新さま、これって、メリーバッドエンドでは?」
「そうだね」
「また死関係ですの」
「またひとつ増えてしまった」
「怖くなってきましたわ」
申し訳ない。僕のせいだ。
小春さんには、ずっと笑っていてほしいのに。
そろそろ時間だ。バケモノ展へ向かおう。
突然、小春さんが男にぶつかられ、スマホを落とした。
そして、まばたきをした瞬間。
いつの間にか、小春さんと空間が隔てられている。
ここはどこだ?
「どうなってますの~?!」
「ごめん。僕にも分からない」
ガラス越しに、小春さんと話す。
「小春さん、そっちに扉ある?」
「あります」
「開く?」
「出られそうですわ」
とりあえずは良かった。
小春さんは、出る前に探索してみるようだ。
こちら側には、消火栓がある。
ワケが分からない場所なのに消防法を守っている?
僕も、しっかり探索しよう。
床に落ちている、ミントグリーンの液体が入ったカプセル。なんの薬か分からないけれど、持って行こう。
ソファーを動かして、両開きの扉に噛ませた。
置かれているプレートを見る。人間こそが化物?
「小春さんは、化物ってなんだと思う?」
「化物……人の心が、ない……?」
「なるほど。心の定義も難しいものだけどね」
化物にとっては、人間こそが化物かもしれない。
小春さんの方の扉にも、ソファーを噛ませる。
合流して、小春さんに変わったところはないか見た。
特段、何もない。可愛いだけ。
小春さんと通路に出た。
化物ばかりの美術品が通路の左右を彩っている。
おかしいところに気付いた。
これは、誰の絵なんだろう?
「小春さん。こういうところには、普通は無名の画家の作品は飾らないでしょう?」
「はい」
「ここにある絵は、誰が描いたのか全く分からないんだ」
「…………」
謎は深まるばかりだ。
怪物は、ギリシャ神話のものたち。
「日本神話とギリシャ神話には共通点があるんだよ。どちらにも冥界下りがある」
「そうですのね」
小春さんを後ろにして、通路のドアの先へ。
広いホールに出た。
床には、六芒星が描かれている。
かごめは、日本では魔除けだ。
「エレベーターは使えないみたい」
ここが地下なら、エレベーターを使わないと戻れないはずなんだけど。
「小春さん、資料室に行かない?」
「分かりましたの」
入ってみると。
レコードプレーヤーから響くバースデーソング。
それから、未来の日付の書籍や新聞。
実験体-仮呼称アルファという書籍群を見る。
そこにあった日記の筆跡が、僕のものと似ている気がした。
資料室を出て、第一展示室へ。
見たことのない生物の標本が並んでいる。パッチワークの怪物だ。
ひとりでに動いた映写機から、奇妙な映像が流れる。
何故か、スタンダール症候群のことを思い出した。
作品をよく見る。並んでいる標本は、伝説上の生物やキメラで。
何故か、フランケンシュタイン・コンプレックスのことを思い出した。
僕は、これらの標本を美しいと感じる。
続いて、第二展示室へ。
薬品棚には、ヒプノスとタナトスという薬があった。
記憶を消すヒプノス。飲んだものを死に至らしめるタナトス。
置かれている身長体重計に、小春さんが乗る。
「これは、なんでもありませんの」
急に小春さんに抱き付かれたので、抱き締め返した。
本棚を見る。
“一度は死した者を生き返らせたのなら、その人物の心や魂は果たして本物なのか”
僕が思うに、それは元の人物と同一とは言い切れないかもしれないが、心が本物ではないとするのは乱暴に感じる。
魂については、僕はその存在には懐疑的だ。
ホールに戻ると、大展示室の扉が開いている。
中へ。
そこには、赤と黒があった。
ああ、またスタンダールじゃないか。
防護服を着た兵士たちが、ライフルを構えている。
痛い。人間の悪意を感じる。
立っていられない。
涙が流れた。
「やってみるしか、ないよね……」と、小春さんの声。
彼女が、背中に僕を庇う。
彼女。
彼女は、誰だ?
いや、彼女は大事な人だ。
小春さんは、3人の兵士たちを殺す。
そして僕は、天使を見た。
「新さま、大丈夫ですの?」
「一応、大丈夫だよ」
「怪我とかは?」
「ないよ」
ふたりで室内を探索する。
ハルピュイアのような彫像。
管に繋がれた人工的な怪物。アザトース。
一瞬、白衣の人が投影されたマネキン。
何かが引っかかる。
僕は、電源のつかないタブレットを取り出し、自分の顔を見つめながら精神を研ぎ澄ました。
白衣の胸ポケットから、第二展示室のデスクの鍵を発見。
さっそく、そちらへ向かう。
平行世界についての文章。
ヒプノスの元々の効果は、平行世界への移動?
それなら、僕らの現実は……。
ついに、ふたりでエレベーターで上へ行くことにした。
内部に、白衣の死体が現れる。
新先生とは、おそらく。
小春さんの手を握る。小春さんは、握り返してくれた。
地上へ。
僕は、全てを思い出した。
自分の正体も、小春さんの正体も。
あなたは、僕の大切な人の写し絵。
あなたは、僕の……。
この元美術館の外には、僕らを殺そうとしている連中がわんさかいるのだろう。
「新さまに殺してもらうなら、それもいいと思うよ」と、彼女。
「僕には、小春さんは殺せないかな」
「私は、心が弱いから、逃げたいな」
小春さんは、ヒプノスを飲みたいそうだ。
「ふたりでタナトスを飲むという手もあるけど」
「新さまは、そうしたいんですの?」
「……いや。研究者っていうのは、作品に名前を付ける時は、神話から取ることが多いんだ」
ヒプノスとタナトスの母。夜の女神。
「ヒプノスとタナトスを混ぜて、ニュクスを作って飲む、というのが僕の最終的な案だよ。小春さんの運が良ければ、平行へ行く。僕の運が良ければ、死ぬ。あとは、予想外のことが起きる可能性もある。確率は低いけど」
僕はもう、いつか覚める夢を見るのにも疲れてしまっている。
「……ふふ。分かりましたわ。そうしましょう」
ふたりで、薬瓶でヒプノスとタナトスを混ぜて飲むことにした。
「おやすみ、小春さん」
「おやすみなさい、新さま」
そうして。僕と、僕の愛する人は、眠りに就いた。
永い眠りに。
恐れをなくすには、それをコンテンツにしてしまえば手っ取り早い。
惑星直列が近いからか、終末論が囁かれている昨今。
僕は、人間の恐れへの防御本能について考えていた。
そんな、ある日。
「小春さん、チケット取れたよ」
「本当ですの?!」
奇跡的に倍率2000倍の化物展のチケットを取れたので、恋人と美術展へ行くことにした。
ロイヤル・バレンタインデー当日。
待ち合わせ場所の駅前へ向かう。
合流した小春さんの希望で、カフェへ。
「新さま、作って来ましたの!」
手作りバレンタインチョコをもらった。
「食べてくださいませ。お味はどうですの?」
「美味しい。小春さんは、やっぱり凄いね」
「うふふ」
おそらく、異物が混入している。それが何かまでは分からないけれど。
小春さんがそうしたいならば、僕はそれでいい。
「この後、スポッチャ? 行ってみたいですの」
「うん。行こうか」
僕が注文した、クロックムッシュセットとブレンドコーヒーが届いた。
「いただきます」
わりと豪華な朝食。フランスの朝みたいだ。
「新さま、一口欲しいですの」
「一口? どうぞ。はい、あーん」
「洋って感じですの」
小春さんは、笑顔で言う。
「じゃあ、新さまには、だし巻き卵をあげますの」
「あーん。美味しいね」
時は、穏やかに過ぎていった。
食後。スポッチャへ。
まずは、ボウリングをする。
「うわ」
僕の指がボールから抜けず、モニターを破壊する事故が起きた。
小春さんが弁償してくれて、事なきを得る。
気を取り直して、カラオケへ。
僕は、あんまり歌が上手くない。
「新さまの歌声、癒されますの」
「小春さんは、歌が上手いね」
さて。そろそろ。
「常設展も見たいし、美術館へ行こうか」
「はい」
白い建物、黄泉比良坂美術館前。
小春さんと肩を組んで写真を撮る。
大正からある建物らしい。
エントランスには、様々な人外を題材にした作品があった。
音声ガイドは、ないのか。
写真撮影は禁止、と。
日本神話が取り上げられているみたいだ。イザナギとイザナミの話。
「新さまは、わたくしが化物になったら、逃げますの?」
「いや、逃げないよ」
何をもって、曙小春を曙小春とするのか?
その答えを出すのは難しい。
しかし僕は、今隣にいる彼女を愛しているから、逃げるという選択肢を選ぶことはないと断言出来る。
「小春さん、2階の常設展を見よう」
「はい」
展示室の一角には、不可解なものばかりが置かれていた。
自らの知識で、作品について考察をする。
「小春さん、この幾何学的なものは、危ないものかもしれない」
「どういうことですの?」
「深く考えない方がいいってこと」
八つ折りの黄色い紙片は、楽譜に見える。
分厚い革の本は、ネクロ……?
ネクロとは、一般的にはいい意味の言葉ではない。
「ここの展示は、どこか指向性があるように感じる。同じジャンルというか」
「新さまは知識豊富ですの」
少し不吉な予感がした。
ホワイエへ移動する。
小春さんと、お揃いのストールを購入。
「新さま、似合ってます?」と、ストールを身に付けた小春さんが尋ねる。
「うん。似合ってるよ」
「やったぁ」
可愛い。
「こういう綺麗なところで結婚式を挙げたいですの」
「そうだね。あと、個人的には海の近くがいいな」
「海が好きですの?」
「うん」
「そういうことは、もっと早く知りたかったですの」
「たまたま言う機会がなくて」
小春さんは、拗ねたような顔をする。
そんな様子も愛おしいのだから、僕は幸せ者なのだろう。
次は、ピアノホールに向かった。
ヴィバルディの四季~冬~が演奏されている。
季節を合わせているのだろう。
「新さまは、帽子が好きですの?」
「いやぁ、人と目を合わせるのが得意じゃなくて」
「わたくしも?」
「小春さんは、例外」
「じゃあ、わたくしだけを見ていてくださいませ」
「うん」
その後。屋外庭園へ。
小春さんが冬のダイヤモンドについて教えてくれた。
僕の頭の中で、「3」がカウントされる。
「小春さん、ちょっといい話じゃないんだけど」
「なんですの?」
「僕は、3回連続で起きたら偶然じゃないと思ってるんだけど。今日は、死に別れの話をやけに聞くんだよね」
イザナギとイザナミの死に別れ。
四季~冬~。冬は、死の季節。
カストルとポルックスの死に別れ。
ついでに言うなら、最近流行りの終末思想。
「僕の考え過ぎかなぁ?」
「それは、考え過ぎですの」
「そうだね。ごめんね、小春さん」
ふたりで、シアターホールへ行く。
短編映画「星と怪物」を観た。
怪物と人間の悲恋、だろうか。
「新さま、これって、メリーバッドエンドでは?」
「そうだね」
「また死関係ですの」
「またひとつ増えてしまった」
「怖くなってきましたわ」
申し訳ない。僕のせいだ。
小春さんには、ずっと笑っていてほしいのに。
そろそろ時間だ。バケモノ展へ向かおう。
突然、小春さんが男にぶつかられ、スマホを落とした。
そして、まばたきをした瞬間。
いつの間にか、小春さんと空間が隔てられている。
ここはどこだ?
「どうなってますの~?!」
「ごめん。僕にも分からない」
ガラス越しに、小春さんと話す。
「小春さん、そっちに扉ある?」
「あります」
「開く?」
「出られそうですわ」
とりあえずは良かった。
小春さんは、出る前に探索してみるようだ。
こちら側には、消火栓がある。
ワケが分からない場所なのに消防法を守っている?
僕も、しっかり探索しよう。
床に落ちている、ミントグリーンの液体が入ったカプセル。なんの薬か分からないけれど、持って行こう。
ソファーを動かして、両開きの扉に噛ませた。
置かれているプレートを見る。人間こそが化物?
「小春さんは、化物ってなんだと思う?」
「化物……人の心が、ない……?」
「なるほど。心の定義も難しいものだけどね」
化物にとっては、人間こそが化物かもしれない。
小春さんの方の扉にも、ソファーを噛ませる。
合流して、小春さんに変わったところはないか見た。
特段、何もない。可愛いだけ。
小春さんと通路に出た。
化物ばかりの美術品が通路の左右を彩っている。
おかしいところに気付いた。
これは、誰の絵なんだろう?
「小春さん。こういうところには、普通は無名の画家の作品は飾らないでしょう?」
「はい」
「ここにある絵は、誰が描いたのか全く分からないんだ」
「…………」
謎は深まるばかりだ。
怪物は、ギリシャ神話のものたち。
「日本神話とギリシャ神話には共通点があるんだよ。どちらにも冥界下りがある」
「そうですのね」
小春さんを後ろにして、通路のドアの先へ。
広いホールに出た。
床には、六芒星が描かれている。
かごめは、日本では魔除けだ。
「エレベーターは使えないみたい」
ここが地下なら、エレベーターを使わないと戻れないはずなんだけど。
「小春さん、資料室に行かない?」
「分かりましたの」
入ってみると。
レコードプレーヤーから響くバースデーソング。
それから、未来の日付の書籍や新聞。
実験体-仮呼称アルファという書籍群を見る。
そこにあった日記の筆跡が、僕のものと似ている気がした。
資料室を出て、第一展示室へ。
見たことのない生物の標本が並んでいる。パッチワークの怪物だ。
ひとりでに動いた映写機から、奇妙な映像が流れる。
何故か、スタンダール症候群のことを思い出した。
作品をよく見る。並んでいる標本は、伝説上の生物やキメラで。
何故か、フランケンシュタイン・コンプレックスのことを思い出した。
僕は、これらの標本を美しいと感じる。
続いて、第二展示室へ。
薬品棚には、ヒプノスとタナトスという薬があった。
記憶を消すヒプノス。飲んだものを死に至らしめるタナトス。
置かれている身長体重計に、小春さんが乗る。
「これは、なんでもありませんの」
急に小春さんに抱き付かれたので、抱き締め返した。
本棚を見る。
“一度は死した者を生き返らせたのなら、その人物の心や魂は果たして本物なのか”
僕が思うに、それは元の人物と同一とは言い切れないかもしれないが、心が本物ではないとするのは乱暴に感じる。
魂については、僕はその存在には懐疑的だ。
ホールに戻ると、大展示室の扉が開いている。
中へ。
そこには、赤と黒があった。
ああ、またスタンダールじゃないか。
防護服を着た兵士たちが、ライフルを構えている。
痛い。人間の悪意を感じる。
立っていられない。
涙が流れた。
「やってみるしか、ないよね……」と、小春さんの声。
彼女が、背中に僕を庇う。
彼女。
彼女は、誰だ?
いや、彼女は大事な人だ。
小春さんは、3人の兵士たちを殺す。
そして僕は、天使を見た。
「新さま、大丈夫ですの?」
「一応、大丈夫だよ」
「怪我とかは?」
「ないよ」
ふたりで室内を探索する。
ハルピュイアのような彫像。
管に繋がれた人工的な怪物。アザトース。
一瞬、白衣の人が投影されたマネキン。
何かが引っかかる。
僕は、電源のつかないタブレットを取り出し、自分の顔を見つめながら精神を研ぎ澄ました。
白衣の胸ポケットから、第二展示室のデスクの鍵を発見。
さっそく、そちらへ向かう。
平行世界についての文章。
ヒプノスの元々の効果は、平行世界への移動?
それなら、僕らの現実は……。
ついに、ふたりでエレベーターで上へ行くことにした。
内部に、白衣の死体が現れる。
新先生とは、おそらく。
小春さんの手を握る。小春さんは、握り返してくれた。
地上へ。
僕は、全てを思い出した。
自分の正体も、小春さんの正体も。
あなたは、僕の大切な人の写し絵。
あなたは、僕の……。
この元美術館の外には、僕らを殺そうとしている連中がわんさかいるのだろう。
「新さまに殺してもらうなら、それもいいと思うよ」と、彼女。
「僕には、小春さんは殺せないかな」
「私は、心が弱いから、逃げたいな」
小春さんは、ヒプノスを飲みたいそうだ。
「ふたりでタナトスを飲むという手もあるけど」
「新さまは、そうしたいんですの?」
「……いや。研究者っていうのは、作品に名前を付ける時は、神話から取ることが多いんだ」
ヒプノスとタナトスの母。夜の女神。
「ヒプノスとタナトスを混ぜて、ニュクスを作って飲む、というのが僕の最終的な案だよ。小春さんの運が良ければ、平行へ行く。僕の運が良ければ、死ぬ。あとは、予想外のことが起きる可能性もある。確率は低いけど」
僕はもう、いつか覚める夢を見るのにも疲れてしまっている。
「……ふふ。分かりましたわ。そうしましょう」
ふたりで、薬瓶でヒプノスとタナトスを混ぜて飲むことにした。
「おやすみ、小春さん」
「おやすみなさい、新さま」
そうして。僕と、僕の愛する人は、眠りに就いた。
永い眠りに。
