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汐見砂子は、人間である。
というのが、体を勝手に人形と取り換えられた私の見解だ。
例えば、眼鏡や義手や義足のユーザーは、人間でしょう。
スマホだって、人間の拡張デバイスだけど、それを持っていても人ではないと言われることはない。
私には、連続性のある記憶・意識と脳味噌がある。じゃあ、私はサイボーグみたいなもので、充分に人間だろう。
私は、それでいい。
だから、少女に元の体を譲った。
最終的には、自分の意思で。
医師に対して言いたいことは、「最初から同意を取ろうとしてくれよ」「私は、娘さんと遊ぶ約束をしたから、責任取って辻褄を合わせてほしい」「私が、もっと人間の定義が狭い人間だったらどうするんだよ」くらいである。
記憶を取り戻した今だから言えるのだが、私には、私の体が人形になったところで困る人はいない。
一緒に暮らしている弟なんて、むしろ喜びそうだ。
私自身は、SFのオタクだし、哲学のオタクだから、別に今の自分の存在に対して悲観的になることはない。
囚人のジレンマでは、黙秘を選んだ。
私は、共犯者を押し退けて助かりたいとは思えないだろうから。
テセウスの船は、パーツが全て置き換わっても同じ船だと答えた。
重要なのは、観測者である人間の認識の連続性だと考えたから。
臓器くじは、1の犠牲の上に真の幸福は成り立たないと思った。
感情論だが、それはとても残酷なことだと思ったから。
全ての回答は、後に私に返ってきた。
私は、あの子に真実を話さない。
私は、パーツが変わっても私である。
私は、多数のための犠牲にはなりたくない。
最後の答えと、私が体を譲ったことは、別に矛盾しないのである。
私は、仲良くなった女の子を助けたいと思っただけだ。
まんまと医師の思惑通りになったような気がしないでもないが。まあ、今更だ。
汐見砂子とは、今、日記を綴っている“この私”に他ならない。
私は、“この私”でいられるなら、それでいいのである。
この自己同一性と、自我と記憶があれば、汐見砂子は、汐見砂子だ。
誰に否定されようと、私はそれを肯定する。
日記は、中学生の頃から、35歳の今まで、ずっとつけているものだ。
こういう習慣も忘れてないし、やはり、私は私だなと感じる。
文章を書くことが大好きで、それくらいしか努力を努力と思わずに出来ることがなくて。
人間のことを愚かだと思っていて、人類は緩やかに滅んだ方がいいと考えていて、人間の作り出す美しいものが好き。
私は今も、そんな人間のひとりだった。
◆◆◆
「ミミさん、約束通り、船に乗りましょう。遊覧船のチケットを取りました」
私は、傍らにいる歳の離れた友人に声をかけた。
というのが、体を勝手に人形と取り換えられた私の見解だ。
例えば、眼鏡や義手や義足のユーザーは、人間でしょう。
スマホだって、人間の拡張デバイスだけど、それを持っていても人ではないと言われることはない。
私には、連続性のある記憶・意識と脳味噌がある。じゃあ、私はサイボーグみたいなもので、充分に人間だろう。
私は、それでいい。
だから、少女に元の体を譲った。
最終的には、自分の意思で。
医師に対して言いたいことは、「最初から同意を取ろうとしてくれよ」「私は、娘さんと遊ぶ約束をしたから、責任取って辻褄を合わせてほしい」「私が、もっと人間の定義が狭い人間だったらどうするんだよ」くらいである。
記憶を取り戻した今だから言えるのだが、私には、私の体が人形になったところで困る人はいない。
一緒に暮らしている弟なんて、むしろ喜びそうだ。
私自身は、SFのオタクだし、哲学のオタクだから、別に今の自分の存在に対して悲観的になることはない。
囚人のジレンマでは、黙秘を選んだ。
私は、共犯者を押し退けて助かりたいとは思えないだろうから。
テセウスの船は、パーツが全て置き換わっても同じ船だと答えた。
重要なのは、観測者である人間の認識の連続性だと考えたから。
臓器くじは、1の犠牲の上に真の幸福は成り立たないと思った。
感情論だが、それはとても残酷なことだと思ったから。
全ての回答は、後に私に返ってきた。
私は、あの子に真実を話さない。
私は、パーツが変わっても私である。
私は、多数のための犠牲にはなりたくない。
最後の答えと、私が体を譲ったことは、別に矛盾しないのである。
私は、仲良くなった女の子を助けたいと思っただけだ。
まんまと医師の思惑通りになったような気がしないでもないが。まあ、今更だ。
汐見砂子とは、今、日記を綴っている“この私”に他ならない。
私は、“この私”でいられるなら、それでいいのである。
この自己同一性と、自我と記憶があれば、汐見砂子は、汐見砂子だ。
誰に否定されようと、私はそれを肯定する。
日記は、中学生の頃から、35歳の今まで、ずっとつけているものだ。
こういう習慣も忘れてないし、やはり、私は私だなと感じる。
文章を書くことが大好きで、それくらいしか努力を努力と思わずに出来ることがなくて。
人間のことを愚かだと思っていて、人類は緩やかに滅んだ方がいいと考えていて、人間の作り出す美しいものが好き。
私は今も、そんな人間のひとりだった。
◆◆◆
「ミミさん、約束通り、船に乗りましょう。遊覧船のチケットを取りました」
私は、傍らにいる歳の離れた友人に声をかけた。
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