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短編

「ちょっとオレ、トイレ行ってくるわ。ついでになんか飲み物買ってくる」
「え?」
「行ってらっしゃい」
そう言って晴矢は公園広場から駆け出した。それを見送っていたヒロトが急に私を見るから、悪いこともしてないのに思わずドキリとした。
「座ってようか」
「ああ……」
近くにベンチが見当たらないため、後ろにあった手頃な高さの柵に軽く腰かける。ヒロトもそれに異論はないようだ。少し間を空けて隣に座ったヒロトを横目で見て、なんとなしにポケットに手を入れる。震えるほどではないにしろ少し肌寒いこの季節、こうすることで多少は暖を保てるだろう。晴天とはいえこんな風通しのいい外で人を待たせるとは晴矢もいい度胸だ。
だが、困ったことはそれじゃない。体の寒さよりも心の寒さの方が問題だ。
実を言うと私はあれから、エイリア学園がなくなってから、ヒロトとまともに会話をしたことがない。ヒロトと会う時だいたいは晴矢と一緒で、晴矢が勝手に喋ってくれるから私も、おそらくヒロトも、なんとなく和解した気になっている。今日だって私達が頼まれた買い物にたまたまヒロトが同行することになっただけだ。意図的に一緒にいるわけではない。
そんな相手と何を話せと言うんだ。ガゼルとグランだった頃と今は違うんだぞ。風介とヒロトには、共通の話題がなさすぎる。
私と同じことを考えているのかどうか、ヒロトも何も言わなかった。ただ前で手を組んで、ぼんやりと空を見つめていた。きっと晴矢なら耐えられないだろう気まずい沈黙。私だって耐えたくなんてなかった。でもどうしようもないんだ。どうだ晴矢。私はこの沈黙に耐え抜いてみせるぞ。お前より優秀だと証明されているのだ。だからとっとと帰ってこい。
「あ」
自分の都合で駆け出して行った馬鹿に念を飛ばしていると、突然ヒロトが声をあげた。ビクリと震えた肩を誤魔化すように隣を見ると、ヒロトは私の後ろを見ていた。
「猫だ」
振り向けば言う通り、そこには全身真っ黒の猫がいた。こんな時に黒猫なんて、とんだ不吉の前兆だ。ただでさえ気まずい状況に不吉なことまで起こると言うのか。
「にゃーん。おいでー」
私の不安をよそにヒロトは座りこんで猫にむかって手を伸ばす。呼んでいるつもりなのか小さく指先も動いていた。しかし今のは鳴き真似のはなんだ。鳴き声を口で言ってどうする。
猫もそう思ったのかどうなのか、ヒロトの誘いには乗らず、何故か私の足下に寄ってきた。
「フラれちゃった」
残念そうに私を見上げるヒロトと、足下で頭を擦りつけてくる猫を交互に見比べ、困っているのは私だ。どうしろというんだ。こんなしょうもない争いに勝ったところで何も嬉しくなんかない。ガゼルだったらまた違ったかもしれないが、今の私は風介だ。特にヒロトに優越感を持ちたいわけでもない。相手が晴矢なら勝ち誇れたが、今回相手はヒロトだった。父さんを取り合わない私達には争う理由なんて何もなかった。
「……ほら」
仕方なしに猫を抱き上げて差し出してみた。するとヒロトはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに私の手の中の猫を愛で始めた。猫は特に抵抗する素振りを見せない。人間に随分慣れているようだ。
だが私が驚いたのは猫ではない。ヒロトだ。あのグランもこんな顔をするのかと関心してしまった。よく考えなくてもヒロトはもうグランでもなければ私だってガゼルじゃない。当たり前のことなのに私はやはりどこかコイツのことをグランだという認識から離れられないらしい。しかし今改めて思う。目の前のコイツは、グランだったコイツは、もうただのヒロトなのだと。なぜならグランはもっと必死に生き急いでいた。こんな風に穏やかに笑うグランなんて笑うしかない。だがヒロトはこんな表情を自然にできる。紛れもないただのヒロトなのだ。
「……よかった」
「……ん?」
ぽつりと呟いたヒロトは猫から顔を上げると私をまっすぐ見つめて微笑んだ。
「涼野はオレのこと嫌いなのかなって思ってた。エイリア学園の頃は色々あったし」
その言葉は、私にとっては予想外だった。ヒロトは私のことなんて気にしてないと思っていた。どこまでもマイペース、それはグランの頃からそうだった。だから腹が立ったりもしたものだ。だけど今はそれほどでもない。
「別に嫌ってなんて……」
「うん。だから、よかった。これから仲良くなれそうだ」
これから、仲良く。ヒロトは確かにそう言った。今までは違ったということだ。どうやら初めから、仲直りした気になっていたのは私だけだったらしい。なんとなくでやり過ごせると思っていたのも。ヒロトはしっかり考えていたんだ、私のことを。なんとなくで終わらせないでいようとしてくれていたんだ。それを、私は。
「すまなかった」
素直に頭を下げれば、ヒロトは目を丸くさせて尋ねてきた。
「どうして涼野が謝るのさ」
なんとなくで終わらせようとしたこと、そうやって逃げようとしていたこと。気まずいと思っていたのは、気まずかったのは私のせいだ。だったら私がけじめをつけるしかないだろう。
「君は真摯に向き合おうとしてくれていた。だが私は!」
「にゃー」
腕の中で、猫が鳴いた。私は猫のことをすっかり忘れていたせいでつい反射的に言葉を区切って猫を見た。ああ、なんてことだ。これじゃあ何もかも台無しだ。私は至って真剣に謝ろうとしていたのに、なんて空気の読めない猫だ!
「……ぷっ。あははは!」
猫への怒りを感じているとヒロトが突然楽しそうに笑いだした。その姿を見て私はとたんに恥ずかしくなった。何を猫相手にむきになろうとしていたんだ。怒りよりもただただ恥ずかしい。申し訳なさまでどこかに行った。
「……もういい」
「そうだね!」
投げやりにそう言えば、ヒロトはどこか嬉しそうに笑った。その姿を見て思いついたことを口にする。
「……風介でいい」
「え?」
「晴矢だって晴矢だろう。だから」
「うん!改めてよろしく、風介」
ヒロトはまた笑った。よく笑うやつだ。
今まで気まずかったのは何だったのか、ヒロトの笑顔はなんとなく、心地が良かった。ああ、最初からこうしていればよかったんだ。ヒロトと2人になるのも、悪くない。

とりあえず、帰りが遅かった晴矢のことは、責任をもって私が蹴り飛ばしておいた。




グランとガゼルはともかく、エイリア崩壊後のヒロトと風介って何話すんだろう?二人きりになったら互いに無言で気まずくなりそう。きっかけがあれば和解できるんだろうけど、ああそんな感じの涼基が見たい。


>>2016.11.18

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