執事の特権
あれ、こんなにこの木大きかったっけ?
春が終わりかけ、初夏の日差しが眩しく、優しく木漏れ日から届いている。見上げた木漏れ日の持ち主は、普段よりずっと大きく見えた。
そこで気づく
ああ、これは夢だな。
道理でこんなに大きいわけだ。
直近の記憶では自分の背丈だと一番近いところにある枝に触れたが、この夢の中では到底届かない。見上げる首が痛くなりそうだ。
ふと、誰かが呼ぶ声が聞こえて、ぱっと振り返る。
そこには誰もおらず、いつもの屋敷があるだけ。
父の声でもない、母の声でもない。
でもいつも近くにあって今でも寄り添ってくれているもの。
「……ま、…様。……ハロルド様」
この声だ。いつも、昔からそばにいる、この声。気づけば木漏れ日は消えていて、腕にあるのは平たい感触と自分の頭の重み。
「起きろ」
「ひゃいっ!」
徐々に周りの状況を、目をつぶったまま把握していると上からがっと首根っこを掴まれた。
たまらず飛び起きてすぐ自分の首の後ろにある手を外そうとすれば、すっと離れていった。
背後から机の前に戻った男が何事も無かったかのように微笑みながら口を開く。
「気持ちよさそうに休憩しておられましたが、お手紙は書き終わったのですか?」
そう問いかけられて、なぜこの男がここにいるのかを思い出した。
友人に出す手紙を書き上げるから、程々の時間で取りに来てほしいと。
すっかり忘れて、空調の効いた部屋により訪れた眠気に抗えず自分の腕を枕にしていた。
言葉の前半に若干のトゲがある気がするが、
はは、と誤魔化すように笑ってから、机の上に置いていた紙を確認する。幸い内容は書き終わっていたため、手早く封筒に詰めたものを手渡す。
「よろしく」
「承知致しました。」
男は手紙を受け取って静かに一礼してから、失礼します、と断って部屋を出ていった。
扉が閉まってから、自分が呼んだのに当の本人は寝こけていて呆れただろうかと思ったが、それも今更か、何せ生まれて言葉を喋るようになる前から一緒にいる、というか遊び相手兼付き人だと思い直す。年は向こうの方が上だから遊ぶと言っても兄のような存在だったが。
いつからか遊び相手という役割はなくなり、その代わりに主と付き人の時間は増えた。
敬称無しの名前を最後に呼ばれたのは何時だっただろう。全く呼ばれていない訳では無いが、そう短くない時間があいていることは確かだ。
それでもやはり過ごしてきた時間は変わらない。今のように普通のお付きの者がやれば即解雇のようなことも、自分とあの男の間柄だからできることだ。自分もそういう態度に対して怒ることも止めるように言うことももちろんなかったし、寧ろ他人行儀ではない距離感の人間が何時も付いていることには安心感を覚えている。
そこにもう一つ別の感情が生まれたのも、随分前のことだが。
自分のものより一回り大きな手が触れた首が、温もりが移ったように熱くなっていた。
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