short
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
瞼を上げると、眼前に広がったのは見知らぬ風景であった。
記憶を幾ら辿れども心当たりの一つも思い当たらないこの場所に、何故自身が今こうして居るのかは定かではなかったが、不可解なことに一度も踏みしめたことのない筈のこの地に懐かしさにも似た情を感じ入っているのも、また事実であった。
自身の内を揺らめくけったいな感情は一度脇に置き、状況を整理するのが先決であろう。見知らぬ風景、と一口に言ってもそれぞれだ。今現在、視界の多くを占めるのはそよそよと心地よい穏やかさで流れる川であった。その川のほとりに私は立っていた。
血色のあまり良くない自身の足の甲を空ろに見下ろし、それからぼんやりと緩慢な動作で向こう岸を見据える。
対岸は遥か彼方にあるようで、しかしそれでいて手を伸ばせば容易く届いてしまうような、そんな幻覚じみた距離感を保っていた。眺めるそのうちに、果たして己が本当にこの地に立っているのか、それすらも曖昧になってきて、堪らずその不可思議極まりない感覚に目を側め、固く瞑った。
眠りを誘うような水音が耳朶をすり抜けていく。
どうせだ、試しに手の一つでも伸ばしてみようか。恐る恐る手を伸ばした、そのときだった。伸ばした筈の平手が何かとは分からずとも何らかの手によってやわく、握りしめられ、突としてその動きを止めさせられた。
明らかに自身のものではないそれに、弾かれるように目を見開く。反射的に日の下に引きずり出された眼に投じられた姿に、私は思わずただでさえ見開いた双眸をさらに剥くこととなった。
「、な、んで」
それは文字通り手であった。私の手を握りしめていたのは、私のものよりも随分と硬い皮膚に包まれた手のひらであった。
零れ落ちたのは現下において私の胸懐を支配する心情を最も端的に表したものであった。そのたった一言に、継ぎ接ぎの映像の如く突如として現れた男は見慣れた笑みを浮かべた。あの、嫌でも覚えのある、この眼に焼きついた笑みを。
呆気にとられたようにそれ以上の反応を示さない私を余所に、面前の存在は掴んだ手のひらに少しだけ力を込め、淡い慕情を滲ませた視線を私のそれと合わせると、いこう、と一言口に掛けた。
たった三音だ。そのたった三音に、私は逆らうという選択肢すらも抱かずに易々と己が身を預けた。これではまるで転落だ。そんな私の内心を知ってか知らずか、男が再び口の端を持ち上げた。
未だ判然としない私のことなどお構いなしに、向けられた後背は緩やかながら確かな歩調で足を進めていく。自身を導くその背中は年若さが全てであったあの頃とまるで変わらないもので、何故だか無性に縋りついてしまいたいような、そんな心持となった。
川縁から足を踏み出す。
あれは過日の日々だ。埃を被り、煤け、錆びついてしまった代物に過ぎない。遠い過去は遠い過去らしく、在るべき場所で眠りについていた筈だ。
だのに、彼はたった今芽吹いたばかりの生命と並び立つ鮮やかさで其処にいた。
生ぬるい水が踝を撫でる。
まるで、とうに過ぎ去った筈のあの頃に戻ったようだ。その思いに引きずられるように、共に在った遠い日々に対する懐古の情がとめどなく湧き上がってくる。それを我が事ながら傍目に感じた。
何の面白味も無いことを承知の上で、此処で思い出話の一つでもするとすれば、私の短い生涯は、それなりに幸せなものだった。少なくとも、不幸せという言葉が似合いのものではなかった筈だ。確かに決して飛びぬけたものではなかったが、人並みの幸せというものは十二分に味わった。
だからこそ、と形容して良いのかどうかは定かではないものの、あなたのことを思い出すことも毎日だったのが日を追うごと、年を追うごとに少しずつ減っていったのだと思う。
そんな私の人生における転機、といえば間違いなくあの頃。察しの良いあなたに聞かせれば、この時点で容易く理解が及ぶでしょう。
あれから、私は色々なものを目にし、また知った。あなたの私に対する態度が百八十度変わってしまったあの日から。あなたが突然煙のように忽然と消息を絶ってしまったあの日から。久しぶりに会えると思ったら目元に変てこな傷をつけて、何よりただの肉の器となって帰ってきたあなたと再会を果たしたあの日から。色々な物や事について知り得ていたあなたよりもずっと、多くのことを私は知った。
あの頃の私と云えば自分の見えるものが全てで、見えないものについては心を配ろうともしなかった。狭い視野で何もかもを知った気でいた。今思えば、何と愚かなことか。しかし時既に遅し。頑なに自身が子供という殻を破った、ということを信じきっていた時代は既に駆け抜けてしまった今、己に叶うことと云えばあの頃の自身を顧みるくらいのことだというものだ。
しかしながら、愚かなものを愚かというのは簡単だ。だが、あの頃の私にとってはその愚かさが全てであったのだ。
水深はとどまるところを知らずにその深さを増していく。
あの出来事を経た後暫くはともかく、私はそれなりに幸せだった。それは疑いようもない真実だ。
あの穏やかな日々を生きるなかで、最早彼のことを鮮明に思い出すことは不可能となっていた。ピントがずれたように霞んだ記憶は薄れゆくばかりであった。
彼は私にとって遠い日々で、そして紛れもない過去であった。
不帰の客となってしまったあなたを目にしたあの日。忘れまい、忘れてなるものかと奥歯を噛みしめ誓った。あなたを、花京院典明を。ついぞ己以外には明かすことのなかった誓いは、あらん限りの力で立てた歯に突き破られたことで一つ流された鉄の味がした。
そのような誓い立てをしたのは、彼にただならぬ感情を抱いていたという理由も勿論であったが、何より意趣返しの意味合いが大きかった。突然人が変わったようになったかと思えば突き放され、言伝一つも残さずに姿を消し、何の音沙汰も無かったかと思えばあろうことか事切れて帰ってきて。突き放されることには慣れていたが、これは流石にあんまりだろう。
そう、これは始終振り回されっぱなしであった私のささやかな意趣返しなのだ。真意が何処にあるにせよ、本当に私のことが気に食わなくなったならばそんな相手にいつまでも執着されていることは不本意であろうし、もしそうでないのなら後悔の一つでもすればいいと思った。他の何かに囚われていようと、少なからず心を傾けようとするほどには心を砕いた者を蔑ろにしたことに、その変なところで発揮される生真面目さから後ろ髪引かれてしまえばいい、とそう思った。
だが、誰かの言葉を借りるなら墓の下ではなく、遠い何処かにいる彼に対し舌を出したその心境に反し、自分が彼の声を忘れつつあることに気がついたあのとき、私は何を思っただろうか。覚えているのは、襲い来る途方もない悲哀に身体を流れる血液が凍り付くような心地がしたことだけだ。
あんたは、私の一方的な誓い立てにすら薫染しようとでもいうのか。もうこの世の何処にもいない男の胸倉を掴み、そう怒鳴りつけてしまいたい気分であった。だがそれも叶わぬこと。いつだってそうだった。私の心を汲み取っておきながら、その上で線引きをする。目の前から消え去るだけでは飽き足らず、さらには私の内からも姿を眩ますつもりなのか。
彼は時折私に対し、君はいつも自分のことばかりだと忠言にも似た憎まれ口を溢していたが、己のことばかりなのは彼も同様であった。お互い、いつだって手前勝手だった。互いが互いに対し身勝手を振りかざし、互いの間を走る溝を深いものとしていた。しかしそれを責め立てる資格は私には無い。自身の見えるものが全てだと信じきる傲慢さに甘んじ、彼に心を通わせることを諦めた私にどうこう言える問題ではない。
そうだ、線を挟んで並び立っていたあの頃、あなたと私が真に深いところで分かり合うことが出来なかったのは何故なのか、結局私は最後の最後まで見当もつかなかった。
しかしそれこそが彼と、私を含めた周囲との隔絶の要因であり、彼が私を肝心のところで突き放し続けた理由だ。彼が直接口に出すことは一度もなかったが、私には確信があった。件のそれが彼の基盤に直接関わる事柄であり、彼が周囲に対し壁を作り続けた最大にして唯一の理由であることを、証明出来ずとも私は言外に理解していた。周囲がどれだけ手を伸ばそうと、どれだけの思いをこめて慮ろうと、覆すことの叶わないものであることも、また。
だがそれが一体何だと云うのか。いくら血を分けた人間であろうと、いくら袂を連ね、お互い誰より相手を理解しているという多大な自負がある者らであろうと関係無い。人間という存在そのものが根本的に己以外の存在に対して他人である以上、真に理解し合うことなど土台無理なのだ。
そして人間、誰しも素知らぬふりをしながら当事者ではない他人には理解し難い悩み、問題を抱えているものだ。苦悩の程度が如何ほどであろうと、何れも否定してはいけない。されることなどあってはならない。だから彼が抱え込んでいたものが、一体何であったのか知れずとも私は否定するつもりは毛頭無い。
自身のことですら未だ理解し難い部分があるのに、他人に対して十全に考えが及ぶ筈もないのだ。私たちが確固たる一つの存在である以上、我が身可愛さが全てであり、真に分かり合える日など訪れようもない。だがそれは決して悪いことじゃあない。
端から実現する見込みのないものを追い求める前に、向けられる感情を望みのままに享受するより前に、その一言が言えれば良かったのかもしれない。私はいつだって後悔ばかりだ。
はじめに、彼の声の鮮鋭さを失ったときもそうだった。訪れる侘しさに、私の抱いた思いなど所詮この程度だったことをありありと思い知らされた。彼は決して姿を眩ましたのではなく、ただ単に私がその行方を見失ってしまっただけに過ぎなかったのだ。
先立つは悔恨の情であったが、痛切に感じたものは何より悲哀であった。きっと彼は、私が自身を忘れ去ろうというならば静かに微笑み、その一切を良しとするのだろう。そのことを考えると悲しくてしょうがなかった。そうしている間にも彼は碧落から此方に向かって手を振っているような気がして、私はさらに心悲しさに晒された。
しかしそうやって気落ちしていたのも暫く。最早これが自身の一存でどうにかなるような問題ではないことを早々に理解した私はそれからというもの、そうして色褪せていく彼を黙って見つめているだけであった。何をするわけでもなく、何を思うわけでもなく。
結局、形を留めておくには時間が経ち過ぎたのだ。一度そのように折り合いをつけてしまえば、あとはそれに身を任せるばかりだ。成すがままに、全ては流れ次第。
それでは薄情だと、あんまりだと私を非難する者ももしかすればあるかもしれない。そう、薄情なのだ。時の流れとはすべからく無常であり、他人もまた無情だ。過去をそっくりそのままの留め置くには、私たちには覆しようのない隔たりがあった。それが私と彼を分かつ最後の要因であり、最も意義深い道標でもあった。
時の流れに取り残された彼と、流れる時の内に身を置く私とでは交われる道筋などあろう筈もない。決定的な差異を前にした人間はあまりに弱い。成す術がなければ受け入れるより他ない。止まった秒針と、刻み続ける秒針。関係性、その全てにおいて私たちはきっと遠すぎたのだろう。
それでも、こうして昔のまま相見えてしまうと、あの日々が何もかもであった頃の思いが甦ってくるようであった。今己の手を引く男と、分かり合えずとも交わした稚拙な愛慕の情がこんこんと思い出されてならない。
水面はついに頸部へと迫った。不思議と恐怖はなかった。
このまま全てが埋め尽くされたとして、私はあぶくを吐くこともなく、しじまと共に沈みゆく。そんな根拠の無い自信が何処かも知れないところから湧き上がってさえいた。
苦しいことなど少しだってない、きっと。
…
その昔「女性は死後、はじめて情を交わした相手に手をひかれて三途の川を渡る」という俗信が日本にあったそうです。
……察しの良い方はお気づきでしょう。
(別題:三途の川とエトセトラ)
記憶を幾ら辿れども心当たりの一つも思い当たらないこの場所に、何故自身が今こうして居るのかは定かではなかったが、不可解なことに一度も踏みしめたことのない筈のこの地に懐かしさにも似た情を感じ入っているのも、また事実であった。
自身の内を揺らめくけったいな感情は一度脇に置き、状況を整理するのが先決であろう。見知らぬ風景、と一口に言ってもそれぞれだ。今現在、視界の多くを占めるのはそよそよと心地よい穏やかさで流れる川であった。その川のほとりに私は立っていた。
血色のあまり良くない自身の足の甲を空ろに見下ろし、それからぼんやりと緩慢な動作で向こう岸を見据える。
対岸は遥か彼方にあるようで、しかしそれでいて手を伸ばせば容易く届いてしまうような、そんな幻覚じみた距離感を保っていた。眺めるそのうちに、果たして己が本当にこの地に立っているのか、それすらも曖昧になってきて、堪らずその不可思議極まりない感覚に目を側め、固く瞑った。
眠りを誘うような水音が耳朶をすり抜けていく。
どうせだ、試しに手の一つでも伸ばしてみようか。恐る恐る手を伸ばした、そのときだった。伸ばした筈の平手が何かとは分からずとも何らかの手によってやわく、握りしめられ、突としてその動きを止めさせられた。
明らかに自身のものではないそれに、弾かれるように目を見開く。反射的に日の下に引きずり出された眼に投じられた姿に、私は思わずただでさえ見開いた双眸をさらに剥くこととなった。
「、な、んで」
それは文字通り手であった。私の手を握りしめていたのは、私のものよりも随分と硬い皮膚に包まれた手のひらであった。
零れ落ちたのは現下において私の胸懐を支配する心情を最も端的に表したものであった。そのたった一言に、継ぎ接ぎの映像の如く突如として現れた男は見慣れた笑みを浮かべた。あの、嫌でも覚えのある、この眼に焼きついた笑みを。
呆気にとられたようにそれ以上の反応を示さない私を余所に、面前の存在は掴んだ手のひらに少しだけ力を込め、淡い慕情を滲ませた視線を私のそれと合わせると、いこう、と一言口に掛けた。
たった三音だ。そのたった三音に、私は逆らうという選択肢すらも抱かずに易々と己が身を預けた。これではまるで転落だ。そんな私の内心を知ってか知らずか、男が再び口の端を持ち上げた。
未だ判然としない私のことなどお構いなしに、向けられた後背は緩やかながら確かな歩調で足を進めていく。自身を導くその背中は年若さが全てであったあの頃とまるで変わらないもので、何故だか無性に縋りついてしまいたいような、そんな心持となった。
川縁から足を踏み出す。
あれは過日の日々だ。埃を被り、煤け、錆びついてしまった代物に過ぎない。遠い過去は遠い過去らしく、在るべき場所で眠りについていた筈だ。
だのに、彼はたった今芽吹いたばかりの生命と並び立つ鮮やかさで其処にいた。
生ぬるい水が踝を撫でる。
まるで、とうに過ぎ去った筈のあの頃に戻ったようだ。その思いに引きずられるように、共に在った遠い日々に対する懐古の情がとめどなく湧き上がってくる。それを我が事ながら傍目に感じた。
何の面白味も無いことを承知の上で、此処で思い出話の一つでもするとすれば、私の短い生涯は、それなりに幸せなものだった。少なくとも、不幸せという言葉が似合いのものではなかった筈だ。確かに決して飛びぬけたものではなかったが、人並みの幸せというものは十二分に味わった。
だからこそ、と形容して良いのかどうかは定かではないものの、あなたのことを思い出すことも毎日だったのが日を追うごと、年を追うごとに少しずつ減っていったのだと思う。
そんな私の人生における転機、といえば間違いなくあの頃。察しの良いあなたに聞かせれば、この時点で容易く理解が及ぶでしょう。
あれから、私は色々なものを目にし、また知った。あなたの私に対する態度が百八十度変わってしまったあの日から。あなたが突然煙のように忽然と消息を絶ってしまったあの日から。久しぶりに会えると思ったら目元に変てこな傷をつけて、何よりただの肉の器となって帰ってきたあなたと再会を果たしたあの日から。色々な物や事について知り得ていたあなたよりもずっと、多くのことを私は知った。
あの頃の私と云えば自分の見えるものが全てで、見えないものについては心を配ろうともしなかった。狭い視野で何もかもを知った気でいた。今思えば、何と愚かなことか。しかし時既に遅し。頑なに自身が子供という殻を破った、ということを信じきっていた時代は既に駆け抜けてしまった今、己に叶うことと云えばあの頃の自身を顧みるくらいのことだというものだ。
しかしながら、愚かなものを愚かというのは簡単だ。だが、あの頃の私にとってはその愚かさが全てであったのだ。
水深はとどまるところを知らずにその深さを増していく。
あの出来事を経た後暫くはともかく、私はそれなりに幸せだった。それは疑いようもない真実だ。
あの穏やかな日々を生きるなかで、最早彼のことを鮮明に思い出すことは不可能となっていた。ピントがずれたように霞んだ記憶は薄れゆくばかりであった。
彼は私にとって遠い日々で、そして紛れもない過去であった。
不帰の客となってしまったあなたを目にしたあの日。忘れまい、忘れてなるものかと奥歯を噛みしめ誓った。あなたを、花京院典明を。ついぞ己以外には明かすことのなかった誓いは、あらん限りの力で立てた歯に突き破られたことで一つ流された鉄の味がした。
そのような誓い立てをしたのは、彼にただならぬ感情を抱いていたという理由も勿論であったが、何より意趣返しの意味合いが大きかった。突然人が変わったようになったかと思えば突き放され、言伝一つも残さずに姿を消し、何の音沙汰も無かったかと思えばあろうことか事切れて帰ってきて。突き放されることには慣れていたが、これは流石にあんまりだろう。
そう、これは始終振り回されっぱなしであった私のささやかな意趣返しなのだ。真意が何処にあるにせよ、本当に私のことが気に食わなくなったならばそんな相手にいつまでも執着されていることは不本意であろうし、もしそうでないのなら後悔の一つでもすればいいと思った。他の何かに囚われていようと、少なからず心を傾けようとするほどには心を砕いた者を蔑ろにしたことに、その変なところで発揮される生真面目さから後ろ髪引かれてしまえばいい、とそう思った。
だが、誰かの言葉を借りるなら墓の下ではなく、遠い何処かにいる彼に対し舌を出したその心境に反し、自分が彼の声を忘れつつあることに気がついたあのとき、私は何を思っただろうか。覚えているのは、襲い来る途方もない悲哀に身体を流れる血液が凍り付くような心地がしたことだけだ。
あんたは、私の一方的な誓い立てにすら薫染しようとでもいうのか。もうこの世の何処にもいない男の胸倉を掴み、そう怒鳴りつけてしまいたい気分であった。だがそれも叶わぬこと。いつだってそうだった。私の心を汲み取っておきながら、その上で線引きをする。目の前から消え去るだけでは飽き足らず、さらには私の内からも姿を眩ますつもりなのか。
彼は時折私に対し、君はいつも自分のことばかりだと忠言にも似た憎まれ口を溢していたが、己のことばかりなのは彼も同様であった。お互い、いつだって手前勝手だった。互いが互いに対し身勝手を振りかざし、互いの間を走る溝を深いものとしていた。しかしそれを責め立てる資格は私には無い。自身の見えるものが全てだと信じきる傲慢さに甘んじ、彼に心を通わせることを諦めた私にどうこう言える問題ではない。
そうだ、線を挟んで並び立っていたあの頃、あなたと私が真に深いところで分かり合うことが出来なかったのは何故なのか、結局私は最後の最後まで見当もつかなかった。
しかしそれこそが彼と、私を含めた周囲との隔絶の要因であり、彼が私を肝心のところで突き放し続けた理由だ。彼が直接口に出すことは一度もなかったが、私には確信があった。件のそれが彼の基盤に直接関わる事柄であり、彼が周囲に対し壁を作り続けた最大にして唯一の理由であることを、証明出来ずとも私は言外に理解していた。周囲がどれだけ手を伸ばそうと、どれだけの思いをこめて慮ろうと、覆すことの叶わないものであることも、また。
だがそれが一体何だと云うのか。いくら血を分けた人間であろうと、いくら袂を連ね、お互い誰より相手を理解しているという多大な自負がある者らであろうと関係無い。人間という存在そのものが根本的に己以外の存在に対して他人である以上、真に理解し合うことなど土台無理なのだ。
そして人間、誰しも素知らぬふりをしながら当事者ではない他人には理解し難い悩み、問題を抱えているものだ。苦悩の程度が如何ほどであろうと、何れも否定してはいけない。されることなどあってはならない。だから彼が抱え込んでいたものが、一体何であったのか知れずとも私は否定するつもりは毛頭無い。
自身のことですら未だ理解し難い部分があるのに、他人に対して十全に考えが及ぶ筈もないのだ。私たちが確固たる一つの存在である以上、我が身可愛さが全てであり、真に分かり合える日など訪れようもない。だがそれは決して悪いことじゃあない。
端から実現する見込みのないものを追い求める前に、向けられる感情を望みのままに享受するより前に、その一言が言えれば良かったのかもしれない。私はいつだって後悔ばかりだ。
はじめに、彼の声の鮮鋭さを失ったときもそうだった。訪れる侘しさに、私の抱いた思いなど所詮この程度だったことをありありと思い知らされた。彼は決して姿を眩ましたのではなく、ただ単に私がその行方を見失ってしまっただけに過ぎなかったのだ。
先立つは悔恨の情であったが、痛切に感じたものは何より悲哀であった。きっと彼は、私が自身を忘れ去ろうというならば静かに微笑み、その一切を良しとするのだろう。そのことを考えると悲しくてしょうがなかった。そうしている間にも彼は碧落から此方に向かって手を振っているような気がして、私はさらに心悲しさに晒された。
しかしそうやって気落ちしていたのも暫く。最早これが自身の一存でどうにかなるような問題ではないことを早々に理解した私はそれからというもの、そうして色褪せていく彼を黙って見つめているだけであった。何をするわけでもなく、何を思うわけでもなく。
結局、形を留めておくには時間が経ち過ぎたのだ。一度そのように折り合いをつけてしまえば、あとはそれに身を任せるばかりだ。成すがままに、全ては流れ次第。
それでは薄情だと、あんまりだと私を非難する者ももしかすればあるかもしれない。そう、薄情なのだ。時の流れとはすべからく無常であり、他人もまた無情だ。過去をそっくりそのままの留め置くには、私たちには覆しようのない隔たりがあった。それが私と彼を分かつ最後の要因であり、最も意義深い道標でもあった。
時の流れに取り残された彼と、流れる時の内に身を置く私とでは交われる道筋などあろう筈もない。決定的な差異を前にした人間はあまりに弱い。成す術がなければ受け入れるより他ない。止まった秒針と、刻み続ける秒針。関係性、その全てにおいて私たちはきっと遠すぎたのだろう。
それでも、こうして昔のまま相見えてしまうと、あの日々が何もかもであった頃の思いが甦ってくるようであった。今己の手を引く男と、分かり合えずとも交わした稚拙な愛慕の情がこんこんと思い出されてならない。
水面はついに頸部へと迫った。不思議と恐怖はなかった。
このまま全てが埋め尽くされたとして、私はあぶくを吐くこともなく、しじまと共に沈みゆく。そんな根拠の無い自信が何処かも知れないところから湧き上がってさえいた。
苦しいことなど少しだってない、きっと。
…
その昔「女性は死後、はじめて情を交わした相手に手をひかれて三途の川を渡る」という俗信が日本にあったそうです。
……察しの良い方はお気づきでしょう。
(別題:三途の川とエトセトラ)
1/5ページ