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全てはおよそ一年前まで遡る。
教科係、と要するに担当教師の雑用係に名を連ねる私は放課後与えられた仕事に一人励んでいた。
教科係は本来一人では無いのだが、今日は同じく名を連ねるクラスメイトが所属する部活の顧問と急を要する用事があるようで、出られないと仕事を頼まれたときに申し訳なさそうに謝られた。そんな彼女は帰りのホームルームが終わった直後、再び申し訳なさそうに謝り、急いで教室を出ていった。
そんな感じで私はほとんど生徒も通らないような廊下をゆったりとした歩調で進んでいた。
何故ゆったりとした歩調なのかというには理由がある。
呼び出された教室で待っていたのはクラス全員に配られる膨大な量の課題冊子であった。
本来ならば二人で運ぶのだが、今は私一人。
一度に全部運ぶには量が多い。しかし、早く仕事を終わらせて帰宅したいというのもまた事実。
そこで私が取ったのは”帰宅”であった。
少々無理をするも、明らかに無理とは言えない量だ。
そして今、自分の腕だけが頼りのなか、一人膨大な量の課題を抱え廊下を歩いているのだ。
自ら進んでゆっくり歩いているのではなく、ゆっくりとしか進めないのである。それでも往復するよりは早く終わらせられるので、徐々に力の入らなくなってきた自らの両腕を奮い立たせこうして教室へ向かっている。ゴールは教室の教卓。頑張れ私。
漫画の女の子ならば目の前が見えなくなるほどの高さの重い荷物を持って歩を進めるなんてことがあるが、私は目の前はしっかりと見据えていたし、重さにも耐えられていた。
なら何故かと言われると、思わぬところに伏兵がいたからである。つるつるとした表面に触れているうちに手のひらから汗が噴き出した。要するに手汗のせいで何とか保っていたバランスを崩したのだ。ものの見事に手のひらからつるっと滑り落ちた課題たちは廊下に散らばってしまった。
思わずはあ、と大きなため息をついた。
ただでさえ下がった気分がさらに下降していく。腕に掛かった負荷は自分が思うよりもずっと相当のものらしく、力が入らない上に痺れすら感じる。
しかし此処には私しか居ないのだ。私が此処で止まれば他でもない私の帰宅時間が遅くなっていくだけで、誰も代わりにやってくれる人なんて居ないのである。
もう一度大きなため息をつき、しゃがみこむ。距離はもうそう無いのだ。腕に力が入らない、なんて言ってはいられないと拾い上げたそれを重ねていく。全部重ねたら持ち上げるだけだ。
「大丈夫かい?」
よし、と心の中だけで気合いを入れているとそう声を掛けられた。
気づかなかったが目の前には影が差しており、咄嗟に顔を上げると目に入った姿に唖然とした。目を見張った私はそのとき大層間抜けな顔をしていたことだろう。
私の目の前に佇んでいた人物は何と、立海で知らない者は居ないかの有名な幸村くんであった。
驚きの余り、まともに返事すら出来なかったが当の彼は散らばる課題で何か察したのかすくりとしゃがみこんだ。
手の止まった私の代わりに冊子を拾い集めてくれる幸村くんに慌てて手を動かすと、「何処に持ってくの?」と問われた。
今度は何とか「に、2年F組、です…」と吃りながらもその問いに答える。すると、幸村くんは拾い集めた課題の山をよいしょ、と持ち上げた。「手伝うよ」呆気に取られながらも私も半分以下になった山を同じように持ち上げ、足取りを再開した。
この後、彼は私に気を使ってくれたのか色々と話しかけてくれたような気がするが、それに何と答えたのかはよく思い出せなかった。ほとんど夢見心地で、ふわふわとした気分だったのだ。結局、お礼を言ったことくらいしかまともに覚えていない。
そうして、漫画の女の子のように抱えた荷物を落としたときに助けてくれたのは学園の王子様でしたみたいな話が現実となったのだ。
それ以来、私は幸村精市のことが大嫌いだった。
だから今後関わるつもりは毛頭無かったし、ただの一女子生徒である私と関わることも無いと思っていた。
最後の中学生生活、同じクラスになるのは想定外であったが所詮クラスメイトの一人に過ぎない。
見える範囲にいるというのはなかなかにつらいものがあるが、それは私が我慢すればいいだけの話だ。
そう思って過ごしてきた。
「好きだよ」
だから、まさかこんなことになるなんて思っていなかった。
「…は?」
頭の中を整理しましょう。今、幸村精市は”好き”と言いました。それは間違いない。では一体誰に?
「何言ってんの」
口をついて出た言葉はなんとも間抜けで、突き放すような言い方をしたものの其れは妙に震えていた。背に嫌な汗が滲み、指の先から中心にかけて、身体の熱が急速に奪われていくのを感じた。両足から徐々に力が抜けていく。支えを失いつつある身体がぐらぐらと揺らいでいるような気がしてならなかった。
「君が好きなんだ、みょうじさん」
女、否人間ならば見境なしに魅了するその美しいかんばせは美しい笑みを象る。誰よりも美しい容貌で目の前の私を捉える視線はいつになく柔らかいが、その先に写る私には鋭い眼光に睨まれたときのようでいやに恐ろしいものに思えてしょうがなかった。ゆっくりと、しかし確実に此方を支配しようとする其れに全身を絡めとられ、そして呼吸を少しずつ奪われていくような、そんな恐ろしい感覚に陥る。
「……やめてよ、なんで、そんなこと言うの…」
そんな言葉に少し悲しそうな顔をした彼が形容できないくらいとても嫌で、そうしたら私の何処か大事な線が切れる音がした。
「どうしてそんな、好きだなんて言うの、」
私は幸村精市が大嫌いだった。
「私は、あんたのことなんか大っ嫌い」
顔も見たくないくらいだし、声だって聞きたくない。だって、
「だって、女の子と仲が良いのも、顔も知らないみたいな人にも優しい言葉を掛けるのも、みんな、みんな、」
少しだって見たくなかった。少しだって、少しだって。
「だいっきらい…」
何もかもが嫌いだった。
幸村くんを見れば見るほど、その分だけ等しく私の汚いところは浮き彫りになっていった。
その度に、私は私が嫌になっていった。
たった一度、荷物を運んでもらって、少し優しくしてもらっただけなのに、こんな風に自分以外の女の子と話していたり、接している姿に胸を焦がすなど、何様のつもりなのだ。
何にもなれない女の癖に。
だから私は幸村くんのことが嫌いだった。私は、私をこんな風にしてしまった幸村くんのことが嫌いだった。
「こんなこと、知りたくなんかなかった…」
崩れ落ちるようにその場にしゃがみこむ。
幸村くんにはこれ以上、私を私でなくしてほしくなかった。
膝を抱え、顔を覆うように隠しながら不鮮明な思考を動かす。
甘く煮詰めたお砂糖。ひとたび口に含めば幸福感に満ち、女の子はいっとう可愛くなる。
「…恋なんて、苦しいだけだ、」
たとえ、この身が灼けおちてしまおうとも構わないほどの情を抱いた。それほど焦がれたのだ。
私がしたのは確かに恋であったが、私にとっては骨身に堪えるばかりで、幸せにも可愛くもなれなかった。
結局、私を満たしたのは苦しみだけだった。
もういなくなりたい、ぽつりと溢せば何かが身体に覆い被さった。背中に回されたのは腕で、私は目の前の男に抱きしめられていた。
「いなくなられるのは嫌だな」
少し困った風にそう言われると、もう私の今までなんか至極どうでもいいものになってしまうのだ。
今、己の思いを素直に言葉に出来ればどんなにいいことか、と思ったが今の私にはそう出来そうにもなかった。けれど、今は、今だけは其れを許してほしかった。
…
(別題:魔性)
教科係、と要するに担当教師の雑用係に名を連ねる私は放課後与えられた仕事に一人励んでいた。
教科係は本来一人では無いのだが、今日は同じく名を連ねるクラスメイトが所属する部活の顧問と急を要する用事があるようで、出られないと仕事を頼まれたときに申し訳なさそうに謝られた。そんな彼女は帰りのホームルームが終わった直後、再び申し訳なさそうに謝り、急いで教室を出ていった。
そんな感じで私はほとんど生徒も通らないような廊下をゆったりとした歩調で進んでいた。
何故ゆったりとした歩調なのかというには理由がある。
呼び出された教室で待っていたのはクラス全員に配られる膨大な量の課題冊子であった。
本来ならば二人で運ぶのだが、今は私一人。
一度に全部運ぶには量が多い。しかし、早く仕事を終わらせて帰宅したいというのもまた事実。
そこで私が取ったのは”帰宅”であった。
少々無理をするも、明らかに無理とは言えない量だ。
そして今、自分の腕だけが頼りのなか、一人膨大な量の課題を抱え廊下を歩いているのだ。
自ら進んでゆっくり歩いているのではなく、ゆっくりとしか進めないのである。それでも往復するよりは早く終わらせられるので、徐々に力の入らなくなってきた自らの両腕を奮い立たせこうして教室へ向かっている。ゴールは教室の教卓。頑張れ私。
漫画の女の子ならば目の前が見えなくなるほどの高さの重い荷物を持って歩を進めるなんてことがあるが、私は目の前はしっかりと見据えていたし、重さにも耐えられていた。
なら何故かと言われると、思わぬところに伏兵がいたからである。つるつるとした表面に触れているうちに手のひらから汗が噴き出した。要するに手汗のせいで何とか保っていたバランスを崩したのだ。ものの見事に手のひらからつるっと滑り落ちた課題たちは廊下に散らばってしまった。
思わずはあ、と大きなため息をついた。
ただでさえ下がった気分がさらに下降していく。腕に掛かった負荷は自分が思うよりもずっと相当のものらしく、力が入らない上に痺れすら感じる。
しかし此処には私しか居ないのだ。私が此処で止まれば他でもない私の帰宅時間が遅くなっていくだけで、誰も代わりにやってくれる人なんて居ないのである。
もう一度大きなため息をつき、しゃがみこむ。距離はもうそう無いのだ。腕に力が入らない、なんて言ってはいられないと拾い上げたそれを重ねていく。全部重ねたら持ち上げるだけだ。
「大丈夫かい?」
よし、と心の中だけで気合いを入れているとそう声を掛けられた。
気づかなかったが目の前には影が差しており、咄嗟に顔を上げると目に入った姿に唖然とした。目を見張った私はそのとき大層間抜けな顔をしていたことだろう。
私の目の前に佇んでいた人物は何と、立海で知らない者は居ないかの有名な幸村くんであった。
驚きの余り、まともに返事すら出来なかったが当の彼は散らばる課題で何か察したのかすくりとしゃがみこんだ。
手の止まった私の代わりに冊子を拾い集めてくれる幸村くんに慌てて手を動かすと、「何処に持ってくの?」と問われた。
今度は何とか「に、2年F組、です…」と吃りながらもその問いに答える。すると、幸村くんは拾い集めた課題の山をよいしょ、と持ち上げた。「手伝うよ」呆気に取られながらも私も半分以下になった山を同じように持ち上げ、足取りを再開した。
この後、彼は私に気を使ってくれたのか色々と話しかけてくれたような気がするが、それに何と答えたのかはよく思い出せなかった。ほとんど夢見心地で、ふわふわとした気分だったのだ。結局、お礼を言ったことくらいしかまともに覚えていない。
そうして、漫画の女の子のように抱えた荷物を落としたときに助けてくれたのは学園の王子様でしたみたいな話が現実となったのだ。
それ以来、私は幸村精市のことが大嫌いだった。
だから今後関わるつもりは毛頭無かったし、ただの一女子生徒である私と関わることも無いと思っていた。
最後の中学生生活、同じクラスになるのは想定外であったが所詮クラスメイトの一人に過ぎない。
見える範囲にいるというのはなかなかにつらいものがあるが、それは私が我慢すればいいだけの話だ。
そう思って過ごしてきた。
「好きだよ」
だから、まさかこんなことになるなんて思っていなかった。
「…は?」
頭の中を整理しましょう。今、幸村精市は”好き”と言いました。それは間違いない。では一体誰に?
「何言ってんの」
口をついて出た言葉はなんとも間抜けで、突き放すような言い方をしたものの其れは妙に震えていた。背に嫌な汗が滲み、指の先から中心にかけて、身体の熱が急速に奪われていくのを感じた。両足から徐々に力が抜けていく。支えを失いつつある身体がぐらぐらと揺らいでいるような気がしてならなかった。
「君が好きなんだ、みょうじさん」
女、否人間ならば見境なしに魅了するその美しいかんばせは美しい笑みを象る。誰よりも美しい容貌で目の前の私を捉える視線はいつになく柔らかいが、その先に写る私には鋭い眼光に睨まれたときのようでいやに恐ろしいものに思えてしょうがなかった。ゆっくりと、しかし確実に此方を支配しようとする其れに全身を絡めとられ、そして呼吸を少しずつ奪われていくような、そんな恐ろしい感覚に陥る。
「……やめてよ、なんで、そんなこと言うの…」
そんな言葉に少し悲しそうな顔をした彼が形容できないくらいとても嫌で、そうしたら私の何処か大事な線が切れる音がした。
「どうしてそんな、好きだなんて言うの、」
私は幸村精市が大嫌いだった。
「私は、あんたのことなんか大っ嫌い」
顔も見たくないくらいだし、声だって聞きたくない。だって、
「だって、女の子と仲が良いのも、顔も知らないみたいな人にも優しい言葉を掛けるのも、みんな、みんな、」
少しだって見たくなかった。少しだって、少しだって。
「だいっきらい…」
何もかもが嫌いだった。
幸村くんを見れば見るほど、その分だけ等しく私の汚いところは浮き彫りになっていった。
その度に、私は私が嫌になっていった。
たった一度、荷物を運んでもらって、少し優しくしてもらっただけなのに、こんな風に自分以外の女の子と話していたり、接している姿に胸を焦がすなど、何様のつもりなのだ。
何にもなれない女の癖に。
だから私は幸村くんのことが嫌いだった。私は、私をこんな風にしてしまった幸村くんのことが嫌いだった。
「こんなこと、知りたくなんかなかった…」
崩れ落ちるようにその場にしゃがみこむ。
幸村くんにはこれ以上、私を私でなくしてほしくなかった。
膝を抱え、顔を覆うように隠しながら不鮮明な思考を動かす。
甘く煮詰めたお砂糖。ひとたび口に含めば幸福感に満ち、女の子はいっとう可愛くなる。
「…恋なんて、苦しいだけだ、」
たとえ、この身が灼けおちてしまおうとも構わないほどの情を抱いた。それほど焦がれたのだ。
私がしたのは確かに恋であったが、私にとっては骨身に堪えるばかりで、幸せにも可愛くもなれなかった。
結局、私を満たしたのは苦しみだけだった。
もういなくなりたい、ぽつりと溢せば何かが身体に覆い被さった。背中に回されたのは腕で、私は目の前の男に抱きしめられていた。
「いなくなられるのは嫌だな」
少し困った風にそう言われると、もう私の今までなんか至極どうでもいいものになってしまうのだ。
今、己の思いを素直に言葉に出来ればどんなにいいことか、と思ったが今の私にはそう出来そうにもなかった。けれど、今は、今だけは其れを許してほしかった。
…
(別題:魔性)