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「餌をやり過ぎると、死んでまうよ」
飼っている熱帯魚にあげる餌をうっかり何時もより多めにしてしまった私に仁王は言葉を掛けた。水槽をぼんやりと眺める男は、間抜けな顔の私を見て、ゆっくりと笑みを溢してみせた。
元より厳しさなんかとは無縁の仁王であるが、こと私に関しては特にその傾向が強かった。些か程度が過ぎるのではないかと苦言を呈したくなるほどに文字通りの甘さを以て、仁王は私を存分に甘やかし、また存分に私の内包する甘さを許容していた。
私が卵焼きの砂糖と塩を間違えたときも、待ち合わせの時間を誤って本来の時間よりも随分遅れてやって来たときも、本当に些末なことも些末なことでは済まされないことも、そのどれもこれもを些末なことのようにかき混ぜ「ええんよ」の一言で鍋に溶かした。
下らないことにも、そうでないことにも平等に許しを与えた仁王という男は私の為すこと全てを肯定し、受け入れた。
平素あれだけ自身に対して甘いそんな男が、咎めとはいかずとも忠告をしたことに、思わず私は黒目を小さくした。
仁王のやり方は少々尋常ならざるものがある。そんな引っかかりを抱きながらも仁王のやり方に口を出さず、甘いばかりの蜜を身体へと導いていた己にとって、放たれた言葉は驚きを十二分に与えるものであった。
私の為すこととあらば何であろうと頷くばかりであった仁王が初めて口を出したことに私は驚くばかりであったが、その内容は至極まっとうであり、はね除けるには事足りないものであったため素直にうん、と頷いた。
視界の端で、鮮やかな色を落とした小さな魚たちが群れを成し、水中を漂っていた。
またしても餌の分量を多めにしてしまった私は咄嗟にしくったな、と思った。己のいい加減さに呆れると共に、水面に広がる餌に群がる魚を横目に容器の蓋を閉めた。
「餌をやり過ぎると、死んでまうよ」
この間と同様の提言に、ごめん、と本来見当違いの相手に謝罪の言葉を溢した。僅かな違和感を覚えながらも、何事もなかったように振り向くと声の主である仁王はソファーの柄に肘をついていた。
仁王は水槽ではなく、私を見据えていた。その視線はまるではらわたまでもを撫で回すようで、どくりとその鋭利な感覚に胸が騒々しく音を立てるのを感じた。
「なまえちゃん」
平素と変わらない調子で名前を呼ばれる。私は一つ、口内に溜まった唾を呑み込み、「、なに」と内心を覆い隠すことに努めそれに応えた。
「餌をやり過ぎると、死んでしまうんじゃよ」
なあ、と言われ、私は重々しく一つだけ、頷いてみせた。
仁王は元より厳しさとは無縁の男であったが、こと私に関しては特にその傾向が強く、さらにそこに隠し味というには余りに風味の強い甘ったるさを加える男であった。
私の為すこと全てを肯定し、容認する男のやり方を私は口には出さずともずっと可笑しいと思っていた。甘いばかりの蜜を垂らし、真綿のような柔らかさで包み込むようなそれはいくら恋人相手とはいえ、余りにも過ぎたものだ。
確かに蜜というものは求めて然るべきであり、またそれが垂らされるとあらば舌を延ばすだろう。しかし繰り返しになるが、それは過ぎたものであれば毒にしか成り得ない。
甘いばかりの蜜は細胞の一つ一つを破壊し、やがて壊死させる。少しずつ、少しずつ身体の先から通う神経が果て、そんなこと露知らず安穏と暮らすものは忍び寄ってきた手に心の臓を握られたとき、己の身に一体何が起こったかすら理解することも儘ならないまま、死に至るのだろう。
そう、過ぎた蜜、否餌と云うべきか。それは与えられたものの生命を少しずつ食いつぶしていくのだ。故に仁王は私のうっかりに対して再三忠言したのだろう。
ならば、つまり仁王が私へ取ってきた態度は。
ここまで考えて、一旦思考を止めた。もう手はすぐそこまで来ている。ようやく行詰りへと追い込まれていた自身の状況へと思い及んだ私の口からは思わず苦い笑みがこぼれた。
「餌をやり過ぎると、死んでまうよ」
飼っている熱帯魚にあげる餌をうっかり何時もより多めにしてしまった私に仁王は言葉を掛けた。水槽をぼんやりと眺める男は、間抜けな顔の私を見て、ゆっくりと笑みを溢してみせた。
元より厳しさなんかとは無縁の仁王であるが、こと私に関しては特にその傾向が強かった。些か程度が過ぎるのではないかと苦言を呈したくなるほどに文字通りの甘さを以て、仁王は私を存分に甘やかし、また存分に私の内包する甘さを許容していた。
私が卵焼きの砂糖と塩を間違えたときも、待ち合わせの時間を誤って本来の時間よりも随分遅れてやって来たときも、本当に些末なことも些末なことでは済まされないことも、そのどれもこれもを些末なことのようにかき混ぜ「ええんよ」の一言で鍋に溶かした。
下らないことにも、そうでないことにも平等に許しを与えた仁王という男は私の為すこと全てを肯定し、受け入れた。
平素あれだけ自身に対して甘いそんな男が、咎めとはいかずとも忠告をしたことに、思わず私は黒目を小さくした。
仁王のやり方は少々尋常ならざるものがある。そんな引っかかりを抱きながらも仁王のやり方に口を出さず、甘いばかりの蜜を身体へと導いていた己にとって、放たれた言葉は驚きを十二分に与えるものであった。
私の為すこととあらば何であろうと頷くばかりであった仁王が初めて口を出したことに私は驚くばかりであったが、その内容は至極まっとうであり、はね除けるには事足りないものであったため素直にうん、と頷いた。
視界の端で、鮮やかな色を落とした小さな魚たちが群れを成し、水中を漂っていた。
またしても餌の分量を多めにしてしまった私は咄嗟にしくったな、と思った。己のいい加減さに呆れると共に、水面に広がる餌に群がる魚を横目に容器の蓋を閉めた。
「餌をやり過ぎると、死んでまうよ」
この間と同様の提言に、ごめん、と本来見当違いの相手に謝罪の言葉を溢した。僅かな違和感を覚えながらも、何事もなかったように振り向くと声の主である仁王はソファーの柄に肘をついていた。
仁王は水槽ではなく、私を見据えていた。その視線はまるではらわたまでもを撫で回すようで、どくりとその鋭利な感覚に胸が騒々しく音を立てるのを感じた。
「なまえちゃん」
平素と変わらない調子で名前を呼ばれる。私は一つ、口内に溜まった唾を呑み込み、「、なに」と内心を覆い隠すことに努めそれに応えた。
「餌をやり過ぎると、死んでしまうんじゃよ」
なあ、と言われ、私は重々しく一つだけ、頷いてみせた。
仁王は元より厳しさとは無縁の男であったが、こと私に関しては特にその傾向が強く、さらにそこに隠し味というには余りに風味の強い甘ったるさを加える男であった。
私の為すこと全てを肯定し、容認する男のやり方を私は口には出さずともずっと可笑しいと思っていた。甘いばかりの蜜を垂らし、真綿のような柔らかさで包み込むようなそれはいくら恋人相手とはいえ、余りにも過ぎたものだ。
確かに蜜というものは求めて然るべきであり、またそれが垂らされるとあらば舌を延ばすだろう。しかし繰り返しになるが、それは過ぎたものであれば毒にしか成り得ない。
甘いばかりの蜜は細胞の一つ一つを破壊し、やがて壊死させる。少しずつ、少しずつ身体の先から通う神経が果て、そんなこと露知らず安穏と暮らすものは忍び寄ってきた手に心の臓を握られたとき、己の身に一体何が起こったかすら理解することも儘ならないまま、死に至るのだろう。
そう、過ぎた蜜、否餌と云うべきか。それは与えられたものの生命を少しずつ食いつぶしていくのだ。故に仁王は私のうっかりに対して再三忠言したのだろう。
ならば、つまり仁王が私へ取ってきた態度は。
ここまで考えて、一旦思考を止めた。もう手はすぐそこまで来ている。ようやく行詰りへと追い込まれていた自身の状況へと思い及んだ私の口からは思わず苦い笑みがこぼれた。
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