Ironically
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「別れちゃった」
茶目っ気たっぷりに軽ーく言い放った彼女にただ「へぇ…」としか言えなかったことは許して欲しい。
そんな軽く言えることじゃないだろうと冷静ぶってはみたものの、私の内心は大荒れである。
彼女と松野■■松が別れた。
事の重要度は当の本人らが最も高いだろうが、その次に高いのは恐らく私と一松くんだ。いや、絶対そう、多分。
何せ私は中学三年生のとき、一松くんを自分のものにしたいがために彼が彼女に淡い想いを抱いているのを知りながら、彼らを影から交際へと導き、失恋して傷ついた彼の心につけこむことで交際へとこぎつけたし、先述の通り彼は彼女のことが好きだった。
彼らのはじまりは私たちのはじまりであり、向こうの預かり知らぬところであらゆるところが絡み合ったやんごとない関係なのである。
彼らがいなければ、私は一松くんと付き合うことは出来なかったかもしれない(勿論私のことなので別の方法を探しただろうが)。
私の目的のために導かれた関係ではあったが、覚えている限りでは彼らは仲睦まじく過ごし、それなりに上手くやっていたはずだ。それは確かだ。散々のろけられてきたので交際事情はある程度知っている。
ならば彼らに一体何があったというのか。
しかし、彼女には悪いが今はそんなことに構ってる暇はない。
一松くんは彼女への想い半ばのところで私につけこまれ、その好きでもない女と付き合うことになった。そう、想いを半ばなのだ。
あれから一年と数ヶ月。もしまだ彼女への想いを断ちきれていないとしたら、彼女が再びフリーとなった今のこの状況、一松くんが彼女にアプローチするために別れを申し出てくるなんていう私にとって最悪の可能性だって招かれかねないのだ。はじまりがはじまりなだけに考えれば考えるほど、悪いものしか見えてこない。
自業自得だ。私欲のために人の心を弄び、傷つけた私にとってはまさに自業自得、そして因果応報。そんなことは百も承知なのだ。
だけど嫌なものはどうしたって嫌で、いくら罰だといわれても受け入れることなんて絶対出来ない。
私はあのときから松野一松くんのことが誰よりも何よりも好きだ。それは少しだって変わっていない。
一松くん、私のことなんか少しも好きじゃなくたっていいから、一緒にいて。
一番になりたいなんて言わないから。
何番目だって構わないから。
あの子の代わりになんかなれないけど、でも。
おえぇぇぇ。駄目、考えただけで吐きそう。
馬鹿な学校にはそれに見合った馬鹿な男と女がやってくるもので、翌日登校すれば早速同じクラスの美少女が彼氏と別れた話題で男女問わず馬鹿みたいに盛り上がっていた。
よくもまあ、他人のことでそこまで盛り上がれるものだ。
僅かな視線を投げ、思わず嘆息した。こういう騒がしい雰囲気は何となく肌に合わない。ふらふらと逃げるようにトイレに立った。
今朝からずっとこの調子だ。彼女の登校時刻が遅いのをいいことに始終馬鹿丸出しで無責任な盛り上がりを見せている。
私は彼があの子のことを想っていると知ったあのときから、
あの子のことが嫌いだ。そして、今もそれに変わりはない。
元々あの手の女の子らしい女の子は苦手だったから、きっとずっとこのままなのだと思う。
だけど、当人の預かり知らぬところであんな人間の体の良い餌となってしまったことには、同情を禁じ得なかった。
トイレのひんやりとした扉を押すと、2つの鏡が目に飛び込んできた。
誰もいない薄暗い空間に、生気が感じられない亡霊のような女の顔が片の鏡に映り、ぎょっとした。
外から甲高いある種耳障りな笑い声が聞こえてきて、“所詮他人事だと思っているくせに”って笑われているような気がした。
教室に戻ると、件の彼女はもう登校しており、いつものようにあの性別問わず馬鹿な人間の輪でにこやかに談笑していた。
その騒がしさは変わらないものの、誰一人として彼女と松野■■松の破局に触れるものはいなかった。
私たちは彼女のことを心から思っている良い友達ですよとでも言いたげなその白々しさは一周回って尊敬すらする。
先程まで堂々と下品に食い散らかしていたくせに。
そんなこととは露知らず隣の女に笑いかける彼女。
彼らを友達だと信じ、疑いもしない。この教室のなかで彼らが面白がって人の事情を食い散らかすような人間だって気づいていないのはきっと彼女だけだ。部外者だってこのくらいのこととっくに気づいてる。
彼女はいつだって一人だけ可哀想な女だ。
でも、ここは馬鹿ばかりだ。
頭の中お花畑な簡単なことにも気づけない彼女も、人のことなど少しも考えず自らの興味で好き勝手に面白がるあの輪の人間たちも、知らない振りをして影で馬鹿にする者も、そして、私も。
どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。
今日も今日とて授業は退屈で、いつも通り課題を進めたり、こっそりスマホをいじったりと好きに過ごしていた。
これを繰り返せば、あっという間にお昼。そこそこ仲の良い友人とダラダラくだらない話をしていれば、気づいたときには予鈴が鳴る。そうして、眠気と闘いながら午前と同じように過ごせば放課後はすぐに来る。
これが私のお決まりの一日。代わり映えのない一日ではあったが、一つ違うのは私のテンションが著しく低かったことである。理由は目下の問題。内容は以下略。
やはり私は馬鹿で、一日中一松くんのことを考えては止め、考えては止めてを繰り返していた。結局悪い方向に堂々巡りし私の精神状況が悪化するだけで特に良い結論など出るわけがなく、何の実にもならなかったというのが実情だ。
彼のクラスに行って、どんな顔をしているのか、どんな雰囲気を醸し出しているのか見に行きたいと休み時間毎に思ったのだが、何と彼のクラスは一組。私のクラスとは離れているばかりか、壁際のためそれとなく見に行くということが出来ないのである。変なところで度胸のない私は見に行くことは断念した。とんだ意気地無しである。
そんなこんなで今はもう放課後。いつもはさっさと帰っているが、何となく帰る気分になれず、特に何かするでもないが一人教室に残っている。
頃合いになったら帰ろうと思っていたが、その頃合いは一向にやってこない。
結局悪いことばかり考え、勝手に一人で落ち込むか吐きそうになるかであった。
はじまりがはじまりなだけに私には心の底から好かれているという自信がなかった。
彼はあれでいて心根の優しい人間である。自分に好意を寄せる女を無下に出来ず、仕方なく付き合っている可能性だって否定できないのだ(彼が私をちゃんと好きで付き合っている可能性を否定しないのは私も一介の恋する女なので許して欲しい)。
そんなことを考えたって彼が好きだとはいえ、その彼を傷つける方法をとった私が悪い。
それは誰がどう見たって明らかなのだ。
机の皺を数えながら、ゆっくりと額をついた。
古い机特有の木の匂いが鼻を擽る。
悶々と頭を巡る考えから反らすようにそっと目を閉じた。
「…ねぇ、何してんの」
条件反射。その私がどうしたって揺さぶられる低い声が静寂に包まれた空間に響き、バッ、と顔を上げた。
間違えるはずもないが思い描いた通りの姿がそこにはあった。
いつもと同じく顔の半分をマスクで覆い、卑屈そうな視線を此方に向ける。
「…あのさ、何してんのって聞いてんだけど」
「………えっ、いや、特に、何もして、ないよ」
ふーん、と興味なさげな返事をする一松くんの目が少しばかり細まった。
自分で言っておきながら、誰もいない放課後の教室で一人机に突っ伏しておいて何もしてないはないだろうと思った。これでは何かありましたと公言しているようなものである。
「何もない、ね」
のっそりと此方に歩み寄ってきた彼にますます戸惑いが隠せなくなってきた。
今日はやけに意味ありげだし、そもそも今はもう5時近くなのに何でまだ学校にいるの。いつもはさっさと路地裏に行ってしまうのに、どうして。
「…帰らないの?」
私は座っている状態で、立っている彼はそんな私を見下ろさざるを得ない。ボサボサの髪から覗く両の目はなおも此方をじっと見つめる。
「ううん、そろそろ帰る」
椅子を引くとぎーっと音がするが、それはいつも不快な音として耳は拾った。机の横にかけてあるスクールバッグを取ろうとしたら、横からスッと取られた。
その主は自分のバッグをかけていないもう片方の肩にそれをかけて、またのっそりと元来た方向に歩みを進めた。
慌てて少し後ろにつくと、彼のゆったりとした歩調がさらに遅くなり、ちょうど私の横に並んだ。
「……何かあってもさぁ、おれには言わないの」
絶句。パッと横顔を見れば、此方を見てはおらず、どこを見ているのかよくわからなかった。
でもそんなことはどうでもよかった。
昨日の夕方、彼女に面と向かって破局の報告を受けてから、私はずっと最悪の結末が訪れることを恐れ、悪いことばかり考えていた。自業自得。因果応報。それが私に相応しいと分かっていても、どうしたって嫌で、朝夕問わず怯えていた。
それに変わりはない。
だけど、今はどうでもいいことだ。
その言葉が本心から出たものでも、虚栄の優しさから出たものでも構わない。
一松くん、いつも選択肢は私に委ねるようにするよね。
だから、それってさぁ。要するに、
私は馬鹿な女だから、そんなことを言われたら頭が真っ白になるし、何もかもが何でもよくなる。それが今。
もう、何だっていいなって思った。一松くんがあの子がまだ好きなんじゃないかとか、あの子と自分の兄弟が別れてどう思っているのかとか、今だけは。
「…!?」
私の顔くらいの位置にある首にぎゅぅっと抱きついた。
ねぇ、私は何番目だって構わないし、好きに扱われたっていいと思ってる。利用されたって勿論構わない。
だけど、それでも私のこと要らなくなったら、跡形も残らないくらいにしてほしい。これ以上無いってくらい傷つけて、
もう戻らないくらいに。きっとそうでもしないと、私は貴方のところに戻ってしまうから、だから。
きっと、きれいに捨ててね。
もう何も残らないくらい。
意外と柔らかな髪にすりと擦り寄り、パッと開放した。
呆然としたままの彼が顔を真っ赤に蒸気させていることはマスクで顔の半分が覆われていても明らかだった。
「ほんとに何もないよ」
夕日が照らす長い廊下に二人分の淡い影がのびていた。
廊下の白と影のうすぼんやりとした黒、夕日の橙のコントラストが私のおぼつかない心をあらわしているようだった。
茶目っ気たっぷりに軽ーく言い放った彼女にただ「へぇ…」としか言えなかったことは許して欲しい。
そんな軽く言えることじゃないだろうと冷静ぶってはみたものの、私の内心は大荒れである。
彼女と松野■■松が別れた。
事の重要度は当の本人らが最も高いだろうが、その次に高いのは恐らく私と一松くんだ。いや、絶対そう、多分。
何せ私は中学三年生のとき、一松くんを自分のものにしたいがために彼が彼女に淡い想いを抱いているのを知りながら、彼らを影から交際へと導き、失恋して傷ついた彼の心につけこむことで交際へとこぎつけたし、先述の通り彼は彼女のことが好きだった。
彼らのはじまりは私たちのはじまりであり、向こうの預かり知らぬところであらゆるところが絡み合ったやんごとない関係なのである。
彼らがいなければ、私は一松くんと付き合うことは出来なかったかもしれない(勿論私のことなので別の方法を探しただろうが)。
私の目的のために導かれた関係ではあったが、覚えている限りでは彼らは仲睦まじく過ごし、それなりに上手くやっていたはずだ。それは確かだ。散々のろけられてきたので交際事情はある程度知っている。
ならば彼らに一体何があったというのか。
しかし、彼女には悪いが今はそんなことに構ってる暇はない。
一松くんは彼女への想い半ばのところで私につけこまれ、その好きでもない女と付き合うことになった。そう、想いを半ばなのだ。
あれから一年と数ヶ月。もしまだ彼女への想いを断ちきれていないとしたら、彼女が再びフリーとなった今のこの状況、一松くんが彼女にアプローチするために別れを申し出てくるなんていう私にとって最悪の可能性だって招かれかねないのだ。はじまりがはじまりなだけに考えれば考えるほど、悪いものしか見えてこない。
自業自得だ。私欲のために人の心を弄び、傷つけた私にとってはまさに自業自得、そして因果応報。そんなことは百も承知なのだ。
だけど嫌なものはどうしたって嫌で、いくら罰だといわれても受け入れることなんて絶対出来ない。
私はあのときから松野一松くんのことが誰よりも何よりも好きだ。それは少しだって変わっていない。
一松くん、私のことなんか少しも好きじゃなくたっていいから、一緒にいて。
一番になりたいなんて言わないから。
何番目だって構わないから。
あの子の代わりになんかなれないけど、でも。
おえぇぇぇ。駄目、考えただけで吐きそう。
馬鹿な学校にはそれに見合った馬鹿な男と女がやってくるもので、翌日登校すれば早速同じクラスの美少女が彼氏と別れた話題で男女問わず馬鹿みたいに盛り上がっていた。
よくもまあ、他人のことでそこまで盛り上がれるものだ。
僅かな視線を投げ、思わず嘆息した。こういう騒がしい雰囲気は何となく肌に合わない。ふらふらと逃げるようにトイレに立った。
今朝からずっとこの調子だ。彼女の登校時刻が遅いのをいいことに始終馬鹿丸出しで無責任な盛り上がりを見せている。
私は彼があの子のことを想っていると知ったあのときから、
あの子のことが嫌いだ。そして、今もそれに変わりはない。
元々あの手の女の子らしい女の子は苦手だったから、きっとずっとこのままなのだと思う。
だけど、当人の預かり知らぬところであんな人間の体の良い餌となってしまったことには、同情を禁じ得なかった。
トイレのひんやりとした扉を押すと、2つの鏡が目に飛び込んできた。
誰もいない薄暗い空間に、生気が感じられない亡霊のような女の顔が片の鏡に映り、ぎょっとした。
外から甲高いある種耳障りな笑い声が聞こえてきて、“所詮他人事だと思っているくせに”って笑われているような気がした。
教室に戻ると、件の彼女はもう登校しており、いつものようにあの性別問わず馬鹿な人間の輪でにこやかに談笑していた。
その騒がしさは変わらないものの、誰一人として彼女と松野■■松の破局に触れるものはいなかった。
私たちは彼女のことを心から思っている良い友達ですよとでも言いたげなその白々しさは一周回って尊敬すらする。
先程まで堂々と下品に食い散らかしていたくせに。
そんなこととは露知らず隣の女に笑いかける彼女。
彼らを友達だと信じ、疑いもしない。この教室のなかで彼らが面白がって人の事情を食い散らかすような人間だって気づいていないのはきっと彼女だけだ。部外者だってこのくらいのこととっくに気づいてる。
彼女はいつだって一人だけ可哀想な女だ。
でも、ここは馬鹿ばかりだ。
頭の中お花畑な簡単なことにも気づけない彼女も、人のことなど少しも考えず自らの興味で好き勝手に面白がるあの輪の人間たちも、知らない振りをして影で馬鹿にする者も、そして、私も。
どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。
今日も今日とて授業は退屈で、いつも通り課題を進めたり、こっそりスマホをいじったりと好きに過ごしていた。
これを繰り返せば、あっという間にお昼。そこそこ仲の良い友人とダラダラくだらない話をしていれば、気づいたときには予鈴が鳴る。そうして、眠気と闘いながら午前と同じように過ごせば放課後はすぐに来る。
これが私のお決まりの一日。代わり映えのない一日ではあったが、一つ違うのは私のテンションが著しく低かったことである。理由は目下の問題。内容は以下略。
やはり私は馬鹿で、一日中一松くんのことを考えては止め、考えては止めてを繰り返していた。結局悪い方向に堂々巡りし私の精神状況が悪化するだけで特に良い結論など出るわけがなく、何の実にもならなかったというのが実情だ。
彼のクラスに行って、どんな顔をしているのか、どんな雰囲気を醸し出しているのか見に行きたいと休み時間毎に思ったのだが、何と彼のクラスは一組。私のクラスとは離れているばかりか、壁際のためそれとなく見に行くということが出来ないのである。変なところで度胸のない私は見に行くことは断念した。とんだ意気地無しである。
そんなこんなで今はもう放課後。いつもはさっさと帰っているが、何となく帰る気分になれず、特に何かするでもないが一人教室に残っている。
頃合いになったら帰ろうと思っていたが、その頃合いは一向にやってこない。
結局悪いことばかり考え、勝手に一人で落ち込むか吐きそうになるかであった。
はじまりがはじまりなだけに私には心の底から好かれているという自信がなかった。
彼はあれでいて心根の優しい人間である。自分に好意を寄せる女を無下に出来ず、仕方なく付き合っている可能性だって否定できないのだ(彼が私をちゃんと好きで付き合っている可能性を否定しないのは私も一介の恋する女なので許して欲しい)。
そんなことを考えたって彼が好きだとはいえ、その彼を傷つける方法をとった私が悪い。
それは誰がどう見たって明らかなのだ。
机の皺を数えながら、ゆっくりと額をついた。
古い机特有の木の匂いが鼻を擽る。
悶々と頭を巡る考えから反らすようにそっと目を閉じた。
「…ねぇ、何してんの」
条件反射。その私がどうしたって揺さぶられる低い声が静寂に包まれた空間に響き、バッ、と顔を上げた。
間違えるはずもないが思い描いた通りの姿がそこにはあった。
いつもと同じく顔の半分をマスクで覆い、卑屈そうな視線を此方に向ける。
「…あのさ、何してんのって聞いてんだけど」
「………えっ、いや、特に、何もして、ないよ」
ふーん、と興味なさげな返事をする一松くんの目が少しばかり細まった。
自分で言っておきながら、誰もいない放課後の教室で一人机に突っ伏しておいて何もしてないはないだろうと思った。これでは何かありましたと公言しているようなものである。
「何もない、ね」
のっそりと此方に歩み寄ってきた彼にますます戸惑いが隠せなくなってきた。
今日はやけに意味ありげだし、そもそも今はもう5時近くなのに何でまだ学校にいるの。いつもはさっさと路地裏に行ってしまうのに、どうして。
「…帰らないの?」
私は座っている状態で、立っている彼はそんな私を見下ろさざるを得ない。ボサボサの髪から覗く両の目はなおも此方をじっと見つめる。
「ううん、そろそろ帰る」
椅子を引くとぎーっと音がするが、それはいつも不快な音として耳は拾った。机の横にかけてあるスクールバッグを取ろうとしたら、横からスッと取られた。
その主は自分のバッグをかけていないもう片方の肩にそれをかけて、またのっそりと元来た方向に歩みを進めた。
慌てて少し後ろにつくと、彼のゆったりとした歩調がさらに遅くなり、ちょうど私の横に並んだ。
「……何かあってもさぁ、おれには言わないの」
絶句。パッと横顔を見れば、此方を見てはおらず、どこを見ているのかよくわからなかった。
でもそんなことはどうでもよかった。
昨日の夕方、彼女に面と向かって破局の報告を受けてから、私はずっと最悪の結末が訪れることを恐れ、悪いことばかり考えていた。自業自得。因果応報。それが私に相応しいと分かっていても、どうしたって嫌で、朝夕問わず怯えていた。
それに変わりはない。
だけど、今はどうでもいいことだ。
その言葉が本心から出たものでも、虚栄の優しさから出たものでも構わない。
一松くん、いつも選択肢は私に委ねるようにするよね。
だから、それってさぁ。要するに、
私は馬鹿な女だから、そんなことを言われたら頭が真っ白になるし、何もかもが何でもよくなる。それが今。
もう、何だっていいなって思った。一松くんがあの子がまだ好きなんじゃないかとか、あの子と自分の兄弟が別れてどう思っているのかとか、今だけは。
「…!?」
私の顔くらいの位置にある首にぎゅぅっと抱きついた。
ねぇ、私は何番目だって構わないし、好きに扱われたっていいと思ってる。利用されたって勿論構わない。
だけど、それでも私のこと要らなくなったら、跡形も残らないくらいにしてほしい。これ以上無いってくらい傷つけて、
もう戻らないくらいに。きっとそうでもしないと、私は貴方のところに戻ってしまうから、だから。
きっと、きれいに捨ててね。
もう何も残らないくらい。
意外と柔らかな髪にすりと擦り寄り、パッと開放した。
呆然としたままの彼が顔を真っ赤に蒸気させていることはマスクで顔の半分が覆われていても明らかだった。
「ほんとに何もないよ」
夕日が照らす長い廊下に二人分の淡い影がのびていた。
廊下の白と影のうすぼんやりとした黒、夕日の橙のコントラストが私のおぼつかない心をあらわしているようだった。