今日の夢見〜獏は密かに夢を見る〜
もう既に身体は言う事を聞かない。けれど、あの傀儡師の手中に堕ちる訳にはいかない。どうすればいいのだろうか。アレン・シーカーは自分の思考が入れ替わり立ち替わりになるのを感じながら、彷徨う思考を寄せ集めていた。
彼の生涯は彼自身をどれほど可笑しくしてしまったのか。何故、"薬"でも抑えられない程に"それ"にその身を委ねてしまったのか。
思想 の中でポツリと零した言葉。
「ははは…ッ。お前のせいだよ。─────」
アレンが目を覚ますと、その翡翠の眼には血溜まりと同い年ほどの青年の死体が映り込んだ。今、目の前に転がっているのは魂の器だったものだ。今やその面影も儚く、血色を失っていた。アレンは、その鋭くも何か愁いを帯びた瞳を閉じながら手を合わせ、慣れた手つきで器だけを抱き上げた。胸の中に収まっている青年の腹には"彼"に負わされたと思われる傷。可哀想に──その思想 と既に尽きた生命は、木々の隙間で雑草の生い茂った地面に投げ捨てられた。
事の始まりはアレンがワインの入った瓶を割ってしまったことからだった。幼いアレンの頬は赤く染まり、母親の鋭い眼窩から海碧色がアレンを見下した。
「ごめんなさい、ごめんなさい…。新しく買ってきます…、だから…─ッ!」必死になって吐き出した言葉は、かつて頭を撫でていた手によってはたき落とされた。
母親は日常的に暴力を振るっていた。父が亡くなってから酒に頼るようになり、何かあるとアレンに当たるようになっていた。
頬と目頭を腫らしながら木々を抜け、アレンは街へ新しいワインを買いに行った。何とか買えたものの、安く中身の軽いものしか買えなかった。長い家路の末、玄関を開けると母親が待ち構えていた。
「─あ、お母さん、買ってきました、これ─」
「─何よ、これ!安いやつじゃない!もっとお金を渡したでしょう!まさか安いのを買ってお釣りを誤魔化そうとしたんじゃないでしょうね!」そう言うとアレンを押し飛ばした。幸い、ビンは割れる事はなかった。
街は遠く、苦労して買ってきたのに、何でこんな風にされなくてはならないのだろう。こんな日々があとどれほど続くのだろう。─死ぬまで?そう考えた時、糸が切れたように、堰を切ったように、意識が飛んだ。
幾分か経った頃、意識は戻った。前々から意識が飛ぶ事がよくあった為、特に何も考えずに立ち上がろうとした。地面に手を突こうと思った時、手には底の割れたビンが握られていた。中身は辺りに飛び散り、その先端には赤銅色の液体が付いていた。驚いて投げ捨てた先には腹部を大きく裂かれた母親が永眠 っていた。
アレンには、その光景と激しく歪む視界が可笑しくて、しょうがなかった。
今思えば、きっとその時からアレンの中に"彼"は居たのだろう。幼い体に潜む、その存在が反社会的だと理解していた。どうにかしようと、教会に駆け込んだこともあった。その時から厄介になっていた薬屋も、最近は行かなくなった。人格を抑える為の薬も、年齢が上がる度に強くなっていた。アレンが通っていた薬屋は街有数の薬屋であったが、遂にアレンに効く薬は無くなった。
投薬を止めれば"彼"─ヘンリー─が出てきてしまう。ヘンリーは、アレンが内に秘める人格である。アレンの意識が遠のいていたのはヘンリーに代わってしまっていたからだというに気付いたのはここ最近だ。同時に母親からの虐待はヘンリーが代わりに受けていてくれたことも分かった。身体的には自分が受けていたのには変わりはないが、それが後に殺人願望を抱かせてしまったというのには少し申し訳ない気持ちになった。
話は今に戻る。誰も入らない森の奥で、一人─いや、二人というべきだろうか─アレンは立ち止まった。そして、激しい吐き気に襲われた。先程の眼よりも鋭く、不気味な笑みを浮かべ、抱えていた青年を体から離した。
「死体の処理なんざ、しなくても平気だ。…ッチ、イライラする。─此処じゃ、殺したくても殺せねぇ。そもそも人がなぁ…」
不付々々 文句を言いながらも森の奥の方へ進むのは、アレンではなく、ヘンリーであった。ふらふらと、当ても無しに進む。然し、前を見ても緑。左右を見ようも緑。上も下も緑である。仕方なしに太陽の射す方角へ行く。マザーグースとナイフ片手に、どれほど歩いても何処にも辿り着かない。
「─"Who killed Cock Robin?" "I," said the Sparrow,"With my bow and arrow, I killed Cock Robin." "Who saw him die?" "I," said the Fly,"With my little eye, I saw him die."─ん?」
ほんの少し、碧眼が捉えたのは森の緑に似付かない大きな、苔や蔦が張り付いている白い屋敷だった。
「…ここで休憩がてら、適当に殺せそうなやつを殺せば良いか」
森の中、分からないほど歩いていたその体は悲鳴を上げかけていた。ただ、ヘンリーはどうとも思っていなかったようだが。
流石の屋敷だということもあり、大きな扉があった。3度叩いたが、返事はない。しかし、物音はすることから人は中にいるようだ。
「─なんだよ。出会い頭に刺してやろうと思ったのに…。…人がいるなら食い物もあるか。ま、挨拶はいらねぇな」
ギギギッ…、と錆びた金属が擦れる音を立てながら、扉は開いた。その先はまともに掃除されているとは言えないものだった。
「ん…、食い物な…kitchen、kitchen、…っと」扉に付いている札を一つ一つ確かめる。
探し始めてから10分ほど経ったものの、"キッチン"と書かれている部屋は見つからず、ヘンリーは段々苛立ってきた。
「─ッ何なんだよ!一向に見つかんねぇ!」
荒々しく階段を下りながら玄関ホールを見下ろすと、家主と思われる一人の女が立っていた。
「おい!そこのお前!キッチンがどこか知らねぇか?俺は腹が減って仕方がねぇんだ」
「あら……キッチンならそこの扉よ。貴方の口に合うものはないかも知れないけれど」女は1つの扉を指差した。
「無いよりマシだ。教えてくれてありがとな」
ヘンリーは残り5段を飛び降りて、その女が指差した扉に向かって歩いて行った。
キィ─と鳴った扉の先には、他のところよりは掃除されているものの、綺麗と言えるものではなかった。床はワインを零したのか、濃紅のシミが出来ており、麻袋の中身は全て駄目になってしまっていた。冷蔵庫を開けると、元の形を成していないものばかりが詰め込まれていた。その中に辛うじてまともに食べられそうなパイが残っていた。手に取り口へ運ぶと、なんとも言えない埃の匂いと微かなアップルの香りがした。
ヘンリーはお世辞にも満たされたとは言えない腹をさすりながら、疲れていたらしく睡 った。アレンは何も知らないまま屋敷に籠城するのは危険だと考え、ヘンリーの記憶を頼りに、あの女性を探すことにした。
もうどれほど同じ場所を歩いたのだろうか。どの部屋を探してもあの女性以外の人間は見当たらない。明らかに人の気配がするというのに。
「…となると、隠し部屋か」ポツリと零した。「今までの部屋、全部を1からか…。少しぐらい目星がつけば良いんだけれど」
アレンはヘンリーとしての記憶を絞り出して1階と2階の部屋の位置から屋敷の構図を導き出そうとした。
考え始めてからどのくらいの時間が経っただろうか。視界の端に、女性が見えた。少しでもヒントになる答えが得られれば、と思い切って話しかけた。
「Excuse me?ミセス」
「あら、改まって…なんでしょう」
「この屋敷には、貴女以外の方はいらっしゃるのですか?」
「─そうね、居ると言えば居るわ。居ないと言えば居ないけれど」
「…?そう─ですか」
「…見せてあげましょうか?─貴 方 達 に」ほんの一瞬、女性の笑顔に母親を重ねた。雰囲気、口調、声、顔、…何もかもが違うように感じられるのに。
「良いのですか?─それでは」善くないものだと分かっていたのに、口から出たのは真逆の言葉だった。「─いや─っ、でも─っ…ッ」
眩む視界は何もかもを遮った。
「…きっと疲れてらっしゃるのだわ。今日はお休みになられたら?食事なら買ってくるわ…2階の客室を好きに使って頂戴」
「へぇ、街に出んのか?わざわざありがとよ。変なアップルパイしか喰ってねぇからさ…何も喰えなかったらお前でも殺して喰ってたかもな!ッハハハハハ!」
「………まぁ、ワイルドな方なのね。それなら、肉料理にするわ。自由になさってて」
そう言って女は重い扉から出て行った。
「…つまんねぇ奴だな。自由に、っても…」
屋敷内を探索し終わってしまっているため、することもない。
サロンルームにはチェスとビリヤードしかなかった。ここの家主はひでぇ趣味をしてやがる。確か風呂があったはずだ。どうせだから入っておいてやる。その後にあの女が言ってた部屋にでも行くか…。
そんなことを考えながら、ヘンリーはbathroomと書いてある札のついた扉を開いた。
床にいくつか重ねられたバスケットの上に雑に身につけていたものを投げ、シャワーへと手を伸ばした。途端に視線を感じる。
「─誰だッ!!」大きな声とともにナイフを振り上げた。「─あァ…?なんもいねぇ…。ンなんだよ…」
無駄な神経を使わされたことに感じた苛立ちをかき消すように歌を歌う。
「~♪─He had rolled his head far underneath the bed: He had left his legs and arms lying all over the room.」
つかの間のリフレッシュが心地よかった。石鹸台に置かれたナイフを、錆びない様に丁寧にふき取る。─これは一番大切なものだから。シャワーカーテンを開け、乱雑に置かれた服を手に取る。しわが目立つがそれすら愛おしい。僕の、俺だけの大好きな家族だから─
「─違うッ、違うんだ…」
握りしめたナイフをポケットにしまった。このまま握っていたら自分を保てなくなりそうだ。しわだらけのシャツを整え、bathroomをあとにした。
この屋敷の中でヘンリーがまともに探していないのは──どこもまともに探しているとは言えないが──サロンルームだろう。あの部屋は無駄に装飾がなされていた。一縷の望みを賭け、salon roomと書かれた札のかかった扉に向かった。
案の定、サロンルームには古典的なゲームと呼べるものしかなく、ヘンリーがすぐに出ていった理由が分かる。
この部屋はコレクションルームを兼ねているのか、様々な美術品が壁に飾られていた。花瓶や仮面、絵画に銅像まで。
ふと、コレクションの中に異彩を放つものがあった。
「─Silverware ?コレクションというには少し…」
よく見てみようと近づいた時、背後から物音がした。
「─ッ!?」壁に体をぶつけながら刹那にナイフを構える。あの女性に見られたのだろうか。飛び上がった体を嘲笑うように、目に飛び込んできたのはネズミであった。
ただの害獣に何を驚いているのだ、と自分を落ち着かせながらふと思い出したように足元を見ると壁にかかっていた銀食器が落ちていた。住人がいた場所に凹みを作った額縁に目を向けると、その凹みにボタンのようなものがついていた。
─とりあえず元に戻しておかないと。そう思い、フォークとナイフを手に取り、額縁に収めた。
カチリ、という音と同時に壁が動き出した。読み通り、この部屋に隠し部屋につながる通路があったようだ。通路は暗いが、明かりがなくてもなんとか通れそうだ。この先は階段になっているようだ。踏み外さないように慎重に歩ま
ふと、視界がぐらついた。目の前にはコンクリ製の角が。寸でのところで体を持ち上げる。筋力があってよかったと改めて感じた。
「こんな危ねぇ場所なのになんで灯りの一つもねえんだ。それに─」
アレンが限界そうだ。明らかに入れ替わる頻度が高くなっている。そろそろ区別がつかなくなりそうだ。ただでさえ効く薬が無くなったというのに─
ヘンリーは暗闇の中で思考を巡らせた。考えるのは得意ではないが、アレンのこととなると話は別だ。自分の体の為ではない。大切な家族のためだ。きっとあいつは俺が消えることも、自分が消えることもひどく嫌うだろう。
「…─ッ?!っぶねぇ…」
段差を踏み外した。考えることはあいつのすることだ。余計な考えを振り払うために頭を揺さぶった。少し振り過ぎたのかよろけてしまった。
階段を下りた先には鉄格子の付いた扉があった。取っ手を握り少し扉を開いた瞬間、隙間から漏れる光と共に嗅ぎなれた匂いと鼻を刺す嫌な臭いが漂ってきた。
思い切って扉を全開にする。突然明るくなった視界と内からあふれ出てくる興奮からか瞳孔が開く。心臓の高鳴りが他の音をかき消す。
目に入ってきた光景は、普段見ているそれ とはあまりにも違った。一人から流れ出る量をはるかに超える鮮紅。まるでぬいぐるみのようにもがれた四肢。それが何十も。
「─ッ、気色悪ぃ…!」
見慣れない光景に、来た道を戻る。今まで見た死体とは大きくかけ離れたものが脳みそにこびりついて離れない。階段を3段飛ばしで上る。閉まった扉のノブに手を伸ばす。
明らかに外れてはいけないものが外れた音がしたとともに視界に入り込んできたのはあの女であった。
「あら。中はお気に召したかしら」子供の手を取りながら、こちらに笑顔を向けていた。
「─こんな汗まみれの顔見て、なんとも思わねえんだなお前」
「…さっきの部屋に戻ってもらえるかしら?私 はこの方と少々お話をしなくてはなりませんから」
はーい、と手をあげて子供は元気よく走っていった。数十分前にシャワーを浴びたはずなのに、全身がべたつく。
「…ンだよ。そんな目で見んな」
「私は穏便にお話ししたいだけですわ」女の手が伸びる。動こうにも体が言うことを聞かない。
「お話というのも…見てきたでしょう、地下の部屋を。あれは私の趣味でして、貴方達も分かるでしょう」頭を抱えられる。胸に押し込まれ、撫でられる。あの時感じたかった感触、ぬくもり、愛情。一人だったら絆されてしまうところだった。
「取引をしましょう。私と共にここで"楽しみ"ながら生きるか、私を”楽しませ”ながら殺されるか選んで頂戴」
押し寄せる感情と身体、記憶を振り払い、笑いながらナイフを持つ。
「どちらも受け入れられません。僕たちは2人で生きていくんです」
ナイフは小刻みに震えている。いつも刃を人に向けていたのはヘンリーの方で、アレンは慣れていないどころではない。それでも自分たちでいるために必要な犠牲であると考えた。あの子どもは後で近くの町にでも連れて行こう。
「そんなこと仰らないで。まずは食事でも─」腕を一文字に振る。
女性の頬に鮮血が垂れる。「もちろんお断りします」このまま腹を貫けば─
「なんて物騒な子たち。最初に会ったときに手にかけてしまえばよかったわ。"みんなで遊んであげましょう。可愛い私のお人形たち。"」
どこからともなく子どもたちが足に絡みついてくる。女性の手が頬に向かって伸びてくる。傷つけないように振り払う。一旦距離を置いて状況を整理しよう。
「─ッ、考えてる場合じゃねェぞ!アレン!」
子供ごときが邪魔できるほど軟じゃないことを示す。
一人。血濡れたナイフで二人目を手にかけようとしたとき、内側から止められた。…仕方ない。女に狙いを定める。子供らは洗脳だか何だかされてるのだろう。知ったことではないが。
何十分、攻防を続けたのだろうか。屋敷の中を曖昧な思考の中、走り回った。もう精神も体力も限界に近い。
─休憩したい。寝てしまいたい。もう…
「終わらせましょう」首元に何かが刺さる感覚がする。視界がゆがむ。自分がいまアレンなのかヘンリーなのかわからなくなる。ただよう甘いParfum のかおりが鼻腔をさす。
「貴方方も私のお人形にしてあげるわ。"ナイフを捨ててこちらに来なさい。"」
行かなくては。ナイフを下ろさなくては。母 が待っている─
もう既に身体は言う事を聞かない。─そもそもあの時から、母を殺してしまった日から、体は、ヘンリーは言うことなど聞いていなかったではないか。どうすれば良いかわかってるだろう。そう自分に言い聞かせる。
いきおいよく頭を壁にぶつける。額から血がながれるが、知ったことではない。
「これは、僕がはじめたこと…だから─ッ」
視界に緋色がにじむ。体を動かそうとすると、関節が逆に曲がるような痛みを感じる。女性は何かをしゃべっているようで、眉をひそめながら口を開閉している。
─母の顔を思い出す。あの海碧色の目を。安酒で狂った女を。気が付いた時には女性に包み込まれていた。
「…最初から、これが出来ていれば。こんなことにはならなかったんだろうね…。─ねぇ、ヘンリー。そうでしょ?」
手にはぬくもり。頭の中は自分を肯定するヘンリーの声。笑顔で女性の顔を見る。酷く引きつった顔をしている。─そういえば、名前も知らないのだ。
「─な、んで…。貴方の方は…」
「ははは…ッ。お前のせいだよ、ヘンリー。─いや、僕のせいか。僕らが血に塗れなきゃ生きていけなくなったのは、僕のせい。─違ェ。あの女のせいだ。もしかしたら記憶にねぇ父親とかいう奴のせいかもな」
目の前のぬくもりがどんどん離れていく。それでもまだ足りなくて手を伸ばす。どんどん冷えていく感覚。彼らはたくさん知っている。
ぼーっとした頭に突然多くの足音が聞こえる。パタパタと軽い足音から、先の子供たちだろう。洗脳されていたとはいえ、心配で見に来たのだろう。
「…あー、まずいな、こりゃ。こんなのガキに見せらんねェ。…どうすっかなぁ。…ん?─ッヒハハ、これでいいじゃねェか」
女の死骸を担ぎながらPantryと書かれた札の付いている扉を蹴飛ばす。案の定、血の匂いが充満していた。
「適当でいいだろ。…いや、こン中入れとくか」
何が入っているか分からない樽の中に女の死骸を放り込む。これで子供たちには見つからないだろう。
「もう一回風呂に入ってやろうかな。…まあいいやそんな好きじゃねェし」
玄関の扉に向かって歩いていると数人の子供がこちらを見てきた。
「お兄ちゃん、ママ、どこ行ったかわかる?」
「…僕が最後に見たのはあっちの方だったけど」パントリーのほうを指さす。「君たちは帰らないの?」
「帰っても楽しくないもん。本当のママより今のママのほうが好き!」
「…そっか。よかったね。じゃ、僕は…僕たちは帰るから」
眉をひそめながら手を振る子どもたちを振り返らずに扉から手を放す。ギギッと錆びを削りながら閉まる扉の隙間から泣き声が聞こえてくる。アレンはその声に何も感じなくなっていた。
街に戻っていつもの薬屋に寄る。血塗れで表を歩くわけにもいかないので裏口から入れてもらった。店主は何とも言えない表情をしていた。
「また、弟が暴れたのか?…もう俺にはどうしようもないからな」
「…はい、気を付けます」
「一応薬は渡しておく。なんかあったら帰って来いよ」
「はい。─お風呂入ってもいいですか」
「おう。しっかり休めよ」
優しく服を脱がされる。もうそんな年ではないというのに、何故か甘えてしまう。アレンは水をためた桶に衣服を浸けた。衣服から水へ赤褐色がにじみ出て溶け混ざる様子が自分のように感じて、アレンから笑顔がこぼれた。
なんだか気分がいい。あの屋敷にいた数時間を振り返る。舞い散る泡にのせて歌を歌う。
「♪He had rolled his head far underneath the bed: He had left his legs and arms lying all over the room.」
温かい湯舟が思考を融かす。もう、何も考える必要などない。この体も、心も、僕の、俺らの大好きな家族。
彼の生涯は彼自身をどれほど可笑しくしてしまったのか。何故、"薬"でも抑えられない程に"それ"にその身を委ねてしまったのか。
「ははは…ッ。お前のせいだよ。─────」
アレンが目を覚ますと、その翡翠の眼には血溜まりと同い年ほどの青年の死体が映り込んだ。今、目の前に転がっているのは魂の器だったものだ。今やその面影も儚く、血色を失っていた。アレンは、その鋭くも何か愁いを帯びた瞳を閉じながら手を合わせ、慣れた手つきで器だけを抱き上げた。胸の中に収まっている青年の腹には"彼"に負わされたと思われる傷。可哀想に──その
事の始まりはアレンがワインの入った瓶を割ってしまったことからだった。幼いアレンの頬は赤く染まり、母親の鋭い眼窩から海碧色がアレンを見下した。
「ごめんなさい、ごめんなさい…。新しく買ってきます…、だから…─ッ!」必死になって吐き出した言葉は、かつて頭を撫でていた手によってはたき落とされた。
母親は日常的に暴力を振るっていた。父が亡くなってから酒に頼るようになり、何かあるとアレンに当たるようになっていた。
頬と目頭を腫らしながら木々を抜け、アレンは街へ新しいワインを買いに行った。何とか買えたものの、安く中身の軽いものしか買えなかった。長い家路の末、玄関を開けると母親が待ち構えていた。
「─あ、お母さん、買ってきました、これ─」
「─何よ、これ!安いやつじゃない!もっとお金を渡したでしょう!まさか安いのを買ってお釣りを誤魔化そうとしたんじゃないでしょうね!」そう言うとアレンを押し飛ばした。幸い、ビンは割れる事はなかった。
街は遠く、苦労して買ってきたのに、何でこんな風にされなくてはならないのだろう。こんな日々があとどれほど続くのだろう。─死ぬまで?そう考えた時、糸が切れたように、堰を切ったように、意識が飛んだ。
幾分か経った頃、意識は戻った。前々から意識が飛ぶ事がよくあった為、特に何も考えずに立ち上がろうとした。地面に手を突こうと思った時、手には底の割れたビンが握られていた。中身は辺りに飛び散り、その先端には赤銅色の液体が付いていた。驚いて投げ捨てた先には腹部を大きく裂かれた母親が
アレンには、その光景と激しく歪む視界が可笑しくて、しょうがなかった。
今思えば、きっとその時からアレンの中に"彼"は居たのだろう。幼い体に潜む、その存在が反社会的だと理解していた。どうにかしようと、教会に駆け込んだこともあった。その時から厄介になっていた薬屋も、最近は行かなくなった。人格を抑える為の薬も、年齢が上がる度に強くなっていた。アレンが通っていた薬屋は街有数の薬屋であったが、遂にアレンに効く薬は無くなった。
投薬を止めれば"彼"─ヘンリー─が出てきてしまう。ヘンリーは、アレンが内に秘める人格である。アレンの意識が遠のいていたのはヘンリーに代わってしまっていたからだというに気付いたのはここ最近だ。同時に母親からの虐待はヘンリーが代わりに受けていてくれたことも分かった。身体的には自分が受けていたのには変わりはないが、それが後に殺人願望を抱かせてしまったというのには少し申し訳ない気持ちになった。
話は今に戻る。誰も入らない森の奥で、一人─いや、二人というべきだろうか─アレンは立ち止まった。そして、激しい吐き気に襲われた。先程の眼よりも鋭く、不気味な笑みを浮かべ、抱えていた青年を体から離した。
「死体の処理なんざ、しなくても平気だ。…ッチ、イライラする。─此処じゃ、殺したくても殺せねぇ。そもそも人がなぁ…」
「─"Who killed Cock Robin?" "I," said the Sparrow,"With my bow and arrow, I killed Cock Robin." "Who saw him die?" "I," said the Fly,"With my little eye, I saw him die."─ん?」
ほんの少し、碧眼が捉えたのは森の緑に似付かない大きな、苔や蔦が張り付いている白い屋敷だった。
「…ここで休憩がてら、適当に殺せそうなやつを殺せば良いか」
森の中、分からないほど歩いていたその体は悲鳴を上げかけていた。ただ、ヘンリーはどうとも思っていなかったようだが。
流石の屋敷だということもあり、大きな扉があった。3度叩いたが、返事はない。しかし、物音はすることから人は中にいるようだ。
「─なんだよ。出会い頭に刺してやろうと思ったのに…。…人がいるなら食い物もあるか。ま、挨拶はいらねぇな」
ギギギッ…、と錆びた金属が擦れる音を立てながら、扉は開いた。その先はまともに掃除されているとは言えないものだった。
「ん…、食い物な…kitchen、kitchen、…っと」扉に付いている札を一つ一つ確かめる。
探し始めてから10分ほど経ったものの、"キッチン"と書かれている部屋は見つからず、ヘンリーは段々苛立ってきた。
「─ッ何なんだよ!一向に見つかんねぇ!」
荒々しく階段を下りながら玄関ホールを見下ろすと、家主と思われる一人の女が立っていた。
「おい!そこのお前!キッチンがどこか知らねぇか?俺は腹が減って仕方がねぇんだ」
「あら……キッチンならそこの扉よ。貴方の口に合うものはないかも知れないけれど」女は1つの扉を指差した。
「無いよりマシだ。教えてくれてありがとな」
ヘンリーは残り5段を飛び降りて、その女が指差した扉に向かって歩いて行った。
キィ─と鳴った扉の先には、他のところよりは掃除されているものの、綺麗と言えるものではなかった。床はワインを零したのか、濃紅のシミが出来ており、麻袋の中身は全て駄目になってしまっていた。冷蔵庫を開けると、元の形を成していないものばかりが詰め込まれていた。その中に辛うじてまともに食べられそうなパイが残っていた。手に取り口へ運ぶと、なんとも言えない埃の匂いと微かなアップルの香りがした。
ヘンリーはお世辞にも満たされたとは言えない腹をさすりながら、疲れていたらしく
もうどれほど同じ場所を歩いたのだろうか。どの部屋を探してもあの女性以外の人間は見当たらない。明らかに人の気配がするというのに。
「…となると、隠し部屋か」ポツリと零した。「今までの部屋、全部を1からか…。少しぐらい目星がつけば良いんだけれど」
アレンはヘンリーとしての記憶を絞り出して1階と2階の部屋の位置から屋敷の構図を導き出そうとした。
考え始めてからどのくらいの時間が経っただろうか。視界の端に、女性が見えた。少しでもヒントになる答えが得られれば、と思い切って話しかけた。
「Excuse me?ミセス」
「あら、改まって…なんでしょう」
「この屋敷には、貴女以外の方はいらっしゃるのですか?」
「─そうね、居ると言えば居るわ。居ないと言えば居ないけれど」
「…?そう─ですか」
「…見せてあげましょうか?─
「良いのですか?─それでは」善くないものだと分かっていたのに、口から出たのは真逆の言葉だった。「─いや─っ、でも─っ…ッ」
眩む視界は何もかもを遮った。
「…きっと疲れてらっしゃるのだわ。今日はお休みになられたら?食事なら買ってくるわ…2階の客室を好きに使って頂戴」
「へぇ、街に出んのか?わざわざありがとよ。変なアップルパイしか喰ってねぇからさ…何も喰えなかったらお前でも殺して喰ってたかもな!ッハハハハハ!」
「………まぁ、ワイルドな方なのね。それなら、肉料理にするわ。自由になさってて」
そう言って女は重い扉から出て行った。
「…つまんねぇ奴だな。自由に、っても…」
屋敷内を探索し終わってしまっているため、することもない。
サロンルームにはチェスとビリヤードしかなかった。ここの家主はひでぇ趣味をしてやがる。確か風呂があったはずだ。どうせだから入っておいてやる。その後にあの女が言ってた部屋にでも行くか…。
そんなことを考えながら、ヘンリーはbathroomと書いてある札のついた扉を開いた。
床にいくつか重ねられたバスケットの上に雑に身につけていたものを投げ、シャワーへと手を伸ばした。途端に視線を感じる。
「─誰だッ!!」大きな声とともにナイフを振り上げた。「─あァ…?なんもいねぇ…。ンなんだよ…」
無駄な神経を使わされたことに感じた苛立ちをかき消すように歌を歌う。
「~♪─He had rolled his head far underneath the bed: He had left his legs and arms lying all over the room.」
つかの間のリフレッシュが心地よかった。石鹸台に置かれたナイフを、錆びない様に丁寧にふき取る。─これは一番大切なものだから。シャワーカーテンを開け、乱雑に置かれた服を手に取る。しわが目立つがそれすら愛おしい。僕の、俺だけの大好きな家族だから─
「─違うッ、違うんだ…」
握りしめたナイフをポケットにしまった。このまま握っていたら自分を保てなくなりそうだ。しわだらけのシャツを整え、bathroomをあとにした。
この屋敷の中でヘンリーがまともに探していないのは──どこもまともに探しているとは言えないが──サロンルームだろう。あの部屋は無駄に装飾がなされていた。一縷の望みを賭け、salon roomと書かれた札のかかった扉に向かった。
案の定、サロンルームには古典的なゲームと呼べるものしかなく、ヘンリーがすぐに出ていった理由が分かる。
この部屋はコレクションルームを兼ねているのか、様々な美術品が壁に飾られていた。花瓶や仮面、絵画に銅像まで。
ふと、コレクションの中に異彩を放つものがあった。
「─
よく見てみようと近づいた時、背後から物音がした。
「─ッ!?」壁に体をぶつけながら刹那にナイフを構える。あの女性に見られたのだろうか。飛び上がった体を嘲笑うように、目に飛び込んできたのはネズミであった。
ただの害獣に何を驚いているのだ、と自分を落ち着かせながらふと思い出したように足元を見ると壁にかかっていた銀食器が落ちていた。住人がいた場所に凹みを作った額縁に目を向けると、その凹みにボタンのようなものがついていた。
─とりあえず元に戻しておかないと。そう思い、フォークとナイフを手に取り、額縁に収めた。
カチリ、という音と同時に壁が動き出した。読み通り、この部屋に隠し部屋につながる通路があったようだ。通路は暗いが、明かりがなくてもなんとか通れそうだ。この先は階段になっているようだ。踏み外さないように慎重に歩ま
ふと、視界がぐらついた。目の前にはコンクリ製の角が。寸でのところで体を持ち上げる。筋力があってよかったと改めて感じた。
「こんな危ねぇ場所なのになんで灯りの一つもねえんだ。それに─」
アレンが限界そうだ。明らかに入れ替わる頻度が高くなっている。そろそろ区別がつかなくなりそうだ。ただでさえ効く薬が無くなったというのに─
ヘンリーは暗闇の中で思考を巡らせた。考えるのは得意ではないが、アレンのこととなると話は別だ。自分の体の為ではない。大切な家族のためだ。きっとあいつは俺が消えることも、自分が消えることもひどく嫌うだろう。
「…─ッ?!っぶねぇ…」
段差を踏み外した。考えることはあいつのすることだ。余計な考えを振り払うために頭を揺さぶった。少し振り過ぎたのかよろけてしまった。
階段を下りた先には鉄格子の付いた扉があった。取っ手を握り少し扉を開いた瞬間、隙間から漏れる光と共に嗅ぎなれた匂いと鼻を刺す嫌な臭いが漂ってきた。
思い切って扉を全開にする。突然明るくなった視界と内からあふれ出てくる興奮からか瞳孔が開く。心臓の高鳴りが他の音をかき消す。
目に入ってきた光景は、普段見ている
「─ッ、気色悪ぃ…!」
見慣れない光景に、来た道を戻る。今まで見た死体とは大きくかけ離れたものが脳みそにこびりついて離れない。階段を3段飛ばしで上る。閉まった扉のノブに手を伸ばす。
明らかに外れてはいけないものが外れた音がしたとともに視界に入り込んできたのはあの女であった。
「あら。中はお気に召したかしら」子供の手を取りながら、こちらに笑顔を向けていた。
「─こんな汗まみれの顔見て、なんとも思わねえんだなお前」
「…さっきの部屋に戻ってもらえるかしら?
はーい、と手をあげて子供は元気よく走っていった。数十分前にシャワーを浴びたはずなのに、全身がべたつく。
「…ンだよ。そんな目で見んな」
「私は穏便にお話ししたいだけですわ」女の手が伸びる。動こうにも体が言うことを聞かない。
「お話というのも…見てきたでしょう、地下の部屋を。あれは私の趣味でして、貴方達も分かるでしょう」頭を抱えられる。胸に押し込まれ、撫でられる。あの時感じたかった感触、ぬくもり、愛情。一人だったら絆されてしまうところだった。
「取引をしましょう。私と共にここで"楽しみ"ながら生きるか、私を”楽しませ”ながら殺されるか選んで頂戴」
押し寄せる感情と身体、記憶を振り払い、笑いながらナイフを持つ。
「どちらも受け入れられません。僕たちは2人で生きていくんです」
ナイフは小刻みに震えている。いつも刃を人に向けていたのはヘンリーの方で、アレンは慣れていないどころではない。それでも自分たちでいるために必要な犠牲であると考えた。あの子どもは後で近くの町にでも連れて行こう。
「そんなこと仰らないで。まずは食事でも─」腕を一文字に振る。
女性の頬に鮮血が垂れる。「もちろんお断りします」このまま腹を貫けば─
「なんて物騒な子たち。最初に会ったときに手にかけてしまえばよかったわ。"みんなで遊んであげましょう。可愛い私のお人形たち。"」
どこからともなく子どもたちが足に絡みついてくる。女性の手が頬に向かって伸びてくる。傷つけないように振り払う。一旦距離を置いて状況を整理しよう。
「─ッ、考えてる場合じゃねェぞ!アレン!」
子供ごときが邪魔できるほど軟じゃないことを示す。
一人。血濡れたナイフで二人目を手にかけようとしたとき、内側から止められた。…仕方ない。女に狙いを定める。子供らは洗脳だか何だかされてるのだろう。知ったことではないが。
何十分、攻防を続けたのだろうか。屋敷の中を曖昧な思考の中、走り回った。もう精神も体力も限界に近い。
─休憩したい。寝てしまいたい。もう…
「終わらせましょう」首元に何かが刺さる感覚がする。視界がゆがむ。自分がいまアレンなのかヘンリーなのかわからなくなる。ただよう甘い
「貴方方も私のお人形にしてあげるわ。"ナイフを捨ててこちらに来なさい。"」
行かなくては。ナイフを下ろさなくては。
もう既に身体は言う事を聞かない。─そもそもあの時から、母を殺してしまった日から、体は、ヘンリーは言うことなど聞いていなかったではないか。どうすれば良いかわかってるだろう。そう自分に言い聞かせる。
いきおいよく頭を壁にぶつける。額から血がながれるが、知ったことではない。
「これは、僕がはじめたこと…だから─ッ」
視界に緋色がにじむ。体を動かそうとすると、関節が逆に曲がるような痛みを感じる。女性は何かをしゃべっているようで、眉をひそめながら口を開閉している。
─母の顔を思い出す。あの海碧色の目を。安酒で狂った女を。気が付いた時には女性に包み込まれていた。
「…最初から、これが出来ていれば。こんなことにはならなかったんだろうね…。─ねぇ、ヘンリー。そうでしょ?」
手にはぬくもり。頭の中は自分を肯定するヘンリーの声。笑顔で女性の顔を見る。酷く引きつった顔をしている。─そういえば、名前も知らないのだ。
「─な、んで…。貴方の方は…」
「ははは…ッ。お前のせいだよ、ヘンリー。─いや、僕のせいか。僕らが血に塗れなきゃ生きていけなくなったのは、僕のせい。─違ェ。あの女のせいだ。もしかしたら記憶にねぇ父親とかいう奴のせいかもな」
目の前のぬくもりがどんどん離れていく。それでもまだ足りなくて手を伸ばす。どんどん冷えていく感覚。彼らはたくさん知っている。
ぼーっとした頭に突然多くの足音が聞こえる。パタパタと軽い足音から、先の子供たちだろう。洗脳されていたとはいえ、心配で見に来たのだろう。
「…あー、まずいな、こりゃ。こんなのガキに見せらんねェ。…どうすっかなぁ。…ん?─ッヒハハ、これでいいじゃねェか」
女の死骸を担ぎながらPantryと書かれた札の付いている扉を蹴飛ばす。案の定、血の匂いが充満していた。
「適当でいいだろ。…いや、こン中入れとくか」
何が入っているか分からない樽の中に女の死骸を放り込む。これで子供たちには見つからないだろう。
「もう一回風呂に入ってやろうかな。…まあいいやそんな好きじゃねェし」
玄関の扉に向かって歩いていると数人の子供がこちらを見てきた。
「お兄ちゃん、ママ、どこ行ったかわかる?」
「…僕が最後に見たのはあっちの方だったけど」パントリーのほうを指さす。「君たちは帰らないの?」
「帰っても楽しくないもん。本当のママより今のママのほうが好き!」
「…そっか。よかったね。じゃ、僕は…僕たちは帰るから」
眉をひそめながら手を振る子どもたちを振り返らずに扉から手を放す。ギギッと錆びを削りながら閉まる扉の隙間から泣き声が聞こえてくる。アレンはその声に何も感じなくなっていた。
街に戻っていつもの薬屋に寄る。血塗れで表を歩くわけにもいかないので裏口から入れてもらった。店主は何とも言えない表情をしていた。
「また、弟が暴れたのか?…もう俺にはどうしようもないからな」
「…はい、気を付けます」
「一応薬は渡しておく。なんかあったら帰って来いよ」
「はい。─お風呂入ってもいいですか」
「おう。しっかり休めよ」
優しく服を脱がされる。もうそんな年ではないというのに、何故か甘えてしまう。アレンは水をためた桶に衣服を浸けた。衣服から水へ赤褐色がにじみ出て溶け混ざる様子が自分のように感じて、アレンから笑顔がこぼれた。
なんだか気分がいい。あの屋敷にいた数時間を振り返る。舞い散る泡にのせて歌を歌う。
「♪He had rolled his head far underneath the bed: He had left his legs and arms lying all over the room.」
温かい湯舟が思考を融かす。もう、何も考える必要などない。この体も、心も、僕の、俺らの大好きな家族。