今日の夢見〜獏は密かに夢を見る〜
狭く、ランプすらない貧相な檻の中で一人、美しい少年が夜の帳の中、書をしたためていた。
その少年の名はエデル・フィーネル。齢16にしてスェリタ王国の中枢を担う事になる者であった。しかし、あらぬ誤解が更なる悪を生み、反乱が起きた。その時、スェリタの中核であるレイテエクス城には数多の暴漢や犯罪者が集まった。その人々を国民はレジスタンス、と呼んでいた。
レジスタンスによって国は崩壊した。国王は処刑され、家臣は拷問の末に死を遂げ、その家族らは牢の中に入れられたのであった。
牢の中という事もあってすることなど特になく、暇つぶしに読もうと指先で本棚をなぞるが、どれも城で読んだことのあるものでつまらないものばかりだった。辺りを見渡せど床に何一つ落ちてはいない。あるのはシンプルなトイレと本棚、そして寝心地の悪いベッドだけだ。
─ベッドの下に何かあれば。
そう思い、ベッドの下を探ってみると、何か棒のようなものに当たった。引き出してみると、それは剣を模した木製品であった。
なぜ、こんなものがあるのだろうか。エデルは疑問にかられつつ、それを手に取って素振りをしてみたが、元々剣術などやったことのない体は木の剣を振るう度、反動でふらついてしまう。
その時、柵の向こうから見回りの足音が聞こえてきた。見回りはレジスタンスが6時間交代で規律的に行われていた。足音を聞いて、エデルはすぐにベッドの下に剣をしまった。
「おい餓鬼、変なことしてねえだろうな」
「…はい。勿論です」
「そうか、…出るなよ」どすの利いた声とともにガチャリ、と鉄扉が開いた。
見回りの男は、部屋の壁や床、更には天井までを持っていた槍の柄で叩いた。
部屋に何もなかったことがつまらなかったのか、男は鼻を鳴らして、文句があるなら自分の親父に言いな、と言って去っていった。
─危なかった。もう少しで見つかるところだった。
エデルは胸を撫で下ろした。だが、剣を見つけたところで、その腕は国民よりもひ弱であった。
─これから毎日振るえば、少しは強くなるだろうか。
そう思いながら、潰れたスポンジの入ったベッドに横になった。
25/03/1823
今日は,この檻の中に入れられてから5ヶ月と14日経ちました。僕はいつまでここに入ればいいのでしょうか。お母様にも会えず,兄様にも会えず,ただ,毎日同じ時間に見回りの男がくるばかり。
しかし,部屋のベッドの下で木剣を見つけました。なので毎日素振りと,兄様から教えてもらった鍛錬を重ねています。
今にここから出てみせる。待っていて下さい。兄様,お母様。レジスタンスを必ずや倒してみせます。
家族へ向ける手紙は自らを鼓舞させた。檻の中とはいえ、中身が確認される心配はない。なにを書こうが罰される心配もない。
ここに入れられた日から、惰性的に続けてしまっていた。
まだ辺りが暗く、誰かのいびきが聞こえる中で起きてしまったエデルは少し、剣を振るった後に窓の外を眺めた。
「…月 。地球から384,400km離れた衛星。稀にあかくなる時が─」
言いかけて、口を一文字に結ぶ。このような事を言っても何にもならない、と遠くに漂う黒雲はその唯一の明かりを遮ってしまった。
1825年5月19日、季節外れの雨と、檻の中でエデルは齢18となった。見張りの目を欺いて続けた鍛錬のおかげか、貧弱そうな体だった美少年にも筋肉が程よくつき、剣を振るえば油断も隙もない。
そしてその日、彼は決行した。自らを陥れた者共に制裁の刃を向け、全てを取り返すために。
エデルは檻を出るためには鍵を貰う、又は檻から出る様な状況にしなくてはならなかった。
唯一ここから出れるのは処刑される時だけ。処刑は、牢内で暴れた者に行われる。処刑自体は牢とは離れた場所で、執行者と該当者の二人きりで行われる。方法はポピュラーな斬首らしい。それらを逆手にとって牢から抜け出すのだ。しかし、一つの壁にぶつかった。
「…どうやって、暴れればいいのだろう?」
王家育ちの為、粗相をすることなどなかった。取り敢えず壁を殴ってみると、脆く崩れてしまった。
「大きな声を出せば良いだろうか…?」
暴力沙汰など王家なのにどうなのだろうか、しかし緊急事態だ、しょうがない、と溜息を吐きながら割り切った。
壁に穴を開け、サイコ的な言葉を叫び出してから2分も経たない時、一人の見回りが来た。
「オイ餓鬼!何をしている!処刑するからこっちへ来い!」
見回りはエデルの腕を引き、牢の外へ引きずり出した。外へ連れていく様だ。エデルは暴れたふりをしたまま連れていかれた。
処刑部屋は牢屋とあまり変わらないサイズだった。その小さな部屋で一体何人もの人間が死んだのだろう。しかし、そんなことを考えている時間はエデルには無い。「おい、そこで止まれ」部屋の真ん中で止められた。処刑が行われる様だ。ふと、執行者の手に目をやると、ロングソードの柄が握られていた。
「時間だ!短かったな、お前たちが思い描いた平和は。やはりお前の親父は自分のことしか考えていない能無しだ。」
─刹那。エデルは無意識に執行者を押し倒してロングソードを奪い、そのまま首を切り裂いた。一つ。その行為が彼に思い出させたのは処刑された父の鮮血だった。
自分は、奴等と同じ事しているんだ、などと考えたが、もうそんなことはどうでもよかった。
─全てはこの"俺"が…。
丁寧に育てられ、殺戮を知らなかった幼い頃とは違う。彼は復讐の地へと降り立った。
「…ここから、─っ。取り戻す。俺の国を。」
見慣れた景色を紅く染めた瞳で見つめる。荒れた城下町の権力者がこちらを見るなり叫んだ。どんな事を叫んだのかなど、エデルには関係なかった。王城の牢から出る時に、見つけた古びた剣を強く握り、獣の胸に刃を立てる。そのまま一文字を描くようにその肉体を切り裂いた。
辺り一面に広がる赤褐色の泡沫。
人ではない、何かの断末魔。
遥か遠く、頭上に輝く月。
エデルはなにも考えずにその足をさらに進めた。
「なっ、何事だ!早急に措置を─」
「─邪魔だ、どけ」
冷徹。ただただ凍てついていた。それは鍛錬を重ね、感情を殺していたせいなのか。はたまた憎悪の念に押されてしまったのか。
彼はたった一振りで目前の人間を切り捨ててしまった。
「こいつ─!エデル・フィーネル…!何故、ここに─!クソッ!」
「怒りに任せ、乱暴に振れば俺には当たらない。もっと考えろ、レジスタンス。その中身のない頭に叩き込んでやる。王に逆らうとこうなる、とな」
城下町の門前にもかかわらず、蟻の巣を突いたようにぞろぞろと沢山の暴漢が出てくる。ランスを持つ者、ダガーを持つ者…、中には国軍兵士が使っていたレイピアを握っている者もいた。
それらは群れを成し、ただ恐怖に怯えて無我夢中でこちらへ向かってくる。
「─所詮、お前らの頭は卵だ。俺が叩けば中身を垂れ流しながら簡単に割れてしまう」
「何が言いてぇんだ!この出来損な─」
─否、と言い、また一人切り捨てる。
「…あぁ、いつだかお前らの"出来損ない"が言っていた。"お前の父親は自分のことしか考えていない能無しだ"と。笑えないか?能無しの出来損ないはお前らレジスタンスだろう。こんなに簡単に切り捨てられるのに」
冷ややかな目で人間を易々と切り刻むエデルをレジスタンスはただ呆然と、そして狼狽して見ていた。
─刹那、その中の一人が雄叫びをあげて自死してしまった。
「あぁぁ─!…悪魔…!悪魔だ!やはり王政は悪魔と取引をしていたのだ!」
集団の中で一人でも混乱に陥れば、その集団に秩序など無くなる。その様子を陰から見ていた国民にも薄々とその恐怖は近付いていた。
国を護るための塀は、東西南北各所に門があり、今エデルとレジスタンスがいる南門と同様なものがある。それらは南門を残して全て閉めてしまった。いわばレジスタンスと国民は"袋の鼠"であった。
たった一人のアヴェンジャー、自分の力によって国は二度目の崩壊を目前にした。言わずもがな一度目は自分の父である国王の死。二度目は今、国を仕切っているレジスタンスの壊滅である。
そんな思考を巡らせながら、ただ執拗に向かってくる者共を蹴散らしながら、着実に無傷の足をかつてのホームへと進めて行った。
敵を斬り倒し、鮮明な紅に染まった体で王城へと足を進める。最初は暗く尖っていた表情も、今では笑みを含んでいた。我が家に帰れるのが嬉しいのか。
…はたまた、虐殺という行為を楽しんでいるのか。
「…─!誰だ!王城に入るときは常に─」
声を聞いてから、ただ一振り。死にはしなかったが、擦り傷にはなったようだ。
「─俺は彼の王であった、"悪意の善行 "の息子、エデル・フィーネルだ」
「何だと…?お前のことは確かに牢屋にぶち込んだんだがな…。─誰がお前を外に出した?」
「自分で出たに決まってるだろう。誰も協力なんざしてくれなかったさ。あんたのお仲間とやらは仕事はちゃんとしてたぞ。邪魔だったからこの一振りで退いてもらったがな」
二人きりの空間で煌々なる剣を天に掲げる。その剣の形こそ古を感じさせるものだが、精度は歳月を感じさせない。剣の先端には、鈍く心臓を突くようなガスランプの灯火が落ちていた。小さくも、燃え滾るような明かりはいつの間に叛逆者達を集わせてしまった。
「─っ、はっ!もう少し周りを見な、ガキ。宿敵の軍勢は集っているぞ。皆の者!奴を仕留めろ!」
堰き止められていた水が溢れ出す様にレジスタンスは押し寄せてくる。この自分を殺す為に。
笑えてくる。
覚えたての言葉をただひたすら発するように、食べ物が欲しいから芸事をする動物のように、馬鹿の一つ覚えだろうか。
「─っはは、これが親父が排除し たかった人間なのか。だったら、その息子はそれを見習って排除 しよう!」
その言葉を放つ顔は玩具を与えられた子供の様に輝き、捕まえた虫を弄る様に無邪気な笑みを浮かべていた。
肉を断つ感触、羽をもがれた蝶々、艶やかに飛沫する朱殷 、断末魔の叫び、複眼の死骸、血塗られた剣、 獅子の石像には赤銅色。
かつて自らが笑顔で兄とともに走り回ったその場所は、レジスタンスが逃げ惑った挙げ句に鮮血に染まっていた。
視界に入る全てが異様だった。自分はなにをしていたのか分からない。足元を見れば誰かの血が流れている。その流れの中から一人の悪人が目を見開いてこちらを睨みつけていた。その瞳の鋭さに、エデルは腰を抜かして血の池に落ちてしまった。それと同時に悪人はその流れに飲まれてしまった。狂ってしまった空間で、その悪人が自分だと気付くにはそれで十分だった。
自分がやったことだと気づいた後でも、痛むほど速く、鼓動は自分の中で鳴り響いた。
─こんな所に家族を呼べない。せめて"コレ"を─
言いかけたところで息を呑む。死体の事を"コレ"と表した。人ではない何かだと断定してしまった。胸が締め付けられる様な感覚になった。
いつの間に出来たのだろうか、城の前には人だかりがあった。人々がざわざわしているような、そんな音が後ろから聞こえる。
ゆっくりと振り返る。そこから見える沢山の瞳には少しだけ安堵したような、恐怖のような気配を感じた。
一人の幼い男の子がこちらを見るなり、顔を歪めて父親の後ろに隠れてしまった。
自分の姿を思い出す。
少し前までこの場を血に染めていたのだ。自らも血塗れになっている。だから恐怖を感じさせたのだろう。
人々はお互いに顔を見合わせている。恐怖からだろうか、誰も言葉を発しない。殺戮をした自分を責めないのか、と考えると急に悪寒がした。その感情に押しつぶされないよう、口は勝手に小さな言葉を紡いでいた。
「…俺は、してはならないことを、人殺しをしてしまった。だから、だから─…」
─こんな俺を処刑してくれ。
人々には聞こえない声で放つ。許しなど求めない。ただ、その場から逃げたかった。あるいは咎めて欲しかった。
しかし、エデルの思考とは裏腹に人々からは歓声が上がった。
「やはり、私たちの王はとても良い者を遺した!」
「やっと、レジスタンスが消滅した!これも、王の弟息子のエデル様のお陰だ!」
茫然としたエデルに一人の女性がこう話した。
レジスタンスが王城を襲撃した時、私たち国民の家にも押し入ってきました。"今から俺たちが法だ"、"言うことを聞かないと殺すぞ"、と言われ、見ている事しかできませんでした。さらに、レジスタンスに歯止めをかけようと、挑んだ人達は呆気なく捕らえられ、牢に入れられました。
それから何日も経ち、王国内はレジスタンスの思惑通りに動くようになっていきました。食料もまともに無く、ある物全てがレジスタンスに持っていかれてしまいました。しかし、そこへ救いの兆しを見せてくださったのが貴方様です。
─そこからは貴方様が知っておられる通りです。と、笑顔で付け加えた。
「…しかし、俺が─っ、…─僕が、犯した事は人間として許される行為ではない…」
「それでも貴方様は、エデル様はこの国を救おうとしてくれたのですよね」
あの親子がヒソヒソと話す。エデルには鼓動のように聞こえた。
「…ねぇ、あのお兄ちゃんはわるいことをしたの?くらいところにつれてかれちゃうの?」
「うーん、ちょっと違うかな。確かにあのお兄ちゃんは他の人を殺しちゃったね。悪いことだ」
心臓が締め付けられ息苦しくなった。大きく深呼吸をした。
「でもね、あのお兄ちゃんは僕とか、エドのことを守ってくれたんだよ」
「…そうなの?」
「そうだよ。お兄ちゃんはね、悪い奴をお空へ飛ばしたんだ」
「わぁ…!ピーター・パンみたい!」
小さい頃、父親に本を読んでもらったことを思い出す。
「ねぇ、おとうさま。きょうはどんなごほんをよんでくれるのですか?」父親は優しい声で囁く。「今日は『円卓の騎士』を読んであげよう」
「えんたくのきし…、おもしろそうです!はやくよんでください!」
…
「…─した。おしまい。面白かったかな?」
「はい!おもしろかったです!僕もアーサー王のような人になりたいです!」
「…はは、そうか。それならそろそろ寝なさい。お休み、エデル」
「はい、おやすみなさい。おとうさま」
自分が読んでもらった本こそ同じものではないが、その少年に自分を重ねた。
兄とは別の部屋で、独り寂しく寝ているところへ父親は来て、本を読んでくれた。
毎日ではなかったが、自分の知らない世界を見せてくれたから寂しくはなかった。
エデルも、物語の主人公に憧れた幼少を持つ。少年の言葉はエデルの心を締め付ける鎖を解いていった。
その後、レジスタンスによって不当に牢屋へ入れられた国民と王族、さらにその家臣は救い出された。
エデルは、国の救世主として兄から国王になるように勧められた。
「エデル、お前はレジスタンスに怯まずに立ち向かった。流石だ。兄として誇らしいよ」
「─そんな…、兄様…、僕はただ─、自分のために動いただけで…」
「それでも、国民のためになったんだ。だから、お前は親父…先代の王に似ている」そうよ、と母親も微笑んでいる。
しかし、エデルはいくら国が危機に陥っていたとしても、感情に任せて人を殺めたことには変わりない、と国王になるのは辞退した。
お母様、兄様へ
城への手紙を書くのは久しぶりですね。あれから幾日経ったのか、忘れてしまいました。
それでも一人森の奥で住まうのは、まだ少し不安です。ですが、それは自らで決めたこと。我慢できなくては王家の名が廃ります。
自分で決めたとて、お母様と兄様には心配や迷惑をかけていること、とても申し訳なく思います。
こちらでは、あの男性が貸してくださったログハウスに住まわせていただいています。辺りには、木々や美しい草花が生い茂っていて、夜になると月明かりを受けて幻想的です。一度はお母様と兄様にも、そして、あの少年にも見せたいです。
いつか、僕が犯した罪が赦される時に、ここに来てください。
エデル・フィーネル
その少年の名はエデル・フィーネル。齢16にしてスェリタ王国の中枢を担う事になる者であった。しかし、あらぬ誤解が更なる悪を生み、反乱が起きた。その時、スェリタの中核であるレイテエクス城には数多の暴漢や犯罪者が集まった。その人々を国民はレジスタンス、と呼んでいた。
レジスタンスによって国は崩壊した。国王は処刑され、家臣は拷問の末に死を遂げ、その家族らは牢の中に入れられたのであった。
牢の中という事もあってすることなど特になく、暇つぶしに読もうと指先で本棚をなぞるが、どれも城で読んだことのあるものでつまらないものばかりだった。辺りを見渡せど床に何一つ落ちてはいない。あるのはシンプルなトイレと本棚、そして寝心地の悪いベッドだけだ。
─ベッドの下に何かあれば。
そう思い、ベッドの下を探ってみると、何か棒のようなものに当たった。引き出してみると、それは剣を模した木製品であった。
なぜ、こんなものがあるのだろうか。エデルは疑問にかられつつ、それを手に取って素振りをしてみたが、元々剣術などやったことのない体は木の剣を振るう度、反動でふらついてしまう。
その時、柵の向こうから見回りの足音が聞こえてきた。見回りはレジスタンスが6時間交代で規律的に行われていた。足音を聞いて、エデルはすぐにベッドの下に剣をしまった。
「おい餓鬼、変なことしてねえだろうな」
「…はい。勿論です」
「そうか、…出るなよ」どすの利いた声とともにガチャリ、と鉄扉が開いた。
見回りの男は、部屋の壁や床、更には天井までを持っていた槍の柄で叩いた。
部屋に何もなかったことがつまらなかったのか、男は鼻を鳴らして、文句があるなら自分の親父に言いな、と言って去っていった。
─危なかった。もう少しで見つかるところだった。
エデルは胸を撫で下ろした。だが、剣を見つけたところで、その腕は国民よりもひ弱であった。
─これから毎日振るえば、少しは強くなるだろうか。
そう思いながら、潰れたスポンジの入ったベッドに横になった。
25/03/1823
今日は,この檻の中に入れられてから5ヶ月と14日経ちました。僕はいつまでここに入ればいいのでしょうか。お母様にも会えず,兄様にも会えず,ただ,毎日同じ時間に見回りの男がくるばかり。
しかし,部屋のベッドの下で木剣を見つけました。なので毎日素振りと,兄様から教えてもらった鍛錬を重ねています。
今にここから出てみせる。待っていて下さい。兄様,お母様。レジスタンスを必ずや倒してみせます。
家族へ向ける手紙は自らを鼓舞させた。檻の中とはいえ、中身が確認される心配はない。なにを書こうが罰される心配もない。
ここに入れられた日から、惰性的に続けてしまっていた。
まだ辺りが暗く、誰かのいびきが聞こえる中で起きてしまったエデルは少し、剣を振るった後に窓の外を眺めた。
「…
言いかけて、口を一文字に結ぶ。このような事を言っても何にもならない、と遠くに漂う黒雲はその唯一の明かりを遮ってしまった。
1825年5月19日、季節外れの雨と、檻の中でエデルは齢18となった。見張りの目を欺いて続けた鍛錬のおかげか、貧弱そうな体だった美少年にも筋肉が程よくつき、剣を振るえば油断も隙もない。
そしてその日、彼は決行した。自らを陥れた者共に制裁の刃を向け、全てを取り返すために。
エデルは檻を出るためには鍵を貰う、又は檻から出る様な状況にしなくてはならなかった。
唯一ここから出れるのは処刑される時だけ。処刑は、牢内で暴れた者に行われる。処刑自体は牢とは離れた場所で、執行者と該当者の二人きりで行われる。方法はポピュラーな斬首らしい。それらを逆手にとって牢から抜け出すのだ。しかし、一つの壁にぶつかった。
「…どうやって、暴れればいいのだろう?」
王家育ちの為、粗相をすることなどなかった。取り敢えず壁を殴ってみると、脆く崩れてしまった。
「大きな声を出せば良いだろうか…?」
暴力沙汰など王家なのにどうなのだろうか、しかし緊急事態だ、しょうがない、と溜息を吐きながら割り切った。
壁に穴を開け、サイコ的な言葉を叫び出してから2分も経たない時、一人の見回りが来た。
「オイ餓鬼!何をしている!処刑するからこっちへ来い!」
見回りはエデルの腕を引き、牢の外へ引きずり出した。外へ連れていく様だ。エデルは暴れたふりをしたまま連れていかれた。
処刑部屋は牢屋とあまり変わらないサイズだった。その小さな部屋で一体何人もの人間が死んだのだろう。しかし、そんなことを考えている時間はエデルには無い。「おい、そこで止まれ」部屋の真ん中で止められた。処刑が行われる様だ。ふと、執行者の手に目をやると、ロングソードの柄が握られていた。
「時間だ!短かったな、お前たちが思い描いた平和は。やはりお前の親父は自分のことしか考えていない能無しだ。」
─刹那。エデルは無意識に執行者を押し倒してロングソードを奪い、そのまま首を切り裂いた。一つ。その行為が彼に思い出させたのは処刑された父の鮮血だった。
自分は、奴等と同じ事しているんだ、などと考えたが、もうそんなことはどうでもよかった。
─全てはこの"俺"が…。
丁寧に育てられ、殺戮を知らなかった幼い頃とは違う。彼は復讐の地へと降り立った。
「…ここから、─っ。取り戻す。俺の国を。」
見慣れた景色を紅く染めた瞳で見つめる。荒れた城下町の権力者がこちらを見るなり叫んだ。どんな事を叫んだのかなど、エデルには関係なかった。王城の牢から出る時に、見つけた古びた剣を強く握り、獣の胸に刃を立てる。そのまま一文字を描くようにその肉体を切り裂いた。
辺り一面に広がる赤褐色の泡沫。
人ではない、何かの断末魔。
遥か遠く、頭上に輝く月。
エデルはなにも考えずにその足をさらに進めた。
「なっ、何事だ!早急に措置を─」
「─邪魔だ、どけ」
冷徹。ただただ凍てついていた。それは鍛錬を重ね、感情を殺していたせいなのか。はたまた憎悪の念に押されてしまったのか。
彼はたった一振りで目前の人間を切り捨ててしまった。
「こいつ─!エデル・フィーネル…!何故、ここに─!クソッ!」
「怒りに任せ、乱暴に振れば俺には当たらない。もっと考えろ、レジスタンス。その中身のない頭に叩き込んでやる。王に逆らうとこうなる、とな」
城下町の門前にもかかわらず、蟻の巣を突いたようにぞろぞろと沢山の暴漢が出てくる。ランスを持つ者、ダガーを持つ者…、中には国軍兵士が使っていたレイピアを握っている者もいた。
それらは群れを成し、ただ恐怖に怯えて無我夢中でこちらへ向かってくる。
「─所詮、お前らの頭は卵だ。俺が叩けば中身を垂れ流しながら簡単に割れてしまう」
「何が言いてぇんだ!この出来損な─」
─否、と言い、また一人切り捨てる。
「…あぁ、いつだかお前らの"出来損ない"が言っていた。"お前の父親は自分のことしか考えていない能無しだ"と。笑えないか?能無しの出来損ないはお前らレジスタンスだろう。こんなに簡単に切り捨てられるのに」
冷ややかな目で人間を易々と切り刻むエデルをレジスタンスはただ呆然と、そして狼狽して見ていた。
─刹那、その中の一人が雄叫びをあげて自死してしまった。
「あぁぁ─!…悪魔…!悪魔だ!やはり王政は悪魔と取引をしていたのだ!」
集団の中で一人でも混乱に陥れば、その集団に秩序など無くなる。その様子を陰から見ていた国民にも薄々とその恐怖は近付いていた。
国を護るための塀は、東西南北各所に門があり、今エデルとレジスタンスがいる南門と同様なものがある。それらは南門を残して全て閉めてしまった。いわばレジスタンスと国民は"袋の鼠"であった。
たった一人のアヴェンジャー、自分の力によって国は二度目の崩壊を目前にした。言わずもがな一度目は自分の父である国王の死。二度目は今、国を仕切っているレジスタンスの壊滅である。
そんな思考を巡らせながら、ただ執拗に向かってくる者共を蹴散らしながら、着実に無傷の足をかつてのホームへと進めて行った。
敵を斬り倒し、鮮明な紅に染まった体で王城へと足を進める。最初は暗く尖っていた表情も、今では笑みを含んでいた。我が家に帰れるのが嬉しいのか。
…はたまた、虐殺という行為を楽しんでいるのか。
「…─!誰だ!王城に入るときは常に─」
声を聞いてから、ただ一振り。死にはしなかったが、擦り傷にはなったようだ。
「─俺は彼の王であった、"
「何だと…?お前のことは確かに牢屋にぶち込んだんだがな…。─誰がお前を外に出した?」
「自分で出たに決まってるだろう。誰も協力なんざしてくれなかったさ。あんたのお仲間とやらは仕事はちゃんとしてたぞ。邪魔だったからこの一振りで退いてもらったがな」
二人きりの空間で煌々なる剣を天に掲げる。その剣の形こそ古を感じさせるものだが、精度は歳月を感じさせない。剣の先端には、鈍く心臓を突くようなガスランプの灯火が落ちていた。小さくも、燃え滾るような明かりはいつの間に叛逆者達を集わせてしまった。
「─っ、はっ!もう少し周りを見な、ガキ。宿敵の軍勢は集っているぞ。皆の者!奴を仕留めろ!」
堰き止められていた水が溢れ出す様にレジスタンスは押し寄せてくる。この自分を殺す為に。
笑えてくる。
覚えたての言葉をただひたすら発するように、食べ物が欲しいから芸事をする動物のように、馬鹿の一つ覚えだろうか。
「─っはは、これが親父が
その言葉を放つ顔は玩具を与えられた子供の様に輝き、捕まえた虫を弄る様に無邪気な笑みを浮かべていた。
肉を断つ感触、羽をもがれた蝶々、艶やかに飛沫する
かつて自らが笑顔で兄とともに走り回ったその場所は、レジスタンスが逃げ惑った挙げ句に鮮血に染まっていた。
視界に入る全てが異様だった。自分はなにをしていたのか分からない。足元を見れば誰かの血が流れている。その流れの中から一人の悪人が目を見開いてこちらを睨みつけていた。その瞳の鋭さに、エデルは腰を抜かして血の池に落ちてしまった。それと同時に悪人はその流れに飲まれてしまった。狂ってしまった空間で、その悪人が自分だと気付くにはそれで十分だった。
自分がやったことだと気づいた後でも、痛むほど速く、鼓動は自分の中で鳴り響いた。
─こんな所に家族を呼べない。せめて"コレ"を─
言いかけたところで息を呑む。死体の事を"コレ"と表した。人ではない何かだと断定してしまった。胸が締め付けられる様な感覚になった。
いつの間に出来たのだろうか、城の前には人だかりがあった。人々がざわざわしているような、そんな音が後ろから聞こえる。
ゆっくりと振り返る。そこから見える沢山の瞳には少しだけ安堵したような、恐怖のような気配を感じた。
一人の幼い男の子がこちらを見るなり、顔を歪めて父親の後ろに隠れてしまった。
自分の姿を思い出す。
少し前までこの場を血に染めていたのだ。自らも血塗れになっている。だから恐怖を感じさせたのだろう。
人々はお互いに顔を見合わせている。恐怖からだろうか、誰も言葉を発しない。殺戮をした自分を責めないのか、と考えると急に悪寒がした。その感情に押しつぶされないよう、口は勝手に小さな言葉を紡いでいた。
「…俺は、してはならないことを、人殺しをしてしまった。だから、だから─…」
─こんな俺を処刑してくれ。
人々には聞こえない声で放つ。許しなど求めない。ただ、その場から逃げたかった。あるいは咎めて欲しかった。
しかし、エデルの思考とは裏腹に人々からは歓声が上がった。
「やはり、私たちの王はとても良い者を遺した!」
「やっと、レジスタンスが消滅した!これも、王の弟息子のエデル様のお陰だ!」
茫然としたエデルに一人の女性がこう話した。
レジスタンスが王城を襲撃した時、私たち国民の家にも押し入ってきました。"今から俺たちが法だ"、"言うことを聞かないと殺すぞ"、と言われ、見ている事しかできませんでした。さらに、レジスタンスに歯止めをかけようと、挑んだ人達は呆気なく捕らえられ、牢に入れられました。
それから何日も経ち、王国内はレジスタンスの思惑通りに動くようになっていきました。食料もまともに無く、ある物全てがレジスタンスに持っていかれてしまいました。しかし、そこへ救いの兆しを見せてくださったのが貴方様です。
─そこからは貴方様が知っておられる通りです。と、笑顔で付け加えた。
「…しかし、俺が─っ、…─僕が、犯した事は人間として許される行為ではない…」
「それでも貴方様は、エデル様はこの国を救おうとしてくれたのですよね」
あの親子がヒソヒソと話す。エデルには鼓動のように聞こえた。
「…ねぇ、あのお兄ちゃんはわるいことをしたの?くらいところにつれてかれちゃうの?」
「うーん、ちょっと違うかな。確かにあのお兄ちゃんは他の人を殺しちゃったね。悪いことだ」
心臓が締め付けられ息苦しくなった。大きく深呼吸をした。
「でもね、あのお兄ちゃんは僕とか、エドのことを守ってくれたんだよ」
「…そうなの?」
「そうだよ。お兄ちゃんはね、悪い奴をお空へ飛ばしたんだ」
「わぁ…!ピーター・パンみたい!」
小さい頃、父親に本を読んでもらったことを思い出す。
「ねぇ、おとうさま。きょうはどんなごほんをよんでくれるのですか?」父親は優しい声で囁く。「今日は『円卓の騎士』を読んであげよう」
「えんたくのきし…、おもしろそうです!はやくよんでください!」
…
「…─した。おしまい。面白かったかな?」
「はい!おもしろかったです!僕もアーサー王のような人になりたいです!」
「…はは、そうか。それならそろそろ寝なさい。お休み、エデル」
「はい、おやすみなさい。おとうさま」
自分が読んでもらった本こそ同じものではないが、その少年に自分を重ねた。
兄とは別の部屋で、独り寂しく寝ているところへ父親は来て、本を読んでくれた。
毎日ではなかったが、自分の知らない世界を見せてくれたから寂しくはなかった。
エデルも、物語の主人公に憧れた幼少を持つ。少年の言葉はエデルの心を締め付ける鎖を解いていった。
その後、レジスタンスによって不当に牢屋へ入れられた国民と王族、さらにその家臣は救い出された。
エデルは、国の救世主として兄から国王になるように勧められた。
「エデル、お前はレジスタンスに怯まずに立ち向かった。流石だ。兄として誇らしいよ」
「─そんな…、兄様…、僕はただ─、自分のために動いただけで…」
「それでも、国民のためになったんだ。だから、お前は親父…先代の王に似ている」そうよ、と母親も微笑んでいる。
しかし、エデルはいくら国が危機に陥っていたとしても、感情に任せて人を殺めたことには変わりない、と国王になるのは辞退した。
お母様、兄様へ
城への手紙を書くのは久しぶりですね。あれから幾日経ったのか、忘れてしまいました。
それでも一人森の奥で住まうのは、まだ少し不安です。ですが、それは自らで決めたこと。我慢できなくては王家の名が廃ります。
自分で決めたとて、お母様と兄様には心配や迷惑をかけていること、とても申し訳なく思います。
こちらでは、あの男性が貸してくださったログハウスに住まわせていただいています。辺りには、木々や美しい草花が生い茂っていて、夜になると月明かりを受けて幻想的です。一度はお母様と兄様にも、そして、あの少年にも見せたいです。
いつか、僕が犯した罪が赦される時に、ここに来てください。
エデル・フィーネル