「ねぇ、おじさん」
畳にうつ伏せの状態でぴくりとも動かないリヴァイを、膝を抱えて見下ろす
ユーリア。
「返事がない…ただの屍のようだ」
そんな呟きに答えるかのようなタイミングで、座卓の上に置かれた彼の携帯電話が震えた。それは着信を知らせているようで出るまで切れそうにない。仕方なく電話を手に取り耳に当てた。
「はい…」
『ちょっとリヴァイ!?何やってんの!?原稿どうなってんだっ!?今どこ!?せめて場所くらいは教えてよ!!』
電話の相手は作家であるリヴァイの担当編集者だった。
「ハンジ…私、」
『って、
ユーリア!?リヴァイは!?ねぇ先生は何やってんの!!』
「…死んでる…」
『締め切りぶっちぎっといて何のんきに寝こけてんだ!?死ぬなら原稿上げてからにしろ!叩き起して!!原稿さっさと郵送しろって伝えて!!』
「うん…言っとく」
『で、今どこにいんの!?』
「旅館」
『どこのっ!!』
「多分…九州?」
『あのさぁ!日本全国転々とすんのやめてくれないかな!?ってあなたに言うことじゃないけど!!とりあえず今すぐ原稿送るように言って!頼んだよ!!じゃ!!』
勢いよく切られた電話から耳を離し、屍に視線を戻す。
「聞こえたわよね、先生」
「……………」
意識を取り戻した屍はわずかに頭を動かして
ユーリアを見上げた。ただ喋る気力はないらしい。隈の酷い目元、決して良いとは言えない顔色から察するにここ何日か寝ていないようだ。十分な休養をとらなければ動くことすらままならない状況。…だが、少女の一言でそれはネジを巻いた絡繰りのように動き始める。
「最後までやり遂げる真面目な人が好き…」
むくりと起き上がったリヴァイは、完成していた原稿に封をするとそれを抱えてすたすたと歩いて部屋から出て行った。
数分経って戻って来た彼の顔色が良くなっているはずもなく、戦っているのが眠気だとはとても思えないほど凄まじい形相で
ユーリアの目の前に座った。
「明日には届くはずだ。これでハンジも文句ねぇだろ…」
座っていながらふらふらしているリヴァイを支えるように抱き締めると、優しい声で労いの言葉をかける。
「お疲れさま!」
まるで子供をあやすように彼の頭をぽんぽん、と優しく撫でた
ユーリア。リヴァイは目を閉じたと同時にその場で横になる。
ユーリアは柔らかい笑みを浮かべたまま、彼の頭を自身の膝に乗せ、また頭を撫で始めた。
「へとへとでボロボロになってるリヴァイ…可愛いっ」
ユーリアのその言葉を最後に聞き、深い眠りの海へと沈んでいった―。
―夕陽に照らされ橙色に染まる部屋。目を覚ましたリヴァイは夕方か朝方か、判断するのに若干の時間を要した。
「おはよう、リヴァイ」
頭上から聞こえたその声は、彼の耳に入る中で最も心地よいと感じるものだった。
「リヴァイ?」
「…ああ、…起きてる。…どれほど寝てた」
「四時間くらいかしら」
彼の目にかかる黒髪を細い指で優しく除けながらそう言った
ユーリア。擽ったそうに目を細めると彼女を見上げる。
「…ずっとこうしてたのか」
「ええ」
彼の言うこうとは、彼女の膝に頭を乗せている今の状況を指している。悪いな…痺れてねぇか。という心配の声に笑顔で平気よ。と答えると、彼の頬をそっと撫でた。
「ねぇ、ハンジが怒ってるのって…やっぱり私のせい…?」
「あ?」
「日本全国転々とするのやめてって…。あなたが住所不定なの…私を攫ったからでしょう?私を連れて、逃げ回ってるのよね…」
「チッ……国内なだけまだマシだろうが。連絡はつくし原稿だって送った。何が気に食わねぇってんだあのメガネ…」
「あなたは電話に出てないから連絡がついているとは言い難いし、何より締め切りを破っているのが気に食わないんじゃないかしら」
ぐうの音も出ないリヴァイは眉を顰めて視線を逸らした。そんなリヴァイを見て小さく息を吐いた
ユーリアは、申し訳なさそうに呟く。
「…あちこち移動してる時間がお仕事に響いているのよね。ごめんなさい…。…どうしたらいいのかしら…。…あなたの負担にはなりたくない…」
だけど、やっぱり逃げ回るしかないのよね…。困ったような表情でそう言う
ユーリアを見上げ、垂れる髪に指を絡めた。
「何か勘違いしているようだが…、お前が自分を責めるような事は何もない」
「でも…」
「お前は自分の立場を分かっていないようだな。…俺は誘拐犯だ。お前は強引に連れ回されて拘禁されている憐れな身の上。お前にとってこんなクソみてぇな状況はねぇ。…本当なら、中学に入学し勉強と部活を両立してダチとバカやってるはずだ。それがどうだ…今のお前は常に寝不足で隈がひでぇ変なおじさんと二人で、クソつまらねぇ日常を送ってるときた。お前の人としての未来を奪った俺に絆されてやがる…」
「………」
「要するに俺が言いたいのは、…全部俺の自業自得であってお前は何も気に病む必要はねぇって事だ」
「………どんなに楽しい中学校生活があったとしても、傍にあなたがいなければ何の意味もない。あなたがいない世界は白黒でつまらないわ…。私の世界に色を付けてくれたのはあなた。…生きる希望を与えてくれたのはあなた。…あなたが私の全てなの」
髪を弄んでいたリヴァイの手をとり、頬をすり寄せ、時折唇を付けながらそう言った
ユーリア。
「…とんでもねぇ殺し文句だな、そりゃあ…」
彼女の頬に手を添えて上体を起こしたリヴァイはこつんと額を合わせた。目を閉じてしまった
ユーリアが彼の貴重な笑顔を見る事は当然叶わない。
「…それとな、別に逃げ回ってるわけじゃねぇぞ」
「え?じゃあどうしてあちこち転々としているの?」
「…世界は広い。だがお前はそれを知らない。…もうとっくに壁はなくなったってのに、お前の世界は相変わらず狭いまんまだった。…だからな、色んな場所でその目に色んなもんを映せばいいと思った。その為に連れ回している。手始めにこの島国だ。まだまだいい場所はたくさんある。…お前と見たい景色はまだまだな」
「………」
「これはお前の為であってお前のせいではない。この違いが分かるな?俺がしたくてしている事だ。お前と色んな場所に行きたいという俺の身勝手な行動。勘違いで自分を責める暇があるなら、精一杯楽しんで笑ってほしいもんだ。…まぁそれもおかしな話だがな。何せお前は囚われの身だ。…言ってる事とやってる事が矛盾してるのは分かってる」
「…矛盾してないわよ。私を攫った時からずっと、あなたの行動は全部私の為じゃない…。ありがとう、リヴァイ。…色んな所に行けるの、とっても楽しい。…でも一番嬉しいのは、あなたと二人でいられること。…あなたがいれば、どこにいたって私は幸せよ」
「………バカか。…それはこっちの台詞だ…」
額を離し、
ユーリアの瞳をじっと見据えるリヴァイ。彼女が恥ずかしそうに唇を軽く噛んだのを見て、その唇を優しく指でなぞった。
「ん…くすぐったい…」
顎を持ち上げられた
ユーリアは、リヴァイの顔が近付いて来るのを見て少し驚いたように目を開いた。
「…目、閉じろ」
鼻先が触れ合うほどの距離でそう言われ、肩に力が入る。ギュッと強く目を閉じた
ユーリアを見て小さく笑ったリヴァイは、その距離を縮めた。
唇に感じた初めての熱に一度ビクッと肩を震わせた
ユーリアだったが、頭を撫でるリヴァイの手が心地良いのか 徐々に力が抜けていった。
触れるだけの優しいキスは 初めての彼女を気遣っての事だったのか、数秒後 リヴァイはどこか物足りないような顔で
ユーリアを解放した。そんな彼の気持ちを察する事のない
ユーリアは、恥ずかしそうに口を両手で覆って俯いた。
「びっくりした…」
…でも嬉しい。はにかみながらそう続けた
ユーリアに、緩んだ頬を手で覆い隠した。そんなリヴァイに寄り添うように体を預けた
ユーリアは先ほどまでの会話の内容を思い出したように呟いた。
「ねぇ……もしも、一か所に留まってあなたとの二人きりの時間を邪魔されるなら…やっぱり色んな所に行きたいわ…」
その言葉が嬉しいのか 目を細めて
ユーリアの頭をぽんぽん、と優しく撫でたリヴァイはそうか…と言うと彼女の体をそっと離した。
「そうとなりゃ次の行き先を決めるぞ」
「え?」
どこからか大きめの日本地図を持ってくるとそれを畳の上に広げ、
ユーリアにダーツの矢を手渡す。
「適当に投げろ」
「行き先ダーツで決めてたの?ダーツの旅だったのこれ?」
「気分やいい宿で決めていたがそれも飽きてきた。今回はお前が決めろ」
予想外過ぎる決め方に戸惑いながらも言われた通り矢を投げてみる。見事に的を射た矢を見てリヴァイは小さく頷いた。
「ほう……そこならフグだな」
「フグ…?」
「宿を予約しておく。明日の朝出るぞ」
「う、うん…」
パソコンを立ち上げて行き先について調べ始めたリヴァイ。どこか楽しそうなその背中を見て微笑んだ
ユーリアは、彼の背中に抱き着いた。
《誘拐犯と中学生》
二人きりの旅は終わらない───。
Ende.