久々の休暇。珍しく
ユーリアが買い物に付き合えなんて言うからそのつもりで待っているんだがな。着替えてくる、そう言って部屋を出てから三十分…。女は身支度に時間がかかるもんだとは分かっているが…さすがに遅すぎやしねぇか。
ユーリアの部屋の扉は半分開いている。着替えるなら閉めろ…。中を見ねぇようにノックをすれば「ごめんなさい…もう少し待って」という声が聞こえた。
「着替えにずいぶん時間がかかるな」
「……。入っていいわよ」
「………」
姿見の前に突っ立っている
ユーリアは、俺が鏡台の椅子に腰かけると振り返った。
「シャツのボタンが…上手く留まらなくて…」
「あ?」
見れば上から二つまでしか留まっていない。三十分間何やってた…?
「…貸せ」
ユーリアの正面に立ち、三つ目のボタンに手をかける。際どい位置だが他意はねぇ。
「手が震えてるわね…緊張しているの?」
「…バカ言え。寒いだけだ。冷え性だからな」
「女子か」
「うるせぇ」
気温が低くなってくる季節。だが今日は格段寒い日ではない。手がかじかむほどの陽気では…。…手先が器用なこいつが、ボタン一つに手こずっている事を…何故疑問に思わなかったのか、この時の俺はどうかしていた。
――――――――――
ユーリアは料理が得意だ。
俺の好みを心得ている。
こいつの作るもんが口に合わなかった事はない。不味いと思った事はただの一度も。…だが、その日は違った。
「げほっげほ!」
「リヴァイっ大丈夫?」
少量口に含んだだけで咽返った。
ユーリアに背を擦られながらコップの水を飲み乾す。
「…今日はずいぶんと…味付けが濃いじゃねぇか。塩を持った時に鳥でも入ってきやがったのか」
「………。えぇ…驚いて貴重な塩を全部入れてしまったみたい…ごめんなさい…」
「…今のは乗らなくていい冗談だ。分量を間違うとは珍しいな。何か心配事でもあるのか」
「…特に…何も………。お水…汲んでくるわね」
そう言って俺から離れた
ユーリア。………、
「待て。お前…」
「…何?」
「食ってたよな、今…同じもんを。味が濃いとは思わなかったのか?」
「………。…元々…濃い味付けが好きなのよ」
「人が咽るほどの?」
「………えぇ」
目を合わせず俯いている。今まで俺に合わせて薄味にしていたとは考えにくい。長い付き合いになるが、濃い味付けが好きだなんて聞いたことがねぇ。…それでも日頃よく働いているこいつのたった一度の失態を責める気にはなれず、その後は何も言わなかった。
――――――――――
「オイ…
ユーリア!」
「っ…」
家に帰ると
ユーリアは椅子に座って本を読んでいた。それはいつもの事だ。だがいつもとは違う事が一つある。この充満する血生臭ぇ匂い…。足首から流れ出したらしい大量の赤い液体が、脚を隠す布を侵食していた。白いそれは赤い血で染められている。
「何してやがる…!どこで負った傷だ!?見せてみろ!」
「え……」
「けっこう深いぞ。これはどうした!?」
ユーリアの顔を見ると驚愕したように目を見開いている。
「こんな状態で悠長に読書なんかしてんじゃねぇ!洗うぞ!来い!」
手を引き立ち上がらせる。…しまった。足に負った傷だ。痛みで歩けるとは思えねぇ。
…だが
ユーリアは、平然と立ち上がり水場へと向かった。
「薪割りをしていて…躓き転んだ時に斧に触れたのかも知れないわ。ごめんなさい。大したことないから…」
「待て待て…お前…」
「心配しないで。本当に大丈夫だから…」
「違うだろ…。何でお前……、……痛くねぇんだ?」
「………え」
「外は暗い。薪割りなんて明るいうちにするもんだ。怪我した事に気付かずに…数時間過ごしてたって事になる」
「………」
「お前…、普通じゃねぇ。一度医者に掛かるべきだ…」
ユーリアは目を閉じると小さく頷いた。
思い返せば最近妙な事ばかりだった。らしくねぇ事ばかりしてやがった…。そういう時もあるなんて軽く考えていたのが間違いだった。何かの前触れだったに違いねぇ…。
翌日、
ユーリアは体調が優れないようだった。それでも医者には行ったと、特に異常は見られないと診断されたらしい。
だが…それから日を追うごとに
ユーリアの動きは鈍くなっていった。体が怠いと…ベッドから起きてくるのが遅くなった。
「リヴァイ……話があるの」
「…何だ」
ベッドに腰掛け俯く
ユーリアに目をやる。…顔色が悪く、やつれているようにも見える。
「あなた達と会う前…あの地下でね。私を育ててくれた肉親がいたの…一人だけ…」
「…」
「彼は……奇病で亡くなったわ。味覚や痛覚…。体の感覚が徐々になくなって…ベッドから起きてくる事が少なくなって……いつの間にか眠ってた」
「…オイ」
「体が怠くて眠いって…いつも言ってたわ。…そしてこれは遺伝だって…。…彼の母もそうだったと言っていた…」
「やめろ!」
ユーリアは目を瞑って横になった。…手を伸ばして呟く。
「傍に来て…。…手を握ってほしいわ…」
そっと触れると弱々しく握り返してきた。
「明日こそ…ごはんを作るから…。…最近サボってばかりで…ごめんね…」
手を強く握るが、反応はない。…眠りについたようだった。
ユーリアが次に目覚めたのは翌日の深夜。丸一日以上眠っていた。…医者は本当に、異常はないと言ったのか…?
「リヴァイ……ずっといてくれたの…?」
「………あぁ」
そっか…。と嬉しそうに笑った
ユーリアは握ったままだった手を口元に運ぶと俺の指にそっとキスをした。…俺の手に唇を付ける奴はこいつしかいない。俺がそれを許さねぇからな。こいつ以外は、汚くてこんな風に触れさせやしねぇ…。
「ねぇ…リヴァイ」
「どうした」
か細い声で俺の名を呼んだ。出来る限り、優しい声色で答える。こんな気遣いが俺に出来るとはな。自分でも驚きだ。
「お化粧をしたいわ……。…久しぶりに、ファーランに会える気がするの…。…綺麗にしなくちゃ………」
上体を起こし化粧道具を手にする。俺の手にある鏡を見ながら
ユーリアは重い手を動かす。…その手に感覚はあるのか?そんな事を考えれば、持っている鏡が震える。…オイオイ…俺は自分を完璧に支配できるはずだ。…そうだろ?なら何で今手が震える…?なぁオイ、言う事を聞けよ…クソが。
「どうして…震えているの…?」
「………寒いんだよ。冷え性だからな…」
「…女子かって」
「…うるせぇ…」
こんなくだらねぇ日常会話ができるのも、…
ユーリア、お前しかいねぇんだぞ…。
「ねぇ…どうかしら…綺麗に出来たと思う…?」
化粧を終えた
ユーリアは俺に顔を向け尋ねた。
「………ああ、…上出来だ。………綺麗だ………っ」
「…ありがとう」
直接的な言葉で褒めたのは初めてかもな。…そうして喜ばせるのは俺の仕事じゃねぇと思っていた。…だが、…ようやく言えた。嬉しそうに軽く唇を噛みながらはにかんだ
ユーリアはまた横になった。…今のその顔…ファーランにはよく見せていたその照れ笑いが自分に向けられる事を何度も夢に見たなんて事は…お前は知る由もねぇよな。
「…もう一度、手を握って…?お願い…」
力無く置かれた手を握る。…強く。これでもかってくらいに。
「リヴァイの手…あったかい…」
「…お前が、冷てぇだけだ…」
こんなに冷たかった事はない…。こいつの手はいつだって熱かった。そりゃあもう…火傷するんじゃねぇかと思う程にな…。
「寒かったなら…さっさと言え、馬鹿が…」
俺からこいつに触れることは極力避けてきた。…だが今だけは、…許されるか…?
白く冷たいその手を温めるように、息を吐きながら唇を付けた。こんな事するのは…こいつ以外あり得ねぇ…。
何が嬉しいのか
ユーリアは、いつも以上に緩い顔で俺を見てやがる…。その顔が…俺は嫌いじゃない…。
「…リヴァイ…、ねぇ…聞いて…」
「ああ、…何だ。聞いてるぞ」
「あのね…いいお友達でいてくれて…ありがとう。嬉しかったわ…。あなたと過ごした日々は…本当に楽しかった。…幸せだった」
「………礼を言うのは俺の方だ。お前は俺の生き甲斐だった…
ユーリア。お前だけだ。弱みを見せられたのは…。なぁ、オイ…柄にもねぇ、くせぇ事は言いたくねぇんだがな……悔いが残らねぇように……これだけは言わせてくれ」
「…うん…?」
「………愛だの恋だのはよく分からねぇ。…だがお前だけは……愛しいと思っていた…。友として、一人の人間として…誰よりもお前を…大切に思っている」
「………私もよ…リヴァイ。…ありがとう。…ごめんなさい、…眠いわ…。少し…少しだけ…、眠らせてちょうだい……」
「……っ…」
「リヴァイ……おやすみなさい………」
「…
ユーリア………?………」
《………おやすみ》
寝息を立てずに静かに眠る彼女の綺麗な顔を優しく撫でた。そしてそっと、唇を重ねた。
それは最初で最後の、冷たい口付け―――。
Ende.