本部を出た直後に空を見上げたのは気まぐれだった。
陽が沈んでから数時間、そこには満天の星空が広がっていた。
いつかの
ユーリアの言葉が頭を過る。
「草花や空…周りの景色を綺麗だと思うのは、心にゆとりがある証拠なのよ」
…ゆとり………どうだかな。…まぁ、あいつの言う事はいつも正しい。…って事はそうなんだろう。
「───おかえりなさい」
扉を開ければ笑顔で出迎える。…いつもの事だ。こいつにとって何でもねぇ普通の事で、俺にとっても当然の事になっている。…だが、考えてみれば俺を見てこんな顔をする奴はこいつしかいない。…嬉しそうにも見える…こんな顔を向ける奴は………。
「どうしたの?お腹減ってるの?」
「………いや」
「ご飯はいらない?」
「…ああ。悪いが済ませてきた」
「そっか…。じゃあ、一人で食べるのは寂しいから、見てて!」
食ってねぇのか。…俺を、待ってやがったのか…?
………全て二人で食うのに丁度いい量だ。…そうだよな。…いるともいらねぇとも言ってねぇもんな。
「…用意させたのに悪いな」
「悪いと思ってるなら話に付き合って!今日買い物へ出た時にね──……」
悪いと思っていなくてもお前の話ならいくらでも聞くさ。一つの義務であり…趣味だからな。
飯の代わりに俺の前に出したのは、ちょっといい酒らしい。喋りに夢中で結局まともに食ってねぇ
ユーリアを、そいつを片手に見遣る。…よく話が尽きねぇもんだと思う。…そして俺も、よく飽きずにこいつの顔を見ていられるもんだ………。
「…なぁ、
ユーリアよ。お前の話を聞くのは嫌いじゃねぇ。だが少し…黙って飯を食う事に集中したらどうだ。…冷めちまうぞ」
「ん?ん~……じゃあもういいや!明日食べる」
…三度の飯より話が好きらしいな。…変わった奴だ。
食器を片付け始めた
ユーリアを見て席を立つ。…背後に立てば振り返って不思議そうに首を傾げた。…こいつの目の色が…嫌いじゃない。
「どうしたの?」
まるでさっき見た星屑みてぇだな。………悪くない。
「…少し付き合え」
「え?」
「出るぞ」
「夜にお散歩?」
「…ああ。散歩がてら…」
「…お月見?」
「………いや」
「じゃあ、…お星見ね!」
「…まぁ、どちらかと言えばそうだ。…外は冷える。上着を忘れるな」
「了解だ!」
飲みかけの酒を持ち扉の前に向かう。上着を羽織って小走りで寄ってきた
ユーリアの為に玄関の扉を開けてやれば嬉しそうな顔を俺に向けた。…その顔のせいで、俺はいつも緩む頬を隠すのに必死だ…。
おそらく無意識なんだろうが…こいつはいつも俺から一歩下がって歩こうとする。…隣を歩いてくれた方が見失う心配がなくて助かるんだがな。…こいつの歩幅に合わせてこいつと並ぼうとするせいで、歩く速度がクソみてぇに遅いのはいつもの事だ。急ぐ必要がねぇから今はそれでいいんだが。
「どこに向かっているの?」
「この先にあるだろ。…邪魔なものがねぇ場所が」
「…ああ…うん!景色を一望できるところね!あの場所は好きよ!何となく空が近い気がするから!」
地下から見上げた空は…ずいぶんと遠かったもんな。…陽の光は平等じゃなかった。てめぇの力でのし上がりクソに塗れながら這い出た先でやっと…。だが、その代償はでかかった…。………、
「リヴァイ…」
「…なんだ」
「ん…なんか、辛い事考えてるのかな?って思って…」
「………何故だ」
「…何となく、」
………思えばこいつはいつもそうだ。気が沈む事は誰にでもある。考えても仕方ねぇ事ばかりが頭を占める時がある。…そんな時は決まって俺の名前を呼んだ。こいつに呼ばれて、こいつの顔を見れば冷静さを取り戻す事ができる。…だが何故分かる。俺はそんなに分かりやすく顔に出るタイプだったか…?…こいつの洞察力が鋭いだけだとしたらぼーっとしてられねぇな。余計なもんまで読み取られかねない。
「違うならいいの…。…見えてきたわね!」
目的地だった小高い丘の上に到達し空を見上げた。…俺に倣って同じく顔を上げた
ユーリアは「わぁ…」と小さく声を零した。
「やっぱりここは空が近い!星に手が届きそうだわ!」
「…大袈裟な奴だ」
「とっても綺麗ね!」
「………ああ」
…一人で見た時と何も変わらねぇはずの星空が、こいつ一人いるだけで何故こうも違って見えるのか…この世の中には説明がつかねぇ事が多すぎる。
「流れ星降らないかなぁ。知ってる?流れ星に三回願いを唱えると、その願いが叶うんだって!」
「ほう……何を願いたい?」
「そうねぇ………」
俺の顔を見ながら考えを巡らす
ユーリアは、目が合うとこれでもかと言うほどの笑みを零した。…月明かりはこいつだけを照らしてやがるのか?…暗がりで眩しいなんて有り得ねぇ現象が起きているんだが。
「あなたが長生きできますように、かな」
「………何だそれは…呪いか?」
「ひどい!どうして?」
「このクソみてぇな世界で俺だけに長く生きろと?地獄だな」
「受け取り方がひねくれている!もう……じゃあ、言い方を変えるわ。…" 今 " がいつまでも続きますように」
今……それは今この瞬間か?それとも…今送っている…何でもねぇ日常の事か?…どっちを指しているのか、聞く必要はねぇな。どちらにせよ………、
「…嬉しそうな顔してる」
「………」
「あなたの願いも同じでいい?」
「………構わない」
「よかった!二人が同じ事を願っていれば、星に願わなくてもきっと叶うわ!」
「…ああ。違いねぇな」
星に願うまでもない。そんな事は…そうしようと思えば出来る事だからな。
上機嫌な様子の
ユーリアの視線を感じる。…こっち向いてねぇで星を見ろ…。
手に持っていた酒の瓶に口を付けると「あ…」と言ったのが聞こえた。俺が視線を送るよりも早く距離を詰めた
ユーリアに顔を覗き込むように見られる。
「自分ばっかりお酒飲んでずるい!私にもちょうだい!」
「…ダメだ。お前は酒癖が悪すぎる」
「そんなことない!」
「あるから言ってんだ」
「ちょっとなら大丈夫!」
「そもそもこれしか持ってきてねぇ。回し飲みなんてできねぇだろ」
「え?できるけど?」
「……………俺が口を付けたと言ってんだぞ」
「平気だってば!それともなーに?まさかいい歳して間接チューに照れてるの?ぷぷっ」
馬鹿にしてやがるな…クソ、
「もしかして潔癖症だから嫌がってるの?でも前に私の飲みかけの紅茶飲んだ事あるわよね」
「…お前が俺の飲みかけを飲めるかどうかが問題だ…」
「だから飲めるってば!…まぁ誰でもってわけじゃないけど。相手は限られるわ」
…その限られた人の中に俺が入っていると言うのか…。…何でもねぇ事だ。こいつにとっちゃ特に意味なんてねぇ…何でもねぇ事なんだろう。…過剰に意識する方がおかしいってもんだ………。………チッ、
酒の瓶を軽く傾けると、差し出されたと認識したらしい
ユーリアが嬉しそうな顔を作ってそいつを受け取った。…飲み口に唇を付けながら俺に視線を送ってきやがる…。
「…何してんだ、飲むならさっさと飲め」
「ん…。………っ、…美味しくない!」
「………返せ。子供舌が」
素直にそれを手渡した
ユーリアはまた俺の顔をじっと見据える。…構わず瓶に口を付け一口飲んでから空を見上げると、独り言のような
ユーリアの声が耳に入った。
「あの時の空は…もっと綺麗だったんじゃない…?」
「…あの時?」
口を閉じて口角を上げた
ユーリア。…あの時…。…聞き返してはみたが…こいつが言っているそれがいつの事か、何となく分かる。………俺が酒を持ってきたのはそれが理由だ。
いつだったかこいつの瞳を星空に例えた事があった。その時に…ファーランとイザベル、…あいつらと酒を片手に夜空を見上げた事を話した。…あの時あいつらと語った事を…こいつは嬉しそうに聞いていた。…再現をしたかったわけじゃねぇ。ただ、…一度、こいつとも…。………そう思って連れてきた事を察したらしいな。やはりこいつは洞察力がずば抜けている…。
「…どっちも変わりゃしねぇよ。…あの時も今も、………いてほしい奴がいねぇ」
あの時はお前が…、…今はあいつらが…。
「………そうかしら…?…あの時そうしたから、今もお酒を飲みながら夜空を見ているんでしょう?あの時の事が心に残っているのなら……彼らの事を思っているのなら…、…彼らと一緒に見ているのと同じだわ…。今は………四人よ」
………こいつの言う事が間違っていた試しはない。…いつも正しい。…正しいと思いたい事を言ってくれる…。
「そうか。………見えねぇが、…いるのか。奴ら…」
「うん。きっと、お酒を片手にね」
「…やはりお前の分も持ってくるべきだったな」
「ファーランに怒られるからいらない。…一口もらったから…それで十分よ。…お酒の味は当然違うでしょうけど、…でも…お酒を飲みながら星空を見てるっていう状況は同じだわ。…やっと私も仲間に入れた」
…こいつの笑顔の後ろで、いるはずのねぇ…見えねぇはずのあいつらも笑っている気がした。
ユーリアのせいで頬が緩む時は大体覆い隠すのに必死だが…、…今だけはそれをしなかった。………こいつらと一緒になって馬鹿みてぇに笑うのも…たまには悪くねぇ。
《星屑の幻想》
Ende.