黒須×旬
あの日の事を、ずっと覚えている。
父さんが行方不明になって、母さんの手伝いを一生懸命するようになって、葵の面倒を見て。当時の俺はそんな生活に少しの疲れを感じていた。
どうしていいのか、どうすればいいのか全くわからない迷子のような気持ちで公園の隠れられる遊具の中でぼーっとしていると、いつの間にか周りが騒がしくなっていたことに気が付いた。
「(何が、あったんだろう)」
そう思ってのそのそと緩慢な動作で遊具から這い出ると、正面の雑木林の隙間から人間の物では無い目が覗いていた。
「ひっ」
思わず声を出してしまった瞬間にその目は俺を見つけ、一目散に飛び掛かってきた。
もう終わりだと、ここで死ぬのだと思いながらギュっと目を瞑った瞬間。
「動くなよ。俺の矢は、絶対に的を外さねえ」
「———えっ?」
瞑った視界の中で、強い光が瞬いた。
思わず目を開けると、そこには血を流して倒れている魔獣の姿。思わず後退ろうとしたが、その前に何者かによって身体が持ち上げられる。
「危なかったなー。ここら辺一体には避難指示が出ていたのに聞いてなかったのか?好奇心は身を亡ぼすぜ?」
「え、……ひ、なん、指示……?」
まるで猫の子のようにブラン、と持ち上げられ、視線が交差する。
軽い口調とは裏腹に、視線は怒りを耐えているかのように厳しい。
けれど言っている内容がまるで理解出来なくて、オウム返しのように繰り返せば目の前の顔が驚いたような表情に変化した。
「は?……あー……一個教えてくれ。避難指示を聞いたり、叫んでる人を見かけなかったか?」
「き、いてません。確かにぼーっとはしてたけど、気が付いたら周りが騒がしくなってて、それで……」
「……わかった。俺の勘違いだ。睨みつけて悪かったな」
正直に話せば苦虫を嚙み潰したような顔でその人は頷いて謝罪をしてくれた。ふざけんな、とか締め上げるとか俺を抱えながら物騒な事を言っている。一体何があったんだろうか。
わからないけれど、俺が助けられたのは事実で。
「あの!」
「ん?……ああ、悪りぃ。ずっと抱えっぱなしにしちまってたな」
「いえ。……あの、助けて頂き有り難う御座いました!」
本当に、助かった。
あのままであれば俺は死んでいただろう。母さんと葵を残して。そんなことは出来る筈がない。どれだけ疲れていたって、悲しくったって、二人を守れるのは俺だけなんだから。
今ここで死ぬわけにはいかなかった。だからこそ、助けてくれたこの人に最大の感謝が伝わる様に深く頭を下げた。
「気にすんな。間に合って良かった」
下げた頭を軽く二、三度叩かれる。
「……中学生くらいか?こんなところで何してたんだ?」
遊具で遊ぶ歳でもねえだろ?と問いかけられ言葉に悩んだ。けれど命の恩人だし、どうやら俺は本来避難するべきで、その分迷惑をかけたのだから話すのが礼儀だろう。
「……母と妹を守らないとって考えてたら、ちょっと疲れちゃって。ここはあんまり遊ぶ子供も来ないし、落ち着くから」
「……へえ、立派に兄貴やってんだな。偉い偉い」
「っ!」
雑に頭を撫でられる感覚が少し父さんに似ていて、思わず視界が歪む。
「なんだなんだ。限界ってやつか?男を慰めるのは趣味じゃねえが、まあ可愛い顔してるし特別サービスな」
そう言うと髪の毛をぐしゃぐしゃにする勢いで頭を撫でられ、目元にハンカチが当てられた。
「っ……ふ……っ、ふ、ぅ……ぐ、すっ……あ、りがと、ござ……っ、ます……」
「おう。……っとそろそろ戻らねえと拙いな」
「ぐす、っ……ぁ、引き、留めて……ごめん、なさい」
戻るというその人の言葉に一歩下がって距離を取った。ハンカチも返さなきゃ。
「俺の意志で居たんだから謝る必要はねえ。……本来なら一人で帰すわけにはいかねえから誰かに送って行かせるんだが……心配かけさせたくねえんだろ?」
一人で帰れるか?と俺の意志を尊重してくれるその人に頷きを返す。言われた通り、母さんに心配をかけたくはない。
「帰れ、ます。……あの、ハンカチ汚してしまって……弁償します」
「中学生がそんな事気にすんじゃねえよ。やる。返さなくていいぜ。また泣きたけりゃそれ持って泣いとけ。……ただし、代わりにこんなところで一人で居るのは止めとけよ。お前可愛い顔してるんだから攫われるぞ」
俺の気持ちを見透かしたように、肩を叩かれる。中学生ではないんだけど……。返さなくていいと言われたハンカチをぎゅっと握りしめて小さく頷いた。
「よし。良い子だな。……じゃあ俺は行くわ。帰る時は他のやつらに見つからねえようにそっちの裏道通って帰れよ。じゃないと囲まれて家まで丁寧に送られるぞ」
「わかりました。……あの、最後にお兄さんのお名前聞いても良いですか」
最後にお礼をもう一度、と思ったのだがそう言えば命の恩人の名前を聞いていなかったことに気がついた。
「え?は?マジ?俺の事知らねえの?」
「?……はい。ごめんなさい」
心底驚きました、と言わんばかりに驚愕の表情のまま問いかけるお兄さん。もしかして有名なハンターだったのだろうか、と申し訳ない気持ちになる。
ただ、言い訳をさせて貰うなら父さんの事に極力触れないようハンター関連のニュースはなるべく見ないようにしているからだ。
「俺も有名になったと思ってたんだけどな。まあ中学生にまでは知られてねえって事か。……俺は黒須圭介。四神ギルドのギルドマスターだ」
俺が居心地悪そうに謝れば、ガシガシと自身の髪を掻きながら自己紹介をしてくれた。ギルドマスターって凄い人なんじゃないだろうか。俺はそんな人に助けられたのか。
「黒須さん……俺、水篠旬って言います。あの、引き留めてしまいすみません。助けて頂き本当に有難う御座いました!」
「おう。まだ中学生なんだからあんま思いつめんなよ。じゃあな、旬」
再び俺の頭を撫でて、片手をあげ公園の入り口から出て行った黒須さんの背を見送る。
姿が見えなくなったところで、手の中のハンカチを握りしめて、教えてもらった裏道を通り帰宅した。
家に帰れば幸い母さんはまだ帰ってきていなくて、バレずに済んだと胸をなでおろす。そしてすぐに母さんに見つからないようにハンカチを綺麗に洗濯して、引き出しに仕舞った。
***
「あ。これ……」
荷物を詰めた段ボールの中に、きちんと袋に入れられたハンカチを見つけた。
懐かしいな、と取り出して眺めていると後ろから手が伸びてきて抱き締められる。
「なに機嫌良さそうに見てんだ?……ハンカチ?悪くねえ柄だが……ブランド物だし、旬の趣味じゃねえだろ。どうしたんだ?」
「これ?……初恋の人に貰ったやつ」
「……はぁ!?それ男物だろ?旬の初恋って男か?なあ、どこのどいつだ?後生大事にいつまでも持ってるってことはその男にまだ気持ちがあるのか?」
抱き締める力をどんどんと強めながら、耳元で拗ねた様に畳みかけられる言葉たち。我慢しようかと思ったが、おかしくなって吹き出してしまった。
「っふ、っく……あはは!気持ちがあるってのは正解」
その言葉に背後からの圧と締め付けが強くなる。……ばーか。
「俺が学生の時に、泣いてたら慰めてくれたんだ。可愛いからサービスって」
「学生がそのブランド買えると思えねえし、年上だろ。未成年に可愛いとか言う年上の男なんて碌なもんじゃねえよ」
「そんな事無い。格好良かったよ」
「……俺よりか」
「うーん……いい勝負かもな」
笑って言えば我慢の限界が来たのか、床に押し倒された。真上には、まるで俺に興味が無さそうだったあの日と全く違う嫉妬に塗れた瞳。思わずその顔に手を伸ばして自分から口付けた。
「ん……っ、はぁ……」
「……キスで誤魔化せはしねえぞ。あのハンカチ捨てろ」
「やだ」
「旬」
少し怒った口調の圭介さんを押しのけて立ち上がる。さて、いったん休憩にしようかな。
圭介さんからすれば大した事でもなくて。
きっと覚えてないだろうとは思っていたけど。それはそれ、これはこれ。少し意地悪をするのは許して欲しい。
「やだよ。———だってあれは四神ギルドのギルドマスターに貰ったやつだから」
「…………は?」
ポカン、と口を開けた圭介さん。想像通りの表情に溜飲を下げてハンカチを圭介さんの手の中に落とす。
「は……?え……?四神ギルド、って…俺、の?」
「俺の宝物だから、ちゃんと俺の部屋に置いといてよ。———碌なもんじゃない年上の圭介さん?」
まだ呆然としている圭介さんの頬に口付けて、お茶を入れるためにキッチンへ向かう。
……その後すぐ、我に返った圭介さんに寝室へ連れて行かれ休憩どころではなくなったけど。
父さんが行方不明になって、母さんの手伝いを一生懸命するようになって、葵の面倒を見て。当時の俺はそんな生活に少しの疲れを感じていた。
どうしていいのか、どうすればいいのか全くわからない迷子のような気持ちで公園の隠れられる遊具の中でぼーっとしていると、いつの間にか周りが騒がしくなっていたことに気が付いた。
「(何が、あったんだろう)」
そう思ってのそのそと緩慢な動作で遊具から這い出ると、正面の雑木林の隙間から人間の物では無い目が覗いていた。
「ひっ」
思わず声を出してしまった瞬間にその目は俺を見つけ、一目散に飛び掛かってきた。
もう終わりだと、ここで死ぬのだと思いながらギュっと目を瞑った瞬間。
「動くなよ。俺の矢は、絶対に的を外さねえ」
「———えっ?」
瞑った視界の中で、強い光が瞬いた。
思わず目を開けると、そこには血を流して倒れている魔獣の姿。思わず後退ろうとしたが、その前に何者かによって身体が持ち上げられる。
「危なかったなー。ここら辺一体には避難指示が出ていたのに聞いてなかったのか?好奇心は身を亡ぼすぜ?」
「え、……ひ、なん、指示……?」
まるで猫の子のようにブラン、と持ち上げられ、視線が交差する。
軽い口調とは裏腹に、視線は怒りを耐えているかのように厳しい。
けれど言っている内容がまるで理解出来なくて、オウム返しのように繰り返せば目の前の顔が驚いたような表情に変化した。
「は?……あー……一個教えてくれ。避難指示を聞いたり、叫んでる人を見かけなかったか?」
「き、いてません。確かにぼーっとはしてたけど、気が付いたら周りが騒がしくなってて、それで……」
「……わかった。俺の勘違いだ。睨みつけて悪かったな」
正直に話せば苦虫を嚙み潰したような顔でその人は頷いて謝罪をしてくれた。ふざけんな、とか締め上げるとか俺を抱えながら物騒な事を言っている。一体何があったんだろうか。
わからないけれど、俺が助けられたのは事実で。
「あの!」
「ん?……ああ、悪りぃ。ずっと抱えっぱなしにしちまってたな」
「いえ。……あの、助けて頂き有り難う御座いました!」
本当に、助かった。
あのままであれば俺は死んでいただろう。母さんと葵を残して。そんなことは出来る筈がない。どれだけ疲れていたって、悲しくったって、二人を守れるのは俺だけなんだから。
今ここで死ぬわけにはいかなかった。だからこそ、助けてくれたこの人に最大の感謝が伝わる様に深く頭を下げた。
「気にすんな。間に合って良かった」
下げた頭を軽く二、三度叩かれる。
「……中学生くらいか?こんなところで何してたんだ?」
遊具で遊ぶ歳でもねえだろ?と問いかけられ言葉に悩んだ。けれど命の恩人だし、どうやら俺は本来避難するべきで、その分迷惑をかけたのだから話すのが礼儀だろう。
「……母と妹を守らないとって考えてたら、ちょっと疲れちゃって。ここはあんまり遊ぶ子供も来ないし、落ち着くから」
「……へえ、立派に兄貴やってんだな。偉い偉い」
「っ!」
雑に頭を撫でられる感覚が少し父さんに似ていて、思わず視界が歪む。
「なんだなんだ。限界ってやつか?男を慰めるのは趣味じゃねえが、まあ可愛い顔してるし特別サービスな」
そう言うと髪の毛をぐしゃぐしゃにする勢いで頭を撫でられ、目元にハンカチが当てられた。
「っ……ふ……っ、ふ、ぅ……ぐ、すっ……あ、りがと、ござ……っ、ます……」
「おう。……っとそろそろ戻らねえと拙いな」
「ぐす、っ……ぁ、引き、留めて……ごめん、なさい」
戻るというその人の言葉に一歩下がって距離を取った。ハンカチも返さなきゃ。
「俺の意志で居たんだから謝る必要はねえ。……本来なら一人で帰すわけにはいかねえから誰かに送って行かせるんだが……心配かけさせたくねえんだろ?」
一人で帰れるか?と俺の意志を尊重してくれるその人に頷きを返す。言われた通り、母さんに心配をかけたくはない。
「帰れ、ます。……あの、ハンカチ汚してしまって……弁償します」
「中学生がそんな事気にすんじゃねえよ。やる。返さなくていいぜ。また泣きたけりゃそれ持って泣いとけ。……ただし、代わりにこんなところで一人で居るのは止めとけよ。お前可愛い顔してるんだから攫われるぞ」
俺の気持ちを見透かしたように、肩を叩かれる。中学生ではないんだけど……。返さなくていいと言われたハンカチをぎゅっと握りしめて小さく頷いた。
「よし。良い子だな。……じゃあ俺は行くわ。帰る時は他のやつらに見つからねえようにそっちの裏道通って帰れよ。じゃないと囲まれて家まで丁寧に送られるぞ」
「わかりました。……あの、最後にお兄さんのお名前聞いても良いですか」
最後にお礼をもう一度、と思ったのだがそう言えば命の恩人の名前を聞いていなかったことに気がついた。
「え?は?マジ?俺の事知らねえの?」
「?……はい。ごめんなさい」
心底驚きました、と言わんばかりに驚愕の表情のまま問いかけるお兄さん。もしかして有名なハンターだったのだろうか、と申し訳ない気持ちになる。
ただ、言い訳をさせて貰うなら父さんの事に極力触れないようハンター関連のニュースはなるべく見ないようにしているからだ。
「俺も有名になったと思ってたんだけどな。まあ中学生にまでは知られてねえって事か。……俺は黒須圭介。四神ギルドのギルドマスターだ」
俺が居心地悪そうに謝れば、ガシガシと自身の髪を掻きながら自己紹介をしてくれた。ギルドマスターって凄い人なんじゃないだろうか。俺はそんな人に助けられたのか。
「黒須さん……俺、水篠旬って言います。あの、引き留めてしまいすみません。助けて頂き本当に有難う御座いました!」
「おう。まだ中学生なんだからあんま思いつめんなよ。じゃあな、旬」
再び俺の頭を撫でて、片手をあげ公園の入り口から出て行った黒須さんの背を見送る。
姿が見えなくなったところで、手の中のハンカチを握りしめて、教えてもらった裏道を通り帰宅した。
家に帰れば幸い母さんはまだ帰ってきていなくて、バレずに済んだと胸をなでおろす。そしてすぐに母さんに見つからないようにハンカチを綺麗に洗濯して、引き出しに仕舞った。
***
「あ。これ……」
荷物を詰めた段ボールの中に、きちんと袋に入れられたハンカチを見つけた。
懐かしいな、と取り出して眺めていると後ろから手が伸びてきて抱き締められる。
「なに機嫌良さそうに見てんだ?……ハンカチ?悪くねえ柄だが……ブランド物だし、旬の趣味じゃねえだろ。どうしたんだ?」
「これ?……初恋の人に貰ったやつ」
「……はぁ!?それ男物だろ?旬の初恋って男か?なあ、どこのどいつだ?後生大事にいつまでも持ってるってことはその男にまだ気持ちがあるのか?」
抱き締める力をどんどんと強めながら、耳元で拗ねた様に畳みかけられる言葉たち。我慢しようかと思ったが、おかしくなって吹き出してしまった。
「っふ、っく……あはは!気持ちがあるってのは正解」
その言葉に背後からの圧と締め付けが強くなる。……ばーか。
「俺が学生の時に、泣いてたら慰めてくれたんだ。可愛いからサービスって」
「学生がそのブランド買えると思えねえし、年上だろ。未成年に可愛いとか言う年上の男なんて碌なもんじゃねえよ」
「そんな事無い。格好良かったよ」
「……俺よりか」
「うーん……いい勝負かもな」
笑って言えば我慢の限界が来たのか、床に押し倒された。真上には、まるで俺に興味が無さそうだったあの日と全く違う嫉妬に塗れた瞳。思わずその顔に手を伸ばして自分から口付けた。
「ん……っ、はぁ……」
「……キスで誤魔化せはしねえぞ。あのハンカチ捨てろ」
「やだ」
「旬」
少し怒った口調の圭介さんを押しのけて立ち上がる。さて、いったん休憩にしようかな。
圭介さんからすれば大した事でもなくて。
きっと覚えてないだろうとは思っていたけど。それはそれ、これはこれ。少し意地悪をするのは許して欲しい。
「やだよ。———だってあれは四神ギルドのギルドマスターに貰ったやつだから」
「…………は?」
ポカン、と口を開けた圭介さん。想像通りの表情に溜飲を下げてハンカチを圭介さんの手の中に落とす。
「は……?え……?四神ギルド、って…俺、の?」
「俺の宝物だから、ちゃんと俺の部屋に置いといてよ。———碌なもんじゃない年上の圭介さん?」
まだ呆然としている圭介さんの頬に口付けて、お茶を入れるためにキッチンへ向かう。
……その後すぐ、我に返った圭介さんに寝室へ連れて行かれ休憩どころではなくなったけど。